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2023-03-03

ADHD当事者リアル感覚

ふと、ADHD当事者リアル感覚表現したいと思った。

物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。

N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。

と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHD治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。

1.〜小学生

およそ30年前、共に高卒の両親から長男として産まれた。

母親専業主婦だったり、少しパートをしたりしていた。

父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。

故に、夫婦喧嘩が絶えない家庭だった。

何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。

不貞寝する父親。怒り狂う母親

暴力を振るう父親実家電話しようとする母親

電話線をハサミで切り、電話機を叩き潰す父親

父親包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親

床にぶちまけられる牛乳

警察を呼んだ方がよいのか本気で悩む自分

私が思い出せる小学校低学年頃の家庭の記憶はほぼこれだ。

弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である

自分自身について書くと、忘れ物の多い子供だった。

教科書を忘れ、資料集を忘れ、宿題の提出を忘れ…

机をくっつけて、隣の席の子しょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。

宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚

テコでも動けなかった。

宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズデッキを組んだり、ミニ四駆カスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたか自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)

同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ河原秘密基地作ったりとかしていた。

また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。

違う。

(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。

全く交流できないということではなかった。

あいさつはするし、何人かでサッカーをする時は参加していた。

同学年で話したことがない人は恐らくいない。

誰とでもそれなりの雑談ができた。

しかし、そこ止まりだった。

輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。

故に、常に疎外感を感じていた。

今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。

次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間教室でひとりでボーっとしていた。

かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。

通信簿の「担任からコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。

2.中学高校大学

地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。

当時は中学受験という言葉すら知らなかった。

中学での成績は150/200あたりだった。

日々の勉強時間は0分。

たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。

国、社、英は不得意で、理数が得意だった。

相変わらず宿題はできないし忘れ物は多かった。

勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部活動をするか、家のパソコンニコニコYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーMixiをやっていた。

中学3年で麻雀を覚え、どハマりした。

ハンゲーム天鳳毎日夜中まで打つようになった。

高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報学科に滑り込んだ。

元がアホなので上振れしてもこの程度である

地方偏差値50なんてハナクソオブハナクソである

なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。

高校では朝読書時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。

この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPC毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分人生天鳳の段位とレーティングが全てだった。

謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。

その後、持ち前の過集中により小論文面接突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。

麻雀への情熱大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。

イプシロンデルタはみんなも分かってないようだったが。

情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブかました(自慢)。

数学情報科学だけは好きだった。

麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。

2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。

3.社会

バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会放出された。

なんていうか、普通に死のうと思った。

ある日、ふと一回死んだ。

自○未遂をしたということではない。

自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。

どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。

それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。

それもダメなら最終的に死ねばよいだけだ。

とにかく今死ぬのはもったいない、と思うことにした。

一応、親は家に住まわせてくれた。

速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。

やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき内定が出た。

自分内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業であることが導かれるのである

人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。

結果的に、一年半で会社を辞めた。

自分特別社会適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。

この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。

会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつ診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続き自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんサポートしてくれて本当に助かった。

うつ治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。

ストラテラというADHD治療薬を飲み始めた。

3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。

色々手続きをして、1割負担になった。

4.現在

ストラテラを飲み始めてから、本当に変わった。

脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。

簡単にいうと頭がめっちゃ良くなる感じだ。

特に「読み書き計算」がすごい。

今まで自分は文をうまく読めなかった。

脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。

また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。

そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。

プログラミングが得意だったのは、自分計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。

皆これが普通だと思っていた。

薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。

当然みんなもそうなんだと思っていた。

こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。

薬を飲んでからは夜更かしが減った。

自分の1日を計画コントロールできるようになった。

アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。

人生も徐々に良い方向に向かった。

5.総括

長々と書いてしまった。

もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。

自分ADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。

「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。

かに、その瞬間を点で見ればただそれだけのことである

しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。

そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分可能性」を信じられなくなる。

その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。

そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。

もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。

学校安心感を得られない子供には、家庭しか場所がない。

そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療アクセスしてほしい。

子供保険証を持って一人で病院に行くことなんてできない。親が全てだ。

治療は早ければ早いほどよいと個人的に思う。

子供の1日1日はかけがえがない。その1日をデバフがかかった状態で過ごすことの影響は、子供の一生を左右しかねない。

2023-02-27

デジタル感あふれる選挙

マイナンバーカード投票用紙受け取り

一つ一つ異なるQRコードの山からランダムに一枚をもって投票コーナーへ

投票コーナーではQRコード携帯で読み取り20桁程度の数字確認候補者名前ボールペンで書く(候補者名を書いた写真を撮っても良い)

候補者名を書いてQRコードを貼った投票用紙を集計会場へFAXする

消印を押しQRコードを貼ったエリアを切り離し投票用紙はたたんで投票箱へ

集計会場と投票所で集計作業を行う

後で数字入力したら正しく反映されているか分かるようなシステムはあらかじめ多額の予算で開発しておく

2023-02-26

はてブ民度改善できるのか?

ヨッピーはてブに返信させろって言ってるけど、それではてブちょっとはマシな存在になるのか?って言うと全くそんな風には思えないんだよな。

かつては、idコールって機能があって、頻繁に難癖付けてくる奴がいたし、そう言った連中に不愉快な思いをしてた人って少なくないんじゃないのかなって思う。

往々にして、このidコールは非建設的なやりとり、罵倒応酬に成り下がってたよね。100文字で的確に反論できないと、嫌味の一つも飛ばしたくなるんだろう。

で、しょっちゅうブログで人をおちょくって馬鹿にしてたHegexが低脳先生に殺されてしまって、この不毛口喧嘩になりがちなidコール問題視されたと。

Hagexはいずれネットデカいしっぺ返しを受けて当然と思ってたけれど、だからって実際に殺されていいはずがない。


そんな経緯から言って現状のまま返信機能追加はあり得ないと思うけど、もしもはてブ改善するとしたら、何が出来て、どの程度の効果が見込めるだろうか?

以下に個人的に考える例をあげてみるけど、皆さんはどう思うかな?

ネガティブスターを導入する

ヤフコメなんかでも、thumb downの反応が出来るが、それを導入して人気ブコメ評価を下げられれば改善されるだろうか?

それはないだろうね。

はてブってのは、今や絶滅危惧種サヨクが集まる限界集落で、リベラル傾向のあるコメント評価を集めやす構造になっている。

BAD評価はてなブラックスター、みたいなものが出来たとしても、はてなサヨク集団投票でよりリベラル傾向が強くなるだけだと思うよ。

例えば、東京オリンピックの際にアスリートに向かって「人殺しの顔をしろ」と言って罵倒しつつ、自分ライブに行っちゃう人のコメントが星を集めるんだからさ。

人生賭けて来たアスリートに、「人殺しの顔をしろ」って言える人たちは、応援コメントthumb downしちゃうでしょ

スターのものを無くす

これが正解だろう。コメントに優劣を付けない事で余計な論争も、しょうもないコメントに星が集まる事でリンチされてる感も消える。

ただ、この場合はてなブックマークってサービスのものが人気なくなりそう。

今は、このスター機能のおかげで、限界集落サヨク連帯感を感じられて居心地良い訳だろうしなw

携帯電話登録制にする

俺は、これをやって欲しいと思ってる。はてなブックマーク及び、はてなのサービスの最大の欠点は、誰もが簡単複垢を作れてしまって

それを使ってコメントスターを付けたり、コメントを増やしたり出来るって所にある。

全てのアカウント携帯電話番号を紐づけたら、もしかしたら有効アカウント数は半分以下になるんじゃないかと思える位だ。

携帯番号を抑えられてたら殆どユーザー大人しく、常識的に振舞うようになるだろう。ヤフコメ正常化は、これが大きいと思うよ。

他のSNSアカウントとの連携義務化する

例えばTwitter やインスタとの連携義務化されるか、連携してるアカウントブコメ以外は人気コメントに載せない様にしたらいい。

手斧の投げ合いは、そっちで出来るだろうし、手斧を投げ合う気がない奴らは過激コメント差し控える様になるでしょう。

アカウントネガティブ評価顕在化させる

例えば、とあるはてなサヨクフェミおばさんは、人のアカウントブックマークページに、罵倒ブコメを日々書き込んでるよね。

こういう行為に対する通報とか、苦情って、相当数寄せられてると思うんだよね。

この罵倒おばさんが、どの程度の苦情を受けている存在かを数値的に顕在化すればいいと思う。

迷惑存在コミュニティから自浄され消える結果を期待できるんじゃないだろうか?

2023-02-24

彼氏と付き合って半年記念で3泊4日の旅行に行った。

半年ながらも親に会わせたい、同棲したいと考えてると話をされていた。

で、旅行中に彼氏携帯で撮った写真を見せてーと頼んだら携帯を私に渡して彼氏寝落ち

ええ、見てしまいました携帯の中を。

タップル(マッチングアプリ)を旅行中に開いてたことが発覚。

めちゃくちゃ直近でマッチしてるやん。ウケる

LINEもいくつか見たけど、セフレらしき人はとりあえず居なかったけれど。

あーあ、こんなやつに今後の人生時間を使うのが勿体ないと別れるべきか

今時こんなマッチングアプリときヒステリックになるのも我慢が足りないのか

分かんないな〜。

当方29歳女。立派なアラサー結婚子供も考えると頭が痛くなってくる…

anond:20230224105120

刀の携帯虐待されて死ぬ子供って別に今でも家で包丁で刺されてそうだしね…

俺も女には刀の携帯を許すべきだと思うんだよね

毒親の元に生まれ子供にはかわいそうだと思うけどさ。

言うて今でもガンガン殺されてるし、家庭に刀があったところで多少死亡する確率が上がる程度だし。

そもそも男女平等のためだかしょうがいね

2023-02-22

電話番号を少しだけ非通知にしたい(チラ見せ通知にしたい)

090だけ相手に見せるとか、06だけ見せるとか、そういうやつ。

携帯から着信」とか「大阪から着信」とか分かるから

見せるか見せないの2択じゃなくて、もっと多様な番号開示モードを作ってほしい

anond:20230222094803

圧気発火器って携帯性の面で見ても今のところ選択に入んないよねぇ

2023-02-20

25歳処女腐女子人生初めての彼氏ができるまで

くそ喪女マッチングアプリ彼氏ができるまでの備忘録普段二次創作BL字書きなので、ところどころ小説チックになってしまい我ながらキモイ

私は小学5年生のとき同級生男子に貸してもらったギャグマンガ〇和でオタクになり、程なくして同時期に腐女子にも目覚めた。ちょうど、小学生はもれなくDSを所持していた時代で、ニコ動ちょっと怖かったから見られなかったけど、うごメモがめちゃ流行っていたので、あっという間にオタク重症化した。

それに加えて、翌年くらいにはキッズ携帯を得て(確か英検4級合格のご褒美とかだった)パケ死に怯えながら、友達メル画やら個人よろずサイト巡回しまくっていた。

まり生粋オタク初恋よりも先に、推しカプの恋に夢中になっていたような女児だった。

その後も、中学時代はとにかく部活に明け暮れ、高校女子校趣味に奔走し、その間もずっといろんなジャンル推しカプのことばかり考えていた。

好きな人がいなかったわけではない。けど、私はいずれ結ばれることが約束された二次創作BL恋愛の展開にはアホほど詳しいが、毎日校内で顔を合わせる相手への好意の伝え方や、友情恋愛の両立についてはさっぱりだった。ので、本当に、本当に何もないまま、恋愛経験値0のままで高校卒業を迎えた。

それでも、大学は共学だしもう大人だし、さすがにこれからは何かしら起きるのだろう。漠然とそう信じながら、買うのを楽しみにしていたR-18同人誌を片っ端から虎穴で得つつ、私は大学生になった。

が、お察しの通り4年間はあっという間に終わった。かけがえのない気の合う友人たちと出会い飲み会やら合宿やら、p〇xivでよく見たラッキースケベが起きそうなイベントも一通り経験したが、普通に楽しく過ごしていたら、普通に何事もなく終わった。

それでも、毎日推しカプは愛おしいし、この間ずっと家族の仲は良好で、友達も最高の連中ばかりだったので、特に人生への不満はなかった。まじで恵まれ人生感謝している。これは今もずっと。

ただ、それもあって余計に、恋愛的に焦りや寂しいといった気持ちが生まれにくかったんだと思う。しかしさすがに、大学卒業後はちらほらと身近なところでも、恋人ができたとか結婚したとかいう話を聞くようにもなってきた。

23歳で処女なのはあいい(?)として、経験が0なのはいかがなものか。くらいには思っていたので、2021年の年明けに同じように彼氏がいない友達と、ノリでマッチングアプリを入れた。忘れもしない、地元の激狭だけどケーキめっちゃうまいカフェカウンターの隅っこで、お互いに少しでも写りのいい写真アイコンにして、嘘ではないプロフィールをうんうん考えて、本気で出会いを求めていたというよりは、それすら友達とやいのやいのするおもちゃの一つみたいなノリだった。

で、当然始めればリアクションをいただくのだが、気づかないだけで世の中にはいろんな男性がいるんだなあと勉強になった。そして、何人かとやりとりをするうちに、気づくことも多かった。主に自分内面について。

基本に新しい環境や人との出会いは得意なほうではなかったのだが、逃げられないのなら覚悟を決めてどんと構えるしかない。というスタンスで生きてきたのだが、恋愛については最悪「逃げる」がコマンドひとつとして選択可能で、時としてそれは正解だったりもするので、むっず! と思った。

悪い人じゃなさそうだけど、友達もっと深い仲になりたいかと言われればうーん? てこともあったし、趣味はかなり合いそうなのに会話のちょっとした言葉選びとか考え方がたぶん合わないな……みたいなこともあった。学歴や経歴は全てではないけれど、この辺の相性を判断する材料にはなること。そしてそれは、お相手側にとっても同様であったんだろうと思う。

飽き性なこともあり、仕事の閑散期にちょっとアプリを覗き、稀にお会いするところまでいくも、まめに連絡を取り合うのがだるくなってしまい二度目に繋がることはない。その繰り返しの中でコロナ職場で大流行したり、自分が罹ったりしたこともあり、変わらず恋愛経験0のままいつしか25歳の秋を迎えていた。

大学卒業の少し前、同じく女子出身彼氏がいなかった友達冗談で言い合った言葉を思い出した。

「25歳のときにお互い彼氏ができてなかったら、この間テレビで見た相手自衛隊員オンリー合コンに一緒に行こうよ!」

筋肉ヤバそう! イケメン多そう! 逆に楽しそうじゃない? なんて、たった数年前の話だが、もうあの頃みたいに本気で冗談としては笑えない。

というのも、卒業後も特に仲良くしていた友達グループ5人のうち、ついに彼氏がいないのが私だけになってしまったのだ。

それでもまだ、焦っているわけではなかった。相変わらず人生は楽しく、仕事しんどいが日々は十分に充実しているといえる。友人らも別にこちらを憐れむでもなく、まあこういうのはタイミングもあるし、それだけが人生じゃないしね〜というスタンスでありがたかった。

だが、年末年始頃になってくるとじわじわとこみ上げてくる思いもあった。

数年前まではクリスマスパーティー忘年会新年会と、友達楽しい予定を入れまくりさらに寝る間を惜しんで推しを愛でて最高になっていた。が、やっぱり周りに彼氏ができれば、そちらを優先してもらって予定を立てることになる。今年もクリスマスパーティー忘年会新年会もやったが、あと数年もすれば今度は結婚する子が出てくる。子どもが生まれれば、さすがに今と同じようには遊べなくなるだろう。

その分、推し活が捗る。とも思ったのだが、実際暇だったクリスマス前後イベント用の原稿めっちゃ捗ったのだが、同時にめっちゃ眠いし疲れがやばい

まだまだ若者だと自負しているし実際25なんてまだまだ若いのだが、確実に学生ときより衰えている。多分体力作りや体調管理で盛り返すことは可能なのだろうが、仕事がなかなかの漆黒分野なので、今すぐに改善していくのは難しそうだ。それに、推しとの時間一期一会。新たな出会いもあろうが、いつサ終や最終回も迎えるかも分からない。

二次元三次元わず、何事にも終わりはくる。家族がいても友達がいても推しがいても、仮に恋人がいても、最終的には一人だ。そのことへの、漠然とした不安があった。

そうなってくると、己の進むべき方向は大まかに二つではないか

もうなりふり構わず、とりあえず一度は恋愛というもの経験しておいて、合わないなら止めて一人で楽しく生きていく。それか、もう腹を括って一人で生きていく。どちらを選んでも、幸いなことに漆黒だが安定で安泰な手に職はある。

ということで、なあなあにしていたアプリを、インストールから2年経った2023年1月に改めて本腰を入れて再開してみた。

初めこそ、趣味やノリが自分と近そうで、リードしてくれそうだから少しだけ年上の方……なんて思っていたときもあったが、休み休みでも2年アプリをやっていると理想現実がわかってくる。

趣味やノリが合うかはプロフィールだけじゃ最低限しかからない。そもそも私が好きだと言っている漫画ゲームも全部、二次創作BLを含めて言っている時点で重視すべきポイントにはなり得ない。この趣味リアルの知り合いにカミングアウトするつもりはないからだ。

年齢もあまりに離れていなければ、この際どうでもいい。そもそも誰ともお付き合いしたことがないのだから、年下年上同級生、どんな人と合うかなんて分かるわけもない。

ということで、ほぼフィーリングでピンときた数人に「いいね」を返し、そのうちの一人と数回電話雑談し、会う約束をした。この間、アプリ再開から約2週間。25年何もなかった自分にしては、なかなかのスピード感である

それなりに楽しみにしながらデート当日を待っていた。浮かれて久しぶりにワンピースなんか買ってしまって、たぶんはしゃいでいたんだと思う。

前日の夜に「明日って、〇〇駅に何時ですよね?」と送ったきり、返事が途絶えた。その前日までは普通にやりとりしていたのに。

それでも、万が一でもお相手の方を待たせてしまっては申し訳なさすぎる。ので、電車で1時間半かけて当日私は待ち合わせ場所に会いに行った。案の定、そこには誰も来なかった。悲しくて恥ずかしくて、追加の連絡はできずに、一人で駅ビルを3周くらいして、ご飯を食べて、何か一つでも納得したくて可愛いヘアクリップとずっと欲しかったSABONのフェイススクラブを買って帰った。

帰りの電車の中はカップルばかり目について、まじで最悪の気分だった。けど、冷静な自分もいた。会う約束までしてすっぽかしたことはなかったけど、だるくなってアプリ内のチャットを切ったり、LINEスルーしてしまたことは私にもある。たぶん、アプリ出会いを求める以上これはよくあることだ。

でも、普通にしんどいし傷ついた。

からこそ、もう決着をつけたい。

明日から一週間は恋愛のとこは考えない。ちょうど推しカプのオンリーイベントにも参加するし、全力で楽しむ。そして、イベント明けの一週間に最後にもう一度だけ、ちゃんアプリをしよう。どんな相手でも真剣に向き合って、それで一週間でなにもなければ、アプリを消そう。

25歳なんて、これから恋愛経験を積もうには少し遅いかもしれないけど、長い人生の中ではまだまだ若い

これ以上、自分恋愛でうだうだ悩むのに時間を割きたくない。そもそも人生における恋愛が占める部分は、人より少ないタイプだ。今までがそうなのだから、そういうものなのだ。それならもう恋愛を諦めるわけではないけれど、中途半端に振り回されるより、推しカプ並のご縁とやらに巡り会うことがあるまでは、恋愛のない人生でいいや。

そういうつもりで、ラスト1週間アプリをしっかりめに見る日々が始まった。

確か、彼からいいねが来たのは水曜か木曜くらいだったと思う。そのときちゃんとやりとりをしていたのは、彼を含めて二人。(マッチングアプリでは、お互いにいいねを送り合うとやりとりが始められるが、いいねを送りあっても会話が始まらないこともままある)

同い年の人と、一つ年下の人

正直なところ、どちらの人もプロフィール写真はあまり印象に残っていない。ごく普通っぽい感じの人だった。ほぼ同時進行で二人とアプリチャットでやりとりしていた。

もともと、やや人見知りする性格なこともあり、今までの人生で先輩や後輩とは、仲が悪くなったこともないが、仲良くなれたこともなかった。ので、同い年の人のほうが話しやすいかな? と思った。が、話をしているうちに、何とは言えないのだが、なんとなくこちらの恋愛経験が浅いことや学生時代の思い出なんかを話しているうちに、ちょっと上から目線を感じた。互いに品定めする場でもあるのだから、当然といえば当然なのだが、今回の私はこれ以上もう恋愛不快な思いをしたくないという思いが強かったので、ごめんなさいと思いながらフェードアウトした。(「女の子は〜だもんね」、「(部活勉強について)それなりに頑張ってたんだ、真面目だね(笑)」的な言葉に、なんとなくモヤってしまった)

一方、もう一人の年下の方。

仕事のことや漫画ことなんかの当たり障りのないことを話していると、一度通話をしないかと持ちかけられた。今週は頑張ると決めていたのでokすると、「初めましてだし、だらだらしちゃってもあれなんで時間を決めましょう」と相手から言ってくれた。

友達電話するのは好きだが、そんなに関係が深くない相手世間話をするのは得意じゃないのでありがたかった。

30分だけという約束で週末に通話をしたのだが、驚くことにとても話しやすかった、とても初めて話す相手とは思えないくらいで、それでいてお互いに敬語は崩さずに程よい距離感で楽しく会話ができた。今までもアプリで知り合った相手通話したことはあったが、こんなにも話が弾んだのは初めてだった。30分があっという間に過ぎ、私のほうから「少し延長しませんか?」とお願いした。これも初めてのことだった。

結局、一時間上通話が続き、「よければ会いませんか? 会わないと分からないこともあるだろうし」という相手言葉同意して、電話を終えた。恋愛経験が乏しいこと、なかなか進展できていないことも伝えていたため、「それなら早いほうがいいですね」と3日後に夕ご飯をご一緒することになった。

これもなかなかのスピード感で、正直展開の速さについていけていないところもあったのだが、25年間で0だった経験値が、25年間で1になったと考えれば、別に早くもなんともない。

すぐに当日を迎えた。仕事終わりに、前述した浮かれて買ったワンピースに着替え、待ち合わせ場所レストランに車を走らせた。

今度はちゃんとそこに相手が待っていて、私はもうそれで少し嬉しくなっていた。我ながらちょろい。でも、そのレベルくそざこ恋愛初心者なのだから仕方ない。

写真で見るより、感じがよかった。1つ年下ということだったが、そんな感じは全然せず、まあ1歳違いなんて誤差みたいなものかと年齢差という偏見を取っ払うと、より人として良いなと思えた。

ご飯を食べながら話をしたが、対面してもやはり楽しく過ごすことができた。

仕事の話、学生時代の話、恋バナ。まあこっちに話せる恋バナなんてカスみたいなのしかないのだが、それもちゃんと聞いてくれた。そして私にはずっと縁がなかった、高校生や大学生のとき恋愛話をぽつりぽつりと語ってくれた。トキメキしか詰まっていない推しカプの妄想とは違っていたが、それはそれで興味深かった。

印象に残っている彼の言葉がいくつかある。

私が楽しいと伝えたとき

「僕も楽しいです。できれば、また会ってほしい。けど、もし他にもいい人がいれば、全然そちらと会ってもらっても大丈夫なので…」

程なくして

「そろそろ敬語やめない?」

タメ口距離を狭めてくる人は、Twitterでもアプリでも苦手だったのに、電話でもたくさん話したからか自然と受け入れられた。

そして、食事を終えてそろそろ店を出なくてはいけない頃、

「誰とも付き合ったことないんてしょ? なら、僕と付き合ってみない?」

からかわれているんじゃないかと思い、「冗談?」と聞き返すと「本気だよ」と言われた。どんな顔をしていいか、これは進研〇ミことp〇xivでも同人誌でも予習したことがなく、たぶん半笑いの変な顔をしていたと思う。

だって、本当はもうアプリで他の人と会ってほしくない」

だめかな? と問われたので、信じられなくて「逆に私でいいの?」と聞き返してしまった。

「いいよ、いいに決まってる。付き合ってください」

改めて言われてしまって、目の前の人が好きなのかどうかなんて全然からなかったが、少なくとも一緒に話していてずっと楽しかたこと、沈黙も気まずくなかったこと、腹をくくってアプリをしていたこと、いろんなこと思い出しながら、一言

はい

と答えてしまった。

これからよろしくね。うん。とお互いに照れながら言い合って、恥ずかしいような、でも数週間前のような惨めさはない、知らない気持ちで溺れそうだった。

ラストオーダーも過ぎていて、焦って退店するともう駐車場に車は疎らで、次の日も仕事なのでどの道我々も解散の流れになった。

車の前まで一緒に歩き、でもなんとなく別れ難くて立ち話をしていると

「手を繋ぐのも初めて?」

と手を握られた。「うん」と答えると、指を絡められ、なるほどこれが恋人繋ぎかと思った。推しカプはよくやる、というより脳内デフォはこれだ。

「……じゃあ、キスも?」

あれ、この流れ。推しカプで予習はしてないけど、数多のBL読んできたから察しはつくぞ。そう思いながら「……うん」と答えた。

見つめ合うのも初めてだけど、伝えるタイミングはなかった。

本当にキスするときってチュッていうんや……と頭の片隅で感動していると、再び唇を合わせられた。

今度は軽く唇を噛まれて、舌が入ってきた。口内を吸われて、舌を甘噛みされたりした。たぶん時間にして10秒くらいだったけど、25年間0だったものが一夜にして、自分的に200くらいに跳ね上がり、すっかりノックアウトだった。

顔が離れて目を開けると、彼との間に唾液の糸が切れる瞬間で、内心

「こ、これは進研〇ミで死ぬほど見たことあるやつ。なんなら自分小説でもよく書くやつ……こんな感じやったんか――」

と謎の感動に包まれていた。

そしてぎゅっと抱きしめられ、

「あー、離したくない。でも、これ以上は止まんなくなるから我慢する」

と言われ、夜も更けてきたのでバイバイした。

帰りの車内では完全に放心状態だった。だってまさか、25年なにもなかったのに、この数時間でこんなことになるなんて、思ってもみなかった。今思い出してもやばい

こうして、私に人生初めての彼氏ができた。

26歳の誕生日まで、あとちょうど2ヶ月という夜だった。

その後はじわじわと恥ずかしさが込み上げてきたが、同時に彼のことが日に日に好きになっている気がする。

断言できないのは、もちろんその経験がないからだ。でも、お相手は程よく優しく、こちらに経験がないことも承知である程度ぐいぐいリードしてくれるのが、ありがたくもある。そして、その振舞いから、「本当にこの人、私のことが好きなんか……」と実感できることもままあり、なんともこそばゆく嬉しい。

経験してみて、合わなければ止めればいいと覚悟して臨んだが、今のところはとりあえず幸せに過ごせている。

推しカプも相変わらず愛おしい。家族友達も愛してる。そこに、もう一つ楽しくて素敵な気持ちになれる存在が加わった。

無論、よいことばかりの毎日ではないが、それでもまあいいかと思いながら生きている。本当に、本当にありがたいかぎりである

※利用していたアプリペアーズとwith。今回の最終的な出会いに繋がったのはペアーズだったが、使用感がおもしろかったのはwith。用心してまじめに使えば、怖い目に遭うことは少なそうだと思う。

2023-02-18

自動射精チンコケースのすゝめ

世の中の男全員に全自動射精チンコケースの装着義務を科せば世の中は平和になるのかもしれない。

自動射精チンコケースはいうなれば携帯型のオナホのようなものと思っていただいても構わないが

オナホと違う点は自分では勝手に外せないことと、

(具体的に言うとGPS物理的な鍵を自宅設置することで自宅でないと外せない仕組みによる(同居者がいる場合にはさらに同居者の生体認証パスワード必要とすることで安全性を確保))

オトコの欲情勃起を感知すると全自動射精するまで全自動射精チンコケースが稼働を始める点だ。

課題としてはバッテリーの持ち時間があるが将来的には気軽に街中で充電できるような設備を作れたらと考えている。

スタイリングとしては大体においてガンダムチンコ部分になると思っていただいても差し障りない。

幸いなことにファッションオーバーサイズブームなので違和感なく装着できるものと考えている。

これによりおとこの性暴力性が減少することにより加害者被害者もいない幸せ社会が訪れる。

それによって少子化が加速されるが射精した精子チンコケース内で冷凍保存して再利用できないか研究が進んでいる。

2023-02-17

きさらぎ駅

きさらぎ駅書き込みがあったのは2004年

2004年に出先で携帯から掲示板に書き込むって割と気合入ったギークな気がするがどうだろう?

俺が固定回線しか使えなかっただけだろうか。

2023-02-16

anond:20230215113324

>親が番号を知らせず携帯を変えて音信不通

?🤔

なにがあったんや…🤨

2023-02-15

ブレワイ今やってるけど

面白いけど、死んだらもっとサクサク復活したいね

死んで、ゲームオーバー音楽流れて、ボタン押して、ロード画面待って、ようやく復活。

長いわ。

いや携帯ゲーム?にしてはよくやってる方なのかもしれないけど、もっとサッサと動けば良いのにと思う。

ホームレスorドヤ街行きが確定した。

コロナ不況失業

再就職まら生活保護

親が番号を知らせず携帯を変えて音信不通

アパート更新時期が重なり、保証会社から連帯保証人に連絡が取れず連帯保証人なしの扱いになって更新拒否

転居先を探すもの生活保護+連帯保証人なしの条件で借りられる物件なし

住所不定になるんなら生活保護は出せないですと役所に言われる

 

タイミリミットは後2週間。

  

こうなるとホームレスとして野垂れ死ぬか、西成かに逃げ込んでその日暮らしをするくらいしか後はないのか。

はぁ死にたくなかった。

2023-02-14

anond:20230214001337

https://twitter.com/riri_riri55/status/313278830880124928

@uirousakura

重長です。事件が起きました。現金多額と携帯スペアキーが盗まれ犯人村上龍二という男性です。桜井さん電話番号現在分かりません。助けて下さい。

なぜか桜井さんに助けを求めるようなリプライがあるみたいです。

本人いわく、平さんとは親戚()らしいので、苗字は確定でよさそうでね。

2023-02-11

携帯ショップの頭金

とある携帯ショップ店員です

お前が書くなよって内容だと思います

いい加減こんなのやめろよって気持ち

これを見た人が今後気を付けてほしいなという気持ちも込めてます

結論から言うと"頭金"は無駄

"頭金"って聞くと総合計のうちのいくらかを最初に払っておいて残りを分割する…とかのイメージがあると思います

私も昔はそう思ってたよ

でもこれ、"総額のうち"の頭金では無くて、"総額に足された"頭金なんですよね

まり余分なお金

だって店によって設定金額違うんですよ

本当は総合計10000円の機種があったとしてそこになぜかプラスされた10000円(これが頭金)

頭金って携帯ショップの"純利益"らしい(先輩に聞いた)

びっくりした

わたし高校の時にルンルンで機種変更しようとしたら突然言われてその場であれよあれよと親が払うことになった10000円って…なに?

そりゃそうなる

この制度に異議を唱えるお客様がいるんですが、その気持ちとっても正常なので大切にしてください

頭金払いたくないんだけど?→オンラインで買ってください→でもお店の人に聞かないと不安→じゃあ店来て頭金払ってください

なんじゃこりゃ

そもそもプランとかなんやかんや売ってるこっちも意味不明、そりゃクレームも絶えない

頭の中でもうやめましょうよ!ってとある海◯が叫んでるよ(命もったいない)

まあきっとそのうち機械が全て解決するようになれば頭金という名の利益搾取も無くなるんだろうなと思います

くそんな日がきてほしい

同業者きもちわかるわ〜て人いたら今度飲みに行きましょう

2023-02-10

バンクに行く増田自転車でゃ新手時を出す馬喰にクン場(回文

おはようございます

ドコモとかソフトバンクとかauとか、

篠原涼子さん的に言うと

恋しさとせつなさと心強さと

平松愛理さん的に言うと

「部屋とワイシャツと私」

私の一時期研究していたお粥テーマで言うと

「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」

なんだけど、

そのいわゆる携帯ショップお店に

60歳以上で1人で乗り込んで機種変とか様々な手続きとかしようものなら

認知症かそんなボケ防止か何かの観点から1人で行くと止められるそうよ。

そんで60歳未満の人が一緒に付き添ってってのが必須先手必勝法らしいわ。

でもさ、

早速その制度ルールにいきなりの欠陥のバグがあって

80何歳の父か母かの両親に

息子や娘が60歳以上でってもうすでにそう言うシチュエーションも現にあり得るわけじゃない?

その80何歳の両親か60歳以上の子どもたちを引き連れていったとて

そう言った機種変などの手続きが出来ないって社会構造バグってない?

老老なんとかって言葉もあるぐらいだから

そんなこと自体由々しきことじゃない?

一生機種変とか手続きとか出来ないんじゃん!

一生一緒にいてくれや!ってずっと一生同じ携帯は使い続けられないわけじゃない。

定期的に機種変とかはしないと行けない宿命でもあるしそれが業界の縮図でもあるし。

ところで、

一生一緒にいてくれや!の歌と

大貧民負けてマジ切れそれ見てパスタ作ったおまえ!の歌って一緒の同じ歌?だっけ?

でもさー失礼よね。

60歳っていっちゃーまだ若いじゃない世の中のそういう60歳って

なのに軽くボケてませんか?みたいな前提で

奥歯にものも挟まず歯に衣着せない言い方で

ものを言われたらそりゃムッとするわよね。

奥歯にものを挟んでは歯に衣着せて言って頂戴!って

バックアップなしで丸腰でドコモショップに行った母親はその適用前の入店だったのかしらね

気になるようで気にならないけど。

まあまさにドコモショップならそうとは言わないだろうけれども

ソフトバンクでなら

これが本当の

祖父バンクに!ってこれを地で行く時代が遂にやってきた感じが

本当に未来時代に追いついた感じがして

エスエフじゃないや

少し不思議な話よね。

絶対にもう子ども達が60歳以上ってあり得るわけじゃない。

現代創作落語オチだって

いまじゃそんな祖父バンクに!なんてオチやんないわよね。

そんでね、

こないだ銀行に寄った際、

通帳記帳を慎重にしなくては!って思いながらさすがにそこは飛び込み前転では入店しなかったけど、

そのときに見かけた自転車でやって来て銀行用事があるご老人の方がいたのね。

自転車危なっかしーなと思いつつ案の定転んじゃって

私が自転車起こして手を引いて起こしてあげてわちゃわちゃしていたら

から銀行の人も出てきて一緒に助けるの手伝ってくれたの。

何が言いたかたかって言うと、

その人は私の祖父ではないけど

きっと孫とかと来店来行しようとしていたら、

祖父バンクで転ぶ!って

これをまた地で行くような時代になったもんだなぁ。

私しみじみしじみ汁飲みながら思うワケなのよ、

しみじみ飲めばばしみじみと~ってそんな八代亜紀さんの舟歌級に。

祖父バンクの前で転ぶって

エスエフ、じゃないや

少し不思議な話よね。

祖父バンクの前で転ぶ自転車で行って」ってなんか後ろに付け加えるとさまぁ~ずさんの悲しいなんとか級に悲しくなると思わない?

さらにしみじみさがしじみ70個分の命と引換に作って美味しくお味噌汁として得られるオルチニンだと思っていたら、

実はその命シジミのオルチニンじゃなくて乳酸菌由来のものらしくて、

じゃ私が信じていたシジミたちの命の70個分は?って

そこには失われたシジミの命がなく乳酸品由来のオルチニンだったって、

これもエスエフな、じゃないや

少し不思議な話よね。

今まで信じていたシジミの力の70個分は

乳酸菌由来だったって!

舟歌歌詞もしみじみシジミ汁飲むオルチニンは乳酸菌由来だった!ってアップデートしなくてはいけないってね。

実際にはそんな歌詞を変えなければいけない!って言ってるんじゃなくて

オルチニンの概念を今まで擦り付けられていたシジミの力だったってことを乳酸菌由来だったって私たちアップデートしなくてはならないって意味よ。

だけど絶対シジミ汁はそのイメージがありまくりまくりすてぃーでそれなんてオルチニン?ってなるわよね。

人類は一向にアップデートできない

レモン何個分のビタミンシーだとか

霞ヶ関ビルビールジョッキに見立てて何棟分の年間ビール消費量とか

東京ドーム何個分の東京ドームだとか

オルチニンシジミ70個分だとかってのを

換算概念をいい加減アップデートしなくてはいけないのよ。

祖父バンクに行ってる場合じゃないし

祖父バンクの前で転んでいるって喜んで言ってる場合では無いわ!

喜んでは言ってはないけれどね。

とにかくオルチニンがシジミ由来じゃなくて乳酸菌由来だった!ってことが

あの映画猿の惑星オチみたいで

それが一番衝撃的な事実だったし、

もうしみじみシジミ汁飲んでられないわ!

祖父バンクに行くときは転ばないように気を付けようと思った次第よ。

うふふ。


今日朝ご飯

ポテサラサンドイッチしました!

なんかいつもあるわけではないみたいで、

早くに売れちゃうのかしらね

見つけたので即座にゲッツよ!

ゴロゴロジャガイモ存在感があるポテトサラダが好きだわ。

デトックスウォーター

レモン炭酸ウォーラー今日はそのままストレートに追いレモンもしたら良かったかしらねポッカレモンのね。

あれも切らしちゃったので

思いだしたら買っておかないといけないわ。

今朝は冷たい物一気に行きたい気分の感じだったわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-02-09

nintendo Switch が1.2億台うれた!って言ってるけど、

日本人全員持ってなくない?

単純計算で一人一台だと思うんだけど、

やっぱりマニア層が携帯複数持ちみたいな運用して遊んでるのかな?

普及してるのは普及しているだろうけど

そんな国民1人が1台持ってる感じか?

2023-02-08

マイナンバーカードで今後どう便利になるのか

2023年5月11日マイナンバーカードスマホ搭載がスタートする。

例えばネットSIM契約するとき、今はいちいち運転免許証写真送信しているだろうが、

数年後にはスマホ搭載のマイナンバーカードを使ってノンストップ手続き完了するのが当たり前になる。

身分証明証を用意する手間がなくなる上に、写真確認されるのを待つ時間もなくなる。そもそも写真を送らなくなるので。

スマホで行える行政手続きも拡大して基本的に来庁不要になる。

ただしマイナンバーカード作成更新が来庁必須なのは変わらない。

非対面で色んな手続きが終わるカードからこそ、作成更新ときは対面手続きセキュリティを確保する必要がある。

また健康保険証がマイナンバーカード統合されるのはみんな知っていることだろうが、

それはスマホ健康保険証として使えるようになるってことでもある。

いづれ運転免許証携帯不要になるだろう。

外国で暴れて精神科に入れられたんだけど

なんか書いたけどクソ長いか外国精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。

入院に至るまで

お前らは精神科入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDから毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。

ある時、俺は海外一身上の都合引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序リタリンよりOD不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちスイッチしてしまった。

ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところであるビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。

そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。

しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。

冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。

俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているか処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていか家族が俺の世界ダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。

意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族陰謀告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪犯人っぽいか警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車措置入院と相成った。

入院

救急車外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水ボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレ場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったか自分で探した。

次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。

朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。

まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死自分はまともだからここから出せと迫った。しか職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。

彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分サイコパスから危険から病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員サイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死サイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。

しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数職員外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人普通巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。

入った部屋は6畳くらいで、日本人感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感から、寝たらパソコンRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。

どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力記憶連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。

しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさら人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。

次の日俺はまたトイレ交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。

次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。

相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱ラジオと称して実際には携帯音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイク奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。

部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインゲームだけを黙々と遊んだゲーム時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。

夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。

先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。

散歩病棟の唯一外に出る玄関職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないか入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。

この散歩想像していたものよりずっと大規模だった。30分から時間精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃん冷蔵庫食品を蓄えてるかも分かった。多分自分スーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。

職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球テーブルサッカー遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。

そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラ保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝言葉しかない。

まとめ

2023-02-07

anond:20230207152134

こういう悲観的な未来言われすぎてて多分実現しないんだろうなという気がする

サッカー日本代表は衰退しなかったし、朝日新聞記者も相変わらず高給取りだし

しろ英語学習いらなくなるレベルの小型翻訳機の携帯スマホみたいに人類常識になって、外大外国語学部が廃れて漢詩や皇典の学校と同じ扱いになる未来は見える

2023-02-06

ガーシー擁護派「リモート国会できるようにすべきなんだよ」

・話す内容や投票が全部政治マターなので最低でも専用独立VPN必要

・参加時のオフィス等も機密性の担保が要る

Wi-Fiアクセスポイント盗聴等の可能性を排除するためパブリック回線禁止する都合で携帯回線を経費精算される

全員がリモートになるならともかく、数人程度のためにえらいランニングコストがかかるようなシステムは導入できない

ましてや「リモートZOOM採用します」とか言ったらIT音痴っぷりに世界が笑う

ワイ「すいません、今日はやる気出ないんで帰ります

上司今日〆の仕事は?」

ワイ「ないです」

上司携帯は?」

ワイ「持って帰ります

上司「今抱えてる仕事は間に合いそうなんか?」

ワイ「明日以降でカバーします」

上司「なら別にええけど、もうちょっと言葉選べよ。体調が悪いとかにしろ

ワイ「はい

 

うちの上司モチベーションないのにダラダラ仕事してる奴が一番嫌いと常々公言してるので

業務に支障が出ない範囲ならこういうの許してくれるので好き

支障が出たときの詰めっぷりエグいけど

アカン‥、ガイジすぎるわ。

入眠がヘタで睡眠薬貰ってんねんけど、寝れへん夜にそれを飲むって発想になぜか至らへん。

ずっと布団の中で携帯いじっててちょっと眠いかもって思ったら電気消して寝ようとするねんけど寝れへんくて電気付けて携帯いじってを繰り返してたら一睡もせえへんまま朝になってて絶望する。

それで、朝になってから昨日の夜に睡眠薬飲んでたら良かったんやって気づくねん。

夜にループを繰り返してる間は発想の選択肢の中に睡眠薬が出てこうへんねんな。

でも、ほんまに反省したらそっから1日2日は「寝れへん時は睡眠薬。寝れへん時は睡眠薬。」って繰り返し思い出して飲める日が出てくるねん。

でも、その成功を何回かしたら気が緩んで徐々に忘れていってまた睡眠薬って選択肢を忘れるようになる。

ガイジすぎる。死にたいわ。

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