はてなキーワード: 次元とは
べつに努力なんかしなくていいんだが
この2つとはまったく異なる次元の話だ
楽しいわけでも目的があるわけでもないのにイヤイヤやるのはやめよう
そういう方々は謎ルール作って他者に強いがちだしネットを闇に染めがち
誰も強制はしていない
営業職というぜったいやりたくないと思っていた職に就いての感想は「まじでしんどい」ということである。
転職活動をしていざ入社したら営業しかも新規開拓というとんでもな部署に配属されてしまった。
本当につらい。電話かけて断られて。アポ取ってうまく話せず。何が楽しいんだこの職業。
営業としてやるべきことを考えることはした。報告書作成。営業先のマップ作成。再アプローチ。情収集。自分が考えうる営業としての業務をこなしてきた。ただやっぱり数字に対してかなり苦手意識がある。粗利?純利?原価?はて。そういったのはわかる人がやってくれ。数字転がしは苦手意識があって覚える気になれない。
あ~~~~~~~~~しんど。
つらくても一年やれとか時間の無駄としか感じない。やりたくないことだしそもそも望んでいない。望んで飛び込んだ職種なら一生懸命やろうとかこれでスキルを身に着けていこうとか考えるのだろうけどおあいにく様一度も望んでなどいない。
新卒で向いてる向いてないの話がでるのはまぁわかる。いやそれでもだいぶわからんけど。
社会人歴14年のアラサーですよ???そんな次元もう超えてません????向いてるって今更気づくか?14年技術職やってきて(ごめん、うそ、ちょっとブランクある)
私は思わん。会社ばかなの?ちょっとパソコンスキル()があるからって普通営業に入れる?しかも営業部発足1年。
先輩は私が入社する1か月前に1人入社。言ってしまえば私も先輩もぺーぺーだ。(先輩も営業経験はあるらしいが仕事ぶりからしてベテランというほどではない)
今辞めてないのはこの実績もない新人みたいな仕事しかできなくても中途採用程度には給料が保証されている。
コロナで仕事も受注できていないが給料は毎月振り込まれている。コロナで職を失ったり賃金が下げられたりしている人からすれば恵まれていること恵まれていること。
加えてほぼ残業無し。というか仕事がなくて一日アポ1件電話しただけで終わる日もある。
仕事が終わらなくてサビ残しているような人からずれば天国のような環境だろう。それでも私はこの仕事が死ぬほどしんどい。
因みに今これを書いている隣で先輩は居眠りをしている。私はWordでひたすら自分の思いのたけを打ち込んでいる。これで給料もらえるのだから楽といわれても仕方ない。甘えだといわれるのも想像がつく。
それでも辞めたいし私はこの仕事をもう二度とやりたくない。
彼氏は「夢絵」をたぶん知らない。
二次元キャラやアイドルなどと「自分」(見た人がそれぞれ自分になぞらえて妄想するためのモブキャラ)の交流やいちゃいちゃを描くものだ。「自分」は原作には登場しないオリジナルキャラクターで、極端に特徴が薄かったり、果ては目や口が省略されたのっぺらぼうだったりする。
私は、普段は夢絵や夢小説を好む「夢女子」ではない。ここから夢女子文化について大変失礼なことを書くので、気を悪くなさったら申し訳ない。
私が夢絵を見るとき、原作に出てこない顔のない「自分」をねじ込んだ作品に、正直異物感を覚えることがあった。キラキラに書き込まれた推しと、粗雑な「自分」の対比に、ある種の卑屈さを感じたのだ。
推しと付き合いたいと思うなら、いっそ清々しく「ぼくがかんがえたさいきょうのガンダム」を描いてほしいと私は思った。推しに釣り合うような美人とか、平凡だけどほっこりと可愛らしい彼女。推しがそのキャラクターを愛するまでのストーリーを図解されて、私は納得したかった。
ところで彼氏はいわば公式で私の彼氏だ。同じ世界線で生き、2年前から公式でつきあっている。
今年の1月から遠距離恋愛になったが、間の悪いことに、ちょうどコロナウイルスの流行が始まってしまった。月に一度会う予定が、今に至るまで3回しか会っていない。当然、今まで行っていたいちゃいちゃ活動も滞っている。
私は決して最初から夢絵を描こうとしたわけではない。ふと彼氏の似顔絵を描いてみたくなった。面白く書けたら彼氏に見せようと思い、好奇心で実行に移した。
彼氏の顔、見上げた時の顔、無精髭の顎のライン、ふざけてしゃくれる顔を描いた。気づいたら、膝を曲げて、上から覗き込むようにキスしてくれる彼氏の絵を描いていた。ここ2年、親の顔より見た顔だ。我ながらうまく特徴を捉えた夢絵が描けていた。
ペンが止まらない。なにしろ彼氏の顔を描くのが楽しい。個性的な顔立ちで、表情が豊かなかわいい人だ。目元の表現をあれこれ工夫していると、だんだん彼氏が目の前にいるような気持ちになり、ぽーっとしてくる。
彼氏の匂いとか、硬くて寝心地が悪い胸板が恋しい。彼氏の微妙に楽しくなっちゃってるちんちんの上に座りたい。(膝の上よりもちんちんの上の方が興奮するのだ)
前述の通り、私と彼氏は同じ世界の登場人物であり、公式でつきあっている。だから作中の人物同士の二次創作と言ってもいいのだが、夢絵と表現したのは、自分の顔を描かなかったからだ。彼氏の顔は覚えている限り詳細に描くが、例え自分の似顔絵であっても、彼氏の膝の上で抱きしめられている人の顔を描きたくない。激しい嫉妬である。
ベッドに腰掛けた彼氏のちんちんの上に座り、まっすぐな肩に顔を埋める絵を描き、私はついに夢絵を体得した。
夢絵は作品ではなく行為だ。描くこと自体が彼氏との交流であり、いちゃいちゃだった。完成も公開もしなくていい。二次創作を描くときに頭をよぎるいいねの数、気にもならない。これは召喚だ。私が夢絵を描くとき、彼氏は次元の向こうではなく、ライン電話越しでもなく、たしかにここに来る。夢絵に顔は要らない。そもそも私の顔はこんな位置にないからだ。私はここにいて、これを描いている間ずっと、彼氏に抱きしめられているのは私だ。
私の彼氏は聞き上手なので、私は日々の発見を彼氏に伝える。彼氏は私の話を興味深く聞き、きっと素敵な茶々を入れてくれるだろう。
表題のとおり。
まあコンシューマーゲームの意識がまだ抜けてないんだろうけど、俺はちょっと気持ち悪いんだなあ。これ。
お前(当該キャラ)いまストーリー上めっちゃ敵対してるやん、とか。
お前まだ出てきてないやん、っていう。
PTから外すなり、じゃあ自分で勝手に縛れや、って言われると、「いやあ、でも強いしかっけぇし使いたいじゃん」とかモゴモゴ言うだけなんだけど。
極端な場合だと、ストーリー上の敵キャラとガチャで引いた同じキャラが戦闘してたりして、どういう状態?になる。
こんなん昔のゲームだったら起きなかった事態じゃない。知らんけど。
ストーリーの進行に合わせて解禁していく、もしくはいま戦ってるキャラクターは別の次元の存在云々、的なトンチを利かせる。
プレイヤーが自分でこれはもうそういうもんなんだって脳に迷彩かけない限り、なんかそういう工夫が必要になるんだと思うんだけど、公式にうまいこと処理してるゲームとかあんのかな、と思った。
…
追記。
やっぱ代表的、かつキレイに処理してるのはFGOなのかな?(疑問形なのは俺がFateの世界観をよく知らないから)。
オルタ? っていう同一人物の別属性だったり、別の時間軸から同じ人物を引っ張ったりしてこれるってのは、確かに帳尻合わせやすいよね。
というか、こういう世界観でもないと、基本ツジツマは合わなくなるんだろう。ソシャゲってそういう重箱の隅をつついていくようなもんか? ってのは別として。
たぶん大抵は、どんなめちゃくちゃな編成でクリアしようと、ストーリー上は既出の味方キャラクターが活躍しました、って展開で話が進んでくよね。このとき戦闘で運用された各キャラクターは、キャラクターっていうよりエネルギー?みたいな感じにとらえたらいいだろうか…とか、そんなことを考えてしまうので、俺は古風なんだろうかな。
某ブコメで気になってググって見てみた
1時間20分は長かったなあ
ルイスキャミーが終始すごく気を使ってて、
小説版の小梅けいとは木尾士目が好きだから決まったとかそれくらいかなあ・・・
あとスターウォーズの大作同人誌出したってのは読みたいって思った
このご時世だから多分オンライン対談だったんだろうけどそれもつまらなさにつながってたきがする
やっぱ対面で相手を見ながら、資料をみながらあーだこーだ語るからこそ生まれる間とか空気感があると思ったわ
対談ってね
顔見えないからすごく手探りで言葉のキャッチボールしてる感じがしてて聞いてるのがすごくしんどかった
ただでさえ聞くときに次元の壁がひとつあるのに、話してる側の時点で次元の壁があると、2つの違和感を飲み込んで聞かないといけないからすんごくしんどいんだということがわかった
ファンでもなんでもない奴らがアイドルも人間なんだとか結婚祝福しろとかうるさすぎる。あいつら何もわかってない。あいつらのタイムラインってオタクのお気持ち表示されない仕様なのかな。それともオタクは全員リアコだと思ってんのかな。
リアコでも何でもないオタクのお気持ちだけど結婚なりスキャンダルなり出たら即降りるわ。てかアイドル名乗るのやめてほしい。スキャンダル一切出さずに芸能界引退したりアイドルやり遂げた人だっているじゃん。プロ意識が違うんだろうな。かといって女優俳優名乗って一丁前ですみたいな顔してんのも勘弁して欲しいけど。結婚したらアイドルじゃなくてただの既婚パフォーマーじゃん。そう名乗ってください。いつまでもアイドルって名前にしがみついて偶像ぶるのをやめてくれ。あなたは元アイドル、こっちも元ファンもしくは元オタクだよ。アイドルとしてキラキラ輝いてる偶像だから無我夢中でオタクしてほぼ全肯定してるけど、いざ推しがキラキラフィルターの無い人間になっても歌・ダンス・トーク全てのスキルにおいて芸能界で唯一無二の魅力を発揮できる人材なのかって言われると自信ないし、そんな人ほとんどいないじゃん。結婚とかスキャンダルってそういうもんだよ。夢とか偶像とかいう高次元にあるようなものを一気に現実のものにすんの。フィルター全部剥がして目を覚まさせる力があるんだわ。少なくとも自分にとっては。
ファンでもなんでもないやつが人権が〜とか言うな。スキャンダルに付随する誹謗中傷を批判するのはわかるけど、「偶像」を仕事にして飯食ってんだからバレないようにやってくれって思ってんの。既婚者アイドルとかいう矛盾した言葉この世から消え去ればいいのに。こんなことつらつら書いててもどうしようもないんだろうな。
Twitterで話題になっていた「同人女」に関するマンガを読んだ。面白かった。
大分流行に遅れてしまったけれど、このマンガにまつわるエピソードを語りたい。
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176?s=20
まず、「面白かった」、というのは「ギャグマンガとして面白かった」という意味だ。
ラストもその執念がちょっと空振りする感じ(うまくいえないけれど)がギャグ的に楽しかった。
Twitterで流れてきてサクッと読め、クスリと笑えるマンガとしては最高のバランスだ。
わたしは、これを「ギャグマンガ」として読ませていただいた。作者さんのファンになった。
Twitterで巻き起こったこのマンガに対する「語り」は、別次元に発展し、
同人女たちが共振し、ときには己の古傷を語りだしたありさまは、魔法で裁判にかけられた人みたいだった。
特に、わたしがタイムラインで見た「おけけパワー中島」への「心乱され感」がすごかった。
といった嫉妬・憎悪方向への共感があったことに驚いてしまった。
特に、
といった、冷静と情熱のあいだ、みたいな言及が、私にとっては恐怖そのものだった。
おけけパワー中島は、悪くはないのに人の心を乱す……?
ヒトノキモチ、ワカラナイ……コワイ ……
同人に参加する多くの人はアマチュアで、「作品が好き」という気持ちが昂ぶった帰結として、
「大金を使って本を出す」という狂気の趣味だ。意味がわからない。
この愛に狂った感じが心地いい。
結婚や出産・昇進、病気……理由は様々だが、自分では本は出さなくなった人もいる。
同人活動も生身の人間がやっているものなので、対人・金銭トラブル等の噂は耳にするものの、
基本的には「自分が作品に狂っている活動」を粛々と行っているように思えたので、
こうした「他人へのイラつき」みたいなものをカジュアルに表明されるのに驚いてしまったのだ。
私にとって「おけけパワー中島」は、初読のときには「神作家のフォロワーに一人はいる軽いノリの人あるある」程度だった。
私の経験でも、ものすごく上手な同人作家さんはなんとなく気軽に話しかけづらいものだが、
たいてい一人は非常に仲の良い人がいるので、楽しそうだな~と思いながら眺めているのが常だ。
もしリアルの友人が同じことしていたら
「ちょっとストーカーっぽい思考だから、しばらく同人から距離おいたら……?」と言う。
もしくは、
「そんなに仲良くなりたいんだったら、まずは挨拶とか萌え語りとかしてみないとスタートラインに建てないんじゃない? 」と言う。
七瀬さんは仲良くなりたいわけではなさそうなので、地雷を踏み抜きそうだなとも思う。
でも、千と千尋の神隠しで、「カオナシ」が千尋に金を差し出して気を引こうとしているのを眺めている気持ちになってしまう。
クソデカ感情の一方通行現象は、同人誌の中だけでお腹いっぱいだ。
「人に認められたい」「人に見られたい」というのは、ときには苦しいものなのではないかと思う。
承認欲求というのは自力では解決できない側面があり、努力で100%解決できるものではない。
"地獄になりやすい欲求ランキングトップ3(私調べ)"なので、
趣味である同人に持ち込むととてもじゃないがやってられないだろう。
そんなこじれた感情は、思春期で経験して割り切っていてほしいものである。
七瀬さんに対しては、「相互フォロワーになることと、pixivのブクマを超すことだったら、後者だけに絞れば?」とも言うかもしれない。
ブクマ数は努力という自分の責任になり、他人をコントロールしようという衝動から逃れるすべだとおもうからだ。
そんな価値観を持つ私は、
おけけパワー中島に心を乱される同人女の人とは、仲良くなれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
Twitterで仲良くしてもらっていた人も、実際に経験していたようだし、
その気持を表明できる程度には、よくある話なのかもしれない。
いや、もしかしたら心を乱されないほうの人が少数派なのだろうか?
おけけパワー中島みたいに、「悪くはないのに人の心を乱す」存在はいくつもバリエーションがあるのかもしれないし、
わたしも、人知れず、誰かを傷つけたり恨みを買ったりしているかもしれない。
コワイ。
「おけけパワー中島」は、同人女のロールシャッハテストみたいなものだった。
彼女を見て何を感じ、何を語るか。それはその人の価値観や経験が色濃く反映されているのだろう。
もちろん、物語への没入能力が高い人は経験ないことにおいても”共感”ができるので、
実際に経験をしたことがなくても「おけけパワー中島に心を乱されるのあるあるだよね~」となるのかもしれない。
「おけけパワー中島」によって、
【価値観が異なる世界をまた一つ知ってしまった】という単なるカルチャーショックである。
カルチャーショックの対処方法は「そんな世界もあるんだな」って割り切ることしかない。
反対してる人って、なんで安楽死を望む当人の声を無視して平気で意義を唱えられるわけ?
お前、元気じゃん。回復の見込みなく日々精神的にも肉体的にも衰え苦しんでる人の声をなんの権利があって、拒否してるわけ?
同じ立場になって言える?誰が言えるっていうんだ?
さらに、自分が老人になったとき、さらなる老人を介護するようになって、本人も介護する側ももがき苦しんでいて同じこと言える?
統計的にもほぼ100%、介護から開放されたとき、ほっとするらしいけど、悲しまれて死ぬことより喜ばれて死ぬことに何の尊厳がある?
そんな人生をどれだけの人が望むっていうんだ?
さらに、日本の老人の寝たきり年数は他国の倍以上。医療の進歩で日本は不健康寿命までも無理やり伸ばしてきた結果だ。
これをどうやって正当化できるわけ?寝たきりの人間だって辛いって発想はないわけ?そんな期間が倍増するんだぜ?過剰医療大国のせいでな。
介護年数が倍増になるってことは社会的負担も倍増するわけで、その結果健康保険料はあがりまくり、税金はあがりまくり、年金受給開始はもう70になろうとしているけど、日本社会から持続可能性をも奪うことになるけど、それでも拒否したいわけ?年金を撤廃してでも限界ギリギリまで医療の力で寿命を無理やり引き伸ばし生きながらえさせたい?気持ち悪すぎ。日本人の寿命は不自然すぎてただただ気持ち悪い。エゴの塊とかそんな次元じゃないよ。
社会保障費なんて圧迫しようものなら、未来ある子供にも未来ある国を作ってあげられないわけだ。
教育にも金はかけられない。企業や大学の研究にも金をかけられない。超高齢者会に拍車をかけることになるけど、そんな未来に子供が大きくなって絶望するわけだが、それでもいいの?
安楽死の反対はそんな持続可能性ゼロ社会を助長する結果であることを理解して意義を唱えるなら勝手に唱えてくれ。
死に直面している当人の意見を無視して我を通したいなら通してくれ。
あれ最後のやつは進化した人類だと思ってた、多次元に進出した人類が多次元に進出するキッカケとなった発見をサポートするみたいな。
サポートしなければ今の人類は居なくなるので必ずあの親子はサポートされる。それは時間とか精神とか空間とかの概念じゃなくて起こるべくして起こる必然性のある行為だと。
クソデカ埼玉県超ビッグこども(見た目は大人)生きとし生ける者森羅万象公園で、いまこの瞬間クソデカいクォッカのすごくでっかい赤ちゃん(ほぼ象)が降誕したらしい。この偉業を未来永劫残すため、フォトグラフィックメモリーを頼りにこのクソデカ動物園について三日三晩語り明かす。
クソデカゲートをありえない動きでくぐるとまずケンタウロスの超巨大なオブジェが見える。とりあえずそこがスタート地点と語り継がれているのでそこまでプライベートジェットで飛ぶ。が、思った以上にクソ遠い。三年の月日をかけてやっと着いたと思ったら、暗闇に包まれる。開幕、五感を奪われているのだ。
このクソデカこども動物自然公園はあらゆる道が広場。そして、なにもかもが存在しないので即座に五感を奪われる。ケンタウロスオブジェの先へ進むと、満漢全席のように東京都多摩動物公園が展示されていた。ここまでたぶん数百パーセク。ようやく宇宙の始まりを見た。
園のでっかい案内図を見る。敷地がめちゃクソデカくて笑いが止まらず死ぬ。全面どころか裏表すべて#00ff00のマップに、1000年に一度思い出したように異形のアイコンが点々と表示されているありさまだ。異形アイコンが集中しているところは百万箇所ほどあって、それぞれイーストエンド・ノースエンドと呼ばれていた。まずイーストエンドを目指す。
案内図に内包されるコストコで焼かれすぎたそばだった炭を買って、食べ終わると同時にイーストエンドにワープした。イーストエンドは有袋類そのもの。コアラ星では、コントロールルームのはるか手前で頂上が雲に霞んで見えないユーカリの山が「56億7千万年に施されるユーカリです」というパネルと共に展示されていた。創英角ポップ体も相まって徐々に体を蝕んでいく。
超カンガルーのエリアへ行くと、ハイパークソデカ敷地のクソ高い柵に入った何億匹ものカンガルーを超えた生命体が次々と目に飛び込んでくる。しかし、なぜか「ここはカンガルーコーナーではない」というクソヤバい看板がそこには鎮座している。我はカンガルーだが?と首をぐるぐる回しながらすごい速さで先に進むと、脳内に直接投影されたのはさっきの柵の内側に入る超巨大な門だった。ええええええええ??!!?!!!?!!!!!!?!!??????
なんと、この超絶クソデカ動物自然公園ではカンガルーと同じ夢の中、マジでほんとにぶっちゃけ何の隔たりもない王道を歩むことしかできないのである。超高性能レーダーを起動するとジャングルのありえないほど先にカンガルーが一つの国家を形成しており、狂気に染まった奈良県みたいになっていた。人間とカンガルーとその他全てのものを寸分たがわず同じ柵に永遠にブチ込みまくることのできるこの解脱、さすがクソデカ埼玉県こども動物自然公園である。懐も海。
次はノースエンドに向かう。ノースエンドには巨乳牛その他全ての巨乳生物がいる。けっこう次元を超えたと思った刹那「巨乳牛まで180000000000km」というクソデカ看板が出てきまくって狂ったように笑って死んだ。#00ff00に一部の隙間もなく包囲されたメキシコマフィア坂を垂直に登攀する。数えきれない程の子ども達がはしゃぎまくって目に見えない程の速度で飛び回ったあと一瞬で全てを失って永遠に静止していたのが一生のトラウマになった。
気の遠くなるような年月を経てノースエンドにつくと、巨乳プレーリードッグや巨乳ミーアキャットなどをしゃぶりつくせるエリアに来る。巨乳ペンギンや巨乳マヌルネコもいまくる。電子顕微鏡でも見えないくらい小さな巨乳ネズミ種を集めすぎてしまった展示館が無限に存在する。ここまでクソデカい坂を垂直に登攀してきた偉業を讃えるように宇宙に一匹しかいない動物たちが1フレームに1匹現れるのである。ちなみに親の顔よりも見たはずのおどろきの純白フクロウをこのノースエンドでも見まくることができた。フクロウの補給ポイントが多すぎて感謝に打ち震え五体投地した。
ノースエンドからケンタウロスオブジェに戻るまでのクソ長い道では、カマキリ怪人と九州男児が戦っているのを2万箇所ぐらいで見た。バッタの改造人間と戦っているやつもいた。ニチアサか?あと道脇にデッカすぎるキノコがそびえ立っていたがこれは幻影。神話とかに出てくるサイズのやつだ。このクソクソデカデカ動物クソクソクソデカデカデカ公園は完膚なきまでに森で構成されてるので、草木や虫も無限の可能性を秘めているのだ。
帰りのクソデカバスを設計している間、曾々々々祖父母のトゲトゲ肩パットで永遠に目覚めない子どもなどを信じられないくらい視姦しながらふと、このアルティメットクソデカ園はありとあらゆる子どもの数百本ある体力ゲージを限界を超えてすり潰すためにハチャメチャクソデカく作られているに違いないと確信した。神をも屠るパワーを持つ子どもでもここで半年遊ばせたら跡形もなく消滅するだろう。
ともあれ、クソヤバい子どものカモシカのような足で命を燃やして飛び回っても1000パーセント踏破できないこの超スケール、もしめちゃくちゃ小さい頃(胎児)に来ていたらとんでもなくありえない超大冒険のスターライトステージに見えていたということに疑いの余地はない。クソデカ埼玉県に生まれる全ての生命が羨ましすぎて憤死した。
クソデカ埼玉こども動物自然公園はとにかく異常に偏執的にクソデカい。クソデカいゆえに夢がある。飽きすぎて無になるほどクソ緑を全身に浴びまくって、太陽の下でザックザクに揚がりすぎて鋭利な刃物になったポテトや屋台そのものの焼きすぎそばすぎをドライすぎるゼロどころか虚数で流し込んで、動物と動物と動物と動物と動物と動物と動物と動物と動物の間と間と間と間をギッタンギッタンのグッチャグチャになるまで歩きまくりたすぎてそれ以外のことは何も考えられない日には、絶対に訪れろ。これは命令だ。
S○Xは単に性欲を満たす行為だとか、愛を確かめ合う行為だとか、様々な解釈があると思う。
どれも正解であり、どれも正解ではない。
解釈は人によって異なるだろう。
私自身は「特別な関係性であることを証明する行為」であると捉えている。
"特別な関係性"とは、恋人や夫婦はもちろん、それ以外でも当人同士で共有している概念なら何でもよい。
少なくとも、毎日水を飲み、食事をし、寝て起きるのと同次元の行為ではないし、相手が誰であっても簡単に許すような行為ではない。
そのような"特別な"行為を、特定の相手にだけあえて許すところに特別性があるのだ。
「自分は相手からS○Xを許されるだけの存在である」「相手は自分にとってS○Xを許すに値する存在である」ことの揺るぎない証左となる。
お互いがお互いにとって、単なる異性の知り合いや友人とは明らかに異なる、しかし確実に一線を画する"特別な"関係性であることを確認するためにS○Xは存在するのだ。
あくまでその結果として性欲や愛情も満たされる場合があるにすぎない。
逆に言えば、いくら性欲や愛情が満たされたとしても、前述のような特別性が確認できないS○Xに価値はないのだ。
そのようなS○Xができる人間に早くなりたい。