はてなキーワード: ファイト!とは
闘う君の歌を戦わない奴らが笑ってるぞ!ファイト!
妻「友達ちゃんのとこ赤ちゃん産まれてさ、すごい可愛いの!うちらもそろそろ子供欲しいな〜」
夫「そうだね!うちもそろそろ考えようか!」
妻「うん!」
その思い付き、迷惑です。衝動子作りしていませんか?安易に出産していませんか?
お二人の経済力はもちろんのこと学歴、学生時代の立ち位置、身長、目の大きさや顎の骨格などの容姿、運動・身体能力などを今一度しっかりご確認ください(遺伝的な要素は出来ればお二人それぞれのご両親まで確認して欲しいところ)。この国では学歴主義や経済格差、ルッキズムや高身長主義など客観的ステータスの重要性は日増しに高まっています。特に性的資本が基本的にない男性の場合、ビジネスでも恋愛でも最早客観的ステータスのみによって評価されるようになっています。愛情や性格など生きるうえで何も役に立たなくなっているのです。そんな現代日本において、貴方たちには子供を産む資格がありますか?今一度よくお考えください。
今日電車で妊婦さんに席を譲ったんだが、妊婦さんとその旦那さんの服装や持ち物(経済力)、話し方の雰囲気、容姿から子供の未来を自分に重ねてしまって悲しくなってしまった。自分達は運良く余り物同士でくっ付くことができたかもしれないが、子供がそうなるとは限らない。特に男なら悲惨さは言うまでもない。未来の日本人に残されてる経済的パイはほとんどない。なんとか寿命や病気で死ぬまでに経済面で持ち堪えられれば御の字。恋愛に関しても女子高生や女子大生、パパ活女子のSNSを見れば一目瞭然だが、これから先に求められるのは180以上の高身長でセンターパートが似合って肌が綺麗で横顔が外国人並みに綺麗なモデルみたいなインスタ映えする男のみ。インスタに載せて映えない男は比較対象どころか存在すらしなくなる。ただ、そうは言っても流産しない限りあのお腹の子供がこの世界に産み落とされることはもう確定してしまっているのでせめて中島みゆきの「ファイト!」を贈りたい。
ファイト!に関して俺を「闘うものを笑う闘わないやつ」認定してる文盲さんが何人かいるけど、俺は生きづらいこの世の中でしっかり闘ってるつもりだったんだけどな。それにこれから生き辛い世の中を生きることになる子供たちには本当に頑張って欲しいと思ってるし。
あと勝手に俺を反出生主義者認定してシンパシー感じてる人もいるけど、反出生主義者じゃないよ。ジャレッド・クシュナーとイヴァンカみたいな夫婦が子供産むことに何も文句言わないし、大谷翔平×池江璃花子とかでも素直におめでとうって言える。
わいわい実況の、ファイト!歌うの好き
弱者男性が発する言葉には、一人のキモくて金のないおばさんとしてはその存在をないことにされることの多さに辛いものもある。
ただ、色々な意見を読んだときにわかってきた大きな齟齬は、異性を発情させることが出来ることを価値ある力と捉えるか、背負わされた悲劇と捉えるかで大きく違うということだ。
異性を発情させることが出来るというのを性的魅力と表現するならば、確かにその性的魅力は女にはほぼ備わっているのかもしれない。
キモブスなので恋愛したことも男性からの好意を受けたことも一切ないわたしだが、痴漢や覗きに強姦未遂の性被害にはあっているからだ。
異性から好意を持たれることがない人生で罵倒されることに馴れてる人生で、せめて性被害くらいは自分の人生になければよかったのにってよく思う。ゴミのような扱いの人生が悲しい。
わたしが持ってる性的魅力は、わたしにとっては悲劇でしかないものだった。
ただ、弱者男性の持つ性的魅力は一切無なのだとすれば、彼等にとってはその性的魅力は価値ある力そのもので、もし自分たちがその力を欠片ほど持っていればそれをうまく使って居場所を作れたのではないかと思うのも、彼等の立場になって考えるとわかる気もする。
わたしも、もしも美人だったらどんなに人生が楽だっただろうとよく思った。そして、楽じゃないと語る美人には憎しみに近い思いを抱いたりもした。彼らの視点ではそれと同じなのかもしれない。
この女にほぼ備わっている性的魅力は、それこそ力として存分に発揮して欲しいものを手にする人もいれば、中島みゆきの「ファイト!」の歌詞のように男であればこんな酷い目に合う可能性は格段に下がったのではないかと思う人もいて、そこは複合的に重なってる場合もあり、女の中でも結論が出るものではない。
性欲の発露の男女の不均衡さは男女平等を語るときに一律同じ扱いで語るのはどちらの視点からも乱暴な気がする。これは、きっと神様の設計に問題がある。
わたしたちが救われるにはルッキズムからわたし自身も含めて完全に全員が解き放たれるか、逆に美容整形の外科手術の発展でみんなが手術を受けられるようになりキモくなくなるかのどちらかしかない気がする。
かつて聴いてそれなりに感動した覚えがあるんだけど、今聴くとけっこうヤな感じがする
暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
このくだりとか割と最悪なんだよな
「努力をやめて転落するのは"楽"だ」というメッセージ、超ネオリベなんすよね
例えで言うなら、流れに任せて流れ落ちたらふつうにその辺にぶつかりまくって苦しんで死ぬだろというのがまずある
努力をし続けるのは苦しく、しないとしないで苦しいという構造になってるのが現代社会なので、「努力をやめると楽になるのに頑張ってるやつは偉い(=努力してないやつは楽してるし偉くない)」ってのはカスすぎる
ファイトし続けるやつと流れ落ちるやつの違いが何かって言ったら、まあ脳でしょ
報酬系だかセロトニン受容体だか知らんけど、そういう生まれ持ったものにかなり影響を受けてるのは間違いない 苦境に耐え抜く才能があって偉い・苦痛に耐え抜く才能がないお前はクズで死んだ方がいい、そういう考え方はホント酷いですよ
薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
田舎者は「敵」として辺縁化されている
俺もさすがにこんなひでえことはしないけど、地方を捨てて東京に出ることをただ賛美するのは良くねえよなとは思う
じゃあどうすりゃいいのかはわからないが、この田舎ヘイトを煽るようなやり方が間違っているとは思う
そういうことなんですよね
嫌すぎる