しかし起立命令の件に限って言えば、「ある」と証明すべき立場の人達が証明した事は、おそらく一度もないんだわ。あったかもしれんけど、判事を説得に至らしめた事は殆どない。
そもそもの話、卒業式で起立する事なんて学校教師目指す人間なら最初から分かりきっていた事なわけで、それを承知で教員免許取って公務員試験受けてる時点で彼らの主張の説得力は皆無に近い。たとえるなら、生物教師になった後で「進化論を教えるなんて神への冒涜だ!」と騒ぐようなもの。
剣道の件は対象が学生だったので事情が違う。「剣道を履修しろ」は地方公務員法で定められた職務上の命令じゃないからね。
この点も、ただ起立しろという命令に過ぎず認めろとも敬えとも命じられていないって事で突っぱねられたケースが大半だったはず。
そもそも、日の丸や君が代を侵略の象徴だとする考え方自体がその個人特有の思想なわけで、行き着くところは「公務員が自身の思想を職務に優先できるかどうか」という基準でしか判断されない構造的な問題がある。起立拒否が何らかの社会正義に資するとすら認められてない。ただの「わがまま」。
しかし彼らがその主張を取り下げないのは、日の丸や君が代が悪であるというそもそもの前提の無謬性を盲信しすぎて、それを第三者に証明する必要性を認識出来ていないからだろう。つまり君が代・日の丸への嫌悪を「証明する必要すらない普遍的な感情」だと思い込んでそれを判事に理解してもらう努力を全然してない。だから裁判で負け続けている。通用するのはせいぜい、最初から同じ思想を持ってる判事だけ。
http://anond.hatelabo.jp/20110520152213
お前「そもそも彼らはゴネたいだけで、侵害される思想は持ち合わせていない」
俺「そうは言い切れない。彼らが信条を持っていることを否定できない」
という流れだと思ったのだけど。
別にそれでもいいけど。
「信条を持っていることを否定できない」って部分に関しては「信条を持っていることを証明する立場にある彼らが、それを証明した(証明を試みた)事は過去に一度もないし、あったとしても判決に影響を与えた事例はない。だから容易に否定出来る」というのが俺の考え。
横だけど、特定の行為が正当かどうかとその行為の正当性をどう争うかは違う話だよ 裁判で争わないといけません、判例上正当性は認められています、っていうだけじゃなくて、なんで...
横だけど、特定の行為が正当かどうかとその行為の正当性をどう争うかは違う話だよ じゃあ誰がどうやって正当かどうかを決めるの? その決定方法の正当性は誰が担保してくれるの?...
直近だと高裁で教員側の逆転勝訴も出てる。 2007年に最高裁でピアノ伴奏拒否に対する戒告処分は正当性が認められたから (最高裁でも賛否両論出たことは付しておく)多分最高裁で覆るだ...
だがそれで他人の内心まで踏み込むのは余りに狭量じゃないかとも思う。 起立命令を「他人の内心まで踏み込」んでいるという発想自体がそもそものポイントなわけだ。 ただボケッと...
頭に布を巻くのが譲れない信条の人も、 退学処分になってまで剣道を拒否する信条もある(これは日本の裁判で認められてる)以上、 起立が内心の侵害にならない保障はない。信条がある...
起立が内心の侵害にならない保障はない。 しかし起立命令の件に限って言えば、「ある」と証明すべき立場の人達が証明した事は、おそらく一度もないんだわ。あったかもしれんけど...
どこに論点を持ち込みたいの? 彼らには内心の自由の侵害に当たるべき内心が存在しないって話じゃないの? ・恐らく裁判で不起立は認められない。 ・戒告は正当な処分と判断される...
「判例読まなきゃ解決しない」は あなたがズレた答えをしたことへのエクスキューズにはならないよ