2019-08-16

ケーキの切れない非行少年たちの話で盛り上がっているので昔のことを思い出した。

学生時代個人経営学習塾バイトをしていたことがある。対象は近所の小中学生で、受験勉強に熱心な生徒もいれば友達と一緒に遊びに来ているような子もいた。その中に何人か忘れられない生徒がいる。少しぼかすところもあるけれど、大体は実体験だということを承知して頂きたい。

Nちゃん小学校高学年で、生まれつきの難聴補聴器を付けていた。補聴器をつけていれば通常の生活ができるということで学校普通級に通っていたのだけれど、大人数の授業では不十分だから少人数制の塾でカバーをしてもらいたいという親から要望だった。実際Nちゃんの入塾テストは低学年からやり直しレベルのひどいもので、「これは相当頑張らないとまずいな」と1体1で指導をしていく方針になった。

Nちゃん指導は困難を極めた。例えば「2ダース鉛筆を3人で分けたら1人何本になるのか」という問題では「2+3=5」と立式する。「1ダース12本だよ」と言うと式をすぐに消して「12+3」とする。「分けるから何算を使うのかな」というとまた消して「12-3」にする。仕方がないので24本棒を書いて3等分して見せて、やっと「12×2÷3」の式が出来上がるが、計算ではなく鉛筆見立てた棒を指で数えて初めて8と答えを出せるのであるそもそもNちゃんは九九はギリギリできても、簡単な割り算が暗算でできない。割り算の筆算ギリギリできて、24÷3ですら筆算の式を立てていた。

最初は「耳が不自由から理解ができないのかな」と視覚化を用いてみたりNちゃん聞き取りやすいように話し方を工夫してみたりといろいろ試してみたが、根本的にNちゃん理解力がないのが原因なので結果は出せず。親は100%耳のせいだと思っていたので「私が健康に産んであげられなかったから」と嘆くばかりで根本的なNちゃん問題に目を向けられない。

時間が経つほど、Nちゃんのヤバさは浮き彫りになる。四則演算ができない、小数分数概念がない、大きな数を数えることが出来ない、面積の公式は覚えられても図形を前にするとどこをどうすればよいかからず、当てずっぽうで式を立てる。面積を求める問題三角形内角が表示されている問題で、内角どうしを合わせていた。それでもNちゃんは答えが正しくないことがわかると式を消して、また適当に式を立てる。式を消さないよう指導すると、その日は家に帰って大泣きしたようで、親から激しいクレームが来た。

結局そのクレームきっかけでNちゃんは塾をやめていくんだけど、Nちゃんはわからない問題があると頭をあげてニコッと微笑みかけてくる。最初かわいい仕草だと思っていたけれど、それから様々な子と接するうちにあれはわからないことを誤魔化しているサインだとわかった。笑えば全部解決できるという学習をしてしまっていたのかもしれない。

もう一人、印象に残っている生徒がRくん。彼は地域スポーツ少年団所属しているのだが、教育熱心な家の都合で入塾させられた。本人は基本無気力宿題も忘れがちだし、雑談気持ちを乗せようとしても積極的に話す子ではなかったので淡々と授業を進めていくしかなかった。

彼もNちゃん同様の困難はあったが、彼はNちゃん以上に文章の読解ができなかった。「つばめは春に日本にやってきて子育てをして、秋に南の国へ帰ります」という文があって「つばめはいつどこへ帰りますか」という問いに「つばめ 春」と答える。「わるいことばかりしているとおばけがやってきて虫の姿にされてしまうぞ」という文で「どうすると何にされてしまうのですか」という問いに「おばけ 悪いこと」と答える。特に後者のような現実に起こらない出来事想像することが著しく困難で、課題で出されたイソップ童話を読んで主題を答える問題に「動物日本語を喋ってるのが面白い」と答えていた。確かに物語で一番気になる、大事なところを書く」と指導したけど…。

彼はスポーツに専念するということで一年くらい通っていたが、とうとう最低限の読解力を身につけさせることはできなかった。親は「仕事で忙しくて構ってあげる余裕がないから塾で面倒みて欲しい」の1点張りで、彼の問題点を気にかけることすらなかった。

その他にも「お月見存在を知らなかった小学生」とか「レタスきゅうりトマトを盛り合わせた料理サラダと答えられなかった小学生」に「50音が書けなかった中学生」などのエピソードがあるけどキリがないので割愛

それからしばらく立って某学習塾就職したけど、研修いかにもな熱血講師に「子供はね、全身で話を聞いてあげれば必ず答えてくれるものなんです、本気で子供に接すれば、子供絶対理解するから」と熱弁を振るわれてからこちらも本気でやる気を無くしたのと生徒が人として相応しくない行動をとったときに注意をしたところ保護者数名に逆ギレされたことがきっかけで1年経たないで辞めてしまった。今は学習塾とは関係ないところで子供と接する仕事をしているが、グレーな感じの子を見るとどこか支援で繋げればマシになるのにと思うことは多い。

ケーキの切れない非行少年たち」も読んだ。彼らに必要なのはかに適切な支援だった。しかし一介の塾講師しか学生バイト)に何ができたのかといえば、何もできないに等しかった。彼らの困難を知っていて、でも出来ることは何もないとその場を作ろうだけで最終的には見殺しにした。もっと保護者ケンカしてでも彼らを支援に繋げることができたのでは、とも考えるけどそんな人生をかけたようなことをする余裕は間違いなくなかった。保護者だってそんな面倒くさい問題から目を逸らしたいという気持ちになるのも理解出来る。

しかし、彼らを矯正することも果たして善なのがと言えば自信が無い。「ケーキの~」は舞台少年院などだから更生することが前提にあるけれど、Nちゃん自分の頭で考えられるようになって、自分問題に直面するよりあの誤魔化し笑顔を続けていた方が幸せかもしれないと残酷なことを考える。その辺は当事者問題なんだけど、当事者やその周囲の人間問題認知できないことが問題であるというのが「ケーキの~」の重要な部分だと思う。

支援したいけどまず問題当事者たちに認知させるのがクソ面倒くさいから見て見ぬふりが横行する。この構造を何とかしないといくらテレビで「発達障害が~」とか言っても何も変わらない。このままだと特に何も変わらないよ、変わらない。

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