私は自分について喋ったり書いたりする事が苦手なのかもしれない。平たく言うと自己表現が苦手なのか
そう思ったきっかけはマッチングアプリのチャットでのやり取りだ。そこでは相手に「自分がどんな人」を伝える必要があるが、それが全くできなかった。
例えば旅行したと言えば当然感想を聞かれる。しかし「美味しかった」「楽しかった」くらいしか話せないのだ。こんなので話が弾むわけがない。もっと何をどう楽しんだか話せたら向こうも楽しいだろうな。
①語彙力が足りない
これはある。思えば昔から文章を書くのが苦手だった。作文の課題も、どうにか改行しまくってページ数を稼いだ記憶がある。言葉を使う事に不慣れなのだ。
ただし学校の試験はよくできたし、仕事でも意思疎通に困ったことはない(上司達がコミュニケーション上手なのかもしれないが)。つまりそもそも言葉を知らない訳ではないはずだ。
そうなるとやはり言葉の出力に不慣れということか。それなら要約等でトレーニングできるかもしれない
言ったことが馬鹿にされたら…とまでは思わないが、伝わらなかったら恥ずかしいとか、そもそも人に自分をさらけ出すことに怯えているのかもしれない。
そういえば就活の最終面接で、圧迫だったわけでもないのに涙が止まらなかった。以前SNSで見たが、自分のことを話そうとすると涙がでる人は一定数いるらしい。自分もまさしくこれだ。
ただ、そういう自分を出すのが苦手な人は大体過去に身近な人から否定された経験があるらしい。私の両親は優しい人で否定された記憶もないのだが、どこで今の性質になってしまったのだろう…
自分を開示できない(したくない)事が重なると、そもそも伝える内容も頭から消えていく気がする。
どうせ話さないなら伝える内容もいらないというか、とにかく自分の事に鈍感になっていくのだ。
例えば冒頭で旅行の例を出したが、そもそも旅行先で何を食べたか、何をしたかも思い出せない時がある。なんかもう全てがどうでもよくなっていくのだ。
まず出来事を共有できないと誰とも仲良くなれなくて寂しい。実際に友達はいないし、職場の人は優しくしてくれるけど仮に転職しても付き合いが続きそうな人はいない。
また、自分の経験が蓄積されている感覚がないのは虚しい。親は昔誰とこんなことがあってーという話をよくするのだが、自分がそうした過去の出来事を覚えて語れる気がしない。自分の中身が空っぽというのは悲しいことだと思う。
これからも日記とかで自分の事を話す練習していきたいけど、やっぱりすぐ辛くなってやめちゃいそう。まあできるだけ頑張りたいですね