はてなキーワード: 公式アカウントとは
以下に書くのは若干フェイクも入っているのですが
ていうことをしてたら、「○○さんからイイネ!されたんだけど、これは夢なのか・・・!?」「なぜか自分のところに神が降臨して通知欄を二度見してる」とかいろんな方に大層なリアクションをいただいてしまって、逆にこっちがびびりまくっている件。(言い方は若干誇張してるけど)
当時の活動垢の影響力すごすぎだろう。今の生活で使っているメイン垢が、フォロー・フォロワー2桁程度のなんの変哲もない一般人なのに。自分が管理しているアカウントなのに自分じゃないみたいですごく不思議な気分。企業とかの公式アカウントの運用を途中から引き継いだ人とか、もしかしてこんな気持ちなのかなあ。
もっと自分(のアカウント)の影響力を自覚して、ジャンルにちょっとだけ顔を突っ込むだけの場合は原則として複垢を使うように気をつけようと思います。当時の活動垢は、本格的に活動再開する目処が立つまではまた休眠の予定。
「アイドリッシュセブン」、通称「アイナナ」をご存知だろうか。
iOS、Androidで一年ほど前から配信されているソーシャルゲーム、それがアイドリッシュセブンだ。
近年人気ジャンルの一つになった「アイドル育成ゲーム」であり、そしてそのアイドル達が実際に歌う曲をゲーム中でプレイする、俗に言うところの音楽ゲームとして宣伝されてきた。
豪華声優陣が演じるフルボイスストーリーも売りの一つで、着実に人気を得ていたアプリゲーム。
この記事を書いている私も配信当初からプレイし、アイドル達の物語に一喜一憂し、トラブルにも負けずに前を向く姿を応援していた。
グッズは購入しないけれどその分アプリに課金して、とにかくハマっていた。
最初は暇潰しに丁度いいや、と軽い気持ちだった。それがフルボイスのストーリーに触れ、追加されるカードイラストが見せる表情や動きに次第に傾いて行き、気付けば暇潰しどころか毎日の空き時間や睡眠時間までも削るゲームになっていた。
「でも、楽しいし推しのイラストは可愛い。ゲームも楽しい。睡眠時間もお金も惜しくない」、そう言ってゲームを続け、何かあればゲームに逃げ込んだ。
推しは運営にも愛されている。だってカードを定期的に追加してくれるし、ストーリーでキャラを崩されないし、誕生日だって祝ってくれた。
アイナナにはキャラの誕生日ガシャというものがあって、そのガシャでは「誕生日のキャラのカードしか出ない」という仕組みだ。アイナナのガシャは普段なら候補生といって、所謂モブのRカードが平気で排出される。
他のゲームでいえば、フレンドポイントなどで回せる無料ガシャで出てくるようなカードが課金で回すガシャで出てくるといった具合。
それが一切出てこない上に、大好きなあの子のカードしか出て来ない。日々課金しては出てくるモブに辟易していた私にとって、まさに「神のようなガシャ」といえた。
そうすればユーザーは「運営ありがとう!」と感謝するし、確実に欲しいキャラを手に入れられて苛々は霧散して、自然と好感度が上がった状態になるのだ。
仮にその後のガシャを回しモブが出て来ても、ユーザーは「また次の誕生日ガシャがある。もしかしたらその前に何か特別なガシャがあるかもしれない、あんなガシャを開催してくれるんだから希望はある」と勝手に自分で自分を納得してくれるのだ。
言い聞かせ続ければユーザーはいつの間にか思考を停止するし、そこにトドメのように事あるごとに課金アイテム(石)を与えておく。
アイナナは同じSRを特訓(合成)すれば、上位レアのSSRになる。更にSRもRの合成で持つことが出来るカードがある。故に他のゲームより、課金が出来ない学生の割合も多かった。
そんな中課金アイテムを多く配布したらどうなるか? 簡単だ、優しい運営を崇拝するようになる。
課金している人にも石の足しになり、当然文句を言う人は少ない。
CDを出せば必ずランキング、CDTVの話題などを公式アカウント――それもゲーム中に実際に出てくる大神万理というキャラが言っているようにツイートすることで、更にユーザーはいかに運営がアイナナを大切にしてくれているのか!と感動する。
不定期だがプロデューサーレターというものもあり、ユーザーはより一層「このコンテンツは私たちが育てた」と優越感に浸れる。
私もそうだ。日々の仕事で疲れ果てていたのを、そんな気持ちを抱くことで誤魔化すことが出来た。
アイナナは最高だった。曲追加もストーリー追加も遅く、待ち飽きる時間だって楽しみになった。推しのカードが出るならそれくらいいいとさえ思っていた。
私はTwitterもやっていて、そこではアイナナ好きの人とも他ジャンルの人とも繋がっていた。布教はしなかったが毎日何らかのスクショをアップし、公式からの告知をRTしては「可愛い!」と言う。
アニメ化も決まった。冗談抜きで泣き崩れたし、フォロワーと喜び合った。楽しかった。
その日も仕事帰りの疲れの中、Twitterを開いた。私は電車の中で思わず声を出しそうになったくらい驚いた。
アイナナが炎上している。他ジャンルメインの人が特に苦言を呈しており、カードのキメラトレスや構図パクだと訴えかけるツイートが回ってきた。
更にキャラの設定パクを纏めたwikiまで出来ている。恐る恐る覗いてみると、そこには私の大好きなキャラの被り点を指摘する記述が並べ立てられていた。
私は何とか空いた席に座ると、スマホを片手にしばらく放心した。身動きが出来なかった。
ソシャゲ以外に疎かった私は「そのジャンルはアイナナの後に出たんじゃないのか」と、怒りで頭を真っ赤に染め上げてすぐに検索を掛けた。
……もう5,6年は続くジャンルだった。対するアイナナは一年。おまけに原案は、その長寿ジャンルの同人誌を書いていたこともあるらしい。
設定であげられていたジャンルだけじゃない。某アイドルゲームが好きなフォロワーさんが怒っている。
アイナナ繋がりの人は皆黙するか、知らぬ存ぜぬという素振りでツイートをするか、「こんなのありふれてる!」と言う人がほとんどだった。情けないことに、私も運営を信じてしまった。
するとひとりのフォロワーさんがこういった。
「私がこの子をずっと応援してきたのは、その子がアイドルとして輝く姿を見る為だ。最初は出番が少なかったけど、必死に出番を貰えるようにお金を入れてきた。全てはアイドルとして未来で笑って欲しかったから。
このゲームのカード制作の手間を減らしてやるためでも、素材を提供してやる慈善でもない。ステージで輝く姿を馬鹿にしないで」
輝いてほしい。アイドルとしてステージで誰よりも素敵になった姿を見たい。だから応援するし、お金も入れた。
…………それじゃあ、今私の手元で笑顔を見せるこの子のカードは何だ?
見れば見るほど似ていた。この笑顔もステージ上の姿も、この子であるはずなのに決してそうではない。あろうことかキャラを構成する骨組みでさえ、よそからつぎはいだものだという。
私の大好きだったアイドルは、他のジャンルの人達がずっとずっと応援してきたアイドルを平気で横取りした材料で生み出された?
ぐるぐるする頭で考えていた私の元に更なる衝撃が飛び込んできた。根岸綾香の問題だ。
アイナナに登場する如月あると。それが根岸Pが自己投影しているキャラクターだ、というツイートだった。
アイナナで「あると」と言えば、「如月あると」という人気女性アイドルという設定のキャラクターだ。
この「如月あると」は、2(キャラ名は一応伏せておく)とゲーム内ストーリーで共演し、公式ノベライズでは撮影現場でも仲良くしており、「ある坊」と呼ぶ程親しい仲なのだとも言われている。
根岸PのTwitterアカウント名が「あると」であること。アイナナ関連の(恐らく製作に関わる重要な)情報をツイートしていることから裏付けが出来ると、スクリーンショット付きで流されていた。
なんで?私がお金を払っていたものは他の人がたくさんの愛情を込めたコンテンツを平気でパクったものなの?ゲームプロデューサーの夢小説ってどういうこと?
グッズについても言及する声があった。やはりそちらも類似しており、眩暈がした。
それでもツイッターのアイナナ好きは意見を変えない。寧ろおかしいと声をあげることを赦さない、異様な雰囲気のままTLが流れていた。私は先ほどの訴えと根岸Pの件を耳に入れ、ようやく決心した。
アイナナに課金するのは様子を見よう。そして一度運営に問い合わせよう。
大丈夫だ。あれだけキャラに愛を持っていた運営だ。ユーザーに優しいツイートを流し、プロデューサーレターまで用意する様な彼らなら、誠意ある対応で今後も安心して遊ばせてくれるはず。
そんな期待もあった。私は運営にメールを送り、調査を待った。何の根拠もなく調査してくれると思い込んでいた私の元に、翌日返信が届いた。
内容は典型的な挨拶、それから「そのような事実はない」という否定。
……調査は?と思った。ツイッターを開き検索すると、同じような内容が返ってきたというツイートを見かける。おまけに課金していないのに勝手に代金を請求されるという「課金エラー」も起きており、早急な対応をするべき問題にノータッチ。
愕然とした。どうして?なんで?あんなにキャラを、ゲームを大切にしていたなら、ちゃんとするべきじゃないの?
「本当に大切ならその子固有のポーズや表情を考える。その子だけの煌きの一瞬を切り取るはずだ。アイナナは、そうじゃなかった」。
私はあれだけ熱に浮かされ、運営を信じ込んでいた頭が一気に冷えて行くのを感じた。本屋でアイナナが表紙になっているのを見かけ、コンビニでアイナナの商品があると知らずのうちに嫌悪感を抱いていた。
キャラは好きだ。ストーリーも応援していた。運営も好きだった。なのに対応は杜撰、根岸の自己投影。何よりもパクリ問題や他の俗に言うラレ元ファンの人を踏みにじった。
ツイッターを見るとアイナナファンはみんな口をそろえ、「アイナナは悪くない」「どこにでもある」「他のゲームも被ってる」という。傷付いた人たちのことは顧みない。どこにでもあるという構図は、そのゲームの運営やイラストレーターがきっと必死になってそのキャラの為に考え生み出した一枚だ。
私自信、彼らのこともゲームも良く知らない。けれど彼らがアイナナのための素材集ではないことくらい分かる。
それでも諦めきれずだらだらとゲームを続け、罪悪感や苛々、ファンの言動への嫌悪を募らせていた時。ついに公式が声明を出した。私は藁にも縋る思いで読み、乾いた笑みを零した。
要約すると「パクじゃない。これからもオリジナリティを追求し頑張る。」問題の根岸に至っては、まるで怒られて不貞腐れた子どものそれだ。
第三者機関への調査依頼さえせず、違うと言い張る運営。絶望だった。そうか、彼らはアイドルを大切にしていない。他のゲームもファンも、自分のコンテンツのキャラクターさえ「金になる存在」程度にしか見ていなかった。
私はアプリをアンインストールした。グッズを購入しないタイプだったので、何も手元には残らない。でもそれで良かったと安心した。
ツイッターは相変わらず「嫌なら辞めろ」「アイナナを叩くな」と盲目的な意見で溢れている。一歩間違えば私もああだったのかと思うと、今回の件で傷付いた人やクリエイターさん達に申し訳ない気持ちでいっぱいで、トイレに籠り思いっきり泣いた。
辞めた人達にもアイナナが好きで、運営がまともな対応をしてほしいと思う人だっているだろう。実を言えば私もそうだ。
そんな人たちの意見さえ許さない。肯定しか受け入れない。まるで今の擁護派は宗教の信者のようで、日々誰かを傷付けていることに気付かない。
彼らはいつになったら気付くんだろう。存在しているだけで不安と怒りを与えるコンテンツを擁護する自分達という姿を、一度見つめ直してほしい。
アイナナが今後も誰かの大好きなキャラを素材にするかもしれないのだ。標的は自分の大切なあの子かもしれない不安を、きっと他のユーザーは抱き続けないといけない。
ストーリー中で、アイドリッシュセブンの楽曲が盗作されるというものがありました。盗作されたアイドリッシュセブンの子達は、喜んでいましたか?
それが答えです。ストーリーだ!創作だ!というなら、もう何も言いません。
消費者にはこの件について言及する権利があります。私は気持ちの整理をするためにこれを書きました。
終わって問い合わせ可能な時間になれば、調べてから然るべきところへ問い合わせます。もうアイナナをプレイすることはないでしょう。アニメも観ません。
でもきっと一緒に成長したかったあの子だけは忘れられないし、これから好きな気持ちと、好きになってしまったのが悪いことだと言う罪悪感も持ち続けるんだと思います。
ついさっき一縷の望みをかけて公式サイトもツイッターもみました。でもやっぱり、なんにもない。
残ったのは色んな感情と、このコンテンツを応援し続けたという一年間だけ。なーんにもない。あの子は運営から愛されていなかったし、きっとあの子にしか無い煌きも本当はどこにもなかった。
まだ課金エラーにも対応していない運営。彼らがいつかまともになっても、私は今回のことが頭を過ってしまうから、きっともう戻りたくても戻れない。
アイナナの人達はみんな切った。私がお金をかけて生み出していたのは誰かの憎悪と、哀しみと、不安と、傷だった。一年間情熱を注いで愛を抱いて笑って楽しんで、手元に残ったのは途方もない罪悪感と虚しさだった。
これでおしまいにする。アニメショップにももう行かないし、ツイッターも消すだろう。アイナナを見ればどうしようもなくなってしまうから。
でもあの子が成長する姿や煌くのをもっと見たかった、どうなるのか一緒にはらはらして笑って泣いて前に進みたかった、あの子がいれば毎日頑張れた。私にはあの子が必要だった。でもあの子は演じている人さえ、規模は小さかったけどやってはいけないことを起こしていた。怒ってる人がいた。だからもうだめだった。
さようならアイドリッシュセブン。これを書いている時点で未練も何もかもたらたらなんだろうけど、私は元ユーザーとして、せめてもう誰もこんな気持ちを抱く人が出ないことを祈っています。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?
2010年にシリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化。
そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。
内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルのたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。
今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からはアニメ4期が放送となる。
この時点で「なんだ、おたくのジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。
もちろんこの記事はうたプリの存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。
それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。
さっきも説明したけれど、うたプリはアイドルと恋愛するゲームだ。
シリーズ1作目の舞台はアイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。
しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドルと作曲家という枠の中で恋愛をしていく。
作品の大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。
しかしうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつ「アイドルとファン」という枠組みがある点だ。
一つ例を挙げたいと思う。
シャイニング事務所公認Twitterアカウント|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter
これはシャイニング事務所に所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。
このツイッターが始まったのは2012年のクリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。
各キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアントや写真撮影の技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。
そこには圧倒的な"存在感"がある。
これが大いに盛り上がった。
もちろん、キャラクターツイッターの先駆者がうたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフが必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。
それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちのツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。
(だからこそ2016年のシャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)
そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルとファンなのだ。
プリンスたちアイドルは決して恋愛の匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。
ツイートの隙間に、文脈に、ヒロインの存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。
しかしプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからのファンへのメッセージなのだ。
もう一つ例を挙げる。
うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/
これは2015年の夏に行われたうたプリのサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。
「メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。
うたプリシリーズのキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。
うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ。
入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。
私たちはそこにプリンスの存在を信じて、5,500円の色紙を買う。
決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体が実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ。
倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日や記念日にプリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。
バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリー方シャイニング事務所だ。
今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界的デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。
私はこの夏感動したのだ。
現実のアーティストのライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリとコラボをしてくれたこと、そしてうたプリの世界観をきちんと意識してインタビューやSNSで応えてくれたこと。
私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界に存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。
うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。
これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドルは二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。
アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。
アイドルたちも人間だから、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンとアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。
その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドルと恋人"という関係性を作り上げているのだから。
もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。
それでも私たち受け手とアイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルとファン"を超えることはない。
アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリのファン"。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。
もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要な情報が後出しでぶれたりすることもあった。
それでも私が5年を超えてなおうたプリを応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである。
それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。
アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。
それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからもうたプリを応援したい。
応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。
昨今SNSを重視するために公式ツイッターが重要視されるようになりました。
公式アカウントがNHKくらいしか無かった時代からツイッターをやっていると、結構不思議な感覚です。
それが自分の好きな映画・ドラマアカウントだった場合のがっかり感&RTしたくない感はたまらないものがあります。
是非とも今後のアカウントつくりに活かしてもらいたい。
この内容があのアカウントとか、このアカウントに伝わりますように。
1.絵文字を使わない
なによりチカチカしてうざいです。
2.謎のキャラ設定をしない
その作品のマスコットキャラになりきっての公式アカウントはかなり「痛い」です。脚本家でない限り、あなたのその文章は二次創作です。
もし「公式宣伝アカウント」と「公式キャラアカウント」を分けるなら話は別です。面白いと思います。
ただし宣伝アカウントで謎のキャラや、謎の語尾、痛い雰囲気を出さないでください。
そのキャラが本編に居る場合でも、見る方は馴染むまで時間がかかります。
本当に、うざい。そう感じさせる可能性は95%です。
例外5%はTEDです。ああいうキャラだと分かっているから使えたアカウントです。認知度がTEDレベルじゃないならやめたほうがいい。
ため口もやめてください。友達じゃ無いんで。
タグは本来便利なものです。作品タグは使い勝手が良いかと思います。
しかし #まじでおもしろい とか #明日のお楽しみ! とかタグの意味無いです。
意味が無い=謎です。謎の行為をしないでください。インスタではありません。
タイムラインで無駄にタグリンクを踏んでしまって、普通に邪魔。
出演者、著名人、関係者。ここのRTは許しましょう。するべきでしょう。
しかし一般人の感想をRTする行為は、感想泥棒です。あなたがエゴサして見つけてきた感想をフォロワーに押し付ける行為です。
作品の感想を知りたければ、自分で検索します。みんながつぶやきたいと思うような映画を是非作ってくださいね。
いくら著名人でもネタバレをRTしないでください。最悪公式のレッテルが貼られます。
そしてフォローしているのはその作品について色々知りたいと思う「ファン」が多いのです。
見てる人も見てない人も、その作品に関連する情報が欲しくてフォローしているのです。
7.できれば適度に画像をください
画像編集できるように撮影期間中にオフショット撮り溜めといて、放送日とか公開日までに公開していくスタンスはどうでしょうか?
8.顔文字を頻繁に使わないでください
センス合わないとうざい。
9.裏話をください
ツイッターの醍醐味です。裏アカウントでこっそりキャストの情報を流すクズスタッフだけにはならないでください。
堂々と表で。
10.裏話を流しすぎないでください
塩梅が大切です。
作品の根幹にかかわることとか、イメージを損ないたくない場合は、無理して情報を出さないでください。
11.楽しんでしようと思わないでください
中の人がやっているツイッター、それは仕事なのです。くだけないでください。
やりすぎも、やらなさすぎもダメです。
あれはツイッター廃人の熟練スタッフの技です。中の人は変わりましたがノウハウがあると思われます。
あと自分はツイッター廃人だ!!と調子に乗らないでください。大抵調子に乗った人はつまらないものです。
とにかくまじめに、真面目が大切です。
くだけたアカウントが時折話題になることがあります。しかしその砕け方にセンスがある場合です。
今までくだけたアカウントで、話題にならずに、ひっそりと終わって行ったアカウントを知っています。目もあてられません。
自分にセンスがあると思わないでください。真面目にして真面目にファンサービスをしていたら、好感度はあがりRT数は増えます。
とある企業のとある製品シリーズの公式アカウントをフォローしていた。
対象年齢の広めの製品なので、わりとおちゃらけている感じのアカウントである。
ある日、タイムラインにそのアカウントの発言が流れてこないな、と思い見に行ったらブロックされていた。
自分はそのアカウントをただフォローしているだけで、アカウントに対して@を付けて発言したことはなかった。
強いて言うなら製品関連のハッシュタグをつけて「プレゼント企画の景品がしょぼい」といった感じのことをつぶやいたくらいである。
2chで「アカウントにブロックされた」と書いたが、俺も俺もという人はいなかった。
ここまでが2~3年ほど前の話。
今年シリーズに新作が出ることになり、そのアカウントで製品の情報をつぶやいているようである。
公式サイトを見に行けば情報は載ってるけど、タイムラインに流れてきた方が楽だしなぁ、と思い
企業の問い合わせフォームに「ブロックされているが身に覚えがない。解除を検討してほしい」と送ったところ
なんでかエラーで戻ってきてしまってやる気をなくした。面倒くさいからもういいかと思っている。製品は買う。
「企業アカウント ブロックされた」とかでぐぐってもLINEの公式アカウントの話しか出てこないので、他に企業アカウントにブロックされた人って存在するのか疑問に思って書いた。
公式サイトも実質逃亡状態で、Twitterの公式アカウントも消えた
これはおそらくゴルスタユーザがアプリ内で配信する際に利用することになるURL
古参というか、正規ユーザだけがゴルスタ内部にはいれて、サービスを利用し続けているということか
実際に#ゴルスタ とかURLでTwitterを検索すると利用中のユーザのツイートが見つかるし
ゴルスタが現在、外界と隔絶された既存ユーザのユートピアと化している……?
で、もしサービス停止するってなったら、どうやって通知を出すんだろうって考えた。もう公式サイトとかTwitterで声明を出さないこともありえるのかな?
でも、ゴルスタを愛しているユーザらに尊敬されている運営が、ゴルスタ内部で何かドラマチックなこと(感動的な演説なり、声明発表なり)をしてサービスの幕引きをしたら、ゴルスタを愛してきたユーザにとっては伝説というか、歴史にはなりそう
いい意味でも悪い意味でも。客観的にみた構図が怪しい団体のそれ
このURLが利用できなくなる=ゴルスタのサービスが(少なくともユーザ配信などについては)終了する
って解釈をしていいのかな。なんにせよ今後が気になる
最近Twitter連携かつニコニコがRSS配信しているランキングを定期的にしているアカウントです。
他のアカウントと比べ好みが見当たらず、ニコニコ動画RSSのデイリーあるいは毎時ランキングを自動ブックマークしていると思われます。
tihaya00721、tanimaru1018、Ightw0812、waraiotoko1923
の現在4アカウントが該当しTwitterのツイート数とほぼ同等のブックマークをしており、
アカウントの後ろに数字が入っている、またTwitterの開始月日が7月付近に集中しています。
tihaya00721のみはツイート数と一致しない、Twitterアイコンを設定しているなど違いは少しあります。
はてなブックマークでURL、www.nicovideo.jpの新着3user以上を見てもらえればわかりますが半分機能しておりません。
上記アカウントだけなら処理パターンがほぼ一緒なだけで時間にばらつきがあることから必ずしも新着に乗らないのですが、
1userあるいは2user以上付けばニコニコ動画を自動ブックマーク処理するアカウントもいままで存在しており簡単に3userに達してしまいます。
htninterest、TERMINATOR_T800、makimain0、adderkun、aoiakitaaoi1
などがそうですが、彼らは特定範囲の新着を参考にしているのでそこまで急ぐほど害はないです。
冒頭で述べた4つのアカウントが6~7月に活動を開始しており同じ自動ブックマーク傾向なので、
これらは迷惑行為か何かに当たらないのでしょうか?
またこれらが偶然、別の方々によって引き起こされてると仮定し問題ないとするならば、
ポケモンGoを待ちながらいまだにちびちびMiitomoを続けているのだけど、最近公式アカウントなるものを初めてフォローしてみた。
これでMiiだけ状態の人でもtomoが付けられるようになったのだなと生暖かい笑いを浮かべていたら、公式アカウントへのコメントがぬるすぎて驚いた。
いいねとか、そうなんですね、知らなかったとか、内容が無いような感じ。
んで、何かに似ているなこの感じと思ったら、いわゆるはてな互助会のコメントなんだよね。
Miitomoは1日に●コメントまではポイントみたいな特典がもらえたりするので、数こなすために回答が適当になるのはある程度予想がつくんだけども、
それと比較してみても、本当に互助会コメントって適当な、片手間なコメントなんだなと。
Twitterを見ていると、アニメやテレビ番組の実況でキャプチャ画像等を垂れ流しているアカウントが複数存在してる。
例としてあげちゃうけど、有名なのはやっぱり:Story_terror
法律上では引用の要件を満たしていると思われるものは少ないし、存在しないと思う。
本来であれば著作権上、アウトのものであり、問題だらけであるはずなのに、
なんでそれアウトだよってTwitter側も権利者側であるテレビ制作者側もアニメだったら(c)なんとか製作委員会は取り締まらないの?
(1)アニメ画像つきのツイートが行われることでアニメ本編の宣伝効果になる
(2)アカウントを特定し、1つ1つ告訴していくのには時間・費用がかかる、告訴することでのメリットを感じない
(3)注意をするにも連絡先を公開しているようなアカウントは一握り。DMから送っても無視されてる
こんなとこ?
Youtubeでアニメ動画本編をアップするのはさすがに発売されるDVD/Blu-rayや有料配信などの売上に影響がでるし
「違法アップロードはやめましょう^^」っていうテロップを延々と流しまくりはじめたけど、
静止画の場合は影響少ないだろうし、グレーゾーンってことで目こぼししてるってことなの?
こういったTwitter上でのキャプチャ・転載における逮捕や注意喚起などの事例があったら読んでみたいから、もし知っていたらなんかトラバください。
というかがしがし取り締まってるよ!っていうのであれば知らなさすぎて申し訳ないレベルだわ。
漫画とか同人グッズとか、音源とかをTwitterにあげてたやつが公式アカウントに
「それ違法だから殺すぞ」みたいなリプ食らってたのは見たことあるけど、アニメのキャプチャでは実例として自分は見たことがなくて。
アニメ業界的には、このような状況をどのように見ているのかが知りたい。
フェアユース思考としてTwitterでの実況についても寛容に見ていくつもりであるのか。
まあTwitterでハッシュタグつけてキャプチャ画像あげてあれこれっていってるのはどうせ公式アカウントは追ってるんだろうけど、
たまに「キャプチャをあげるのは著作権法違反!」って権利者でもない人がリプとばしてるのとか見るじゃん。
たしかにあげる方としては「いけないことをしている」つもりはあるのかもしれないし、「皆やってんだからやってもいいだろ」っていう感覚なのかもしれないが
そういう曖昧な感覚のままでツイートさせていくのって、不健全というか、時代にそぐわないというか、二次創作の世界とはまた違う権利の世界のお話だから、
二次創作ガイドラインを作ってるように、Twitterでの実況に関するみたいなガイドラインも設けて、
お好きにやってちょーだいくらい書いてくれたほうが時代にあってる気もするけど、どうなんだろう。
ちゃんとダメって言えよ。取り締まれよ。禁止しろよ。何野放しにしてんだよ。っていうこのグレーな状況に時折イライラしてしまう自分と、
流れてくるキャプチャを見て、見てみるかーって思うアニメもあるので、140文字のテキストだけよりも、キャプチャがあったほうが断然宣伝効果はあるから、
キャプチャつけてツイートしたほうが、実際はいいんじゃないのって思う自分がいて、どっちにしろイライラする。
なんでこういう濁りというか、グレーなものが気になるんだろう。気にならなければいっそのこと清々しく幸せなのに。
キャプチャつけてツイート流してるっていう人の意見も聞いてみたいけど、どこで聞けばいいのかわかんないし。
キャプチャつけてツイート流してる人は単なる感想を述べるのにこのシーンを見ていますというだけで添付してるの?
みんなこのアニメをみてくれ!って気持ちでツイートしているの? ただのRT乞食なの?
まとめブログに転載したりしてるのはさすがにアフィ目的なのわかりやすいけど、ただTwitterに流すだけじゃお金にはならないよね・・・。
まあそのツイートを第三者であるまとめブログがTwitterのアプリ引用をして貼っつけて、アフィリしている事例はよく見るんですけど。
検索上位によくあがってくるから、こういうのは取り締まれよとは言いたいが。
こんなの考えてるの自分だけかもしんないし、こんなのブログに書けないし、もやもやするしで、もし同じようなこと気になってる人がいればと思って書き散らかした。
追記:
なんかこれ前にもモヤモヤしたな、と思ったら、元々自分はMIDI音源を聞くのが趣味で、MIDIサイト巡りをしてた時期があったんだけど、
JASRACが一斉取り締まりしてMIDIサイトがどんどん閉鎖したときのことを思い出した・・・
もう散々言われてきたことかもしれませんが言わせてください。
それに対し「目新しい情報を見かけたらその内容に関して呟く前にまず公式サイトや公式アカウントを見に行く癖をつけて」というようなことをフォロワー全体に見える形で呟きます。
(公式以外にもいくつか公式から正式に情報解禁許可を貰っている媒体はあると思うのですが、どれがそうなのか分かりにくいと思うのでとりあえず何より公式を推す)
でも、早バレする人って毎回同じなんですよ。たぶん、既に早バレしないように気を付けている人には自分の言葉は届いているけど、そうでない人には届いてない。自分のことだと気付いてない。そんな感じがします。
変に注意して角が立つのは嫌だ……とか言ってないで、もう直接「それ、たぶん早バレなので回さないほうが良いかもです」とリプライしちゃえば良いじゃないかって感じなんですけど。
でも、「リプライでその情報が早バレだと気付く」ことと「流れてきた情報に反射的に反応せずまずソース確認をする癖をつける」ことって別物だと思うんですよ。
現に「こないだのあれは早バレだったね!ゴメン!」と言っていた人が今週もまた早バレを流していて。
「それ早バレです」とまでは言えるけど、「ソース確認する癖をつけてください」を上手いこと伝える自信がない。ていうか自分のこれは「早バレが嫌」というだけでなく「自分に関わる人のネットリテラシー能力を修正したい」みたいなエゴが入ってる気がするんだよな……。
『ズートピア』はオーウェルの小説『動物農場』のディズニー流のアップデートである。舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物を擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間とほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。
しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定のディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会に酷似した)社会形態のを、グロテスクなものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。
「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存の権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色は近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化・文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性に表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界を形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。
『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会と対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存の社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定の属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり、権力の立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意の属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠に権力側の良いように用いることそのものが社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代のイデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相の社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要とはいったいどういう形のものなのか。
まず、そもそもの『ズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から、動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前が一種のミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図が製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想そのものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴなものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力の象徴として現れる警察だって、最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきものに還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会の現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。
オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品やハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構の作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会の兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザイン(マジョリティとマイノリティの形成はマクロでいうところの都市デザイン、ミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見としかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャルな性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか。
だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニーは子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのみフォーカスをあてようとするのは、作品がもつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品だからしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものでしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである。
これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動の欺瞞』 http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術的観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーがアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学の根本を辿れば、動物や植物をあしらった、古代ローマの美術様式の一つである、グロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウントで形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つの「グロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女に暴行を働いたキツネ、ギデオンがウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。
「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日のアメリカを象徴し、公的な権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在のアメリカをはじめとする先進諸国の社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビアの女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスター・ガゼルのモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまり、ガゼルはトランスジェンダーのポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。
その頃からある「ジャンル」に嵌まり、そのことばかり呟くようになった。
そのジャンルは中々ファン層の広いもので、ヲタク同士よく交流した。そのジャンルの大体のヲタクアカウントを把握していたかもしれない。
当時の利用者は今のようにSNSとして繋がるためのものではなく、はてブの感覚でリプしたり、読者になる感覚でフォローしていた。
また公式トレンドよりも「ついっぷる」のほうの「HOTワード」が主流で、なにかがあると直ぐソコに表示されていた。
大体○○ヲタク関連の呟きだった。
これを書いている時は「ハイジャック」などがトレンドにあがっているが、当時はそんな政治的社会的なものよりもアニメキャラやアイドルの名前が常に並んでいたものだ…と認識している。
その頃からツイッターがメディアにとりあげられはじめ、急速に拡大をしていった。芸能人がそこに目をつけてどんどん人が増えていった。
しかしその前に、つぶやきシローがツイッター界のアイドルだった時期が確かにあったはずだ。
まとも?な公式アカウントといえばNHKPRくらいだったものだ(中の人も変わってしまわれた)。
ツイート規制による一人複数アカウント時代、非公式RTはやめてください議論、腐女子は鍵かけろ議論。懐かしいものだ。
クラスタという言葉も最初からあったものではない。どこから来たのだろう、いまだに理解できない言葉だ。
当時は非公式RTで大体の会話がなされていたので「公式RTってなんなの?」という議論が各所であがっていた。
腹立たしいのはツイッター公式の仕様の変化だ。規制からはじまったが、API制限とか無かったのに。
その制限のせいで色んな非公式ツイッタークライアントが終了してしまった。
とても便利だったのに、公式が潰していったのだ。Twitterの利用者減退の話を聞くたびに、変な仕様変更をするからだと嘆く。早くハートを星に戻してくれ。
あのときTwitterを始めとするSNSだけが通じた。それは確かに人類としては生きるための発見であり、確かに助かった人も居たのだと思う。
しかしそこから利用者が爆発的に増えた。リプライの仕方すらわからないやつが入ってきた。
その人たちはネットに疎かった。Twitterを毛嫌いしている層は当初から確かに居たが、バカッターと呼ばれだしたのはこの辺りではないだろうか。
ヲタクだけの世界は壊された。Twitterが誰でも気軽に始められるものになってしまった。
抗えない世界の情勢。
そんな中でヲタクをしていた「あるジャンル」に確実に人気が付き始めていた。
最初に異変に気付いたのは、「あるジャンル」の「現場」でツイッターアカウントを教えたときだ。
「あ、有名な!本当ですか?」と言われたのだ。
有名…?はて?
特に昔から「あるジャンル」を応援していたわけでも無い認識だったのだが、この世界ではいつの間にか「昔から居る人」「原住民」になり、この世界のそのジャンルでは「ちょっとした有名人」になってしまっていたのだ。
でも09年あたりから始めたファン同士で呟きのコミュニティが構成されてしまっているので、自分が会話する相手も「ちょっとした有名人」になっていたりするのだ。
「ちょっとした有名人」が「ちょっとした有名人」をフォロワーに紹介することで、いくらアカウントを変えたって、フォロワーを整理したって、直ぐに多数のフォロワーが「隠れヲタク」の呟きを監視しだす世界ができてしまっていた。
でも今の世界は違う。すぐお友達になりたがる。「フォロー挨拶」「フォロー外から失礼します」というものが出来たのはいつからだろうか。そんなものなかった。挨拶はいらん。
有名になりたいわけでは無かった。
鍵をかけようかとも思ったけど、今更鍵をかけたくない、と思うくらいにはツイッター歴が長すぎる故の頑固に成長していた。
正直鬱陶しい。
なのでここ3年くらい新しいジャンルに嵌まっているのだが、そのことをフォロワーにひた隠しにしている。
別アカウントだってジャンルで切り離して作った。自らの中でコミュニティを分裂させた。
隠れヲタクが更に深い隠れヲタクになった。隠れて隠れてもう居場所が無いんじゃないかと時々つらくなる。
しかしそうしているからこそ、そっちのジャンル世界では常に平和だ。
ちょっとしたどうでもいい呟きが、無駄にRTされ知らない世界に広がっていく恐怖に怯えることは無い。
で、今まで書いたことは自分が対処していく問題のような気もしている。
はやくTwitterに代わるSNSができて、みんなそっちに行かないだろうか。LINEは良い線を行っているのだが…。そしてまたヲタクだけの世界にもどってほしい。
そんなことを夢見がちに願う中で、問題が発生した。
最近新たなジャンルを好きになった。熱しにくく冷めにくいほうなので、熱したものはそれを含めて上記にでた3つだけだし、3つとも現在進行形でヲタクをやっている。
しかし最近ブログが書きたくなった。別のサービスではなく、はてなブログで書きたくなった。
ただし私は既にブログを3つ持っている(最初のジャンルに2つ。表と裏的なやつ。あと3年くらいのジャンルに1つ)。
いちいち設定画面に入らなくてはならない!
あと1つ増えたらまた面倒そうだ…。ブックマークするたびにブックマークアカウントに変更しにいくのだ。もう疲れてしまう。
アカウント切り替えの面倒さに脱落して全て統合して、隠れヲタク化をやめてしまうか。
どちらが早いんだろう。
そんなことを考えながら、私も今日はどうでもいい呟きを発信するのでした。
(続き)
まず@animeseiyuの小西寛子に対する言及を見てみよう。
https://twitter.com/search?q=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%AF%9B%E5%AD%90%20from%3Aanimeseiyu&src=typd
複数のnaverまとめおよびtogetterがひっかかるが、残念ながらほとんど削除されている。残存している例として
https://twitter.com/animeseiyu/status/593519478404579328
がある。
このまとめを作ったアカウント
https://twitter.com/lovelive_suns
は他にもたくさんのまとめを作っているが、大抵@animeseiyuを経由して拡散している。
また、screen_name、bioおよび固定ツイートは小西寛子陣営に対する煽りそのものであり、これを小西寛子への中傷でない、と言い切るのはやや難しいのではないかと増田は思う。
ところでこの奇怪なアカウント名はおそらくラブライブ!サンシャインのことであろうと推測される。まさかこのアカウントをそのままファンアカウントに転生させるつもりではないだろうが、ドメインゴロみたいな考えもあるらしい。
ちなみに@lovelive_sunsである以前は@tomosenseiであった。
https://twitter.com/togetter_jp/status/593711398301007872
https://twitter.com/HirokoKonishi/status/594404441853296640
@tamatowaは@tomosenseiについてつぶやいている。
https://twitter.com/tamatowa/status/6886588668
https://twitter.com/tamatowa/status/7057712727
https://twitter.com/search?q=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%AF%9B%E5%AD%90%20from%3Atamatowa&src=typd
https://twitter.com/tamatowa/status/442445702396776448
まったく正論なのだが、自身が同じ穴の狢になってしまったということなのだろうか…。
https://twitter.com/tamatowa/status/535040930877673472
https://twitter.com/tamatowa/status/592442787997450240
これも他人のことが言えない。
現在は削除されているがbioに「物書き」と書いていた時期はあった。
また時々オープンでない試写会などに出かけている様子を見かけることがある。
長野県警が(おそらく任意で)事情を聞いていた時期に遠出している。
https://twitter.com/tamatowa/status/702596030735319040
https://twitter.com/tamatowa/status/47142940228857858
証拠を積み重ねるのはこの程度でいいだろう。
もしそうならこんな状況証拠を積み重ねる必要は無いし、そもそも小西がインターネットで自分に関する不都合な情報についてもっと上手く立ち回れていればこんな事態にはなっていなかったので、元々誰が悪いかと言えばたぶん小西サイドだと思っている。
長年ウォッチを続けている理由はこのアカウントが一発アウトと言える行為をなかなか起こさないので証拠を集めるしかなかった、というのが大きいが、改めて並べて整理してみると割とドン引きするような所業であった。
この記事では小西寛子が声優業から遠ざかった理由については特に触れなかった。増田自身が興味ないというものあるが、この状況では客観的な判断は難しいからだ。
なのでこの理由について述べること自体が名誉毀損等に当たるのかは正直よく分からない。おそらく「アニメライター」は書類送検されないのではないかと今でも思っている。しかし、倫理的なレベルでいえばこのアカウントは完全にアウトだし、WikipediaからはBANされている。
id:zeroesは自分の正義を妄信しているところがある。相手が悪なら何をやってもいいみたいな節がある上に、そもそもその悪認定がかなり雑なのでタチが悪い。
最後に他の雑な悪認定について追加情報を加えるので、興味がある人は掘ってほしい。
増田のお願いは、@animseiyuの力を削いでほしいということである。
一般のアニメファン声優ファンでこのアカウントをフォローしている人は、ブロック等各自が思う処置をしてほしい。
公式PRアカウントや声優さんはこのアカウントをRTするのをやめてほしい。あなた方がRTするからこそこのアカウントを企業アカウントと勘違いする人が後を絶たないのである。
@animeseiyuをフォローしてないと情報に立ち後れる、という人向けに別途情報を集める方法を伝授する記事を書いても良いが、この記事では省略する。
そもそも@animeseiyuはそこまで情報早くないし、ここまで散々示した通り、偏向しており、場合によっては声優に刃を向ける可能性もある、ということを理解してほしい。
増田は小西サイドが提唱する陰謀論を支持しないが、彼がアニメライターで業界に知り合いがいることは疑いがない(既にポインタは示されている)。ウォッチャーの勘は彼個人の暴走した正義感だと思っているが、陰謀論を否定する根拠もない。
もし@animeseiyuを中心とする陰謀が存在するならば、敢えてこれを凍結せず、しかしこの記事を拡散してもらうことで、それでも@animeseiyuに乗っかる公式アカウントがあれば、それは協力者かもしれない、と言える可能性もある。がその可能性は薄いだろう。
そもそもあのアカウントが掲載している画像は無断転載である。amazonからの転載はアフィリエイトリンクと同時にツイートされれば通常利用の可能性があるが、そもそもあのアフィリエイトIDはどのURLを届け出ているのだろうかという疑問もある。
また、ソースへのリンクを明示せず情報だけツイートされるケースも多く、authorizeされてないまとめアカウントとしては実はかなり問題がある。
id:zeroesおよびサブアカウント群ははてなキーワードにおいてもWikipediaと同様猛威をふるっている。共通する特徴は絶対に自分の意見を曲げないこと、議論をせず無言で差し戻すことである。
WikipediaにおいてZeroesらが執心していたもう一つの揉め事はスペルバウンドという声優事務所関連である。
彼はスペルバウンドが旧ラムズの社長の所有物であるということを証明したかったようで、またそのことは社長の不実を意味すると信じていたらしい。
現在のスペルバウンド社長とラムズの社長は同一人物らしいが、創業時はそうではなかったらしく、そのことが誤摩化しだと思った「Otoame」の逆鱗に触れたという話のようだ。
だが根拠無く印象操作するような記述を繰り返すためここでも終わらない編集合戦が繰り広げられた。
https://twitter.com/tamatowa/status/573461846738403328
編集合戦は議論をしない双方に責任があるのだが相手を一方的に荒らし扱いするのも相変わらず。
id:zeroesはスペルバウンド以外にも胡散臭い(と彼が思う)声優事務所に対して好戦的であった。一部のログが
にある。この件に関してはid:zeroesに分があるように思えるが、法的措置をちらつかされながらも勝利してしまった経験が彼に悪影響を与えたのかもしれない。
細かい案件は更に無数にあり、「@animeseiyuがフラゲ雑誌情報でツイートしてるのにフラゲ雑誌情報をRTしている声優に@tamatowaが説教」など、小粒だが香ばしいものもある。
最後に。
精神を病んでしまった声優さんが元所属事務所に対して攻撃的な文章をブログにアップしたあと自殺を図った、という痛ましい事件があった。この件に対して、@animeseiyuはわざわざ削除されたブログの魚拓を取って晒し上げるという乗っかり方をした。
(この件についてはURLを直接示すと該当魚拓が検索エンジンにクロールされ、セカンドレイプ的な構図になってしまうので、証拠を直接示すことはしない。必要であれば@animeseiyuのツイートを魚拓経由で辿ることができる)
声優と事務所の間にどんなトラブルがあったのか分からないし、どのような理由であれ明らかに精神衰弱状態での言動を保存し、拡散するという行為は一人の人間に対する攻撃としか増田には思えない。この件が増田に@animeseiyuをいつか潰してやると思わせた理由の一旦である。
また、この件に対する@tamatowaのコメントはこちら。
https://twitter.com/tamatowa/status/473672404300873728
繰り返すが、@animeseiyuは潜在的に声優の敵である。
読者の懸命な判断を期待する。