2011年09月04日の日記

2011-09-04

私小説を語ることと分析は全く別の次元の話

http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

この人はまだ大学生くらいかな?少なくとも社会人ではないと思う。

自分内面比重が極めて大きく、母と自分との間には二人しか存在しないという幼児的な世界観

村上春樹的な青臭さがプンプンしており、遠くから眺める分には嫌いではないが、友達にはなりたくない。

幼児期に十分な愛情を得られなかった代償というのはよくわかるが、大人でこんなこと真顔で言うやつがいたら殴る。

こういう「えせ大人ぶった言い方」はあんまりスキじゃないけれど、

それでも多少は時代の流れも考慮すべきだし、大人というものが家庭の中だけ考えてればいいというものでないことも理解すべき。

優先順位のつけかたに不満があるという批判ならともかく、外を大事にすることを無条件に否定的に捉えているあたり、下手くそだなぁと思う。


自分を語るより前に、「肯定するかしないかはおいといて」一旦相手の言い分を受け取る技術がたぶんこの若い人にはまだない。

自分が肯定できるものしか受け取れない人間には、判断が情報の受け入れより先に立つ。

まり自分が受け入れられるものしか頭に入らない、もっといえば自分の考えを補強するものを積極的に取り入れるようになる。

そして、私小説めいたブログ記事を書く。

これはとても気持ちがいいことではあるが、現実を救うことはない。よほど文才があれば別だが。世界は広がらない。


これでは問題があったときに正しく物事を受け止めて、適当対処を取ることができないだろう。

「世の中は間違っている」とか「母親が悪い」と言いながら変わらぬ日常を送ることになる。


正直自分がこの人の親だったらこの子社会で生きて行けるんだろうかと心配しょうがない。

親でなくても、友達にも色々口出しされるタイプじゃないだろうか。

そして、そういう他人の親切を干渉としてはねのけ、孤立するタイプであると思う。


この記事読んで、guri_2という人を思い出した。

彼も方向性はともかく(この人はやたらポジティブ方向)、青臭いことを大真面目に語り、

それがはてなの煮え切らない人を刺激してよく話題になっていたが、

やがて彼はその「論争」の中から抜けだして、自分の戦いに飛び出していった。

彼女もそうなっていって欲しい。私も頑張る。


追記:文章中に「仕事をしている」という記述がありました。社会人の方のようです。私全然文章読めてねー・・・

ひらがなで「さんま」と書かれているのを見たんだけど

一瞬、「きんたま」に見えた。

そろそろ死期が近付いているのかもしれぬ。

http://anond.hatelabo.jp/20110904225715

自殺する奴ってもう狂ってて死ぬこしか考えられない状態だもんな。

理性的自殺する奴なんていないっつーの。

放射線汚染物質の最終処分場

チェルノブイリいいんじゃないか。

石棺の上にまた石棺を作る計画あるけど、

汚染物質の貯蔵庫も併設すればよろしい。

各国の行き場を失った汚染物質を引き受けて保管料を毎年とれば

不毛土地がちょっとした金脈になるんじゃないだろうか。

続き物の本やドラマゲームといった物語をたくさん消費している人の記憶って結構すごいと思う。

まあゲームはその作品内で一応完結しているものが多いから一概には言えないかもしれないけれど、一クールにたくさんのドラマアニメを見る人とか、何冊も続きもの漫画小説を読んでる人ってどうやって作品ごとの整合性をつけているのか気になる。

どれくらい平行して楽しめるものなんだろう。いびきが憎い。

ツリーのつなぎかたを忘れた。ここに書く。私は大昔祖母に教わった。大便のときから拭かないほうがいいようだ。横から勉強不足でわからない。後ろから拭く理由は「手が滑ったとき大便が肛門以外にもついてしまう」だ。ご存知のとおり大便にはいろいろな菌がついているらしい(ご存知のとおりと書きながら私はよくわからないんだが)。特に女子場合は「ついてしまう」と侵入があるかもしれない。男子場合はよくわからないのだがとにかく。ぐだぐだで済まない。では

きれいはきたない、きたないはきれい

Fair is foul, foul is fair

中世イギリス魔女キリスト教によって排除された原始の教義、哲学解釈翻訳の問題、ともかくも多様に語られる。

この台詞マクベス冒頭の示唆であり、シェイクスピアがこの台詞意図を込めたことは間違いない。意図マクベス物語じたいによってひらかれる。

http://anond.hatelabo.jp/20110904220109

土日誰とも会わずに過ごして許されるのは男だけだから

きれいはきたない、きたないはきれい

どういう事だろうか

私にとっては自殺が一番近い題材なので、そこから考えてみよう

自殺は、きたなさに耐えられない結果なんじゃないかなと感じてる

自分の汚さ、他人の汚さ、未来現実、関係、人間自体

逃げられなくて、思考停止もできなくて、見ない振りもできなくて

そんな何かに耐えられなくて

自分を消してしまおう、と

その事で、自分に付いた汚さを意味のないものとしようとする

「死んでしまえば」に続く言葉は、その人が何から逃げたいのかが表現される

その何かにおいては、ある意味では潔癖なのだ

ただ、その綺麗を維持するために、他の部分を犠牲にする必要が生じてくる

疎かになった部分を、上手く機能しなくなった部分を汚いとするなら

きれいはきたない、なのだ

逆に、全体を維持するために一部分を疎かにするのであれば

きたないはきれい、なのだ

けど、不自然ではないんだ

ぎこちなくて、上手く機能してないのかも知れない

けど決して、不自然じゃない

人間のなす事なのだから、全て因果関係がある

そうせざるを得ない理由があるなら、不自然じゃないんだ

問題も、必要なことも何もない

「あるがまま、好きなようにすれば良い」なんて事を言う必要もない

既に、好きなようにしている

死にたいと思うのも、死ねないと思うのも、死んでしまったのも、それらを誰かに告げるのも

あるがままでいれないと思うのも、あるがままでいたいと思うのも、それで悩むのも苦しむのも

自然じゃないから、きっとどうにもできない

それがどの様に変化していくかについて、何か努力して効果はある

上手く言えないけど

それも含めて、なるようにしかならない

から、何百回も死にたいエントリを書くのも、その道程なんだろう

無意味でも有意味でもなく

消したい、それだけ

http://anond.hatelabo.jp/20110904101131

いい事書いてるね。

ディズニーとか労働条件としては超絶ブラックだしなww

歳をとった。

最近伊集院光ラジオがつまらない。昔はおもしろかった。

自分が変わってしまったのだろう。

最近の「うまくしゃべろう」と前に出てくる感じがまったくおもしろさを感じさせない。はがきコーナーでもその冒頭でまたしゃべって時間をつぶしていく。そのときに感じる苛立ちの理由は、もうずいぶんと前からはがきネタじゃないと笑っていないからだろう。

ちょっとまえのギャラクシータブレットのたとえでDVDケースとタクシーの中で思い至り悔しかった、という内容があったのだが、私は別にどうでもいいのだが本人としてはうまく言える機会を逃したのがずいぶんと残念そうな口調に、自分のもとめる伊集院ラジオと本人のそれとの距離を強烈に感じた。

面白い話ならまだ聞いて楽しいのだけれども、二時間近くをグチやら不平不満やらで埋められるととてつもなく辛い。

大勢が寄って集って反論してくれるのを期待して増田

http://anond.hatelabo.jp/20110824212123

アーティストプログラムをつくる側が、観客なりなんなりを教育するという視点が基本であることは、確かに言うまでもありません。

でもそういうものが無いからこそ、特徴的なエネルギーをもった/もっているというのも他方であると思います

以前はマスコミが右習えしていたのが、どこの誰とも分からない人間ができるようになったという意味では、構造的に変化していないのでしょうが

あやまち。

最近職場を変わったのだが、それでわかった(?)ことがひとつ

どうやらトイレでの尻の拭き方がまちがっているようだ。

そのトイレはケツを上げると自動で流れる機能がある。大人になっても流し忘れる奴が結構いることに驚くけど。

で、俺は拭く時にややケツを上げて横から紙をもった右手突入させて目的を果たすのだが、この時点で流されるのだ。自分としてはこの機能は2回流すためどうにも不可解だった。しかしそれは「普通」一度しか、つまり最後しかケツを上げないのではないだろうか? と思い至った瞬間に氷解した。

だがしかし、みなはいつ、だれにケツの拭きかたを教えてもらったんだろう? 自ら開発したのか?

http://anond.hatelabo.jp/20110824212123

マイルド化というかもう諦められたというか慣らされたという感じにも思うけど…

ネットの普及で結果的に匿名という良くも悪くも逃げ道としても使えてしまう道具と

大量かつ迅速に情報が流れる環境が同時にやってきちゃったものからこんな状況になっている気はする

これから自重や制御が出来るようになってバランスが取れていくのか、このまま開き直り続けて分野ごと衰退の道なのか、

はたまた大きい事件やらかし規制まっしぐらかは当のユーザー次第だろうねぇ

http://anond.hatelabo.jp/20110904202000

きゃりーぱみゅぱみゅについて大して知りもしない自分が思うのは、あれって、「海外で人気の○○」に弱い日本人のさがを活用したプロモーション成功したんじゃないかということ。海外で人気であるという事実を半ばでっち上げに近いやり方で作り出し、それを起爆剤に、日本で本格的に売る、みたいな。飽くまで憶測なんだけどさ。

例えば、ざっくり言ってフィンランド人口は500万人、ベルギー人口1000万人。日本より人口が断然少ない国のitunesユーザーの中のエレクトロ部門なら、サクラが買いまくればランキング操作できそうだ。(仮にフィンランド人口の1/10itunesユーザーで、そのうちの1/10エレクトロというセグメントのユーザーだとしたら、その数は5万人。5万人の半数の2万5000曲くらいダウンロードされればランキング1位は取れるんじゃなかろーか。欧州では1曲150円しない価格ダウンロードできるそうなので、150円×2万5000曲=375万円使えば、フィンランドitunesエレクトロ部門でランキング1位を獲得できる…のかもしれない。)

他にも、例えば、youtubeには外国人きゃりーぱみゅぱみゅをみて驚いたリアクションをする様子を映した動画があったが、うがった見方をすれば、あれは胡散臭い著名人が推薦するという手法広告技法としてはありきたりで、"Limp BizkitのFredがツイートした"というのも、そういうのの一貫だったりしないのかなと。

http://anond.hatelabo.jp/20110904185804

>「親の苦労(主に子育てに関わる家事育児労働など)」と、

>「親の教育の中身(塾とか大学に行かせる費用を出すとか)」は、

>分けようぜ、という指摘になりうるな、と勝手解釈しました。

このあたり話が余計こんがらかって混迷してくるところです

「親が施す養育・世話」と「親が施す教育」と「親がもってくれる金銭的負担」というのがあって、そのどれにおいても「親の苦労」は発生し得ると考えます

といってもこの三者は子の成長に伴って連綿と連なって行くと思うので、分類自体あまり意味がないかもしれないです…。

養育・世話においては、例えば夜泣きをやめないミルクを飲まない熱を出すウンチおむつを振り回す、というような感じで、

それが大きくなると言葉が遅いおむつが取れない注意を引けない話を聞かない好き嫌いする、みたいな「養育」と「教育」の半々くらいに移行して、

さらに大人しくしてない大声で騒ぐ走る宿題しない、みたいなしつけ的な面での教育とか、

教室でお友達トラブルになるとか弟妹を泣かすとかの対人的な教育を要するようになって…という感じですかね。いや対人教育はもっと早い段階でも出るか。

とにかくそんな感じで、はっきり言って親はどのステージでも苦労すると思います。いちいち現状はどうなのか見きわめて何が最適か検討して対処したり対処の仕方を教えてやらないとなりません。

しかも下手したら同じことを何度も何度もですから、疲弊することは容易に想像できます

それらを「親の苦労」と一般的には呼ぶと考えられますし、実際これを耐えるのは尊敬に値するとも言えると思います

しかし、それと「出来のいい子どもは親の手柄」とは直結しないんです


「親の教育」として高等教育の例を出していらっしゃいますが、ちょっとちぐはぐな感じがします。

>「私は中卒です!家に帰ると好きなこと何もできませんでした。弟たちの面倒で手一杯でした!」

これなんて、親が関係ないとはとても言えないでしょう。弟たちの面倒は親が見るべきなので、「親は何やってたんですかね。大変でしたね」という話になります

親のおかげで大学院まで出してもらいました、というのも、親が大学院で教えてくれたということではないと思われますので、親の影響というのが何なのかよくわからないです

親の世話になって、ということですかね?

院まで行かせてくれたということは親の理解と援助があったということにはなりますが、それで親の批判をするなんてずうずうしいとかいう話にはなりません。

親はカネ出さないけど院に行きたい場合奨学金を取るか勉強しつつバイトするか、思い切って一度就職して院に入ることも絶対できないってことではないですので。

なお、文才自体はあまり高等教育と関係しない可能性もあります

基本的に義務教育を終了すれば本は誰でも読めますし文章も一通り書けるようになります、という意味でも、大学出てても文章組み立て苦手な人はいる、という意味でも。

夢は夢

夢は夢

触れてはならぬ

触れようとすれば現実に戻される

触れてはならぬ

夢は夢

次の夢に巡り会えるまで

http://anond.hatelabo.jp/20110904204918

僕もしばらくまとまった量を書いてなかったのでリハビリしています

まりゴールをもって書くというよりは、自分が思っていること感じていることをできるだけ正確に丁寧にとらえるようにするのがいいのでは?と思います

結果としてそれが人に受けるかもしれないし、そうでもないかもしれない。

でも、まあ、書き続けるという行為の反復を実現するには、あんまり気にしないでどんどん書いて、思いついたらそのうち気に入ったのを推敲、書きたし、場合によっては追加で取材すれば良いと思います

筋トレだと思って。

未来が思い描けなければ何も手につかない

こうなりたいとかこうしたいっていう未来展望みたいなものがないと人間は行動できないのではないか

はてはモチベーションも持てないのではないか

最後にはきっと寝ることも厭うようになるのではないか

この先もずっと安定した収入を得る気がなければ、車なんかローンで買えないし、買っても意味ないし

老後に希望がなければ、伴侶を得る努力もしない

勉強して何をしたいのか目的がなければ勉強もしない

毎日酒を煽ってテレビネット時間を潰してパチンコなどの享楽に溺れる日々しか送れない

未来自分自身に絶望しているのだ

彼らに希望を与えることはできるのだろうか

いや無理だろう

希望を見ることができるのは自身の中に希望を持つ者だけだから

windows7が欲しい。

でもXPで不便してない。

ここ20年くらいマウスキーボードっていうインターフェースは変化していない。

でもiosandroidがそれを変えた。

はやく攻殻とか電脳コイルみたいなOS出ないですかね

自分だったらどうするか考える遊び

ドラマニュースの登場人物たちの不幸な境遇に感情移入してみる。

たとえば恋人事故で大けがをしてしてしまったら? 妻が認知症になったら? 生まれた子供が障害を持っていたら?

ドラマの登場人物たちは、時に困難を乗り越える。打ち負けて闇に落ちる。

自分だったらどうするか、どうなるか考える。

恋人事故で大けがをしたら、きっと自分なら支えきれないだろう。

妻が認知症になったら、殺してしまうだろう。

子供が障害を持っていたら逃げだすだろう。

自分が弱く小さい人間だって今なら認められる。

現実的な想像ができる。

もっと若いころなら、乗り越えられる気がしていたけれど。

今の俺は、乗り越えた経験よりも、乗り越えられなかった経験の方が多い。

頑張れば決して不可能じゃないことでも、逃げ道があれば逃げてきた俺だった。

そういう人生なんだって今ならわかる。

現実に不幸な境遇に苦しんでいる人には、俺には頼らない方がいいって言える。

きっと期待を裏切ってしまうだろうから

プレミアム会員なのに立ち見だぞ、と言ってる人は

大卒なのにブラック企業や賤業に勤めてるぞ、とか言っちゃうんだろう

今日は文章を書くリハビリを続けてます

書いてみて思うのは、「まあそんなに面白くないな、おれの文章」ってこと。

いくら社会が大変で「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」と言っていても、文章に魅力がなければ伝わらない。

それは言葉の力というのを過小評価しているせいだと、ふと思ったわけで。

この文章が受け入れられるためには、受け入れてもらいたい人たちに向けて、その人達プロトコルを使って書かなければいけない。

おれが書いている文章はひとりごとの域を出ない。自分の考えをそのまま書いているだけだから。誰にも受け入れられない。

そしてもうひとつ。もし誰かにこの文章が届いたとして、その人になんらかのアクションを取ってもらわなければ意味が無い。

ふーん、で済んでいい文章というのは、書かなくても同じ。

一番は感動させるとか笑わせるとか、反省させて明日からの行動を変える、とかそういう類のやつかな。

その次は、悲しい思いをさせるとか、怒りをかきたてるとか、そういうやつ。

次はブクマさせるみたいなやつ。

そのどれにも当てはまらない文章は書いてて意味が無い。そして、そういう文章の一つがこれ。

あいいんだ。精神状態がこんな感じでは、書きたくても書けるわけがない。

とにかく、書く感覚さえ失わずにいれば、いつかまたちゃんとした文章が書けるようになる。

たぶん。

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