はてなキーワード: 内角とは
数学の記述としては座標系を入れないのは不自然というのは同意するよ
一旦入れた後で取り払って公理系を作ったりしないといけないのだろうし
ただ、数学の自然な記述が人間の原始的な形への理解の形と近いか、というのは、人によるだろうが大半の人にとってはNOだと思ってるし、中等教育の数学の単元は数や図形を扱う方法を学ぶ演習(名前変わってるけど算数の延長)、ぐらいの意味合いだと思うので学問としての数学からみた自然な記述である必要がないと思う
積木や製図用具を目で見て触って得られた経験則をひとまず整理してみた、という出発点で教育を始めるのなら、
脳内にあるモデルとの差異が少ないから受け入れもしやすいでしょ。それが直感的という意味
中等教育までぐらいは、経験則を拡張して肉づけしていくのが目標の一つだと思う。それが学問など必要のない人たちの底上げにつながる
三角形の内角の和は180度、確かに外角と内角の和は180度というのは明らかに見えるからそうだな、という確度のレベルで拡張してやればいい
高等教育では、学問をやらなきゃいけないので経験則を要素還元してなるべく経験則でない形にして、仮定を減らしていくのが目的となるだろう
ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在の高校数学のカリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。
ユークリッド幾何学が不要だと思う理由は単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学の研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズルが適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの手法は一般的な現象を記述する上で必ず必要になります。
もちろん、たとえば三角比を定義するには、「三角形の内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学の性質が必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:
を証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法や問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。
現状、少なくない時間がユークリッド幾何学に費やされています。数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ、大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています。
高校数学では以下のような事項が重要だと思います。ユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。
これらの分野は数学の手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的な問題を数学や物理の問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベルに重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?
ユークリッド幾何学を初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います。
まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題は証明されるべきものだからです。高校の教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離の公式、三角関数の加法定理、微分のライプニッツ則や部分積分の公式など、どれも証明されています。そもそも、数学の問題はすべて証明問題です。たとえば、関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないかを定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学だけが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。
②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトルや微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理、メネラウスの定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学の手法は問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法は一般に方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学の手法にこだわる理由はありません。
③は単なる個人の思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも、数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要な数学の素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学的直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学を特別視する理由になっていません。
④もおかしいです。そもそも「歴史的に重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的に重要ならば教えるというなら、古代バビロニア、インド、中国などの数学は特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わずに数学を記述するべき理由があるでしょうか。
数学で重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学を擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います。
大昔は代数の計算や方程式の解法(に対応するもの)は作図問題に帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法・重要な結果を導きやすい方法を用いればよいに決まっています(数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。
たとえば、放物線は直線と点からの距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育で重要なのは明らかに2次関数のグラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから、最初から2次関数のグラフとして導入するのは理にかなっています。数学教育の題材は「計算問題か証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。
三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学の範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学で連立方程式を学ぶのに小学生に鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います。
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(*1)
現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに
(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーのデルタ)
で内積が定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間、ベクトル、微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学が不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています。
(*2)
数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題にガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識が必要」というわけではありません。
そうね、だいたいこんな感じだろうか。
最後に、元の増田や多くのトラバブクマで不動産屋は信用ならないという意見が多くて、まぁそういう業界ではあるのは確か。特に賃貸仲介は余り質の良い人材は流れてこない。
ただ一方で市場構造を理解せずに市場に流通してる情報の質は測れないというのもある。元増田はその辺がいまいちぼんやりしていると思う。株式投資などではアルゴリズム投資も可能だが、残念ながら不動産は現物投資なのだ。条件を全て網羅しても、取引成立までに地震が起きてひびが入ったらどうだというのが現物投資である。更に言えば不動産は一点ものでその対象不動産に対する取引回数が株式などと比べて圧倒的に低い。一つの不動産が「取引の場」に晒される回数は多くても2、3回がほとんどだろうと思うし、全国規模でいえば一度も市場で取引されたことが無い不動産も多いと思われるので、アルゴリズム投資向きではない。条件をどれだけ並べてもむなしいというのはそういうことが理由であると言える。
また、例えばお買い得や掘り出しものの不動産も実際にはあるわけだが、何千万円もする値段の「掘り出し物」が知識もなく全く縁もゆかりもない自分に転がり込んでくるわけがないだろうとも言いたい。あれだけの条件を並べないと市場における良し悪しが分からない人が一点ものの掘り出し物を見つけるのは実際無理だろう。掘り出し物はみんなが欲しいからだ。当たり付きの自動販売機で当たることを期待して缶コーヒーを買う人はまずいないだろうと思うが、なぜ不動産買うときだけそういうラッキーを当然のように期待するのだとも思う。
知人の不動産デベロッパーは昔、耐震偽装問題があった時に「一番いいのは、問題が起きた時に賠償能力がある超大手のデベロッパーのマンションの新築を買うことだよね」と身もふたもないことを言っていた。マンション開発だけしかやってない会社は資金余力は小さいので注意が必要。ただし瑕疵担保責任とかアフター補償には適用期限とかあった記憶。リフォームも当然同じと考えていいと思う。逆に最近は仲介業者が1年ぐらいの補償を付けてたりもする。この辺は増田は仲介や販売実務をぜんぜんやったことが無いので分かりませんので各自調べてください。
ほな。
不動産や建築関係の事業者は本当に玉石混交。不動産屋だから全て信用できないわけじゃなくまともな会社もあるわけでAll不動産会社is悪と言うのは職業差別する馬鹿である。一方で、身もふたもない話だが、お金を持っている人ほど「まともな業者」にあたる可能性は格段に高くなる。ダメな業者かまともな業者か見分ける一番分かりやすい方法は「手数料無料」である。無料をうたってる業者は、まともに対応してほしいなら絶対避ける。一般的には売買仲介で手数料は不要、というケースはまずないが、賃貸仲介・売買仲介を両方扱っていて賃貸の方は「手数料無料です」と謳ってるならその業者は避けるぐらいでもいい。ちなみに、売買仲介で手数料不要ですというケースで代表的なのは、その業者が売却客と直接つながっていて売却客から仲介手数料(法定上限3%)を満額でもらえる話になっていて、かつ調査などの費用や負担がほとんどない場合、などに限定されるんじゃないかと思う。仲介手数料は上限が法律で決まっているが下限は決まっていないのだ。
仲介業者は仲介手数料が収益になるし建築業者は建築費の何パーセントかを利益として取る。基本はすべて一点ものなので「生産するほど儲かる」という概念はない。ブローカーなので当然労働集約産業である。したがって、扱っている不動産の金額が大きいほど彼らの取り分は大きくなり、その代わり取引におけるリスクも大きくなるから、ちゃんと躾けられて知識が確かな社員が多くなる傾向がある。そして扱っている不動産の種類や顧客の種類が多い会社の従業員ほど現物である不動産の状態確認の精度は上がる。会社としてのバックデータが豊富にあるからだ。
ちなみに仲介業者はどんな仕事をしているかというと、「お好みの物件を見つけてきました!」は彼らの仕事のうちの本当に少ない部分でしかなく、「対象の不動産についての状況確認」が不動産仲介業者の主な仕事の一つである。元増田のように全部自分で調べなきゃ気が済まないのんびりした人も居ようが、適切な金を払い、専門知識がある信頼できる人に外注すれば話は早い。なぜなら前項にも記したが不動産は一点ものであり、かつ所有者がいる「私物」である。その一点ものの過去の取引経緯は少ないのが一般的で私物なので調査は勝手にできない。そこでブローカーが間に入って必要な情報を調べるのだ。こういう作業をしているから手数料がかかる。スペックを比較するのはデータで机上でも可能(だしそういう取り組みをしてる不動産テック系の会社は山ほどある)なのだが、それによって分かる情報は実は不動産取引においては実は些末な情報でしかなかったりする(例外はあって、例えば、そこそこ築年数が経過した人気が高い大規模マンションだと、同じマンションの建物の同等スペックの取引例が多くあるので、市場価格やリスクがが類推しやすかったりする,、初心者向けにお勧めなのだが当然割高ではある)
例えば離婚することになり子供の養育関連や財産分割の取り決めなどをきちんとしようとなったら、弁護士を挟んで協議書類を作る方が、子供にとってより安全な養育環境を作ることが容易になる。夫婦だけで協議書を作るのが簡単ではない理由は、離婚する夫婦は利害が対立しているから、というのと、多くの一般の人にとって民法に沿って家族全員が納得できて子供のより安全な養育環境を確保する取り決めを作ることはそれほど簡単ではないからだ。離婚に関する法律は民法を理解しておけば何とかなるが、不動産に関する法律はもう少し多い。民法は大前提として、都市計画法、建築基準法、その他環境関連法や地元自治体が定めている建築や不動産に関する規制条例も複数ありこれらは不動産の価値に大きく影響する(その土地の用途≒利用価値を制限する法律だから)。関連法規が多い一点ものの取引をする専門の資格として宅地建物取引士という資格があるわけで、昔は猫でも取れるが鶏では取れない(暗記が多いから)などとも言われたらしいが、一応国家資格である。
実際には、日本はかなりの比率で法治国家なので、問題がある不動産はあまり多くない、特に住宅に関しては。だから仲介業者はアホでも出来る、不動産業者は客を騙そうとしてると決めつける人は割といる。だがそれは仲介業者が問題をスクリーニングした後のものを紹介されてるとか、市場で適正化されてる(怪しい物件は不当に安かったり)中から選んでいるから一般の人がババを引かずに済むわけで、そのリソース自分で賄える?とは思う。お金がある人ほどまともな不動産業者と出会えるというのは、こういう理屈である。
増田は宅建一応持っているが使ったことがなく、不動産仲介の人たちは頼りになるビジネスパートナーなので悪徳とかバカ扱いされてるのを見ると悲しくなる。また例えるが弁護士業界。昨今の過払い系弁護士なども割とアレだったり、人権派弁護士が逆方向にアレだったりするが「All弁護士is悪徳」と言う人はあまり多くはないわけで、職業(に限らず)差別するやつって浅い思考だなと感じ入る。話は逸れるが、不動産会社がゴキブリのように嫌われる理由の一つに「地上げ的なアレ」「立ち退き的なアレ」を脳内に思い浮かべる人も多いかもしれないが、立ち退き交渉業務は所有者または弁護士しか行えないと法律で決まっている。立ち退き交渉を行う弁護士は業務費用と成功報酬を割とがっつり取っていく。
元増田はまぁ、まず買わない方が良いタイプだと感じる。最近はお金を出せば賃貸でも十分ハイスペックな家を探せるしね。当増田については、築30年の分譲マンションを競売で落としてフルリフォームした。超快適。仕事で知り合った専門家たち(仲介さん、建築士さん、施工業者さん)にお世話になった。対価は当然支払ったわよ。
https://togetter.com/li/1548255
これのトップブコメ一覧見てたら、はてブの人ってまじでダサい人しかいないの?と思ってしまった。
ちなみに、ボディバッグ、蛍光色の靴、ダッドシューズに関してはコーディネートで許される範囲だと思う。まあ、流行りが終わってるとかシルエットがださいとか生理的に嫌いな人が多いとかで、おしゃれとは思われないかも知れんが。
以下、コメントに思ったことを雑に書いていく。IDとかはっきり書くと、通報されてはてなに怒られる可能性があるのでなんとなくで書く。
・「あんなに嫌われたケミカルウォッシュやチェックネルシャツがしれっと戻ってきてる」「ダサいと言ってる人の服は10年前はダサい」
ノームコア(この文脈でかくとノームコア警察に怒られそうだけど)の揺り戻しで、だんだんと柄物やストリート系が流行ってきてるって言いたいのかもしれないけど、昔ダサかったアイテムがそのまま同じように流行ることはあまりない。シルエットやら柄の細かさなどが変わる。チェックネルシャツは未だに上級者のアイテムです。
・「ファッションくらいでいちいちアリナシ判定を公言するの禁止」
余談。
俺はインターネットで小綺麗な格好をするための知識を簡単に得た。だから、皆んなもっと普通の格好をした方がいいよ、っていう俺みたいな思想のやつが最近増えてきて、生き辛くなってる人たちが怒りの矛先として燃やしてるのかなとは思った。
面白いので一つ一つのコメントまで読んでしまっていた。そこで同じような意見をちらほら見かけたブコメ。
違います。ggrksと言いたいところだが、簡単に書くと、パリコレなんかでよく名前を見るような上流ハイブランドが作り出したものを「お?それなんかよくない?」とそれよりちょっと下流にいるブランドが真似して、それを見た下流にいるブランドがまた真似をして……っていう流れの中で流行りは出来るんだよ。だから、1番下流のファッションにあまり興味がないような層まで届く頃には完全にダサくなってる。
わりとブコメがついてるので、それに対しての反応を雑に書いていく。
・ファッション素人が最初にワークマンに行って買うのはやめろ。ワークマンとワークマンプラスの店の区別もついてないだろ。あれは、一部の目の肥えたインフルエンサーが優れた商品だけをピックアップしてバズっただけだ。おすすめされてる商品を買うだけならまだいいが、何の下調べもせずに行くと地獄を見るぞ。
・インターネットで小綺麗な格好をするための知識なんてググったらすぐ出てくるだろ。甘えんな。一つアドバイスするなら、YouTubeで検索した方がメンズファッションプラスみたいな罠にかかる確率が低いぞ。あと、なんか知らんが金を払わないと得られないようなレベルの情報を俺に求めてるブクマカが一部いてみっともないぞ。お前は俺の客じゃないからな、勘違いするな。
・俺やtogetterで口汚くダサいとディスった人をファッション村の一部の凝り固まった思想を武器に上から目線で叩いてくる嫌なやつと勘違いしてるやつがいるけど、俺たちは単に小綺麗な格好を身につけた嫌なやつだからな。三角形の内角の和が何度になるか分かってなさそうなレベルのやつがブコメにたくさんいたから口を出さずにはいられなかったんだよ。
人並みの格好をできた方が外に出た時楽しいし、自分が本当はどんな格好をしたいのか、どんな服を着たいと思ってるのか気づけるようになるぞ。
中学高校の数学から、いわゆるユークリッド幾何学は廃止してよい。理由は単純明快で、何の役にも立たないからだ。
大学に入ったら、どの学部に行っても、「補助線を引いて、相似な三角形を作って〜」などと言ったパズルをやることは絶対にない。メネラウスの定理を高校卒業以降(高校数学の指導以外で)使ったことのある現代人はいないだろう。こういうことは、別に高等数学の知識の無い高校生でも、常識で考えて分かると思う。たとえば工学で、弧長や面積を測定する機器が必要になったとして、補助線パズルが適用できるごく一部の多角形などしか測れないのでは話にならない。現代の数学および科学技術を支えているのは、三角関数やベクトルや微分積分などを基礎とする解析的な手法である。
もちろん、たとえば三角比を定義するには「三角形の内角の和は180°である」とか「2角が等しい三角形は相似である」等のユークリッド幾何学の定理が必要になる。そういうものを全て廃止せよと言っているわけではない。しかし、余弦定理まで証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解ける。また、実用上もそれで問題ない。したがって、余弦定理を初等的な方法で示したら、ユークリッド幾何学の手法はお役御免でよい。
これらはいずれも、高等数学を学ぶ際に欠かせない基礎となる分野である。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で使われるとしても、いくらなんでも微分積分などと同等以上に重要だと主張する人はいないだろう。
現在、これらの分野は十分に教えられていない。微分方程式と一次変換は現在(2020年5月)のカリキュラムでは教えられておらず、ベクトルは文系の範囲から除かれ、代わりにほとんど内容の無い統計分野が教えられている。また、高校生にもなって、コンパスと定規による作図みたいなくだらないことをやっている。本当に、どうかしているとしか言い様がない。
ユークリッド幾何学を教えるべきとする根拠の代表的なものは、証明の考えに触れられるというものだ。つまり、代数や解析は計算が主体であるが、ユークリッド幾何学は証明が主体なので、数学的な思考力を鍛えられるというものだ。
しかし、これは明らかに間違っている。別にユークリッド幾何学の分野に限らず、数学のあらゆる命題は証明されなければならないからだ。実際、高校数学の教科書を読めば、三角関数の加法定理や、微分のライプニッツ則など、証明が載っている。そもそも、数学の問題は全て証明問題である。関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であることを定義に基づいて示さねばならない。数学的思考力を養うのに、ユークリッド幾何学が他の分野より効果的だという根拠は無い。
ケーキの切れない非行少年たちの話で盛り上がっているので昔のことを思い出した。
学生時代、個人経営の学習塾でバイトをしていたことがある。対象は近所の小中学生で、受験勉強に熱心な生徒もいれば友達と一緒に遊びに来ているような子もいた。その中に何人か忘れられない生徒がいる。少しぼかすところもあるけれど、大体は実体験だということを承知して頂きたい。
Nちゃんは小学校高学年で、生まれつきの難聴で補聴器を付けていた。補聴器をつけていれば通常の生活ができるということで学校は普通級に通っていたのだけれど、大人数の授業では不十分だから少人数制の塾でカバーをしてもらいたいという親からの要望だった。実際Nちゃんの入塾テストは低学年からやり直しレベルのひどいもので、「これは相当頑張らないとまずいな」と1体1で指導をしていく方針になった。
Nちゃんの指導は困難を極めた。例えば「2ダースの鉛筆を3人で分けたら1人何本になるのか」という問題では「2+3=5」と立式する。「1ダースは12本だよ」と言うと式をすぐに消して「12+3」とする。「分けるから何算を使うのかな」というとまた消して「12-3」にする。仕方がないので24本棒を書いて3等分して見せて、やっと「12×2÷3」の式が出来上がるが、計算ではなく鉛筆に見立てた棒を指で数えて初めて8と答えを出せるのである。そもそもNちゃんは九九はギリギリできても、簡単な割り算が暗算でできない。割り算の筆算はギリギリできて、24÷3ですら筆算の式を立てていた。
最初は「耳が不自由だから理解ができないのかな」と視覚化を用いてみたりNちゃんに聞き取りやすいように話し方を工夫してみたりといろいろ試してみたが、根本的にNちゃんの理解力がないのが原因なので結果は出せず。親は100%耳のせいだと思っていたので「私が健康に産んであげられなかったから」と嘆くばかりで根本的なNちゃんの問題に目を向けられない。
時間が経つほど、Nちゃんのヤバさは浮き彫りになる。四則演算ができない、小数と分数の概念がない、大きな数を数えることが出来ない、面積の公式は覚えられても図形を前にするとどこをどうすればよいかわからず、当てずっぽうで式を立てる。面積を求める問題で三角形の内角が表示されている問題で、内角どうしを合わせていた。それでもNちゃんは答えが正しくないことがわかると式を消して、また適当に式を立てる。式を消さないよう指導すると、その日は家に帰って大泣きしたようで、親から激しいクレームが来た。
結局そのクレームがきっかけでNちゃんは塾をやめていくんだけど、Nちゃんはわからない問題があると頭をあげてニコッと微笑みかけてくる。最初はかわいい仕草だと思っていたけれど、それから様々な子と接するうちにあれはわからないことを誤魔化しているサインだとわかった。笑えば全部解決できるという学習をしてしまっていたのかもしれない。
もう一人、印象に残っている生徒がRくん。彼は地域のスポーツ少年団に所属しているのだが、教育熱心な家の都合で入塾させられた。本人は基本無気力で宿題も忘れがちだし、雑談で気持ちを乗せようとしても積極的に話す子ではなかったので淡々と授業を進めていくしかなかった。
彼もNちゃん同様の困難はあったが、彼はNちゃん以上に文章の読解ができなかった。「つばめは春に日本にやってきて子育てをして、秋に南の国へ帰ります」という文があって「つばめはいつどこへ帰りますか」という問いに「つばめ 春」と答える。「わるいことばかりしているとおばけがやってきて虫の姿にされてしまうぞ」という文で「どうすると何にされてしまうのですか」という問いに「おばけ 悪いこと」と答える。特に後者のような現実に起こらない出来事を想像することが著しく困難で、課題で出されたイソップ童話を読んで主題を答える問題に「動物が日本語を喋ってるのが面白い」と答えていた。確かに「物語で一番気になる、大事なところを書く」と指導したけど…。
彼はスポーツに専念するということで一年くらい通っていたが、とうとう最低限の読解力を身につけさせることはできなかった。親は「仕事で忙しくて構ってあげる余裕がないから塾で面倒みて欲しい」の1点張りで、彼の問題点を気にかけることすらなかった。
その他にも「お月見の存在を知らなかった小学生」とか「レタスやきゅうりやトマトを盛り合わせた料理をサラダと答えられなかった小学生」に「50音が書けなかった中学生」などのエピソードがあるけどキリがないので割愛。
それからしばらく立って某学習塾に就職したけど、研修でいかにもな熱血講師に「子供はね、全身で話を聞いてあげれば必ず答えてくれるものなんです、本気で子供に接すれば、子供は絶対理解するから」と熱弁を振るわれてからこちらも本気でやる気を無くしたのと生徒が人として相応しくない行動をとったときに注意をしたところ保護者数名に逆ギレされたことがきっかけで1年経たないで辞めてしまった。今は学習塾とは関係ないところで子供と接する仕事をしているが、グレーな感じの子を見るとどこか支援で繋げればマシになるのにと思うことは多い。
「ケーキの切れない非行少年たち」も読んだ。彼らに必要なのは確かに適切な支援だった。しかし一介の塾講師(しかも学生バイト)に何ができたのかといえば、何もできないに等しかった。彼らの困難を知っていて、でも出来ることは何もないとその場を作ろうだけで最終的には見殺しにした。もっと保護者とケンカしてでも彼らを支援に繋げることができたのでは、とも考えるけどそんな人生をかけたようなことをする余裕は間違いなくなかった。保護者だってそんな面倒くさい問題から目を逸らしたいという気持ちになるのも理解出来る。
しかし、彼らを矯正することも果たして善なのがと言えば自信が無い。「ケーキの~」は舞台が少年院などだから更生することが前提にあるけれど、Nちゃんが自分の頭で考えられるようになって、自分の問題に直面するよりあの誤魔化し笑顔を続けていた方が幸せかもしれないと残酷なことを考える。その辺は当事者の問題なんだけど、当事者やその周囲の人間が問題を認知できないことが問題であるというのが「ケーキの~」の重要な部分だと思う。
支援したいけどまず問題を当事者たちに認知させるのがクソ面倒くさいから見て見ぬふりが横行する。この構造を何とかしないといくらテレビで「発達障害が~」とか言っても何も変わらない。このままだと特に何も変わらないよ、変わらない。
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
例えば、私は卵にコレステロールがあるという“情報”をまず提示する。
だが知っての通り、卵のコレステロールが血中のコレステロールと関係あるかは別の話だ。
ここで、そのことを隠して「だから卵を食べ過ぎてはいけない」なんて答えるのは、ただの欺瞞である。
例えに例えを重ね、君が混乱してきたところにソースを混ぜ合わせるんだ。
そうしてマカロニサラダが出来るというわけだ。
つまり、卵コレステロール論は協議会の抗争によって巻き起こった陰謀だ。
まあ、から揚げの衣だけ食べるのは好きだが。
ということは猫は人間ではない。
義務教育の段階で覚える、「基本無料」の「基本」の意味くらい基本的なことだぞ。
「右向け右の2回分くらい」と覚えておけ。
去年は別国の民話を参照にして、干し柿とトラの融合モンスターをやった。
いいチョイスだろう?
だが予定外のことが起きてな。
このバグベアは妖精の一種なんだが、実はゴブリンでもあるんだ。
最近、ゴブリンのスナッフフィルムが巷で出回っているという情報を手に入れてね。
つまり、そのスナッフフィルムの内容は、ゴブリンのコスプレをした人間の惨殺記録ということになる。
不謹慎は大好物だが、必要以上に敵を作るリスクと見合わないからな。
下手をすれば、私がそのスナッフフィルムの新作に出演するかもしれないし。
限りなくたくさんの角があり、かつそのすべての内角が等しい多角形とは
日大の悪質タックルの問題、アレって反則スレスレのタックルを「上手く」QBに食らわせて怪我をさせろって指示だったんだよ。
野球に例えるなら「失投のふりして腕、あわよくば肘か手首に当てて骨折させて二軍落ちさせろ」ってこと。
もしくは「当たっちゃってもいいから思いっきり内角を攻めろ。当たって怪我をして二軍落ちしたらそれはそれでラッキーだ」ってこと。
それを明らかな反則を堂々としてしまった。誰もそんな指示なんて出してない。
同じく野球に例えるなら「投球練習中にネクストバッターズサークルで素振りをしている相手の頭を狙って投げて殺そうとする」って行為。
彼は真面目だったんだなと思う。それゆえにずるさ、せこさ、したたかさがなかったからの監督・コーチの指示だったんだと思う。
彼には悪いことは後ろめたくばれないようにやるって考え方がなかったゆえに、分からせるために監督・コーチはそのような指示を出し、彼は過剰に実行してしまった。
誰も彼もがかわいそうな、救われない事件だなと思う。
・選手は頑丈な防具をつけていて視界が遮られているので周りがよく見えない
・そもそ試合中の怪我がいやなら最初からアメフトをするべきではない
他にもサッカーとかで足引っ掛けた引っ掛けてないがガバガバなのもよく分からんわ。
シミュレーション行為だなんだ言われているけど、そもそもお互いにタックルしまくってスパイクで相手の靴下引っかきまくってるけどもうその時点で紳士のスポーツではないよね。
「相手選手をビビらせるためにやたら内角深めに投げる」とか平然と行われているよね?
しかも打つ側ですら「相手投手をビビらせるためにバッターボックスギリギリまで乗り出す」とか平気でやるよね。
スポーツ選手って最初からお互いの体を大切にしようって発想がないんじゃないの?
つまりさ、アレぐらいの事でいまさら騒げるような環境で普段から競技をやっているのかって話だよ。
アレがそこまでアウトだって言うなら、審判がさっさと没収試合にするようルールで決めるべきだろ。
やる気になっている本人には言えない。
数学に関してはサボってきた娘なので、証明問題がそう簡単にできるようになるはずがない。
そもそも、中1の図形問題でひどい点数を取った後、数学をあきらめ、
何となくなら偏差値50以上の大学でないと学費は出さないぞと。
偏差値50以上の大学にいくには、この地域の高校なら偏差値57、58ぐらいの高校に行かないとつらくなる。
が、今のままでは、高校入試で数学が20、30点しか取れないかもしれない。
ということで、入試時に50点は取れるように、
まずは中2の2学期末テストに向け、毎日10分程度の数学の課題を出すことに。
10月中はひたすら計算問題をやらせ、連立方程式まではスラスラできるように。
11月からは1次関数を始め、毎日方眼紙にグラフを書かせ、グラフを見ても抵抗感が無いところまでは持っていけた。
結果、2学期末テストは、平均点以上の点数をとることが出来たわけです。
そして、12月。今でも10分程度の課題はやってもらっているのですが、
どうしても学校の授業に沿った問題がやりたいらしく、証明の問題にしてくれと言うのです。
聞くと、中学の数学はちょっとした少人数制をとっているらしく、期末テストの結果から少し上のクラスになって、
本人は嬉しいのだけれど、ついていくのが大変だと。
しかし、1年生の時の図形を捨てた娘が、そう簡単に証明問題が解けるはずが無いのです。
三角形の内角の和が、180°だということも、スっぽ抜けてしまうレベルなのだから。
さらに、文章問題が苦手。国語はできるので読解力が無いわけではないのですが、とにかく問題文をテキトーに読む。
なので、1年生の文章問題、図形問題をさきにやり、3学期末テストの証明問題に向けてじっくり進めたいのですが、
数学の授業中の小テストが出来るようになりたいが先行しまっている状態。
ここ数日、証明問題を出しては見ましたが、全く解答が進まない。見かねて、解答を穴埋め形式にしましたが、それでも無理。
これが、抵抗感なく出来るようにならないと、証明問題は無理なんじゃないかな。
「追記」
子供の能力、特に「国語はできる」に引っかかっている人が多いのですが、その通りです。
文法的なものは、全然だめ。社会や理科の暗記は得意なのだが、文法のように構造を理解するのが苦手なようで。(地図の読めない典型的な女性なので・・・。)
それと、出来なさ加減の脚色が強すぎましたね。明らかにやる気出ねーってときのを、さもベースであるかのように書いてしまいました。すみません。
なので、本心で「捨てろ」なんて思っていませんよ。
それと、大学進学の話にもにょる人も多いようですが、私の考えは、なりたいものが無なら大学なんてどこでもいいと思うし、得意な科目で入れるところに入ればいいと。なりたいものがあるのなら行かなくてもいいとも思っている。まだ何になりたいとか決めてはいないようなので、(中2の思春期娘がクソ親父に話はずもないが)とりあえず、偏差値50以上の大学という目標を設定しているだけです。(親としては国立や慶応早稲田に行ってたら嬉しいですよ。)
なので、勉強なんてやりたいと思ってからやればいいと思うし、子供も良い点数は取りたいのだから基本は言わないでも頑張っていますよ。
ただ、中学のうちに超不得意な科目は作らないほうがいいと思うのです。偏差値30〜40みたいな状態になってからでは、ちょっとのやる気じゃ復活は難しい。それこそ、なりたいものがあるとか、行きたい学校があるとかではないと難しいでしょう。
なので、偏差値50を下回りだした数学を少し引き上げておくという考えで、家庭学習にちょっと課題をプラスしているだけです。
というか、ガッツリ勉強教える時間はないし、思春期娘が従うはずもない。それこそ、塾や家庭教師のほうが楽なのですが、まだ行きたくないそうです。
という状況で、まだしばらくは数学を見ようと思っていたので、塾の方のアドバイスは大変ありがたいです。自分のなかで、中2と中3の証明問題の違いをちゃんと把握していないく、ちょっと挫けていたことに反省しました。
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
うん、その何を間違いとするのかに段階があるよね。という話。
詩人(天文学者)はすべての、物理学者は一つの、数学者は少なくとも一面が、哲学者はそれは羊なのか。
それぞれに求められる段階の厳密さで話をしてる。
中学校の国語と、大学の論理学で求められる厳密さは同じなのだろうか?
「書いていないことはないものとする」という公理(その段階が浅いかどうかは別にして)を前提にした正当な論理はあるのではないか?
例えば、大学入試で三角形の内角の和を問う問題で、曲率0(ユークリッド空間)であることを明記している問題を見たことはないよ。
それを書いていないことを慮る忖度と言っても間違いではないし、前提を疑える可能性はあるけれど、その厳密さは国語に限らずどの教科でも求められてはいないよね。
すべての問に対して、「回答できるほど厳密でないので不定」という答えは誰も望んでない。
と答えないのと同様に