はてなキーワード: 課題とは
ちょっといじってみたが上手くいかんなあ……別の回答候補は女性がアタオカと言い始めるし。今のところ言語モデルはOpenAIに分があると思うで
すぐ検閲されて「私はそのようにプログラムされていません」になるのも腹立つ
あなたは女性の社会問題専門家です。以下のsnsログを読み、本投稿とレス(anond~からが一区切り)を読み、レスが何を言いたいか解説してください
1. 本投稿の内容を整理
2. レスが言いたいことを整理
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[ここにコピペ]
本投稿の内容整理
投稿者:
大学時代の友人と誕生日付近に会う約束をしていたが、1ヶ月間連絡がなかった。
友人宅に連絡したところ、12月に自⚫︎未遂を起こして実家にいることがわかった。
秋にTwitterでオタク同士のトラブルがあり、オタクコミュニティから追い出されたことが原因で病んでいた。
教育実習で担当教員からイビられ、自⚫︎未遂を起こしかけたことがある。
投稿者の心情:
友人の自⚫︎未遂にショックを受けている。
自分のオタバレを気にして、友人の話を聞いてあげなかったことを後悔している。
レスの内容整理
レス:
女性は男性に比べて、ストーカー被害やネット暴力など、"アタオカ"からの被害を受けやすい。
被害を受けた女性は、経済的な理由や、犯罪として立件されないケースが多いなどの理由から、助けを求めにくい状況にある。
投稿者の友人だけでなく、多くの女性が"アタオカ"による被害に苦しんでいることを指摘している。
女性が安心して助けを求められる社会を作る必要があるというメッセージが込められている。
レスが言いたいこと
ストーカー被害、ネット暴力、性暴力など、女性が男性に比べて被害を受けやすい犯罪が存在する。
これらの被害は、女性の精神的・身体的な健康に深刻な影響を与える。
経済的な理由、周囲の理解を得られないこと、犯罪として立件されないケースが多いなどの理由から、被害を受けた女性は声を上げにくい状況にある。
女性に対する"アタオカ"による被害をなくすためには、社会全体で女性を支え、声を上げやすい環境を作る必要がある。
レスは、女性が"アタオカ"による被害を受けやすい現状を指摘し、社会全体で女性を守る必要があるというメッセージを伝えています。
追加情報
女性に対する"アタオカ"による被害は、決して他人事ではありません。
あなたは女性の社会問題専門家です。以下のsnsログを読み、本投稿とレス(anond~からが一区切り)を読み、レスが何を言いたいか解説してください
1. 本投稿の内容を整理
2. レスが言いたいことを整理
[前略]
レス:
投稿者と友人の状況を踏まえ、「アタオカはいらない、お金がいる、という問題は、女性がしばしば遭遇する難問」とコメントしている
詳細は不明だが、投稿者の状況と関連する問題として、女性が直面する困難を指摘している
意図:
女性が社会で生き抜くためには、お金と周囲の理解が必要不可欠であると主張している
投稿者の友人は、オタクであることを理由にコミュニティから追い出され、周囲から理解を得られなかったことで自⚫︎未遂に追い込まれた
レスは、同様の困難に直面している女性たちへの連帯を示し、社会的な問題として認識する必要があると訴えている
解釈:
レスは、単に「お金があれば問題解決」という単純なメッセージではなく、女性が社会で生き抜くために必要な「お金」と「周囲の理解」という二つの側面を強調している
純粋にフレーズだけ入力して解説せよ、とするとこうなったんだが、
どんなプロンプト入れたかわからんけど、もうちょっとやりようがあるでしょ。挟みとAIは使い方だよ?
「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、女性が直面する問題に関する日本の社会的な議論を反映しているようです。この文脈で「アタオカ」とは「お世話になる男性」を指し、「お金がいる」とは、女性が経済的自立を求める現代の傾向を表しています。
このフレーズは、伝統的なジェンダーロールと現代の社会動向との間の緊張を示しているかもしれません。日本の社会においては、長い間、「男性が働き、女性が家庭を守る」という役割分担が一般的でした。しかし、経済のグローバル化、女性の教育水準の向上、そして女性の労働市場参加の増加などにより、この伝統的な役割分担は変化しています。
この変化により、多くの女性が経済的自立を目指すようになりました。結婚やパートナーシップにおいても、従来の「男性が経済的に支える」役割に頼るのではなく、自分自身の経済力を重視する傾向が見られます。このことは、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズに象徴的に表れていると言えます。
この現象は、女性の社会進出やジェンダー平等に向けた進歩の一環として捉えられる一方で、日本のように伝統的な家族構造や社会規範が強い国では、新旧の価値観の衝突や世代間の意見の相違を生じさせることもあります。これにより、働く女性への社会的支援や育児・家事分担の公平性など、さまざまな社会問題が浮き彫りになっています。
したがって、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、日本社会における女性の地位や役割、そして経済的自立に関する重要な社会学的課題を示していると言えるでしょう。
俺が聞いてみたらそれなりに意味が通じる解釈が出てきたけど。GPT-4
このレスは、オンライン上での女性の経験に関する一般的なコメントであり、具体的に投稿者の友人の状況に直接言及しているわけではありません。しかし、友人が経験したオンラインコミュニティでのトラブルやハラスメントを想起させる内容です。
Chat GPTは「アタオカはいらない、お金がいる」ではなくて「アタオカはいらない」と「お金がいる」という独立の問題として解釈して「女性がしばしば遭遇する難問」として処理してるんだなと。ただちょっと意図が違うよね。
(前半の要約はほぼ同じなので省略)
レスについては、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズが重要です。このレスは、友人がオタクコミュニティでのトラブルを経験したこと、そして「アタオカ」と呼ばれる人物との関係について言及しています。レスは、「アタオカ」という人物が仕事上の付き合いであり、金銭的な理由から関係を切ることができない状況にあったことを示唆しています。これは、特に女性が職場などでしばしば直面する難しい問題を指摘しており、時には「スルー」しても解決しない状況があると述べています。しかし、このような問題が法的に犯罪として扱われていないことに対する遺憾の意を表していると解釈できます。
要するに、レスは友人が抱えていた問題の複雑さを指摘し、特に職場などでの人間関係の難しさと、それに伴う精神的な苦痛を理解しようとしています。また、投稿者自身も友人の悩みにもっと注意を払い、支援していればと後悔している様子が伝わってきます。
これが穏当な解釈だとワイは思うがどう?
女性がしばしば遭遇する「アタオカはいらない、お金がいる」という問題は、非常に根深い問題であり、解決策を見つけるのは容易ではありません。
この問題の背景には、社会における男女間の格差や、女性の経済的な自立の難しさなどが挙げられます。
日本では、依然として男女間の賃金格差が存在します。2022年の時点で、女性の平均賃金は男性の約75%に留まっています。この格差は、女性が経済的に自立することを難しくし、男性に依存せざるを得ない状況を生み出す要因の一つとなっています。
女性は、出産や育児などのライフイベントによって、キャリアを中断せざるを得ない場合があります。また、介護などの家族の世話をするために、仕事を辞めざるを得ない女性も少なくありません。こうした状況は、女性の経済的な自立をさらに難しくしています。
この問題を解決するためには、社会全体で取り組む必要があります。
男女間の賃金格差を解消するためには、企業における女性の登用を促進したり、同一労働同一賃金の実現に向けた取り組みを進めたりすることが必要です。
女性の経済的な自立を支援するためには、育児や介護との両立支援を充実させたり、女性起業家への支援を強化したりすることが必要です。
女性がアタオカに遭遇した場合、スルーカで対応できる場合もありますが、場合によってはスルーカでは済まないこともあります。
アタオカから身体的な被害を受けた場合は、警察に通報して被害届を提出する必要があります。
アタオカから精神的な被害を受けた場合は、カウンセリングを受けるなどのサポートを受けることが必要です。
アタオカ行為を犯罪化することについては、表現の自由との兼ね合いなど、様々な課題があります。そのため、現状では犯罪化は難しいと考えられています。
この問題を解決するためには、社会全体で意識を変えていくことが必要です。
女性に対する偏見や差別をなくし、女性が尊重される社会を作る必要があります。
アタオカ行為への理解を深め、被害者が声を上げやすい環境を作る必要があります。
「アタオカはいらない、お金がいる」という問題は、女性がしばしば遭遇する難問であり、解決策を見つけるのは容易ではありません。しかし、社会全体で取り組むことで、解決に向けて一歩ずつ進んでいくことができるでしょう。
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自分に体力がないことは薄々感じていた
幼少期から運動をしていたのに、ずっと「体力が課題」と言われ続けていたし、
今だって一日出かけりゃ1日寝込んで何もできない
ずっとADHDや怠惰のせいだと思っていたけど、実は頻脈のせいじゃないか?
安静時の脈拍が100ある。特に健康診断で何も言われないし、調べてみるとそれくらいでは別に治療の対象ではなく、本態性低血圧という体質なだけらしい
寝ているだけ、歩いているだけで、普通の人の小走りくらい心臓を使っているんだからそりゃ疲れるわな
親に聞いてみると、祖母が低血圧だったから多分遺伝だろう(発達障害関係あるのかしら)
人生のクオリティを左右する最も重要なファクターのひとつに、バイタリティがあると思うが、自分はこの低血圧であまりにもでかい損をしていると思う
先日スノボに行って、転んだ後なかなか立てないでいると同行者に「も〜頑張って!立って!」と言われて涙が出そうだった
日頃の行いがあるから怠惰と思われるのは仕方ないんだけど、これで精一杯頑張っているのだが!?!?
「転んだ後ずっと立たないんだよこの子」と言うが、最速で立っているのだが!?!?
それがつらい
なによりも
うちも危なかったけど、こういう女同士でいわゆるメンヘラと依存されの組み合わせはよくあるんだと思うよ。増田以前ツイッター+noteのアカウント持ってた?相互だったんだけど状況がちょっと違うから別の人だとして、うちと増田とその人でもう3件。そんくらいこういう女同士のケース割とあることなんだと思う。
まず最初に、メンヘラになったんじゃなくて、増田にとって共依存相手がいなくなっちゃったってことじゃない? 増田は侵犯が親密だと誤解してる。精神的身体的(金銭的は大丈夫?)侵犯をしてくれるのが彼女だったってことだと思うよ。
夜中電話してきたり試し行為するのは症状。相手の生育歴とメンタルに問題があるのがわかってて相手のことを思う気持ちがあったら、症状に巻き込まれることじゃなくて自他境界を立て直させて人生をやっていける方向に向けることが相手のためでしょ。親密な中で境界線を引く最初の練習台をやってやるべきだったんだよ。
それは多分増田にとっても夜中の電話に耐えることよりキツい内容になるはずだったと思うよ。増田は泥沼にいる彼女を大切にしたり守ったりしたんじゃなくて、同じ沼地にはまってた。だから、彼女にあげられたものは増田が思ってるほど、そして健全な関係が相手にあげられるものほど大きくはない可能性はだいぶある。それを踏まえて、彼女にあげられたことベースで自分の本気とやらを考えてみなよ。
他の男性について健やかなる時はいいけど病める時は一緒にいたくない程度の魅力しかないのが事実かもしれないけど、そうだとしても、病める時も一緒に生活をやっていくのと侵犯を許すことは違うんだよ。
苛立ちをぶつけるとかの暴力的侵犯はわかりやすいだろうけど、愛の言質を取ろうとするのも結局はそうだね。愛されている「実感」は彼女の課題なのに、それが要求になる。応え続けてもその人のためにならない。彼女はいろんな苦しみを抱えてそれが行動になってるのは増田にもわかったと思う。でもそれは彼女のもので、様々な行動化に一緒に振り回されるのは彼女と一体化してしまうということ。それは健全な関係ではないし、なにより彼女がやっていけるようになるために必要なことではなかったんだよ。
偉そうなこと言ってるけどうちもやばかったし、カウンセラーの支援がなかったら潰れてたかもしれない。夜中の電話は3年くらい続いた。1ヶ月毎日連続の睡眠中断はさすがに参った。でもODしてたり人格交代みたいになってるパターンが混ざってる可能性もあるから必要な対処もあるじゃない。そういうのは体力次第なところもある。でも割けるリソース量を決めるのはあくまでも私ってところをお互いわかってないまま2人で彼女の症状に振り回されてるのはそれはやっぱり境界が溶けちゃってる。他にも書けないような泥沼に2人で沈んだこともあった。
自分は価値がなく罰せられるべきという信念からくる行動や話をそうではないと言い続けてきたけど、究極的には本人がそれを信じられるようになるまで待つことしかできない。病める時に一緒にいるっていうのは他者である自分の限界を受け入れるのが第一歩で、それがとてもしんどい。増田が病めるパートナーにしてやれることはまず自分についてのことだよ。
まあ彼女の人生考えたときに適切じゃない関わりだったからといって必ずしも悪影響というわけではなくて、一時の親切とか不適切だけどいろいろ危険ではない関係で息継ぎしながら人生をやっていって、時間経過でよくなったりなんか満たされることがあったりが期待できるので、その息継ぎを提供したんだと認識しておけばいいと思う。いわゆる生きづらい女性のエッセイ漫画に出てくる精神がやばかった時代の回想としてちょろっと描かれる元彼ポジションだよ増田は。彼女はもう次のコマで別のやらかしをしてたり治療してたり理解ある彼くんと出会ったり、ともかく昔のままではない。彼女は彼女の人生をやってる。でも増田と付き合ってなきゃ駅とか高いとこで衝動に負けちゃったかもしれないし、もっと危ない人を掴んでもっと悪くなってた可能性は結構高かったと思うので、自分でよかったと思うのがいいよ。
で、増田の現状とかこれからについて、絶対おすすめなのはカウンセリングを受けること。バウンダリーについていろいろ読んでみるのでもいいけど、やっぱプロに聞くのが手っ取り早い。私が経験を書くことで一番言いたいのは、こういう関係は他にもいるし、カウンセリングで話しても大丈夫ってこと。オンラインでもいいから臨床心理士とか公認心理師に話すといい。
残念ながら、そうなるのに理由があろうと境界侵犯は他人との関係をよくないものにするし、溶けてる人は完全な受け入れが達成されないと怒るモラハラタイプとか単に食いやすいから狙うやつとかが寄ってきやすいのでなんとかしておいた方がいい。誰かと付き合おうとするなら、そして付き合いの中で「大切にする」ことの価値に重きをおくならなおさら。
ハローワークに一緒に行ってもらった時に担当の女性のかたに「次回以降〜さんを指名できますか?」とそういうお店かのような言い方でいって、
言い方の問題やそれまでの態度で判断されているかもだし実際セクハラ目的な言い方だったかもしれないけど、ソーシャルワーカーやっている経験上コミュニケーション上の課題がある方相手だと担当者つけてもらうことが多いね
学生のころ、IT土方がどうとかで業界がだいぶまずい場所だと文系の大学生の自分は思い、とても興味のある分野だったけどやめた。
それから5年がたち、今の職業を続けていてもと感じて、ずっと抱えていた興味に素直になろうと思い半年独学し、SES系の会社に転職した。
DBすらよくわかっていない状態だったけど、めちゃくちゃ楽しくて毎日充実しているし、3年たったけどまだ楽しい。
会社で学んだことを活かして個人開発したらまたそれで収入が増えてスキルが上がり、それを会社で活かせば褒めてもらえてより難しい課題に挑め、また更にスキルアップしてより難しい個人開発に挑める。
だからこそ新卒の時入社で来て居たらなぁと思うし、最近では自分と同じようにもっと早く業界に入っていればという中途の人にも出会った。
そういう意見もあるかもしれないけど、ネット上での世論が世の中に影響を与えるようになってる昨今、何かを腐す文化は当人からすればわからないけど、それを読んだ人間のうち誰かの人生を変えてしまってる自覚を持ったほうがいいのではと思った。
みんな、信じられますか?
いま僕40歳で、今年息子が小学生にあがるんですけど、30年以上前に自分が小学校の算数で使った「算数セット」なるものを今も小学校では使ってるみたい。
しかも、こんなちっちゃいものに、全部名前を書くか、お名前シールを貼らなきゃいけない。 ※写真のおはじきにはピンセットで名前シールを貼りました。名前は消しています。
みんな、信じられますは大仰です。ものが小さいがために名前を書かなくてはいけません。
親業をやってきているのであれば、このほかにもこのような作業は当然たくさんあって、
40歳で親業がそこそこになっているのに、それを幾度となく感じずに過ごしてきているわけではないので、
それを思い出して欲しいです。
ちなみに、このおはじきは算数セットのほんの一部で、他にも小さいものがたくさん入ってて、その全てに一個一個名前を記す必要が。
先ほどと同様に親業として行なってきた、
同種の名前書き作業についてのこなしかたの選択を思い出せば良いかと思います。
https://x.com/xusa2023/status/1758005370973454495?s=20
そのほか多くの方がこの問題との自分なりの折り合いについて付けられていて、
それを親業を日々こなされているのであれば、
ネットや日々の親業でつながるネットワークの中でお話を聞いてると思います。
思い出して欲しいです。
名前なんて書かなくてよくね?
どれほど助かることか。
名前を書くことで自身のものが戻ってきた経験を思い出しましょう。
そんな、なくす?
そんな、落とす?
そんな、無くすし、落とします。
親業をされているうちに目にしたことはありませんか。
それを思い出しましょう。
仮に、1つや2つ落としたり無くしたとて、そんな困る?
授業に支障でる?
1つや2つ落としてたり、無くしたりしたとて、
ただし、ここでいう支障を支障と呼称することは
少し待って欲しいものです。
というのも、この落としたり無くしたりという事象が
そういって学校現場ないし学校という世界観は形作られています。
2017年の出生数は94万人ちょい、2018年の出生数は91万人ちょい。なので、今年日本で小学校に上がる子、つまり2017年度生まれの子はおそらく91〜4万人の間。
その保護者が日本中で日々の暮らしだけでも忙しい中、貴重な時間を削り出して、夜な夜なシール貼ったり名前書いてると思うとマジで無駄。愚の骨頂。日本人の生産性が低いって言われてるのそゆとこじゃないの?って思う。
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」という言葉があるように、
発言でデータを持ち出すときは、その奥にある何が言いたいのかという意図に
目を向けなければならないように思います。
効率を重視したいというのであれば、
今までのその日々の暮らしの中で悩んできた中で
それを思い出して欲しいです。
もちろん、同じように考えている人もいるのか、自治体によっては算数セットが学校にあらかじめ置いてあって、貸し出してくれるところもある。ただ、僕が居住している自治体では買わされた。
30年前も同じような状況があったように思います。
どういった事情が背景があり、貸し出すのか否かは個別具体になります。
が、
その地域の貧困率とそれに対する向き合いかたが昔ながらの事情というのであればあります。
現場サイドとして、どう解決していくのかということ中で生み出されたこともあります。
発言者はお住まいの自治体のすべての小学校で買わされることを確認された上での発言のようです。
ここにも、親業として今まで培ってきた情報が生かされていません。
児童の教材についての選定は各学校の実態に応じて、校長の裁量で行われます。
校長が変わり校長が貸し出しが必要であると判断し、校長が判断を起こせば、貸し出しにできるのです。
お住まいの自治体すべての小学校は算数セットは購入となっていることを確認することだったのか、
それとも、校長の現状の判断を変えるように働きかけることだったのか。
「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」
誰に対してどんな知恵をあなたは出し、隣の親や目の前の担任やその他の先生に知恵を出してもらうのを促すのか、
「サンデーモーニング」ではなく、当事者性の高いことなのだから、頑張っていきましょう。
あんま使った記憶も残っていないこの算数セット。日本中で毎年何十万セット買わされている人がいるのか、正確な数字は分からないけど、使われなくなった算数セットはきっと毎年数十万セット捨てられてるんだよね?
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」を繰り返しが行われているように印象付けられます。
意図的に自身が有利になるようにデータの提示をするのはあまり褒められたことではないと思います。
それってかなりのプラゴミの量だし、もう日本中の小学校に必要な数だけ置いといて、レンタルにして欲しいって思うのは自分だけ?
大雑把にプラゴミの量を減らせばいいという発言を無批判に垂れ流すには注意が必要な発言です。
レンタルにして欲しい、どなたからか借りたいという要望はあり、その具体的な解決の方途については返信で行くつも示されている通りです。
ご自身がコスパ、タイパが高いと思われるものに各自の判断で使えばよろしいかと思います。
すごい通知くるなぁと思ってミュートしてたら、ちょびっとバズってましたww
お疲れ様です。
親業として貴重な経験でこのような苦労を親にもかけていて、
その上で自分が今我が子に手間暇をかけてやれると思えて幸せな時間だったと思います。
多すぎて全部は見れてないものの、リプやら引用などをざっと見た感じ、結局算数セットを毎年各家庭に買わせて、名前を書かせることに関して納得できる合理的理由を述べているものは一つもなかったです。
何を持ってご自身が「納得できる合理的理由」と判断されたかを示されていないのでその部分については、なんとも言えませんが、
「納得できる」というところをわざわざ付けておられるところから、首肯しそうになってしまったリプや引用があったのでしょう。
親業って本当にそんなことばかりですよね。そして、通り過ぎると確かにその通りかもなあということ本当に多いです。
親業をやって数年経ち、就学前を終えようとしているステージならば、実感がこもって首肯できることのように思うのですが、
親業における子どもとの関わりって「納得いかない非合理なこと」しかないですよね。
子どもは非合理でしかないですよね。その非合理の最中の中でどうにかこうにか合理的だったり最適化されたりしたものに
日々そんな物心ともに周りとの関わりでどうにかこうにか生かされていることを実感する日々です。
まず、「算数セットをなくすに反対」については、僕は算数セット自体をなくせとは一言も言ってなくて、むしろ肯定派。算数セットが担っていたことをタブレットにしちゃうのも反対。手を使うのって大事だから。なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした。学校に人数分プラス余分に算数セットを揃えておいて、貸し出すのがいいと思っています。
文脈としては、「算数セットをなくす」という思いを持ちながら書いていると読めます。
「手を使うのって大事だ」は返信等を読んだ上で、先ほど書いた通り、うっかり首肯してしまいそうになったものの中から取り入れ、
「なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした」
書き始めを大仰に書くのでなく、修正でないのならば、上記の主張をはじめに明示してから始めると
先に述べた印象は薄らいだと思われます。
「学校の先生が忙しすぎて、今のあり方を変える余裕がない」については、そもそも算数セットを採用することを誰主導で(文科省なのか、自治体なのか、校長なのか、現場の先生なのか)決定してるのかよく知らないですが、文科省主導で貸し出し統一すればいいと思っています。僕は教師じゃないので現場のことはよく知らないし、「知らないお前が偉そうなこと言うな」というのもごもっともですが、教師ではない以上現場レベルの問題解決策までは提案しようがないです。そこまで提案しないと問題提起しちゃだめってなると、たぶん世の中何も好転しない。それは「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」かなと思っています。
ここがいただけない部分の根幹にあり、「サンデーモーニング」です。
算数セットを採用するのは、誰主導の選択肢から言えば、現場の先生の意見を吸い上げた校長です。
親業の中で情報を収集してきた中でそれはご存じであるかと思います。
無知を装うのは、卑怯だと思われかねないので宜しいことではないと思います。
文部科学省からの貸し出しの通知文を出すように要請をしているように見受けられますが、
通知文については効力がどの程度あるのかは不確かなところがあります。
お住まいの自治体の状態を具に調べるほど、親業としての手腕をお持ちのようなので、
「なくすし、おとすし、盗まれるから名前書きが必要」に関しては、だからこそ学校から貸し出すほがメリットは大きい。貸し出しなら各家庭で膨大な量の名前を書く必要もないし、先生たちの名前のない落とし物の持ち主探しの時間も節約できる。盗むに関しても対学校になるので、生徒間・保護者間のいざこざもない。
親業をやられている数年というところなので、
今までご自身の経験の中から「自分の落とし物があったら、名乗り出ることができる」ことや
「友人が落とし物をしたら、一緒に探してあげる」ことなどいわゆる非認知スキルの大切さについては、
実感しきりなところかと思います。それを思い出して欲しいです。
親業をやられていればこれも感じることかと思いますが、
自身の子どもが「盗まれる」だけでなく「盗む」側になるかもしれないということ。
また、その「盗む」ということをする場合に、早期にその行動について変容を促さなければならないことに
そして、「生徒間のいざこざ」が発生し、それを未然防止するために集団の一員としてどうするのか、
どのように全体最適を集団の一員として寄与するのか学ぶこと。これこそが、公教育の公教育たる意味です。
親業をしていく中で育児方針等を立てる上で、目にしたかと思います。
それらを思い出しましょう。
「保護者間のいざこざ」という部分については、まさに「子育ては、自分育て」なのだと思います。
蛇足ですが、小学生のことは「生徒」とは呼称しません。「児童」です。
「消毒云々、数年で足りなくなる云々」の運用上の問題は確かにあるとは思うけど、そもそもみんなで共有してる学校備品なんて他にもあるわけだし、どんな方法を選択するにしろ問題ゼロはありえないので、そこは運用しながら問題解決していくしかない。
学校備品ではなく、消耗品になります。そこは民間と理解は変わりません。
多くの学校では、予算が厳しくなっていることはありますが、消耗品になるので、必要性を論理的に主張することができ、
且つ校長と事務官のモチベーションが高ければ通りやすい部類になるかなあというのが実感としてあります。
もう一つは、良くも悪くも地域からの熱い要望があれば、通りやすいです。
あと珍リプ的なとこで言うと「名前書き不要=お前は子供が嫌いな人間」にまで飛躍したものもあった。そもそものスタートが名前書きに膨大な時間を奪われて、子どもとの時間が奪われていることに起因する主張だったんだよなぁ...って感じ。
語勢からそう読み取るのは容易でありました。子供との時間の中で名前かきをしている方も大勢いるのが返信からもわかったのではないかと思います。
親業をやっているのであれば、知り得る情報についても意図的になのか隠されているところもそう読み取らせることを容易にさせることに寄与しました。
もし、意図的に隠したのでなく、情報を得ていなかったのであれば
「子どもが好き嫌いかはわからないが、パートナーとともに一緒の目線に立って育児をしていない人なのだろうな、パートナー大変そうだな」
ということは言えるかと思います。どちらにしても、ざんねんな感じです。
私も残念なところばかりで、「余計なお世話だよ」と言いたくなることも他人から言われます。一緒に頑張っていきましょう。
「子どもの持ち物に名前を書く余裕もないのか」については、ひとり親世帯数の推移はひとまず確認した方がいいと思う。その主張はひとり親世帯ではない人のものだったけど、僕の姉はシングルマザーで働きながら二人の子育てをしてて、本当に大変そうな姿を見てるから「そんな余裕あるわけねーだろ」と声を大にして言いたい。
姉が睡眠時間を削ってこんな膨大な量の名前書きをやっていたかと思うと...言葉にならない。てか、それが根底にあったから怒り爆発したってのはある。
当事者としてそこに切実なニーズがあることを感じているところのようですので。
頑張って欲しいです。
ただ、結構たくさんの人から「学校から貸し出しでした」という声をお寄せ頂いたので、それは素晴らしいと思いました!ちょっとずつ変わってることを感じました。
学校教育に関する認識の誤解あるあるで十人十色経験は違うのに、自分の経験が絶対だと思うのはよしてほしいです。
30年前から貸し出しのところは貸し出しだし、そうじゃないところはそうじゃないです。それだけです。
算数セットを各家庭に買わせるか否か決定する立場にある人に、この一連のポストが届き、来年以降に小学校入学を控える子を持つパパさんママさんの負担が減り、家族の時間が増えると嬉しいです
自戒を込めて、
「半径0mの世界を変える」には
自社でサービスを提供してる企業の面接で、そのサービスの課題や改善点について話というのがあった
多くはないけどいくつか見かけた
単に面接するだけじゃなくて改善点を教えてもらおうとするのは賢いなって思った
わざわざそこに転職しようとしてる人だから1ユーザーの意見よりは役立つものが多いと思うし
そうでないならアイデアだけもらって落とせる
でも京アニ事件みたいなのもあったのにそういうことできる神経はすごいなって思う
仮に面接で聞いたアイデアは利用しないとしていたとしても、すでにそれをする予定があったり、
偶然被って将来的にそれをするかもしれないのに、面接で誰かが言ったから実現できないになる
実現したら「それ自分が面接の時に言ったアイデアだ!落としておいてアイデアだけ盗むのか」って逆恨みされるかもしれない
そんなリスクを背負ってまでよくやるなーって思う
完全自学はハードルが高いが、Z会や四谷大塚、浜学Webのように中学受験に合わせたインプットアウトプットやメソッドを自宅で提供する流れもあるので、その面でのパフォーマンスは変わらなくなりつつあるのではと思う。(コストはかなり安くなる。その分、親がサンクコストが減りプレッシャーが減るのが合格率には悪影響かもしれんが(でもそれは子供のメンタル的には良い))
競争の要素が減る(各社ともに当然テストはあり偏差値は出しているが)のと、「自分の子供は自宅で学習できるのか」が課題だが(ただ後者が出来ずに塾に走らせてもらって、その後も出来ないなら大学受験で沈む)。
中学受験が終わったので、雑感の共有。聞かれれば答えるけど、聞いてくる人もいないので。
注:各家庭で状況は異なるので、「こうしなければならない」という内容ではありません。以下の雑感を参考にするかどうかは各家庭の責任で判断してください。
筆者属性: 6年夏休み前にそれぞれY偏差値50台前半、S偏差値50台前半の成績から、2/1にしか入試がない東京の中学に男女の子供が合格。
お世話になった塾: 4大大手+グノープル以外の中規模の塾
1.子供自身は 過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い。模試より過去問の出来の方が合格確率の予測力が高いというのはよく言われている通り。ただし、保護者自身は新6年が始まったら出来るだけ早く、志望校の最近の過去問を複数年、自分で解くか、少なくとも答えの解説を見て、志望校の各科目の難度と出題傾向を把握し、6年後半に入って子供が何をすべきか優先順位をつけられる様にすると良い。
2. 御三家やそれに準ずる難関校を志望する場合、各校の出題傾向に合わせた準備が必要になるため、模試の結果は当てにならない。だから、大手塾のオープン模試は併願校を決めるためにあると考える方がいい。学校別模試も、最難関校の問題の類題を塾の先生が考えるのは大変なので、過去問のマイナーチェンジが出題される印象。そうすると過去問を早い時期に解いている子が高得点を取りやすくなるため、学校別模試の偏差値による合格確率の予測が頼りにならなくなる。一方、いわゆる中堅校は素直な問題を出題するため、模試の結果が参考になる。そう考えると、外部生は、志望校の難易度に関わらず、SよりYやNの模試を受けた方が良いのではないかと思った。首都圏模試は使ったことがないので不明。
3. 受験は引き算。本番の入試で100点を取る必要はないので、入試日までの残りの限られた時間の中で何ができるのか、行える作業の優先順位をつけるのが大事。塾の課題も全てやれない時は優先順位をつけて、全てをやろうとしないのが大事。また、塾の課題では足りない部分が発生することもある(後述の7に出てくる中数の利用など)。優先順位付けは、集団指導の塾では個別の生徒への対応に限りがあるので親がやる必要。一方、個別指導も、指導を受けている先生の質は実際の入試の結果が出るまでわからない。中学受験で親が重要というのはこれが理由。
4. 算理社はとにかく塾の演習授業、模試、過去問で間違えた問題はやり直すのが、入試直前期を除いて鉄則。塾で色々な問題を解くのは、どの問題ができないかを知るため。その意味では無駄も発生している。だから、できない問題がわかったら、復習しないのは勿体無い。復習の指示も親の役割。ただし、志望校の出題傾向よりもはるかに難易度が高い問題はやり直さなくてもいいかもしれない。
5. 基礎、基礎、基礎。とにかく基礎を固める。焦りがちな保護者の意識では、応用はできなくてもいいと思って良い。正答率が90%の問題でもそれが6問出れば、全問正解の確率は53%になり、勝負どころになる。基礎を固めると御三家級以外の学校は大体勝負できる様になるし、模試の結果も安定し、家庭の不安感も減る。基礎の積み上げでは志望校の難易度から現時点で到達すべき水準を逆算せず、子供の進度に合わせて併願校を変える方が良い(後述の6参照)。基礎を固めるためには前述の通り、間違えた問題のやり直しが有効。
6. (少なくとも保護者は)色々な学校を見る。偏差値が低く見える学校も、入試問題を見れば小学校の授業内容を概ね理解している子を選抜しているので、中学高校での授業が良ければ、大学入試では勝負できる様に鍛えることは可能。また、中堅校の試験問題ができれば、それ以上の難易度の入試問題で受験者の差別化をする意義はない。保護者は入試結果に楽観的にならずに、色々な学校を見ておき、併願校の選択肢を広めに持つと良い。偏差値の高低に関わらず良い学校はたくさんあるし、偏差値が高いから良い学校ということもない。実際に保護者が学校を訪問すると、その学校について色々とわかる。自分自身の見学の時は、大学受験には関係しにくい美術室と音楽室の展示が充実しているかを見るようにしていた。
7. 塾の選択。自分が使った塾は、算数の解説を配らずに答えしかプリントには載せない方針だったので、親が解説を作る必要が生じ、その点は非効率だった。一方、中数の利用法も指導してくれるなど、柔軟性は高かった。大手塾は、問題集の答えに算数の解説が載っているのでその点はやりやすいと思う。この理由により、あまり保護者が受験のサポートをできない場合は、大手塾の方がいいかもしれない。しかし、大手塾の中には上場企業もあるので、各家庭の希望と塾の姿勢が合うかは吟味が必要という印象。
8. 算数。最難関校を志望する場合は難しいが、それ以外の場合は、志望校の問題の難易度よりも少し高い難度の問題まで取り組まないと、算数の得点力が十分に上がらない印象。
9. 理社教材。保護者にとってはカラーで図表がついている自由自在が便利。自由自在は受験に特化した参考書ではないので、受験向けには不必要な記載も多いが、自由自在に載っていない内容は学習指導要領からは外れているので基礎ではないことがわかり、便利。
2024/2/18
3. 過去問演習の採点をする人間が子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強の優先順位づけをするのがベストになる。集団指導の場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。
6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験で東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)
7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子どもの作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。
2024/2/22
コメントに子どものモチベーションの話があったが、それはその通りで、志望校に(親に煽られてではなく)子どもが行きたいと思っているのが前提。塾の先生も6年の夏休み以降で成績が伸びるのは、志望校に行きたいという気持ちが強い子と言っていた。また、子供のモチベーションが低いのであれば良い学校はたくさんあるので、無理はさせない方針だった。
5. 志望校の試験問題の難易度で何が基礎かは変わるが、自分はプロ講師ではないので適当に、Yの模試なら正答率50%以上、Sの模試なら正答率70%を基礎問題の目安にしていた。例えばYの模試なら、正答率50%以上の問題の中で子供が間違えた問題の配点を足し上げ、「それらの問題が全部できたら、各科目の点数と総合点が何点あがるか、偏差値がどのくらい上がるか、志望校の偏差値にどれだけ近くなるか」という計算をして、子供に見せると良い。このやり方は、ポジティブな話しか出ないし、各科目であと数問正解すると総合点の偏差値が5から10くらいは簡単に上がるのが体感でき、偏差値の差が示す児童の間の理解度の差が小さいことが確認できておすすめ。子供の進度がまだ浅ければ、基礎問題の基準とする正答率の値を60、70、80、90%に上げれば良い。
刑務所には臨床心理士のカウンセラーと精神科医がいて精神疾患の患者は治療させられる
医療刑務所ではないものの労働と精神治療がルーティンに組まれる受刑者の1人だったということ
アンガーマネジメントは必要に迫られる課題だったはずで認知行動療法が適応されるケース
服薬効果の限定的な患者にカウンセリングをさせない医者を想定するほうが難しいのでは?
出所後は特別調整患者に指定されて自立支援施設を経てナマポ訪問看護を受けていたとのこと
かかりつけ医の病院所属の臨床心理士カウンセラーという選択肢だけでなく
無料で臨床心理士のカウンセリングが受けられる地域精神医療センターという選択肢もある
地域精神医療チームが組まれてた青葉にカウンセリングを受けさせなかったと考えるほうが不自然よ
賃金の向上は、労働者のモチベーションや生活水準の向上につながることがあります。しかし、AI(人工知能)や技術の進歩もまた、業務の効率化や新しい仕事の創出などに寄与しています。これらの要素は単純に否定すべきものではなく、適切に統合されればより良い社会や経済の実現に貢献できる可能性があります。
賃金の向上が必要である一方で、AIや技術の導入も慎重に進める必要があります。これらの変化が労働市場に与える影響や、技術の進歩が不均衡な分配を生む可能性に対処する必要があります。賃金の向上や技術の活用、社会的課題への対応は、総合的なアプローチが求められます。
AIは労働力の一部を代替する可能性がありますが、同時に新たな職種やビジネスの分野を生み出すこともあります。重要なのは、人間とAIが共存し、お互いの強みを最大限に生かす社会を構築することです。適切な教育やスキルの向上も重要であり、これによって人々は変化する環境に適応し、新しい機会を活かすことができます。
経済や社会の変革には時間がかかるものですが、バランスを取りながら進めることで、より包括的で持続可能な未来が築かれる可能性があります。
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AIにより一部の職種が自動化されることで、一部の人々が職を失う可能性があります。ただし、同時に新たな職種や産業が生まれ、変化する労働市場において新しい機会が提供されることも期待されます。以下に、AIによる職の変化に対処するための可能性がいくつか挙げられます:
スキルの再編成と教育: 失業者や影響を受ける労働者に対して、新しい技術やスキルを学ぶ機会を提供することが重要です。教育・トレーニングプログラムが、変化する職業に適応するための支援を提供できます。
創造的な産業の成長: 新しい技術が導入される中で、それに関連する新たな職種や産業が成長することが期待されます。例えば、AIやロボティクスの開発、メンテナンス、データ解析などの分野で需要が増加する可能性があります。
サービス業や人間性に関連する職種: 一部の職種はAIによって自動化されやすい一方で、感情や人間性が必要な職種は引き続き需要があると考えられます。介護、教育、カウンセリングなど、人間同士の関わりが不可欠な職種が重要性を保つ可能性があります。
起業家精神: 失業者や影響を受ける人々が新しいビジネスを始めることも一つの選択肢です。新しいアイディアやサービスが求められる中で、自らのスキルや経験を生かして新たな道を切り開くことができます。
重要なのは、社会全体がこの変化に対応するために協力し、柔軟性を持って対応することです。政府、企業、教育機関が協力して、労働者が新しい環境に適応し、機会を生かすためのサポートが提供されることが求められます。
結局転職回数ってどうなの?って話があるが、結論回数についてはあまり面接でも話題にならない。
同じ転職サイトでユーザー情報を登録する際の”転職回数”という項目がある。
これが
という具合だ。
転職回数よりも2年未満の転職についてはだいたいどの面接でも突っ込まれた。
自分は過去6社経験していて1社だけなので、説明に労を要しないが
ここだけは10年前も今も変わらない印象。
たとえば現職で、自分はGOを出したが経営判断でNOになった求職者がいた。
募集していたポジションは決められたことを着実に実行できる遂行能力であったり計画性を重視するところだったのが
そういった背景があってもカルチャーマッチでNOを突きつけられた。
10年前はシンプルなスキルマッチ(同職種や同業者の経験を中心としたテンプレ)だけだったものが、相性という非常に曖昧性の高い要素で判断している。
おそらく年齢的な問題もあるのだと思うが将来どうなりたい?という質問が意外にもあまりない。
それよりは目の前の課題にどれだけ向き合えるか?という要素が重視されていた。
未経験の職種やタスクでもどれだけ粘り強く取り組めるか?という泥臭さの話がトピックになりやすい。
休日でもslackで雑談するぐらい仲がいいんですよ〜ははは〜〜
どのフェーズの会社でも仕事は日々の雑談やちょっとした会話の中で決まったり作り上げられたりする。
相対的に会社組織との単純接触時間が少なくなりそうなら、残念ながらちょっと厳しい。
30人従業員がいたとして、既婚者子持ちが2人しかいない、みたいな状況は短期的には問題なくても中期的に徐々に心を蝕む。
てかみんなの状況や体験談も知りたいから異論反論コメント欲しいです。
みんな懲りずに頑張ろう。
どうやらChatGPTを使ったのがまずかったらしい。こちらから言わせてもらうと、ChatGPTを使って解決できるような課題を出してるあんたらはどうなるんだよ。
クソみたいなスライドで、クソみたいなテスト作ってる教授、普通にいやな気持になるからちゃんとしてくれ。誰もあんたの研究室行きたがらないぞ
https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/816841
。かつて自主トレもともにした弟子だけに、痛烈な〝喝〟も送った。
悩める大砲候補への〝セカンドオピニオン〟だった。「(リチャードが)打てないのは技術面。みんなメンタル面って言ってますけど、技術ですよ。メンタルじゃない」。昨季は2軍で本塁打王を獲得するも、1軍では打率1割1分5厘。1試合で4三振を喫する時もあるなど、周囲からはメンタル面の指摘も多かった。それでも、山川は技術に焦点を置いた。例として挙げたのは、2軍での打率だった。
山川は1軍で通算786試合に出場し、打率2割5分6厘、2軍では通算264試合で打率3割1分2厘。ホームランバッターでは優先度が低くなりがちな打率も一定の成績を残してきた。1軍に上がれば、投手のレベルの上がり、2軍での成績通りの結果は期待できない。山川は「2軍の時は1軍上がるためにやる。打って上がるためには3割が絶対と勝手に思っていた」と語った。
一方、19本塁打で4年連続の本塁打王を獲得したリチャードの昨季の2軍打率は2割2分5厘。「1軍で打てないのは2軍で打てないからです。2軍であの成績で打っているとはならないと思う。リチャードが(2軍で)3割3分くらい打っていたら、もう少し我慢して使うと思いますよ」と言い切る。
11日午後の自由練習では、室内練習場でともに打撃練習。伝えたのは山川が「生命線」と語る軸足の使い方だった。その上でリチャードの課題として、ある癖を指摘した。「選びすぎです、ボールを。打率を上げる方法は、簡単に言えば好球必打だと思います。でもそれは、机の上の話なんですよ。打者というのはいけると思ったボールはいかないと。いけると思っているスポットが少なすぎます」
甘い球を捉えることは絶対条件である。その一方で、捉えようとする球に考えを巡らせすぎて、振ればヒットゾーンになる球も見逃している。弟子の現状を分析した上で、失敗を恐れず、思い切って振り抜く覚悟を山川は求めていた。
チームメートとなり、小さなことも指摘できるようになった。オフにはともに休日返上する予定もある。「あのままじゃ打てはしない」。愛弟子に厳しく接しつつ、成長を願ってやまない姿があった。
私は自分について喋ったり書いたりする事が苦手なのかもしれない。平たく言うと自己表現が苦手なのか
そう思ったきっかけはマッチングアプリのチャットでのやり取りだ。そこでは相手に「自分がどんな人」を伝える必要があるが、それが全くできなかった。
例えば旅行したと言えば当然感想を聞かれる。しかし「美味しかった」「楽しかった」くらいしか話せないのだ。こんなので話が弾むわけがない。もっと何をどう楽しんだか話せたら向こうも楽しいだろうな。
①語彙力が足りない
これはある。思えば昔から文章を書くのが苦手だった。作文の課題も、どうにか改行しまくってページ数を稼いだ記憶がある。言葉を使う事に不慣れなのだ。
ただし学校の試験はよくできたし、仕事でも意思疎通に困ったことはない(上司達がコミュニケーション上手なのかもしれないが)。つまりそもそも言葉を知らない訳ではないはずだ。
そうなるとやはり言葉の出力に不慣れということか。それなら要約等でトレーニングできるかもしれない
言ったことが馬鹿にされたら…とまでは思わないが、伝わらなかったら恥ずかしいとか、そもそも人に自分をさらけ出すことに怯えているのかもしれない。
そういえば就活の最終面接で、圧迫だったわけでもないのに涙が止まらなかった。以前SNSで見たが、自分のことを話そうとすると涙がでる人は一定数いるらしい。自分もまさしくこれだ。
ただ、そういう自分を出すのが苦手な人は大体過去に身近な人から否定された経験があるらしい。私の両親は優しい人で否定された記憶もないのだが、どこで今の性質になってしまったのだろう…
自分を開示できない(したくない)事が重なると、そもそも伝える内容も頭から消えていく気がする。
どうせ話さないなら伝える内容もいらないというか、とにかく自分の事に鈍感になっていくのだ。
例えば冒頭で旅行の例を出したが、そもそも旅行先で何を食べたか、何をしたかも思い出せない時がある。なんかもう全てがどうでもよくなっていくのだ。
まず出来事を共有できないと誰とも仲良くなれなくて寂しい。実際に友達はいないし、職場の人は優しくしてくれるけど仮に転職しても付き合いが続きそうな人はいない。
また、自分の経験が蓄積されている感覚がないのは虚しい。親は昔誰とこんなことがあってーという話をよくするのだが、自分がそうした過去の出来事を覚えて語れる気がしない。自分の中身が空っぽというのは悲しいことだと思う。
これからも日記とかで自分の事を話す練習していきたいけど、やっぱりすぐ辛くなってやめちゃいそう。まあできるだけ頑張りたいですね
GURPS (Generic Universal RolePlaying System)は、キャラクターのスキル、能力値、有利な特徴を自由にカスタマイズできる非常に柔軟なゲームシステムです。このシステムの面白い点は、不利な特徴や低い能力値を選択することでキャラクターポイント(CP)を追加で獲得し、それを使って他の領域での成長を図れることにあります。
御坊茶魔をGURPSで表現する場合、以下のようなキャラクタービルドを考えることができます:
1. **有利な特徴**:
- **財産**: 御坊家の莫大な財力を反映するために、非常に高いレベルで設定。
- **地位と社会的地位**: 御坊家の地位を反映して高いレベルで設定。
- **特異体質**: 金持ちになる体質や、亀に乗っての移動能力など、彼のユニークな特徴を表現する特技として設定。
- **呪文/超自然的能力**: 茶魔語などの独特な言葉遣いや、彼が展開する奇妙な行動やイベントを魔法や超能力として設定することも考えられます。
2. **不利な特徴**:
- **外見**: 人間離れした特殊な骨格や、一般的な美しさからはかけ離れた外見を反映。
- **社会的不利**: 一部の社会的状況や人間関係において、彼の風変わりな行動がマイナスに働く可能性を示す。
- **秘密**: 御坊家の秘密や、彼の身にまつわる秘密がキャラクターにとってのリスクとなる。
3. **スキル**:
- 御坊茶魔の多様な活動や趣味、興味を反映するために、社交、経済、あるいは特殊な技能(たとえば、特定のゲームやスポーツでの技能)を幅広く設定。
このビルドでは、御坊茶魔の豊かな生活背景、ユニークな能力、そして彼が直面する様々な課題や冒険をGURPSのルールを用いて具体化しています。不利な特徴を受け入れることで得られる追加のCPは、彼の他の特技や能力をさらに強化するために利用でき、非常に個性的で多面的なキャラクターを作成することが可能です。
一度に多量の課題を与えられたとき、それぞれの重要度に重みを付け達成までの期間など考慮しながら処理の順序を決める能力
この概念を知った瞬間に自分がなぜ高大二度も中退したか解せたわ
これが欠落していて(かつ誰にも相談できなかったせいで)次々与えられる課題にどれから手を付けていいやら分からなくなって抱え込んでストレスに苛まされ適応障害の域まで行ってしまい
身の丈より上の高校も大学も中退して完全に自信を失い空白12年へと導かれてしまったと…
もちろん教科書を一読して理解し数度の学習で暗記する事務処理能力の高さがあれば難なく乗り越え卒業できていただろうから
と同時に
彼らには優先順位決定スキルが欠落しているがゆえに仕事を先送りしてしまうし、
部屋をゴミ屋敷にしてしまう人は少しゴミが溜まるとどれから手を付けていいかわからなくなって処理を先送りにしてしまって燦燦たる部屋に変えてしまうんだろう
あそこまで極端じゃなかったけど、なんか気に入らないとか周囲からしたら全然真っ当でも何でもないけど本人的には"ちゃんとした"理由とかでイジメに走る女子
真田たちみたいに表向きには明るくて活発な人たちで、いわゆる陰キャ側の私とは今までこれといった関わりもなかったのに(同じクラスというだけ)いきなり陰口のターゲットにされた時期があった
やられてる間は理不尽でしんどかったし、しんどいけど親とか学校とか周りの大人は当てに出来なかった
心たちと違って学校に行かないことは許容されなかったので仕方なく通ってたら、向こうが飽きたのか何か別の理由があったのか、よく分からないまま私は陰口のターゲットではなくなった
それからしばらく経った頃、陰口を言って盛り上がっていた女子の一人が私によく話しかけてくるようになった
どうも例のグループから弾かれたらしく、その時には彼女がターゲットになっていた
今まで好き勝手に人に嫌な思いをさせておいてよくもまあ……と思わなくはなかったが、嫌な人たちと同じことをするのもどうかと思ったので、彼女の話し相手になったり二人組で何かする課題の相手になったりする程度のことはしていた
そんな風にしていたある日、掃除の担当場所に向かいながら彼女と話していたらハブった側のグループがすれ違いざまに「(私)さん、(彼女)の相手してるとかかわいそ〜」とあの聞こえるっちゃ聞こえる声量で言われたことがあった
いやお前らにだけは同情される筋合いないだろうとか、そもそも本心で思ってもないだろうとか突っ込みたくはなったけど、口には出さなかった
俯いていた彼女に「気にしないほうがいおよ」と月並みな言葉をかけると、彼女は「ありがとう」と返してきた
でも内心では面倒臭えと思っていた
ハブられた途端にぴえんの絵文字みたいになってすり寄ってきた彼女(マジでどの面下げてきたのか分からない)のことも、他人で憂晴らしか何かをするグループの女子たち(雁首揃えて他にすることないの?)のこともとにかく面倒臭かった
ただ今更この環境を壊すとそれはそれで面倒臭いことになりそうだなという打算的なことも考えていた私は、結局この変な人間関係を年度末まで続けていた
なにもかも面倒臭かったが、面倒臭がり故に全部なあなあにして過ごした数ヶ月間だった
学年が上がると彼女ともグループの女子たちとも別のクラスになり、あっさりと彼女たちとの関わりは終了した
進路も被らなかったし当然知らないし今どうしてるかも分からないしなんなら記憶の彼方に押しやられていたけど、金ロー見ながら思い出したからここに書いて寝ることにした
映画の方は真田がどうなったかは特に描かれなかったけど(真田がどうなるかなんて関係ないからね)、なんとなく中学時代のあの女子たちみたいな感じで面の皮を厚くして図太く生きてそうだとは思った
「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家のスコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。
「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。
早稲田で映画を専攻し、学生時代に映画と脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。
自身の作品の映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。
「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現だからそのまま映像にすると不自然になってしまう」
脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。
死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。
その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画や小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。
ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまったから自殺した」
という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。
冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。
むしろ「自分の大切な原作を、自身の脚本で台無しにしてしまった自責の念」
と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまったことに対する責任」
の方が強かったのではないかと思う。
自分の大事な作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」
それを勝手に拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。
もちろん、本人にしかわからないし、本人にもわからないかもしれないが。
ただ私もクリエイターの端くれとして、
もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供の回復をしようと頑張るが、
もし周りを巻き込んだ挙句、自分で自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。
そんなふうに思ったからだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240205173407
この記事が掲載されているWebサイトの運営元は「小学館メディアプロモーション」という会社らしい。事業内容は「小学館グループを始めとして、出版社が運営するメディアの広告営業、BtoB ビジネスコンサルティング、デジタルマーケティングを行います。メディアとコンテンツがクライアントの課題に対しどのような役割を果たせるかを第一に考えています。」とある。小学館は「マンガ・キャラクターのビジネス活⽤」でずいぶん儲けているのだろうけど、なんか漫画家や作品へのリスペクトが全く感じられず、Webサイトを眺めていたら気分悪くなってきた。
この編集長のインタビューでヤバいのは「大人女性の心をつかむ豊富で多彩な漫画が、タイアップにも活躍します。」「多彩な作品群はタイアップやメディアミックス化にもマッチ」「作品のバリエーションが多いと、さまざまな企業とマッチングしやすく、また会社のイメージや要望に合う漫画が選びやすいことから、タイアップの可能性も大きいといえます。」「これからもドラマや映画サイドに興味を持って頂ける作品をつくっていくことも一つの大きな目標です」など、漫画作品を「メディアとコンテンツがクライアントの課題に対しどのような役割を果たせるか」のパーツとしか考えていないところ。
「第一コミック局 編集者一同」名義の声明文でも「そもそも『セクシー田中さん』のドラマ化を発案したのはどこの誰か?」に関する説明はなく、ひたすら「出版社と契約している漫画家さんたちに著作権があることは当然のことなんですよ」と言っているだけで、何の釈明にもなっていない。「『セクシー田中さん』を金儲けビジネスに利用した結果こんなことになって申し訳ありません」ぐらい書いてくれるのかと思ったのに、期待はずれだった。