はてなキーワード: フリーライダーとは
釣りか盛りまくってるぽい。二次創作同人誌50部とオリジナルゲーム100部の相関性に違和感。
人気ジャンルでコメディorエロの同人誌200~300部なら、オリジナルゲームはよくて20ぐらい。
でもあえて付き合うと
まずこの人の「真に創作に打ち込むべきか」の捉え方に、混ぜてはいけない考えが混ぜられてる。
A、真に創作者として一線級になる
B、魅力的な絵を描く
この二つは、全然まざらない。片方が実現されても片方は実現されない。
片方が実現されたときに両方が実現されるのは、人気ジャンルの二次創作同人誌の世界だけしかない。
Aを目標にするなら、
二次創作でクダなんて巻いてないで、さっさとオリジナル描いて、出版社持ち込んだり、コミティアの出張持ち込み持っていけ。
そこで商業作家としてプロデュースしてもらうためには何が足りないのか、ボコボコに叩かれて、成長するしかない。
このとき、絵なんてそれこそ魅力的な絵でなくていい。
ポプテピピックみてみろ。戦国コミケみてみろ。カイジでもいい。ハンターハンターの真っ白な背景でもいい。
真の作家としてヒット性が優先されるとき、絵はただの自己満足の領域になる。
バガボンドやベルセルクのキャラ・背景がどれほど美麗に書き込まれていても、読者はそれを理由に休載されちゃたまらない。
絵なんてのは需要内での品質の最低ラインを越えていれば、それ以上は「無駄なこだわり」として歓迎されない。
Bがしたいだけなら、
Aになりたいなんて都合良く誤解した考えは捨てるしかない。
大勢がヒットの下地を全部用意してくれた人気ジャンルの二次創作同人誌で、
フリーライダー(ただ乗り)してお山の大将しとくしか、どのみちできない。
超美麗な絵で買い手が増えるのは、公式が公式ゆえにエロを供給できない美少女ジャンルや腐向けジャンルしかない。
べつに、その範囲内で自己満足や趣味としてBを目指しても全然いい。
だがその場合、真に創作側(A)になりたい・なれるかもなんて、
本当にAを目指して動いてるやつや出版関係者の前で言ってみろ。
なんか凄く残念なものを見る目で、言葉少なに切り上げられるぞ。
どっちになりたいのか、混同せずに考えた方がいい
本当に創作側でありたいと思うならA
実際はこの人のいう「魅力的な絵」ではない「絵」ですらいいんだけどな。
例えばアイマス(デレステ)は誰もが「そこそこ上手い」程度に感じる絵、
何の捻りもないバストアップとか(作者も全然本気でない)で、いいね7000~13000がボーダー。
同作者で丁寧に気合いの入ったオリジナル描いても、いいね100もいかない。
二次で人気者になって一次デビューとか、別ゲーのお抱えとかなったけど、鳴かず飛ばずってよくあるでしょ。
本人たちもそれを認めちゃってる感が悲しいけど。
自分が何をしたいのか
とか抜かしてる奴らは元々翻訳家なんかじゃねーんだよ。
本物の翻訳家が作ってくれた翻訳家という肩書や社会的立場を利用してるだけのフリーライダーだったのさ。
親の看板をついだだけのドラ息子がブランド力だけで最初の数年は誤魔化していけるのと同じ現象さ。
読みとかなきゃいけない文脈が最低でも三つあるんだ。
翻訳する言語の文脈、翻訳した後の言語の文脈、そして翻訳する文章の文脈だ。
そして大抵の場合はこれに四つめとして、翻訳した後の文章が持つ文脈も読み解いて修正していかないと完璧にはならないんだ。
少なくとも向こう20年は無理だ。
老後が不安で貯蓄するから老人がお金を使わないなんてあほらしすぎる。
というか、高齢者が減って若者が経済を引っ張るようになる&将来嫌になったら安楽死できるという環境になれば自然と少子化は改善する可能性もある。
ここから下は余談
これだけ少子高齢化が進んでいるのに、議論されず先延ばしにされるのは異常なことだ。
政治に興味のない国民、それを作り上げる教育、政治に触れないことをよしとする(政治的発言をタブーとする)社会、どれも異常なのに、変化がない。
そうした方が政治家や経営者など上に立つ人間にとって都合が良いからだろう。
この国の国民の多くは自ら権利を求めることもせず、誰かのいいなりになって、平和を唱えて現実から目をそらし続けていれば問題など起きない、あるいは自分の責任にはならないと思っている。
日本人は中国や韓国が芸能やアニメなどの文化交流に政治を持ち込むのを白眼視するが、日本も逆の方向にいきすぎていることに気づいていない。
政治的すぎることよりもむしろ、政治的じゃなさすぎることの方が問題だ。
何かそういった「政治と関係ない(とされている)もの」に没頭していれば、政治のことなど考えなくても良い社会になっているからだ。
それなのに政治に、国づくりに参加しようとしない。
これで自分たちのことを考えた制作が行われると思う方が不思議である。
責任をとるのがいやならば海外に出て行くしか無いが、どこにも問題はある。
結局、国をかえても人がかわらなければ意味がないのだ。
はてなブックマーク - 経産相「いきなり電気自動車にいけるわけでもない」 | NHKニュース
まともなブコメまとめていくが、これ否定できるならやってみろよ。
どうせ経産省批判する流れが出来てからなんとなく乗っかかって物言ってるだけの思考停止したバカはてな民。
gokkie 30kWhリーフ買って一月半で2500km乗ったけど、今のトコ不満はない。先行者特権でフリーライダーになれるのは限られた期間やろし、格安で買った車でガンガンフリーライドしまくるで
600以上ブクマついてるのに実際に電気自動車を買って乗る人が二人しかいないはてな民wwww
fusionstar 欧州の EV 推進は原子力発電前提なんだけど乗っかっていいのかなあ
u-chan ただの腰巾着かと思ったら、まともなこと言ってる。これで「電気自動車ダー!!」なんて言ったら、後、新設の原発何基作る気なんだ?? だしね
raitu 短い航続距離(最大でも600km)および長い充電時間(40分)をすぐどうにか出来るわけでもないから、そんなに変なことは言ってない
mur2 いきなり電気自動車にしろという人はリチウムやネオジムを筆頭とした大量のレアメタルをどうやって安定的に調達する気なんだろうか。エンジン関連パーツ、燃料系統を作ってる下請けも死ぬぞ。
otihateten3510 英仏中がやってるのはあくまで政治だと思う。技術置き去りの政治に良い印象はない。支援はわかるが規制に便乗するのはおかしいだろ? どちみちメーカーは対応しなきゃならないわけで、経産省の立場はこれでいい
Earth_f1 EVに関して過度に期待しすぎるのもどうかと思う。HV/PHEV/水素/にだってモーターとバッテリーの技術はあるわけだし悲観しすぎでしょ。あとガラパゴスで言ってる人は日本メーカーの海外売上比率を見てみてはどうですか?
ukidousan LNG以外の火力発電所を潰すまではHV優位かなあ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00010007-msportcom-moto
moegi_yg トヨタが水素押し、EVにしなきゃ乗り遅れる、ガラパゴス、云々全部的外れ。中印蘭以外はHV, PHVも可、電動化の肝はバッテリー。日系はそこは進んでるし、スバル/マツダですらロードマップに数年後に導入
Dicer あれ?トヨタもEV用の高性能電池を開発中じゃなかったの??→ http://jp.techcrunch.com/2017/07/26/20170725toyotas-new-solid-state-battery-could-make-its-way-to-cars-by-2020/
poko_pen インフラ整備が不要なプリウスなどHVが20年掛けてやっとシェア30%(世界ではもっと低い)。充電スポットや新規発電所建設などインフラ整備が必要不可欠な電気自動車がどれだけハードル高いか理解して欲しい
dannier インドフランスはEV縛り宣言したけど、ドイツは同じ問題抱えてるから実はEV宣言はしてないんだよね。まあ研究開発と充電設備に巨額の投資はしてるけど。あと中国もいつ急に降りるかわからん、という感じなのだろ
ryokujya 日産のノートeパワーを見ましょう。リーフを出した日産がエンジンを発電に使うノートを出した意味を。今はハイブリッドが適している
もちろん私だって別にEVを否定してるわけじゃないぜ。政治的にもアドバンテージを取らないといけない部分があるのはその通りです。
インフラ整備や普及のための補助金、標準規格競争など、適切なタイミングを見て国が参加する必要はあります。はてブもそのあたりわかってる人をちゃんとフォローしたいですわ。
awkad いかにも日本だ。作る側が神と思ってる。決めるのは需要側なんだよ。中国とアメリカがEVだっていったらEVだ。日本は需要で負けてるんだから決定権なんてない
mamezou_plus2 充電スタンド規格「CHAdeMO」と別規格を欧米に作られ日本外し。EVが普及すると充電負荷が高すぎるのでスマート電力のシステムとかサービスとか。内燃車とは特性が違うから交通などデザインし直さなきゃいけない
giyo381 電気自動車の時代って言ってる人の中でwell to wheel知ってる人どんくらいいんだろ。石油が連産品とか、発電効率とか知ってるのかしら
石谷久(東京大学教授)による「Well to Wheel」でのCO2排出量( 2005 )/ ガソリン車:193 / ガソリンハイブリッド車:123 / 燃料電池自動車:86 / 電池電気自動車:47 / https://blogs.yahoo.co.jp/zaqwsx_29/18278184.html
お前らみたいなアホが、燃料電池の時も同じことを言ってて、
燃料電池がだめになったらその時応援してたことも忘れて手のひらクルーするわけよ。
おまえらどうせEVについても、EVにさっさと乗ろうとしない政府は無能とか言っておきながら、
いざ上手く行かなかったら、「誰だよEVに一足飛びに行こうとしたやつは」とかいい出すわけよ。
2040年になった時、さすがにお前らもはてなをやってないとは思うが、
このブックマークページのコメントは保存しておいて「ほーら20年前にこういうバカなことを言ってる人たちがいたんだよ」って晒してやるから覚悟しとけよ。
独身・子無しを選択する人の話題で何度も「子供を持たない人は老いてから他人の子供の世話になる社会のフリーライダー」という意見を見たけれども
人様のお子さんの世話になるくらいなら自殺する覚悟を決めている生涯独身予定の人ってそこそこいると思うんだよね。自分もそうだけど。
希望者が安楽死できる世界になって、自殺に伴う痛みや失敗の危険もなく死ねるってなったらそういう人は絶対増えるよね。
少子高齢化社会の解決ってこの方向で行くしかないと思うんだよ。
だって世の中のみんなが少子化対策に乗り気になってみんながカップルになって各家庭2人3人と産み始めたら今度は逆方向に社会が破綻するんだし。
うんじゃあ自称ベーシックインカムに詳しい俺様の定量的なデータと論文を出してもらおうかな
え?僕ちゃんが考えただけ?笑
後進国と比較するのもアホだし税制や社会保障がまったく異なる他国と比較して相続税を語るのもアホだし言語障壁や外国投資に伴う精査コストが高い日本で顔真っ赤にして逃げるぞ!と喚いてるバカってもうね
金持ちに税をかけるのは資本主義経済の範疇で十分説明できるのに共産主義笑
具体的に言えばモノかヒトか情報を動かすことで金を得られるわけ。
それらの資源使用は国家のインフラを前提として成立してるんだよね。
金持ちはそのインフラを中流以下よりも大量に使用することでカネを稼いでるといえるので、
中流層に還元するというのは国家経済において経済の安定性を図るのに必須だからやるだけ。
これはどの経済学者云々というより事実性の問題なので否定したくて必死になりながらあいつらは正しくない!とギャンギャン泣かれてもふーんへーと馬鹿にされるだけ。
適切な対価使用請求を共産主義だ!とか喚かれてもフリーライダーしながら正当化に必死なザコとしかみなされないのでやめような。
この問題の根幹には、「勝手にやる連中がしっかりやったとして、準備は参加せずイベントだけ参加するフリーライダー問題」が存在し、
世間は(教授と名のつくクズまで)、「子供の権利」を盾にフリーライダーを擁護する。
やりたくないなら良いから、困った時だけすがるな。
田舎のイベントで、町内会にも参加せず、青年会にも参加せず、会費も払わずに、「なんでうちの子がー-----」って火病る馬鹿居るが、
知るかよ、テメェのための祭りじゃねぇんだよ。
勝手に引き籠ってろ。
世の中はな、ギブアンドテイクなんだよ。
誰も助けてくれない?
当たり前だ、ボケ。
テメェが他人のために動かんのなら、他人もテメェのためには動かねぇんだよ。
それで、子供が不明になったりしたら、「村社会は冷たい」とか言っちゃうんだろ?
氏ねよ。
人間っていうのは、コミュニティに何らかの価値(仕事)を与えることで
でも人によって仕事の出来・不出来があるから、コミュニティに納めるお金は人によって差を出してる
一方で、コミュニティから受け取る恩恵(公共サービス)は、あまり差を出さない
これは富の再分配が目的だけど、じゃあ何故再分配するかと言えば、コミュニティをいい形で維持したいからだ
これがもし「払った税金の分だけ、公共サービスが受けられる」なら、コミュニティの維持は難しいし
「物の売り買い」というミニマムな行為を拡張して、コミュニティ形成を目論んだ場合
もちろん社会の場合と同じで、フリーライダーをどう減らすかとか、どこからどういう手段で徴収するかという課題は生まれるけど
「課金者の割合を増やす」という課題は、「どうやって全員に物を売るか」よりも簡単だ
これも税金と同じ
社会の全員から100万円徴収するより、儲かってる人から多めに取ったほうが簡単だろう?
他にも利点がある
物の売り買いの場合は、どうしても価格競争になってしまうが、フリーミアムの場合は基本0円なのでもはや下げようがない
これは一種のカルテル状態になり、よりサービスの本質で勝負ができる
だから価値の尺度が難しいコンテンツ業界なんかでは重宝されると思う
ちなみに、フリーミアムモデル、もっと言えば定額支払モデル(サブスクリプションモデル)は、物の売り買いをしている人にとってはもちろん厄介な存在だ
買い手は「買う」という行為ではなく「コミュニティに属する」ので、サービス提供者に囲われてしまう
特にフリーミアムモデルを持っている場合だと、「買うより安い」とみなされるので、そちらに流れてしまう
これも社会と同じ
より小さな社会は、大きな社会には太刀打ちできず、その村に参加するしかなくなってくる
それが良いか悪いかは別にして、個人で対抗するにはそれ相応の力が必要だ
ここまで読めばもう大体わかると思うけど
・価値の生産にあまりお金がかからない(ソフトウェアなど、コピー可能である)
・価格の差を作っても怒られない
フリーミアムを導入してるところは、要はコミュニティ(村)なわけだ
そこを維持していきたいと感じるなら、積極的に金を払えば良いと思う
あるいは、金を払ってる者たちに感謝するべきだ
バブルはじけてから非正規の仕事ですら責任が重くなって業務量も増えてるんだから、正社員の仕事も言うまでもない。
しかも化粧の上達やら男性の美容やらで容姿偏重の社会になっているから、性別問わず顔面偏差値の衰えに嫌気がさす人も多いはずだ。
年金はもらえないもしくはもらえても少額で、貧乏しながら生き延びてもただつらいだけ。
上流社会に滑り込んだ一部の有能な連中以外は、今さえ良ければいいと思うタイプが増えてるんだろう。
文化や芸術の面でも、長期的・広範的な視野を持たなくても済むような、脊髄反射で快楽を感じられるものばかりになっている。
反論したい人は、ついでに長生きしてなんかいいことある?に答えてみてほしい。
healthy719 長生きしても楽しくなさそうという個人的な感想と、若者は長生きしたくなさそうという客観的な指摘をここまでごっちゃにできることに感心。長生きするよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160716001545 これのブコメで長生きしたくない連中を見たのと仕事の難易度が上がった、美醜に厳しくなったという事実によって指摘された論を個人的な感想だと表現し根拠を出したりして反論できない頭の悪い人に限って自分の考えを疑わないもんなぁ。現に他のブコメでも同意見なヤツが多数出てるわけだが。
inmysoul 死にたいとか言ってるやつってリスカしてるかまってちゃんと同等。ファッションだよ。だって死ぬ方法なんていくらでもあるもん。死にたい奴はもう死んでる。
tokage3 テメー年取って記憶が衰えて碌でもなかった昭和の時代を美化してるだろ
ボケづらくなってるのかしらんけどじいさんばあさんの歳になるまでが苦しい方がどう考えても悪い時代だろ
昔の若者も~とか一定数が~とか言ってるけどそういう若者が増えてるんじゃないのって話だよ
bombura いまの若者を語るほどに、自身がおっさんになったってだけかと…過去を美化するほどボケ(略 バブル期に流行ってた言葉を教えましょうか?「24時間戦えますか?」そして日本人を嘲笑して「エコノミックアニマル」と。
このコメント自体が過去を美化してるようにしか見えないが。長時間ダラダラと会社にいて無能でも残業代で稼げてた時代と短時間で業務を詰め込まれてかつ失敗すると人間でないかのように追い込まれるかつ低賃金の時代、どっちが高い負担なのかは明白。
yhys07 35歳以下の人間としては反論したい。大多数の人間がネット接続可能な小型端末を所持したり、VRゲームが一般に普及し始めたりと昔SFの中にあったものがどんどん実現し始めて面白いのに長生きしないの勿体無い!
sukekyo 「今」の価値観でいうとそうなんだろうとは思う。おれらだって半世紀前のおっさんおばはんの価値観の外にいろいろと見出してるわけでな。VRのMMORPGの世界に長く住むために生きるとか。
ikanosuke 世の変革や技術の進歩をずっと見ていたい。参加しなくても良いから、意識だけ長生き出来ないものか。/親の務めとして就職まで娘の成長は見届けたい。夫といるだけで楽しいので、人生あっという間だと感じそう。
itarumurayama 「35歳未満は長生きすると、苦労する」のかも知れないが、何故それが「長生きしたくなくなる」に飛躍するのか、謎。何この増田
死ぬのが怖いから死なないという意見には同意するけどこれを因果関係で結べない方が謎。
oya3 元ブコメ消えてるけど、わざわざ引用されてるブコメが全てじゃないの。なんでこの程度のオレオレ主張にこんだけブコメついてんだろ。三連休暇なのか。
boon800 そもそも推論として破綻してるし、上から目線で屁理屈言って論破した気になってるし、酔っ払いの戯れ言と同等またはそれ以下だわな。せっかく仮説の立て方は面白かったのに。
具体的な指摘のない典型的な匂わせコメント。このレベルの発言をid晒してできるとか自覚のないバカはしあわせだと思う。
YTR8335HS それは増田の属するコミュニティの若者の話だよね。この年齢の人ってこうだよね、と言うのはもう無理。年齢ではなく、収入、仕事内容、私生活に依存する話。
仕事内容の負担増や美醜への視線の厳しさなど一般論として言える部分はあるでしょ。長生きしたいのはおまえのコミュニティだけの話だよね。
Caerleon0327 言いだしっぺが、仮説をデータで証明すべきであって、なぜケンカ腰で登場し、思い込みで論争して論破した気になっているの?増田は責任を果たすべき。
思い込みとまで断言するんならおまえこそ金かけて統計調査やってデータで思い込みであることを証明してみろよいまやれすぐやれ30秒でやれ。なんでもかんでもデータがないから事実じゃないただの思いこみはい論破とか言い出すレベルのクソバカがいると仮説段階の問題提起すらネットから失われるようになるんだが、ところで君はまともな問題提起を今までいくつやってきたのかな、それすらできてないのに他人に統計調査つきの問題提起をほしがるならただのフリーライダーじゃん。自分がなにも生み出せないくせに責任を語るな。
個人の合理性と人間存在の合理性をごちゃまぜにしておかしいなと感じない脳みその人間が何言っても説得力ないよ
http://anond.hatelabo.jp/20160705180547
http://anond.hatelabo.jp/20160705182214
欲求・達成目標である動機にまで合理性・能率性の高いものを及ばせようとするんじゃないよって話。
子供がコスパ最悪と言ってる人間は人生設計においてその他の要素と較べて相対的にコスパが悪いという話をしてるのであってそれは子供を産んでるヤツも言語化していないだけでまったく同じように選択してる
ただ単純に効用曲線が異なるだけ
他人から客観的に「お前生きてても社会にとってコスパ最悪w」とか言われたら死ぬ覚悟があるんかい、と。
自分にとっての合理性と他人や社会にとっての合理性の区別がついてないバカだとあらためて紹介されてもやはりヒットラーの生まれ変わり気分のバカだとしか言いようが無いな
http://anond.hatelabo.jp/20160705183757
だからその「自分にとっての合理性」こそが不合理性なんだと言ってるのになぜ他者からみた合理性と自分の合理性が異なるのか?
自分がアイスを食いたいときはみんなアイスを食いたいに違いない!ってか統失だな病院に行け
何度言われても理解する気がないから理解できないんだな
というレッテル貼り
なぜ自分と他人で合理的解釈の相違が発生するのかそこから必死で目を背けているのが笑える
効用曲線で説明されてもそこから必死に目を背けて理解できない落ちぶれたバカに笑われてもさすがキチガイは論理立てて思考できないんだなぁとしか
http://anond.hatelabo.jp/20160705191017
相手の味がどれほど劣っているか、自分の選んだ味がどれだけ優れているのか、それを合理的に決着付けることなんざできるわけねえから。
おまえのような馬鹿のためにもう一度説明してやると「子育てのコスパが悪いは個人にとっての財1と財2を比較してコスパが悪いのだという意味」って話をしてるんだが。
そしてそれは子供を産んだヤツも同じ。
→「子供がコスパ最悪と言ってる人間は人生設計においてその他の要素と較べて相対的にコスパが悪いという話をしてるのであってそれは子供を産んでるヤツも言語化していないだけでまったく同じように選択してる」
こんな効用曲線で語ることができるわけがないことに必死で適用させようとしてるのがマジキチってんな。
このケースでは上記のとおり、個人の中での効用曲線で比較して語ることができる、そして他人と個人の効用曲線が同じだとは俺は一度も言っていない。むしろ異なると明言している。
→ただ単純に効用曲線が異なるだけ
好き嫌いっていうのは何をもってしても合理的な決着はできずに個人に集結する。
うんだから個人の効用曲線が他人とおなじだなどと一度も述べたことはないから。誰と闘ってるんだキチガイ。
だから他人から無価値だと言われても生き続けないといけないし、その理由を根本的に阻害する「ガキはいらねえ」理論は知性的でも何でもないっつってんだよ。
ガキを産んでる親も判断基準はおなじだから。対象が異なるだけ。おまえは社会のために子供を産みます!!という親から産まれたの?じゃあ今すぐ回線切って社会のためにバイトでも始めて働いてこい。
じゃあ今までガキを肯定することで成り立ってた社会の恩恵を受けているデカいガキのお前も今すぐ死ねって話。
子供を産むのが半強制だった社会など存在しないから産みたい親が勝手に産んでただけ
もしかして10人くらい子供作ってるだけで社会に貢献してるとか言い出しちゃうレベルの低学歴大ファミリーの無職なのかな?
自分の価値観を論理的に否定されて発狂しちゃうキチガイにガキだの死ねだの言われても笑いしか起こらないわw
http://anond.hatelabo.jp/20160705211058
さきの記事を読めばわかるように、バカが全く読み取れてないから引用を始めてやったのに分かってるもん!とかさすがキチガイだわ。
「人生設計において子どもがコスパ悪い」これがまず間違ってるから。子どもが欲しいっていうのは本能でありごくごく当たり前のこと。
自殺した方がいいレベルのキチガイくんは自他の効用曲線は違うということすら忘れたのか
おまえにとっての当然と他人にとっての当然は違うことすら理解できないキチガイがガキを産んでも社会の害だから産まないでくれる?
自己保存の欲望なんて子供以外にもいくらでも代替可能なのに人間レベルにまで達していないキチガイはヤって孕ませることしか脳内にないんだとよくわかるw
おまえのようなキチガイが子供を作りたがらない夫婦に向かって「貴様らは本能が壊れているイコール人間として義務教育を受けてこなかった」などとキチガイセリフを投げかけるんだろうなw
つーか人生設計できてるやつほど結婚して子どもいるんですよ。
自分の望ましい社会じゃないと望ましい他人じゃないとヤダヤダと叫んでる脳内ガキンチョのままの統失で家族ともども自殺した方がいいレベルのキチガイだとよくわかるw
さきのとおり効用曲線によって判断されているので結婚してようが子供がいようが自身の快楽とそれに伴うコストで判別してるだけw
子ども作れない原因は身体に無いなら精神病由来だから。
同性愛者や無性愛者への差別発言を平気でするキチガイは社会の害だという自覚もなく平気でこういうセリフを吐くんだなw
効用曲線の違いを認められず本能だの精神病だの平気で差別発言を繰り返すキチガイ一族は全員自殺して早く途絶えればいいのになw
あと子ども作らなきゃ貢献してない、なんてことも一言もいってないんですが。
じゃあ恩恵を受けてるだけだのフリーライダーであるかのように印象づけるかのようなことを言うのはやめようなゴミ
「もしも子どもを作らなければ他人の子どもを1人以上の命を確実に救える、豊かにできる、天才・偉人を教育できる」コスパで考えるなら財源で考えるならこういう論理的思考をするべきだろ。社会にとって子どもが必要ということに疑問を感じるならもはや議論する意味もないが、それを前提とするのであれば自分がどれだけ社会に存在する子どもを助けられるか救えるか産み育てられるかどうかがコスパの論点だから。
自殺した方がいいレベルのキチガイはさっきまでの議論も忘れたのか個人の合理性を基準として発せられたコスパというワードに違う文脈をくっつけて社会のためじゃないからコスパじゃない!と喚いたところでキチガイがまーた勝手に文脈変えてしゃべってるわとしか思われないからなw
全く子どもという要素に対して現代社会に生きてのうのうと恩恵受けているというのに干渉せず代償を支払わずにメリットだけをむさぼり尽して他人にコストを支払わせる、それはコスパいいんじゃなくて無責任な寄生虫だっつってんだよ。そんな特権階級に居座れるだけの社会貢献をしてないどっか這いずり回る虫の1匹が子どもを作り育てるというハードルさえ飛び越えようとせずに財源気にしてんじゃねえっつー話。社会貢献をもし否定するならその承認欲求も同時に否定しろ、二度と増田に書きこみするな。
>>あと子ども作らなきゃ貢献してない、なんてことも一言もいってないんですが。
子供から恩恵なんて一ミリも受けてないな。年金なんて受取の権利分は支払い済だから子供が~というのは的外れのキチガイだし、教育費用などは納税や労働してる時点で返してるわけだし寄生虫でもなんでもない。むしろ子供のために税金を支払わせたり保育士など社会的資源を公的な金で使ってる方が寄生虫。全額自分たちの金で払ってから財源や子供を産まないヤツに文句を言おうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160706182111
自分が他人から社会から如何にして保護されているのか、それが国の財産であるということが全く理解できてない
具体性のない中傷、キチガイにとっては違うから違うんだもん!を匂わせるだけで反論した気分になれるらしい笑
何度も言ってるけど理性や合理性っていうのは非合理性の塊である本能を充足させるための道具にすぎんのよ
効用曲線によって判断するという言葉の意味を理解していればこんな発言は出てこない学のないバカが自分のお気に入りの価値観を否定されて発狂してるだけだとよくわかるなにひとつ反論なしのレッテル貼り中傷しかできないキチガイは自殺するほうが社会のためだぞ
計画性のあるやつは計画的に本能を充足させるやつであり計画的に子づくりするのなんて簡単なことですから
これってまさに子供を産むヤツは効用曲線を踏まえて考えてるという証明なんだが笑
自己保存の本能において対象が子供以外でも計画的に本能を充足させているだけ
http://anond.hatelabo.jp/20160705212614
B氏は「他人がしている子育てを、他人がコスパとやらで測ってどうこう言うのは間違っている」
自分の子育てに伴うコストや快楽を自分で想定した結果のコスパがどうかという話をしてるのに子育てをしてる側が自分はコスパの悪い子育てをしてるのかと勝手に傷ついて発狂してるなら自分にとっての幸せを信じられない可哀想なほどのバカだとしか思えんわな。もしくは現在しあわせを感じられなくて発狂してるならてめぇの選択の責任を勝手に人に押しつけんなって話だし。
今まで色々な人と仕事してきた中で、このところ使えない奴の共通点に気づくことができた。
使えない奴とは、絶対に納期を割る人間、もしくは締め切りギリギリを手につけないで結局徹夜進行になる人間だ。
それは、その人を取り巻く環境が整理されているかどうかという点に尽きる。
無駄なものを身に着けてないか、デスクに無駄なものが置かれていないか、いつ使うかもわからないものが出しっぱなしになっていないか、かばんの中に使いそうにないものばかりがはいっていないか、商談中にもう使わない資料を出したままにしていないか、話が頻繁に横道にそれることはないか、必要な確認が不足することはないか、余計な知識や資格ばかりを欲しがったり身につけていたりしないか、、、などなど
いちいち挙げていてはきりがないが、どれも共通して言えることは、周辺環境が整理されていないということだ。
こういう人間は、得てして”何事も損することがもったいない”と考えているのだ。
後悔恐怖症と言ってもいいだろう。
例えば普段滅多に使いもしない道具を机の上に出しっぱなしにしている人間に理由を問えば、大半は「使うときに探すのが面倒くさい」と答える。もしくは、「持っていることを忘れてしまうのを防ぐため」という人間もいる。
使いもしない道具をかばんの中に入れっぱなしにしている人間も、「いざ使うときになくて困ったから」と答える。
商談中に資料をしまわない人間もそうだ。しまった後にもう一度出せと言われるのが面倒くさいからだ。
一度の後悔が原因でそれをお守りのように持ち歩いているなら、持ち歩いている時間の大半は無駄である。
それなのに、一度でも持ち歩いていたことのメリットを感じてしまうと、手放せなくなってしまう人間がいるのだ。
そういう人間はなぜ仕事ができないというと、目標達成のために必要な取捨選択ができないからだ。
もったいないと思う気持ちが強すぎて、不要なものまで抱え込んでしまうのだ。
ニュースサイトにかじりついて、常に最新のニュースを知っていないと気がすまないし、一つでも情報を見落とすことを恐れて常にリロードを繰り返してしまう。
ソーシャルゲームの体力を計算して常に満タンにならないようにゲームを起動して、課金はせずとも最大限の結果を導こうとするのもこの人種だ。
しかし、その中において合理的では合っても、人生という全体においては非常に不合理なのだ。
なにせ一番大切なリソース、時間をどんどんと失っているのだから。
目先のものにもったいないと飛びつくことは、お金を使わなければ無料なわけではない。
人生のすべてのものを生み出すために不可欠な時間が支払われているのだ。
それに気づいていない人間が、しっかりと計画的に目標建てて仕事を完遂できるわけがないのは明白だ。
ちなみにこの増田はここまで15分で書いた。
私の時間というリソースは無駄になるが、これでもし世の中の時間効率がほんの僅かでもプラスになれば、わたしの15分は有効だったといえる。
それが巡り巡って世の中を少しずつ良くし、その中で生きる自分の生活が少しずつ良くなるのだ。
個人が自らのもったいないに縛られることで、環境にリソースを還元できないでいるのだ。
広告費なんて入らなくても、それが元で世の中を少し良くすることができるかもしれないのだ。
今必要なことは、個人が価値を抱え込むことではなく、多少のフリーライダーを許しても、その中で気づいた人間たちが積極的に世の中を回していける環境を作ることだ。
それが世の中を良くする第一歩だ!
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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この神話が発しているメッセージは、多分「運営やサークル参加者だけではなく、一般的な括りではお客様と分類される<一般参加者>も、このイベントに貢献しようという意識で参加している」という理想を掲げたものだと思います。この神話がいつから語られだしたのか知らないけれど良い話だなあと思います。
ただ、これは理念であって、必ずしも現実ではないって区別がついてない死ぬほど頭の悪い人たちがいますよね。
たとえばこういう人たち。
コミケの神話の理念自体は立派だし、その理念に共感して、実践している人たちは本当に素晴らしいと思います。でも上の人達はそうじゃない。
その立派な理念に共感し、現実にしようとして努力するのではなく「これを否定する奴は悪だ」みたいに振る舞うただの馬鹿。
こういうのはただのカルト宗教であり原理主義者です。 本当に参加者の誇りがあるなら、知らないだけの人にこんな暴言吐きますか?
こういう行為が「参加者」として相応しいと思ってやっているのだったら、「たしかにコミケは参加者しかいないかもしれないけど参加者ってのは最低なやつらの集まりだな」となります。
良かれと思ってやってるなら、あんたたちのやってる行為は無能な味方だと言っておきたい。
上の馬鹿な人たちだけでなく、この話を良くする人たちは自分の頭でよく考えてみて欲しいんですが、「一般参加者」のやってることはそんなに特別ですか?
大半の「サークル参加者」でない一般参加者は、総体としてみればディズニーやらジャニーズのLiveで行列作ってる人たちと大して変わらないと思うんですよね。「徹夜行列」だとかしてるのも含めて。むしろ最近は「ニコ生」とかしだしている。そういうことを考えた時、総体としては私の中でのコミケ一般参加者のイメージは、他のイベントで行列作ってる人たちより悪いです。
「運営スタッフと一般参加者との距離感の近さや隔たりの低さ」こそ好ましいものだと思いますがこれだってどちらかというと運営スタッフの努力によるものです。
「一般参加者」としてあなたたちが他の人に誇れることは何ですか? 長時間文句を言わずに行列を作って並ぶこと以外に、何か特別なことをしていますか?その程度のことでなぜそんなに偉そうなのですか? 馬鹿じゃないの?
上のまとめに限らず、コミケに参加するような人たちが普段からマナーが良かったり、当事者意識が強い人かというと全然そんなこと無いですよね。
むしろ、この神話を崇め奉る人に限って、他の場所では、例えばオフ会に参加したらお客様感覚丸出しで、その会に貢献するでもなく、帰宅してからオフレポで悪口しかかかない馬鹿をやらかしたりします。
「コミケ」を持ち上げるんじゃなくて、「自分」が日頃からコミケ以外でもいろんな場所で「参加者」としてその場に貢献するような行為をすればいいじゃないですか。
先人たちが作り上げてきた「コミケの神話」にたかって、自分を律することもなく自尊心高めようとするだけのフリーライダーたちよ。 あなた達のような行動をする人たちを世間では「お客様」と言うのですよ。
バーカ