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2024-11-20

チ。の作者の次の作品

みんなチ。ー地球運動についてーのアニメは楽しんでいるかい?

バデーニさんがクズすぎるって?そうだよ、でもみんなバデーニさん好きだよね。

地動説って実は最初に言ったの紀元前の人らしいんだけど実際には16世紀コペルニクスが発表するまで、天動説が主流だったんだよね。日本だと19世紀にもなって初めて話題に出たんだよ。

大衆は初めて見た地動説をどう思うだろう。

多分もし自分がその時代にいたら「そんな馬鹿言ってww」って笑うと思う。「陰謀論乙www」って19世紀の5ちゃんで草生やすと思う。

そんなチ。の作者の新作をぜひ今読んでほしいんだ。

タイトルは「ようこそ!FACT東京S区第二支部)へ」

新作と言いつつ完結済!

主人公陰謀論者なんだ。

バデーニくんたちの地動説たまたま合ってたわけだけど、この主人公陰謀論全然合ってないんだ。バデーニくんたちはたまたましかたから良かったけど、この主人公はどうなんだろうね…。

陰謀論を唱える人に見せるとワンチャン「あれこれ陰謀論だった?」って思うかもしれないけど期待は正直薄いな。

それより陰謀論言ってる人に接するために読んでほしいと思う。

アニメ化したら見る?いやチ。より作品性的にメディアミックス化難しいと思うので…漫画で読もうぜ。

2024-11-16

anond:20241116195812

お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史ちょっと学べば、今の状況なんて全然したことないって気づくだろうよ。

まず、アリってのはまさに「生態系リーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプト時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。

で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?

そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安ストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀哲学者ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分客観視してみな。

さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいか重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的解決しかならないってことを肝に銘じろ。

それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だってつの生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然だって理解しろ

最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテス言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。

とにかく、アリが車にいたって大したことないだろ。少し心を広くして、無駄ストレスを減らして生きろよ。

2024-11-14

anond:20241111174206

こんな書き込みレスしてくれて、ありがとう自己レスでまとめる。

水道ゲーム

こいつは古典的ゲームだが、そこまで古いゲームじゃない。

アメリカパーカーブラザーズが発売したのが、1976年だ。

 

だが、パイプを繋ぐゲーム、として元ネタがあるかどうかは分からなかった。

 

それで思いついたが、似たようなゲームジャンルで、15パズルで有名なスライディング・パズルというのがある。

15パズルは、1874年にノイス・チャップマン原案を出したというが、このジャンルカードゲームか、と問われると、さすがに違うんじゃないか、と感じる。

かるた

小倉百人一首は、藤原定家13世紀の前半に選定したものだが、元々は色紙に書かれた美術品で、ゲームに使われたものではない。ゲームとしては、かるたの登場を待つことになる。

かるたは、16世紀末頃、現在福岡県大牟田市発祥と言われるので、カードゲームとしては、こちらに着目すべきだろう。

 

ただ、かるたの原型として、貝合わせ(貝覆い)という遊びがあったことを忘れてはいけない。

 「貝はカードと言っていいのか?」という疑問もあるが、12世紀には「カードのようなものを使う遊び」が日本にあった、ということだけ整理しておけば充分だろう。

麻雀

 「麻雀牌は、カード一種とみなしていいのではないか」と言う意見も出ていたが。

その麻雀起源は、葉子と牌九と言われていて、葉子の方は紛れもなくカードゲームだ。しかトランプ起源という説もある。

麻雀よりも、トランプよりも、葉子の方がより古いカードゲーム、という点に異論はないだろう。

 

麻雀トランプ血筋となった「葉子」は、明の時代 15世紀に遊ばれていたという。

しかし、更にその前。唐の時代9世紀には「葉子」という遊びがあったらしい。唐の葉子は11世紀には完全に滅んでいるらしく、明の葉子とは別ゲームらしい。

同名でややこしい。おかんの「みんなファミコン現象」か?

 

明の葉子はトリックテイキング系のカードゲームとして遊ばれていたようだが、唐の葉子はカードをマスとして使って、ダイスを振って駒を進める双六風のボードゲームだったらしい。

手札にならないカードレギュレーションに則しているのか、と疑問も感じたが、点数計算表も葉子に記載していたそうなので、これは、今でいう小箱ゲームみたいなものと言っていいだろう。

一応、9世紀までは遡れた

双六だとタブラだの、セネトだのまで遡れるが、カードゲームであれば、唐の葉子が始祖なんかな、という気がする。

一度、血筋が断絶してるので、始祖と言っていいのか、という議論余地は残るが。

  

余談だが、現在は、トランプ起源タロットという説よりも、タロット起源トランプという説の方が有力らしい。知らなんだ。

2024-10-10

小説 階伯(かいはく)つづき

百済亡命者たち――日本への道

百済滅亡の報せが朝鮮半島全土を駆け巡るとき、そこには絶望だけでなく、わずかな希望が残されていた。それは、百済の地を追われた者たちが、遥か倭の国――大和への亡命の道を選んだことだった。

百済の都泗沘(しひ)が炎に包まれ王族貴族、そして多くの百済の民が散り散りになって逃げる中、一握りの者たちは東へ、海を越えて大和へと渡ることを決断した。彼らにとって、倭はかつて同盟を結び、文化技術を共有してきた縁のある国だった。遠い異国ではあったが、そこに生き延びる希望があると信じていた。

渡海――苦難の旅

夜の海は静かだったが、波は冷たく、命の危機を感じさせた。百済から亡命者たちは、わずかな船団に身を寄せ合い、倭の地を目指した。彼らの目には、故郷を失った悲しみと、新しい土地での不安が浮かんでいた。

中でも、若き百済貴族、武珍(ムジン)は、家族と共に海を渡ることを決断した一人だった。彼はかつて百済王宮官職を務めていたが、新羅と唐の連合軍が攻め込むと、命からがら国を脱出した。彼の目の前には、父祖の地であった百済が失われ、愛した仲間や民が散り散りになっていく姿が浮かび続けていた。

「いつか…いつか、この地に戻ることができるのだろうか」と、武珍は呟いたが、その声は波音にかき消された。

やがて、彼らの船は倭の大地に辿り着いた。彼らを迎えたのは大和朝廷の役人たちだった。百済から亡命者たちが次々と上陸し、武珍もまたその一人として新たな生活を始めることとなる。だが、そこには異国の地での試練が待ち受けていた。

新天地大和

亡命者たちは大和王権に迎え入れられたものの、その生活は容易なものではなかった。彼らは、異国の地で自らの文化風習を持ち込む一方で、大和風土や習慣に馴染む必要があった。特に故郷を失った哀しみが胸に深く刻まれている者たちは、再び自らのアイデンティティを見つけるまでに長い時間がかかった。

武珍もその一人だった。彼は大阪南部に割り当てられた土地で、新しい生活を始めることとなった。この地には既に百済から移民が住み着いており、互いに助け合いながら新たなコミュニティを築いていた。大阪南部河内平野は肥沃な土地であり、農業が盛んだったが、何よりも彼らにとって特別ものは、地名の中に「百済」という故国の名を残せることだった。

「ここは、我々の新たな百済だ」と、武珍は言った。

大和王権の中での百済役割

百済から亡命者たちは、単に新天地生活を始めるだけではなかった。彼らは百済で培った高度な技術文化大和王権にもたらし、その地位を高めていった。特に天智天皇の治世において、亡命者たちは重要役割を果たすこととなる。

天智天皇大化の改新を主導した中大兄皇子)は、近江京を築いた際、百済から亡命者たちを積極的に受け入れた。天智天皇自身百済との強い同盟関係を保っていたため、亡命者たちの技術知識を利用して、近江の地を発展させることを狙っていたのである。武珍を含む百済貴族技術者たちは、天智天皇の招きに応じ、滋賀県周辺へと移住していった。

新羅に滅ぼされ、百済を失ったとしても、我々の技術文化がこの地で花を咲かせるなら、それが我々の新しい故郷となるだろう」と、武珍は自らを励ました。

百済技術者たちは、瓦や製陶技術金属加工、建築技術をもたらし、近江京の発展に寄与した。その中でも、仏教文化先進的な農業技術は、近江の人々にとって大いなる財産となった。百済から亡命者たちは、大和王権の一部として取り込まれながらも、独自文化を維持し続けた。そして、その痕跡は、現代滋賀県に残る渡来系遺伝子の多さにも反映されている。

亡命者たちの遺産

時が経つにつれて、百済から亡命者たちは日本列島に根を下ろしていった。大阪南部には「百済」や「加羅伽耶)」といった故国の名を冠する地名が残され、滋賀県には亡命者たちの末裔が多く住み着いた。彼らの遺伝子は、日本列島の中で異質な文化を生み出し、後の日本文化に大きな影響を与えた。

武珍も、かつての仲間たちと共に大阪南部で新たな百済を築き上げた。そして、彼の子孫たちは、百済の血を引き継ぎながらも大和王権に忠誠を誓い、その技術知識を後世に伝えた。

故郷は失われたが、我々の血は生き続ける。我々の文化は、この新しい土地で栄え続けるだろう」と、武珍は亡命者たちと共に夜空を見上げ、倭の地で新しい未来を夢見た。

こうして、百済亡命者たちの物語は、日本歴史の中に深く刻み込まれていった。朝鮮半島を追われた彼らは、決して故郷を忘れることなく、新しい大地でその魂と誇りを守り続けたのである

朝鮮半島奪還――日本宿命としての目標

天智天皇近江京を築いた時、百済から亡命者たちは日本の地に根を下ろし、新しい生活を始めた。しかし、彼らの胸には常に故郷である朝鮮半島への想いが宿り続けていた。日本という国がまだ形成されつつある時代、その根底には、失われた「伽耶」や「百済」を取り戻すという強い願望が隠されていた。

天智天皇は、ただ単に新しい京を築いただけではなかった。彼の統治の下で、大和王権は次第に「日本」という国としての形を整えていった。しかし、その目標の一つには、かつて倭人支配していた朝鮮半島南部――伽耶百済の地を再び日本の手中に取り戻すという、壮大な夢が秘められていた。

朝鮮半島に築かれた前方後円墳存在――それは倭人がその地を支配していたことを示す確かな証拠だ。前方後円墳日本発明された墓制であり、その巨大な墳墓が朝鮮半島南部にも点在している事実は、かつてその地が倭人にとっての故郷であったことを物語っている。

失われた故地の奪還――幾度かの挑戦

天智天皇時代を過ぎても、この「朝鮮半島奪還」という目標は、日本歴史の中で幾度となく浮上してきた。その後、豊臣秀吉時代には、それが現実のものとして動き始める。

豊臣秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役

秀吉は、天下統一を成し遂げた後、自らの野望を東アジア全域に広げようとした。その第一歩として選んだのが、朝鮮半島への侵攻だった。1592年、秀吉大軍を率いて朝鮮に進軍し、かつて倭人支配していた地を取り戻し、さらには中国大陸まで征服するという壮大な夢を抱いていた。

「我が倭の祖先の地、伽耶百済を取り戻す時が来た。朝鮮半島は、我々日本人の手に再び戻るべき土地である

秀吉のその言葉には、単なる領土拡張を超えた、失われた故郷を取り戻すという深い信念が込められていた。だが、朝鮮戦役は厳しい抵抗に遭い、秀吉計画は失敗に終わる。朝鮮半島の奪還は成し遂げられず、秀吉の死をもって日本軍は撤退余儀なくされた。

しかし、この「朝鮮奪還」の試みは、単なる軍事的野心の産物ではなかった。それは、古代から続く日本人の潜在的な願望――かつての倭人領土である朝鮮半島南部を再び自らの支配下に置くという、宿命的な思いの表れだったのだ。

倭寇――小規模な奪還の試み

大規模な侵攻が失敗に終わったとしても、歴史の中で日本朝鮮半島との間には、常に緊張と抗争が続いていた。その中で、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団が、朝鮮半島沿岸部中国大陸沿岸を襲撃する形で、奪還の意図を示し続けていた。

倭寇の多くは、正規日本軍ではなく、小規模な武装集団だったが、彼らもまた、朝鮮半島南部をかつての倭人の地として捉え、そこに自らの足場を築こうとした。彼らの襲撃は、単なる略奪ではなく、失われた倭人故郷を再び支配するための小さな試みの一環だったと言えるだろう。

倭寇活動14世紀から16世紀にかけて活発化し、朝鮮中国を混乱に陥れた。特に朝鮮半島南部はその影響を強く受け、倭寇侵略によって多くの地域が荒廃した。これは小規模ながらも、日本朝鮮半島との長い歴史的な繋がりを象徴するものだった。

戦前日本朝鮮半島

そして、最も大規模で決定的な奪還の試みが行われたのは、20世紀初頭の戦前日本だった。明治維新を経て近代化を果たした日本は、軍事力を強化し、再び朝鮮半島に目を向けるようになった。1905年日露戦争勝利した日本は、朝鮮半島への影響力を強め、最終的には1910年朝鮮併合することに成功した。

これにより、ついに日本はその「歴史的な故地」を取り戻すかのように、朝鮮半島を自らの領土として統治することとなる。豊臣秀吉が夢見た「朝鮮半島奪還」の夢は、この時に現実のものとなったかのように思われた。

しかし、この支配もまた、長くは続かなかった。第二次世界大戦の敗北と共に、日本朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、再びその地は遠い存在となった。

朝鮮半島南部――倭人故郷としての歴史的意義

イスラエルユダヤ人にとって失われた故郷であったように、朝鮮半島南部倭人――すなわち日本人にとっての歴史的な故地であり、その奪還は、古代から目標であった。日本前方後円墳朝鮮半島南部に点在していることも、その歴史的なつながりを証明している。これらの墳墓は、単なる埋葬の場所ではなく、倭人がこの地に深く根を下ろしていた証拠だ。

天智天皇からまり豊臣秀吉戦前日本、そして小規模な倭寇――いずれも朝鮮半島南部を取り戻すという潜在的な思いを抱いて行動していた。この「奪還の夢」は、日本歴史の中で脈々と受け継がれてきた宿命とも言える。

現代においても、日本朝鮮半島関係は複雑でありながらも、歴史的な繋がりは消えることなく残っている。かつて倭人が歩んだ地、朝鮮半島南部――それは、日本にとって単なる隣国土地ではなく、彼らの魂が宿る場所であったのだ。

2024-08-01

8時間労働という基準そもそも適当過ぎる。

8時間労働って16世紀スペインか、産業革命時代イギリス労働運動の時に決められた基準未だに使っとるんかい

しかも8時間オーバー当たり前だし。

2024-07-25

朗報黒人・弥助を神とした元ネタ論文が見つかる。

アサクリの弥助・黒人奴隷と、そこから派生したロックリー・岡美穂子両氏の言説の元ネタっぽいものを見つけたので要約しておく。

○著者:David Wright

題名:The Use of Race and Racial Perceptions among Asians and Blacks: The Case of the Japanese and African Ameridans

○出典:1998年一橋大学社会学ジャーナルhttps://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8321/

概要(俺の読解なので是非原本にあたられたし)

16世紀半ばからポルトガル人奴隷等としてかなりの数の黒人日本を訪れていた。

日本人は彼らに好意的で、彼らは尊敬対象だった。特に弥助という者について、信長厚遇した。

ポルトガル人が頻繁に黒人奴隷を献上するので、日本人も彼らを見下すようになり、明治維新の頃にはその見方が定着していた。

・というか白人との接触から日本では白い肌が美しいと言われてたけどね。(その割にはお歯黒は何故?)

・一方で、肌の黒い聖人いたこから黒い肌に対する欧米のような差別感情は持ってなかった。オランダから入れ知恵されてたのに不思議だね。

(以下開国時の話が続く)

この、「日本人は彼らを尊敬していた」「肌の黒い聖者もいた」が、ロックリー・岡美穂子両氏による「弥助は神とされた」等に変換されていったのではないだろうか。

なお、知る限り弥助を神とした、または神に近かった、神のようだったなどとする史料発見されておらず、専門家によるものでは、ロックリー氏や岡美穂子氏が述べているものがすべてのようだ。

特に八幡神は南無八幡大菩薩那須与一)で有名な武士の神であり、これになぞらえるというのはとてつもない厚遇だし、文献にも残っていると思うのだが何を根拠にされたのだろうか。

(岡美穂子氏インタビュー記事より)

信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います

https://www.cyzo.com/2021/02/post_268095_entry.html

(岡美穂子氏インタビュー記事より)

弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます

(略)

中国では「黒鬼」と呼ばれていましたが、差別的な意味だけでなく強いものに対する憧れ、神格化も含まれているでしょう。

https://books.google.co.jp/books?id=ueI9EAAAQBAJ&pg=PA45&lpg=PA45&dq=%22%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96%E3%82%82%E5%90%AB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%22&source=bl&ots=VL8Mdfp5xc&sig=ACfU3U0mVfcGBaVjLwU6pkAfd6NYXORlew&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwj1_bTS7sOHAxWrb_UHHZRqGX8Q6AF6BAgcEAI#v=onepage&q=%22%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96%E3%82%82%E5%90%AB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%22&f=false

ロックリートーマス氏によると、当時の都だった京都住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。

(略)

信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。

https://www.cnn.co.jp/world/35138192.html

追記

中国語の「黒鬼」に屈強なという意味はないのでは?

→通常の中国語ではその通りで、日本語に訳すと「黒い幽霊」といった意味合いになる。

あとは道教では鬼というのは死後の世界の人に該当するもので、鬼世界があって普通に鬼が暮らしていて鬼の役人がいたりもする。

いずれにしても中国語の「鬼」には日本のように「強い」「屈強な」という意味はない。(例えば「悪党中世)」・「悪源太(源義平)」・「悪太郎堀内恒夫)」という使い方はしない)。

なので、岡美穂子氏が「屈強な黒人」「神格化」という意味で取り上げたのは、解釈の誤りのように思う。御本人の説明を求めたいところだが。

ただ中国史については良く分からないので、昔はそういう使い方をしていたというのであれば補足よろしく

追記2

そもそも弥助ってアフリカであるとは限らないのでは?

→弥助はモザンビーク出身って記述があるんだけど、前半生は全くの不明で、岡美穂子氏が「部族闘争の結果生け捕りになった」とした根拠不明

当時のモザンビークってインド人大勢住み着いてるので、インド人とか混血の可能性は十分にある。

追記3

信長が弥助のことを大黒天(神)と思った

トップブコメにこうあったが、そんな証拠はどこにもない。

現時点ではロックリー氏と岡美穂子氏の頭の中だけに存在すると言って良い

2024-07-24

大手ニュースメディアのCNNインタビューで『信長は弥助を神だと思っていた』と語った根拠は気になる

アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、

氏が大手ニュースメディアCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国まれ武士となった』

ヤスケの仕事一族権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる

日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ

African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal JapanCNN

When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.

Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”

“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.

Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.

 

1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人ヤスケに出会った時、信長ヤスケを神だと信じました。

アフリカン・サムライ戦国時代日本伝説黒人武士ヤスケの真実物語」の著者トーマスロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。

ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります

信長ヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長ヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています

 

https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html

  

氏が出演したNHK番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う

Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS

織田信長に仕えた黒人、弥助(やすけ)。イエズス会宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア日本へ到る弥助の人生が次第に明らかにハリウッド映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000

 

なお、アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、

京都国際観光大使政府成長戦略会議委員も勤め、『中小企業であること自体特権化している』

子どもがいない専業主婦脱税と同じ・社会インフラただ乗りモラルハザード』などなど

数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷流行は)資料にかなりあるけど』らしいです

日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある

https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61

 

 

ちなみ 群馬県文書館レファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね

12 群馬県文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。

 

 栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日NHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授ロックリートーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。

https://www.pref.gunma.jp/site/monjyokan/130144.html

 

 

 

参考にしてください

anond:20240724185446

 

 

 

 

 

関連増田

 

 

 

 

 

 

 

資料が無いので、まずは黒人奴隷を連れて歩いてたカトリック宣教師の文献の確認から始めましょう。とりあえず日本人奴隷として連れてかれた記述ならすぐ確認できます』って言えば黙ると思うよ

日本黒人奴隷流行していた』からの『流行していたから連れてこられた』ってことにしたい一派が、

SNSできゃっきゃやってるのが確認できる

ちなみに、SNSでのきゃっきゃに参戦している人に、日本要職についてたり、竹中平蔵氏と共著を書いたり、

著書の中で『子どもがいない専業主婦脱税と同じ・社会インフラただ乗りモラルハザード』だと語ったり、

近々の京都での炎上事件の件で、日本アカウントに『恥を知れ』って言ってた人もいたりする

一例:

 

X民トーマス・リーの本に『日本黒人奴隷流行った』って本当に書いてある。酷い嘘だ

  ↓

『恥を知れ』って言ってた人 :それが嘘だって言うエビデンスは?

  ↓

X民:どうやって黒人奴隷を連れてくるんだよ?

  ↓

『恥を知れ』って言ってた人:無知な指摘。シルクロードも知らないのか?

  ↓

X民:【新説】オスマン帝国存在せず、シルクロード16世紀でも使われていた!大航海時代は無かった!

X民シルクロード日本黒人奴隷を送った‥?いやいや過酷ですし、コストヤバいですよ?

  ↓

『恥を知れ』って言ってた人:

 大丈夫ですか、みなさん?

 

 元の投稿では極東から云々と書いてあ

 ることに対して、私が、極東であって

 も、シルクロードでもあった様に、大昔

 から西洋東洋は繋がっている、と指摘

 した。

 

 別にシルクロードを辿ったと主張してい

 ない。そもそも戦国時代は船で来てい

 るから

https://x.com/flat0099/status/1814664578569281886?s=61

 

 

増田豊臣秀吉(キリシタン大名日本人身売買)の件は学校で習ったでしょ?

あと、彼が登り詰める前も、日本識字率は昔から低くないですし。侍の階級なら尚更ね

なんで流行してたなら資料に残ってないの?ってなるで?日本人が奴隷として連れてかれた記述は残ってるのに

そもそも欧州アメリカ大陸に売るよりも日本の方がコスパいいってどういう理屈ですか?って話よ

大航海時代に続く三角貿易も無い世界線・・・・・・歴史改竄しすぎでは?感

つか、人権がなく命が安い時代言葉が通じない奴隷を買う必要性・・・???

(その意味では、改めて日本語を解したとされる弥助は優秀な方だったよね)

 

 

  

豊臣秀吉の件はググればすぐに出てくるで

キリスト教南蛮)に関する問題

 

このような状況を憂慮し、秀吉キリスト教宣教師追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地没収された

追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国費用として米1万俵が与えられた

 

九州御国分之次第

https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585

 

 

 

どうしても、黒人売り買いしたことゼロではないはずだ!!!!って言いたい人向け

こういえば、単なる事実として受入れられると思うよ

戦国時代、確かにキリスト教徒は多くの日本人を性別関係なく奴隷として連れ去った

しかし、たとえ一人でも、当時の日本人が黒人奴隷を売買していたとすれば、それは悲しい事実

現代ではすべての人の人権が守られ、正当に実力が評価される社会を目指すべきだし、

自分が出来ることをしたい

 

 

 

参考になりましたか

anond:20240724065503 anond:20240726154243

 

 

 

関連増田 

 

 

 

 

 

 

2024-07-23

アサクリ シャドウズ が燃えたのは、誤訳ではなく燃えるなりのことをしたから。別にフィクション満載で主人公日本人以外の人種にも出来て同性愛描写もある 『Rise of the Ronin燃えてませんけど?

弥助の出身部族カトリック宣教師同性愛に寛容だった可能性はほぼゼロと言って良いが、まぁ、いまは16世紀ではなく、21世紀2024年ですから

弥助も出てくる仁王のコエテク現代的な時代劇(フィクション)として『Rise of the Ronin』(PS5独占タイトル)出してます

 

ほんで、『Rise of the Ronin』の主人公キャラクターは様々な人種に設定できるし、劇中で同性との恋愛イベントもあるわけなんだけど、別に批判はどこからも出てないのよね

それは、極めて現代的な見た目のデザインからしてフィクションとわかるのはもちろんのこと、

開発者歴史的正確さについてアピールしてない上に、ゲームを始める前にも念押しで下記のように出るから

 

『本タイトル日本史実から着想を得たフィクションです。
ゲームを通じて歴史上の人物出来事を描いていますが、 本タイトルの開発、販売に携わったチームの思想価値観を表すものではありません。』

 

 

アサクリでもちゃんと似たような文言は出るもん!!!って言うけど、Rise of the Ronin と アサクリ シャドウズ が違ったところは、

何故か BBC などのニュースメディアXbox や 各種ゲームメディアインタビューで『なろーじゃぱんです!』アピールではなく、

下記のように言って回った事に尽きるよね

 

日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した>
実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いているので、封建時代日本舞台ゲームを楽しみながら、この素晴らしい時代について学ぶことができます

 

言って回ってることが確認できる一例:

Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC

https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo

 

アサシン クリード シャドウズ』は、2 つの異なる体験をどのように融合させたのか|Xbox Wire Japan

https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/

 

ゲームメディアインタビュー(非日本向け)でも、『誠実で敬意持ったものです』とアジアン(おそらく日系人)に言わせていることも確認出来るで

Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan

https://youtu.be/0haRi_hHZoU?t=853

明らかさまに間違えてる日本風習やデザインを止められなかった、団体文化財の無断利用・利用料無視の件を見るに、

本件もアジア人蔑視かな?以外の感想は持たないけどな

 

あと首云々もひでーわな

It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)

 

I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.

So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.

 

私たち場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。

ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現オフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現オフにしたり、切断などの表現オフにしたりすることができます。これは、むしろその時代日本戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首日本では珍しい光景ではありませんでした。

https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview

 

わかりましたか

anond:20240723220837 anond:20240724014155 anond:20240724022429 anond:20240724081654 anond:20240724081126 anond:20240723184517

anond:20240724125807 anond:20240724093221 anond:20240726204454

 

  

 

 

関連増田

 

 

 

 

 

 

 

アサクリ シャドウズ の 弥助 は、”ゲイ”

Assassin’s Creed Shadows Launches November 15, Features Dual Protagonists in Feudal Japan | UBISOFT

Naoe and Yasuke’s disparate personalities also lead them to have different relationships and rapports with other characters, and they don’t always feel the same way about people, nor do people always feel the same way about them. Romantically, they will also attract and be attracted to different types of people. Through the pair, players will get to experience a multitude of relationships.

(ナオエとヤスケの異なるパーソナリティは、他のキャラクターとの関係交流にも違いをもたらします。彼らは常に同じように人々を感じるわけではなく、人々も常に彼らを同じように感じるわけではありません。ロマンチックな面でも、彼らは異なるタイプの人々を引き付け、また引き付けられます。この二人を通じて、プレイヤーは多様な関係体験することができます。)

 

ここだけ見れば、Naoe は女性で Yasuke は男性からキャラごとに恋愛イベント(ロマンスイベント)が異なるよとも読めなくもないが、

ストレート場合はわざわざ言及しないよな?同性のキャライベントオプション選択肢がある時にぼかして言及するよな?

つか、UBIの以前のゲームもそういうオプションあったし・・・って見方が多い模様

(※ 追記ゲームニュースチャンネルインタビュープロデューサー同性愛オプションあるよって答えてるみたいね) 

 

 

下記で検索して英語サイト見てみ

Assassin’s Creed Shadows gay もしくは Assassin’s Creed Shadows LGBT  

 

その中で

Assassin’s Creed Shadows: Ubisoft Hires LGBTQ+ Activist As Consultant Who Wants To Challenge Moral Standards Around “Transgenerational Sex

(アサシン クリード シャドウズ:ユービーソフト、「世代セックス」に関する道徳基準に挑戦したいLGBTQ+活動家コンサルタントとして雇用)

・・・と言うのがあって、外見やお名前から日系人かなぁって方が出てくるんだけど、日本文学研究家でお稚児さん関連の本出してる人らしい

 

何故、この方を アサクリ シャドウズ の歴史考証のスペシャリストとしてチョイスしたのかは謎だが、

とりあえず、彼女ゲームメディア IGN の YouTube 動画 (Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan)の中で、

『必ずしも歴史的正確さに基づいているわけではない』ってちゃんと言ってるわな(https://youtu.be/0haRi_hHZoU?t=853

 

ただ、『誠実で敬意持ったものです』とか言いつつ、明らかさまに間違えてる日本風習やデザインを止められなかった、団体文化財の無断利用・利用料無視の件を見るに、

本件もいつものアジア人蔑視かなって感想しかでない

(ハイブランドアジア人蔑視のヤベー広告炎上したよね、Valentino、D&G、DIORとか)

  

つか、日本には『異世界』とか『なろーっぱ』とかい伝家の宝刀がありましてな、『なろーじゃぱん』だぞって言えば歴史考証する必要無かったのになぁ感

それをしないのは、映画でも伝統的にそうだったように、『ジャップランドはどんな風に書いてもOK』っていう白人様の意識がおそらく強過ぎるんだろうな

 

 

あと、弥助の出身部族カトリック宣教師同性愛に寛容だった可能性はほぼゼロと言って良いが、まぁ、いまは16世紀ではなく、21世紀2024年ですから

弥助も出てくる仁王のコエテク現代的な時代劇(フィクション)として『Rise of the Ronin』(PS5独占タイトル)出してます

 

ほんで、『Rise of the Ronin』の主人公キャラクターは様々な人種に設定できるし、劇中で同性との恋愛イベントもあるわけなんだけど、別に批判はどこからも出てないのよね

それは、極めて現代的な見た目のデザインからしてフィクションとわかるのはもちろんのこと、

開発者歴史的正確さについてアピールしてない上に、ゲームを始める前にも念押しで下記のように出るから

 

『本タイトル日本史実から着想を得たフィクションです。
ゲームを通じて歴史上の人物や出来事を描いていますが、 本タイトルの開発、販売に携わったチームの思想価値観を表すものではありません。』

 

 

アサクリでもちゃんと似たような文言は出るもん!!!って言うけど、Rise of the Ronin と アサクリ シャドウズ が違ったところは、

何故か BBC などのニュースメディアXbox や 各種ゲームメディアインタビューで『なろーじゃぱんです!』アピールではなく、

下記のように言って回った事に尽きるよね

 

日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した>
実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いているので、封建時代日本舞台ゲームを楽しみながら、この素晴らしい時代について学ぶことができます

 

言って回ってることが確認できる一例:

Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC

https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo

 

アサシン クリード シャドウズ』は、2 つの異なる体験をどのように融合させたのか|Xbox Wire Japan

https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/

 

 

まぁ下記の日本ことわざがあると主張する歴史改竄の一派か(アサクリ以前から歴史改竄やってる https://anond.hatelabo.jp/20240722235805#)

"For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood "

(侍が勇敢であるためには、少しの黒人の血を持っていなければならない)

 

ジャップランドはどう扱ってもいいと考える人差別主義者の作品なのかと懸念するのは、正常なことに思えます

(そもそも日系人っぽい人や日本いたことがある人が監修に参加してるのに、あからさまに間違ったままなことについても、

EXPO市販されているゾロの刀を何故か展示してたことについても、文化財無駄借用についても説明無し)

 

これ欧米だけで出した方がいいと思うけどなぁ、熱心なUBI信者以外は誰も買わんのでローカライズ費用無駄だと思う

 

 

 

追記ゲームニュースチャンネルインタビュープロデューサー同性愛オプションあるよって答えてるみたいね

We Got Good & Bad Assassin's Creed Shadows

https://youtu.be/ppkztU_1Y4U?t=18 

 

アサクリ シャドウ関係ない話

アサクリに関係ない話です

いろいろ見て回ってたら腐女子についてこう書かれてたよ。なんかいっちょがみするの好きな増田ブクマカを兼ねてる増田腐女子だと思うんだけど、

こういう認識持たれてるみたいなんで、お行儀よくしましょうね(基本的対象キャラ未成年だしな)

What? A homosexual pedophile? SO surprised.

(何?ホモ小児性愛者?とても驚いた)

No, just a runaway fujoshi with a shotacon fetish trying to legalize it.

(いいえ、それを合法化しようとしているショタコンを持つ暴走腐女子だけです)

anond:20240723125231

前提知識として

ポルトガル15世紀から黒人奴隷貿易で巨額の利を得てたし、16世紀とか奴隷争奪戦始まってたレベル

イエズス会自体は表向き奴隷所有を認めていないので、弥助自体身分上は奴隷ではなかったはず(献上されちゃう時点で実質はアレだが)

日本でも表向き奴隷は認められていなかったが人身売買は盛んだったし実質は()

ロックリーの他の捏造創作はともかく、

イエズス会が連れてきた黒人奴隷ではなかったが、日本では奴隷として売られただろう」が「黒人奴隷日本起源説」として海外で受け取られてしまう!はさすがに無理があると思うんだけどね。

ネットで暴れてる人は①も③も知らないか無視してて、海外からも①知らないで変なカンチガイしてる人がサンプルとして提示されてくるので、まあ止まらないよね。

2024-07-12

Thomas Lockley Author

2020年3月23日

荒廃した世界で苦しんでいるすべての人へ

アフリカサムライ人生から学んだ教訓。

これは私たち時代には前例のない状況です。私たち私たち愛する人たちの多くにとって、フラストレーション、痛み、苦しみ、そして最終的には死の時代です。先進国特にその富裕層は、最近世代を通じて比較スムーズ生活様式とより良い生活水準に慣れてきました。

これは歴史的な標準ではありません。

人類歴史を通して、私たち時代はほんの一瞬です。99%の人間は、自然災害医療の欠如、食糧不足、または紛争とそれに伴う病気飢餓奴隷制などの悲惨から、混乱した、短く、しばしば残酷人生を送ってきました。

ヤスケの人生はそのような人生でしたが、彼はそれをうまく生きました。

彼は少年時代家族から引き離され、両親が虐殺されるのを見たかもしれません。

彼は十代の頃、残酷な扱いを受け、少年兵プロ殺し屋として訓練された。

彼の人間性がこれを乗り越えたことは、彼の生涯に関する歴史的記録に明らかであり、私たちが彼を人間として尊敬する理由さらに与えてくれる。

彼は雇い主によって16世紀日本戦場に連れて行かれ、現代ほとんどの人が考えられないような危険を冒すことを求められていた。

1581年、日本中央地方を巡業していたとき、彼は暴徒に襲われ、暴力で死にそうになった。他の人々はそれほど幸運ではなく、黒い肌の神だと信じていた男を一目見ようと騒ぎ立てる群衆に押しつぶされて死んだ。

その後15か月間、彼は2回、あるいは3回も戦争に行き、戦闘忍者対峙した可能性があり、何千人もの虐殺された民間人や焼け落ちた集落、致命的な病気死体をむさぼり食うカラスに遭遇したことは間違いない。

知られている最後の戦いは、13,000対30の戦いで、彼は主君切腹に立ち会い、切り落とされた首を主君の息子に与えた。主君の息子は、父の首が差し出された1時間後に非業の死を遂げた。弥助は屈辱を受け、敗北し、歴史から消えた。彼の日本一族はほぼ消滅した。彼の財産地位永遠に失われた。

それは混乱と危険苦痛人生だった。おそらく、ここ数週間、数か月の間に私たちの多くが突きつけられた人生と似ているだろう。

しかし、私たちは、弥助がユーモアがあり、礼儀正しく、行儀の良い人物として同輩から見なされていたことを知っている。他の人から尊敬される人物であり、450年経った今でも尊敬されている。彼は悲劇的な若さにもかかわらず、自分運命自分で切り開いた人物だった。彼は、地球の反対側で自分の居場所を見つけ、運命が与えてくれたわずかな可能性を掴み、誰も想像できなかった輝かしい人生を切り開いた男だった。少なくとも、彼自身は。

彼の苦しみの果てには、輝く不滅の光があった。彼は日本で愛する家族と安らかに余生を過ごしたとさえ考えられている。

今日、彼の人生記憶に残り、世界中の多くの人々にとっての道しるべ、いや英雄と見なされている。私たちの中に、このような偉業を夢見ることができる人がどれだけいるだろうか。

これから数週間、数ヶ月、私たちはみんなヤスケだ。私たち危険で死に至る世界を切り抜け、全力を尽くしてそこから抜け出さなければならない。

ヤスケがしたことをやろう。

家族愛する人安全のために、必要リスク以外は、愚かなリスクを冒さないように。

医療専門家や熱心な公務員アドバイスに従ってください。

自分の再選だけを気にする利己的な政治家アドバイス無視してください。

ヤスケになりましょう。生き残りましょう。 向こう側までたどり着いた人になりましょう。

アフリカサムライ

https://www.facebook.com/AfricanSamuraiYasuke/posts/pfbid02VjiXjiowvtvPLBxTbLhD6rmp3E8uzgUMDnjyfbrW7K76xy3PsaoX589hUuEPdvmrl

2024-06-30

「retard」の面倒な歴史

「retard」の語源ラテン語の「retardare」に遡る。この言葉16世紀から英語使用され始め、

当初は「遅らせる」「遅延させる」といった一般的動作状態を表す動詞として用いられていた。

19世紀後半から20世紀前半にかけて、「retard」は医学教育の分野で「mental retardation」(精神遅滞

という専門用語として使用されるようになった。しかし、1960年代から状況が変化し始める。

「retard」や「retarded」に侮蔑的意味を持たせて使用する人々が増加したのだ。

同様の現象日本語の「池沼」という言葉でも起こった。

このような使用法の広がりにより、1980年代以降には「retard」とその派生語が差別的表現とみなされ、

公の場で使用することが適切でなくなった。

しかしながら、現代でも「retard」は特定の専門分野で元来の意味使用されている。例えば、

航空業界では着陸時の機首上げ直前に「減速する」という意味で使われ、自動音声システムがそのタイミングを知らせているのである

YouTube飛行機の着陸シーンが誤ってBANされた事例があったが、これはAIが「retard」という言葉不適切ものとして検知したためと考えられる。

結論無能で十分説明されることに悪意を見出すな

2024-05-05

anond:20240505030127

ユダヤ教キリスト教イスラム教は、いずれもアブラハム共通の祖とする一神教であり、それぞれが独自歴史的経緯教義を持っています

ユダヤ教紀元前13世紀頃、預言者モーセによって確立されたとされ、旧約聖書に記された神との契約に基づく宗教です。

キリスト教1世紀イエス・キリストの教えに基づいて生まれ新約聖書に記されたイエスの生涯と教えが中心です。

イスラム教7世紀預言者ムハンマドによって創始され、コーランに記されたアッラーの啓示が中心となっています

カトリック教会は、初期キリスト教から発展し、ローマ帝国公認宗教となった後、西ヨーロッパで中心的な役割果たしてきました。

しかし、16世紀になると、教会の腐敗や聖書解釈に対する異議が高まりマルティン・ルターによって宗教改革が起こされます

ルターは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人の司祭職」という原則を掲げ、これに賛同した人々がプロテスタントと呼ばれるようになりました。

ルター宗教改革は、カトリック教会から独立と新しい教義確立をもたらし、プロテスタントの多くの派が生まれきっかけとなりました。

プロテスタントの中でも、ジャン・カルヴァンの教えは特に影響力があり、彼の予定説職業倫理商工業者に受け入れられ、西ヨーロッパ経済発展にも寄与しました。

また、イングランドでは国王ヘンリー8世宗教政策により、カトリック教会から独立したイギリス国教会が成立しました。

これらの動きは、ヨーロッパ宗教地図を大きく変えることになり、宗教戦争や国家間政治的対立にも影響を与えました。

anond:20240505030127

時系列めちゃくちゃじゃねーか

イスラム教の成立は7世紀。だから中世十字軍をやってたんだよ。そしてイスラムの成立・発展の理由キリスト教の腐敗ではない。その時期はキリスト教がそれまでの国教化と勢力拡大に伴う解釈分岐統合する教義論争が盛んで、三位一体説などの複雑怪奇教義が正統として定められていった。異端審問・魔女狩りの時期はもう少し先だが、それに向かっていく厳格化の時期だ。だからこそ、教義単純明快イスラムが広まったんだよ。

プロテスタント16世紀だ。そしてプロテスタント自由だ退廃的だなんてのは真逆で、プロテスタントの方が戒律に厳しく、腐敗していたのがカトリックだ。だいたい免罪符を引っ張ってくるならそれを批判するプロテスタント自由で気楽で退廃的なわけがないと分かるだろう。単純な知識だけでなく論理的思考すら欠けてるぞ。

2024-01-29

anond:20240129011301

( ^ω^ )

現代に続くハイヒール起源の説はいくつかあり、定説は定まっていない。

紀元前400年代アテネで、背を高く見せるハイヒール遊女間に流行した。これは男性も履いていた。

15世紀からイタリア、及びスペインで、チョピンというファッションオーバーシューズ貴族女性や高級娼婦流行する。

16世紀末に欧州現代に続くハイヒール生まれる。

町に溢れる汚物を避けるために生まれたという説もある。

ルイ14世は背を高く見せるために愛用していたなど、前近代から近代初期にかけては男女を問わず履かれていた。しかし、ナポレオン戦争が始まり各国で国民軍が創設されると、戦場を駆け回るために男性機能的な靴を選ぶようになったため、ハイヒール女性の履物と見なされるようになった。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB

2023-11-09

anond:20231109211402

さまざまな言語的および文化的理由により、日本語西洋人にとって習得が困難でした。 16世紀ヨーロッパ宣教師は、日本語微妙さにイライラした最初外国人の一人であったが、決して最後外国人の一人ではなく、日本語を「悪魔言語」と呼んだ。 それ以来、多くのヨーロッパ人やアメリカ人が彼の意見同意するようになりました。

https://www.nsa.gov/History/Cryptologic-History/Historical-Events/Article-View/Article/2740656/linguists/

2023-10-01

anond:20230930194443

イギリスでは初めて黒人イギリス本土の土を踏んだのは第二次世界大戦後みたいな通説もある)

 って、本当かよ。日本ですら16世紀中に少なくとも一人は黒人が定住していたことがわかっているのにな。

2023-06-20

anond:20230620180052



この後の混乱を制すれば勝ち目あり。

2023-04-27

デカルトに学ぶよく生きる方法

私は哲学徒としてかなり落ちこぼれだったが、学んできた中で印象的だった哲学者が何人かいて、そのうちの一人がデカルトである

デカルトの最大の功績は、「世界共通理解を作った」事にあるんだよと私は習った。つまりそれは、cogit ergo sum,我思う前に我ありにあたるわけだが、この「世界共通理解」とは何か?

それは、どのような考え方を持っていたとしても、どのようなバックグラウンドであるとしても、人類皆んなが普遍して持てる考え、であるデカルト場合は、16世紀当時、「神は本当にいるのか? いないのか?」みたいな事を真剣に話している知識人たちの中で、こうした考えを打ち立てた(どんな考えであろうとも、共通して持てる考えとして)。

これは現代でも、特に人とコミュニケーションをとる時に私がおりに触れて思い返す概念だ。

人とコミュニケーションをとる時に、「相手との共通理解は何処まで出来ているのか」と考えてみる。そうし始めてから、格段に仕事がやりやすくなった。

こうする事で、行き違いが格段に減る。こっちはこうだと思ってたのに、とか、あっちは違うことを想定していた、とかがグッと減る。この共通理解を埋める、双方で同じ土台を作るためには、相応のコミュニケーション的手間が生じる。そういう手間を惜しまないようにする事が、自分にとっては大事な事だった。

現実世界を生きていると、この「共通理解」の概念がすっぽり抜けている人に沢山会う(というかほぼ全員)。つまり自分にとっての常識が他の人にとってもそうだ、というのを全く疑ってかからない人たちだ。ネットにも沢山いる。

そりゃあ、そんな人たちで話し合ったりしたら、トラブルも起きます精神疲弊しますよね、と思う。

確証バイアスという言葉があり、それは、人は自分の見たい情報だけ見てしまって、自分にとって都合が悪かったり、或いは興味を持っていなかった情報に関しては、見たい情報そばにあって、見ているのにも関わらず、そもそも「見ていない」と認知の歪みが発生してしまう、という概念だ。

共通理解を怠らない、という事は根本的であり、ある意味他者理解するとは何か、という壮大なテーマに関しても、重要示唆を与えてくれる。

2023-04-21

anond:20230421153533

1世紀の大プリニウスは、『博物誌』の中で、カエサル名前の由来をこう記している。

Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati.(母の死によって産み落とされるとより幸運である。そのようにして生まれた初代のスキピオアフリカヌスのように、また母の子宮を切ったことによってそう呼ばれた最初カエサルのように。また同じ理由でカエソもそう呼ばれる)

— 大プリニウス、『博物誌』第7巻 9章 47節

カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタに宛てた書簡存在することから、実際にカエサル帝王切開で生まれ可能性は極めて低い。また、カエサル家はカエサルが初代ではない。

7世紀スペインイシドールスによって記された『語源』では、因果関係が逆転して記されている。

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマ貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

— イシドールス、『語源』第9巻 3章 12

イシドールスによる『語源』は後世に典拠として採用されることが多かったため、caesarという単語は、本来意味と誤りを含んだ由来を併せ持ちながら、16世紀以降成立した帝王切開技術を追うように、ラテン語のsectio caesareaという名称へと結び付いたと考えられる。

このあたりの話じゃないの

anond:20230421002026

元増田説明が混乱気味なので整理しとくわ。

古代ローマに「Caesar」という男がいた。

言わずもがなカイザー帝王)」という言葉の由来になった偉人ユリウス・カエサルである

さて、カエサル時代から100年後くらいに大プリニウスという有名な学者が「カエサル母親の子宮を切って生まれたかカエサルって呼ばれたんやで」と説明した。

これは、「Caesar」という名前ラテン語で「切る」を意味する「caedere」の過去分詞「caesus」に由来している、という意味である

ただし現在ではこの説は間違いとされており、正しくは「青みがかった灰色」を意味する「caesius」に由来するのではないかと言われている。

なぜ間違いとされているのかと言えば、カエサルが生まれたあともカエサル母親が生きていたかである

この当時の「子宮を切る」とは、出産の近い母親が死んだあとに胎児だけ取り出す、というような手術のことであって、現代的な帝王切開の手術ではなかった。

現代的な帝王切開の手術が確立されたのは時代が飛んで16世紀に入ってからである

まあ確立されたと言っても当時は消毒法や輸血すらないので母親の死亡率は非常に高かったのだが。

そして、その手術を呼称するにあたって、(現代でもそうだが)医学用語にはラテン語が使われていたので「sectio caesarea」という言葉が作られた。

そういう意味では「sectio caesarea」というのは後世の造語だったわけだ。

じゃあ、その「sectio caesarea」の由来って何?という話になるが。

そもそも母親の腹を切って生まれ子供」が「caesar」と呼ばれていたらしい。

まり、そういう子供(caesar)の切除手術(sectio)だから「sectio caesarea」とされたのではないか、と考えられる。

じゃあじゃあ、なぜ「母親の腹を切って生まれ子供」が「caesar」と呼ばれていたのか?

ここで複数の説が登場する。有力なものは以下のとおりである

  1. ユリウス・カエサル母親の腹を切って生まれたか
  2. ラテン語で「切る」を意味する「caedere」の過去分詞「caesus」に由来している
  3. ローマ帝国法律Lex Caesarea = Imperial Raw)に「妊娠中の女性が死んだら胎児を取り出すべし」というものがあったか

1については、

先述のとおり大プリニウスの時点で「カエサル母親の腹を切って生まれた」という俗説は広く流布されていたので、

史実カエサルが本当に腹を切って生まれたかどうかにかかわらず語源説明にはなっている。

んで、その大プリニウスが「カエサル名前の由来はラテン語の『caesus』だよ」と言っているわけだから

カエサル母親の腹を切って生まれた」説を信じるなら自動的に2の「caesus」説も採用されることになる。

まり1と2はどこまで遡るかの違い、あるいは前後関係の違いにすぎない。

3は語源としてはやや強引な印象を受けるが、

いずれにせよ「Caesarea」が「帝国」という意味であるなら、それはユリウス・カエサルに由来していることになる。

結局、どの説もやんわりユリウス・カエサルに繋がっているので、

訳語が「Kaiserschnitt」だろうが「帝王切開」だろうがええんちゃうのという話なのだった。

anond:20230421074303

当時の帝王切開は死亡した母から胎児を取り出すものであり、帝王切開妊婦生存した記録は16世紀ごろまでなく、カエサル母親カエサル誕生後も生存していた記録があるから

2023-04-13

アムウェイの抱える問題についてワイが好き勝手書く

自称連鎖販売取引についてちょっと知ってるレベルのワイが、ここ数日世の中をざわつかせている話題について酔った勢いでササッと書くで

まずは結論から言うと、

アムウェイみたいなビジネスモデルは、日本社会価値観と致命的に相性が悪い」

ってところに行き付く

そのためには会社バックグラウンド説明せなアカンのやけど、

本家アメリカアムウェイ社は1950年代に二人の若者によって設立されたんや

当時はテレビ放送の普及とモータリゼーションの進行によって、市民広告を目にする機会が激増した

そこで各企業は大物有名人を起用した広告を打ちまくった

そんな中で新興企業が同じことをやっても、とてもじゃないが敵わないと判断した米アムウェイ社は、

ユーザー口コミ販路を広げていく」スタイルを取った

結果的にこれは大成功し、特にアメリカでは優良企業の一つとして扱われている

NBAオーランド・マジック創業者の一人がオーナーやったし(数年前に死去し、現在は子孫がスポーツ関連会社を作って受け継いでいる)、

本拠地ネーミングライツを取得してアムウェイセンターって名前になってる

そのくらい有名な会社

で、こんだけの会社がなぜ日本メタクソ叩かれてるかというと、

さっき言った「口コミ」に原因があるとワイは考える

ここまで読んで、もう既に気付いている人も多いかもしれんが、

アムウェイ販路の広げ方って、

キリスト教伝道」とほぼほぼやり方が同じなんや

それは米アムウェイ社のもうひとつの背景に起因するんやけど、

この会社ガチガチキリスト教保守派共和党支持なんよね

本社保守層の多いミシガン州にある

せやからアメリカ国内でも民主党リベラル派とか、マイノリティ層なんかには嫌ってる人も多いわけ

キリスト教教義に基づいた人道支援活動に力を入れてる面もあるから、一概に悪いとは言えないんやけどな

(渋谷にある日本アムウェイ本社ビルも、渋谷区の災害緊急避難民受け入れ所として登録されてるし)

じゃあ、話を日本に戻すけど、

日本キリスト教が伝わった16世紀や、キリスト教禁止が解かれた明治初期に、

日本布教活動を行った伝道師たちがどんだけ苦労をしたかは、もはや説明する必要が無いくらいやな

ずっと昔から敵対してたイスラム圏を除くと、ここまでキリスト教の教えが浸透しなかったのは、世界でも日本はじめ数えたほうが少ないくらいやし

(欧米諸国植民地化されなかったというのもあるにせよ)

しかクリスマスハロウィンだと、祭りみたいなオイシイところだけ文化の一部として普及し、

結果的にはイエス八百万の神の一柱として取り込まれしまう有様や

(クリスチャンの方には申し訳ない書き方やけど)

そんな日本で、キリスト教伝道っぽい手段で何かを広めようとしたらどうなるか?

言うまでも無いわな

しかビジネスから、金に目がくらんだ連中が集まるわけや

その結果、黒いやり方に手を染めてでもどうにか金を稼ぎたい、ということになる

つまるところ、日本でこの会社ビジネス継続するためには、

何かしら日本向けにビジネスモデルを再構築しなければならない段階まで来ているのではないか

というのがワイの意見

最後に、悪質な勧誘を受けた場合防衛術やけど、

消費者庁に連絡するのは勿論効果があるんやが、

悪質な会員には会社サイドもかなり手を焼いているようなので、

アムウェイお客様相談窓口にその会員の氏名(と分かれば会員番号も)を密告するのが一番手っ取り早い

そうすると会社側で会員資格剥奪なり何なりの処分をしてくれるはず

今回の行政処分で内部的には相当ナーバスになってるはずやから

もしその先にビジネス関係なく嫌がらせだ何だをされるようであれば、そこから警察の出番やな

以上、親がアムウェイ馬鹿を見たワイが個人的に調べて好き勝手書いた結果や

あとは好きに議論してくれ

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