はてなキーワード: 次元とは
どこか書くところがないとすぐ忘れるので備忘録代わりに。追加していく予定。
「それが好きならこれも好きなはず」みたいなレスポンスがあると嬉しい。
「渡舟 2019 “テロワール”太田ノ谷 おおたのたに」府中誉(茨城)。15度:太田ノ谷産短稈渡船。蔵元あえてのスペック表示なしの販売らしく、原材料表示から純米酒だと分かるのみ。微炭酸を感じた気がするので生なのかもしれない。味はいかにも米の酒という印象。米のうまみと甘さを感じる。そこに重みを感じさせないような酸味が添えられ、瑞々しい印象を与える。好みの味。元旦からいい酒である(2101)
「まんさくの花 槽しずく 純米吟醸生原酒」日の丸醸造(秋田)。純米吟醸生原酒(加熱処理無し):16度:秋田県産吟の精:歩合55%:協会9号。加熱処理なしだからか、微炭酸を感じる。そして強い酸味と甘みとうまさ。味が濃いのに爽やかな印象。2021年の締めにこの酒を選んだのだが、よい締めであった。よい一年であった。皆にとってもそうであるようにと思いつつ。(2012)
「鳳凰美田 Black Phoenix 生酒」小林酒造(栃木)。純米吟醸生酒:16度:愛山:歩合55%。通販サイトでは「『パイナップル』のような風味」と書いてあったが、自分は洋ナシのように感じた。濃く華やかで、甘みを感じるが重くなくフルーティー。美味い。例のバイデン繋がりで売れた酒と知らずに買って飲んだのが、ノリで買った人も後悔しないだろう。これを機に日本酒を好きになってもらえたらよいのだが。(2012)
「春心 生モト純米 五百万石(無農薬・化学肥料不使用) 火入れ」西出酒造(石川)。純米:17度(原酒):五百万石:歩合70%:酵母無添加・生モトつくり。シェリー酒のような風味を感じる。実はシェリー酒は苦手なのだが、これは美味い。不思議な味わい。(2012)
「V1116」八戸酒造株式会社(青森)。純米吟醸:13度:青森県産米(通販サイト情報では麹が華吹雪、掛がまっしぐら):(歩合は通販サイト情報では麹55%、掛60%):デンマーク産白ワイン酵母V1116。香りは日本酒だが、口にすると、その酸味と甘みに、なるほどワイン酵母と思う。だが落ち着いて味わうとワインらしい果実味ではなく米の旨味を感じる。うまいし飲みやすいが不思議な味わいで、何の知識もなく飲んだら「何だこれ」となるのではないだろうか。(2009)
「しぼりたてそのまま 無濾過 吟醸酒」加茂錦酒造株式会社(新潟)。生酒純米吟醸:16.8度:歩合60%:新潟G9号。吟醸酒らしい華やかな香り。一口目はとにかく味が濃いという印象。酒度+1.0だが辛口で甘さもあると感じ、米の酒っぽさもある。そして旨い。他の酒には「ちょっと生臭いかな」と思っていた酒盗がよくあう。(2008)
「みむろ杉 Dio Abita」今西酒造株式会社(奈良)。純米吟醸:13度:山田錦:歩合60%。一回火入れの無濾過原酒。バナナっぽい。バナナっぽい日本酒などまずそうに聞こえるだろうがこれがうまい。青い感じと、甘みと酸味が高い次元で融合していて、丁寧に作られた芸術品を飲む心地。酸味のある日本酒は苦手だが気に入った。
「Five(イエロー)」酒井酒造株式会社(山形)。純米生原酒(白糀):17度:日本晴・山田錦:歩合80%。ここ以降は、すごくうまかった、なかなかない酒だという記憶しかない。逆にいうと、そういう記憶力なのでこの記事を作った。なんとかちゃんと足していって、まともな記録にしたい。
「多賀治 山廃純米雄町火入原酒」十八盛酒造株式会社(岡山)。山廃純米火入原酒:16度:雄町:歩合58%:協会7号。山廃は燗酒以外は苦手なのだが、これは冷やで飲んでもうまかった。料理も酒も温度が大事なのだが、酒の温度はないがしろにされがちだよなぁと思う。
「朝日鷹」高木酒造株式会社(山形)。細かいスペックは記録してない。十四代で有名な蔵元だが、それよりよほどうまかった。いや、十四代もよくできているとは思っているけれども、こっちは目を見張るほどうまかった。
京都・松井酒造と城陽酒造の何かを買ったのだがまったく覚えてない。いかに旨くても記録しないとすぐ忘れる。
松井酒造は京都のデパートで試飲させてもらった時は酸味が立って値段ほどではと思ったのだが、連れ合いが気に入って購入し、食事しながら飲むとやたらうまかった。
城陽酒造はやはり京都のデパートだか駅ビルだかで試飲させてもらって、何飲んでもうまくてどれを買おうか迷って、やはり連れ合いに決めてもらった。
? うん。IT業界に所属していて、最新のテクノロジーには触れている方だと思うのですが、コミケはちょっと当日版権に近い謎システムなので
杉田さんがホロライブのラジオに出るときいてなんかすごい違和感を感じている。
もちろん、Vtuberが市民権を会得したことは喜ぶべきだし。本人にとっても芸の幅が広がっていいことなのもわかる。
そういう頭でいるから、声優のようにキャラクターを演じる現実の人が入る事で、中の人の内輪ネタみたいな構図になるんじゃないかと何かザラっとする。
似て非なる2つの演者が混ざる事がノイズを生むんじゃないかと思ってしまう。
でも、世間のVtuber支持者はそれを良しとしてるんだから異端な考え方なのだとは思う。
まあ、そもそもパーソナリティの二人も杉田さんのノリも自分が苦手なだけなんだろうなって思うけど。
杉田さんも多彩な経歴があって、Vとも共演してきたなら変なことにはならないか。
プロの仕事人であり演技をする人なのだから、流石に世界観壊さず、踏み込んではいけない所は線引きできるよな。
今までパーソナリティのラジオなり番組なりで際どい事を言う人だなって印象があったから不安だったんだよ。
増田個人としては、例えばギータ・モカーズみたいな適当な名前で、3次元の存在からかけ離れた架空キャラクターアバターを着て話してくれればそれでええんや。
要は同じ次元ならそれで良い。
2020/7/16 7:39
興奮しちゃって全然寝れないのでこれを書いている。あらすじも含めているので正しい文字数じゃないが、たぶん今日だけで3万文字ぐらい書いているので、こんどコミケかなんかの即売会で「日本沈没2020を見ての考察」とかいうタイトルでコピー本で売りたくなってきた。売れるのかはわからないが、タダにしておけば物好きが持って行ってくれる気がするな。湯浅監督作品にはそれだけの力がある。わずかだが私の参加費がコミケの資金にもなる。やったぜ。
ちなみにこれを書くために自分の感想を全部読み返した。本当に湯浅監督の作品なのか・・・?と疑っていた過去の自分の肩を優しく叩いて「脚本家は湯浅監督じゃないよ」と言ってあげたい。そう思うだけで般若のような顔でめちゃくちゃに長い感想文を書いていた過去の自分が救われる気がするし、自分の感想を読みかえすとかいう自己暗示みたいな不毛な時間も肯定される気がするから不思議だ。「脚本家は湯浅監督じゃないよ」という言葉を日本沈没2020を湯浅監督を名指しで批判している人のツイートにかたっぱしからリプしたいぐらいだが、それはどう考えてもただのクソリプマンなのでしない。湯浅監督のイメージが悪くなるだけだろう。
この文は基本的にフォロワーと、もしかしたら私の感想を見るかもしれないフォロワーのフォロワーに向けて書いてる。日本沈没2020を見てから死ぬほどツイートしてるので多分普通にTLが流れて行ってると思うので、私が救われた感想文のURLをここに張り付けておく。
『日本沈没2020』のノベライズにツッコミを入れてみた(ネタバレあり・長文)
URLは乗せていいのかわからなかったので消した。でも↑で検索するとすぐに出てくるよ。
この方はほんっっっとうに私がえ?おかしいだろ!て思ってたこととその答え合わせをマジでマジで全部書いていて、しかもそれは「映像化された日本沈没2020」ではなくて、「ノベライズの日本沈没2020」だった・・・。これを見たときに本当にショックを受けて、しばらく混乱して何度も読み返した。湯浅監督が脚本家じゃなかったことへのうれしさ、湯浅監督の「日本沈没2020」の絵が表紙になっていることの絶望、そして紹介文中にでてくる、ノベライズの抜粋された文章からすぐに感じ取れた湯浅監督作品としての「日本沈没2020」の違和感の答えが一気に脳の中を駆け巡って本当に眩暈がした。薬物をやって世界の真理に気づくと、多分こんな感じだと思う。あと、何かの研究をしててそれを裏付ける最高の結果が出たときも多分こんな感じだ。今は朝だけど、読んだのが真夜中だったし、住んでいるのが貸し賃なので「ヨッシャー!!」て叫びたいのを必死に耐えた。意味不明だったパズルピースが綺麗にはまっていく爽快感が感度3000倍になったって感じ。感度2020倍。オタクだからこういう例えしか出来ないんだよね。あと嬉しくて泣くことができるというのを誇張ではなく生まれて初めて体験してしまった。
マジに驚いたのが、ノベライズの文章があ、これはマジで日本沈没2020の作者だ!と思わせる狂気に満ちていたこと。ちょっと文を抜粋しただけで、アニメ日本沈没2020の作中に高濃度で漂いまくってた「大麻」の正体がわかった。登場人物が全員摂取してたっぽい感じの大麻の正体はなんとノベライズの作者だったのだ。宗教施設にクソデカ大麻畑があった理由がなんとなくわかったし、多分マジで原作にデカい大麻畑があるんだろうとも感じ取れる。逆に大麻畑がないほうが違和感を感じるレベルだ。これほど説得力のある文体はない。多分↑の感想を読んでいただくと、日本沈没2020を観た人は理解できる。私がそう思うだけだから、「大麻」だと思わなかったらごめんね。
湯浅監督は大麻をキメてこの作品を作ったのか?みたいな感想むちゃくちゃ見かけたし私もマジで監督が大麻キメたんじゃねーかなと思ったけど、湯浅監督が大麻キメたんじゃなくて、大麻が脚本家だったの。こんなのわかる?そして湯浅監督は大麻を限りなく忠実に再現していたんだ。わかんねぇよこんなの・・・・。なまじ実力が高いから大麻を再現できてしまったんだ・・・・最悪の事故だ・・・・。湯浅監督は最高。逆に湯浅監督しかこの大麻を表現できないと思って依頼とかしたなら、それは正しいことだと思・・・思わない・・・。
これは日本沈没2020の作者だ!と思わせる狂気に満ちているノベライズは、ちょっと抜粋されただけでガチで不発弾山芋が描写されている。これだけでもういろいろと察することできるよね・・・?ここまで書いてるんだしマジで自分でノベライズを読んだほうがいいと思ってるんだけど、こんなノベライズに金を出したくない・・・金を出したくない・・・・クソデカタイトルで湯浅監督のイメージをぐちゃぐちゃにした不発弾山芋大麻作者に本気で一銭も払いたくないのでびっくりする。お金が入るシステムが全然わからないけど、ネトフリのアニメを全部見たから多分ちょっと脚本家にもお金が入るだろう。それで勘弁してほしいな。図書館が大麻で汚されるので図書館で読みたくないし立ち読みも店舗が大麻で汚されて嫌な思い出になりそうなので全然したくない。もちろん電子書籍を買うのもパソコンが大麻に汚染されそうで嫌だ。でも批判を続けるならどこかで読むべきだろうなと思う・・・私にとって読書は幸せな行為なので、本当に読みたくねぇな。じゃあ読まなきゃいいじゃんって言われたら、その通りでございます。批判もここらへんでやめておきたいが無限に腹立つ。
ちなみに普段の私は感想を言うならまず作品を見るし、買っていますね。まず作品を見た結果がこれで、ノベライズは全然買いたくない。慰謝料をもらったら、買うかもしれない。意味わからないことを言っていると思うが、作品を知ってしまったことで慰謝料をもらいたいと思った事は生まれて初めてなので許されたいな。とにかく日本沈没2020は何もかもがキャクホンシャサイテーで、明らかに知らないほうが人生によかった。知らなければこんなお気持ち長文を書くこともなかったと思うと泣けてくる。
右京先生の日本沈没が好きで、日本沈没2020を知った人はどれだけショックを受けたんだろう。私は湯浅監督が好きで、日本沈没2020を観てこんなにもショックだった。ってことは湯浅監督好き+右京先生の日本沈没も好きだったら、もうマジで眠るどころじゃなくて本気でもう恨みつらみを吐き出すしか耐えられないと思う。↑で紹介した感想を書いた方も腹が立つと書いていたが、マジではちゃめちゃにむかつくのだ。全方位に砂をかけられていると感じてしまう・・・・・。あと、数日たつとどうでもよくなってくるとおっしゃっていたが(怒りが不毛なことを悟るため)多分数日後には私も怒りが不毛だったなと思うなこれは。なんでかっていうと怒っているのがバカらしくなる。日本沈没2020に対して感情を割く時間が本当に無駄。
この怒っているのがバカらしくなるのはそういう次元の話じゃないと悟るからだ。多分反日アニメだのなんだの言ってた人も、このノベライズを読むと批判する気が失せるんじゃないだろうか・・・。読んでみてほしいなぁ。どうにか「日本沈没2020」がこのように描かれた意味を探したくて、私は見ていた最中になんどもこれはむちゃくちゃ高度な皮肉作品なんじゃないかと思った。必死に理由を探したけど、最後まで見て、記憶の中でもう一度振り返ってみて、それでも答えがわからなかった。皮肉にしてはあまりにも愚直すぎるし、愚直にしてはあまりにも湯浅監督のイメージが「何もないわけがない」という感情を否定していくので、本当に困った。結局考察にマジで意味がなく、考察するのがバカだった。マジでいくらでも文句言えるのですげぇぜ!
ここまで書いて思い出したけど、日本沈没2020の6話を再度ふりかえったあと、本当に意味が分からなくてこんな感想↓をふせったーに書いていた。
【私は「作者はそこまで考えてないと思うよ」って言葉がだいだいだいっきらいなんですけど、日本沈没2020に関しては「作者はそこまで考えてない」ことを祈ってしまう。すべてを大麻のせいにしたいです。】
他者から「作者はそこまで考えてないんじゃね・・・」と肯定されて本当によかったし、湯浅監督が作者じゃなくてよかった。「脚本家じゃなくてよかった」が正しいかな。私はこれから脚本家さんのことを大麻と呼ぶと思う。すべて大麻のせいだった。
「作者はそこまで考えてないと思うよ」って言葉は、作者は自分の作った作品に対して絶対そこまで考えて描写しているので死ぬほど大嫌いなんです。なんでかって言うと、作品というものは作者の思想をこれでもかと簡略・濃縮して出来ているからと私は思うからです。そこから読者が受け取れるものは作者の考えのひとかけらに過ぎないです。だからマジでそう思いたくなかった。
そして7話の感想では↓を書いた。
【このアニメはすべてが適当で投げやりに見えるが、私が湯浅監督を信じたいので全部計算づくにも見える。その結果この感想を書くことになったので、あまり深読みはするものではないなと思った。多分日本沈没2020に関しては考察する方が間違っている。この考えを塗り替えてくれる考察があったら教えてほしいし、この考えを塗り替えてくれる考察が有志によって現れると信じさせてほしい。】
この答えが出てくれたので本当によかったです!!!!!!!!!!!!!!!!!!1
あと、ここまで書いておいてなんだけど、私はやっぱり基本的に誰かの作品を批判するのが大嫌い。嫌だなと思ったら見た記憶ごとなくしてしまう。嫌なことはなるべく語りたくないし、その時間で何かをしたい。これを逃げだろ!と言うのは正しいと思うけど、世の中には辛い話題から逃げたい人もいるし、私はそのタイプです。
それに自分も創作をする人間だからわかるんだけど、作品を一つ作るのはとても大変なんだよね。この感想文を書くのも大変だった。酷使した指も手首もバキバキのボキボキになってる。思ったことをずらずらと羅列するだけの文章がこれだけ大変なんだから、一々プロットをたてて、それを文字にせよ絵にせよ形にするのはもっと体力がいる。それを否定されたりすると、私だったらとても落ち込んでしまう。気にしないという人もいるけど、でもそういう感想を見たいか見たくないかっていったら見たくなくない!?私は見たくねぇからあまり言わない派なんだ。何も見たくねぇ・・・でも好意的な感想は見てぇわ・・・
あまりにも酷くて、吐き出さないと頭が恨みでおかしくなりそうで、思わずこんな文章を書きまくってしまった。酒を飲んですべてを忘れたいです。本当はもっと言いたいことあるし、最低限まとめてこれだ。不毛なんだ!!!!!!!!!!!感想終わらせる終わらせる詐欺をして申し訳ないです。黙りたいよ
今は美味しいものを買ったり食べたりして、心が落ち着いている。クソがよになったあとに幸せになったので、副作用として人生が光り輝いて見えるようになってしまった。多分脳内麻薬が出まくってるんだと思う。これを読んでくれた人は本当にありがとう。日本沈没2020は「ギャグアニメ」としてみてください。
ふせったー内で身内にずっと吐き出していたが、日本沈没2020を観て思った事をここに張っていく。匿名だし、増田なんて多分本当に日本沈没2020に興味がある人ぐらいしか見ないだろう。でもその人が見てくれたら何よりもうれしいことはない。増田の作法がわからないので何もかも間違ってたらすみません。
たしか一昨日ぐらいに日本沈没2020をネットフリックスで全話見た。批判されていたのは知っていたが、湯浅監督の作品がすべて好きだったから自分の目で確かめたいと思った。結果悪い意味で打ちのめされて、日本沈没2020を観た次の日はずっとふせったーに籠って、まる一日をかけて30000文字ぐらいの感想(あらすじがほとんどかもしれない)を書いた。ただ30000文字だから、ものすごい長い。なのでその1日でわかった要点をまとめるとこうなる。
①「日本沈没2020」は右京先生の「日本沈没」を元にした作品で、ノベライズがある
②そのノベライズは、湯浅監督が書いたものではない。なので日本沈没2020のストーリーを描いた脚本家は湯浅監督ではない・・・
③湯浅監督はこれほどなく忠実に「日本沈没2020」をアニメ化していた
もうこのことさえ知ってくれればあとはどうでもよくなる。反日だのなんだの騒いでいる人もあほらしくなる。何故って日本沈没2020を視聴したらそんなことは言えなくなるからだ。これはもうそういう次元の作品じゃないんだ・・・・・。感想内で何度も書いたけど、逆に本当に見たのか気になるぐらいだ。反日だの陰謀だのなにもかもが虚構だ。批判すればするほど滑稽に見えて、考察すればするほど何もなくて空しくなる。こんな虚無のストーリーもなかなかないんだけど、そこで湯浅監督の表現力とぶつかってしまってビッグバンが起きたのは不幸だった。
丸一日かけて日本沈没2020に浸かってしまったのは多分私がアニメがどう作られているかに詳しくなかったのが原因だ。だから脚本も湯浅監督が作っているのかと思ってしまった。そこが間違いだった。これは自分の無知を恥ずかしく思った。OPとEDもしっかり見るべきだったんだなぁ。今度からはしっかりチェックしますね。
下記からはふせったーに書いたものをそのままコピペしたものになる。読んでもいいし読まなくてもいいけど、とりあえず置いておく。これから日本沈没2020を観ようかなと思っている人の参考になるとすっげーうれしい。また、途中で湯浅監督をぼろくそに言っているが、それは脚本家の存在を知らなかったためです。申し訳ありません。
長すぎるので2つに分けます。
無限に文句言ってしまうので改めて感想をまとめたいと思いました。本当に無限に文句言えるんですけど、それすら監督の予定調和の中な気がしてそれにもキーッ!むかつきますわぁ!!の悪役令嬢になって地団太を踏んでしまうことになるのですごいアニメだった。1話から振り返りをします。
序盤は普通に日本沈没2020の始まりだ・・・!て感じで、すごい描写が良かった。リアル感のある揺れ方とかでここで一度トラウマがよみがえって気分が悪くなった方もいるんじゃないかと思う。陸上の練習中に地震で被災し、足にけがをしてパニックになって周りの友達を助けずに逃げてしまった主人公、歩の心情も、無力感と罪悪感にまみれていてよかった。14歳だもの・・・。ただ、逃げているときに歩が父親が庭に飾ったイルミネーションのことを思い出していて、それで家族が集まる場所の証になったのが「神社に飾り付けられたイルミネーションだった」時には思わず2度見をしてしまった。電気の消えた町の中で燦然と輝くイルミネーション神社の絵はまるで悪夢のようだったし、何かの幻覚なんじゃないかと思った。
突拍子すぎてよくわからなかったし、貴重な電気をイルミネーションで全部使うなや!としか思えないのがすごい(このしばらくあとにイルミネーションは電気ぎれで切れる)。ただの地震やないぞ・・・!?普通にあちこちで人が死んでる災害やぞ・・・!?なんかもっとあったんじゃねぇのか!?しかも七色に輝くゲーミングイルミネーションでもうだめだった。ここで嫌な予感がした人は正しいと思うし、大部分の人間が「何故イルミネーションを?」と思ったのではないかなと思う。肯定的な意見があったら教えてほしい。あとどこから調達したのか普通に気になるな・・・。
まぁイルミネーションはさておきとして、神社にはイルミネーションを目印にして家族が集まっていた。水泳が得意らしいお母さんと、日本語と英語を織り交ぜて話すやけにむかつくクソガキのゲーマー弟と、建築の仕事をしているお父さんだ。あと近所の知り合いのお姉ちゃんと、引きこもりの陸上の先輩がいる。この引きこもりの先輩は、なんかイケメンの有名人らしくて同じく避難してきた近所のおばちゃん集団にヒソヒソと噂をされていた。
日本沈没2020ではそういう今話すことじゃねぇだろ?みたいな感じの描写が異常に多い。それも湯浅監督のツイート通り、表したかった「リアル」なんだと思うが、日本沈没2020なんてビッグタイトル以外のタイトルでやってほしいところだ。あと一応私自身も東北の震災は経験してるし周りがパニックになるところも見てたけど、流石にあの状況であそこにいるの引きこもりのあの子でしょ・・・?とかいう人間はいなかったなぁ・・・正直家族とか知り合いのことが気にかかりすぎてそれどころではないよ・・・好意的に見れば、先輩のことを説明する一番の近道とも言えなくもないのかもしれない。ただ、この先に先輩の引きこもり描写が何か意味があったのかというと、特にないのでやっぱり必要ないと思う。だからやはり、人間の悪意だけをあえて描いているのだと思う。そこは作品を通して徹底的に描かれているから、意図的だろう。
それから突然お母さんが家族写真を撮ろう!と言って・・・・まぁ、どうなるかわからないから写真に残しておきたい気持ちはわかるけど、震災時に写真を撮るような心理状態にはならないと思うので、ここも え?急に写真を!?となってしまった。この写真も後々最終話の伏線(?)だったことがわかる。あんまり伏線って言いたくないけど、まぁ写真を撮るのにも理由はあったという話。
そこから急に木の下に座り込んでいた引きこもりの先輩の腕に、雨かと思ったら血が降ってくる。あと死体?も降ってくる。空を見上げるとヘリコプターから人が落ちていて、イルミネーションされた木にも死体がクリスマスの飾りみたいな感じで乗ってた。
死体が降ってくるときに音がするわけでもなく、最初私は木に元から死体がひっかかっていたのかと思った。死体はイルミネーションで輝いている枝に乗っていたので、そう考えるとお父さんが死体を無視したことになってしまう。だからやっぱりヘリコプターから落ちてきたんだろう。でも重力の関係でそこにひっかかるまえに枝が折れるし、血もビチャビチャ降ってくるんじゃないか?なんかいつの間にか怪我をした人達も避難してきて、これにて第一話が終わる。
ここの空気が完全にゾンビ物だったので、このままゾンビ物が始まるのかと思った。いっそここで日本沈没2020ゾンビ大パニックとかに路線を変えてたら湯浅監督最高!て言えたのだが、残念ながら日本沈没2020は日本沈没2020のまま10話まで続いていく。1話目の感想終わり。
朝になり、なんかユーチューブとかネットで記事を探していた人達が騒ぎ出す。ユーチューバーのカイトという人がなぜか沖縄沈没の瞬間をドローンで撮っていて、こいつは一体・・・?となる 沖縄沈没の瞬間をドローンで撮れるユーチューバーは正直意味がわからない。なんでドローンで沖縄全体を観察してるんだよ。どういう規模のユーチューバーなんだ。国が雇ってんのか?
日本が第2のアトランティスになるとか陰謀論だとか、なんかツイッターのトレンドに上がってそうな感じの勢いで人々がありとあらゆるノイズをしゃべる。ネットにも記事がどんどん出ている。マスコミは情報を出さないというセリフすらある。携帯でテレビを見て情報を集める人がいない描写といい、ここは完全に日本マスコミへの風刺ですね。いたかもしれないけど見返す気はないです。
避難先になった神社はとても高い場所にある。というか神社って大抵そういう感じだよね。まわりに水が満ちてきたので、ここから脱出しようみたいな話になったんだが、避難先の神社にはコンビニの物資を大量に持ってきているコンビニの店長さんがいた。よって食料や水に困っているというわけではなかったし、普通ならここで安全な高台を捨てて歩くという発想にはならないと思うが、みんな神社を出た。歩は怪我をした足を保護することもなく、汚水まみれの水に浸かったので足が痛いみたいな描写がある。お察しの通り後で傷口から感染症になる。予定調和と言ってもいい。ここは別に違和感はない。まぁそりゃそうなるよねという感じだ。逆にならないほうが不思議なので、感染症になってくれてよかった。
神社にいた集団は、西に行くか東に行くかで途中で別れることになる。主人公たち(父母、弟、歩、近所のお姉さん、引きこもりの先輩)は西へ、他は東へ行くそうだ。ちなみに主人公たちが西へ行くのは弟が海外のゲーマー友人と連絡をとってどこに逃げたらいい?て聞いたことが理由なんだけど、別に根拠とかなくてゲーマーはただ「西に行け」と言ってるだけなのでマジか?て思った。予言か何かかよ。
別れる時に集合写真を撮る。ここは理解できるよ。ただ、2話で理解できた展開はここだけだった。
西へ向かって歩いてる最中に、謎のロードバイクに乗った男がなんか水を球体にしてそのまま飲めるやつを食べていたり、スケボーに乗った男が主人公たちを追い越すシーンがあるが、何を伝えたいのか全く分からないので、なにもわからなかった。歩かないで何かに乗れ!という意味だったのかもしれないですね。
道端に座り込んでいたおじいさんとおばあさんに、歩が家族にとって最後の水を「これが最後の水である」とわかっているのにどうぞと言う。おじいさんとおばあさんは普通にそのもらったペットボトルをもらったものだと思い、バッグへしまう。歩のえっ?という表情にこちらもえっ?となった。これどうぞ・・・て言われてそれが最後の水だと思うか?なんかこう、意図的に外してるのはわかるけど、外しすぎて意味わからんことになってるからマジで意味がわからん。
歩いた先にあるコンビニには何もなくて、歩がごめんねって言ってた。コンビニに何もないのがもうなんか災害起きてから1日後のそれじゃなくて、明らかに退廃後の日本・・・みたいな感じで時間間隔が何もわからなくなる。多分この世界の人々は自宅に備蓄とかしてない。
そこからなぜか山に登り、滝を見つけた。滝がある山で良かったですね。泳げないといってた弟をお母さんが滝つぼに突き落としたりしてて私がドン引きしたりした。そのあとは民家に降りて鳥がやけにリアルに死体を食べているところを見たり、お父さんがコメディ調でイノシシを仕留めたりした。野生動物を舐めるな。
イノシシを捌いて焼いてるときに歩が突然吐き出したので傷からの感染症がとうとう体に影響を?と思ったらなんか多分肉がダメな人っぽいだけだった。別にそれはいいんだけど人が飯を食ってるときに吐くのは人間として最悪だと思う。肉をみて気持ち悪くなるんなら猪をさばいてるときに吐きなよ。なんで焼いてるときに吐くんだ。
肉が食べられない?のでおなかがすいたよ~になってる歩のために、お父さんが山芋を取るな!の看板を見つけて山芋をさがしてそこらへんにあったスコップで山芋を掘る。長すぎて木の根っこ掘ってんじゃねぇのて思った。お父さんが掘り進めている間に、歩が蔦に覆われた「不発弾注意!」の看板を見つける。
というか不発弾注意!の看板がそこら辺にあるし、なんで山芋看板は蔦でおおわれてないのに不発弾注意の看板は繁殖した蔦でむちゃくちゃにおおわれてんだよ。どうやらここらへんの住民は不発弾で死なれるより山芋を取られる方が嫌だったっぽい。それか山芋と不発弾がセットになっていたので、この近くの山芋は不発弾の上に芽生えるのかもしれない。つまり山芋を掘ろうとしなければ、不発弾に出会うこともないので、結果として山芋を掘るな!という看板だけ綺麗にするのだ。ここまで考えて悲しくなった。
お父さんが不発弾で爆散四散する前の前振りがこれなんだけど、本当に意味がわからないから、これから日本沈没2020を見る人はここで止めといてもいいと思います。この適当なシナリオに対して、土くれと一緒にバラバラになったお父さんが降る光景とか、お父さんのちぎれた手とか、そういう描写に力入ってんのが本当に笑うしむちゃくちゃ笑った。全編通して死体描写だけは上手いんだよな。しかも2話はそこで終わる。え?ここで終わるんですか?お父さんと土と血の雨の中で!?てのにもびっくりした。
ちなみにここで山芋に対して、「お父さんがつくったこれ大好き!」て思い出すセリフがあるんだけど、山芋で何を作ったのかは最後まで明かされなかったです。2話の感想終わり。
3話 マイオリタキボウ
前回でお父さんが爆発したけど、特になにも思ってなさそうな顔で歩き続ける一行。その中でも歩だけはむっつりとした顔をしていて、お父さんが爆発したのを気にしていることがわかる。ここの部分は歩以外のみんなは、とりあえず生きる事を目標にしているのだということは伝わってくる。悲しむことはいくらでもできるし、今はまず命をつなぐことが大切だからだ。でもこの作品はあくまで「日本沈没」なのであって、他の国も全部滅びたわけではないので、主人公たちがここまでサバイバルする意味はさほど感じられないのがネックになっている。普通だったら神社で自衛隊や救援を待つんじゃ・・・。
ただその場合はこの物語は始まらないんだけど、でも何もこんな物語にしなくても良くない?
歩は無限に父親のことを考えていて、歩いている途中で癇癪を起して道端に座り込んでしまう。その癇癪の起こし方があまりにも幼稚で、お父さんがプレゼントしてくれた靴を脱いで投げ捨てたり(死んだお父さんのプレゼントなのに大切にしないんだ!?)何日も風呂に入ってないからお母さんが臭いとか、お母さんの顔が汚いとかちょっとわけのわからない暴言を吐く。お母さんのことが嫌いなのか?あまりにも酷いのでここはちょっとびっくりした。湯浅監督は歩に何をさせたかったんだろう。ここの考察を求む。ちなみに10話まで見たけど、特にお母さんが歩のことを邪険にしたとか、お母さんの子供じゃないとか、そういうのは一切なかったんだよな・・・。反抗期?お母さんかわいそうだ・・・。
都合よく通りかかった明らかにこの終末を楽しんでる感じの男の車に乗せてもらい、どこかへ移動。この移動もどこなのかよくわからないがどこかへ向かっている。ガソリンスタンドでガソリンを入れようとしたけど、機械が動いてないので入れられず暇になった男がタバコを吸いながら近所のお姉さんの肉付きのいいお尻を見て襲おうとする。ここまでは終末のテンプレ。
近所のお姉さんはそれまで何も描写がなかったのに、いきなりつよつよカラテの有段者になり、男を撃退する。とはいえあんまり効いておらず、男がスタンガンを取り出してきて一瞬危ないことになるが、お母さんが棒で殴って助かる。ただ、男がむちゃくちゃタフすぎてお母さんも反撃を受けてやばいことになり、最終的にスタンガンを奪って結構長い電撃のカットのあとにようやく男を倒す。倒れた男の眼鏡をお姉さんが奪って引きこもりの先輩の割れた眼鏡と交換してあげるのが美談風に描かれているが、なにも美談ではないし俺が先輩だったらそんな眼鏡はかけたくないかな。
この描写ここまでいるか?お母さんがお腹のみぞおち当たりを殴られててすごいかわいそうだった。暴力描写にもめちゃくちゃ力が入っていた。力を入れるところを間違っていると思う。ストーリーとして必要なところに力を入れず、死体描写や暴力描写だけにやけに湯浅監督ならではの表現力とテンポを入れるので、結果として「日本沈没2020」から受ける印象が醜悪になる。狙っているのだろうけど最悪の一言に尽きる。
日本沈没2020は徹底的に「主人公たちがどこにいるか」を描写しないんだけど、そのせいでマジでどこにいて何をしているのかわからない。車のガソリンが切れたので、いかにも両脇に危険な感じがある謎の道をひたすらに歩く。近くに富士山が見えるので、多分山梨とか・・・静岡とかそこら辺なんだと思う・・・。あやふやすぎる・・・。
引きこもりの先輩を気遣った近所のお姉さんを見て、自分も気にかけてもらうために歩がわざと座り込む。近所のお姉さんは優しいので構ってあげる。どうしたの?と言われたのでおしっこ行きたい・・・という歩。さっき意地をはって喧嘩した手前、母親にトイレ行きたいからちょっと待っててと言えなかったんだね・・・。思春期?反抗期?だね・・・。
近所のお姉さんと連れションしにいったが(お姉さんは明らかにトイレに行きたい感じじゃなかった)、一歩の差でお姉さんが溜まってた毒ガスで死に、歩は生き残った。本当に一瞬で死ぬので、とても展開がスピーディー。空から謎の白髪のイケメンが謎の機械を使って下りてきて、そこは毒ガスがあるから立ち寄るな!と言ってくる。前触れもなく急に現れたので本当にびっくりした。
有名ユーチューバーのカイト(KITE)じゃん!と弟君が喜び、カイトが自分のことを知っていた弟君におかしをあげようとしたら歩がいきなりキレ始める。そのキレ方がまた異常で、あげようとしたお菓子を人から盗んだものだと決めつけて、取り上げようとする。そのお菓子は外国のお菓子で、カイトも外国の人なので盗んだものじゃないでしょと弟から言われる。ここ本当に思考が飛躍しすぎててわからない・
こういうのは美談みたいに語られますが、実際はこんなことを言う親は99%クズです。例外は、子供が一生無職でも不自由しない金がある場合です。
これを言う親の魂胆はただ一つ。自分の承認欲求を満たすこと。これだけです。
所詮他人事だから、こういうことが言えるわけです。そりゃ、自分の子供が世間に自慢できるようなことをすれば、鼻が高いですからね。その上自分はノーリスク。割の良い投資ってわけです。
こういう親は子供でギャンブルをしています。本当に愚かしいです。何が一番呆れるかって、いい歳こいてたとえば「息子が学者先生になればご近所に自慢できる」とかそういう次元でしか物を考えられない浅はかさです。
そして、別にタイトルなような事例に限らず、多くの親は子供にやりたくもない習い事をさせたり、塾に通わせたりします。それは、表向きは子供のためと言われますが、単純に自分の満足感のためです。
そういう親は、子供を自分の「作品」だとしか思っていません。子供にピアノを習わせたり、塾に通わせたりするのは、「作品づくり」を楽しんでいるに過ぎません。
なぜ、子供を「作品」にしたがるのかと言えば、自分の人生が充実していないからにほかなりません。自分に、何かを成し遂げたとか何かに真剣に取り組んだという経験がないから、その反動で子供のスペックを高めようとするのです。そういう親に育てられた子供は不幸です。
昨年にあった話。
学生の頃から10年以上の付き合いのある同じく魔術師で冒険者の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。
●私の冒険
ずっと冒険者だったが数年前に過去最高にどっぷりハマる魔術体系に出会った。北方系の呪術がベースで活動死体(アニメート・デッド)や次元干渉など様々な展開のある体系で、そのどれにもお金を使いまくった。魔導具への課金、禁書閲覧、スペルブックを買い漁る、異次元に何回も遠征する、五次元文明の遺物も買い漁る、五次元人自体にもハマる、闇市場で様々な流出商品を買う等した。
生命創造も大好きで死体の大量買い、屍術触媒の大量買い、闇競売参加もしていた。改造屍人作家、忌術装具作家、デス・ルーラーともツイッターで仲良くなり、勉強会をしたりそれはそれは魔術師として充実して楽しく過ごしていた。
その頃から友人達は戦争や仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主に装備や身体装具に関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。
●最初の気付き~装備~
一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか強そうというか戦士っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。
みんな容姿はごくごく普通という感じで特別筋肉質とか巨体てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても強くなっていた。
その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないからである。
Bちゃんは龍革のコート、アダマンタイトのカットラスにミモレ丈の大楯(エスクード)、黒曜石ナイフにブードゥードール、マジックバッグ。派手すぎないばっちり魔刺青、薄いピンクのデス・ネイル、小ぶりでシンプルなマナネックレスと照準腕輪。
Cちゃんは魔銀糸のジャケット、白魔道士風のシャツにバスタードソード、ヒールナイヴス、肩かけバッグ。濃いめかっこいい術装、がっつり濃いマナポーション、大振りだけどデザインはシンプルな赤魔石のネックレスとホーリーバングル。
Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつも強そうだった。プレートアーマー、名刀膝丸、黒マントにショートソード、大きめな高密度なマジックバッグ。ナチュラル・マギ、王立魔術院トップのみが身に付けられる絢爛爪具、神金の結婚指輪と小ぶりでシンプルな風妖精のイヤリング。
そして私Aはこうだ。
鉄絹のローブ、麻のシャツに着古した麻ズボン、履きつぶした鉄のグリーヴ、樫のワンド。
薄すぎマナポーション(下地とフェアリーパウダーのみ)、ボロボロの剣、、推し魔徒イメージのアクセサリー(翠石のイヤリング、赤鉄ネックレス、古王国式照準腕輪、リングフル装備・五次元グッズ含む)
三人の友人と比べるととんでもなく弱そうでやばい32歳だ。なのにずっと自分は魔術師なのに装備に気を遣うし近接戦闘もする強者だと思っていた。(やばすぎ)
服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しかも推し魔術師二人分のイメージ装具だから色もデザインもバラバラで悪い意味で派手。うるさい。非公認装具と人口魔石宝飾しかないから子供のおもちゃみたいに見える。(非公認装具は本当に術師のイメージを大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)
杖だって近所の森林や洞窟を制圧するくらいならいいと思うけど今日は予め強力な悪魔や龍とも戦うと分かっていたのにこれはいけないだろう。
マナポーションに関しては濃く調合すると魔穴の開きが分かるから最低限の薄さにするとか言ってほんとに薄くしか下地もフェアリーパウダーも入れてなくて魔力の流れも濁りも丸わかり。
剣は魔力でしっかり補えるから研ぐ必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な魔刃じゃなかった。魔力薄い子はしっかり頑丈で鋭い剣持ってるし、私と同じく魔力量がしっかりある子でも、魔刃を整えて長さを調整して、足りないとこは物質化も併用して、私みたいなギザギザ刃じゃなかった。
防具は元の素材が頑丈だからマジックシールドで補うだけでいいと思ってたけどそんな頑丈な素材でもなかった。ほつれてきてる。
どんどんあれ?私超弱い?新米っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいから弱そうとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。
●第2の気付き~お金の使い方~
全員揃ったのでまず酒場で昼食を食べた。
その時にみんなの今好きな魔術体系や冒険活劇の話をした。上記で書いたような魔術研究の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。
同じくスペルブックや魔導具に課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。従軍してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。
Cちゃんも「分かる~何か前は出される禁書は全部買わなきゃ、大陸遠征は全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
Dちゃんは「私も今は国家優先だから気になるダンジョンを潜るくらいかな~」と言った。
BちゃんCちゃんは未だにスペルブックに課金もするけど王立魔導院のやつだけだし、売りに出た遺物を手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、魔導具はよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、大陸遠征は無理しない程度で行けなかったら叙事詩を買うとか、とても落ち着いた冒険活動だった。
それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう北方禁呪に夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwww時空魔法あるから未来の自分に頑張ってもらってる!w因果律の収束日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。
だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)
でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私は魔術研究にお金使うから防具も武器も遠征や決闘の時くらいしか買わないしどれも人口魔石具ばかり、みんなは防具や武器にもお金かけてそうで魔術にお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)
みんなにそれとなく今日の武器と防具いいねって言ったら使ってる武器や着てる防具の話になった。みんな別に全身王立工房製とか全身高額品てわけではなくて、量産品と高額品をバランスよく使っていた。市販の服でもきちんと手入れしてきちんと祝福かければよく見えるし、武器も刀身や基礎付加は王立工房で柄や鞘は市政の鍛冶屋とか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。
Cちゃんは一時期魔穴の開きと濁りに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターや念話魔術では話してた)Cちゃんはとある占星術師の庵で魔穴を見てもらい、いい鍛錬方法に出会えたのだと言った。
ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)と独学魔術を投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズった民間療法のものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔で投稿していたのだ。その民間のものだって悪い方法じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう魔力の質かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んな民間のものを試してどれも効果は出なかった。
Cちゃんは20代の頃はとある東方の修行法が肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に魔力を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は魔穴開かない開かないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。
Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいからオールインワンになっちゃってると言いながらも国家制圧とまでとはいかないがそれなりの修羅場を潜っていたし綺麗な魔力をしていた。
この話題がだんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、酒場を出て買い物に向かった。裏市場で私は大量に死体を買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。
その後みんなは剣や雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。裏市場で使ってしまっていた。
最後に迷宮に行くことは決まっていたので、そこで使う入場税くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。次元金庫で下ろすのもなんだか恥ずかしかった。
●第3の気付き~落ち着きのなさ~
そして最後に予定していた迷宮に来た。私はレッドドラゴンくらいしか倒せないけどみんなは龍神くらい倒すだろうか、みんな龍神に挑むのに一人だけ挑まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなサイクロプスでホッとした。
今度は装備や金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しの魔術を語ることを自ら提案した。
私「推しがね~もう最高で!殺傷力高いし悪意すごいし!もう推しのことしか考えられないw夢魔も腐人も好きだからもう大変w推しは一般公開水準だと可愛いもので微笑ましいんだけど、禁術指定されてるのはえげつなくて邪悪で~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!降霊術の術式の色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)
Bちゃん「推しは一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない体系なんだ。その優しさが好きなの」
Cちゃん「推しは自然魔術なんだけど自分のこと論理的だと思っててそこが可愛いんだよね」
Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近滅ぼした国のあの地有結界がかっこいいなって気になってるかな」
お分かり頂けただろうか。
私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。
みんなも学院時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。
ツイッターや戦略掲示板でもみんな「!」とか「w」とか絵文字や活動絵画が減っていっていたけどそれはあくまで文字上でのことだったので全く気にしてなかった。
ツイッターで仲良くなった魔術師の方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。
ツイッターで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。
若い子とキャッキャキャッキャハイテンションで推しの邪悪さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことに屍陰茎術!屍陰茎術!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。
実際会って殺した魔術師には「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!貴様よりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボインな大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」と即死術式を送っていた。
あの雑魚は本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎるマナと手入れされてない髪や爪、チープな装備や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の死霊魔術師ぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。
フォロワーと空中で戦闘してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若い頃ツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクシアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
考えなしに推しにお金を使いまくることも、装備のことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。
どうにかしたいと思ったのに私はまた推し魔術にジャブジャブお金を使い、着古した装備ばかりを着けて、フォロワーとハイテンションで戦っている。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。
今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
小麦粉(薄力粉) → 安い。他で使う予定がなければ100均でもいい
パン粉 → 同上
卵 → 10個200円くらい。とんかつ一枚につき一個しか使わないけど卵料理は簡単なのが多い
塩、胡椒 → 安い。
油 → キャノーラ油は安い
菜箸 → 100均で買える
トング → 揚げカスを取る網とセットになったやつが100均で買える
トレー → 100均で買える。小麦粉用とパン粉用があればいい
トレーの網 → 100均で買える
肉叩くやつ → 100均で買える
包丁 → 切れ目を入れるのに使う。ハサミでもいいかな?100均のは良い印象がない
ただし、以上だけだと野菜350g満たせるとかそういう次元ではありませんわ!
食べすぎたら運動するとか必要だけど、メンドクセーなら放置ですわ!
なぜなら油でしくじった話だとか、生徒から先生になった話だのというストーリー性が求められるからですの。
それと油は基本流し捨てると詰まる原因になるので注意してくださいまし。
いや、やってみたいんだよ
死ぬまでにせめて15センチ角くらいのキャンバスでいいから油絵で何か書いてみたいよ?温泉街の陶芸体験みたいにさ
全くやったこと無いし美術館で油絵をチラ見してなんかデコボコしてんなーってくらいの認識しかないけど色の話に戻るとさ、
小中学校の頃の図工の嫌な記憶しかないんだよね絵の具を混ぜてくとどんどん汚い色になって、
とりあえず塗るかーって画用紙にペタペタしても乾かないうちにやるから画用紙はふにゃふにゃになるしなんか茶色とか緑の腐ったみたいな色にしかならないし
影とか作るのに暗い色とか要るんだろうけど、絵の具ってどんなやったって私にはきれいな色あいが作れないっていう学習性無気力を義務教育で学んじゃってるんだよね
文化次元の低い教育資本しか出会うことがなかった不幸ともいえるんだけど、
ともかく絵の具と油絵の絵の具が一緒かどうか知らないけどとにかく色が汚くなるから絵を書くのが嫌いなんだよ
あと手よごれそうじゃん?
普段、フェミニストが絵に文句言えば「絵じゃんw」「2次元と現実区別つかないの?」なんて言ってるくせに、いざ推し声優が結婚すれば「キャラが結婚したみたいでツライ」だの「既婚者使うな」だの文句。
当たり前だが人を雇うのにはその人の年収以上の経費がかかるからな。
今更おけパの話とかツイ読んで、私の経験を書きたくなった。オタク歴三年半のただの自分語りである。
ツイッターのアカウントで話すには気恥ずかしいのでこの匿名サービスを初めて利用してみることにする。
まず、恥ずかしながら私は高2の1■歳である。なので、まだわからないことしかない。自分の無力さに気が付いたばかりの思春期だ。これを読んでいる大人の方は「こういう時期もあったなあ」と恥ずかしくなってくれているんじゃないかと思いあがっている。
私はツイッターを始めてから三年の間、誰かに話しかけたことがない。趣味垢を作ってから三年ほどフォロワーがbotしかいない鍵垢で神と崇めてた絵師様の絵を見てふぁぼりつを飛ばしていただけの存在だった。
そしてそのころはフォロワーが一万人以上いる神絵師/神字書きのツイートにリプライをタメ口で送りタメ口で返され、通話の約束を取り付けているフォロワー数百人くらいのアカウントが不思議で仕方がなかった。そもそも自分が話しかけないのが悪いので嫉妬などはそこまでなかったのだが、なんの作品もアップしていない一般人がなぜ「神」と楽し気におしゃべりしているんだろう?と今思えば双方に失礼でしかない思考をしていた。
あるとき、私はとある絵師様を見つけた。知らないジャンルの知らないキャラクターのイラストを描いていた。
絵柄がとても好みだった。シチュエーションも、その人の妄想ツイートも、全て好みだった。しかしそのジャンルに興味を持つこともなくただ時折見かけるツイートにいいねするだけで、だんだん忘れていった。
そして二年ほどたった最近、とある人気ゲームに手を出した。飽きたらアンインストールするつもりでだらだらとプレイしていた。
その時ふと、かつて読んだ物凄く好みの漫画に出てきたキャラクターがこのゲームのキャラであることに気が付いた。その人のIDもアカウント名もフォローしていたことさえも忘れ去っていた私は、死に物狂いで探した。もともと好きだった作品の、そのキャラクターをやっと知って同じ土俵に立てたと嬉しくなったからだった。
やっと見つけて作品を読み直したときの衝撃は計り知れない。まるで世界が一気に広がって、そのゲームの世界観にむりやり取り込まれたかのように錯覚した。到底敵わないと思うよりも前に作品に感動して、没入した。そして、これが問題だった。
察する人は察してしまうと思うが、このゲームは元々設定がほとんどない。アニメ等も公開されているがその解釈は全てプレイヤー本人にゆだねられている。その解釈が固まる前に私は神の解釈を読み、凄まじい感動を覚えてしまったのだ。
それからしばらく、神が書いた数年分のツイートをむさぼるように読んでいた。私が神を忘れ去っていた二年の間にすでに神はジャンルを移動しており過去ツイを漁るのは少し大変だった。ただアカウントをそのまま使っていらっしゃったのは幸運以外の何物でもなかった。
○○のジャンルのツイートを拝見して、と長文の感想を送った。返事が来たのが嬉しくてさらに送った。その返事にそのゲームのキャラクターのイラストが添えられていた時は飛び上がって喜んでいた。それからおけパ中島のように神に気安く話しかける知らないアカウントに嫉妬して通報とブロックしたりしていた。ドロドロ期だ。
ほとんどすべてのツイートを読み終わってしばらくして、だんだん飢餓感を覚えるようになっていた。すでにジャンルを移動していった神からは供給がなかったからだ。だから、自分で創作を書き始めるようになった。公開する気もなく、ただ自分だけが楽しむために。勉強時間と学生という身分の自由さをフル活用して書いた。今までも、オリジナルの一次創作や夢小説を書いていたから書くことは苦痛でなかった。
書いて、書いて、書いて、神のツイートを読み返さなくなって、最近の日常ツイートをRTしなくなって、ある時、自分の作品を通して神を見ていたはずが、自分で自分の作品が好きになっていることに気が付いた。当たり前だ、神の解釈をベースにしたとはいえ書いているのは自分なのだから。自分と解釈一致するのは自明の理だ。
そうしたら、急に自己顕示欲が出てきた。自分の書いた作品を読んでもらいたい。神になれなくても、神の目に留まらなくとも、私も神のように誰かの好みになれればいいなと。pixivにアップするのは少しハードルが高い気がしたのでまずはツイッターのアカウントを作ることにした。初めての公開アカウントだ。ようやく、ほかの人と交流を始めた。
同じくらいの年代らしい同じジャンルのアカウントを覗いて下調べして、繋がりたいタグを使って。初めて、私はツイッターで自分の存在を主張した。フォロワーが百人できた。なんでもない日常のツイートをするようになった。いいねが付いた。ただ嬉しかった。
さて、当初の目的では誰かに作品を読んでもらいたくてアカウントを作ったはずだった。でも初めて誰かがインターネット上で自分を認識してくれた喜びに酔っていて、作品のアップロードのことなど普通に忘れていた。それと私のFF層の雰囲気もあって、今更アップロードすることに恥ずかしさを覚えていた。
だから、学校を休んだ日に「すぐ消すよ」と注意書きをつけて学生のフォロワーたちがほとんど授業中の時間帯に小説を画像化してアップしてみた。数分していいねがついた。二時間ほどで四ついいねがついた。結構好み、と仲のいいフォロワーからリプも一つだけ来た。ツイートを消すかどうか迷った。その時なぜかすとんと腑に落ちた。
そうか、神は私と同じなのか。神はただ自分の書いたものをツイッターにアップしてくれてるだけの、次元が違う誰かでもない、同じこのゲームのこのカプのファンなんだ。私と同じように自分の解釈で話を書いて、たまたまそれが私に刺さって、私が勝手に見上げていただけで、同じ立場にずっといたのか。
その人には友達もいるし私の知らない交友関係もアカウントを始めた初期に仲良くなった誰かもいて、ただツイッターを楽しんでるだけで私に崇められる謂れもない、普通に絵と文章がめちゃくちゃ上手いだけの人なんだ。
気が付いてから、今度は神ではなく、文字書きの先輩としてジャンルの先輩として私をこのゲームにハマらせてくれたきっかけとして感想を送った。絵が好きです解釈が好きですこのゲームを好きにさせてくれてありがとうございますこれからも応援してます、そんなありきたりな感想だったけど、自分の中で一つの決着がついた気がした。その感想をきっかけにweb再録と未アップのイラストも公開してくれたのは本当に嬉しくて、あの人も嬉しかったんだなと思えて、これからも神ではなく推し絵師として一生推していくことに決めたのである(これは若さゆえの誇張表現)。
結局なにが言いたいのかはぐちゃぐちゃで、ただ自分の体験を整理したかっただけな感じだが、規模が違っても、見よう見まねでも、同じ立場に立ってみれば見えるものもあるんだなーとあなたに伝えられたなら嬉しい。それから、そのことをもう知っている大人のみなさんには、ネットの使い方をよくわかっていなかった子供が三年かけてやっと少しだけわきまえてきたことを喜んでもらいたい。
そして、期待の超新星字書きが活動を始めたことも祝ってください。
色々な失敗とかやらかしから私が学んだことは、神になろうとしてない実在人物を神とするのは本当にただの迷惑行為だろうし、かってに「信者」側がその人とその周りをコントロールしようとするのなんて論外だということだ。普通に考えて当たり前のことを、私は見失っていたらしい。
自分の才能に絶対の自信がある思春期にこの経験が出来て、そして誰かを傷つけてしまう前にそれに気づけて、またツイッターのたくさんの方達に気づかせてもらえてとてもよかったと思っている。
これからも、いくら崇めても問題ない創作キャラに傾倒して楽しく創作ライフを送っていければいいな、そして私の作品が誰かに刺さりますように、という願掛けもこめて。