はてなキーワード: 共依存とは
毒親の血を受け継いだのか、自分にモラハラ気質があるという自覚がある。
なのでささいなことでイライラしたり、そのイライラを人にぶつけたりしないように普段から気持ちにゆとりを持って生活するように心がけている。
言いにくいけどこれはどうしても言わなければ、ということを言おうとするときには必ず
というような自己チェックをする。
思い込みや誤解に基づいて意味不明な怒りをぶつけられ一方的に罵倒されることの理不尽さを小さいころから嫌というほど味わってきたので、それをわたしで断ち切ろうと思っている。
今日、一人で外出しているときに、母が倒れたという報せを受けた。
圧倒的に毒が強いのは父親のほうだが、そんな父と共依存状態の母のことも好きではない。
が、まあとりあえずその出先から直接、母が運ばれたという病院に駆けつけた。
命に別状はないが数か月入院になるとのこと。
父はごく軽度の認知症が始まっており、実家に一人で置いておくにはちょっと危うい。
お盆に久々にきょうだい揃って会ったときに、子ども達+その配偶者達で、現状を共有したうえで今後どう親の面倒を見ていくのがいいか、とかそういう話をちょっとした矢先の出来事だった。
報せを受けてすぐに、家にいる旦那にも電話して「とりあえず今日このまま病院に行くから」と伝えた。
帰宅してから、旦那に母の容態や父の今後のことを話そうとした。
「ねえ、聞いてる?」
と尋ね終わらないうちに食い気味で
と、怒りを露わにした口調で言われた。
呆気にとられた。
と言うと
と。
普段、たとえば「次の旅行いつ行こうか」みたいな他愛ない話のときはそれを言うが、今日はさすがにその余裕はなかった。
というか、夫婦なら当然、このようなときは容態を気にかけて帰宅を待っているものだと思っていた。
帰宅と同時に
「お母さん、どうだった?」
「親が入院したっていう話、そんなに軽い?」
と言ったら、当てつけのように乱暴にテレビのスイッチを切った。
何をどう話せばいいのか本当に途方に暮れてしまい、仕方なく遠方に住んでいるきょうだいにLINEで母の状態を詳しく伝えたりしていた。
途中で水を汲みに台所に立ったら、またテレビをつけて見始めた。
真剣に見入って「へー」とか「うんうん」とか言っている。
もう、その場にいるのが無理だった。
たまっている雑務をこなそうと思い、別室の自分の仕事スペースに移動した(自宅で仕事をしています)。
その別室に入るときに、ドアを閉める音が思いがけず大きくなってしまった。
故意にではないのだが、結果的にそれが旦那には当てつけと受け取られたようだった。
直後、旦那がすさまじい勢いで床をドンドンと踏み鳴らして、何か怒鳴り始める声が聞こえた。
けれどもとにかく怒っている。
また、呆気にとられた。
一体、何をしているのだろう。
わたしに怒っているのだろうか。
よく二人で一緒に見ている。
邪魔が入るのは確かに本意ではなかろう。
また、別にテレビを邪魔されたことだけでなく、他にもわたしに不満があるのだろう。
しかしですね。
今回はですよ。
今までたいていのことは我慢できると思っていたが、今自分の頭の上には「離婚」の二文字がくっきりと形になって浮かび上がっている。
ケンカしたくない。
わかってくれるのだろうか。
今まで何度か、カルチャーショックというかなんというか、「自分の尺度だけで相手を評価しちゃいけないな」と思わされる出来事はあったけれども、これは自分の尺度とか関係ないと思うのだけど、どうなんでしょうか。それが確認したくて。
良くあるパターンとしては、「プレイヤーが勇者となって世界を救う」ゲームがある
ドラクエ11もよく売れているらしいし、まだ行ける感じなのかな
この場合、プレイヤーは何なのだろうか?P(プロデューサ)か、なるほど
いや、言いたいのはこの場合の主人公は誰か?画面の中のアイドルなのではないのか
なんか変な話だ、いや変ではないのか
上記二者に対して、その中間に当たるのがFGOあたりか、アイドル的なヒーロー達を揃えて攻略するイメージ
(昔はその位置にファイナルファンタジーがいたのかな)
ただ、増田をたまに見ると「基本的に人は自分の話を聞いてもらいたい(だけ)なんだな」と思う
この場合、「現実世界で見てくれる人がいない」「現実世界で勇者として無理ゲー(人によってはヌルゲー)を戦っている」あたりなのかも知れない
よって、「自分を応援してくれるアプリ」「相談出来るアプリ」みたいなのが需要としてあるのかも知れないな、と
未来的には、AI+マイクロソフトの音声認識+音声認識を応用した発音機能あたりで実現か
さらにそれが恋愛コンテンツと結びつくと、リアル恋人がいらなくなる人もでるかも知れないな(w
著名なトランペット奏者である日野皓正氏が、演奏の最中に共演していた中学生をビンタしたことが波紋を呼んでいる。
ジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんが往復ビンタ 中学生との演奏会で 世田谷区教委「行き過ぎた指導。だがイベントは続けたい」 殴打された生徒は…(1/3ページ) - 産経ニュー
http://www.sankei.com/affairs/news/170831/afr1708310010-n1.html
ジャズミュージシャンが教え子に体罰に近い暴力を振るったということで、
音大でジャズドラマーを志望する学生を主人公にした映画「セッション」を連想したという声も多い。
青年がスパルタ教師のしごきによって疲弊していく様を描いたサイコスリラーだとか、
教師の手厳しい指導に食らいつき成長していくスポ根的ドラマというふうに捉えている人が意外にも多い。
僕が思うにそれはこの映画の評価して的を外したものではないかと思う。
「セッション」という映画は音楽に対して不遜な人間たちが共依存関係に陥っていく過程を描いた映画だ。
まず映画を通してみて主人公の演奏技術が向上したという描写はない。
フレッチャーの下心ありげな言葉を除けば誰もその演奏を際立てて褒めるわけでもなく、
観客がわかるような明白な上達の描写もない。
それは至極当然で主人公が「いい演奏をしたい」と思っていないからだ。
「上級クラスに入りたい。」「いい成績を収めたい。」「教授に可愛がられたい。」「ミュージシャンとして羨望を集めたい。」
主人公の欲求はいつも自己顕示的なことばかりでその視線はいつも自分に向いている。
音楽の道を志す動機もどうも浮ついていて、インテリジェントエリートとして将来を期待される従兄弟を持つが故の劣等感によるところが本音だろう。
印象的なのがチャーリー・パーカーのエピソードである。
チャーリー・パーカーがアドリブに熱を入れすぎてドラマーからシンバルを投げられたというエピソードが劇中の会話に登場するが、
主人公はそれを冷水を浴びせられた屈辱をバネに精進したと解釈するのだ。
本来ならば出鼻を挫かれたことで冷静に自分を見つめられるようになったという教訓を得るべき小話をナルシシズムによって曲解しているのである。
自分の対外的評価しか見えていないために独りよがりで思考が歪んだ主人公は家族にも恋人にも音楽院からも見放され最終的に孤立していく。
そしてそこに魔の手を差し伸べるのが悪名高いフレッチャーなのであった。
フレッチャー教授もまた音楽のことなどその実どうでもいいと思っている不遜者である。
彼の指導は支離滅裂で学生を恐怖心で抑え込みコントロールする以外の効果はない。
彼もまた音楽家として、指導者として羨望を集めることしか眼中になく、自分が携わる音楽のクオリティなど二の次なのである。
映画終盤で主人公を逆恨みしたフレッチャーは、実際とは異なる演目を主人公に伝えて舞台上で彼の音楽生命を絶たせることを画策する。
いい演奏がしたいという気持ちが微塵でも存在するならドラマーを罠にはめて演奏会を混乱させる真似など出来るだろうか。
フレッチャーもまた自己中心的な振る舞いが祟り音楽院から追放されたわけだが、
フレッチャーは孤立すればなお自分を崇拝する人間を渇望するわけである。
フレッチャーが主人公を罠にはめたのは恨みをぶつけるためでもあるだろうが、自分の手中に収められる無力な下僕を作り出すためもある。
何にせよなんの後ろ盾もない大学中退者で大ポカかました主人公に明るい未来は多分ないのだ。
誰からも評価されず未来もない孤独な青年だからこそ、因縁があるフレッチャーなんぞにわらをも掴む思いですがって行った。
そして名誉を得ることにしか価値を置いていないからこそ、主人公はフレッチャーという有名人と関わりを持つことに喜ぶのである。
どう転んでも演目にない曲を演奏して暴走することは失態である。あれはフレッチャーが自分を見捨てないであろうことに安堵しての笑いだ。
フレッチャーもまた青年がいいドラムを披露したから笑みを浮かべたのではない。
彼が完璧に無力な存在に成り下がり自分の支配下に置くことができるようになったことを喜んでいるだけだ。
話は日野氏の話題に戻るが、件の中学生もこの映画を見ておりスポ根ドラマだと誤解していたのかもしれない。
多分そうでなくて単にソロパート演奏中に気持ちが高まりすぎたという可能性が高いが、
何にせよあれは失敗というほかなく、演奏者として道徳として師である日野氏が叱責すべき行いだっただろう。
舞台上という表立った場所で感情的な振る舞いをしてしまったことは非難されても致し方ないのかもしれない。
しかし氏の叱責そのものを否定するのは当該生徒含めイベントに参加していた生徒にもあまりよろしくないのではないかと思う。
当該生徒やイベント主催した世田谷区が氏に一定の理解を示しているのは幸いだ。
両親は共働きでしたが、家事育児に費やす時間は明らかに母親に偏っていました。父はいわゆる仕事中毒で、ウィークデーは帰宅が夜12時過ぎるのが当たり前の生活。で、その間の子どもの世話やらなんやらは、母が仕事をしながら切り盛りしてたわけです。
後から聞いたことなんですが、母はこの状況に強い不満を持っていたようです。自分はもっと仕事がしたいのに、父は好きなように仕事してるのに、と。そしてその不満が、一人息子である自分に向いたようなんです。
といっても虐待とかではないんですが、小さい頃からとにかく家事を色々やらされました。昔のアルバムを見ると、明らかに小学校入学前の自分が、高い踏み台に登って皿洗いをしていたり、自分と同じくらいのサイズの掃除機をかけていたりする写真が残っています。母は常に「手伝え」「分担しろ」と言いました。子どもに家事を押し付けて自分は寝ている、とかではないです。でも、家で母が家事をしている時に、遊んでるとか休んでるとかは許されなかった。
自分に家事を手伝わさせる時に、母が繰り返し言っていたのは、「これからの世の中、家事をやらない男なんて結婚できないからね」でした。当時の自分はわからなかったですけど、今になってみればあれは、父に対する不満が噴出してたんだと思います。
そんな家庭で育って大人になって、自分はまあ普通に家事ができるようになりました。そしてただ技術を持っているだけじゃなくて、他人が家事をしているのに何もしないでいることに強い罪悪感を感じるんです。だから誰かと一緒に住んでいても、結局大半自分でやってしまうことになる。母の呪いみたいなもんなのかなあ、と思います。
最近悩んでいるのは、付き合う女性がみんな「働かない、家事もしない」という、ヒモみたいな状態になってしまうことです。どうも自分は、「家事をしない男は愛されない」という強迫観念に取り憑かれていて、女性の側は「だったらやらせてあげる」みたいになって、しばらく時間が経つと自分は「この人は俺が面倒見ないと生きていけないんだ」と思い込んでる状態になっている。これって共依存とか言うんですかね。
最近、ここ数年付き合っていた女性と別れました。相手は大学院を出て、「研究者を目指す」と言ってなんかやってて、でもバイト一つもしてなくて、それを自分が食わせていました。これまでもずっと似たような感じです。一生結婚できない気がしてきました。
浮気、暴力DV、継続的精神DV、過度のギャンブル(有料ガチャゲーにハマり過ぎ含む)、過度の見栄っ張りによる借金癖、浪費癖による借金癖、霊感商法、怪しい自己啓発セミナーは
むしろ、中途半端に許すというか、怒ったあと普通に接すると、ああ、これぐらいで許されるんだと味をしめる。嘘をつく癖がついてくる。共依存になる。
一歩引いたスタンスの精神病院や心理カウンセラーの管轄であって、恋人、妻、家族みたいな密接な関係だと相手まで苦しめる。
一歩引いたスタンスの専門家以外どうしようしようもない。あるいは大事なものを全部失って一人になってやっと反省するか。
とするとノータイムで別れろ以外の選択肢はない。そもそも、このへんの傾向が見えたら恋人に絶対してはならない。
で、まあ、こういう相手に苦しめられてる奴のなんと多いことか。
相手を信じているから、相手のやりたいようにやりたいまま生きろと言う
浮気したっていい
俺から送る連絡なんていつもこんなもん
「明日新宿のホテルで10時に会おう、ケツの中洗っておけよな」
これだけでいい
言葉を よく見るけど なんのことはない 人は 一人で 立っている のではない ということだけ である なんでも かんでも それらしい 専門用語を 作って 一丁上がり という 簡単な ことではない
元彼は前の職場で知り合った2つ年上のカメラマンで、いつもニコニコしてるんだけどいまいち何考えてるんだかわからない、みたいなエキセントリックなサブカルくん的雰囲気の人だった。
私含め美大卒の世間知らずな女とか、箱入り娘みたいな子には局地的によくモテた。
新橋の居酒屋で焼き鳥を食べながら「前の彼女、最後ちょっとメンヘラっぽくなっちゃって」と言われた。
1年付き合って、その間彼女から何度も「もう別れる」と迫られ、じゃあ別れようってなったら翌日に泣きながら縋ってきて、メンタルがズタズタになって半年前に別れたと言う。
誕生日とか記念日は気にしないけど、なんでもない日に花を贈ったりするの好きかも、と照れながら言われて、それにやられてしまった。
すぐに私から好きだと言って付き合った。
付き合うと、1日に4回とか5回電話がかかってきた。何してるの?と聞かれて1人で買い物と言うと、「ちょっと付き合って」と実家で同居してるお母さんの愚痴とかを延々喋る。
そろそろ、と切ろうとすると「寂しいからもうちょっと」。好きだったので、可愛い!と思った。
買い物どのくらいで終わる?と聞くから「1時間くらい」と答えると「えー長い」と冗談ぽく拗ねられた。
じゃあ30分、と言って本当に30分で済ませて電話すると、彼は落ち込んでいた。
躁鬱だというのは付き合う前にちらっと聞いていたのでそんなに戸惑わなかった。
「もうだめかも。何も食べられない」と言うので話を聞いたけど事情がよく分からない。
大丈夫、よく頑張ってる、ちょっとずつ食べてみてと励ました。電話は途中から無言になってやがて急に切れた。
翌日何もなかったようにご機嫌なテンションのLINEがきて、そこには「きみに救われてる。大好き」と書かれていた。
私は池袋のジュンク堂に双極性障害の本を買いに走って、その日に何冊も読んだ。
悪い癖で、私は待ち合わせによく遅刻した。
○分遅れますごめん、と連絡を入れると、10件とか20件、「おそい」「なにしてんの」「つかれた」とLINEがきた。
完全に私に非があるので、会って謝った。長く待たせてしまった場合は当然カフェのお金も出した。
ただ、向こうも向こうでよく遅刻した。待ち合わせ時間に連絡がないので電話したら寝ていたこともある。
彼の体調次第でその日に行ける場所が決まるのと、途中から鬱が悪化してしまって彼は仕事をほぼしていなかったので、
前日に行こうと話していた場所に行けず、当日の朝になって「今日は○○の駅までしか行けない。マック一択」という連絡がきたりするので結構困った。
さすがにデートでマックばかり続くのは嫌だから、私がお金を出してできる限りのところには行ったのだけど、途中で彼が黙り込んでしまうことが頻繁にあった。
機嫌が急に悪くなって、何時間も一切口をきいてもらえず、ただ後ろをついて歩くだけの日もあった。
あとから、彼の体調がよさそうなときに「あれは嫌だった」と伝えると、「ごめん。傷つけた」と真摯に謝られた。
そういうときにばかり「大切に思ってる」「愛してる」と言う人だった。
付き合って半年経つころには、携帯がナースコールみたいになっていた。
仕事をしていても、寝ていても、「もうむり」「たすけて」という連絡がきたらLINEを返した。電話にも出た。
私が連絡に気づかないと彼はスタンプを連投してきた。一番多いときでLINEは1000件きた。
一時期、彼が家でお母さんと喧嘩するたびに物を壊してしまうと言うので、彼の実家まで話をしに行ったこともある。
電子レンジを壊されたとお母さんは言った。お母さんもお母さんで相当参っていた。
彼の病気のことを説明して、物には当たらないことを彼に約束させた。
ある病院では確かに双極性障害の傾向が強いと言われ、別の病院では強迫性障害だと言われた。
自分の状況を説明するとき、彼はとても穏やかに、自分がいかに辛い思いをしているかを話した。
物に当たるのは一種の自傷行為だと言ったお医者さんがいて、彼はそれを聞いて強く納得していた。
一時期は我慢できていた物に当たる癖が、それからまた頻繁に出るようになってしまった。
「お母さんも怖がるし、物を壊すのはやめよう。話はきちんと聞くから」と伝えても、彼は「俺は傷ついてる。これはリスカと同じで自傷なんだ」の一点張りだった。
書ききれないことが山ほどある。
急な仕事が入ってしまってデートの日程を変えてほしいと伝えたら、「裏切り者」「そんなに仕事が大事か」「ひどい女だ」と罵倒されたこと。
体調を崩すだけで責められたこと。「浮気しちゃうかもよ」と軽い冗談を言ったら胸ぐらを掴まれたこと。
心労が重なって職場を離れることになったとき、「お前に負担をかけた会社の人間を殺してやる」と彼に言われた。
あなたが負担なんです、とは言えなかった。彼も病気と闘っているのに、そんな言い方はできない。
別れ話は1度だけしたことがある。でも、彼が心配になって翌日に連絡してしまった。元カノと同じだと思った。
私は彼のことが死ぬほど好きなつもりだったけれど、これはただの共依存なのだとしだいに分かってきた。
ある日ふと、死んだほうが楽なんじゃないかと思った。
いつか彼のことが手に負えなくなる予感はあったから、そうなる前に死ねたら幸せだと思って、夜、歩道橋の上から車を見ているとおまわりさんに声をかけられた。
職質は生まれて初めてだった。死にそうな人はちゃんと分かるんだなと妙に感心して階段を下りた。
さすがにまずいと思って友人たちに相談した。
全員「別れろ」「逃げろ」「死ぬな」と言った。
「本当にめちゃくちゃ彼氏が好きだとしてもお願いだから逃げろ」と言う人もいた。
彼と一緒にいられるなら全生活を犠牲にしてもいいと思っていたけれど、本当にそれでいいのかと考えるようになった。
友人のひとりが「きみの人生を生きてほしい」と、歌詞みたいなことを本気で言ってくれた。
別れ話をしたあとも、メールや手紙は来続けた。けれど、一度冷たくしたらパタリと止んだ。
SNSで偶然名前を見てしまっても、過去の写真が出てきても、もういまは何も感じない。
暴力を振るわれたことは一度もない。けど、今日たまたま調べていて確信した。
ドメスティック・バイオレンス(DV)とは | 内閣府男女共同参画局
完全にDVだった。目が覚めた。
※追記
夜中にダーーッと勢いで書いたのでこんなに読まれて驚いている。ありがとうございます。ブコメとトラックバックに関して少しだけ。
彼は他にも怒るときに大声を出す、したくないときもセックスを要求してくる(断ると「失望した」「信頼できない」と罵倒される)、彼に設けられた門限を私がオーバーすると「心配してるのに」「もう死ぬ」と連絡が止まらなくなるなど、こちらの恐怖心を煽ってくることが日常的にあった。
「別れたらこの人はだめになる」という強い思い込みと、どうせ別れられないという諦めも常にあった。
……ので、これはDVというくくりが適切じゃないかと思ったんだけどどうでしょう。
他にもこういう経験をしたことのある人、周りにこういう関係のカップルがいる人の話ももっと聞きたい。文中で書ききれなくてすみません。
・なんでそんなやつを好きだったのか
よくも悪くもアーティスティックな人だった。お世辞を言わないのと、自分に自信があるのがよかった。
いま考えると、彼に振り回される→その都度それを解決する(対症療法でしかないが)→彼に「やっぱりきみがいないとだめだ」と言われる という刺激に依存してたんでしょう。
気持ちをガタガタに揺り動かされるのを「強烈に好き」と脳が勘違いしてたんだと思う。
・増田も病んでるよね
彼はいままで付き合った女の子みんな数ヶ月ももたなくて、例外的に1年もった前の元カノは「絶対に怒らない死ぬほど優しい子」だったと話していた。そりゃそうだと思う。彼女がいま似たような男と付き合っていないかだけが心配なので、どうか幸せになっててほしい。
・結局捨てたんだよね/育てればよかったのでは
2年のあいだ人間関係を制限され続けて満足に1人で外出も眠ることもできず(電話かかってくるから)、病院にも仕事探しにも何度も付き合って、それでも罵倒してくる人とまだ付き合おうと思える理由があったら教えてほしい。
・その後元気か
元気です。1人でのびのびと買い物したり仕事できるってすごいなと毎日感動してる。
心配してくれた人ありがとう、もしも周りにこういう人間がいたら目をかけてあげてください。死ぬほど好きと思い込んでるうちはなかなか言うこと聞かないと思うけど、どうかお願いします。
タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。
普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。
今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。
同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな事情があったので、バランスを取るために自然とそうしていたのだと今では思っている。そして実際うまく機能していたと思う。
それでもたまに、何から何まで申し訳ないなと思うことがさすがにあった。そんなときは今日のように風呂のタイルの目地を磨いたりしていた。家事が苦手な人の特徴なのか、自分の特徴なのかは知らないが、いったんやり始めると今日のようにうっかりゾーンに入る。一時間や二時間、平気でタイルを磨いていた。
そんな時よく同居人が背中から声をかけてきた。「お茶のみませんか」「居酒屋さんごっこしませんか(揚げ物とビールを準備しているとき)」「お蕎麦屋さんごっこしませんか(日本酒と卵焼き、板わさを準備しているとき)」。
背中から鬼気迫るものを感じていたのだろう。無理にとは言いませんけど、区切りませんか、そんなニュアンスだった。そんな時はたいていハッと引き戻されて「するする」と犬のように尻尾を振ってタワシを投げ出して、いい匂いを嗅ぎながらタオルで濡れた身体を拭いた。
今日、タイル磨きをやめるタイミングを掴み損ねて、立ちくらみを味わいながらそんなことを思い出した。
かつての同居人とは、何故かあるタイミングでお互いの事情が一致して暮らし始めた。
性行為は付かず離れずしていたが、恋人ではなかった。友だちとも違った。同じ家で暮らして、一緒に起きて、一緒に食べて、一緒に眠る人だった。子供ができたらいいね、と年に何度か言い合うことがあった。動物として自然の流れでそうなったらいいね、という意味だ。自分も同居人も、お互いについての感情は「たまたま一緒の檻になったライオン」のような温度だった。
恋愛感情が無かったわけではなくて、持っていた頃も多分あった。お互いそうだと思う。ただいろんな事情や理由があって、結婚は選択肢に入らなかった。それぞれが別の異性と遊んだりすることもあった。「浮気してくる」「異性と交遊してくる」と言って出かけることもお互いあった。気をつけてね。何時に帰るの。お互い自分自身をそんなに素晴らしい人間だと思っていない同士、そんな生活に不満は無かった。一緒に暮らし続けた。
もちろん人間の感情はそんなに陶器のようにツルンとしてないようで、色んな諍いはあった。お互い思った事を口に出す人間では無かったので(悲しいことだと今では思う)、喧嘩にはならなかった。言い争いの代わりに、子どもや猫のような抗議をお互いよくした。突然夜中に居なくなったり、家に帰らなかったり、メールに返信せずに心配させたり、寝たふりをして返事をしなかったり、料理をしなかったり、料理を食べなかったり。そんな小さいギザギザは数ヶ月に一度あった。それでも同居人とは同じ檻同士、基本的に信頼しあっていた。お互い求められた通りの心配をした。夜中の公園を真冬に探し回ったり、帰ったら好きなお酒や料理や音楽が準備されていたり、心にもない優しい言葉をかけたりした。どうせ仲直りするのはお互い分かっていた。早くしたいとお互い思っていたのだ。諍いに限らずあらゆる事が、始まり方は子どもでも終わり方は大人だったと思う。
一緒に暮らしてから色んな事が変わった。そして、これは自分にとって驚くべきことなのだが、色んな事を学んだ。
まず、健康になった。皮膚や髪の毛の質、睡眠の質が変化した。これは食事がガラッと変わったので当たり前なのかも知れないが、自分には驚くべき事だった。風邪を引いたり、一日寝て過ごす事も減った。同居人が酒好きだったので、自然と自分の飲む量は減った。酔っ払いが二匹居ては収集がつかないと思ったためだ。伴って体重も減った。
趣味の世界や物事の視野も広がった。同居人にとって当たり前のことは、初めて知る事ばかりだった。色んなモノが世の中にはあること、それぞれの用途のこと。野菜ジュースは野菜の代替にならないこと。直火と炭火焼きの違いのこと。季節の食べ物のこと。いろんなお酒が世の中にあること。いろんな方言のこと。悲しいときは運動をするといいこと。泣きながらご飯を食べられないこと。スーパーで鮮魚を買うと捌いてくれること。沖縄と本州で畳のサイズが違うということ。島の暮らしのこと。革製品の手入れのこと。
そして、自分にとって当たり前のことにも興味を示された。テクノやエレクトロニカのこと。色んな漫画や本のこと。映画や芝居のこと。旅行や海外のこと。色んな動物のこと。身体の変化のこと。変な服のブランドのこと。仏教とイスラム教とヒンズー教のこと。お互いの好きな物を教え合ううちに教えられた方が詳しくなって、それが原因で諍いになることもあった。ばかっぽい。村上龍やキャンプについてはそうだった。だいたい土日の昼間に料理を作っている同居人の周りをチョロチョロしながら様々な話をした。自分がこんなに話をする人間である事や、甘えたがる人間である事、そして人間に救われる人間である事。ある業界の仕事をしていた時期から、人間を信頼することは自分とあまり関わりがないと思っていた自分にとって、これは大きな発見であり変化であった。アルキメデスが浮力を発見した事に次いで偉大な功績だった。ユリイカ!
そんな暮らしの中であっても、人間は変化する生き物なのだった。自分にも、変化のスピードに生活を合わせたいと思う時期が訪れた。それで、同居はやめた。自分が変化したのは同居人との暮らしのお陰だった。それはとても辛かった。それでも、時間が経った今はあの決断をした自分は偉かったと思う。偉大な功績だ。ユリイカはユリイカとして、正しいかは死ぬ時まで解らない。
多分ここまで読んで、同居人との関係性について嫌悪感を示す人もいるだろうと思う。我々は少しネジの緩んだ同士だった。誰にも理解されないような、子ども同士の暮らしみたいな生活が好きだったのだ。毎日親がいない家みたいだった。ヘンゼルとグレーテルのようだった。一般的に理解できないものを受け入れることが、わりあい得意な人間同士だったんだろうと思う。人間は変化するので、多分いま暮らしても同じふうにはならない。でも、かつての同居人は今でも家族のような感じがする。かつての同居人もそう思っている気がする。うまい言葉が見当たらないが、belongしあっているという感じ。今でもたまに顔を合わすと、たまに会う親戚のような顔をされる。元気にしてるの、ごはん食べてるの、ちゃんと洗濯してるの。言葉にはしないけれど眼から発信されてくる。
先日、会社の女性に「彼氏と同棲しようかなって話してるんです」と言われた。相談ではなく背中を押して欲しいだけなんだと表情から伝わった。なので、「同居はいいよ」と無責任なことを言った。こいつの責任を持つ筋合いはない。「同居はいいよぉ、まいンち、楽しいことしかないよ」。
家族になるっていいよ。
同居をやめたのは、今日みたいな夏の暑い日だった。突然ひとりにした。突然ひとりになった。「素直に言ってくれてありがとう」という言葉。「がんばったね」。依存しあうものが無くなったあの開放感と、途方もない悲しさ。同居人が見えなくなるまで距離を取ってから階段でめちゃくちゃに泣いた。部屋に入るまでもたなかった。汗と涙と鼻水がごちゃごちゃになった。蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。鼻の奥がずっとツーンとして、酸欠になって頭がくらくらした。一人にしないで一人にしないでと布団の中で喚いた。相手のほうが思っていただろうと思う。だから相手には言えなかった。血縁上の家族以上に大切だった。人工の家族だった。相手が可哀想だから、という感情は共依存だと知っていた。お互いの変化を阻害すると知っていた。だから行動に移した。自分のために手放した。相手を理由にするのは相手を一番傷つけると知っていた。対等な人間関係でありたいと願う、自分に残った唯一の正義だった。
何を見ても同居人を連想する日々が続いた。何をしても楽しくなかった。食事の質が落ちたせいで体調も変わった。それでも不思議と、死んでしまいたいとは思わなかった。悲しい事に集中すると、他の事に集中しすぎずに済んだ。なんていうか色々捗った。ロボットのように仕事や食事や人付き合いをこなした。こんな辛いことを乗り越えたのだから、何があっても生きていけるだろうと、直感で理解した。悲しいときは運動をした。泣きそうになったらご飯を食べた。あれからだいぶ時間が経った。何かを見て同居人を思い出すことは、今では殆ど無くなった。
人間の記憶はすべて熱量だと思っている。同居をやめてから、変化に対応していくなかで、たくさんの記憶の熱量をエネルギーに変換して生きてきた。変換したら消えていく。記録と事実は残るが、涙が出るような、胸が痛むような熱量は、失ったら二度と戻らない。
あらゆる事について、もう少し若い頃はこの「失っていく感覚」「燃えていく感覚」を怖いと思っていた。なるべく残したくて、よくテキストにしていた。いつからかそんな執着は無くなり「燃えているな」「もう二度と会えないんだな」とまっすぐに見つめるようになった。何かを決断した自分が得た変化の一つだ。燃えたエネルギーを、これから別のなにかに注ぐ事。もう二度と出会えない分だけ、新しい事が入る余地が出来るんだろう。望むと望まざるに関わらずだ。
もう思い出す種火が少なくなっているのかもしれない。タワシを洗いながらそう感じた。消える前の焚き火を思い浮かべた。少しくらい残したっていいだろう。それくらい愛していた。自信をくれたのだ。自分で作った人工の家族の思い出の事。嘘は一つも書いていないが、自分と同居人の性別や年齢や重要なことは書かない。
機嫌がいいときはものっすごい優しいし、甘えてきてくれるし、掃除とか洗濯とかも進んでやってくれるし文句ない妻です。
でも、機嫌が悪くなると一転、どんな些細なことでも半分切れながら注意してくる。
今の家を見回して、注意されたことが無いところが無いぐらいに注意されまくった。
そこを出来るだけ直したら、今度は色んな行動を注意してきた。
そうこうしているうちに、いろんな行動を行うときに真っ先に妻がどんな注意をしてくるかと考えるようになって
だんだん、何をしても怒られるような気がして何をするにも怖くなって。
常に心の奥の方で妻が怖くて、怯えている。
どうすれば、妻を怖がらずに接することができるんだろう。
妻が求める完璧な人間になるのは難しすぎるが妻の怒りを無視すると状況は悪化しそうだし。
放置するにも実際起こっている妻にもストレスがあって怒っているわけで、
それはつまり負担がかかっているとことだと思うしそれはよくない。
それともどんな夫婦も通る道なんだろうか。
追記:
色んなコメントありがとうございます。
てっきり、あるある、我慢だよね~とか、増田が悪いだけだろうと言われるだけかと思っていたもので。
自分が置かれた状況はよくある状況ではなかったということ、
でも、コメントを見る限り、同じような境遇の人はそれなりにいて
乗り越えた人がいるというのも励みになります。
月のもののせいかなとは薄々思っておりましたが、このような症状があるとは不勉強でした。
ただ、病院に連れて行くってのは中々ハードルが高そうで、どうしたものかと悩んでおります。
DVって言葉にも驚いており、ちょっとその当人になってしまっていたというのもショックと驚きで受け止めております。
辛いけど、これは自分ができていないからだと思っていたもので。
普通の奥さんはこんな感じではないんですね。知らず知らずに共依存みたいになっていたんですかね。
一番意見が多かった離婚についてですが、最近ちょっと考えてしまいます。
自分も辛いけど、相手も辛い思いしていると思うと誰も得していない状況で
それでも、結婚したのだから、出来る限り努力して継続させていこうと言う考えに行き着いたので
まだ、するつもりはありません。
しかし、この状況が続くようなら2年ぐらいを目処にしようかなとコメントを見て思いました。
ただ、いくつかのコメントが有ったように自分(増田)が被害者と思ってしまっている節も
ありえると思うのでこれからも慎重に話し合いをしたいと思います。
一応、いくつか質問が上がっておりましたので(気になるであろうと思いますので)書いておきます。
家事については半々でしており、任せっきりではないです。
共働きなので夕飯等のご飯は主に自分が作っておりますし、掃除等もある程度はしています。
ただ、気付きは妻のほうが多いので掃除とかでは妻のほうがやる量は多いかなという感じです。
洗濯は女性物は難しいので任しています。(女性物をきれいに洗濯できる男性は尊敬してしまいます。)
ただ、そこに不満があるようなら話し合いの中で出てくるとは思いますが出てきませんでした。
亡き舅代わりの夫と、母親を支えたい夫。姑、息子である夫のことを呼ぶとき、間違えて舅の名前を呼んだりする。別にビョーキでもなんでもない。一人で生きていけないだけ。
夫は姑が怖いのか、同情的なのか、献身的に支えている。夫はとにかく姑をお姫様扱いして、お姫様のご機嫌を損ねないように行動する。私にも強要するし、私が行動を誤るとキレる。
こんな家で子どもなんて産みたくない。みんな「子ども産めば姑さんだって夫さんだって変わるよ~」なんて言う。家族構成が変わって孫が増えれば、私も夫の嫁扱いしてもらえるそうな。
でも、どうも私は変わるように見えない。むしろ、産んだ瞬間に子どもをかっさらわれて、姑と夫の子にされると思う。私はますます邪魔者になりそうだ。
やっちゃんはいい姑になるかもしれないし、大河は家族を求めていて、竜児はどちらとも居たいからwinwinなんだと思うけど、共依存家族に共依存したくない一人が入るのってつらい。
主人公に感情移入するって感じがイマイチ掴めない。だってそれ自分じゃないし。
入り込んで見ようとすると「こんなんこうすりゃいいじゃん?」(←周囲のキャラや主人公の気持ちを無視した突飛な解決策)とか思ってしまうことが多くなる。
そういうズレが続くと「なんでしないの?甘え?共依存?アレ?もしかして俺また何か失敗してる?どこで間違えた?」とパニクってしまうから楽しみづらい。
あとは、主人公が感情を露にするシーンで、その感覚やそういう行動をとる理由が全くわからなくて、ついていけなかったりする。
混乱を避けて楽しむには、やっぱり感情移入を試みずに人形遊びを第三者視点で観察している気分で見てるのがラク。
ちゃんと、話がまとまったら「よかったねぇ」って思って楽しんでるよ。
NEWSとNEWS担の共依存ぶりはみてておそろしさを感じる。
昨日のオーラス入ってたけど他担として最後の曲からそのあとなんだかしらけてしまった。
アンコールで出てきた4人も、歌ったりして蛇足を作らずにいたことはよかったけど、ボロボロに泣いてる2人に対して、
いや、それでも傷付いたっていうけどだいぶ自業自得やんけ、という話で。
別に詳しく報道追ってないけど外野からみたら身から出た錆だろそれとしか思えない。
自分の身の甘さを叱る人が誰もいないんだろうか。それってとてもこわいんだけど。
なんだかなあ。
演出とかはよかったのに、必要のないエモさを発生させてしまうタレント側も、
ドームほどの会場使って外野が参加して居心地が悪いコンサートなんて作って何が楽しいんだろう。
EDまでがよかっただけに後味が最高に悪かったの落差がありすぎてなんだかなあって感じ。
別に該当担からはほっとけよって感じだろうな。実際そういってるひといたし。
相思相愛ゆるふあパーナちゃんたちはそれでしあわせなんだろう。
でもきもちわるかった。
毒親をディスるとバズると聞いたので、くだらない承認欲求のために親を売ります
母は専業主婦
田舎の裕福な家で箱入り娘として育てられ、短大卒業後、親のコネで就職
という、日本女性ロールモデルの典型のような人生を送っています
母は過保護過干渉なきらいはあるものの、ここまで私を精一杯育ててくれたと思っています
ただ、どうにかしてほしいのは、宗教に入れ込んでいる点です
一応カルトとかではなくお金を騙し取られたりとかはありませんが、時間と精神は支配されているように見えます
母は、毎日、座談会やら講演会やらの勧誘のためにお宅訪問したり電話したりと大忙しです
家でテレビを見ているとき、ご飯を食べているとき、勉強しているとき。母は隙を伺って座談会やら講演会やらを勧誘します
親孝行だと思って、ね?
何よその態度、可愛くないわね!
そんなんだと社会人としてやっていけないわよ!
増田、何でお母さんの言うこと聞いてくれないの?
お母さんのこと、嫌い?
私自身も、どうしてそこまで母の勧誘に応じたくないのか今一つはっきりしないのですが、娘の私を必死で勧誘する母親に嫌悪感があります
父も、母の宗教に否定的ではあるものの、自分を巻き込まない範囲では許しています
私も、同じスタンスでいたいのですが、母は母という立場を行使して、私を支配しようとします
また、私も、娘である以上、母を傷つけたくない、母に嫌われたくないという思いもあり、強く否定もできません
おそらく私の自立のためには、一度母にマジギレでもして、強制的に親離れ子離れするのが良いんだと思いますが、私が母を拒否したらこの人どうなっちゃうんだろう…なんて思ってしまいます
ブチギレるのは良心が痛むので、就職を気に家を出て母と物理的に距離を置こうと画策しています
書きながら心を整理してて思いましたが、宗教ってのはきっかけに過ぎなくて、問題は親からの自立ですね
遅れてきた反抗期かな
「私たちは揉めてないし上手くやってる!小さなことで騒ぎだすやつがいつも被害妄想で頭おかしくて異常だった!」って発想で結束して、お互いがお互いに忘れられないように媚売りあってるやりとりの集団に巻き込まれただけだったのほんと疲れた。
学生から二十代後半までネトゲどっぷりで、人間関係はこうだとかああだとか、他人には偉そうにしといて、実際のところ誰も人間関係を真剣に築くことが出来てない。餌くれる人を待ってる超受身で何か起きたら被害者宣言だけは準備万端スタイル。
なくてもいい、むしろ要らなくなったものだけを押し付けるような恩をさも真心のように売りあって、自分たちが惰性で居残っただけの人間関係をマトモだと思って、外で積極的に活動してるだけで別に向かってきてもいない人間をめざわりみたいに平気で叩く。
おかしいわ。
身内だけで引きこもっててほしい。なんでわざわざ巣から出てきたり、巣の外の人間に巣の内情の愚痴をぶちまけてくるんだよ、お前のそれが上手くやってると自負なさってる人間関係なんだろ? 巣の外では近寄ってくる他人の方がメンヘラだと裁いてたけど、気に入らないことが起きると、さんざんご不満たらたらだった巣の中に戻って「私理不尽な目にあった!ひどい!」って騒いでよしよしなでなでされに行っちゃうような、大層な共依存コミュニティの住人じゃないですか? 距離感ねえのはどっちだよ。
あと自分が他人に誇れないコンプレックスを他人に投影して、自分じゃないからと他人事みたいに笑ってんじゃねえ。自分の不手際はすぐに容赦してもらいたがるええかっこしいめ。