はてなキーワード: 進化論とは
俺にはお前がだれだか分からんので全部書いておこう。
メタな視点とはなにか、むしろ、「目的」というものは本来与えられてるものではない中で、
進化してる事は種を存続するため、従ってそれを「目的」と言っている。
これは形而上学的な考えではないのか?物理学や生物学そのものの話ではない。
片方の増田が「種の存続」のために進化してる、に対し、かたやその様な事は100年で考えが変わった、後、そんなものは物理現象にすぎないので目的などというものを定義することすらおかしい、
と論拠を変更。
まあなんでもいいや。
自分の知っていることが簡単に相手に説明できると思っていることだ。
人間の断絶は深く深く深いので、罵倒や挑発で埋まったりはしない。
谷底に落ちていくだけのこと。
お前は何も理解してないのに知識があると勝手に勘違いし、それを簡単に相手に簡単に説明できると思ってることだ。
お前自身が理解してないことを他人に説明出来るわけがなかろう?
お前はすでに谷底に居るんだよ。
Naoki Takahashi
どの記事についての話か確認したいのでソースを出して欲しいんだけど
NaokiTakahashiくんが「社会反映論」を「芸であり文芸批評であって科学ではない」と規定して許されるなら
「精神科医なら科学的な根拠を持って発言してくれよ」と期待するのはわかるし
一般人に比べて厳しい目を向けられるのも致し方なしと思うが
医者だってサブカル批評家/一ブロガーとして読み物を書くことがないわけじゃあなし
本人が科学ですと言っていない文章にまで科学的実証性を求めるのはネタにマジレスだと思うね
そもそも、そういうNaokiTakahashiくんだって、プロのライターであるからして
「そんなの知ったことか。いつでもプロとして発言してるわけじゃねーよ」という態度でいるのではないかね
それでもあくまで目くじら立てるなら、NaokiTakahashiくんの「社会反映論」()にも相応の論拠は必要だよね
たとえば、「陵辱マンガはオタクいじめオタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきたもの」
この前提となる
・オタクイジメ、オタク蔑視、オタク抑圧という社会現象は本当に存在するのか
・存在するとしたら具体的にどのような状況を言うのか
・その社会現象に晒されているオタク層と、「陵辱マンガ」の主要消費者層がどの程度一致しているのか
そこから厳密に規定しないと「論」とも言えないわけだろ?
「サブカル芸だから」というエクスキューズで許されると思っちゃあいかんわ
http://anond.hatelabo.jp/20130327093915
処女なら、生まれて来る子供が自分の子供である事の確率があがるから
男にとって結婚ってのは自分の遺伝子を確実にもつ子供を産んで飢えさせず育てることに生物的な意味がある。
子育てってのは莫大な時間体力ともにコストがかかるため、結婚して育てている子供が確実に自分の子供でなきゃ困るわけだ。
それ以前の人類の歴史において、過去に他の男と性交したことがある女は確実に子連れか他の子供を妊娠してるわけだ。
つまりそんなのと結婚する雄は自分の遺伝子を残せず進化論の過程で淘汰される宿命にある。
だから進化論の過程で生き残ってきた男性は本能として結婚相手の女性が他の男性と性交がある可能性 がある場合嫌悪するようになってるわけ。
かわいそう
http://anond.hatelabo.jp/20130207215052
とりたてて顔もかわいくない私の処女を誰が欲しがるんだろう。
表現が難しいんですが男性観点で「処女だから狙う」というのは無い。
ただ好きな女性が処女だったら嬉しい。なぜかというと大切にしていたものを私にくれたから。
そういう観点で考えると、処女のまま結婚したというケースの方が男性が尽くしてくれるケースが多いと思う。
だって「大切にしていたもの」をくれた人ですよ? そう簡単に裏切れますか?
そもそも「なぜ処女膜なんてものが人類に残っているのか?」って考えると、
「それが存在していた個体の方が生き延びやすいケースがあった」からだと思われる。
いやさ普通、無い方がいいでしょ、初めてのSexで血が出るとか。
衛生状態が悪かった時代だったら細菌が入るかもしれないし。処女膜なんて無い方が生き延びやすいでしょ。
が、現状でもあることを考えると、過去、処女膜がある女性の方が、生き延びる上で何がしかの優位さがあったんだと思う。
今もあるんではないかな?
で、上記の考えになった。
まぁ処女に尽くさない男性もいるだろうし、そういうのは酷い男だなとは思う。 君が誠実な男性に出会えるといいなと思うよ。
男性観点だと割と楽というか「自分の処女にはぶっちゃけ5億円くらいの価値が」みたいに価値が釣り上がったりしない。 なんなんだよそのバブルは。
女性観点で「ついてる方が生き延びるのに優位に働いた」という事があったんだと思う。
君も感じているように、価値を感じる男性は一定数いる(もちろん価値を見出さない男性も一定数いるよ)
単純に怖い、というのは正しい反応だと思う。シングルマザーって大変そうだよね。
20代前半女性、婚活に参入 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=72329
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処女膜の存在意義については、ロシアのメチニコフが、「精子の逆流を防止する為のもの」という説を主張している。どんなに性交回数を重ねても完全に消滅することはなく、「精子が確実に子宮に届くように、種族維持の役割をはたしている」という。
であるならば、逆に現代社会で「非処女の方が大事にされる」という事例をください。
全ての動物が処女膜を持ってるように進化してもおかしくないとは思わんか。
処女膜を持っている動物は人間とモグラくらいしか確認されてない(ほか事例あったらご指摘ください)
なにか人間の社会的な側面が形態に影響を及ぼした結果だと思うんだが。
(という発表をしてしまうと、社会的に殺されるので研究もされないのでは、とも思ってる)
でもそれに価値を見出す男性もいる、という事実から目をそらしてませんか。
■中学生の頃まで親の事を「パパ、ママ」と呼んでいたので高校入学と同時に一気に「おやじ、おふくろ」に変えたらおふくろが笑い過ぎて呼吸困難に成ったので今でもパパ、ママって呼んでる。
葬式の日、雨が降ったのでつい「見よ、天も泣いておるわ…」と言ったら弟に「なんでそんなふざけた事を言えるんだよあんたって人は!」とマジギレされた。
因みに弟は小学校の頃から父さん母さんって呼んでる。俺よりずっとマザコンの癖に。
■先週帰省したら父から思わぬ物を見せられた。子供の頃のホームビデオ。
父から将来の夢を訊かれた小さい頃の俺が「おいしゃさんーー!!みんなのびょうきをかいふくさせるのー!」なんて可愛い事を言っているんだよ。父溜息俺苦笑い。父は「この儘素直に育っていればパパも病気診て貰えたのになあ」と嘆いて見せてくる。返す言葉も無い俺。
ところがビデオの中では当時の父が「医者は無理無理。お前の成績だと難しいからラーメン屋でいいんじゃない」と子供の夢を否定してる。
「べんきょうはちゃんとするからおいしゃさんがいい!」と当時の俺が抵抗するも「パパラーメン好きだからラーメン屋にしてよ。毎日ラーメン食べられるし」と畳み掛けて当時の俺は不貞腐れてしまっていた。
この父、ビデオを撮影した頃から全く変わっていない。自分の都合で子供の職業を決めたがるし、ラーメン好きが高じて今では糖尿病だ。
「パパさえ子供を応援してくれてたら今頃は…」と嫌味を言うと「お前、今付き合っている相手は居ないのか?」と唐突に話を変え出した。
■高校の頃、苛めの煽り役だった生徒が皮膚病(性病とか言われていた)で顔が爛れて、苛められる側に転落した事があった。
自分で名付けた蹴り技を自分が喰らってて因果応報世話無いわと思った。
その生徒は苛められてから1箇月で入院名目で来なくなって、それからまた元の苛められっ子への苛めが再開した。
今振り返って考えると元の苛められっ子は強いな。やる側が1箇月で挫ける苛めを1年耐えてたんだから。
■俺の通っていた高校の同級生に「宮崎勤」君が居た。当然本人はその名前を嫌っていたんだけど、付いた仇名が「ハヤオ」。
そんな仇名で大丈夫か。
ある日ポロッとこぼしていたが、将来結婚するなら婿入りして名字を変えるつもりだという。
■こないだ震度3位の地震が起きた時喫茶店に居たんだけど、客の携帯電話が一斉に地震速報の警報を鳴らして地震が起きたものだから外人の観光客達が面白い位慌てていた。
■「ウチらももう立派なオバサンだよねー」「マジ歳だわー」。どう見ても40代の女性2人の会話。間違っちゃいない、けど…
■「俺んちルンバいるんだけど見に来ない?」という豪快なナンパを目撃した。しかも誘われた女も付いて行っちゃってるし。
俺も買うか、ルンバ。
■今神社に居るんだけどお爺さんが神主に向かって何か喚いてる。
聞き耳を立ててみると、入院中の孫の為におみくじを引いたら連続で凶だったと。食費削って200円のおみくじを6枚引いたのに全部凶だったと。
そのお爺さんは本当に切羽詰まった表情だったので、神主さんさんも気圧されたのかその場でお祓いが始まった。
普段引く分にはただの遊びだけど、家族の生き死にって時に凶が出るとそりゃ凹むよな。
■何故だか分からないけど尻が腫れた。病院で看護師に心当たりを尋ねられたので「先週酔った勢いで平将門の墓に座った」って正直に答えたら鼻で笑われた。塗り薬を塗ったら見事に腫れは治まったので、塗り薬は祟りより強い。
■壁ドンなんか何がいいんだよ。女の考えは分からん。とか思っていたけど、今日電車が揺れた時背の高い女子高生から思わぬ壁ドンを受け、考えを改めた。
■うちの猫があくびする度に口に指を突っ込んであぐあぐさせるのが好きなんだけど、さっき俺があくびした時口に猫が手を突っ込んできて「アヌフオッ!?」ってなった。やられると別に嬉しくないね。ごめんよみけにゃ(うちの猫)。
■うちの猫のみけにゃは元野良猫。その癖結構美食家だったりする。
うちの子にしてから1年位経った頃冷凍庫の奥底から黒毛和牛の成れの果てを発掘した。
捨てるのが惜しいから解凍してみけにゃに与えてみたら、それから数日間はカリカリを全く一口も受け付けず、その癖「ごはんくれー」といつもより強くねだる様に。
元野良だから絶食に慣れているという理由も有るんだろうけどあれには困った。
今はみけにゃを迎え入れた日に記念日として年に一回だけ牛肉をやっている。
■うちは今猫を2匹飼っている。それでしみじみ思うのは、猫って模様で見分けが付いていいなって事。
小学5年生の頃ハムスターを飼っていたんだけど、近所に住むハムスター仲間4人で集まった時『この中で誰が一番ハムスター好きか』を比べようという話が出た。
ルールは簡単。ハムスターを自分の口の中に一番長く入れ続けられた人間の勝ち。
書いてて馬鹿らしく思えるルールだがみんな馬鹿真っ盛りな男子小学生+女子小学生だったので仕方無い。
斯くして戦いは始まった。俺の弟が行事を務め、それぞれ恭しくハムスターを両の掌に構える。変な緊張感が部屋に張り詰める。
弟の合図!と共にみんな一斉にハムスターを頬張る。瞬間鼻孔に広がるハム臭。そして激痛!
ハムスターは只でさえ他のハムスターと対面させられ興奮していた状態で急に頬張われて錯乱に至り、爪と歯と全身とで全霊の抵抗を試みたのだった。
少年少女の汚れ無き頬肉は内側より切られ裂かれの蹂躙を受け、堪え切れなく成った俺達は愛しのけだものを我先にと床へ吐き出す。
最早勝ち負けではない。泣き出す者、血飛沫の咳を吐き散らす者、口を雑巾で拭う者、「ペストになっちゃう!」と変な怖がり方をする者(俺)。稚き人生で初めての混乱が皆を襲う。
この混乱の中それぞれが持ち寄ったゴールデンハムスター4匹は涎塗れの儘部屋を逃げ回り、何とか全員捕まえたものの既にどれが誰のものだったか誰にも分からなくなってしまっていた。結局それぞれ適当に見当を付けたハムスターを自分の家の子として持ち帰る事に相成り『愛は試すものではない』という尊い教訓を我々は得たのだった。
■動物好きの人から聞いた話。チョコエッグがはやり出した頃、動物園で蛙や昆虫といった小動物を担当している飼育員は、上からの義務として自分の担当している動物のフィギュアを持たされたらしい。
というのは、入園客の中には自分の手持ちのフィギュアと実際の動物とを並べて記念写真を撮る人が居て、更にはそれを落としたり忘れていく事故が多発したから。床に蛙や昆虫類の実寸大フィギュアが落ちていると、一見本物の展示動物が逃げ出しているかの様に見えてしまうのだとか。
それで飼育員はフィギュアの形状を記憶し、ガラスケース外に在るそれが作り物か本物かを瞬時に見分けられるよう備えたという。
■ごみ捨てに行って来た。
帰り際、突然足元からギーヴ!ギーヴ!と警報の様な音がしてびびる。
敵の襲来か!何奴!と思いつつ辺りを見渡すと、奥のごみ袋から光が漏れていた。
ごみ袋を解いて電話に出てみる。イタリア産チーズの包み紙とかいいもん食ってやがるなこの家。
相手はこの携帯電話の持ち主で、紛失に気付いて電話をかけてみたのだと言う。
少し待って現れた持ち主に携帯電話を渡す。かなり丁寧なお礼を言われて久々に照れるという体験をした。
思いがけず善い事をして気分が良いけど、すっかり目が覚めてしまったぞ。
■結構気の合う同僚と初めての飲み会。お互いにツイッターのアカウントを教え合う程意気投合したので早速フォローしようとしたら、俺この人のアカウントブロックしてた。
や、やべえ!スマホからだとどうやってブロック解除するんだっけ!?
と慌ててブロック解除&フォロー。出来立ての友情が秒速で崩壊する寸前だった。ふう。
■今日某家電量販店に行ったら「東京都よりお越しの池田大作様、大川隆法様がお待ちです。1階サービスカウンター迄お越し下さい」と放送が流れた。誰だ変ないたずらをしているのは。それとも店員用の何かの符牒か?
■もう先月の話。深夜に女性の後ろを二人っきりで歩いていて軽く気まずさを感じていたら、暗いものだからドブ板を踏み外して「うおおぉー!?」と変な声を上げてしまった。
途端に響き渡る防犯ブザーの音。「違うんだよ!?転んだだけだよ!?」と弁解したい気持ちを抑えながら慌てて道を反対側に入って逃げてしまった。
これも不審な男性に遭遇した事案として記録されてるのかなぁ…勘弁して欲しい。
■さっき男子小学生がランドセル背負いなからタバコを吹かして歩いてた。未だ3~4年生位の。注意したら無表情のままこっちも見ずにタバコを排水口に捨てて去って行ったけど、ランドセルに防犯ブザーがぶら下がってた。吸い殻が無い状態でこれ引かれたら俺やばかったかな。「変なおじさんに声かけられたー」って。
■料理好きのイケメンの友達の部屋に行ったらすごくサイゼリヤの匂いがした。
因みに俺は芳香剤を買い間違えて部屋からゲーマーズの階段の匂いがします。
■処女喪失もののアダルトビデオで見付けた女優が気に入って最近はその女優の出演作品ばかりを追いかけていたんだけど、
それより古い別の作品で「初体験は12歳の時」って答えているのを見付けてしまった。
せめて芸名位変えろよ。まるで俺は蜃気楼を追いかけていた冒険者の如き有り様。嗚呼。
■出会い系で知り合ってからもう半年位付き合っているセフレの40代のおばさん、今日話訊いたら昔俺が好きだったアニメの主人公役の声優だった事が判明した。どうしよう。ちょっと演じて貰ったら間違いなくあの声だよ。本人だよ。「昔のアニメとかよく知らなくってさぁ~」って顔で流したけど、今度からどういう顔して会えばいいんだろう。何が起きたのかまだ受け入れ切れてない。
■こないだのコミケ。便所で長い間個室を占領していた奴が出て来て俺の前を通った時、鞄の隙間から柔らかそうな円筒形の物体、つまりオナホールがチラっと見えた。
俺は列の先頭だったけどきんもー☆と思ったので後ろの苦しそうな表情の人に先を譲ってあげた。後で知ったけどオリジナルオナホールを売っていたサークルが在ったらしい。
■灼熱のコミックマーケット、いかがお過ごしでしょうか。こちらもうフラフラです。通路にへたり込む参加者に、スタッフも注意する気力を失っております。
先程は救護室にブラックジャックのコスプレをしたレイヤーさんが担ぎ込まれて行きました。
お前治療する側だろうと、周囲のみんなは目で物語っております。この暑いのに黒い上着なんて着込んでるから…
■昔、サークル友達に誘われてとある人気アニメの番宣番組の制作を一時期手伝ってた。要は声優さん達が遊びながら作品に絡めた話をするネット番組。
ある時主演声優の一人が、自分が演じてるキャラクターのフィギュアを買いましたよー、と言い出した。
告知から長い間発売延期が続いていた商品をネットショップで買ったという話なんだけど、その発言の後から番組責任者がそわそわし出した。
収録翌日に確認が取れた所、その声優が買ったフィギュアは中国の工場から流出した海賊版で、本物は来月発売予定らしい。利用したというネットショップも以前から海賊版フィギュアを販売している常習犯。
結局会社側がその声優から海賊版を買い取った上、本物を来月プレゼントするという形に収まった。当然番組は収録し直し。
ただ声優さんがにこにこしているだけの様に見える番組の裏にも、こんな事件が有るのです。
■見た目も性格もいかつく、その癖可愛い物好きの知り合いが腕にシナモロールの入れ墨を入れてきた。俺も同じシナモロール好きとして反応に困る。愛でればいいのか?これを?
■考え事をしながらコンビニで店員に話しかけて「すいません。ミミミンミミミンウーサ…じゃないや。麦茶どこですか」と言ってしまった。
■「あ、この会社やばいな」と思ったのは、社長の口癖が「あー暇だ」だと気付いた時。
だってその社長、60歳超えてるのに週6で毎日12時間は働いてるんだよ。
毎日働き詰めなのに2~3分の待ち時間や昼休みを、休む時間ではなく暇な時間と感じる体質らしい。
この歳で現役なのはこんなスタミナ人間の後釜を継げる人間が見付からないからという理由も有るんじゃないか。
面接に来たのはややイケメンの学生。受け答えはハキハキしていて好感が持てるんだけど、
履歴書を読むと「何年何月何日.自分の会社を設立。何年.25歳で東証一部上場。そして結婚! …」とずらずら未来の経歴が書かれてる。というか本来の経歴より未来の経歴の方が長い。
「この部分は将来の予定?」
「はい!夢を形にする為に!具体的な日付を付けました!」
「…夢を書くのは手帳とかのカレンダー欄の方がいいよ。こういう履歴書は会社で預かっちゃうから」
面白い子ではあったけど採用は見送り。自分の通ってる専門学校の校名「専問学校」って書き間違えてたのも理由の一つ。
■俺の友達のお話。そいつは大学時代からお笑い芸人を仕事にしていて今ではちゃんと事務所にも所属している。そこは結婚式や宴会に芸人を派遣するサービスも行っているんだけど、こないだそいつにもご指名が回って来た。
でもちょっと待てよ。先輩芸人差し置いてなんでそいつやねん。奴は人気が無いだけじゃなく、下品で毒舌でどう見てもおめでたくないネタしか持っていない。本人も事務所の人もみんな驚いていたらしい。俺も驚いたし。
で、呼ばれたのは葬式。なんでもそいつの顔が故人に瓜二つなんだとか。。。理由は変だが新人芸人に仕事を選べる余裕は無くマネージャー秒速の二つ返事。この話も事務所が勝手に了承してから知らされたらしい。
その記念すべき初依頼の現場写真を見せられて更にびびった。いつもの変な挨拶を披露している奴の顔と遺影に写った顔は本当にそっくりで区別が付かない。「何これドッキリカメラ?」と訊くと「いや…俺を騙すにしては金かけ過ぎでしょうよ」と。そんな事、訊く前から俺も頭では分かってる。
服装に背広を指定されていたから棺桶の故人と寸分狂い無く一致状態で、遺族も参列者もマネージャーも何より奴自身が驚いたそうだ。『俺が自分の葬式に参加して自分の遺体の隣でお笑いを要求されてる!』って。
一つ困ったのは、葬式に相応しいネタを幾つか考えて行ったのに(一つ見せて貰ったが『似ている人を3人見付けると死ぬって噂。今日1人目を見付けたけどもう死んでた』という不謹慎且つしょぉぉぉもないネタ)、参列者が大勢涙目でみつめて来たり、前カノ(故人の)から時計を押し付けられたり、恩師(故人の)から抱き付かれたりで6時間の内1つしかネタを披露できなかった事らしい。人気無い癖にそういう所は真面目でやがる。
そして今奴は故人の姉と付き合っているときた。奴には是非、もう2人そっくりさんを見付けて例の噂が本当か検証して欲しい。
■突然4箇月も入院して先日やっと退院した友達の部屋の掃除の手伝いに行く。前々からごみだらけだった部屋がすっかり虫達の楽園と化していた。ゴキブリはワモンからチャバネまで、ハエはクロバエからチョウバエまで向こう10年分は目にした気がする。本当に本当にこれはどうしようも無いと判断した俺達は、パソコンやテレビ等電化製品だけを退避させて部屋を大燻蒸する事にした。
明らかに「ここが虫の発生源です」と判るウジ虫だらけのゴミ袋を先に片付けようとしたら、ビニール袋の中で人間の小指大は有る親玉ウジ虫が蠢いていた。
「ここだけ進化論がおかしい!こいつ人間を食うぞ絶対!」と本気でびびりまくったが、よく見たらナメクジだった。それにしても3階の部屋にナメクジが湧くってどういう事よ。
燻蒸の結果我々人類の手には負えないという事実が改めて判明したので、結局業者に頼みましたとさ。
はてな匿名ダイアリーは12605文字前後が上限の字数制限が有るっぽい。
編集画面と『確認する』ボタンを押した時の表示ではきちんと書いた通りの全文が表示されるが『この内容を登録する』ボタンを押した後は、12605文字以上の文が表示し切れず途切れてしまっている。
こんな記事が注目を集めていた。
http://anond.hatelabo.jp/20130112060014
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130112060014
ブコメで色々と言われているが、『「将来は専業主婦になりたい」と堂々と言える世の中のほうが健全だ思う』というのがあった。
ブコメを見て不思議なのは、歴史的に見て自然というのに大いに反発しながら、今ある状態を歴史的な目で固定化している不思議。今の状況も変化が起こるもの。もう専業主婦で女がいられる時代ではないと言っているが、何でそうなったのか。フェミが何とかとか言ってるけど、そんなフェミ視点だからまともな経済視点で語れない。
専業主婦が以前よりも少なくなった理由は、給料が下がり続けているデフレ状況下がある。この今の状況は歴史的な進歩ではなく、逆に退歩している。デフレがいつまでも続くのが、自然な社会の形態とでも思ってるのか。経済音痴に言っても分からないから、インタゲ2%とか色々と言っても仕方ないから、ものすごく簡略化する。今の安倍自民が言ってることが実行されれば、内需が増えて国内雇用が増え、給料が上がる。男の給料が増え、何よりも、当の女性が専業主婦になりたい女性が増えている。ニッチなはてなでフェミが何とかとか言って夢想している人の予想以上に、専業主婦になりたい女性は、実際に増えている。専業主婦になりたい女性が増えていると、何度も調査結果が出てるだろ。デフレから脱却+当の女性の希望で、専業主婦家庭は増える。以前の高度経済成長期並には、増えなくてもね。
専業主婦は歴史的な存在ではないとか必死に言って反発しているのは、何なんだろうね。これも、歴史的現実的に疎いフェミ視点とやらなのか。あのね、もう少し考えないと本当の馬鹿だと思われるよ。今は、高度な資本主義経済下に生きている。その今の資本主義社会と、それとは根本から違っていた社会の女性の暮らしぶりを、今にそのまま当てはめてどうするわけさ?専業主婦が増えたのは、経済成長を続けていた資本主義社会で増えた。もう一度、経済成長を続けていけば、当の女性の希望も加わって、専業主婦家庭は増えるわけ。
何か?以前のその専業主婦でなかった時代の女性を「伝統の女性像」とか言って、その時代を今に適合するのか?そうなるとさ、今の資本主義社会自体を否定しないといけなくなるよ。そんなことまで考えないで、言ってるよね。専業主婦ってのはね、「資本主義社会での女性像」のことで、資本主義社会ではない時代の女性像を今の資本主義社会に重ねて、「昔は違ったんだ」って、とうとう脳内溶解でも始めたのかね。資本主義社会での女性のことを言ってるのだから、同じ資本主義社会での女性を言わないとさ。
最初の「男は仕事、女は家庭は歴史的に見ても自然」の記事に、その時代を今に適合してどうするんだ!とか言ってるが、鏡を見ろってこのことだな。資本主義社会ではない時代の女性像を今に適合しているのは、お前だろってな。
結局、『「将来は専業主婦になりたい」と堂々と言える世の中のほうが健全だ思う』、その通りだろ。別に専業主婦を強制しているわけでもないのに、何でそんなに反発しているのかって。むしろ、専業主婦を思いっきり否定して、その方向性で強制しているのは、一見すると男女平等とか言っているフェミのほう。しかしね、反発だらけなのは、このニッチなはてなではびこっているおかしなフェミ何とかってだけでね。他のもっと一般的なサイト、テレビ、新聞、雑誌やらでは、普通に専業主婦のことが出ているが、アホみたいに反発していない。一般の調査では、専業主婦願望が増えているんだから。
一般的な声はどこにあるのかを一番写すのが選挙結果。政党で一番フェミのことを言ってきたのが、社民党。その社民党は、もう政党自体が消滅しそうだよな。北朝鮮の拉致やら色々とあるが、社民党はトンデモ、社民党が言っているフェミニズム主張はいい加減にウザい。これが、世間の声なのに。何で、世間一般の声を無視するのか。はてなサヨクの政治系やら、はてフェミ系やらの声は極限られた特殊な意見ってのは、選挙結果でも分かるだろ。
働く女性像とか煽って、結局、その女性たちを苦しめてきたのにさ。専業主婦願望の増加の理由って、働く女性像なるものを煽り続けて押し付けて強制までさせて専業主婦を否定しすぎて、宗教や、ファシズムになってきたから、それに反発した女性の声が大きくなったのだろう。自業自得とは、このことだね。
あとさ、電化製品とかあるから専業主婦は必要ないって、それは違うな。専業主婦は子供といる時間のこととか、家にいる女性に安心感があるとか、精神的な面での重要なことがある。唯物的に専業主婦を捉えるから、現実が見えない。モノでしか見られないのに、よく今の社会で働けるな。単にモノを売っていても、同じ価格のモノでも一方のほうが売れるのは、付加価値があるから。今の資本主義下の商売でも、単に唯物的に売っているのではなくて、精神的なものを付加しているわけだよ。「モノを売っているのではなく、物語を売っている」って聞いたことがない?単に機械的にモノを売っているだけの時代じゃないくらい、さんざん言われてるだろ。専業主婦になると、なおさら遥かにそうなる。精神面での安らぎとか一緒にいる物語ね、こういうのが専業主婦でのありがたいことで。単に電化製品があるから専業主婦はいらないモノだって、もうね、今の時代の物売りの基礎もあったものじゃないね。
あと、最初の記事のブコメに進化心理学とあったね。進化心理学関連の本って、結構ある。専業主婦の極々短い指摘くらいで反発して思考停止するのは、こんなタイトルを見ただけで発狂するのかね?
『なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス』
こういうのは、進化心理学で研究されていること。タイトルから見て反発するのではなく、学問としてよく見てみるんだね。進化心理学自体を否定するのならば、学問を否定するまさにファシズムだな。学問の幅は想像以上に広く、自分に都合の悪い研究も色々とされているのを認めろ。フェミさんたちのは、タイトルもアレで中身もアレなのが多いが、進化心理学は中身はしっかりしているから、色々とよく見てみれば。心理学という学問が、フェミのアレな主張に真正面から反対することも言っているな。
消滅まっしぐらで、世間から何ら支持されず邪魔者のゴミ扱いされている社民党なんかを支持しているはてなの偏狭なはてフェミって、はてなサヨクと同じく、はてなのアホの象徴。社民党は女性から相当な嫌悪感を充満させられて、嫌がられまくっているという現実を、はてフェミはいい加減に見ろ。
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 – 1600年2月17日)はイタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。
それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護したことで有名。
はてなブックマーク - 「純粋な進化論を肯定する米国人は3割だけ」調査結果 « WIRED.jp
はてなブックマーク - 米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
http://anond.hatelabo.jp/20131109152417
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20120801/1343822209
を読んで。ぶくましようかと思ったけど、どう考えても100文字じゃ足らんので増田に。
http://law-science.org/webronza10.html
も脇が甘くて、たとえばid:locust0138さんが引用した、
科学者は反対だ。何より結果が「科学的に正しい」ことが最優先で、「適正手続き」は二の次だ。科学の知識も科学者内部での合意形成という側面はあるのだろうが、「科学的に正しい」答えは、たぶん、適正手続きからは出てこない。
の最後の「適正手続き」をカギ括弧でくくってないあたりなんか典型なんだけど、でも、この記述そのものは、実は憤慨すべき話でもない。ここで言う「適正手続き」というのは、中村弁護士の言う法システムにとってのものだ、ということが前提ではあるけど。
例を挙げてみよう。かつてアメリカの多くの州で、反進化論法というものが制定された。進化論は聖書を否定するけしからん言説であり、学校で教えちゃいかん、という法律だ。いちいち裏を取っちゃいないが、州議会でちゃんと可決され=まさしく「適正手続き」により定められた法律だろうから、したがって反進化論法は「法システム的に正しい」。
しかしもちろん、「法システム的に正しい」ことと「科学的に正しい」ことはイコールではないわけで、「適正手続き」を経たからといって、科学者が、進化論は否定されるべきです、なんて認識を持つようでは大いに問題である。「適正手続き」を経ようが経まいが、自らが「科学的に正しい」を思うところを突き進んでいってこその科学者じゃあないですか。
幸いにして反進化論法は、連邦裁で違憲認定された、すなわち法システムが備える別の「適正手続き」によって「法システム的にも間違い」ということになったわけだけど、言い換えれば、「科学的に間違い」なことが「法システム的に間違い」になるには、単に「科学的に間違い」であることだけでは足りなくて、別途「適正手続き」が必要だったわけ。もちろん、連邦裁違憲判決ルートだけじゃなくて、州議会で廃止というルートだってよかったんだけど、いずれにしても、何らかの「適正手続き」を通す必要があったのよ。
でまあ察するに、中村弁護士は、この「別途『適正手続き』が必要」というところを、科学者にわかって欲しかったんじゃないのかな(その目的に照らして、言葉の選び方などがあまりに不用意だったのは批判されるべきだけど)。別に科学者が一般的な用語法における適正手続きを軽視していると言いたい訳じゃなくて、法システム上の「適正手続き」を軽視していると。「科学的に正しい」ことを追い求める際の手続、たとえば査読誌への掲載とか追試による検証などに対して、それらは手続としての適正性を備えていないとか言いたい訳じゃなくって、それらとは別に法システムには「適正手続き」ってものがあるんですよ、と。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203240177.html
でもね、公教育がそれを牽引するとはぜんぜん思わないんだ。
むしろ有害。
江戸幕府が自前で世界一の蒸気船を造るとか言いだしたら、おいおいって思うでしょ。
あんまりいい例えじゃないのはわかってるけど、そんな感じだよ。
文一主席と理三主席を10年分集めて純国産iPhoneとか純国産Googleを作ろうとか言い出したら、どういうものが出来るかなんとなく想像がつくでしょ。
偏ったっていいから、なにかしら思想がないと何も成せない。なにも作れない。
先端教育に限ったことじゃないよ。
草の根に至るまでの初等教育だって公教育である必要なんか無いわな。
それぞれの藩校、私塾、多様な教育があったからこそ、いい人材が育ったんだろう?
幕府直轄で学制とか敷いちゃってたらさ、どんなに才能が溢れてても陽明学と朱子学が駄目だと進級できなかったりしたんじゃね?
教育なんか偏ってていいんだよ。
それが正しかったか間違ってたか、偏ってたか公平だったかなんて、後の世になってみなくちゃわからない。
進化論を否定する学校とか、君が代を歌わない学校とか、いろいろあっていい。
数学に力をいれようが、英語に力をいれようが、授業と称して池田大作を褒めちぎっていようが、構わないんだよ。
全体として多様性が保たれていれば。
もちろん、私立の学校なんて田舎にはないだろうから、公立をなくすわけにゃいかないよ。
公立しか選択肢がないそんな子供たちには気の毒かもしれないけど、悪いけどそこじゃ日の丸は掲げるべきだし、君が代は歌うよ。
子供に強制はしないとしても(したっていいと思うけど)、教職員はそれをするべきだよ。
キリスト教式の結婚式をあげて、「神の前で愛を誓う誓わないは自由です!」ってわけにゃいかないから。
国歌斉唱が式目にあるなら、斉唱するのは参加者の義務にせざるを得ない。
ないなら、歌いたい人がいようが、勝手に歌いだされちゃ困る。
君が代を歌うのが正しいか、間違ってるか、そういう問題じゃなくてさ、式ってものがあるなら式目が必要で、だれかの判断で式目をつくらないとならない。
式目を作ったら、それの通りに式は進行させないとならない。
そういうことだろ?校長の判断でどうこうってのは。
でさ、この人の言い分ってのはおそらく、
「勤務日じゃないから私人として式に参加してるだけだから、君が代を歌う義務なんかない!ビラを撒こうが、プライベートな活動だからとやかく言われる筋合いはない」
ってことでしょ?
そりゃあ通らんよ。
退学になった生徒がバイクで乱入したって同じ理屈が成り立ってしまうじゃん。
「俺達生徒じゃねーもん!特攻服できたけど、卒業生を祝うために一般参加しただけだもん!」
でもありになっちゃうでしょ。
それ以上はするな。
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
射精前後で男性は豹変します。射精後の男性は、それまでとはうってかわってダルく眠くなります。どうして賢者タイムが起きるのでしょうか。
射精した男性の脳内では、ノルエピネフリン・セロトニン・オキシトシン・バゾプレシン・NO・プロラクチンなどの物質が放出されます。
プロラクチンが放出されると性的満足が得られ、また「二回戦」をはじめるまでのラグを生じさせます。
このことは研究でも分かっていて、プロラクチンを欠く男性はより早く復活します。
プロラクチン濃度は睡眠中では高いです。プロラクチンを注射された動物はすぐに疲れた状態に入ります。
余談ですが、セックスのほうがオナニーより眠くなるのもプロラクチン説で説明できます。
理由は分かりませんが、セックスのほうがオナニーより4倍プロラクチン放出されることが研究で分かっています。
オキシトシンとバゾプレシンが放出されるのに伴いメラトニンが放出されることが多いです。
メラトニンは睡眠に関連するホルモンで、体内時計を調節します。
オキシトシンはストレスレベルを軽減させるとも考えられていて、これもまたリラックスと睡眠を引き起こすと考えることができます。
進化論的には、オキシトシンとバゾプレシンはパートナーとの感情的結びつきを高める作用もあるので、子孫を残すのに有利に作用します。
賢者タイムが存在する正確な理由を説明できた人はまだいませんが、以上に述べたような生化学的・進化論的解釈が存在します。
詳しくはhttp://scienceline.org/2006/09/ask-wenner-sex/をみてください。
https://twitter.com/flurry/status/110154365943283713
研究成果自体はともかく、末尾の一文がひどすぎる。>『電離放射線は1895年のレントゲンによるX線の発見から、わずか110年余の歴史しかない。それにも関わらず、発見時に既にヒトの細胞を電離放射線から防護するDNA修復機構が生命に存在……』
引用元は 放射線の修復蛋白NBS1によるRAD18を介した損傷乗り越えDNA合成の開始 — 京都大学 で、ここには
電離放射線は1895年のレントゲンによるX線の発見から、わずか110年余の歴史しかない。それにも関わらず、発見時に既にヒトの細胞を電離放射線から防護するDNA修復機構が生命に存在していたことは驚きである。
と書いてあるけど、普通に読めば「人間が発見するよりはるか昔から自然には放射線を処理する仕組みがあるのだ。不思議だ」という感じだと思う。けど彼の解釈は、
https://twitter.com/flurry/status/110155013535436800
えーと、その、レントゲンがX線を発見するまで、たとえばベータ線やガンマ線も飛んでなかったとおっしゃるわけ……? 論文の筆者、ひいては研究成果まで疑いたくなるという。
だそうで。どう読んだらそうなるの?いや、わかるよ。「人間がX線を発見したからX線が世界を飛び始めた。それから110年、生物はこんなに早く進化したのだ」って読んだんでしょ。でもさ、そのひねくれた読み方をひねくれているという認識を持たないで普通に書き出しちゃうの、ちょっと面白いなあ。
んでこれ。
https://twitter.com/apesnotmonkeys/status/110170002589630464
https://twitter.com/flurry/status/110175456388583424
@apesnotmonkeys ぎゃー。目的論的な発想と親和性が高そうで、この先生の進化についてどのように理解しているか、というのも……
ここまでいくとよりひどさが増す。今まで彼が確認していたのは、時間軸、つまり「起源」と「発見」を混同してしまっているのではないか、ということであった。
そこにさっそうとapemanが「種の起源」を持ち出す。これも「起源」つながりだからまあ、議論にそくしているとはいえる(「人間にとっての進化というのは『種の起源』で始まったが、それ以前から進化それ自体は存在する」という誤解(あるのか?)と類似性があるなんて話だからつじつまは合ってるけど、この後の反応に注目)。
でも次、「目的論的な発想」とか言い始めて、さっきまで時間軸上で混同してるんじゃないといっていた話が、いきなり別の議論、つまり手段と目的の混同に飛躍するという面白さ。進化論のよくある誤解=目的論的発想だから脊髄反射しちゃったかな?でも、先ほどの研究者の文章には、確かに「時間軸上の混同」は100人中1人は間違えるレベルの書き方はしているけれど、目的論的なことは一切書かれていない(だいたい「親和性が高い」なんて、科学者であれば相関と因果の違いくらい誰でも意識してるだろうし、自然科学の議論全般が「目的論と親和性が高い」のだから、こじつけにもほどがある)。いくらなんでもここまで拡大解釈されたら研究者も「こいつに説明しても意味がない」となるだろう。
で、ふたつを合体。すると「人間がX線を発見してから110年、その放射線に適用するために人間は処理の仕組みを持ったのです」なんてことに。こんな読みをした奴は、お前くらいだよ。
Twitterだねえ。
著名人が動いているのを見たり面白い事言ってるのを見るのもよい。
それくらいの、暇つぶし10割でしか使ってないのだけれど、それは活用できていないらしい。
有意義?な使い方っていうのがもっとある。
RTしたりされたり、そうして己を磨いていく。のかな。
#change2011とかいうタグを友達が使ってて、急に欧米が政府がとか言い出したぞなんだと思ったら、皆はもっとすごいや。
どうやらこれはイベントなのね、皆足並みそろえて燃えたぎっている。どーりで大学生が多いと思った。
そしてなんだかむずがゆい。
要するになんかアホらしい。
成長過程といえばそうなんだが、偉そうにまとまりの無い事を無勉強で呟くのはどうかと思うよ。
アウトプットは大事だけれど、それっぽい言い方をする事が練習になるわけではなくて、一応の論理的筋道を立ててモノを言うのがアウトプットの練習になるんだと思うよ。
「世界を変える、そのための努力もする」って、世界を変える事は目的で有り得ないだろが。
ある事をやりたいから、そのために動く結果として世界が変わるだけで。世界を変える事を第一に打ち出すってのは違和感。
その人をモデルとして生きていくのは悪い事じゃないが、その人の勉強量を見たら偉そうなことを言うのを恥じろよ。
知識人のまねごとをするなら勉強しろ。新書、ビジネス本コーナーの人口と、Twitter知識人の人口の開きは一体。
・・・
理解して無いだろお前らって言われてるじゃねえか!
「感動しました、すぐ行動に移します」って!何をだよ!勉強をか!考えてからしろよ洗脳されるぞそれ!
行動力は大事だけど、自分で考えた事を行動に移すんだよ!言われた通りじゃ何も変わってねえだろ!
、と。
世界と較べて日本の大学生は、という論調が多いことから目指すものは世界で通用するリーダーなんだろうけど、大半は日本の就活に飲み込まれ日本企業で活躍して埋没していくのかしら。
結論はプログラミングを学べなのかな?そんなことも聞いたこと無かったのかい。web進化論やら何やら何やらでさんざん言われてる事だろうに。
まあでも、少しでも本当に糧としてくれる人がいればいい、のかね。
もしくは、話を聞いて少しでも全体の意識が高くなってくれれば、それでいい、のかな。
※おことわり
少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。
単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。
ただ、自分の意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…
と、どこかで期待しているのも否定しない。
重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。
自身はすでに就職先の決定など、人生における比較的重要な選択を終え、
どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。
--------------------------
俺は哲学者でも何でもないけれど、自分のキャリアを考えているうちに、
進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを
ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。
いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。
それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。
例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。
この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。
特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。
それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、
自分を納得させるためでもある。
自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。
そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。
迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。
一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。
いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、
少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。
「キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。
途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。
選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、
これは普段気づきにくいことだが、
…という話をするとどうしても抽象的になるが、
いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。
少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか…
改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、
間違っていなかったことを証明したかったという方が正確かもしれない。
自分が納得のいくための説明をするためには、
論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。
論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。
しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。
なぜ、生きるのか―。
千差万別の答えが得られそうだが、
俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。
さらに子や孫、あるいはその世代が
よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。
では、どう生きるか―。
これもまた、十人十色の答えがあるだろう。
俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。
そんな変化の多い時代、
子孫を繁栄させることができる。
少し横道に逸れるが、キリンの話を。
遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境に適応した。
これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物。
しかし、エサとなる草木にも限りがある。
そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。
キリンはその長い首を生かして、
他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。
これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。
繰り返しになるがとどのつまり、
文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。
すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、
すごく簡単な言葉に置き換えると、
時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。
その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。
…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人。
ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。
また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。
情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。
そんな中では、人としてのコミュニケーション能力が重要。
さて、これまで長ーく書き連ねたけど、
もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、
みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。
結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。
そこから導いたのが上のような考え。
もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。
そうするために、自分が出来ることはなんだろう?
これからも考えながら歩んでいこうと思う。
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※おわりに
それなりにやることやってきたのかな?と思う。
そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。
1つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、
自分はそれよりも広さを追求しようと思う。
しかし起立命令の件に限って言えば、「ある」と証明すべき立場の人達が証明した事は、おそらく一度もないんだわ。あったかもしれんけど、判事を説得に至らしめた事は殆どない。
そもそもの話、卒業式で起立する事なんて学校教師目指す人間なら最初から分かりきっていた事なわけで、それを承知で教員免許取って公務員試験受けてる時点で彼らの主張の説得力は皆無に近い。たとえるなら、生物教師になった後で「進化論を教えるなんて神への冒涜だ!」と騒ぐようなもの。
剣道の件は対象が学生だったので事情が違う。「剣道を履修しろ」は地方公務員法で定められた職務上の命令じゃないからね。
この点も、ただ起立しろという命令に過ぎず認めろとも敬えとも命じられていないって事で突っぱねられたケースが大半だったはず。
そもそも、日の丸や君が代を侵略の象徴だとする考え方自体がその個人特有の思想なわけで、行き着くところは「公務員が自身の思想を職務に優先できるかどうか」という基準でしか判断されない構造的な問題がある。起立拒否が何らかの社会正義に資するとすら認められてない。ただの「わがまま」。
しかし彼らがその主張を取り下げないのは、日の丸や君が代が悪であるというそもそもの前提の無謬性を盲信しすぎて、それを第三者に証明する必要性を認識出来ていないからだろう。つまり君が代・日の丸への嫌悪を「証明する必要すらない普遍的な感情」だと思い込んでそれを判事に理解してもらう努力を全然してない。だから裁判で負け続けている。通用するのはせいぜい、最初から同じ思想を持ってる判事だけ。
http://anond.hatelabo.jp/20110520152213
お前「そもそも彼らはゴネたいだけで、侵害される思想は持ち合わせていない」
俺「そうは言い切れない。彼らが信条を持っていることを否定できない」
という流れだと思ったのだけど。
別にそれでもいいけど。
「信条を持っていることを否定できない」って部分に関しては「信条を持っていることを証明する立場にある彼らが、それを証明した(証明を試みた)事は過去に一度もないし、あったとしても判決に影響を与えた事例はない。だから容易に否定出来る」というのが俺の考え。