はてなキーワード: 共依存とは
親が変なら親のことはとりあえず忘れていい。逃げていい。放っておいていい。親とどうこうするのは増田が人生楽しんで増田がもっと育ってからでいい。
さしあたっては、ぜひ良い友達や良い恋人を見つけて、一緒にいろんなことにチャレンジしながら愛されることと愛することを学んでください。親兄弟は選べないけど友人や恋人や所属する組織は選べるんだよ。びっくりするくらいお人好しなやつや、びっくりするくらい愛してくれるやつ、探せばちゃんといるから。探して仲良くなって、まずは愛をもらってください。同時に、増田も相手のことをたくさん愛してください。
特におすすめなのは、精神的にも経済的にも自立した、増田が心底信頼できる面倒見のいい人を恋人にすること。その人にちゃんと理由を話して気が済むまで甘えさせてもらいつつ、ちょっとずつ成長するのが良い。それでいうと、5~10歳くらいは年上がいいかもしれない。まあ働いてようと働いてなかろうと、年下だろうと年上だろうと、しっかりした人もいるけども。くれぐれも相手はよく選ぶ。へんな人を選ぶと、搾取されたり、精神的に共依存になったり、経済的に共倒れたりするからね。
甘えること、恋すること、愛されること、愛すること。それぞれ微妙に違う。その違いが分かって、自分にも相手にも無理なく加減できるようになるには、それぞれを充分に味わってみる必要がある。もちろん、それには相手が必要で。増田が19歳だというなら、誰にも文句を言われず(言わせず)自由に、甘えたり、恋したり、愛されたり、愛したりを試せる年齢は、これからやってくるんだよ。今死んでどうする!もったいないおばけが出るぞ。
昔読んで感心した記事を一個紹介しておこう。
社会不安障害持ちだけど、そんなわけねーだろクソが死ね!とさけびたい。
くすりを飲んだとしても過緊張しっぱなしだし、
そのせいで起こるミスもへりはしない。
というか、くすりを飲むとテンションが上がりすぎて、
余計に嫌だ死にたい。
精神科に行ってもキャッシュフローが悪化するだけでなんにも意味ない。
「精神科に行け」
「瞑想とジョギングしていい笑顔でいれば幸せになれないはずはない。大脳が壊れた人間の末路はいつも悲惨だ。お大事に。」
という反応ばかり。
メンタルが壊れてツラいって訴えはアウトなんですか、
それって、おまえらのただの嗜好じゃん。
クソが。みんな死ねばいいよ。
ある年、僕の後輩が友達を助けるとか言ってゴタゴタに巻き込まれて強姦紛いのことをされた。
結果は本人が親に知られたくないって言って泣き寝入り。それどころか本人のツイッターのアカウントを見つけられてしまって、学校がバレた、待ち伏せされて襲われるという強迫観念が前にいじめで起きたパニック障害に追い討ちをかけ学校から一人で帰れなくなってしまった。
幸か不幸か縁あって僕に色々相談してきてくれた。僕は学校でも居場所がなかった後輩に同情と昔の自分を投影したの感情が入ってしまった。
僕は他校にもかかわらず、受験期間にもかかわらず”約ひと月”という約束でほぼ毎日学校とその後輩の地元に直結する電車の駅まで送ってあげた。場合によっては手を繋いであげて、泣いてる時はハグしてあげて、勉強にも相談に乗ったり、ほかの人とうまくやっていくにはということで色々本を用意してみたり、弱気なことばかりいうのを褒めてあげたりなど頑張って励ましたつもりだった。
でもそれがいけなかった。
結果、僕に恋愛感情を抱いてしまったみたいで経験が浅かった僕は喜んですんなり受け入れてしまった。僕も好きだったらしい。
ある時、イチャイチャとペティングだけでは飽き足らず処女を奪ってしまった。
その後僕が下手だったせいかしばらく後輩の方がツンツンするようになってしまった。だからと言って多くのクラスメイトと仲良くするわけでもなく。
僕はその時、弱みに漬け込んでただけでこの強姦をした人と同じことをしたんじゃないかって、罪悪感と彼女の依存の強さと本当に責任って取れるのっていう、愛していけるんですかっていう生々しい感覚。ほかの人から見たらお前はくずだなと言われるかもしれないけどその時は受験のストレスもあってダメだった。今は本当に好きだったからって言えるけど。ダメだったんだ。
だからその後僕は振った。もちろん嫌いになったわけでもなく。一緒にいたらダメだなと思ったから。僕まで依存したらもう終わりだなって。そん時は少なくてもそう思った。
それも良くなかった。
共依存は良くないと考えて、冷静になって欲しいから相手を想いやったつもりなんだけど全く後輩のこと考えてないよね。だってそれで振られたら遊ばれたと思うよね。
こないだ付き合ってた時に約束したご飯のことを果たすために会ったけど警戒心があってやっぱりなと思った。その後誤解は解けてフランクに話したりじゃれあっていたりしたけど、しこりは消えなそうだった。後輩は僕よりも2つ上の男から告白されててどうやら今度OKを出すみたい。
エゴだってわかってるけど僕みたいにどうしようもない馬鹿男ではなく、素敵な人であることを強く願うばかりだ。幸せになって欲しい。
僕は誰かの正義の味方でありたかっただけなのかもしれない。でもそれは誰もが望むことではないし、自分の考えを押し付けたオナニーだったんじゃないかなって強く葛藤してる。すまない。
昭和の集合住宅に住んでいて平成不況と人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html
さて、私は仏教徒だから遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国で仏教と儒教が習合してしまって渡来したから日本では混同されている。
私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産も相続したくない。
遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかったから火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。
遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離」である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。
「千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。
遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。
生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である。
死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶も所詮は細胞の状態でしかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。
日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである。日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元の岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。
そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院の資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典を暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文のネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術上のものでしかない。それでもその檀信徒が財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体が目的化している。
あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから、後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分が死ぬ方が先だろう。
忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変である。しかしその記憶もデータであって、細胞の状態である。
本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データでしかなく、ディスクがクラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。
それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。
端末が壊れるとかよりも10年維持される電子書籍サービスがあるかってほうが問題
DRMとかの問題で一度購入してダウンロードしたものでも永久に読めるものはない
国会図書館もDRM付きの電子書籍は収集してないので、電子書籍オンリーとか、電子書籍で加筆されてるものとかの貴重な資料は、永久に残らない
業界の程よく中心から距離のある関係者視点で、電子書籍を取り巻く日本の事情について書いてみます。
ここ数日話題になってる「全部電子書籍でだせっていってんだろ」「くそ業界滅びろよ」っていう読者の声と、それに対する業界のいいわけじみたコメントに対するメモですね。
スタンスとしては、業界側の視点ではあるんですが、業界を擁護するつもりはありません。すべての業界や消費物と同じように、必要とされなければ声を荒げなくても滅びると思っているので(そして出版業界が斜陽であるのはもう周知の事実ですので)、ことさら擁護の必要もなければ罵声を浴びせる必要もない、というのが個人的な気持ちです。
読者側にも業界側にも各論はそれぞれあるとおもうのですが、今回述べたいのは、総論として「日本の出版業界は、日本の書籍市場に過剰適応してしまった」という点です。
この場合「日本の書籍市場」っていうのは、取次ぎのシステムであるとか、再販規制であるとか、書籍の値段分布であるとか、日本人の読書傾向であるとか、まあ、そういうもろもろです。
さらに誤解を恐れずにいうのならば、「日本の書籍読者の皆さんと、日本の出版業界は、共依存の状況にあります」というのも加えたい視点です。
「日本の書籍読者の皆さん」というとなんだかすごい人数いるような感じがしますけれど、統計から見ても、「年間一冊以上、字ばかりの書籍を買う人」なんてものは、日本の人口の20%もいません。もっと頻繁に本を買う人、書籍を買うというのが日常行動になってる人の数の統計は見たことがありませんが、体感で言えばその20%の数分の1ではないでしょうか? 「書籍のヘビーな読者」というのは、もはや不特定多数ではなく、特定多数なのです。
そういう非常に熱心な読者の方の存在を前提に、どっぷり浸かって過剰適応したのが日本の出版業界です。
世界的に見て、日本の出版業界は、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網、書籍へのアクセサビリティなどの点で、類を見ないほど高いレベルにあります。個人的には、変態的で気味が悪いほどレベルが高いと思っています。こういった点は、日本の読書文化とさきほどの「熱心な読者の皆さん」に支えられて、長年かけて進化してきた成果でしょう。
出版という視点から離れてただのビジネス的な話として判断してほしいのですが、つまりそれは高度成長期を何度も経験して人口も増えて、中間層が発達して、娯楽に可処分所得を投入可能になった国が、「親にしかられない文化の王様」として書籍を愛して、業界側もせっせと面白楽しい本を矢継ぎ早に出した結果です。そういう設備投資、そういう人材発掘、そういうスキーム作りをしたのです。再販規制も、広い意味で言えば「そういうスキーム」の一種でしかありません。
現在の出版不況は(個人的にはそんなに不況だと思っていないのですが)、このシステムそのものがが、時代の流れに置いてけぼりになってしまったというだけのことです。少子化であるとか住宅事情の変化であるとか、読書文化の変遷(ここに電子書籍は含まれます)についていけなくなっているのが、現在業界を取り巻く現状です。
では、そういう仕組みを変えればいいじゃないか! と皆さん思うでしょう。
もっともです。時代に合わない企業は淘汰されるのが自然の仕組みです。
しかしながら前述したとおり、出版業界は適応を超えて、過剰適応の段階にあります。出版業界が今の時代に合わせる難易度は非常に高いです(それはみなさんも、出版業界の動きからうすうす察していますよね?)。イノベーションを起こす人的な余裕も経済的な余裕もほぼありません。大手がのろのろ動いていますが、この速度は何も出し渋っているとか、一部の読者の皆さんが言っているような嫌がらせなどという陰謀論ではありません。過剰適応して余裕がないだけです。
個人的な見解でいえば、大手出版社が華麗にイノベーションを起こしてパラダイムシフトを達成するよりも、非出版業界の会社が新しいスキームで参入するとか(Amazonはこれにあたります)新規出版社になるというほうが、実現速度はずっと早いと思っています。
まあ、とにかくイノベーションですから、壊して作るしかないのです。が、過剰適応しているので壊しづらい。それだけです。
この辺の話は、ビジネス書を読めばいくらでも出てくると思いますが、今回指摘しておきたいのはその先の「過剰適応」と「共依存」についてです。
電子書籍への移行を求める読者の皆さんはおそらく書籍愛好家ですし、今まで出版業界を支えてくれた皆さんだと思います。
これを書くと炎上してしまう気もするのですが、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網などの利益を得てきたのも、皆さんなのです。あえて言いますが、読書家の皆さんはそれを「既得権益」だと思ってはいませんか? 共依存と指摘したのはこの点で、読者の皆さんはそういう環境を当たり前だとは思っているように感じるのです。自分も日本人で子供のころから日本の豊かな出版文化に首までどっぷり浸かっていましたので、それが当たり前の光景だという感覚はよくわかります。が、世界のすべてがこのように豊かなわけではないということを、ビジネスを通して学びました。
こういう書き方をすると、「出版業界の脅迫」というコメントがつく気もするのですが、考えてもください。「脅迫だと感じる」ことこそ「あって当然の権利だと私は思っている」という告白なのです。
重ねて言いますが脅迫でもないし出版業界の擁護でもありません。不要と判断されれば業界が消えるだけだと思っています。
イノベーションを起こして業界を変革するというのはよいことで、最終的にはユーザーの利益になるような調整が行われるのが市場原理ですし、最終的にはそうなると思いますが、当然「破壊」するからには失われるものもあります。たとえば電子書籍なので物理書籍より安くなるのが当然だと皆さんは考えていると思いますが、それが未来にわたって保障されるとは限りません(そもそも安くならなければいけない理由もありません)。出版点数についても、このようなバラエティが保障されるとは限りません。
過剰適応というのは、安定した市場に向けてサービスをフォーカスしすぎて余裕がなくなった状態ともいえます。うつりゆく市場になったからには、投資においてリスクヘッジをしなければならなくなるでしょう。
読書人口というのは限られていると指摘したとおり、それはたとえて言えば、地方自治体のようなものです。電子書籍サービスをすぐしろ! いや無理だ! というのとは関係なく、斜陽の業界なのですから物理書籍も含めて、もはや「今までと同じようなサービスは望めなくなるのが当然」なのです。
もちろん、業界側(出版も印刷も書店も)利益を上げるためにやっているので、今までより低コストによいサービスを目指してやっています。スタッフを少なくしても同じ仕事ができるように効率かも進めます。しかし、それでも吸収できないときがくれば、当然ですけれど、価格への転嫁やライン(出版点数)の絞込み、地方配本の削除などが行われるでしょう。これは、どんな業種でも同じことであって、出版業界は聖域ではないのです。
一連の応酬を読むと、どうももやもやするのがこの部分で、新刊が出るのもそれが配本されるのも面白い本がでるのも、全部ただの商行為であって、信仰とか正義とか哲学とか、そういうのとは何の関係もありません。出版業界人は自分たちに文化人な変なプライド持ち過ぎだと思いますし、読者側は出版や自分の読書ライフを絶対視し過ぎではないでしょうか? ただひたすらに、その取引の瞬間、やり取りが成立しただけで、永遠も持続もその取引には含まれていません。「続刊を必ず購入してもらえる保障」も「続刊が出る保障」もその取引に含まれていないのです。
ビジネス的な観点で言うのならば、大規模な投資をしてイノベーションを起こすのであれば、「熱心ではあるけれど人口の少ない旧来の読者」などは相手にせずに、「今まであんまり書籍を買わなかったけれど、イノベーションによって買うようになった新しい読者」をターゲットにすべきでしょう。
「早いところ業界をぶっ壊せ、イノベーション起こせ!」というのは非常にわかるのですが、業界の歩みが遅いのは「熱心な読者」に執着しているからなのです(なにせ過去から現在に渡るメインのお客様ですからね)。これが、業界側から熱心な読者に対する「依存」です。
ぶっ壊せと叫んだ結果、「自分の好きな出版物や出版文化がなくなる」というのは、当然のリスクとして織り込むべきだと思います。
高校の頃に共依存を感じたので大学は実家から通えないところにした。めちゃくちゃ反対していたのに高ランクの大学に受かったので両手を上げて送り出してくれた。
実家に居たときはプライベートな空間がなかったし、性格もあるだろうがなんとなくで出掛けるのがめんどうな家だった。そもそも高校まで小遣いもなかったため、外に出てもやることがなかった。弟がゲームを持っていたのでそれで時間を潰すことが多かった。
そしてこれは、親元から離れてはっきりとわかったことなのだが、私には趣味と言えるものが何もなかった。とにもかくにも飽きっぽいし、あとお金を使うのが下手くそだった。
それからおしゃべりも全然楽しくなかった。趣味がないから話題もないし、愚痴なんかも言霊信仰派なので声に出すことはできなかった。強いて言えば話すのより聞いているほうが楽しくて好きなのだが、高ランクの大学ってできている人が多くて、聞いているだけだと大抵気を使われて1人でしんどくなってた。
大学生活っていうと自分の好きなことができる余暇があって、座学以外にも自主的に活動して見聞を広めることができる。そんなイメージは親からも押し付けられた。月に1度は押し掛けてきて、留学くらい行きなさいよ~とか言ってくる。バイトは勉強に身が入らなくなるからしちゃダメよと言ったのと同じ口で。(もちろんバイトはしていたが、バレて散々愚痴を吐かれた)
ほぼほぼ影響はないと思っていたのに親の魔力から逃げ切れていなかったようで、そのうち大学に行く気力がなくなってしまった。たぶん来年度からまた実家暮らしになるのだろう。
関西で泊まった正月の宿で、混むからと言われ朝食会場に早めに行って開くのを待ってた時に来た関西の方と思われる老夫婦。
旦那さんの方が様子がおかしくて、奥さんの言動から推測するとどうやらアルコール依存で奥さんが寝てる間にどっかから酒を調達して飲んじまったらしい。
並んでいた私たちに機嫌良く話しかけてきて、しかしフラフラでまともに立っている状態をキープするのが難しいように見えた旦那さんは、奥さんから座ってて!と言われて床に座ったり転がったりしていた。我々への軽口と楽しげな表情やしぐさは、確かに酔って陽気になってる人のようにも見えたが、意外にも酒臭かったりはしなかった。
そうこうしている間に開場待ちの列が本格的に出来始め、旦那さんは他の人達に合わせるためか立ち上がろうとした。その時バランスを崩し後ろに転倒、そこにあった立て看板を背中で吹っ飛ばし破壊はしたが、更に後ろにあった壁の前にうまく倒れたため幸い壁や床に頭を打つことは免れた。
周囲の男性陣に助け起こされた旦那さんに奥さんは怒り、嘆き、その身体を叩いた。合間に周りに謝り倒しながらおそらく壊した看板の件を謝りにフロントに行くためか、旦那さんの腕を掴んで壁の横のエレベーターに乗って去って行った。
(ちなみに立て看板は元々半壊状態をテープで修復していたものだったので、多分弁償と言う話にはならなかったと思われる)
二人とは朝食後にチェックアウトを済ませて乗ったエレベータで再会、再び謝られた。一時間以上経っていたからか、フラフラがマシになっていた旦那さんは普通の状態に戻りつつあったように見えた。こっちに手を振るまだ機嫌の良い状態の旦那さんと、頭を下げる奥さんに見送られて宿を出た。
「依存症の旦那さんが、おそらく奥さんが寝ている間にホテルの自販機で酒を買って飲んだ。酒臭くないのにフラフラしていたのは服用している薬との飲み合わせのせいで身体の症状が強く出ているため」
明らかに依存症の旦那さんはまあ「わかる」。一生断酒は大変だろうなと思う。我慢できなかったのだろうなと思う。
朝食会場の前で、奥さんは旦那さんに向かって半泣きの声で訴え、私たちに謝りながら「この人治療中なのにまた飲んだんです、また病院に行かないと」「もう、どうしてまた、飲んじゃったの?ねえ、どうして」と言っていた。
見た目は『懲りずにアルコールに手を出してしまう夫に苦労させられている可哀そうな奥さん』だった。
でも何故か私が感じたのは『奥さん迂闊やなー』だった。
なんで治療中なのに旅行?旅行って酒を買う機会・口実を与えるようなものではないの?
宿では24時間自販機から酒を買えるのに?(知らなかったのかもしれないけど)
耳にした言葉のイントネーションから関西の方のようにみえた。墓参に伴う宿泊だったのなら日帰りもできたのではなかろうか?なんでこんな展開になるかもしれない状態の旦那さんを連れてわざわざ宿泊したのだろうか?何で?
何でフラフラで歩くのも覚束ない状態の旦那さんを朝一で食事に連れ出す?まともに食べられるとでも?連れ出すとしたら薬もアルコールの効果も薄れそうな朝食時間終了間際の方がどう考えてもマシなのでは?
等々、ずっとモヤモヤしたまま家に帰ってきて、Wikipediaのアルコール依存症のページを見てみたら、奥さんが典型的な「イネーブラー」「共依存」のパターンだと知ってモヤモヤは晴れた。
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。
自分も遅刻魔で、他人を苦しめて自分も苦しめてきたから分かる。
私の場合だけど…考え得る原因はいくつかみつけたので紹介する。
まず私の症状は、昔からギリギリだったけどとくに大学時代は遅刻欠席常習犯だった。しかし遊びなどは間に合うことが多かった。
社会人の今は、ふたたびギリギリながらセーフを保っているタイプだ。
それから、遅刻癖が顕著なのは家から出るのだけで、出先から別の場所へ移動するときはとくに問題なかった。
●慢性的な罪悪感
他のトラバにも挙がっていたが、自己肯定感が低く、無意識下で罪悪感を感じていたい欲求を抱えている。
●愛情の試し行動
それから、低い自己肯定感ゆえに、「こんな自分でもほんとに付き合ってくれるかな?」と試し行動をしてしまう。これは何度も許してくれる友達に対してやりがち。
●怒りの試し行動
幼い頃のことをよーく思い出してみた結果、数年の長期間にわたり自分の時間を意図的に奪われ続けた経験があった。
それに対して無意識の怒りをずっと抱えて生きていて、持て余した結果、自ら遅刻をすることで他者の反応を見たがってしまっている。無意識に。
この気がある人は、最短時間で計算してしまうらしい。たしかに…
私は効率を考えてるつもりで、最短でいけば家に何時までいられるという計算で考えてるし、支度が早くできないので結局おそくなる。
既に間に合わない時間を越えるとき、それから今まさに待たせているとき、強烈な絶望感におそわれる。
こんなクズで私どうなっちゃうの?!しね!!みたいな考えを至って真面目に行ってしまう。負の感情におぼれ、自分の魂に自分で傷をつける感覚がある。
それはそれで、スリリングで、たしかに自分は生きてるんだという感覚を伴う。
たまに普通に早く行くと周囲に驚かれるのも、普段の自分の行いを攻められる気がしてしまいまたギリor遅刻に戻ってしまった。
遅刻をすれば、周囲の冷ややかな視線を浴びることになるが、そうして「やっぱり私はクズなのだ…」と再確認する作業は自分に必要なものであるきがして、もはや日課になってしまった。
とにかく、このセルフイメージを無理矢理にでもかえるしかない。
私による私のための分析に寄れば、アダルトチルドレン的な要素を持つ私は「不成功防衛」に囚われていて、遅刻癖もその一つなのだと思う。
なぜ遅刻をするのか。
遅刻をすることで、直接的間接的に何かしらのメリットが、ほんの少しでも生じているからだ。
遅刻癖は、「クズで欠陥のある私」のセルフイメージを保つのに役立つ。
たとえば親と共依存関係にあるばあい、自立しないことは大いなる貢献につながる。
そして周囲から過度な期待をかけられることもなくなり、後からがっかりさせて傷つくより先にわざと裏切っておけば、自分は傷つかないはずである。
こんな感じな考えに、実は囚われていたことにきがついた。
対処法はよくわからないが、とにかくおもいつく限りの無意識をひっぱりだして、一つ一つのエピソードに泣いたり怒ったりして向き合って、自分は世界でただ一人の生きた人間であることを自覚するということがいま一番効果があった。
何言ってるんだといわれそうだが、いままでどこか他人事で、自分はどこにもいなかったから傷つこうが傷つけようがかまわなかったのかもしれない。
高校で友達できない→嫌われるお前に原因がある、お前には何の取り柄もない
朝に高校行きたくなくて号泣→行け!帰ってくるな!と家から追い出す
毎日号泣(本当)しつつなんとか学校に通い続け半年経った私の誕生日に「お前最近絵描いてんのか?描いてないだろ。お前なんか絶対美大に行けないね!」と吐き捨てる←日常的にあった言葉の暴力だが、誕生日で気が緩んでいたためショックが強すぎた というか実の親に開口一番誕生日のお祝いどころか生活の粗探しをされ罵倒された事実もつらかった
日々の生活のちょっとしたことで尋常じゃないくらいキレるので毎日びくびくしながら過ごす
雨が染み込んでくるボロボロの靴しかないので靴を買うお金が欲しいと言っている娘を無視し自分は3万の靴を買おうとする父親
異常な人間だとわかっていたならさっさと見切りをつけて父親と離婚すべきなのに、理由をつけて理不尽を子供にも強いる母親
生まれたくなかった
身体だけが成熟した歪んだ子供同士の家族ごっこに付き合わされるのはまっぴらごめんだ
もうたくさんだ
愛がわからない
生まれたくなかった
父親が姉の足に歯ブラシを落としてしまい姉はとても痛がった しかし父親は謝らず、俺は悪くないお前が悪いという態度を貫く
蹴る、踏みつけるなど
姉は蹲り無抵抗
母は止めに入るが形だけであり
姉の身体や心だけでなく、私の心にも深い傷を負わせた
もう嫌だもう本当に嫌だ
かび臭くて狭い家 冬は外より寒い家 ドアも壁もない 光と音が筒抜けでプライバシーもクソもない 家族もクソ 安心して過ごせる場所が 本当に本当に どこにもない 一人が保証された空間で泣き叫びたい 安眠したい
私への援助を最低限のものにするってさ
(自室だと風呂やドライヤーや姉の生活音と一緒に暮らしているようなものなので寝つけない)
最低限もクソもない。娘に生活費すら出し渋る癖に何言ってんの?
生きることが苦しみで死にたくて、死んだら周りに迷惑がかかるから消えたくて、どうしようもなくて自殺未遂を繰り返して
やっと生きる力が湧いてきて
それ以上のことを望むんだね
生きてるだけですばらしいって言ってくれないんだね
生きてるだけで苦しい人間に対して もっと動け、もっと頑張れ、って言うんだね でもそれを言うあなたは助けてくれないんだね
あと数ヶ月虐待を我慢すれば私は受験できるけどさ〜〜〜〜〜〜??
この最悪な状況で受験して受かったら本当にすごくない?誰か助けて。ちゃんと生きていたいだけなんだ。
眠剤効かない、寒さで震えが止まらないし涙と鼻水凍りそう もう朝の4時
普通に生きていきたいだけなのに。
頑張って受験勉強したいのに。
何もさせてくれない。
何もさせてくれない。
何もさせてくれない。
誰も助けてくれない。誰も私を愛してくれない。私はどこに行けばいい。不安だ。不安だ。金さえあれば今すぐ出て行くのに。
きょう、予備校で泣きながら絵を描いた。トイレに逃げた。5回くらい。胸が詰まって苦しかった。吐きそうだった。苦しかった。
絵は全然描けなかった。
や、単に自分の変態的な願望があって、それが反映された夢を見た話なんだけど。当方アラサーのおっさん、既婚、子供は半年後誕生予定。
つまり俺はヘテロセクシャルなんだけど、独身からの性癖でアナニーとチクニーが大好き。それが高じて”ロリ美少女になって男とセックスしたい”という変態願望がある。
そんで、そういう夢を見たわけ。
なんか赤羽根Pみたいな眼鏡の優男とベッドで裸で抱き合ってる。
イメージとしてはほんとアイマスエロパロかガンスリみたいな、大人の男とロリな自分が恋人同士だか共依存みたいな関係になってる。
自分は金髪で小柄細身無乳の美少女で、男の胸にすっぽり収まってる。
で、男のちんこを握ってみたら、予想外に太くてびびんの。
「えっちょっこれ太すぎない??これ俺の中に入るの?無理じゃね?」
とか思って、そんで
「ああ俺今小さい女の子になってるから普通のちんこがすげぇ太く思えるのか」
とか納得して。で、
「とりあえず一回しごいて出してもらおう」
って思ってしごいて出させて、そこで目が覚めて、そしたら犬のぬいぐるみの抱きまくら(奥さんの)の前足握ってた。ああこれだ、夢で握った太さだ……。
それで思ったね。ロリエロマンガでよく見るような体格差のセックスちょっと無理だわ、て。
おしまい!!
増田は昇降禁止お姉さんみたいなものです。(正しくはお姉さんを指示してた人)
何十回と使っててコンクール中はチーフとして動いたり、舞台装置動かせてもらえてたくらい慣れ親しんでいる場所なので、興奮しました。
(もう違うので書ける)
尼崎にあるアルカイックホールと呼ばれる会場が舞台(数年前名称変わってたな)
外観はサイトで見ていただいて分かるとおり、アニメは忠実に再現。
吹奏楽コンクール期間中はあそこが楽器置場として使われる。(繋がっている。聖地巡礼は難しいかと)
バスが止まってたところはホテル側だろうか。ホールの駐車場は屋根の下なので明るくないし広くない。
素晴らしかったのはホール内。(聖地巡礼したかったら吹奏楽するか芸能人になる)
下足箱が完全再現。大量の緑のスリッパに、並んだローファー。妙な狭さ。
コンクール仕様に整備された地下のリハーサル室。緑のシート。赤いカーテン(確か鏡だったかな)
楽器を出し入れしてた場所は中の声聞こえるんだろうか?まぁいいや。
ただ待機場所であんなにばらけさせてはもらえない(奥の方で整列して静かにしないと怒られる)
テレビを見ているのは舞台上に学校名などをアナウンスする女性。(あとくそ忙しいのにサボってるスタッフ)
あのでこぼこした反響板が一気に動くので、曲終了少し前にはあの裏に居たら超怒られる(頭打って死ぬから。あのホールで唯一気を付けないといけない場所)
あのホールの素晴らしさは客席の壁が何故か煉瓦張りなところと、凸凹の反響板。
書き込み完璧だった。あの反響板が関西でも音響最高と言われるホールを作り出している。(「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれている)
ライトも完璧。実際舞台上から見たコンクール仕様で設置された景色。
あのホールはよく目に見えないレベルの埃とライトでキラキラするので、演奏家になると実際に久美子が見ていた指揮者だけが浮かぶ幻想的な景色が見れる。
客席もなにもかも、そっくりそのまま。
全く気にならないけど一応現実と違う点を言うと、会場スタッフはもっと多い。
地元のボランティアの吹奏楽部の学生、OBが楽器を運び、舞台設置をして、案内をしている。
コンクールメンバーに選ばれなかった生徒たちが待機するのは上手側(アニメは下手側だったかな?)
なのでアニメの倍は人が居る。
リアルを追及すると、あの裏には緊張による過呼吸などで倒れている学生が居たりする。
あとこのアニメには色々ツッコミどころはあるんだけど…………(コーチ少ないとかレッスンしてないとか赤リボンでコンクールには出ないとか)
それでもリアリティが凄い!内部のドロドロや、一人楽器に向き合うからこそ起こる友人との共依存関係。
増田の下の学年も同じ中学から大量にきて、ある時一気に辞めたので、胃が痛い!
胃が痛くなりながら見ている!
このアニメが夢の全国大会に連れて行ってくれるのかなぁと期待しています。
リアルすぎて、いろいろ思い出して、5話は泣いちゃったよお姉さん。
初めてのますだで吐かせてください。今とても辛く混乱しています。
自分には妹と姉がいる。
姉は小さな頃は母にべったりのお母さんっ子。
妹は末っ子だから一番可愛がられていて、まあ少々わがままな人間に育った。
中間子の自分は親から見ると多少グレたこともあったが、今では母にはまあまあ頼られているといった感じ。
そんな関係なので、お互いのプライベートに踏み込み合い、お互いに傷つけあうことも多くなった。
それはいい。
だが、姉は母を「毒親」と決めつけ、母からの連絡を断絶し(メールや電話を拒否する、引っ越し先を伝えない)、
妹は「そうだよねー」などと同調していた。そりゃそうだろう。
本人のいないところで上から目線で批判することはとても気持ちがいいものだ。
だが、私は母の気持ちを察するととても聞いていられなかった。聞くに堪えなかった。
母は姉が連絡を拒んでいる理由もよくわかっていない。
私は最初、母とも姉とも連絡を取っていたが、両方に良い顔をするのが耐えがたく、姉との連絡を絶った。
「両方に良い顔をできないので」と理由を言って、姉に連絡をすることをしなくなった。
結果的にそれは良かったんだと思ってる。
苦しんでおらず、穏やかな様子で、自分が死に対面しているということを父は理解できない。
それが本当に救いだと思ってる。
そして今回よくわかった。
男友達がいる。元々女友達も少なくて、よく会う友達は数人、知り合い程度の人間は連絡無精で気付いたら大体疎遠になってることが多いから、非社交的な私に。そして最近別れた彼氏が束縛男で、その際男の子の連絡先を消したため、現在連絡取れる男の子は数人。
その中のA君は仲良いグループの1人で、私が彼氏と別れて仕事も辞めて、東京に戻ってきてからよく会うようになった。みんな大学は別だけど同じサークルの友達。1年くらいは距離があって疎遠だったけど最近は2週に1回はみんなで飲んだり遊んだりしている。楽しい。
関係ないが最近まで束縛が激しいモラハラ男と付き合っていた。私もよくある共依存になりかけていて、好きでしょうがなかった。何をされても許してしまったし、彼以外いらないと本気で思ってた。でも最後に手を出されて、ようやく気づけたから別れた。
その人と付き合ってる間も最後までLINEが削除出来なかったのはA君。彼と別れている時、実家に逃げている時には連絡をとった。自分の状況を話して笑ったり、お互いの近況を話したり。
A君は友達だ。けど、常に自分にとって欠かせない存在になっていて、それが友達なのか恋愛なのか分からない時がある。お互い本当に気があうと思う。はじめて会った時から気心知れたような感じで、自分が男だったらこんな感じだろうなって。
後、ダメなとこもいっぱいあるけど、人として優しくて正直なとこが好きだ。ちょっと変なとことか、元カノ引きずってるとこ、猫みたいに離れたり近寄ったりするところ。たまにすごいドキッとするようなことを言う。でもツンデレ。
好きだけど、じゃあ本当に好きかっていうと微妙。彼氏として付き合うかどうかって、うーん付き合いたくない。
まずセックスしたくない。正直、酔ってキスはしたことあるけれど、それだけ。お互い寂しかったねって結論になって、笑い話になってる。
その先のこと考えると、ちょっと気持ち悪いかな。想像出来ない。
それに、彼氏って別れるものだけど、A君はおじさんとおばさんになっても友達でいたい。腐れ縁みたいに、結婚式に行きたいし、離婚しても離婚しちゃったよーって笑いたい。でも付き合ったらそれが出来なくなる。お互いの恋愛を話しあうのが楽しいのに、なくなってしまう。
でもたまに、A君への気持ちが濃いグレーになる。でもそれすらお互い同じらしい。A君もそういう時期があって、つまり私のこと好きかもしれないと悩んだ時期。それは友達がこっそり教えてくれたけど、その時はそのまま疎遠になって、私に彼氏が出来た。
今はどうなのか分からない。私が好きって言ったら、A君はどう思うのかなあ。でも好きなんて言えるけど、付き合うとかは勇気がない。
それは向こうも同じ気持ちだった場合、付き合うなんて本当考えられないよなあ。上手く言葉で言えないけど。
彼の方は2年前に彼女と別れて、つまり私が出会ってからずっと女っ気がない。たまに風俗に行くらしいけど、それ以外本当に聞かない。
この際、彼女でも出来たらいいのにって思うけど、いい感じの女の子すらできない。割とかっこいいのに、なんか拗らせてるものがある。
でも彼女が出来たら、彼女の束縛であえなくなるかもしれないと思うと、ずっと作らないでほしい。
この感情、最近持て余す。そのせいか、会うと素っ気ない態度とってしまったり早く彼女作りなよとか言ってしまう。いやそれでいいんだけど、素直になれない。向こうも友達紹介しようと言ってくるし。むしろ私が彼氏や好きな人が出来ればいいけど、それもまだ難しい。
面倒だ、この感情。私はただ友達として付き合っていきたい。変に意識してしまう。他に相手がいないからなのか。多分そうだと思いたい。
でも元彼と付き合ってる時も常に、別れたらあの人に会えるって気持ちが少しあった。もちろん別れなきゃ会えないから。
友達にそんな感情持ってることが嫌になる。好きだけど必死に否定してるのかなと思うけど、でも元彼への感情とは全然違う。
長文許して下さい。吐き出したい。
部屋数も多い家なので自室のほかにも実質自室のように使っている部屋ばかり。
洋服や本、趣味のもの。習い事で使うもの。学校からのプリント類。積み上がる荷物。
家族も物が捨てられないタイプ。勿体ない、まだ使えると何でも取っておく。
家業で使うもの、貰うもの、無駄に広いスペースがあるので捨てずにしまう。庭に物置もあるのでそこにも詰め込む。
一度捨てたものを別の家族が勿体ないとごみ箱から拾ってくる。使いもしないのになぜか棚に並べる。
そうしているうちに私がオタクに目覚めた。結果、物の量が悪化した。
小中高、そして大人になってからも集めに集めたオタグッズ、CD、DVD。
その他にハマったバンドの関連物、雑誌、中高生女子が好きそうなファンシーグッズ、メモ帳・シール等の紙物類。
トレーディング系の物が特に厄介だった。欲しいものが出るまで買い続ける。今度はコンプ欲が湧いてくる。
収集癖は本当に恐ろしい。ジュースのおまけやら卵型のチョコやらどれだけ買ったことか…。
集めることが目的に変わり、CD、DVDは未開封のまま置きっぱなしの物が増えた。
数年前に多少は片づけたけど、まだまだ物が多すぎて棚に入らず床に置いてあるものがたくさんある。
未だに小学生の頃に買ったものが部屋の片隅から出てくるなんて本当に情けない…。
それでも物に対する執着心が凄くて、もったいないとか可愛いからとか何とか理由を付けては捨てることが出来ない。
興味が移った作品のものは処分すれば良いとは思っているのだけど、買い集めた時の値段を考えると捨てる気がおきない。
都会のようにオタグッズ買取出来るお店も無いし、ブームが去った作品は値も付かないだろうし。
何だかんだで好きな気持ちも残っているので手元に残したい欲が勝ってしまい、結果部屋の片隅で埃をかぶったままになっている。
自分の性格、考え方がネガティブで、それで日常生活が上手くいかない。毎日くよくよして泣いたりしている。
周りは10年も前に大人になって自立して、自分自身の未来を切り開いている。私は甘えて引きこもっている。
ちょっとばかり裕福な環境と、共依存気味な家族関係。周りと関わらず避け続けてきたせいで人との関わり方がとっても下手だ。
それから逃避するために物を積み上げて満足しているのかもしれない。好きなものに囲まれていれば少しは気が楽になるから。
でも急に寂しくなって辛くなって、そういった時にどれだけの金額、時間を無駄にしたのだろうと考える。
そういう時に集めた物が一気にいらないものに見えたり、自分自身の駄目なところを象徴するものに見えてきて、また落ち込むの繰り返し。
1週間ぐらい前からまた少しずつ片づけなくてはと紙袋3個分ぐらいのものは捨てた。
勿体ないという気持ちは出来るだけ忘れてごみ袋に詰めた。でも最初だけ。勿体ない、まだ使えるんじゃないかという考えが邪魔して
全然はかどらない。自分の計画では週末には部屋のものを半分以下に出来たら良いなと思っていたのに
半分どころか十分の一ぐらいにも満たないんじゃないかなといった状況。片づけの意識がすぐ違うものに飛んでしまって
気付いたら中途半端にしていたマンガを拾って読んだり今必要のないファイルの中身入れ替えをしてみたり。
体験談で良く断捨離したら何かと運が開けた、といった記事を良く見るので自分ももっと片付けしたい。
もちろん断捨離しただけで何でも上手くいくわけではないと分かってはいるけれど。
それでも少しだけでも執着心を消して、部屋をもっときれいにしたい。せめて誰かが入ってきても大丈夫なくらいに…。
執着心、収集癖、共依存…。自分自身が変わらないと何も好転しないと分かっていると言い訳しながら今日もだらだらと日々を過ごす。
週末には物を減らせているだろうか。勿体ないなんて言わず、オタグッズ捨てられるだろうか。
欲しい人に譲れたらいいのにな。日本に1人ぐらいは欲しい人居るんじゃないか。未使用だよ。
片づけ、頑張ります。