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はてなキーワード: トートバッグとは

2015-09-07

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて

深津貴之 氏の見解が多くのブクマを集めている。

   http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

   http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

 

実はこれは、「劇場ロゴパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨のもの組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。

 似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

 

しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。

 

 1.劇場ロゴパクリは争点ではない

劇場ロゴパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。

 

では、何が話題になったか? 次の二つだ。

  (1) 劇場ロゴとの類似性

  (2) 他の画像パクリ(盗用)

 

前者は、著作権問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。

後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美ポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。

要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。

その意味で、深津貴之 氏の見解のもの意味を持たない。ありもしない仮想敵攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。

劇場ロゴパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象否定しているだけにすぎない。

 

 2.チヒョルト展のパクリ

劇場ロゴパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。

このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要ものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。

  http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg

なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。

このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。

(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーからだ。)

 

さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。

とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)

 

 3.専門家に任せるか?

深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。

   http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html

ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人勝手に決めてしまたからだ。(そして佐野最終案に決まった。)

 

また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。

デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。

  ・ ベルギー劇場と法的争点をかかえている。

  ・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。

  ・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)

  ・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)

  ・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)

  ・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。

   (大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)

  ・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。

   (制度を逸脱した暴走であると判明した。非合法ふう。)

 

これらの問題が続々と判明した。このことから五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意無視して、「専門家判断に任せよ」というのは、問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題所在理解していないと言える。

自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。

今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)

今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。

 

最後に一つ。

深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターン出来映えのような見方によって決まったのだ。

そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである

専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。

 


 

 追記。

 

id:sisya 参照元エントリ全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。

 

本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨

 

だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギー弁護士だけだ。日本人ほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。

 

この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)

 

もちろん、本項でも、著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)

 

id:allezvous 著作権侵害要件たる依拠性を検討できない分析なぞ意味はない。

 

依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギー弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮記事に書いてあるので、そちらを読んでください。

一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性けが問題となります。たとえば、ミッキーマウス著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます

なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。

 

id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です

 

それはわかっているし、本項もその趣旨で書いてあります

それを前提とした上で、“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています五輪エンブレムデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。

端的に言えば、「パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。

本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。


 

誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。

ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端酒場でおしゃべりするための話題

今回の騒動は、佐野デザイン五輪エンブレム正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。

一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。

深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。

 


 

その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。

 

id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。

 

この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。

1. 大衆によるデザイン判断は、外見やキャッチーさに集約されていまう。デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、デザイナや弁護士など専門家への信任が必要

 

深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます

大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。

 

  ※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。

    引用部分はコピペしました。

 

id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん

 

まとめ:

この問題本質は、最終案が劇場ロゴパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまりデザイン問題ではなく、法律違反をした作者のデザイン五輪採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題デザイン専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザイン専門家に任せよ」という主張は、今回の問題本質からは外れている。

 

  

http://anond.hatelabo.jp/20150907152546

結局、トートバッグ写真盗用、コンセプト拝借とが明確に問題で、メガネ写真とパン氏への連絡に関する件が未解決なのか?

よくあるしっぽ切り推奨みたいだけど、佐野事務所にとんでもない嘘つきが1人いると仮定するとすべて説明がつくな。

ベルギー氏の提訴は、オリンピックロゴ排他的使用権に対する防衛意味合いが強いのかね。

2015-09-06

デザイナー選民意識で思い出した事

佐野さんの件で思い出した事があったので書くけど、あまり良い思い出ではないから書いたらすっきり忘れようと思う。

自分美大とか専門学校に行かずにグラフィックデザイナーになった。

運良くデザイン事務所に入れて、言葉どうりの下積み時代を経て今に至る。

今でこそ美大美術系専門卒じゃないデザイナーも増えたけど、当時は美術系の経歴が無いデザイナーはそんなに多くなかった。

一人前のデザイナーとして仕事を任されるようになってから知り合った同業の方がいた。

最初はお互いの大変さを愚痴り合ったりそれなりに仲良くしてたいたのだが、

ある時、もう何がきっかけだったのかすら覚えていないけど

貴方のような美大も出てない人がデザイナーを名乗る資格は無い。

私達(元美大生)は血の滲むような4年間を過ごし、多くの物を見て、作ってきた。

今後二度とデザイナーと名乗らないでほしい」

と言われた。

急に手のひらを返されてびっくりしたが、バックグラウンドの違いというのはやはり感じる事があったので、そうですか…としか言いようがなかった。

極端な例え話だが「私は医師免許を持っているけど貴方は持っていない。藪医者だ」と言われているように感じた。

これがこの人だけだったらそういう人に出会ってしまった交通事故的な話で済んだのだが、その後の転職等では実績と同時に美大卒を要求される事も多く、それは実力というよりはクライアント代理店への対外的意味合いが大きく、

採用側(美大卒)も美大卒(と桑沢)しか認めていないという雰囲気があった。

今回佐野さんを擁護していた人達を見て、そんなことがあったのを思い出した。

その線引きされた中のさらに内側では、トートバッグの件は「ちょっとしたミス」で片付けられることにとても驚いた。

こちらとしてはやろうとも思い付かない、万が一も無いけどやらざるを得なかった場合は確実に干されるようなことが、

あの中では許されるんだということが、本当にショックだった。

医者はどっちだったんだろう。

もちろんそうではない、ちゃんとした美大卒の方がいる事もわかっているけど、

そんな下らない村意識劣等感を抱いていたのかと思うと馬鹿馬鹿しくなった。

からないやつは黙ってろ的な発言もまた例の線引きかっていう感じではあったんだけど、

もうね、地道にがんばってきた者として今回の一連の件は本当に迷惑だし悲しい。

まとまらない文章申し訳ないんだけど、なんかもう疲れてしまった。

2015-09-04

国民理解

報道番組キャスターなりコメンテーターなりが、「国民理解が得られていない」ってほざいているの見る度にすごく腹が立つ。

お前ら一体何のためにそこにいるんだ。そんなこと言ってる暇があったら国民理解とやらを助けるために少しは説明したらどうだ。

そもそもなんだけどさ。国民理解って何をすれば得られたって言えるの?

私がうっかり会社役員になって、うっかり不祥事謝罪会見を開くことになったとしたら、何をするのが正解なんだろう。

凄いざっくりとした計算なんだけどさ。

私がすごくわかりやすい説明を考えることができたとしよう。あくまで仮定の話だ。この説明を原文のまま聞くと国民の8割が納得したとしよう。

その原文をマスコミが良い意味で要約したとする。要約された分多少わかりづらくなったと仮定して、さっきの人のうち8割が納得できたとする。

この時点で0.8の2乗で国民の64%が納得できるわけだ。国民の半分が納得しているわけだし、これだけできりゃ上出来のような気もする。

さて、ここでマスコミが要約した説明を国民の何割が見ているか?という問題がでてくる。さっきの問題はこの部分を一切考慮していない。

いまどきの人間がどれぐらい報道をみているのか?って統計データ探したかったんだけどどうも見つからなかった。

まぁ仮に8割ぐらいとしておこうか。そしたら0.8の3乗で0.512らしい。いまのところギリギリ半分超えている感じ。

でもこれって、少し考えただけでもだいぶありえない話だってわかるよね。

大体さ、見ている人の8割を納得させる説明なんて無謀じゃん。それができたとしても、マスコミが良い方向に要約なんてしてくれるわけ無いじゃん。

今回の佐野さんのトートバッグ案件とかさ、佐野の部下がやりましたって話、誰も言わなくなったよね。あくま佐野さんがやった体になってるし。まぁ、そもそも部下がやったかどうか分からんけどね。

マスコミってフィルタを通した時点で国民理解を得ようなんて、もう絶望しかないよね。不祥事起こしたらさっさと首切って遺書でも遺した方が周りのためにもなるし一番自分が救われるんじゃない?

インターネットのお陰でマスコミフィルタ機能がどんどん薄くなっているとはいえ、結局ネット上のソースとしての役割はやっぱりマスコミに頼るしか無いわけで。

またエンブレム問題の話で申し訳無いんだけど、ベルギーのあれと佐野さんのあれが違うことだっていう理由に、「正方形を9分割したものを元に云々」ってのがあったんだけど、「これ我々には全然理解できませんよね」って言ったコメンテーターにブチ切れそうになっちゃったんだよね。

こいつら、そもそも理解する気さらさら無いんだな、って。問題張本人国民をつなぐパイプになるはずなのに、そのままの状態で通す気さらさら無いじゃん。

もうね、すげー不愉快なの。そもそも理解しようとしたの?通常のデザインの課程とか調べたの?

そして観る人達理解させる気あるの?専門家も呼ばずに何も知らない馬鹿そうなコメンテーターに中身すっからかんコメントさせて何がしたいの?

正直トートバッグの件とか出てきたあたりから佐野さんのことは少しも擁護する気なかったんだけど、こんなのばっかり見ていたらちょっと可哀想に見えちゃったわ。

そういうわけで、やっぱりなにか不祥事を起こしたら、遺書書いて首切るか首吊るかなんかして死ぬのが最強なんだろうなって。

どんなに頑張ったって国民理解するわけ無いんだから責任逃れも何も、責任取ろうとすると更にひどい目に合うわけだし。

生きてればいいことあるとかほざく人いるけどさ、ネット上にさんざん書かれた内容が完全に消えるわけ無いじゃん。

自分名前でググったら不祥事で叩かれた内容が死ぬまで出てくるんだよ。そんな目に合うならやっぱり死んだ方がマシだわ。

あー、怖い怖い。不祥事起こらないようなところで生きるようにしないと。

できるだけ偉くならないように、目立たないように、目立ったとしてもだれか別の人間責任を取るように生きないと。

もしものときはここに遺書書いて死ぬわ。さよなら

2015-09-03

オリンピックエンブレム、あれ、言うほどダサくはないと思うし、パクリだとも思わないけど。

あの展開例やらトートバッグはとにかくとして、デザイン自体はまずまずの出来。

しろカッコいいし、オリジナリティもあっていいんじゃないかな。

まあ、でもオリンピックエンブレムとしてはどうなんだろって思うところはある。

オリンピックロゴである必要がない

オリンピックって、スポーツの祭典じゃんか。

泥臭くて、汗臭くて、躍動する筋肉の祭典じゃんか。

から、歴代のって、躍動する人とか、聖火とか、五色の輪やらをモチーフにしたエンブレムにしてるわけじゃん。

で、今回のあれ、Tだからウキョウ?日の丸から日本

まあ、わからんでもないけど。

でも、オリンピックエンブレムである必要なくね?

五輪の上に東京都シンボルマーク載せたって一緒だろ。

JapanのJの文字に日の丸を付けたJリーグエンブレムみたいでさ、あれよりはまだ時代に合わせたスタイリッシュさはあるけどさ。

Jリーグエンブレムはまだサッカーボール想像させるところがあるけどさ、例のエンブレムオリンピックを思わせる要素どこよ?

日の丸1964年東京オリンピックエンブレムを想起させる」

アホかよ。

日の丸から日本を想起するまではあっても、64年の東京五輪を思い出すって、関係者だけだろ。

正直、方向違うんじゃないかなと。

誰がみても「オリンピック」のシンボルであることがわかること、それが第一に優先すべきじゃんか。

5色使うか、輪を5つ使うか、躍動する人間を使うかしてだな、とりあえずオリンピックとわかるものであってほしい。

それでもって、次が開催地と開催年度がわかるもの

Tだから東京バカじゃねーの。

おまえ、Bの一文字から北京を思い浮かぶの?Lの一文字からロンドン思い浮かぶの?

とかなんとかいいつつ、また似たり寄ったりな方向間違えたエンブレムになるんだろうな。

森喜朗はじめ、ジジイども品格とか格式とか好きそうじゃん。

赤とか黒とか金とか好きそう。

デザイナーたちも、スタイリッシュなのが好きで泥臭いの嫌いだろうしな。

そもそも、日本人って肉体軽視だしな。

歴代のを並べてやると、前の東京オリンピックも、札幌長野も浮いてるよね。

小兵がデカブツを倒すのが好きそうで、言ってみれば筋肉が足りない。

長野みたいに、フジヤマゲイシャハラキリ、スシ!な開会式で、挨拶では「絆」とか的はずれなこと言っちゃうんだろ。

機械科学の力を使わず、己の肉体だけを武器に、この星の一等賞を決める泥臭くて汗臭くて人間賛歌の大会ってことを忘れちゃいまいか。

あいい。

もともとがサクラロゴでオモテナシだしな、世界だって日本がこういう国ってのはわかってるから、改めてのツッコミはこまい。

AKBでもエグザイルでも初音ミクでも出して、クールジャパン宣伝するがいいさ。

スマイリーキクチ事件ネット私刑類似点について

ネット私刑問題について、スマイリーキクチ事件を例に挙げて、「何も学んでいない」といったコメントを見かける。しか性質が多少異なるため点があるため、そのまま言及するには疑問点が残る。

スマイリーキクチ事件問題点

大きく分けて2点。

ネットの中でも特に正確性を欠いた情報を元に、個人が中傷されたこと。

自分正義の行動をしていると思い込むが、責任は取らない書き込み者の態度。

2点目は「ネットイナゴ」とも呼ばれ、以前から様々な場所議論されているし、実際にそれぞれ似たような性質を持つことが多い。集団自覚なき悪意として注意すべき点だと思う。

注目したいのは1点目。キクチ事件では本人は全くの事実無根で、スマイリーキクチ氏本人には一切の落ち度がないことである

今回の佐野氏の問題について

エンブレムの盗用については違法性現在認められていないし、恐らくデザイン会社PCなどから明確な証拠などでも出ない限り、今後も認められないと思われる。つまり現時点では「エンブレムの盗用」に関しては「正確性を欠いた情報であるしかしこれを盗用と断定しているネット発言も少なくない。これは大いに問題だろう。

だがエンブレム展示例やトートバッグ柄などの無断使用の件どうだろうか。これらは出典元がネットということもあり、自分自身ソース元を辿ることができる。ある程度は信頼性の高い情報として見られる。

ネット私刑の類似例

佐野氏の問題も含めて、ネット私刑の類似例は多い。例えば理研問題や、音楽家ゴーストライター問題県議会議員政務活動費問題なんJコテハン特定問題などがある。これらがキクチ事件が大きく異なるのは、彼らに一切落ち度がない、というわけではないということだ。

もちろん彼らに落ち度がないと言っても、ネット私刑が許されるものではないし、プロによるマスコミ報道ですら、思い込みによる無意識結論ありきの態度が見え隠れする面もある。

しかしこれらをキクチ事件と同じ性質のものと見てしまうと、大なり小なり事実さえあれば叩いていいことになってしまわないだろうか。そこに他のネット私刑と、キクチ事件とを同一視することの危機感を感じる。

キクチ事件の二の舞を許すな? でもあれと違ってこれは事実だろ? じゃあいいじゃん」と。

一般国民の一人からエンブレムの件について

騒動に一区切りついたので、一般国民からも少し話をしようと思う。

ロゴについて

パクリでは無いと考えている。

「この先クライアントから色々言われてしまうんだろうな」

当然であるデザインを購入した後、世間から問い合わせを受けるのはクライアント。もし、サントリーの一件で佐野氏の名前が出ていなかったら、どうなっていたか


自社の名前で出している以上"管理杜撰意識がなってない・人のものを盗んでも平気な会社"そう言われるのはクライアント。盗用騒動があって尚、業界全体に擁護被害者意識がある以上、こちらが自衛するのは当然の行為


また、説明を求めるのも当然。発表後はあなたの代わりに説明をしなければならない。その行為を「文句いちゃもん」だととらえ、「黙らせる」ためにはどうしたらいいのかなど、まるで敵であるかのように表現されているのを見ると、非常に残念。

擁護非難

論文で嘘が発覚

安全の為の試験を怠る

等、業界の信頼を著しく落とすような問題が発生した場合同業者はそれを非難、または自分のところは違うとはっきりと主張する。


ところが今回はどうだろう。

業界ではよくあること

・そんなこと言っていたら、商売にならない

・内々の資料が表に出ちゃってかわいそう

圧倒的に擁護の声が多い。理解に苦しむ。一体何を守ってるのだろうか。

一般国民にはモノを作る大変さは理解できない」

モノを作っているのは自分たちだけだと考えている方が多いようだ。なんという傲慢あなた身の回りにあるモノやサービス自動で生まれてくると思っているのか。


私もモノを作る仕事従事している。


我々の世界では、プレゼン用はもちろん、部署内で数人しか目にしないモノでも、お金を払って正規ルートで入手した素材・原料を使って試作を作る。他社商品を参考にする際も、お金を払って購入する。人のモノを盗んで作ったりはしない。人のモノを盗んで商売に使うのは、それ素材を作った人に対する侮辱、そして犯罪


社内の試食会で、コックが畑から盗んできた野菜を使って料理をしていたら、あなたはどう思うだろうか。


一般国民には、あなた方がやっていることはそう映っている。


世の中には有料無料を問わず、使っても問題ない画像が多数存在してるが、それを購入・探す手間すら惜しむ。そんな意識で「モノを作る大変さ」などと口にしないでほしい。複製が容易なデータからと、甘えてるだけだ。「内部的なものは人から盗んでも可」という甘ったれ業界常識一般国民には通用しない。ここを改めない限り、悲劇何度でも繰り返す。


そうは言っても…、ではなく、まずあなた自身が"盗用とわかっているものを使わない"、そう”指導する”ことから始めて欲しい。さもなければ、イザという時、あなたも同じ目にあってしまうだろう。

オリンピックエンブレムデザイナー

此度、使用中止という結果に終わった原因は、エンブレム類似性よりも、作ったのが佐野氏だったからだと考えている。当初、私や周りの人間エンブレムを支持していた。世界規模で探せば似ているモノがあって当然と。


だが、トートバッグあたりから雲行きが怪しくなり、それ以後、彼らが行動を起こす度、不信感が募り、空港写真が決定打となった。


我々一般国民も日々苦労しながらモノ・サービスを作っており、誰かの下で働いている。


会見で後付のコンセプトを話し、内々だから日常的に盗用を行い、それが公開される事故が起こったら、部下が何も言わなかった、業界では普通と弁解する人間作品に罪はない。けれど、私は佐野研二郎という人間を支持することはできなかった。


使用予定だったエンブレムは優れている。インターネット上で作られたどの作品よりも、上品で堂々としている。しかし、人の権利蔑ろにする人間に、オリンピックエンブレムデザイナーでいてほしくはなかった。使用中止の速報を見た時、ホッとした。


出来上がったモノと作ったヒトとを混合して判断する行為は、モノを作る人間として恥ずべきものだ。騒動が収まり、冷静になった今、深く反省している。今後、同様の事件が起こった際、冷静に多くの問題を切り離し考えるよう改めたい。

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

2015-09-02

佐野研二郎先生罵倒してるネットの屑どもへ

いい加減腹立ったので書いておく。

内部資料用に拾ってきた画像使って何が悪い

内部資料だぜ?

それを勝手クライアントであるノーパンしゃぶしゃぶ武藤が外に出したのであって、佐野先生は内輪で使うためにあれを用意したに過ぎないわけ。

お前らだってツイッターアイコン適当に拾ってきた画像だろ。

コピーライトを削った?

それがどうしたんだよ。お前らが使ってるそのどこかで拾ってきたアニメ調の壁紙画像検索にかけてみろよ。コピーライトなんか余裕で削ってるぜ? みんなやってんだよそれくらい。画像まとめサイト壁紙配布サイト管理人がやってることを、日本トップデザイナーであり年収5億を誇る佐野先生東京五輪エンブレム選定という世界規模の大仕事プレゼンでやっちゃいけないのかよ。なんだその差別

拾ってきた画像使って何が悪い

大体、アート世界ではネット画像を拾ってくるっていうのはごく普通ことなわけ。

例えば若手の一流アーティストであるカオスラウンジ

海外のド素人が作ったキメこなを、東浩紀先生も絶賛する梅沢先生アート昇華させたわけで、ありがとうございますと涙を流して感激するならともかくパクリパクリって頭どうかしてる。

画像は使います!使います!それ以上のコミュニケーションはないです。

ネットにある画像フラットから全部使う。使うことにごめんねはない。

ネットにある画像サンプリングしていきます

その結果として体力のないコミュニティが潰れてもしょうがない。

ネットにあるものは全部僕らの素材ですからそれ掠めとって芸術作品として世に出しますよ。

黒瀬陽平カオスラウンジ宣言』UStream内の発言より)

梅沢先生はなぜか「自分コピペでやりくりしてるから」とか卑屈なこと言ってて、黒瀬先生ノーコメントなのが残念だけれど、藤城先生佐野先生の全面擁護を展開、ネット民は今すぐ首吊って死ねツイートされていて本当に心強い。

アーティストってのはインターネット上の素材を自由に使い、編集する権利を持ってるわけ。どうもそれを理解してないゴミどもが多くて困る。

そもそもド素人パクリパクリうるせぇんだよカス

構図が似てたらパクリとかアホか。

んなこと言ったらArialはHelveticaパクリか?

FAIRYTAILワンピースパクリか?

コンプライアンスマルドゥック・スクランブル外伝パクリか?

ArialなんかaだけでHelveticaとの違いが一発で分かるし、FAIRYTAIL作家名を見れば一発で違うと分かるし、コンプライアンス漫画であって小説じゃないから一発で違うと分かる。

永井先生もおっしゃっているとおり、教養もない大衆にはコンセプトの違いが理解できないんだろう。お前ら大衆ブルーヌードを見て「なんだこれオランピアパクリじゃねぇか!」と喚き立てるわけだろ? あのコンセプトの違いが見て分からないとかほんと残念な目をしてんな。

しか迷惑メールを送りつけるとか、恥を知れよ。

佐野先生はもう十分社会的制裁を受けてるだろうが。

迷惑メールなんぞフィルタ自動削除だろとか考えてんのか?

メッセサンオー事件被害者のことを考えれば鼻糞未満の被害だろうがとか考えてんだろう。人間として最低だなお前ら。

さら佐野先生が公開した写真ネット上に晒すとか。

佐野先生が公開した写真を断りもなく、その引用元も明記せずに勝手によそで晒し、配布するっていうのは非常識しか言い様がない異常な行為で、まともな人間のやることじゃない。

あれは佐野先生著作物だろうが!

佐野先生許可とれよ屑どもが!

フリー素材じゃねぇんだぞ!

ツイッター2ch佐野先生の悪口が連日書かれている状況とか、まさに「人間として耐えられない限界状況」だと思う。カオスラウンジ黒瀬先生は何も気にすること無く今日美術学校講師としても活躍していらっしゃるし、鳩山元首相とか元気ハツラツとしてツヤツヤしていらっしゃるけど、ネット炎上が人を確実に死に追いやる行為だということをお前らは自覚した方がいい。

お前らのやってることはまさに現代魔女狩りなんだよ。

魔女他人の作ったもの剽窃して金と名誉社会的地位を荒稼ぎしていたことが露呈したからといって、狩っていいって話にはならねぇだろ。正義ヅラしやがって。正義の反対は悪ではなくまた別の正義なんだよ。魔女正義理解しろよ。金のない貧乏人が僻んでんじゃねぇ。

加えて家族への攻撃とかほんと論外。嫁はミスターデザイン広報担当トートバッグの件は部下に責任があり悪いのは全て部下です佐野関係ありません悪いことは全て部下がやりましたと言っただけで今回の問題とは無関係な全くの善人であることは明白だろうが。

だいたい、お前ら佐野先生自殺したらどう責任をとる気なの?

お前らだってSTAP事件の笹井先生のことを毎日思い出しては「やり過ぎてしまった、人の命は地球より重いのになんてことをしてしまったんだ」と悔やんでるだろ? それをまた繰り返したいのか?

集団で個人を叩いて面白いか? どうせお前らは集団で叩かれた側の人間だろうが。いじめダメだって習わなかったか? 不正手段で金と地位名誉を少々得たからって、それはいじめる理由にならねぇだろうが。とはいっても先生財産は半端ねぇし、なんぼでもやっていけるだけのコネも持ってるし、お前らがギャーギャー喚いたって痛くも痒くもねぇけどな。東電社長清水さんとかあれだけお前らが槍玉に上げたけど、結局今でもバリバリ現役だからな。慶応評議員にも立候補したし。

佐野先生よりもっと悪い奴がいるはずだって意見がある。それは一面的には分かる。でもそれじゃ佐野先生も悪いみたいじゃないか。佐野先生は悪くない。コピーライトを削って100万ぽっちを稼ぎ、五輪エンブレムデザイナーとしての地位を得ようとしたこと、それは業界の闇と陰謀によって佐野先生がやらざるをえなくなってしまったことだというのは誰が見ても一目瞭然で、佐野先生は完全に被害者なんだ。9/1付けで写真権利者が佐野先生からコンタクトがないことを明かしたけど、その程度の不手際を責めるのは明らかに不当だと思う。佐野先生のところは担当者がいつも不在なくらい多忙なんだよ。お前ら家に引きこもってるニートとは違うんだよ。

私は佐野先生全面的に支持します。

業界人でも擁護できるとことできないこと

佐野氏の件は、論点がいろいろあるんだよね。

エンブレムデザインロゴデザインについて

パクリかどうかはわからない。

今回はデザイン過程やコンセプトが後出し根拠ないから黒に見える。

叩かれても仕方ない。

トートバッグの件について

擁護不可能。人の作品勝手に商用利用しちゃダメ

叩かれて当然。

・展開例の画像について

クローズドなコンペなら、ああいった勝手利用は身に覚えがある同業者が多いはず。

佐野氏も公開されることは想定してなかった。

こういった仕事経験者ならプレゼン画像素材が本チャンでないことは

お互い了承してるからトラブルになることはまずない。(本チャン時は必要なら改めて撮る)

他業種でも、プレゼン資料に競合他社のロゴ製品画像

ネットから拾って貼ることとかあるのでは?

この件を叩くのはかわいそう。

業界人でも擁護できるとことできないことがあって、

それがごっちゃになってる。

※以下追記。

・コンペで選んだにも関わらず、修正してから世に出たか出来レースだと言われる件

→コンペで選ばれてから修正を加えることは普通によくある。

修正余地も踏まえて選考するし、コンペで見るところは

そのデザイナー提案力や今後主催側の要望にどれだけ応えてくるかも含まれる。

からこれが出来レース証拠にはならない。

出来レースではなかったのかもわからない。

東京五輪エンブレム最初パクリ指摘したのはネット民ではない

エンブレム白紙撤回報道で、各メディアが「取り下げはネットの功績」「最初ネットで指摘された」とそろって報じていて、何か何でもかんでも2ちゃんねらーのおかげ的な文脈になってるのが気持ち悪いので、把握している経緯をメモ

7月24日東京五輪佐野エンブレムが発表された

・発表直後からネット特に2ch系コメントが集まる場所ではもともと「微妙w」「ダサいw」「これはない」「他のが良かった」という否定感想で占められていた

ベルギーリエージュ劇場デザイナー・ドビ氏がネットで「似すぎている」と苦言を呈した

・それがtwitter拡散日本語クラスタでも翻訳され拡散し、2chにも伝わった

ベルギーのドビ氏が本気で訴訟すると表明し、最初からデザインが気に食わなかった日本ネットユーザーが総じて味方になった

五輪組織委と佐野氏が記者会見で「全く過去パクリはしたことない」と表明

・当初のエンブレムに関する「パクリパクリじゃないか」「参照したのかしていないのか」という議論から佐野氏の過去デザイン検証の段階に入る

以下、サントリートートバッグ画像盗用、ピンタレスト登録太田市美術館疑惑東山動植物園疑惑と出てきて、永井氏が「原案は別ものだった」と爆弾発言出て、組織委が原案発表、展開例の画像盗用、原案参照元まで発見され、佐野氏により「五輪イメージ悪化を防ぐため」という理由白紙撤回がなされた。

ベルギーのドビ氏は「劇場ロゴと似ているか撤回した」という事実IOCが認めない限り訴訟を続けるとしている

まとめ

白紙撤回されるまでに盛り上がったきっかけは、ベルギー劇場ロゴ作者が自ら声を上げたか

日本ネットユーザーがドビ氏に味方したのは、もともとエンブレムを他のと差し替えてほしいと思っていたか

佐野氏を擁護した三流デザイナー

http://anond.hatelabo.jp/20150901191914

からおまんは三流デザイナーなんや

はじめの怪しさ満点の記者会見で騙された奴は、自分デザイナーに向いてるのかを見つめ直すべきやろ。

二流以上のデザイナーなら、シンプルな図形のデザインは何度も何度も微妙色違いや位置違いを作るからな。

少なくとも100回は調整するんじゃないかな。そして後で見直すためバージョン違いはある程度保存しておく。

だので仕事ができるデザイナーは会見時にバージョン違いを見せない事で、多少は疑っていたと思うよ。

コンセプトなんていくらでも後付けできちゃうんだもの

あと会見で突如出した全アルファベットフォント。「フォントなんてすぐにできひん」とか擁護する奴もいたが、

あんフォントなら1日で出来るわ!

そして例のトートバッグ問題

版権フリー素材を使ってれば問題ナシ」とかいうアホな三流クリエイターが湧いていたが、

法律上はともかく仕事人としてダメだろ。「雑な仕事」ってレベルじゃなく、「デザイナー廃業しろ」ってレヴェル。

今回は本当に三流デザイナーがうるさかった。

(やつら、最期は結局「マナーのないネット民が悪い」で正当化だもんな)

佐野氏の取り巻きでもないのに擁護してた人は、自分能力の低さとともに、人生と今後の進路を見つめ直すべきやで。ガチに。

http://anond.hatelabo.jp/20150902094323

コンペ案件とかプレゼン資料カンプレベルなら全然ある。

その時点で予算なんて滅多に出ないから

決まって商品展開することになったら撮影しなおすけど。

佐野氏の展開例はそれくらいの意識だったはず。

トートバッグの件みたいな使い方はさすがに擁護はできないが。

デザイナーはすごいって擁護があるけど

ミリ単位デザインを仕上げてるとか。

でもフランスパンコラージュしたトートバッグデザインとか、たぶんちょっとした絵心パソコン操作ができるレベル技術でできるだろうし、あれをやってたアシスタントも将来は佐野氏のスタジオで働いてたってことで泊をつけて、一流デザイナーの仲間入りなんでしょ?

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901232920

では何が問題でしょう?

トートバッグネットで拾った画像を使ったこと?それについては彼も認めて散々謝罪してるのでは?スタッフがやった責任上司が取るのは当然だけど、あなた自分の部下が犯したミス自分がここまで炎上してしまったらしょうがないと思いますか?

デザイナー佐野擁護したいわけじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20150831231737

五輪ロゴの件、使用中止でひと段落したみたいなので。

ネット上ではデザイナー佐野擁護してる」というような図式が出来上がっており、

デザイナーが「一般人」を見下してるみたいな見方がよくありましたが、実際はそうじゃないです。

ただデザイナーとしての自分仕事理解してもらいたかっただけです。佐野氏や佐野のしたことを擁護たかったわけでは決してありません。

(そもそもトートポスターパクリ擁護するデザイナーはいないでしょう。そんなことすれば自分の信用に関わる)

佐野氏の行ったデザインについて、トートバッグや他のポスターなどでは明確なパクリが見つかっていますが、五輪ロゴで言えば、実際にパクったという決定的な証拠はなく「デザインが似ている」という疑惑の話です。(実際のところどうなのかは別として)

いくつかの解説でもあった通り、五輪ロゴのように、自分が作ったデザイン過去のものと似ていることはあります

そしてデザイナー仕事とは成果物を仕上げることももちろんですが、むしろその制作意図、どういう理由目的デザインしていくかがメインなのです。「なんとなくかっこいいもの」を作るのではなく、明確な意図があって形は選択されるのです。

そして、もし似ているデザインが見つかった場合制作意図過程の違いがあれば、デザイナーはやはり絶対に説明するはずです。(たとえ成果物だけ見たらパクリしか見えないものだとしても)

これは潔白を証明するとともに、新たな代案を受け入れることにもつながります

今回は佐野氏の代わりに、他のデザイナーがその説明を行ったということです。

同職の立場からグレーゾーンのもの安易批判するのは避けるのが普通ですし、また同職としては意図がわかってもそれが一般の人には理解されにくい箇所なためです。(あと佐野氏の説明が足りなかったからです)

そういうわけで、ロゴ制作意図を説明し、また自身デザイナーとしての経験からこれはパクリではないのではと意見を言っていたのだと思います

しかしこれらがうまく伝わらず、デザイナー自身の説明のまずさ、また世間佐野氏への不信感が合わさって理解齟齬をきたし、一般人を見下すように取られたことは大変不幸だと思います

世の中にある人工物は全てデザインされていますデザインとは一般人生活乖離したものでは全然ありません。

そして多くのデザイナーは、真面目に見る人使う人、つまり一般人」のことを考えてデザインしています

もはやクロと言い切れる佐野氏のデザイン・その行為批判するのは当然ですが、今回の件でデザイン界隈をひとくくりにして批判するのは、非常に残念なことだと思います

佐野氏のこと

都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレム騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます

まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表スタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。

で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。

今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディング視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。

とはいえですよねぇ。今回のオリンピックボランティアユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとかのぼるとAKB開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団ユニフォームダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民感情ちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。

そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。

でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。

ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。

そこにきてあのベルギー劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的見解としてはパクりじゃないですねアレは。

ただ、あのとき記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインプロセス素人にもわかるように説明しなかったからですね。

例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化文脈プロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)

ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護立場でした。

そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像拝借して勝手に使っちゃうって経験ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。

からトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナー勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。

でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネット画像適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。

で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。

だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。

まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。

話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウト幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃん計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)

最後に「デザインわからん素人は黙ってろ」というこっち側人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。

僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーアートディレクター仕事だと思うんです。

から出産直前で佐野擁護発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。

普段まり文章を書く習慣の無い人間ありがちな、非常にまとまりのない文章すみませんでした。

でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないか勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます

おまけ:マスコミは全部ネットの後追いしてるだけで、彼ら仕事してないよね。

五輪エンブレム騒動について業界末端の人間が思うこと

20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています

今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います

個人的に今回のエンブレム感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。

一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。


◼︎そもそもアートディレクターとは

まず、アーティストアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきますアートデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。

さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画プロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定します。

そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?

さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)

さらさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みますアートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります

という訳で、本来アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。



◼︎トートバッグについて

エンブレムは「佐野研二郎」名義のものトートバッグは「MR.DESIGN」名義のものエンブレムはおそらく、会社スタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。

先ほどの例えで言うと、本来イラストレーターカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。

これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応必要な部分です。

(同じ業界人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)




◼︎エンブレムについて

エンブレムのものにここではコメントしません。

問題は、今回のエンブレムや、動物園ロゴなど、「形が似ているかパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。

美術学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間視点基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角表現したフォントはたくさんあります

まりパクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります

チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。

もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナー仕事ではありますが、

「形が似てるものパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後デザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?

また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。

そうなったとき、何がパクリ/オリジナル判断基準になるのか?

出来上がったデザインをどう守ればいいのか?

これが今回出てきた一番の問題です。




◼︎コンセプト

「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。

まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります

しかし、五輪エンブレム企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計必要です。

ここがややこしいところです。

多くの人にとって、美術デザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフル自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術デザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。

(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)

「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」

というような心無いコメントもたまにもらいます

「数時間適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」

というような要望もたまにもらいます

これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。

デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法設計を編み出してきました。

それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインのもの小馬鹿にするのは止めてほしいです。

ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。

デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。



◼︎なんで佐野さん選ばれたの?公募じゃだめなの?

エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまます。だからこそ、国内外活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやす提案だったのではないでしょうか。


◼︎なんで次点を繰り上げじゃなくて修正になったのか?

たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザイン監督を決める」コンペだったのでしょう。



◼︎写真盗用について

今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。

あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料カンプ)であって、本来表に出るものではありません。

から転用していいという事にはなりませんし、クレジット意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナル撮影している代理店デザイン事務所ほとんどないでしょう。

広告雑誌売れっ子アートディレクター特集した記事などでは、カンプモザイクがかかっているのをよく見かけます予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います

この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。



◼︎利権擁護について

まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界人手不足だと思います

僕も「人権とは??労働基準法とは??」レベルで働いてます

で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまます

それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります

そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます

今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。

と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。




◼︎まとめ

本来デザインは素敵なものだと思います

精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。

それに憧れてこの業界を目指しました。

しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります

片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います

僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済おかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。

「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います

嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います

業界の末端の人間寝言でした。最後まで読んでくださりありがとうございました。では。

佐野さんの会見(予想)

佐野

デザイナー」という大きな立場から見れば、やはりご指摘を真摯に受け止めて、

どこかで折り合いをつけなければ、デザイナーじゃないと思うんですよ!

ですから、私はそのデザイナーという、本当にもう……このロゴが大好きで、

本当にロゴが大好きなんで、ですから、もうロゴ申し訳なくて……。

こんなデザイナーで、国民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。

一生懸命ロゴ制作を重ねて、やっとコンペで認められて採用されたからこそ、

こうやって国民の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、

ロゴに本当に申し訳ないんですわ。

ですから、……皆さんのご指摘を真摯に受け止めて、

デザイナーという大きな、ク、カテゴリーに比べたらベ、ベルギーの、ベェェッルッギーの、劇場ロゴトノォォー、

ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、

トートバッグプレゼン資料ェェエエッハアアアァアーー!! 無断転用問題はー!

我が社のみウワッハッハーーン!! 我が社のッハアーーーー! 我が社ノミナラズ!

デザイナーみんなの、日本中問題じゃないですか!!

そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイダメニ! 俺ハネェ!

ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰がデザインデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!

ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっとデザインしてきたんですわ!

せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! デザイナーになって!

字通り! アハハーンッ! 命がけでイェーヒッフア゛ーー!!! ……ッウ、ック。

あなたには分からないでしょうけどね!

http://anond.hatelabo.jp/20150901135233

佐野氏にまともな倫理観があったのなら、

トートバッグの件で、自身の穢れ を恥じて、オリンピックロゴ撤回していたと思うよ。

あの鍋にはクソが入っていて申し訳なかったが、この鍋は大丈夫から・・という料理人はいない。

http://anond.hatelabo.jp/20150901134507

じゃあ、たとえば「佐野研二郎デザインに使う素材の収集は部下に任せていたが

その中にネットから適当にパクってくるだけの奴がいてこんなことになった」という

有り得そうな状況が原因だった場合(というかトートバッグの件で佐野はそう説明している)、

もちろん佐野管理責任は問われるけど倫理観は問われないよね?

おまえは「佐野個人の倫理観問題」と決めつけているけど確証はあるの?

写真の盗用をした自覚がありながらパクリ疑惑を晴らすためにそれをドヤ顔で公開した馬鹿デザイナー」が佐野だと思ってるの?

もし前述のような事情だった場合、おまえは「根拠もなく他人倫理観を疑って義憤ごっこをしていたクズ」ということになるけど、

その覚悟があって「倫理観問題」と決めつけてる?

佐野氏の問題について

現在のところはっきりしているのは、素材として他人写真無断使用していた、という点だろう。

この点に関しては佐野氏は謝罪するしかない。

これはトートバッグの件と同様で、部下に素材の収集を任せていたということになる可能性は高いが、監督責任は免れない。

既にいちど謝罪していることもあるし、佐野氏も変に否定はしないだろう。

ただしこれは「デザインパクリ」「アイディアパクリ」ではない。

「素材」を用いない単純な線と円のデザイン、すなわち五輪エンブレムについては、引き続き擁護されるべきだ。

また、それらに「悪意」を見出すべきでもないだろう。

盗用の自覚があったのなら、エンブレムの原型やその展開例などを公開する許可を出すはずがない。

単純に「だらしない」だけだと思われる。

http://anond.hatelabo.jp/20150901092530

STAPに限定した話ではなく、元々捏造が横行しているという業界の体質があるんじゃないの?って話なんだが。

増田も言ってるけど、他の捏造問題は大して取り上げられないし。

佐野最初に出て来たのが「オリンピックエンブレムがどうあっても言い逃れ出来ないレベルコピペ」という話だったら

流石に同業者にも叩かれてただろうよ。

でも最初エンブレムが偶然と言えるレベルだったからこぞって擁護されて、

次のトートバッグも部下の仕事(実際あれは本当に部下の仕事だったんだろう、短期間で30種も考えてる暇ないだろうし)だったからまだ擁護がいたけど、

その後もどんどん真っ黒事例が出て来て最早擁護できない状況になってしまった、でも最初擁護してしまった故に今更撤回もやりにくいから皆ダンマリ、になってるだけ。

同じように、小保方事件当事者が大物&最初に出て来たのが本当に捏造か疑わしいレベル、だったらこぞって擁護されてたと思うよ。

2015-08-31

東京オリンピックエンブレム

食傷気味ではあると思いますが、佐野問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。

もうこの話題うんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。

■前書き

デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています

私の立場としては、

オリンピックエンブレムはそんなに好きではないけど

オリンピックエンブレムは(ほぼ)問題なし

トートバッグはアウト

・このような炎上懸念しています

というものです。

以下、目次です。

デザインとは

- 編集レイアウト、選択というデザイン

- デザイントレンド

佐野エンブレム

- このエンブレムは一体何なのか

- 似ているのか

- 著作権見地から

- 商標権見地から

- 原案は似てる

トートバッグコネ問題

- お粗末なマネージメント

- そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

- コネ悪用なのか

個人的には

デザインとは

編集レイアウト、選択というデザイン

デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています

受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味理解されないようなものはよくありません。

しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますからデザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠課題であると言えます

多くのデザイナーにとって、ロゴオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います

ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります

あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。

これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます

では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。

デザイントレンド

その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います

参考に、近年のロゴトレンドと言われているものをご覧ください。

http://photoshopvip.net/archives/78102

http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend

ちなみに以下は、2008年トレンドと言われたものです。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html

すでに2008年トレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思いますトレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。

新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります

佐野エンブレム

・このエンブレムは一体何なのか

それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います

図像的には非常にシンプルものになっています。また、恐らくは1964年東京オリンピック亀倉雄策イメージオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います

なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。

トレンドに乗らず、非常にシンプルものにしたのは、普遍的エンブレムになることを狙ったものだと思います

亀倉雄策1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます

佐野氏のデザイナー仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界アピールできている日本デザインシンプルものや余白を活かしたもの自然融合的なものが多く見られます

このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルデザインであり、また一時的トレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います

もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます

・似ているのか

さて、よく問題として挙げられているベルギーロゴ比較してみます

前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思いますしかプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムアピールは以下のようなものです。

東京の頭文字T

地球や繋がりといったもの連想させる円

トラディショナルカラー

日の丸

正方形タイルデザイン

パラリンピックエンブレムとの対称性

このうち、ベルギー劇場ロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。

以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレム図像的にはベルギー劇場ロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います

著作権見地から

著作権は、思想感情創作的表現した著作物保護するものです。

佐野氏のエンブレムベルギー劇場ロゴ思想感情的表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます

著作権侵害しているという指摘は間違いでしょう。

商標権見地から

Wikipediaによると、リエージュ劇場公共性が高いためロゴ商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります

商標権侵害ということはなさそうです。

原案は似てる

エンブレム原案が公開されました。

色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィ結構似てると思います

しか原案として過去デザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。

これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。

トートバッグコネ問題

・お粗末なマネージメント

佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます

トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います

・そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。

本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています

コネ悪用なのか

そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。

日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。

コネ悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネ悪用したものかどうかについては判断できないと思います

個人的には

個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っていますしかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。

個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています

ところで、オリンピックエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。

私はもう北京オリンピックロゴを思い出せません。

東京オリンピック世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。

インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。

無限選択肢のある世界で、どれだけ冷静に選択できるかがこれからインターネット課題だと個人的には思っています

なんだか自己陶酔的な文章になってしまいました。気持ち悪くてすみませんありがとうございました。

もし佐野氏が悪い人じゃないとしたら

すっかりパクリデザイナーとして批判されている佐野氏。確かに今回のエンブレムの件は、原案ベースチヒョルトポスターデザインがあるのは本当だと思う。

そしてここから自分想像の話。もし佐野氏がそんなに悪い人じゃなかったら、という話だ。

トートバッグの件は最初から謝罪していたけど(あれは完全にアートディレクターとしての監督不行き届き)、エンブレムの件で決して謝罪をしなかったり強気に出ていたりしたのは「エンブレムは何かをパクったわけではなく、自分の頭の中から出てきたものだ」という自信があったからだろう。実際佐野氏本人は、デザインをする際にチヒョルトポスターを直接参考にしたわけではないと思う。大体2013年展覧会ポスターをパクったら遅かれ早かれバレるに決まっているわけで、そんなリスクをあの大舞台で冒すメリットが全く無い。

エンブレムが選ばれた時のコメントを読む限り、彼は人生をかけてこのエンブレムを考えたと思うし、誇りをもって仕事をしていたと思っている。(そこを否定したい人は多いだろうけど。)トートバッグ以外は、参考ネタがあったとしてもそれをアレンジして別のものにしている印象だし、沢山の作品の中にはオリジナリティがあるものも多くあるように見受けられる。だから彼は自分デザインに誇りを持って仕事していたんだろう。

多分今回の件は、佐野氏の中の「あのデザイン素敵だな」という記憶が、エンブレムを考えるに当たって無意識で出てきてしまったのだと思う。だから本人の中では「何かを参考にしたわけではなく自分の頭の中から出てきた」になっていて、自信を持って反論していたんだろう。

それが今回、ポスターと類似していることが判明して本人も「あ!」と思っているような気がする。外部から指摘されて初めて気付いた感じ。だから今回類似が見つかったことで、むしろ素直に過ちを認めたいという気持ちになっているのではないかと思う。「私のミスです。無意識に同じデザインをしてしまいました。撤回させてください。」と。

でもJOCメンツやらもあるだろうし、撤回するのは難しいだろう。自分デザイナーとして撤回したい、でも組織がそれを許さない。そして世間からは「厚顔無恥」と叩かれ続ける。これまでは「あのエンブレム自分の頭の中から出てきたオリジナルだ」という自信が彼を支えていたんだろうけど、それを失った今、彼は板挟みの中で相当苦しむのではないかと思う。

もし彼が「パクって丸儲け」と考えるような悪いデザイナーではなく、自分仕事に誇りを持っているデザイナーだとしたら。もし彼が今回のエンブレム撤回したいと考えていたら。

今見えているものけが真実ではないことも多いので、「もし佐野氏が悪い人じゃないとしたら」という仮定をしてみました。

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