はてなキーワード: テディとは
就職氷河期以降の世代というと、1970年生まれ以降って感じか。
その条件はどこにも書いていないで議論していたけれど、それはさておき。
今の時点で満51歳以下の人で女性の友人なりステディな関係の相手がいる男性で男性の友達がいない奴なんているか?と言われると、わからんね。
ここで友人をどう設定するかがちょっと気になるところ。
現在これといって親しい友人がいないは満51歳以下でもそれなりにいそう。
失職したのを見せたくなくて引きこもりになってしまう奴もいるだろうし、
かつては親しい友がいたが、仕事に熱中しているうちに友人を失ったやつもいるだろうし、
結婚して家族を大事にしすぎるあまりにそれまでの友人を失ったやつもいるだろうからな。
特に一番最後のパターンは就職氷河期以降の世代だと結構普通にあるのではないかと思っている。
かつては男は家に金入れたら家のことをしないでもOKだったが、バブル崩壊以降は家のことをしないで外で遊んでる夫や父は市民権を失ったと思う。
トータルでは自慢話だと思ってもらっていい。
俺は割り合いモテる。
世間の平均がよくわからないが、10代後半から30半ばの現在まで、だいたい年に一回くらいは女性から告白されるので、まあモテる方だと思う。とりあえず、これが客観的な前提としてある。
好意を持たれると、そのことが感覚的になんとなくわかる。二人で話しているときの雰囲気とか、職場で俺が近くに行ったときの反応とか、飲み会のあとで送られてくるLINEとか、なんとなくそうなのかな、と思わせることがある。
半分客観的と言えるのはその後に実際告白されることがあるからで、半分主観なのはされない場合もあるからである。後者の場合は俺の勘違いも含むんだろう。
あと、「え、全然そんな素振りなかったよな?」という相手から告白されたことは一度もない。基本的に、好意は言葉にする前から相手に伝わっているものなんだろう。
俺もきっと伝わっている(いた)んだろうな、と思うと、けっこう恥ずかしい。俺は高校のときから同級生の女性のことが二十年近くずっと好きでいる。いまでも仲はそれなりにいいが、向こうから恋愛感情を向けられたことはない。上に書いたような理由で、それはなんとなくわかる。
ここからが問題なのだが、好意というか秋波というか、決まった恋人のいるはずの女性からこれが来て驚くことがある。
実際にそういう女性から告白されたこともあって、本来の相手は…と思う。告白の前にケリを付けてきたのか、俺の返事が良くなければ元のところに戻る想定なのか…。
というか、表題の『かけたりするものだろうか』という問いは実際に告白された経験があるのだからすでに答えが出ているのだが、どうも納得がいかない。
男性の貞操なんていうのはかなりいい加減であることを周囲の連中から深く理解しているので、チャンスがあれば、据え膳食わぬはなんとか(古い)的な行動が多いのはわかるが、女性の場合も同じ、というのが腑に落ちないのだ。
だいぶ昔に『げんしけん』を読んでいて班目が彼氏持ちの女性に迫られて「女こええ」という場面があり、そうか、女はこええのか、と思った。
しかし、どこまで行っても知識の域を出ないというか、自分自身がそういう体験をしても、まだ「ステディな恋人がいる女性でも別の男にモーションをかけたりするものだろうか」と、どうも得心のいかないところがある。
ニューヨークからフロリダへとヒッチハイクの旅はトラックを経由した。光り輝くフロリダオレンジの太陽が私の帽子を貫く。木漏れ日に目を細めるとトラック運転手は荷台へ向かって大声を張り上げた。
「おまえさん、こんななにもない場所へどうしたんだい!」
私のうまく起こせない上体はトラックの端にある紐で結ばれている。少し前運転手はバスケットコートのカメラから見るボールみたいに目を大きくした。私の身体は動かず、車椅子に支えられていたからだ。あんたそんなのでどうして遠出しようってんだ、と運転手は感嘆の声を上げた。それが二時間ほど前のことだ。
私は運転手に家族の集会があることを伝え、その用事がバーベキューであることを教えた。それからフロリダ州の看板が見えたので、コントラストを強く投射する景色を風に流しながら、私の名前を伝える。そうかい、メグっていうのかい、と運転手は陽気に答えた。林立するビルを縫って突き抜ける青が歯科医に飛び込んでくる。フロリダはオレンジの国じゃない。避暑地だ。だからバーベキューには都合がいいのだ。多分そうだし、そういうことにしよう。うちの家族に振り回されたことは忘れて。<溶け出しそうな>夏の頃が思い出されたとしても。そういえばあの日もこんな風に感想した風が髪の毛をさらっていったものだ。サングラスが反射する光のその先に目的地があった。
◆
「どうしてそんな事を言うの」
電話の向こう側でケンがなにかの言い訳をしている。言い訳の仕方はまるで父そっくりだ。もうそんなところばかりだ。わたしときたらそんなケンに向かっていつもは冷静なのだけど、彼が父のように逃げ続けるさまを見ていると、どうしても声を張り上げてしまう。ケンはそんな時に決まって「メグはママにそっくりだよ」と吐き捨てるようにいう。全く美味しくないチリソースをアスファルトにぶちまけるようにだ。理由はこうだ。本当はここで開催される予定だったバーベキュー大会が、父の会社の都合で大きな話になり、他企業を巻き込んだバーベキュー大会に発展したらしい。それも開催地は何故か日本。私はケンに、肉よりも寿司の日本でなぜバーベキューなのかと問い詰めたが、頭に血が上っているのかケンは日本だって神戸牛があるし、開催地としてアメリカとは違った面白さが出せるんだといい始めた。違う、そういうことじゃない。少なくとも久しぶりの家族のバーベキューが行われ、とってもプライベートなものだって聞いていたのに、どうしてそれがお父さんの会社と関わっているのか聴きたいのだ。しかしケンはこれは日本と米国の絆を結ぶためのものなのだ、と主張してやまない。ALS-CoVζ+が未だ収まっていない時期になぜそんなに話を大きくしてしまうのだろうか。そんなことはどうだっていい。それよりも、家族の一致団結できる機会が失われた事実が私にとってショックだった。素晴らしい日差しの下でトロピカルフルーツソーダの飲みながら、サンオイルで日焼けをしている人達もいるのに。
◆
「やあケン。今回は会社から大会の趣旨が発表されてね。ぜひ神戸牛とアンガス牛の対抗戦をという事になったんだ」
「それで、勝った方には?」
「純金製のメダルが贈呈されるだけだよ」
「だけ?」というケンの声がスマートフォンの不協和音とともに響いた。父のノキア製は日本ではマイナーだと聞かされて、その音質に少しだけ疑いを持ち始めたばかりだ。父はケンの懸念事項がバーベキューの開催予定地のことばかりだと思っていたが、どうやらそのノキアで聞く限りそうではないらしいことが理解された。ケンは明らかに家族の集会が壊されたことを怒っており、主催は誰だと問い詰めてきたのだ。父はやむなくドビュッシー会長という人物だと述べたが、俺はクラシックの名曲よりも古いラップが好きなんだと皮肉交じりに父の言葉を投げ捨てた。まるでそれじゃあ、ダディはまたしても「お山」の大将「だ」ろうとまでいう。ダディーはクールじゃないとまで言い放った。それは一体何のジョークだいというと、日本版の4chのセリフさ、と返すばかりだった。ゼータ株はあの頃の僕たちのキャンプを奪ったが、父は僕たちから家族の有り様を奪おうとしているのではないか、そんな懸念がケンの頭をもたげた。そのくせゼータ株は活発に人々を結びつけようとしていやがる。ニューヨークからメグを追いかけるケンはハンドルを回しながらそうつぶやいた。
◆
ケンがメグと合流して数時間後、隔離が完了して未感染者のみが利用できるビーチで突然人が溶けた。その液体は灰色と真っ黒な血をビーチに滴らせ、バーベキューの肉のようにビーチの砂を汚した。それとは関係なく海鳥は通り過ぎ、メグは声にならない声とともにジーザスという単語をピンク色のリップを塗った唇から漏らした。到着したばかりのケンは目の前で人々が弾けて溶けてゆくさまを見て、エボラか何かかと目を疑い、それが数年前に起こった悪夢の再来であることを知覚した。フロリダ州に緊急事態宣言が敷かれ、州知事は政府の圧力によって州ごと隔離されたことを発表した。通信網は途絶え、父との国際連絡も取れなくなったメグとケンは、暴徒鎮圧用のゴム弾を装備したSWATたちに誘導されて収容施設へと向かった。発電の電源はかろうじて発電機型のバッテリーとして供給され、被災地には水が運び込まれた。しかしそのどれもが決死の覚悟で運ばれてくるものであり、運転手は全身防護用の白い服を着て入念な消毒を経た後にフロリダへと入り、そして出てゆく際にも消毒を行わなければならなかった。ひとまずイントラネットとして暫定的に繋がれた外との通信によりニュースだけを見ることができた。
そうして避難所での生活が進む中、ウィルスで隔離された人々の間に奇妙な一体感が生まれようとしていた。それはヒステリックな怒りであったり、それを鎮めようとするものであったり、また話し合いによって解決しようとする者達や、殴り合ったあとで肩を組み合うレッドネックたちなどによってだ。彼等はお互いをファミリーと呼び合い、外にいる連中をウォーキング・デッドだと笑いとばした。正気が保てない人々は、普段忌み嫌っている低所得層のレッドネックたちの話をよく聞いた。富裕層たちは臨時の学校を開いて塾を作り、黒人たちは放課後と称して子どもたちにバスケットボールを教えた。そうして閉鎖空間は小さな社会になった。ケンもメグもよく話し合った。とりわけ、ゼータ株のことについてだ。彼等は先日の家族のことを思い出して悲憤慷慨し、やがてウィルスによって僕たちの絆が深また奇妙さと、ウィルスによって人々がばらばらになった悲劇を語り合った。
その頃からメグの夢枕には、なくなった叔父の姿が映るようになった。叔父は家族の異事で何かをいいかけていたが、そのたびに消えてしまう。そんな夜が繰り返された後のある朝、フロリダの海岸にある変化が起こった。その変化はイントラネットTVに映し出されると、やがて通信の全てが回復した。日本の企業ソフトバンクが提供する緊急ブロードバンド回線につながったメグたちのスマートフォンは、あるものものしい人物たちを映し出した。それは水陸両用車両のようにも見え、中から防護服をつけた人が降りてくるのが見えた。車両には見慣れない文字が書かれており、不意にケンがそれを見て叫んだ。まるでパーティーが始まったかのような喜びようだった。見なよ、あれは"セルフ・ディフェンス・フォース"だぜ! ケンの指差す画像の向こうにあったもの。それは自衛隊の揚陸艇であった。第十七小隊、フタマルマルこれより状況開始。という声とともに彼等は海岸に落ちた血や散らかった廃棄物、まるでタイフーンにやられた風に映るカビの生えた建築物を撤去し始めた。そんな作業が一週間もつづくと避難場所の衛星問題はすっかり快適になり、自衛隊の面々と記念写真すら取れるまでに改善した。ケンはその時彼等にどうして来たのが十七小隊なんだいと問いかけたが、ある隊員は、十七小隊は俺達のメダルみたいなもんさ。と笑って返すのみだった。ケンはそれを聞いて、じゃあ俺たちはあんたたちに助けられたから十六小隊でいいさ、と破顔した(筆者注:2021/08/01)。
◆
日本にいる無責任な父は流石に心配な顔をして息子たちを迎えた。ただし父は両名が無事であることを確認すると1、バーベキュー大会は玉石混交のパトルロワイヤルでありジャパニーズヤキニクとチンギスハーン、バーベキューの三つ巴の戦いだったと熱く語り始めた。勝敗の決し方があまりに不透明な競技だが、メグにとってそんな話はもはやどうでも良かった。怪しげなバーベ審査員のことにも興味がなかった。父がミヤゲに持って帰ったネギマをケンは頬張っていたが、メグはどうしたって騙されることはなかった。クールビューティーと目される荒川静香のイナバウアーが見たかったというわけの分からい答弁を無視して、メグは今回の隔離事件の顛末を事細かに語った。父はそんな事知ってるさと遮ろうとするが、メグは人差し指を父の唇に当てると子供を諭すように父と目を合わせた。彼女は、「それで今回の事件でとっても頼もしいステディな人ができたのよ。自衛隊員の人なの」、という。父は喋りかけていた口を閉じると、目を白黒させた。あのフロリダオレンジの目を見開いたトラック運転手のようにである。
しかしやはり父は普通の人間と少し違った。それなら早く紹介しなさい。次のバーベキュー大会があるんだ、と彼を巻き込もうとし始めたのだ。メグは両手を上げて首を横に振ると、やはりちょっと前の出来事を少しだけ回想しながらジーザス、と小声でつぶやいた。
ケンはそんな様子を見て、口の中のネギをすっかり胃袋の中に押し込めながら、こいつにケチャップをかけると日本人とも仲良くできるかもね、と一人で口角を上げた。ゼータ株が運んだ全ての問題は、まるでその性質のように全てを溶かして人々をつなぎ、父子は空港で呆れながら仲良く語り合った。避難所のメンバーのメール着信がなり響いてメグがその知らせに目配せする。
※別作者です。おしまい。
某劇場へ観劇に。休憩時間に劇場内のめちゃくちゃ急な階段で躓いて落ちる。
滑落する、とか転げ落ちる、とかじゃない。落下。2階席だったが、とんだ(?)勢いで1階席へ転がり落ちるかと思ったくらいには落下した。幸い、2階席の一番下の席のあたりに落ちた。
スタッフが二人すっ飛んでくる。一部始終を見ていた他のお客さんが「大丈夫?」「結構落ちましたよ」と口々に言ってくれるが、私は「やべっワンピース破けてないかな、パンツ見えてへんかな」ということを考えていた。肩と肘に激痛があり、ついでに過呼吸のような症状になる。そして若干の吐き気。スタッフに適当な席に座らされ、ちょっとここで休みますといったものの、離席していた元々のお客さんが戻ってくるのでぜえぜえ言いながら自席へ。お手洗いから戻ってきた同行者(夫)が、「息荒いけどどうした?」と聞いてくる。
まあそうなるよね。少し座って休んでりゃ治るだろと思ったが一向落ち着かない。仕方なく席を離れると、心配していたらしいスタッフがすぐに飛んできた。ホールの外の廊下?みたいな場所のソファーに寝かされる。一番は回復されて観劇に戻られることですが、救急車やタクシーも呼べますよ、シップやばんそうこうもご用意できます、と言われ、とりあえずシップをもらい夫に水を買ってきてもらう。
痛みは治まらないが気持ち悪さはなくなってきたので、とりあえず後編観劇終わってから病院いこかな?とか
考えてたが、肩が一切上がらない。病院勤務(放射線技師)の夫は「落ちたとこ見てないし大して腫れてないとは思うけど、病院行っといたほうがいいと思うよ」ド正論。泣く泣く後半をあきらめた。
調べたら歩いていける距離に整形外科があったので徒歩で移動。レントゲンの結果肩の骨(厳密には腕の骨の一番上)が折れていた。嘘やん。
人生初骨折。人生初ギプス(じゃないけどなんか濡らしたら固くなる謎のどでかい包帯みたいなの。後いシーネと呼ぶと知る。取り外せる)
よくよく見たら肘もめちゃくちゃ擦りむいてたし両足も計4か所やばい色のあざが出来ていた。
処置後帰宅し、とりあえず着替えてからだを拭き眠る。薬を飲んでたと言え普通に爆睡した。
夫の勤務先で受診。会う人会う人に「お世話になっております」「こちらこそ普段夫がお世話になっております」とあいさつする。CTの結果、折れているというより砕けていることが判明。撮影自体は別の人だったが、機械に寝せたり説明したりするのは夫で、夫の仕事での一面を垣間見れて面白かった。
受診後即帰宅してコンビニご飯をスプーンでかっくらい在宅勤務を開始。夫も私を家に置いたのち病院へとんぼ返りした。そのまま当直である。
在宅勤務と言っても手を前に出せない(前ならえの姿勢をとれない)のでキーボードが叩けない。打ち合わせ以外はベッドの上に移動し、手の可動域に合わせて足の上にPCを置いて仕事する。ほとんど仕事にならなかった。
暇だったらしい夫から電話があり、夫の同僚からはどう思われてるのだろうと思い聞いてみたら、「トイレ行ってる間に転んで骨折ってたって言ったら「目ぇ話した隙に転んで骨折とか奥さん子どもなの?」って言われた」……うん……ごめん……。
夫が帰ってきたのでようやく風呂に入る。綿の三角巾をしながらシャワー。ほとんど夫に丸洗いしてもらった。
この日は待ち望んでいたアームホルダーが届く。三角巾のせいで首が限界に痛かった。全身体の中で一番痛いの首。腕を折った人、絶対にその日のうちにアームホルダーを買った方がいい。
アームホルダーと一緒に買ったスティックファンデを試す。手で塗り広げるのは無理があった。
この日も在宅勤務する。ワイヤレスキーボードを膝(左手の可動域)に置き、どうにかタイピングする。
終業後夫に頼んでguに行く。パジャマとカップ付きのタンクトップ、それとファンデーション用にスポンジを購入。
左手がこれまでなかったくらい浮腫んで指輪が外せなくなる。やば。肩は固定さえしていれば痛くないが、前かがみになったり肘から下を外側に向けることはできない。痛い。
シーネの下がめちゃくちゃかゆくて対処法をネットで調べたら「ギプスの中に突っ込んでかいかいする棒」ばかりサジェストされ悲しくなった。そうじゃなくてさあ……。
長時間座ってられないのと、仰向けか右向きにしか横になれず、我が家のレイアウト上テレビが見られないので、天井に投影するためにプロジェクターを購入。前から持ってたやっすいスピーカーをつないだら割とホームシアターっぽくなった。骨折以前、プロジェクター購入を勧めても「ええ~いらないよお」と言ってた夫、「もしかして、これ(プロジェクター)とてもいいものなのでは?」「これ、いいねえ……」としきりに言っていた。二コマ落ちすぎんか。
夫に体力を心配され、夕食後に散歩。仕事中は30分以上縦になれないが、結構歩く。
前開きじゃなくても襟ぐり広めの服ならどうにか着られるので、部屋着に買っておいたコットンのTシャツワンピばかり着るようになる。スキンケアのコツをつかんできて、片手でもどうにかできるようになってきた。
シーネの下に巻いてるサポーター(正式名称はストッキネット?というらしい)の代わりにガーゼを巻いたら死ぬほど痒い。肘裏?を掻き壊しかける。
仕事のスケジュールが詰まっていたのでかなり疲れる。なお骨折以降ずっと在宅勤務である。
午前中は初めて一人で洗濯をこなす。ハンガーにかけて干すのはできたがピンチに挟むことはできなかった。
夫が当直。買っておいた冷凍パスタを食べる。包丁と火を使うことを夫に禁じられているのでレンジでチンして食べられるものかカップ麺しか選択肢がない。
夫がいなくて暇なのでやりかけだったFGO2部5.5章の続きをやる。
3度目の診察。今日は肩周辺の専門?の先生?に見てもらう。夫がいないので電車とバスで移動。割とすいていたので問題なく移動できた。待ってる間に5.5章を終わらせる。終盤の勢いに全くついていけなかった。
今年入職したばかりだという夫の後輩にレントゲンを撮ってもらう。初々しくてかわいい。
先生にはシーネが取れるまで2~3か月、ある程度動かせるようになるまで半年、痛みがなくなるまで1年と言われた。なっが……本当は今月洋装前撮りをする予定だったのだが一体いつになるのだろう……。
またこの日は始めてリハビリ科へ。家でもできる簡単なリハビリを教えてもらう。リハビリの担当のお兄さんに「今の肩の状態ですが……あっご職業は?」と聞かれ、「普通の会社員です」と答えたら「ああ、よかった、詳しくないですね」と言われた。ちょっと面白かった。
椅子に登ればピンチに洗濯物も干せることに気づいたが、夫にばれたらめちゃくちゃ怒られそうだな、と思いつつ干す。洗濯物は干せるが皿は洗えない。夫に米炊いといてと頼まれるがお釜が洗えなくて断念する。つらい。
夫が「仕事から帰ってきて買い物して飯作って食べて風呂入らせてこの時間か……子育てってこんな感じかな……」と言い出す
午後から怒涛のノンストップオンライン顔だし打ち合わせで疲れ果てる。
以前よりはひっかかるが指輪が抜けるようになってきた。私が慣れただけなのか浮腫みが収まったのかはわからない。
プロジェクターでアマプラ三昧。前から気になってた「窮鼠はチーズの夢を見る」を夫とみるが夫は途中で寝た。乳首当てゲームで爆笑する。
寝るときは左肩にクッションを入れないと痛かったが、クッションがなくても寝られるようになった。
骨折って以来夕食の準備はすべて夫がやっているのだが、冷蔵庫にあるもので適当に作ることができないので買い物の頻度が激増した。調理の腕は上がっている。
恐れていた月経が来てしまった。お手洗いの度めちゃくちゃ気を使う。トイレ滞在時間が通常時の2倍くらいになった。「骨折った衝撃で止まるかと思った」と言ったら夫に哀れそうな顔をされた。でも周期ちょっと遅れてた。
終業後お夕飯にくら寿司へ。びっくらぽんが二度も当たりチョコとテディのマグネットをゲットする。シロモが欲しい。骨折ってから初めての外食だが、お寿司なら余裕で食べられた。
食べて出てきてまだ明るかったのでいったん家に帰ったのち散歩する。また新たな道を開拓した。
話の流れでドライブすることに。再び帰宅して適当に走る。夜景がきれいそうなところと海沿いとどこ行く?と言われたが「とりあえず適当に走ろうや」と言って適当に走る。海沿いには出たが「わざと波打ち際を歩いて靴をびちゃびちゃにする前科があるから浜辺には下りない」と車を停めてくれなかった。サンダルなのに……
肩はあいかわらず固定さえしていれば大して痛むことはないが、前かがみができるようになってきた。肘から先の可動域も少し広がってきたように思う。
打ち付けた足は、特に強く打ったらしい左のすねと右のふくらはぎがしこりっぽくなってきた。痣はだいぶ薄くなったがふくらはぎはまだ多少痛む。困った。
夫が肉巻きアスパラとオムライスを作ってくれる。確実に腕が上がっている。おいしい。
スマホのリズムゲーを再開してみる。実際はタブレットだけど。割と叩けたが夫に「お前肩どうなってるかわかってんの?」という顔をされる。とりあえず肩に痛みはない。
以前より楽器を習っていたのだが、その先生から腕の調子はどうかと電話がある。ぜんぜんまだ治りそうにないが、様子を見て来月あたりから片手だけでやれれば……と伝える。学生の時にやっていた楽器で、この春からようやく教室に再び習いに行き始めたばかりだったのでつらい。
夫に頼んでユニクロの限定Tシャツを買ってきてもらう。ついでに頼んでなかったクッションも買ってきてくれて大喜びしてたら「これが仕事遅くなって罪滅ぼしにプレゼントを買ってくる父親の気持ちか……」と言っていた。
朝、玄関に置くシューズラックが届き、ほとんど右手だけで組み立てる。やればできんじゃん。左腕の可動域が広がってきたことを感じるが調子に乗ると痛む。掃除機をかけて床を噴き上げ、トイレ掃除もこなした。
シューズラックと一緒にベッドに寝たまま使えるスマホスタンドが届く。快適すぎるだろ。腕折ってなくても便利すぎる。Youtubeを流し見ていたがこのままでは廃人になると思い、午後から近所のスーパーまで歩く。少し買い物をして帰宅。あとは一日某スマホゲーのメインシナリオを読んで(聞いて?)いた。
夫が帰ってくるなり丸洗いしてもらう。2日風呂入ってなかった。骨折ってから初めて湯船に浸かる。風呂に入るってこんな気持ちよかったんだな……。極力夫の手を借りずにできるところまで右手だけでやってみたが、右手の疲労感が半端なかった。
午後から大きめの商業施設へ買い物へ。久々にしっかり化粧する。骨折ったときしばらくコンタクトはお預けと思っていたが、思いのほか片手で入れられた。
夕飯は焼肉へ行く。正直自分でも焼けるが、夫が全部焼いてくれたのをありがたくいただいた。おいしい。
帰ってもう一度風呂に入る。
骨を折ってから初めての出勤。電車がまあまあ混んでいる。一縷の望みをかけて優先席の近くに立ってみたが空いてなかった。まあ立ったままでも問題ないっちゃそうなのでそのまま立つ。乗り換え後は空いてたので念のため座った。
エレベーターで会った別フロアにいる先輩に「腕大丈夫?階段から落ちたって?」と言われ、「えっ階段から落ちたことまでもうまわってるんですか……」と聞いたら「うん。誰に聞いたっけ、増田さんの部署の人じゃなかった気がする」と返され朝からしんどい気持ちになる。
・化粧
・コンタクトを入れる
・手を洗う
→このご時世致命的だな、と思っていたが、家の洗面所でならかろうじて洗えるようになった
→膝に置いてやればできる
・お風呂に入る(一部)
・爪を切る
→厳密にはやすりで削ってる。足は出来なさそうな気がする
・髪を結ぶ、髪を乾かす、寝ぐせをなおす
→髪に関することは本当に何もできない。切ろうかと思ったが前撮りのことを考えると難しい……
・右腕を洗う
→右腕に日焼け止めを塗る、右腕を拭く、もできない
・ピアス
→フックならまだしも一つ石タイプ?というかキャッチがあるタイプは難しい。耳に通すまではできるがキャッチがつけられない
・アルコールをシュッてやる
→自動タイプとか足でやるタイプ超ありがたい。自分で押すタイプは高さによっては無理
・眉毛を整える
→これは今度アイラッシュサロンでアイブロウワックスやってもらう予定
・プラグをさす
→例えばノートPCの左側にある電源プラグをさす、とか。右手でどうにかやるけどすっごいやりにくい。
・コンタクトを洗う
→できなくないが難易度が高い。もうこすり洗いしないで保存液入れてる。1dayとかがいいのかも。
・アームホルダー
→三角巾替わりの。これないと死ぬ。無理。三角巾の場合は首の後ろにタオルを挟むとちょっと楽になる
・トナーパッド、クレンジングシート
→本当にあってよかった、洗顔替わりにもなる。クレンジングシートはビフェスタのが使いやすいしよく落ちる。
・ムヒ
→最強
→夫に火と包丁を使うことを禁じられているので、在宅勤務の昼食はだいたいこれ。紙皿ごとチンするので、皿に移し替えなくていいし(というか多分できない)、洗い物もないのでかなり助かってる。あと純粋にうまい。
って、オタクが何でも過激な言葉(オタクミーム)で感想/批判/宣伝を語ったり、公式のキャラをねじ曲げてお花畑のゆるふわキャラにして愛でる気持ち悪さ、そのまま公式に凸する痛さと、
オタクもオタクで、公式と二次創作の区別がつかないオタクや、そういうオタク間のエコーチェンバーでねじ曲がった悪ノリや特定のキャラ虐めに公式が便乗する気持ち悪さに似たやつを感じて、公式批判に回ったんだろうなという、
オタクコンテンツにおける典型的な気持ち悪さが詰まってて、とても良かった
参考:
紐引くとモルカーがブルブル震える『ぶるぶるずぬいぐるみマスコット』の発売告知が出るも、テディの紐の先がごみになっているのに気付き人の業に震える人達 - Togetter https://togetter.com/li/1662133
(テディは好奇心でゴミを食べて飼い主が便乗した結果お腹を痛くしたのであって、
飼い主が便乗したのはダメ。いくらモルカーが食べたがってもお腹を痛くするなら野菜/おやつ/ゴミ/食べ過ぎどれも止めなきゃダメだ。
そういうダメな飼い主として描いてるし、
ああいうことをするとモルカーが可哀想だし、飼い主もひどい目に合いますよって一連の描写込みで本編は正しい描写。
幼児向けのアニメだから慎重すぎるほど慎重でいい、モルモットの生態を下敷きにしてるキャラにゴミを食べさせて何のペナルティもないグッズは出しちゃダメって批判、大人のオタクが喜ぶからって越えちゃいけない一線があるのは理解できる。
が、テディちゃん可哀想とか、にんじん食べさせてもらえて良かったねとかは意味わからん。
普通の野菜じゃなくてブーストにんじんなところはテディの破天荒さが現れててかなり好き。だから結果的には良かったかな、と思っている。)
少ないとしてもそれをたった一人捕まえればいいだけだし、多いとしても捕まえられなきゃ何の意味もない。
さてぼくの話だ。
ぼくは日東駒専やMARCHよりは上の大学へ行き、職歴を積んで年収もそれなりにある。
親の同居の必要はなくそこそこ高身長。デブでもハゲでもない。話を素直に聞き、怒ることはまずありえない。
炊事洗濯出来るし相手はなにも家事しなくても構わない。「ごめんね」「ありがとう」「おつかれさま」「かわいいね」が言えて甘えられるの好き。
ギャンブルしないし借金ないし煙草吸わないし酒は嗜む程度だし力も人並み以上にあるし虫は嫌いだけど退治は進んでやるしキッチンと風呂は毎日掃除して寝る前には化粧水はもちろんボディクリームも塗るしカエルコールもするし月一で美容室行くし旅先で喧嘩したことない。
でもぼく、とにかくモテる。
自分の顔はいいとは思わないけど、かわいいひとホイホイ寄ってくるしストライクゾーンはむちゃくちゃ広いし別れると一ヶ月置かず次が居る。
条件よい人はだいたいそうなんだろうから市場にいい人が少ないというのはごくあたりまえのこと。
なんなら別れなくても寄ってくる人とセックスしちゃう。何度も何度も。ステディのことを大好きでも。
モテる男が浮気しないのはむしろ珍しいことだと思う。異論のある男、いる?
一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。
英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。
特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。
事実は奈辺にあるのだろうか。
以下のブログで引用されている1964年の新聞記事には、理容師の増田英吉によるリーゼントの誕生秘話が書かれている。
http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent
むかし、リーゼント・スタイルというのがあった。戦後も一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。
(中略)
ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼント・スタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。
リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。
https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/
1920年代後半、東京のモダンな街・銀座には、スタイリッシュな若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装と和装をミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目から「オールバック」と呼ばれていた。
1933年、東京のモダンな理髪店は、現代の紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座のとある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田の花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティングな外国語の名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。
これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。
ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。
ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。
一方、Google Booksで検索すると「ポール・グラウス」という人物が浮かび上がってくる。
1934 (昭和7 )年ごろ、日本にリーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真に掲載された。これをもってリーゼントの流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポール・グラウスなる人物が技術解説を試みた。
グラウスは1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼント・スタイル」を発表しているらしい。
つまり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。
命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼント・ストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。
このグラウスのリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。
「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。
いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。
さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年のアメリカだというので、むしろ誕生はリーゼントのほうが先である。
まあ、元となったオールバック自体がシンプルな髪型だから、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。
当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一や灰田勝彦、岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである。
ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9
さて、リーゼントはポマードを大量に使うので戦時中の日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。
https://danshi-senka.com/archives/191
リーゼントヘアで頭を固め、サングラスにアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミはフランス語のアプレゲール(戦後という意味)からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカの兵隊たちのカジュアルな服装で、つまりは戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。
リーゼントとアロハシャツは岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである。
どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。
ちなみに欧米でも「戦争でポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。
イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと言ったように、欧米で流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイルが日本に輸入されてきたのである。
特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年にデビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。
このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。
まとめてみよう。
非モテ男のエントリに「男は女に慰めてもらおうとせず男同士でその苦しみを解消すべき。女はみんなそうしてます。」とかコメントされてるの見るけどほんま??私は悩みとか相談する女友達全然いないけど。もしかして世間の女性には将来を約束し合うステディなスールがいて当たり前なの?みんな阿佐ヶ谷姉妹だったの。
女の子グループの難しさったら無いじゃん。小学2年生のとき「このグループは解散するから明日から話さないようにしよう」と言われたけど実は自分以外の友達は解散していなかったの忘れられないよ。女グループすぐハブるし分裂するしカップリングの解釈違いで仲違いするじゃん。めんどくせ。なんだよこの世界。何が!女同士は!助け合える!だよ!!!馬鹿くせーーーーー。うんち。
最近見るツイステディズニー関連のお気持ちは煮凝りみたいで濃厚でとても大好き。
そんな私もツイステユーザー。ディズニーは有名なやつだけ観てます勢で、お気持ちの中にも「わかるわ〜」ってのもある。だけど私がひとつだけ、どんだけ考えてみてもわからないお気持ちがある。
それが、
「Dヴィランズのグッズをツイステ概念って言わないでください!」
ってやつ。
なんで?
いや、例えばね、Dヴィランズのグッズを見て「これはツイステのグッズ!」って言い張るオタクがいたら怒っていい。私だってライトだけどスカー好きからツイステ始めたから。それは腹立ちますよね。元のキャラクターの存在丸無視してそんなこと言われたら怒る。わかる。
けど、「これはヴィランズグッズだからツイステ概念」っていうのは別に……よくない?
いや、だって仕方なくない?だって元になっててイメージ・インスピレーションがDヴィランズから来てる以上概念を感じるのは仕方なくない?
だって、ツイステキャラってDヴィランズたちの概念を元にして作られたんじゃないんですか?
いやごめんなほんとに。
けどここだけどうしてもわからなくて。
例えば、私が知ってる「原作、モデルのいるキャラクターを元にして別作品にしている」という例は、現代版シャーロック・ホームズの『SHERLOCK』くらいなんだけど。(作中で元のキャラクターと同じ名前である、という点でツイステとは異なるんだが、あくまで原作はあるけど作品は別物、出てくるキャラも原作キャラをモデルにした別人であるという点では一緒なので)
「ヴィランズグッズをツイステ概念って言うのやめてくださいぴえん」は、この例で言うと「シャーロック・ホームズのグッズをSHERLOCK概念っていうのやめてくださいぴえん」になると思うんだけど。
無茶じゃないですか?
いや、シャーロック・ホームズガチの方々の中にはそう思われてる人もね、いるかもしれませんよ。
スポーツカー爆走させるハドソン夫人も実は元殺し屋のワトソン夫人(メアリー)も「お前は何人殺ったんだ?」みたいな怒った時の顔がちょっとハリネズミみたいなジョン・ワトソン(大好き😘)も、原作大好きオタにしてみたら気に入らないかもしれないけど。
仕方ねーじゃん。モデルだもん……。
あと、それに伴って「概念だと思っていいけど言わないでほしい」「思っても言わないのがマナー。ヴィランズ好きに失礼」っていうのも見たんだけど、それについてもよくわからなくて。
というのも、オタク界隈で出てくるマナーって正直、公式アナウンスとnmmnマナー以外は「自分が不快だからやらないでほしい」って気持ちを「マナー」っていう「従わないと悪になる」便利な言葉で綺麗に化粧してるだけだと思ってるんで。
ネットの海を漂うと、自分の見たくない意見は当然見ることになる。それを見ないためにSNS運営側はブロック、ミュート機能をつけてくれてるわけじゃないですか。
「言わないでください」
ってツイートしてるその指のタップでブロックなりミュートなりすればいいんです。なぜ自分で環境を変えようとせずに周りに変わってもらおうとするんだろう。
グッズについても一個ついでにお気持ちさせてもらうと、
「パークに痛バ持ってこないでください」
いや、ちょっとはわかるよ。痛バ使ってる人見た時のちょっとビックリする気持ちわかる。あるよね。
「パークに痛バ持ってこないでください、ここはイベント会場ではありません」という注意喚起を見たんだけど
「では日常的に痛バをご利用の方はいかがでしょうか」と言いたくなる。
ようは
「なぜ公式が禁止してない個人の趣味、生活についてただのファンが口出しするんですか?」という疑問です。
いや、たまに街中で見かけるじゃないですか。痛バ。
私はグッズ買うならほのかに匂う程度(公式じゃないアクセサリーとか)のものしか買わないので、痛バを持つ方々の気持ちはわかりかねますけど、痛バってイベント会場以外でも使ってる人たまにいるよね。
大学のとき、同じ講義に毎度ロリータ服着てオタクグッズつけてた女性いらっしゃったけど、彼女の場合はその格好が普段着みたいだったんですね。たまたま駅で見かけたときもおんなじ格好してたので。
「パークに痛バ持ってこないでください。夢の国の景観が損なわれます」ってのは差し詰め
まぁ、確かに景観は損なわれるかと思いますけど、別に神社仏閣側が禁止してない以上は私からは何もいえんですよ。
確かに神社仏閣に痛バ持ってきたりぬいぐるみ持ってきたりロリータ服着てきたりする人見かけるときありますけど、けどそれって個人の自由なんですよね。施設側がダメって言ってること(大声で騒ぐとか、写真とか)さえ守ってればこっちに文句言う権利はないわけです。
それはきっと夢の国パークでも同じことでしょう。夢の国が痛バだめだよって言ってないなら、もう一客人である人たちには何も言えないわけです。(ロリータ服がコスプレにあたるかについては、なかなか賛否がわかれるとは思いますけど、某フリフリのブランドから出た服着て文句言われても困るだろうなとは思います)
ただ、「痛バは固い素材もあるから小さな子に対して危険だから避けましょう!」の注意喚起はとても好きです。理由が明確で誰に対しての配慮かがわかるので。
長くなったし脱線もしたけど、私からすると、概念グッズも痛バどっちのお気持ちも「私が不快なのでやめてください」以上の理由が見えないのでお気持ち汲み取れないんですよ。まぁだからお気持ちなんだよな。汲み取らなくていいんだよな。私はバキュームカーか何かかな?(急に冷静になった)
痛バ云々の注意喚起については、マナーとかいう綺麗な言葉で自己防衛せずにハッキリ言ったらいいと思いますよ。
「私がお金払ってせっかくパーク楽しみにしてたのに痛バ見て気分悪くなるの嫌だから持ってくるな」って。現実世界はミュートブロックできないから、呼びかける行為はいいと思うよ。けどオブラートに包むとね、何言ってんだってなるから。
「痛バは固い素材だから小さいお子様には危険なので」とか、そういった理由がない限り、お為ごかし言ってるようにしか思えないからね。
ここまで書いたけど私は前述の通り「ディズニー作品は有名なやつしか見てないツイステユーザー」「グッズは匂わせる程度のものしか買わない」なうえ、追記すると、「夢の国には10年以上前に一回しか行ったことない人」なので、完全にアウェーなところからこれ書いてます。
♪Mingle Mingle Jingle In The Jungle
Bum Rushed The Door 3 And 4's In A Bundle
「ジャム」(Jam)はマイケル・ジャクソンの1992年のシングル。1991年発売のアルバム『Dangerous』の1曲目に収録されている。
作詞はマイケルが単独で行ったが、作曲は本人とテディ・ライリー、ブルース・スウェディン、レネ・ムーアとの共作による。
♪Mingle Mingle~は同曲にフィーチャーされたラッパー、ヘヴィ・D(Heavy D)のヴァース。
同曲のショートフィルム(ミュージックビデオ)にはクリス・クロス(Kris Kross)がカメオ出演している。
http://mjnight.seesaa.net/article/451014151.html
そのときどきの切実さが炸裂し、めっちゃ苦しくてしかたなかった。
なぜかというと、私にとってクリスマスはいわば、人間としての通知表をもらう日なのであった。
自分は尊重される、愛される、大切にされうる人間なのかどうか。
そのために「されなければいけないこと」ばかりだった。
しかし最近は、クリスマスに一緒に過ごせない相手ばかりとステディになり、そうしたら、なんかとってもラクになった。
それと「私」はあんま関係ないというか、関係することができないというか。
大切な人と過ごそうが過ごせまいが
それは「自分が愛されるにたる人間かどうか」を、何ひとつ示してはくれないんだと気がついた。
30にして、ようやく。
かくしてクリスマスは、されなければいけないことも、しなきゃいけないこともなくなったので
デパ地下で、そこだけ閑散としたおこわ家で、おこわを買った。
多彩かつ高度な画風パロに加えて良質な演出・ストーリーパロから一部で人気の麻雀漫画「3年B組一八先生」ですが、11月3日あたりから講談社作品のパロ回が公開停止になったようです。憶えてる範囲でメモ。
一八先生とゲストキャラと生徒二人が中学で賭け麻雀打って、有名マンガ家ぽい画風の一八先生がインパッチ(親ハネ18000点)を和がって終わるのが基本展開。
画風パロが始まった衝撃回、またインパッツァン(18300点、親ハネの一本場)も初登場。
初期のためインパッチを和了っても一八先生は普通の絵柄。つまりオリキャラの画風パロ絵はまだ登場しない。
賭け麻雀で生徒から金を巻き上げる一八先生を懲らしめに来た同僚のGTO(グレートツモスジ鬼月)とのサシウマ対決。
鬼ヅキ+全ツッパでオーラス断トツトップの鬼月が一八(親)の先制リーチに「切りたい牌も切れないこんな世の中じゃポイズン」してインパッチ放銃して終わり。
忘れた
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金八先生らしくクラスでソーラン節をやる回だったような気がする。
レギュラーキャラの中学三年生加藤くんがゴルゴ、丑島、一八と高レートで打って死ぬ。
(追記)
消されてなかった。まだ読める。
公開停止はこっちだった。
鉄雄がドラッグに手を染めて強い雀力を手にする話。3話のマスターもハードラックとダンスっちまう。打牌が童夢風にめり込む。
一八先生が「さんをつけなさいよ!」インパッツァンを和了って終わり。
オカルト麻雀に転向した闇ギャンブラー戸副露と対決。一八はボコられるが脇の加藤くんから
インパッチを和了ったらなんと裏ドラ4枚乗って三倍満。加藤をトバしてラッキーな逆転勝利。
基本的に一八は自分の浮きしか考えていないから、教え子からも和了る。
ジャンプ漫画だけど途中に木多康昭風の一八先生が「ボクはトビましぇん!」するので、これが原因で公開停止と思われ。
いかにもクッキングパパっぽい生徒と一八の麻雀に通りすがりの怒羅岩さんがアドバイス。クズ配牌をチートイツドラ待ち聴牌に仕上げるもリーチしたらインパッチ放銃、ドラは一八が暗刻にしているという鬼畜ぶり。
忘れた。
(追記)
一八先生、振田降部先生(だったか?)、室塚先生(ムスカ)、あと誰かで職員室で麻雀打つ話。
室塚先生の印象が強い。好形から2000点和了って「打牌はきわめて順調ですよ」
振田先生は国士無双聴牌から一八先生の口車に乗せられてオリ打ちした。
ガッツ風一八のドラゴン殺しのインパッチが炸裂するも水野は最終結果で浮きの二着なので、いい話。
梶和了さんが屍(ガン牌の隠語)を仕込み、更にそれをネタバラシすることで一八の動揺を誘い手牌を読む。
雀荘発芝でアメリカ帰りの個人主義なメンバーが代走で大三元の包しちゃってウシジマくんに詰められる話。
嵐の夜に麻雀を打つとオーラスの魔術師が現れ、オーラストップはラスに転落する...
「この何切るは絶対に解いてみせる!純全帯(ジュンチャン)の名にかけて!!」
近麻一の手牌読みが冴え渡るが「そんな難しいこと考えていなかった」一八先生のエル・カンターレ・インパッチに放銃して終了。
忘れた。
忘れた。
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レス見てぐぐって思い出した。
自摸東風流 摸自九自摸と対決、劣勢の一八の先制リーチに逆に追い詰められた九自摸が四門を発動。
「なんだ!九自摸が四人に!?」のスキに一八の背後から手配を盗み見て一八の高め待ち牌を暗槓する。
逆転手を潰された一八は例によって脇からコインパチ(1800)を和がって浮いたところで、九自摸が謎のこだわりから敗北宣言して終了。
(追記)
闘牌については上は間違い、下のブコメが正しいと思う。ちなみに一八が待ち変えで捨てた一索で九自摸がロンできなかったのは同巡フリテンと九自摸は一八からしかロンしないこだわりで一応説明できるって論客が2chにいた。
Arturo_Ui 『修羅の門』回は、一八の待ち牌(嵌張の二索)を九自摸が暗槓、そこから二五索の両面に待ち変えしてコインパチ、なのでは? 一八が処理したはずの一索が九自摸の当たり牌(対々三暗刻)なのは、恐らく作者のミス。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4676907062030075042/comment/Arturo_Ui
普通にいい話だった。
以降は読んだこと無い。