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はてなキーワード: 日常生活とは

2024-03-27

anond:20240327125319

日常生活に支障が出ているならそれは病気ですよ。支障がないというならクチャラー文句を言うのもやめましょう。

2024-03-26

anond:20240325231500

強迫症やな。自分も同じ病気からわかる。

髪や体を4時間近く洗って



これがよく分からない。髪が長いと洗うのも大変だし頭が重いし日常生活でも邪魔でしょ。

自分も3年くらい美容室に行けないときがあったけど、風呂場で自分で切ってたよ。YouTubeセルフカット動画を参考にして。

男性ならバリカンさえ買ってしまえば女性よりセルフカットは楽なはず。髪を伸ばすことに「こだわり」があるの?

自分は2年近く髪も切れておらず髪が胸の長さまで伸びて



あとさ、引きこもり家族とも碌に口をきかない関係ならコロナ感染リスクいかワクチンを打つ意味まりないと思う。

これから引きこもりをやめて就職活動を始めるからワクチン接種しておこうとか、そういう理由もなさそうだし。

行動のすべてがチグハグな印象。

接種の準備を割としたのに最後最後で徒労に終わった。

ワクチン接種とかコロナウイルス感染とかどうでも良くなった。ましてや自分人生も。

全てがどうでも良くなったことを今回のミスのせいにしてるけど、今回の件に関わらず、髪すら切らず仕事もせず中卒で引きこもってる時点でもう全てがどうでも良くなってるやん。精神科には通院してんの?

2024-03-24

anond:20240323222242

トランス女性女子スポーツ参加や女子トイレの利用に肯定的立場を支持する論理はいくつかあります。まず第一に、トランス女性は自認する性別と同じ権利を持つべきであり、その権利の一つが同じ性別の人々と同じ環境運動日常生活を送ることです。このような包括的アプローチは、トランス女性心理的幸福感と自己実現寄与します。さらに、トランス女性女子スポーツに参加することは、彼女たちにとって重要健康上の利益をもたらす可能性があります運動健康的な生活を支え、自尊心社会的結びつきを促進するため、トランス女性が適切なスポーツ環境活動することは、その健康幸福にとってプラスに働きますさらに、トランス女性自分自身安全かつ快適に感じる場所トイレを利用できる権利を持っています性別に関わらず、個々のプライバシー安全尊重することは、人権尊厳基本的原則です。トランス女性女子トイレを利用することを認めることは、彼女たちの人権を守るだけでなく、社会全体の包摂的な価値を示すものです。

2024-03-22

もうこれ以上便利にならなくてよくね?

日常生活技術進歩は一旦ストップして、超伝導体とか宇宙の方に全振りしていいよ

海外戦争にいちいち心を痛めて日常生活に支障をきたすようでは精神障害者と分類される

世間悪人で成り立ち悪人が健常である

しかし、阿弥陀如来様は悪人の我々にも救いの御手を垂れたもうてくださるのである

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

anond:20240322110256

常識が無いことがって言うか、家事を手伝わせなかったか日常生活常識が身につかなかったことが問題やな

才能の民主化完全に理解した

 「生成AIによる民主化」を叫ぶパブコメが公開されて話題を呼び、「それは民主化ではなく共産化」という理解が急速に形成されている。この「民主化」という概念は何も9段の人物が考え出したものではなく、海外の生成AI議論特にイラスト関連の議論では頻出の概念であり何らかの生成AI推進過激派共通認識だが、一方で「共産化」は少なくとも増田寡聞にして知らぬ。では、この「才能」の「民主化」とは何なのか? 恐らく国内理解されている形では「極一部の『絵師』と呼ばれる特権階級が、生まれながらに持っている、『絵』を生成する技術」を「広く一般が使えるようにする」こと、だろう。

 Financialization(金融化)という概念がある1980年代から汎ゆるもの金銭価値に換算する動きが加速し、万物通貨によって交換できるようになる一方で、金融分野に加速度的に富が集中するようになってしまったとか、そんなような話だ。まあ安っぽいネオリベラリズム批判一種と思って構わないが、このあらゆるもの金銭価値と拡大の速度、加速度で考えるというプロ倫の延長線上にある思想米国では広く一般に浸透している。

 だから二次元業界も当然この金融化の対象として、森羅万象を四半期指標の伸びとして変換すべしという思想の中で解釈される。このものは素晴らしい、だから儲けを加速しなければならない、という自然な発想がある。二次元イラスト業界金銭的な側面で発展させようという試みは、2010年代を通じて諸外国で繰り返されてきた。無断転載で客を集めた後、批判を浴びて版権元と交渉しようとした漫画村事件もその一部だし、同人誌代理購入や転売が行われたり、無断翻訳グループや各種の転載サイトの有料サブスク販売されたりとか、仮想通貨イラスト作家を巻き込む動きも見られたし、画像ファイルを集めて転売するとか、無料3Dデータを改造して勝手に売るとか、あるいは無料転載して名を上げるとか、色々な試みがあった。個々の作家に対してあなた作品もっとビッグな儲けに繋がる、価格を上げるべきだ、販売数を増やすべきだ、出版が難しければ顔だって繋ぐ、といったオファーが野放図に撃たれることもあった。

 そのいずれにも日本漫画業界イラスト作家コミュニティは乗らなかった。日本は強固な「非営利業界」を維持してきた。

 日本人は日本二次元業界が作り出すソフトパワーをまったく過小評価している。増田はある時、海外イラストレーターが何だかソフト互換問題で揉めている所を見たことがある。PSDはPhotoshopから出力されるとは限らない、俺はKritaを使っているし現場によってはCSPを使っているとか、どうだかだった。お前らはCSPが何のことか分かるか? Clip Studio Paintだ。増田にとってこれはちょっとした衝撃だった。まったくのサプライズド・ピカチュウだ。分かるか? 国産商用ソフトウェアがイラスト制作ソフト世界御三家一角を固めていて、Adobe三位なんだぞ。「日本にはジョブズが生まれない」?「日本製のソフト通用しない」? いや、増田自身普段はこれを言う方なのだが、それでもだ。かつてはbukkakeが世界一有名な日本語だとか、不名誉で恥ずかしいとか言われたものだが、今では所によってはblack company、mesugaki、menhera moveですら通じる(最後はどこかの初号機の貢献だ)。

 そして、この継続的世界投射される存在感、その非営利思想(と、その裏でちゃんと行われているアニメガチャゲー課金としての回収)は、思想的に原理主義的な低位のレイヤーにおいて、世界的に反発と軋轢を生み続けているのだ。

 もう一つ説明すべきことがある。共産化とは何なのか? 帝政ロシア末期のそれにしろ中国のそれにしろ共産主義革命とは、力を持たない民衆が団結し、腐りきった既存体制を打破し、特権階級が貪る既得権益破壊し、人民還元する、という建前で行われる営為だ。実際にはこの「特権階級」は中流層以下を指し、既得権益とは単に日常生活を指す、ということはまともな人間なら皆知っているだろう。高級な壺を割り水道破壊公共施設を打ち壊し電線を鋳潰し、全てを焼き払ってゴミにするのが共産化共産主義革命である社会破壊して所有の概念を、いや「社会」と「モノ」という概念の終了を目指すのが共産主義である

 この「才能の民主化」と「それは共産化である」という批判はこれらを踏まえて解釈されなければならない。

 「民主化」による恩恵を得るのはお前らではない。「お前ら」というのはブクマカ増田のような言葉を持つ人間だけに限ったものではない。日本人ではない。ここまで書いてきたように、いま、諸外国には、日本(または中韓台を含む極東アジア)人は二次元イラスト業界特権的地位を得、極端なダンピングと異常な反成長主義を敷いている、という怒りがある。その怒りの文脈において、日本人は全て二次元の絵を生成し享受できる特権階級であり、才能の共産主義革命において虐殺される対象である。⑨段のパブコメを書いた「生まれつき手が震えて線が引けない」者など同情に値するわけがない。絵の金融化、イラスト市場資本主義的成長を阻害してきた旧来体制を賛美する、唾棄すべき特権階級であるポル・ポト政権の新国家建設の呼びかけに喜び勇んでカンボジアへ舞い戻り人民裁判に掛けられ次々と虐殺された出稼ぎ労働者たちそのものの姿だ。

 そしてその方法として、生成AI推進派たちは、Danbooruに(善意で)集積されたイラスト圧縮汎化させ任意に混ぜ合わせ薄めて取り出せるようにする。そのデータを配布し有象無象が使えるようにする。LoRAにより「絵柄」の神秘性を破壊再現できるようにする。それらすべてはコンピュータの利用を強制して非属人的に実行されることで金銭価値還元される。

 だからあれは共産化なのだ。だから「生成AI規制するならば二次創作規制しろなのだ。つまるところ「生成AIによる才能の民主化」の指すものは、金銭価値への還元を断固として受け入れない二次元イラスト市場破壊のものなのだ文化庁の連中が考えているような「『民主化』による、日本国内の広く一般の者への価値還元」は発生しない。民主化AI生産性を飛躍的に向上させたクリエイター活躍などない。ソ連にまともな戦闘機がなかったようなものだ。仮にこれが「還元」だとするならば、起こるのはちょうど紙を高濃度過酸化水素水で炎とガスに分解するような「還元」だ。「パブコメの知能が低すぎて困る」とかボヤいている場合ではない。それほどの、あえていえば低知能のもの、が反対一色に染まってパブリックコメントを送ってきているとはどういうことか? 実害を被っているのに他ならないではないか

 この話のオチは、恐らく「生成AIによる才能の民主化」が実際にこのまま進んだとて、著作権法AIウォッシング無罪規定したとて、それは絵の価値が下がるという一過性日本の純損失であって、別に日本的なイラスト創作文化への参入が海外享受者たちに認められるわけではないだろうことだ。Twitter上でも指摘されていたが、AIに点滅するカレットを与えられないから絵が造れないなどという者はいないのだ。完璧な絵をプロンプトで定義できると言うならばしてみるがいい。いや、Twitter上でもなんでもいい、人は文字が読めるのだから完璧な絵の定義を書けばそれは作品なのだ。件の人物が長々とコメントを書き、そしてバズりを作り出したように。

飽きた。ここで投げる事にする。ナガノのくまを讃えよ。

彼氏内々定を出した

 最近父親の性被害を訴えた大変勇気ある方がいらっしゃった

 ただ「お父さんからまんこを触られた経験が無い人たち」は思ったかもしれない

 どうしてまた男性を愛することができるの?と

 私はお父さんから色々されたことがあるが、今彼氏と付き合っているので、増田匿名性を利用して惚気つつ自分語りさせていただこう 若々しい惚気はみんな好きだから

 私は今の彼氏のことが結構好きだ

 でも結婚したくない 性的なことも全くしたくない キスはするけれど、それ以上のことをしたくない 自分が女であることを意識したくないし、彼との関係でお父さんのことを思い出したくない

 お父さんに1時間くらい怒鳴られた後に彼と話したくなる自分も嫌だ 「お父さんで埋められない心の穴を彼で満たそうとしている自分」を自覚し、自分のことが嫌になり、文字を途中まで打ち込んでLINEをするのを辞める

 私は私が自立していて個として確立した状態で彼と対峙していたい

 でも同時に、自分は家庭が荒れていない時は彼のことが大して好きじゃない 好きだけれど、人間として好ましいとか、非常に信頼している、といった感じで、やはりエッチはしたくないし好き好き大好きという感じでは無い

 だから自分の中で彼を「理解のある彼くん」にしてしまっているんだろうな、と思って、その辺りでいつも自己嫌悪をする

 時々自分が本当に彼が好きなのか不安になって寝ている彼にキスをしてみるんだけれど、やっぱり好きかどうかよくわからない 彼と性的接触をしたいとは思えないか

 でも、彼は私が何回もキスしたせいで目が覚めてしまっても私の頭を撫でるだけで、絶対こちらに危害を加えようとしない

 そういう彼のことはとても好いている すごく安心するから

 

 だから、私は彼を理解ある彼くん、そしてお父さんの代わりにしてしまっているんだと思う

 思えば昔からパンダコパンダが好きだった

 映画では、お父さんがいないミミちゃんの家に、ある日モフモフで優しくてお仕事をしていてパイプをくわえ笹を食べる、パンダのパパがやってくる

 パチンコに負けてイライラして理由をつけて殴ってきたり、嫌なことや変なことを言ったりしたりしてこない、優しいもふもふパンダのパパがいるミミちゃんが、とても羨ましかった

 お父さんに殴られた感覚や、お父さんが殴る時にいつもする“人を殴る時特有のキマっている目”や、お父さんに「お前なんて生まれてこなければよかった」と言われたことは、今でも思い出し苦しくなる日がある

 「ちっぱい」とか「お前女になったな」と言われた時の気持ち悪さや、お父さんに「きちんと洗えていないから」と尻を出させられたり、Y字バランスをさせられたりして股間風呂で洗われたことを、忘れることはまだ難しい

 私はずっと、本当のお父さんが欲しかった 私を殴らないで、性的なことをしてこないで愛情を注いでくれるそういう人にお父さんになって欲しかった

 お父さんも優しかった時期はあった 小2で児相電話をかけたから、少なくとも小学校入学前のお父さんは優しかった

 私が幼い頃の父、まだコンタクトをする前の父は私を殴ったり、嫌なことをしてこなかったから、恋愛においてはいつもメガネの人を好きになる

 私は極度のメガネフェチ

 「メガネの人だったら優しい頃のお父さんだから大丈夫だろう」と本能認識しているので、私はメガネをした男性でないと好きにならない

 単に癖もあるとは思うけれど、私のメガネフェチはだいぶ歪んでいる

 こういうことはお父さんと離れて10年くらいすれば、治療をしていけば忘れられるものなんだろうか?自分はまだ若いので、あまりからない

 今はこういうのを日常生活において出さないようにして、平気なフリをしているだけだ

 でも、父から同じ家にいるのに電話がかかってきたり、1時間くらい理由なく怒鳴られ続ける日は今も日常的にあって、そういう日は頭が殴られる感覚フラッシュバックする ガンガン頭が殴られてキツい言葉を言われた時の感覚20、30分続くのを布団でじっと耐える 彼氏LINEをするかどうか悩んで、しないように頑張る キツい時は「なでなでして」というような気色悪いメッセージを送る

 そういう日がある

 彼はそういうのをわかっている

 私がお父さんと色々あったことも彼は分かった上で「君にそういうことは求めていないから」と言ってくれる

 でも、「ぬいペニ」という言葉の逆で、私は彼をぬいぐるみにしてしまっているのかもしれない

 彼には普通健全な性欲があるのに、彼をぬいぐるみのような性欲が無い柔らかい存在にしてしまっているかもしれない それがとても申し訳ない

 それに、私は子宮病気が2つある

 子どもは苦労する、と産婦人科で言われた

 

 20ちょいで結婚子どもについて考えるのは気が早いし、別に彼以外に男でも女でもいくらでも相手はいるんだから他を探せばいい

 というか、私が相手を探すというよりは「私」がどう考えても地雷女すぎる

 エッチはお父さんを思い出してできません、子どもを作るのに苦労する体です、結婚も厳しいです、キスはできます、お父さんに性的なイタズラを何回もされたことがあります、家庭に強烈なトラウマがいくつかあります、でもあなたのことは好きです

 誰がこんなのを受け入れるっていうの?と、冷静になるといつも思う

 だから、彼のことが結構好きなのも、私に合わせて付き合わせているのも、いつも申し訳ない

 そもそも、私は彼のことは今まで付き合ってきた人の中では一番好きっていうだけで、不満はいっぱいある  服クソダサいし、軍歌しか聞かないクソミリオタだし、私たちの会話の内容は政治宗教歴史かでロマンチックのかけらもない

 彼の家も彼の家で色々あるので、彼の母親は彼の一人暮らしの家に突然訪問して手洗い場の下の収納から私のシャンプーを見つけて発狂し、彼の生活費仕送りを止めた

 ヒスな感じの教育ママでちょうどうちの対極に位置していらっしゃる 彼はそれなのにお母様の老後は三世帯をご所望である めっちゃ嫌だ

 そもそも彼と私は中高大が全部一緒だ 私の持つ卒アルほとんどに彼がいるし、彼が中学修学旅行先生に怒られたストレスお腹を痛めて救急車搬送されたのも知っている

 同棲までしてたのに、付き合ってることに違和感がまだありまくる

 だって鼻くそ垂れてた頃から知ってる相手だぞ?

 だから、一昨日、私を御社面接官、彼を学生見立てて、2人で面接ごっこをした。

私「弊社に入ろうとした動機は?」

彼「えー...」

私「あぁ、弊社に入る、ではなくいれる、の方が適切だね」

 というような茶番を1時間やった。

私「それで君は、弊社でどんな活躍ができるんだい?」

彼「はぁ...」

私「弊社のどんなことを知っていてどこに魅力を感じているの?」

彼「えー...甘いものは好きでしょ、あと、Vtuberも好きでしょ」

私「多少なりとも調べてきているようだね。実は私はジャニオタもしていてね」

彼「へー、それは知らなかった」

私「言ってないからね。他、私の何を知ってる?」

彼「いや、なにぶん初めての業界でして...」

 ここで彼がうまいことを言いやがったので私は笑ってしまった

私「じゃあ、ウチでの展望を聞こう。君は具体的にウチで何がしたい?」

彼「いやぁ...それが無いんですよね」

私「ハッ!これだから令和の若者は。主体性が無く流されおって。これが悟り世代か」

彼「はぁ...。すんません

私「あのね、今の時代人手不足が深刻だから君みたいなパッとしない学生も雇うけれど、もっと優秀な学生が沢山集まってる年だったら君みたいな将来への具体的なプランが無い学生雇わないからね。弊社でやりたいことが無いということはつまり転職をする可能性があるということだろ。ウチより待遇のいい会社があれば君はすぐ転職するんだろ」

 この辺りでお互い爆笑した

私「これ圧迫面接酷すぎたね。ごめん」

彼「これより酷い面接今後受けること無いよ」

私「で、どうなの。君はウチに入社する気あるの?ウチでやりたいことがなくてもウチのどこかに魅力を感じたんじゃないの?」

彼「まあ、ツーと言えばカーと返ってくる。ツーと言ってツーと返す人もいるし、会話がそもそも成り立たん人もいる中でこれは稀有から

私「結局それかい!」

 まあそんなこんなで、私は色々思いつつ、内々定を出してLINE電話を切ったのであった

 自分もっと強烈にツッコミを入れて欲しかったのだが彼はどうも私のボケに対してのリアクションイマイチでヌボーっとしている 私と付き合ってて何もしたいことが無いのもちょっと許せない あんたが私と付き合ってから何かしたいって言ったのエッチ旅行くらいだったぞ

 ま、エッチはできないし、旅行もまだ行けてないんだけど

 でも、「初めての業界」は結構面白かった

 色々考えるところはあるし真剣な悩みもあるんだけれど、自分と彼はまぁまぁお似合いだと自分でも思う

 一昨日の夕方の会話を今こうやって文字起こしできる時点で、彼のことをちょっと面白く思ってて興味があるということは明白だ 私が記憶力が人より良いかもしれないのもあるんだけれど

 だからまあ、あとちょっとは仲良くしてやろうかなと思っている

 私は色んなことがあったけれど、別に私は実父から性加害を受けた女ではない それは物事の一面に過ぎないのだ

 そういう私をわかった上で、どうやら彼は私のことを多少なりとも面白く思い、付き合いを続けたいらしい

 今の時代転職が主流ですから、どうなるかわからないんですけど、保守的な彼は日本型雇用を好むようなので辞めるつもりはまだ無いそうだ

2024-03-21

anond:20240320212246

便秘の種類のうちメジャーものは3種類。

①「便が硬くて出にくいタイプ」と、②「大腸の動きが悪くて出ないタイプ」、③「がん等の障害物があって出ないタイプ」だ。

若年者は①が多い。日常生活の動きで腸が刺激されるため②にはなりにくい。

高齢者は①にも②にもなる。

40歳以上でがん検診や人間ドックを受けていない人は③も考慮してもよいだろう。

それぞれのタイプで使う薬は異なる。

①には便に水を含ませて柔らかくする薬を用いる。市販薬でもある酸化マグネシウムがそれにあたる。病院にかかってもまず処方されるのがこれだろう。

②には腸を刺激して便を出す薬をもちいる。市販薬ではコーラックなど。①の状態にこれらを用いると、詰まっているのに無理に腸が動いて腹痛の原因になる。

③はまず受診していただくことをお勧めする。③の状態で腸を刺激する薬を用いると最悪の場合腸に穴が開いてしまうので気を付けたい。

40歳未満や、定期的に検査を受けていてがんの心配がない人であれば、①の酸化マグネシウムをまず試して1か月程度みて改善がなければ受診検討してほしい。

高齢者やすでにかかりつけがある人は言わずもがな、そこで相談すべきである

誰も野生のギャル曽根想像していない

ことについて私はちょっと怒っていた

焼肉食べ放題タン50人前」の件についての話

正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃん想像していて、なんか救われたような気持ちになった

https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118

私自身は私の持つマナー常識や、自信を持って他人マナーをどうこう言えるほどに誇れる自身品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、

かつ自分空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので

最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった

からブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた

こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんからそうならないはずはないと

しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったかだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?

中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、

えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った

実際無名時代ギャル曽根お好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、

無名時代大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分常識で黙ったまま相手断じて勝手軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった

(まあ現在ギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)


私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、

病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプ燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたか自然とそういう想像をした

私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった

(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?

ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)

まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ち理解できるけど、

食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった

「知っている飲食店ご飯キャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、

ほとんどの場合普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……

実際には状況や原因がわからない現実事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人想像して納得するの、あんまりよくないと感じる

こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、

実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う

なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい

(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間常識に基づいてのものではないごく個人的ものとしたいと思う感情からこの増田は書く)


黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって

(このエントリブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/

自分エネルギーを多量に消費しようが返ってくるもの苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う

その後車いす映画館話題でも侃々諤々があり、似た無理解構造があると感じた

自分が多数の側にいると思われるとき、その自分想像できる範囲常識普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢人間になってしまうということについてよく考える

できてないけどやっていくしかないんだよな…


”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第であるあんたはどうだろうか。”

私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので

今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像自分意志とは関係なく脳のリソースを使い、

なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました

ブクマ戦争闘争プライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた

(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)

0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……

anond:20240321051306

陰謀論にハマると、こういう明らかな嘘を信じこめるバカになってしまうんだろうけど

ただの引っ越しの話だよ?

駒込に住むか青葉台に住むかと同レベルの話に、自己肯定とか選択の正しさの確認とかあるんか?陰謀論に染まるバカって知能低すぎてどうやって日常生活送ってるのか疑問だ


海外在住者は日本にいつでも好きなだけ住めるよ?ビザいらんしマルチリンガル日本に戻るのも就職するのもめちゃくちゃ簡単だよ?

気が向いたらバケーションとって日本で過ごすのも簡単だし日本永住するのも簡単

なんか違うなーと思ったら気軽に引っ越すだけだよね

旅行や里帰りでまめに日本に立ち寄る人の方が多いしよく行くんだから日本治安や住みやすさなんてよーーーーーく体感してるでしょ

翻訳お絵描きプログラミングなどが恵まれ特権階級限定された時代からAIを使うことで次第に一般大衆まで可能になりつつあります。この現象名前をつけるとしたら、「才能の民主化」でよいですか?

ChatGPT

はい、「才能の民主化」という表現は、翻訳お絵描きプログラミングなど特定スキル特権階級特定の才能を持つ人々に限定されていた時代からAI技術進化によって一般大衆もこれらのスキルを使えるようになった現象を表すのに適しています。この表現は、AI提供するツールサービスが、従来は特定知識経験必要としていた活動を、技術的な背景や専門的な訓練を受けていない人々にも可能にすることで、スキルや才能を社会全体でよりアクセスやすくしていることを捉えています

「才能の民主化」は、情報技術進化がもたらす教育機会の平等化、創造性の促進、そして人々が自分ポテンシャルを最大限に引き出す手段としてのAI役割を強調します。この現象は、個人創造性や生産性を向上させるだけでなく、経済的社会障壁を低減させることにも寄与しています

AIによる才能の民主化は、多様な分野でのイノベーションの加速、新しい職業の創出、そして教育仕事における新たな機会の開拓といった、広範な影響を持っています。このような変化は、技術がどのように社会に組み込まれ、人々の日常生活職業革命をもたらしているかを示す良い例です。

2024-03-20

[] 憎悪クリエイターYouTuberおったんやけどな

彼はとてもそんなことしているようには見えない爽やかマッチョの元自衛官動物好き。奥さんとも仲が良く、奥さんペットとご一緒にお会いした

彼は『この仕事をしていると、因果応報というか日常生活に影響が出てしまう。粘着されたり、メンタルにも影響があるから辞めたい。でも、収入源としては頼りになるので、他に収入の柱ができるまでは続けるしかいかな〜』と話してた

でもまぁ、彼のコンテンツを真に受けている視聴者の多くは、彼と同じ経済状態健康状態人間関係をおそらく持っていないよね?

 

何が楽しいのやら・・・って思うので詳しいことは知らんが、男女論でキャッキャやっている界隈も同じだと聞く

女性差別を煽る一方で、彼女や妻子がいたり、ミサンドリー男性蔑視)的な発言をしながら、実際には彼氏や夫子どもがいたり、結婚否定しながら実は結婚していたりする人もいるそうな

これらの発信を真に受けている多くの人たちも、おそらく彼・彼女らと同じ状況にはないよね?

 

オタク系のキワモノコンテンツについても同じことが言える

ロリリョナ暴力的描写)のマンガを描いている人たちも、実生活では平気で彼女・妻子持ちだったり、兄弟姉妹友達子どもが出来ると『ファッションロリコン・リョナラーです。生活のために描いてる』って言い出す

これらのコンテンツを真に受けている多くの人たちも、やっぱり彼・彼女らと同じ状況にはないのでは?

 

貧乏テーマにしたコンテンツについても、そうだよな?

実際には、本人の学歴/本人のスキル実家経済力、生活設備や持っている物などが、とても貧しいとは言えないことが多い

"丁寧な暮らし"と題打つよりも、『貧乏』や『貧困』という言葉を使う方が、センスコストをかけずに注目を集めやすいという現実はあるけどさ、

不誠実だよね、ただひたすらね

 

 

結局のところ、プラス属性の面以外では他人と同じだと思わない方が良いぞ

特にネット上での発信、正確さを求められない場での発信は、その人の実態・実生活とは異なる場合が多い

 

信じられるのは人間の善性だけだぞ (ご高説ではなく、もっと単純なコケている人が目の前にいたら手を貸す等)

身体障害者肯定のつもりが精神障害者肯定になってきてないか

車いす使ってる身体障害者映画館で拒まれたからぴえんして炎上の延長線をあちこちでわーわーやっとりますが

車いす使ってる人は介助されたら「ありがとう」って言うのが当たり前だろって話から

車いす使っている人に「ありがとう」強制する社会はよくないって話になって

車いす使っている人は「ありがとう」を言わなくていい!までエスカレートして

その理屈が健常者は日常生活を送る中で「ありがとう」を言わないだろうとか

自分はお店で親切にされてもサービスなんだから「ありがとう」を言わないとか

自分たちの理屈をあれこれ言ってますけど、それってさ

自分理屈を優先して、社会ルールコミュニケーションが分からない、できない、精神障害の症状じゃねえのかなって

身体障害者肯定のつもりが精神障害者の肯定になってきてないか

2024-03-19

紅茶緑茶の違いは発酵の程度ではないのか

というタイトルに対する答えではなく、門外漢自分がどう考えるかというのを吐き出してみたい。

私自身の前提知識としては、世界史の小話的に、東インド会社によって茶の中国からイギリスへの輸出が確立する中で、ウーロン茶よりもさらに「発酵」をさせたお茶が人気となり、それが紅茶起源となったというものがあった。そのため、茶が発酵の程度によって分類されるというのは誤りという情報を見て、①そもそも自分の知っていた小話が間違っていた、②根拠となっているISOの分類はあくまでも統一規格として分類上の正確性を必要としているだけ、という2通りの可能性が思い浮かんだ。

そこで、ざっとweb検索する限り、比較信頼度が高いサイトでも少なくとも日本語情報では発酵程度を分類の指標にしているものが多くみられた(サントリーなどの大企業サイト農水省コラムJAS紅茶飲料の分類など)。他方で、ISO以外に紅茶の分類を発酵程度で行うことを否定する公的情報はパッとは見当たらず、この時点で、少なくとも、日本国内においてそのような分類で考えることで法令等に違反することはなさそうだという考えに至った。紅茶起源の小話については、定説はなさそうだが、概ね自分認識と同じような話が多くみられ、これを積極的否定するような話はなさそうというところでいったん腑に落ちた。

もちろん、国際規格での定義がある以上、それに反しかねない情報問題がないとは言わないし、実際にかなり発酵の程度が弱いものであっても紅茶とする例がある以上、日常用語としても完全発酵茶=紅茶とするのは問題を含んだ用語法ではあるだろう。もとになったサイトでは、「発酵させるか、途中まで発酵させるか、しっかり発酵させるか『のみ』が異なります。」としていて、さすがに修正必要になる記載だろうとは思われる。しかしながら、これをデマ拡散とまで断ずるかのような反応もあり、その点は、どこまで意識してそのような強い反応をしているのかが気になるところではあった。そもそも紅茶という言葉定義が先にあったわけではなく、歴史の中で使われてきた言葉を現状に合わせて分類することで定義づけられたに過ぎない。日常生活において、完全発酵茶=紅茶理解していて困る場面がそうあるとは思えず、むしろ世界史ダイナミズムを感じる一つのエピソードにも繋がるものである。どういう意味で、なぜ誤りであるのかということまで含めた理解が大切で、ISOという根拠を示されただけでそれ以外を全否定するという姿勢も、やや極端に過ぎるもののように思われた。

2024-03-18

日本革命経験していない

フランス革命のように、弱者強者に物申して実力行使して社会を変えたことがない。

明治維新大政奉還の形をとり、敗戦GHQによる外部の力による改革だった。

今のヨーロッパで行われている大規模な農家デモにしても、フランス革命ドイツ革命成功例を持っているか実践できるのだろう。

現地の人達は、ベルリン幹線道路トラクター占拠されて日常生活に支障が出てきても、「これは彼らの権利から」と温かい目で見ているらしい。

日本で同じことをやったら、「自分たちを注目させるためにパフォーマンスしている面倒くさい人達」扱いされて終わりだよ。

要するに、日本では社会弱者強者マジョリティに対して抗議するという文化自体がない。

社会に対して不満を持ったとしても、「世間の目」を気にして声を上げるハードルものすごく高い。

日本社会欧米と比べて、非常に規律正しく、安定していて、治安も良くて、(人種的にも)同質性が強いことも原因だろうか。

なので日本革命が起きにくく、社会の負の問題マイノリティ犠牲になることで解消されている。

そもそも日本革命をやったら、天皇家の扱いはどうするんだ?という非っ常にセンシティブ問題もある。

2024-03-17

「固定」という障害

私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。

そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBA活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。

そんなジャンル空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBARPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAミューワードに設定した。

私は友人に愚痴った。

いくら雑食が多いからって、このジャンル腐女子常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」

雑食の友人は言った。

「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」

そしてこう続けた。

「きみは配慮してもらえなかったことが悲しかったんだね」

そう、これは固定への配慮問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。

そこで、私はとある考えに行きついてしまった。

「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。

雑食の人は「健常者」なのだバリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。

たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBA住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。

固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから

最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことな障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。

五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。

さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうときマイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。

自分は面倒くさい存在なのだ他人配慮要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」

自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。

私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。

車いすを押してきた人間として、いま複雑な気持ちでいる

俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館対応炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。

少し愚痴書き込みたい。

単純な話として、もし自分の働いているところにああい車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。

クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。

とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。

ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。

爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。

何を調べたか?外出する際のすべてだ。

移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストラン喫茶店、経路上にある公園トイレに至るまで全部だ。

そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。

車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。

  • 支えられながらなら自分で立って数歩なら歩ける
  • 支えながらなら乗り換えできる
  • プロがいないと降りられない

爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。

それでも、爺さんのころは相当面倒だった。

今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。

出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル

想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。

それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスJR問題ないし、問題がある場合エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。

店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。

とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。

これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。

例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。

流石にバスタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通タクシーでも捕まえれば乗れたりした。

JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。

チェーン店レストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。

からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。

親父は最終的には3番の、車いすからプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。

なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。

これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。

それでも、だ。

そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構場所には行けたし、なんだったらレストラン食事もできた。

まあ流石に予約するとき車いす結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。

驚くなかれ、博物館美術館だと、事前に確認さえとっとき普通に行けることもあった(さすがに特別展かにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)

で、こっからが本題だが。

くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。

ただ、だ。

あいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。

いま、都内大手映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。

(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)

そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。

ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機ビジネスだって乗れるこのご時世に、映画館プレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。

(ちなみに、探すと車いすギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館存在はする。主にゆったりできるって理由階段で移動しなくて良い場所たまたま設置されているからだが)

この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。

海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。

そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアム体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。

複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。

労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。

また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。

ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアム体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。

まあそういう意味ではね、プレミアム車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?

くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー

俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。

いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。

間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会リソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担社会に強いてたわけだよ。

でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。

そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。

繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。

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(ココから追記

ただの愚痴を思ったより読んでもらってありがとう

少し話題が落ち着いてきたみたいなので、追記しておきます

X(旧Twitter)上で、車いすユーザー問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。

まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。

毎回プレミアム映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。

からこれはまごうことな車いすユーザー問題なわけよ。車いすのクソビッチプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。

ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画スムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。

でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。

まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。

でもこれもさ、過去映画観るのは遊興なんだから車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。

だってさ、不要不急かつ生存必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。

でも、車いすユーザー映画館映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。

で、こっから重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。

でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。

でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規ルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画体験できるようになりますか?という。

から、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。

それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力スロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっとのもの相談しますね、みたいになると思うのよ。

それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能だってあるわけじゃん。

その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。

あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。

健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。

災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射補給できないです、車いすユーザー車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。

でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産から急に言われるのとか嫌だよ。

外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。

車いすユーザーあんありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー

まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。

俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。

あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう靴下はくとき位置移動してくれてありがとう寝返り打てたよありがとう

俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚ありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚なっちゃう人がいてもしょうがないと思う。

あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。

あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。

例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプ障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。

その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。

例えば、 映画みにいこ! ってサイトがある。

https://www.bfeiga.net/

視覚障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、

聴覚障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、

そういうのがある。

映画は何も晴眼者で健聴者であるものけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。

そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない

最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。

あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応コストがかかるとかも、わかる。

ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、

じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。

車いすユーザープレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。

でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。

ふつう軽音部」のキャラが見分け付かないのは俺だけだろうな

書き分けはされてるんだけど、主人公の「はとっち」以外が混ざってしまって分からなくなる

作者さんが悪いとかじゃなくて、俺が悪いんだろうな

現実日常生活もそう

人が覚えられない

特に名前

名前を覚えられずに失礼を重ねたことが何度もある

ふつう軽音部も、はとっち以外名前がまっっったく分からない

なんならはとっちの本名もわからない

今回相関図が公式から出たけど、あれを片手に見ないと無理

相関図苦手なんだよな…覚えなきゃいけないか

他の漫画だと大丈夫なんだよな

女の子ばっかりだからか?

正反対君と僕は読めるんだよな

スキップローファーも読める

僕ヤバも読める

でも、ふつう軽音部だけ名前キャラが覚えられない!!!

なぜ???

2024-03-14

anond:20240314171146

はい、「ミソフォビア(mysophobia)」が思い出せてよかったです!

ミソフォビアは、汚れや細菌感染症への極度の恐怖を指す言葉で、英語の "myso"(汚れ)と "phobia"(恐怖症)を組み合わせた言葉です。この言葉は、日本語の「潔癖症」よりも専門的で限定的意味合いがあります

ミソフォビアは、特定対象(汚れや細菌など)への恐怖が特徴的な「特定の恐怖症」の一種で、パニック障害PTSDなどとは区別されます。一方、潔癖症は、幅広い清潔へのこだわりを表す一般的言葉として使われることが多いです。

ミソフォビアを含む特定の恐怖症は、日常生活に大きな支障をきたす場合、専門的な治療サポート必要となる場合があります。もし過度の恐怖心や不安感で悩んでいる場合は、遠慮なく専門家相談することをおすすめします。

今後も、このような心理学医学に関する話題について質問があれば、お気軽にお尋ねください。

2024-03-13

anond:20240313144528

趣味領域含めて日常生活で使うっていうなら普通に数学の方が使うしなんなら古典が役にあった試しないんだけど。

企業が教える、っていうけど企業教育コスト掛けたくないか基本的には学校で学んでいることを期待している。

(というかその分野の素養を獲得出来てない人間営利企業から教育するとか馬鹿げている)

日常生活を豊かにするにはお金時間必須でそういうものは得てして良い企業に入る方がどちらも多く手に入りやすい。

そして良い企業に入るには企業に期待される能力を身につける必要があるわけだけど、古典素養を期待する企業がどこにあるん?っていう。

まああと日常生活を豊かにするなら料理を学ばせたらいいよ。

平均して一日3食は食べるからすべての人が使う機会があるし、使用頻度は高いし節約栄養管理の面でも役立つし美味いもの自分で作れるというのは生活文化的にするのにも貢献出来る。

anond:20240313144005

から頻度って言うなら日常生活で使うほうが上じゃん(笑)

そもそも仕事で使うんならどうやったって専門学校なり企業研修なりで教えることになるわけでさ。

営利企業では教育するメリットがないような、日常生活を豊かにする知識こそ学校で教えるべきでしょ。

いったい君は何のために働いてるの?生活を豊かにするためでしょ?

anond:20240313142148

日常生活でなにげなく触れる、日常生活でふと気になったことを調べる、という程度のことが趣味というなら趣味なんだろうね。

それはとても素晴らしいことだし、多くの人間がそうやって生活していると思うけど、君はそれを否定して、

9割以上の人間日常的に触れもしない微積分や複素数平面を教えるほうが大事だと主張してるんだよね?

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