はてなキーワード: 学費とは
今日最終面接のようなよく分からない何かを受けて、今日中に結果を連絡しますと言われているけどまだこない。
いい加減就職したい。
お金がない。
奨学金の支払いもある。
もっと大人は大人なんだから子供にはできないことをたくさんできると思ってた。
だから奨学金借りて専門的な大学に行って、周りは皆遊んでいたけど一生懸命授業受けて。
だから心のなかでは他の人とは違うとか思ってた。
この頑張りはきっと認められて、そして就職先なんてすぐ見つかって。
そんな夢いっぱいの世間知らずで物知らずな私が悪いんだね。そうかそうか。
私が女だからだめなんか。
私が選んだ大学がわるいんか。
私の顔がわるいんか。
そうかそうか、そうだったか。
それでも雇ってくれた所には、ちゃんと心から感謝して、何があっても感謝して。
でも私が得た成果の利益は全て上司のものか。営業のものなのか。
私が今までの人生で正しいと思ってきたものは全て、社会では通用しないのかそうか。
十代の事務の女の子が夜の風俗店に一人で納品に行くことがおかしい。
その私の中での「おかしい」は社会では通用しないのかそうかそうだったか知らなんだ。
私の専門分野を必要として雇ったわけではなかったのか。
そうか私は社長がしたいことをしたいけど技術的にできないから肩代わりするためだけの手足だったかそうかそうだったのか。
それを理解せずに私が女のくせに社会に出たてのくせにゆとりのくせに口をだすのはだめだったか。
社長がしたいことのために、ミスすれば手足が潰れるかもしれないような機械を操作しなければならないのか。
そのために給料が別途付くわけでもなく、そのために色々な体の害を受け入れて、それでもしなければならないのか。
私の後ろを歩きながらベルトとチャックを開けながらトイレにいくのに何も言ってはいけないのも、
トイレのドアを閉めずに用を足しているに怒ってはいけないのも、
3時になったらどんなに別の仕事をしていてもお茶を入れるのも、
何かわからないことがあって聞いても前言ったよねと教えてもらえないのも、
私が女でゆとりで趣味みたいな専門職だからかそうかそうだったか知らなんだ。
それを選んだ私がわるいんか。
女に生まれてゆとり世代に生まれてこの趣味みたいな専門職を選んでばかみたいな高い学費を払った私が悪いんか。
ご安心くださいこの前病院でアスペルガーの疑いがあるって言われましたよ。
あなたの娘が、
好きなことにしか興味持たないのも
人見知りなのも
結婚に興味がないのも
仕事から帰ってきた父親のためにすぐにテレビの前を譲らないのも
あなたが毎日「お前頭おかしいんじゃないか?」と言っていたとおり、
頭がおかしかったですよ。
そうです私が悪いんですよ。
頑張って生きているつもりでしたが、そうか私は頑張っていないのか。
私の価値はどんどん下がるのか。
そうだねもうすぐ三十路だね。
老後何もすることがない暇しかない人のために楽しませるために早く孫を産まないといけないのにね。
そうかそうか。
申し訳ないことをした。
私が悪かった。
そうだね私が悪かったね。
何度も言わせてごめんなさい。
そうです、お陰でこの年で無職でも温かい寝床と食事と服があります。
それ以外はずっと家でごろごろできるのはお父さんのおかげですね。
さっさと諦めてバイトすればよかったね。
そうだね私が悪かったね。
お父さんの年収の半分もないんだろうね。
アルバイトを掛け持ちするさ。
さっさと奨学金を返して、借金のない身奇麗な行き遅れの女になりますよ。
早く孫を作りますよ。
◯◯◯◯
書いているうちに、そして指摘されたとおり、
ああ私はこんなに人のせいにして人を見下して生きていたのかと思いました。
そしてそんな吐瀉物に言葉が貰えることを期待していた自分も気持ち悪かった。
なんだ本当に私が悪いのだなと思ったけれど、
生産的な考えができるようひとまず一日三回ラジオ体操をすることから運動していこうとおもいます。
衰えた筋肉よ、一緒に頑張ろうぜ。
こんな時間(18時過ぎ)だけれどまだ連絡はこないので、
そんな母に検査するからとお金を貰わなければならないのは悲しい。
昔ながらの俺の稼ぎでお前たちは生活できていると脅迫する父親と
何を言われても気にしなければいいんだからと欲しい言葉をくれなかった母親と
どろどろしたところだけ濾したらそんな風に思ってしまう両親だけど、
人間だから自分とは違う考えなだけで、その考えで一生懸命私のために心身を削ってくれた人だから
心の余裕と適当な距離があればちゃんと親孝行できると思っているから。
今年度卒業予定であり就活手前ですが、今まで何もしてこなかった自分への苛立ちと後悔を感じています。なぜそんなことになったのかを自分の気晴らしに書きます。
専門学校に入学するのは「プログラマになるための最短ルート」だと思い、学費も大学より安いことから専門学校に入学。前年度は学校では基本情報技術者の勉強をするだけ。基本情報技術者を無事取得しましたがプログラミングの授業はゼロに等しかったので、個人で企業のapiとajaxを利用した簡易的なwebアプリケーションを作ったりしました。
今年度に入り学科の就活解禁日より二足ほど早く、プログラミングスキルを判定できる新卒エンジニア向け就活サイトで大企業様のスカウトを受け採用試験に挑戦。結果は不採用で通知メールにはコミュニケーションは問題なかったが、技術力が足りないと書かれていました。
私はCentOSで多目的サーバを高校時代から運用し、webアプリケーションを作った経験と国家資格をもあれば十分だろうと思っていたことが甘かったと痛感。
面接(というより面談)の対応をしてくださった方はとても良い方で、面談の中でエンジニアは常に最新技術へのアンテナを貼るべきで学生のうちは何でも作ってみるべきだと教えてくれました。
その教え通り私は今何かを作ろうとしています。それでも自分の中でプライベートの時間をプログラミングに割くことができず娯楽に使ってしまう心の弱さに苛立ちを感じているのです。
ほどよく酔っているので、書いてみたい。
私には20代の時に大親友がいた。
お互い苦学生で昼間仕事をして学費を稼ぎ、夜間等の学校に通っていたのだ。
ハードな肉体労働という仕事と勉強と大変な生活だったがなぜか明るく過ごしていた。
将来の夢など、非常に楽しく飲んでいた。
その時も時間が合えばよく飲みに行って彼の仕事上での苦労や、起業について、将来について楽しく語り合っていた。
彼は、営業系の仕事でかなり結果を出していたが、その後もとの学生時代の肉体労働系の仕事に戻った。
それは彼の決断で良かったのだろう。
その数年後、私は起業した。
自分より遙かに優秀な人、コミュニケーション能力に長けた人、特定の強みのある人に出会えるようになった。
いつまでもその仕事をしていないで、転職・起業した方が良いよと。
彼には彼の考えがあったのだろう。
大きなお世話だったろう。
私の人間関係の繋がりは変わっていった。
私は傲慢だったのだろうか。
いつか学生時代のように楽しく語り合い飲める日がくるだろうか。
小学生の頃から塾に通って毎日何時間も勉強して、親からのプレッシャーにも耐え、確かに君は努力したんだろう、頑張ったんだろう。だけどその話を私にするのはやめてくれ。
私は地方出身だし、ふつうの大学にはいってないから(音大とか美大とかそっち系にいった)、東京のいろんな大学の名前を出されてもわからないんだ。
マーチの意味もわからないんだ。東大が一番すごくて、私立なら慶應と早稲田がすごいってくらいしか知らないんだ。
今書きながら自分でもびっくりしたけど、これら以外の頭良さそうな大学の名前を知らない、それくらいよくわからないんだ。
あと、偏差値を気にしたこともなかったから、偏差値の高さを話されてもよくわからないんだ。50が真ん中ってことしか知らない。
だから私に学歴自慢の話するのをやめてくれ。君が何を言ってるのかまったく理解できない。
あと、学歴自慢から話をつなげて、努力(勉強)をできない奴はダメな奴みたいな話もやめてほしい。
わたしは運良く学費を出してもらえたから大学にいけたけど、私の子どもの頃からの友達たちは大学なんてお金がないから行けなかった人たちがいっぱいいるんだ。
大学どころか、家に本棚がひとつもない学習机もない勉強してると「家事をしろ!」って怒られる、そんな環境で育って、勉強することが人生を助けてくれるってことを教わらないまま大人になった人たちがいっぱいなんだ。
君の話をきいてると、今もきっと日本中にいる、そんな環境で育つ子どもたちが社会から見捨てられて、大人になったらただの努力不足の自業自得の人として扱われるってことを見せつけられてるみたいでつらいんだ。
だから私に学歴自慢するのをやめてくれ。そういうのは、似たような環境で育ったもの同士でやってくれ。
似たような、お金があって子どもの教育に関心のある親に育てられたもの同士でないと、それは努力自慢じゃなくて、ただの親自慢にきこえるんだ。あるいは運の良さ自慢。そういうのに「へーすごいね」って言ってあげれるほど心の広い人間じゃなくてごめんな。
残業して帰ってくる、夫婦の営みする時間と体力ない、そのうち枯れてきてセックスレスになって子供生まれない
皆が限界超えて残業する、残業出来ない子持ちは反感を買って働きたいなら子供を産まないように圧力を受ける、妻が仕事をやめたくなかったり専業になれない年収の家は産めない
子供が生まれる、旦那は残業で育児に参加出来ない、育児を一人で抱え込んで妻がパンクする、夫も過労と夜泣きで妻に優しくする余裕がなくなり、夫婦仲が悪くなりもう二人目は絶対に産まないと決心
ついでに大学に異常に金がかかるのも大きい
子供を大学に通わせたいと思う、一人しか無理、もしくは一人も無理
学費を奨学金でまかなう、若い頃は借金を抱えて結婚や出産ができない、借金を返し終わって年を取った頃に作ろうとしても身体的にも金銭的にも無理
インターネット上に関西の駿台の実情に関する情報がほとんど無いので関西(主に兵庫、大阪、京都、奈良近辺)在住の文系東大志望の方の予備校選びの一助となるように書き残しておきます。理系の方でも多少は参考になるかと思います。
どのクラスをどの講師が担当してるかとか一年の予定みたいな情報は「駿台大阪校wiki」が詳しいのでそちらを参照してください。
1.自己紹介
2016年3月某私立中高一貫校を卒業し東大不合格を経て駿台大阪校LSクラスに入学したのち2017年3月東大文科某類に合格しました。
ゆえに以下の内容は2016年度に大阪校のLSクラスに在籍していた頃の生活に基づくものになります。
特に4の項目は年度次第で実情とは異なる可能性があります。ご了承ください。
2.クラス分けについて
駿台のパンフレットにはコースについての説明はあってもクラスについての説明はほとんど無いと思うので説明しておきます。
まず東大志望が入りうるクラスはLS、LA、校舎によってはLBがあります。
このうちLSは大阪校にのみ設置されているクラスで、東大文系EXコースの生徒は無条件で通年このクラスとなります。
東大文系EXコースは模試か認定テストで相応の成績を取れば入れるコースですが、まあ不合格B以上ならほぼ間違いなく入れるんじゃないでしょうか。
合格率とかクラス平均点みたいな指標を頑なに開示しようとしなかったのでクラスの具体的なレベルは把握しにくいですが、聞いた話と自分の知ってる範囲では合格率は7割ぐらいです。
また生徒は某大寺とか某陽や某(一文字なので伏せようがない)高校の生徒が多く生徒の質はかなり高いです。
次にLAやLBですが、上述のEXコースではない普通の東大コースに入った場合このクラスとなります。
このクラスは東大志望から阪大志望までまとめられるクラスなので、仲間と切磋琢磨出来るかというと微妙と言わざるを得ません。
また往々にしてクラスの人数が多かったり講師の質も落ちるなど待遇面の粗悪さも見られます。
合格率に関してはそもそも東大受験者が少ないのでサンプルが少ないですが、まあお世辞にも高いとは言えないんじゃないかなあと。
以上まとめると、「東大志望は極力大阪校の東大文系EXコースに入ってLSクラスに入るべき」だと言えます。
まずクラスの人数は例年40人~60人だそうです。2016年度は60人弱でした。
男女比は年によってかなり揺れがあるようで2015年度は10%を切っていたそうですが2016年度は20%ぐらいでした。
関東の御茶ノ水のSXでもあるようですし他のクラスもそうなのかもしれませんが上位進学校の生徒が多いので高校ごとにかなり群れます。おまけに男子校が多いので騒ぎます。
そういう進学校の方々は快適なのかもしれませんがそうでない方はあまり快適に感じられないかもしれません。
実際僕が後期から授業にほとんど出ずに自習室に篭っていた一因はそこにあります。
まあ彼らが排他的ってわけじゃないですし他人に直接危害を加えるわけではないですから上手く付き合えば快適には過ごせるんでしょうが。
4.授業について
●国語
現代文は全て中野芳樹師の担当です。やや好き嫌いが分かれます。現役時に林修に帰依していた人々は嫌う人が多かったようですが僕は好きでした。
現役時に現代文をほぼノー勉だったあるいは確固とした解答スタイルを確立出来ていなかった人にはうってつけの講師だと思います。
市販の「現代文読解の基礎講義」を読めば師の授業スタイルが垣間見えるんじゃないでしょうか。
これまた好き嫌いが多少分かれますが古文をフィーリングでなくちゃんと読むことが出来るようになる授業です。
漢文は週1時間しかないですしその1時間もはっきり言って出る価値はない授業だと思います。自習室で句形覚えて赤本解いてる方が有意義でしょう。
●数学
僕は数学を現役時にほぼ完成させていたので授業の大半の時間は解説を聞き流しながらひたすら大数とか過去問を解いていました。
そのためどの講師がいいのかをはっきり述べる自信はありませんが、どの講師もハズレはいなかったように思います。
テキストのレベルは前期→後期にかけてかなりレベルが上がります。
後期の難しい問題は解けなくても何の問題もないと思います。ただ解けなくても問題無いからといって授業を放棄するのは考え物でしょう。
解説をしっかり聞いて考え方のエッセンスを吸収していくことが大事なんじゃないでしょうか。
また週に1回EXLといって大数C~クラスの問題を2問50分で解くテストがあります。
平均点は毎回10点(2割)程度です。出来なくてもしょうがないけど問題は面白いですよ。
●英語
概して京大を意識した講義が多いです。長文英作の授業と普通の英作の授業が1時間ずつありますし精読重視の授業がめちゃくちゃ多い。というか精読重視の授業しかない。
はっきり言って東大が求めている英語力を養成するのは難しいカリキュラムだと思います。4分の1をを占めるリスニングの授業も5分の1ぐらいを占める自由英作の授業も皆無だし。
東大英語という講座は後期からありますけど1週間に1問要約などの過去問を解くだけのゴミみたいな授業です。
英語の授業は自分に合うものを何個か選んでそれ以外の授業の時間は東大に特化した対策に充てるのがいいんじゃないかと思いました。
ただし竹岡師の授業は絶対に出たほうがいいと思います。僕の駿台の学費の7割は竹岡師に払ったつもりです。英語観変わりますよ。
通期授業だけじゃなくて講習の自由英作文のエッセンス、英単語/熟語特講、直前期の差がつく英単語300(正式名称忘れた)もかなりお勧めです。
特に最後の講座は慶應経済でconventional wisdomとか当たりまくってて試験中笑ってました。
●理科基礎
授業に一回も出たことがないので分かりません。東大志望の方なら相当現役時代に理科をサボっていたのでもなければ直前期だけちゃんとやれば満点近く取れるでしょう。
●地歴
平常授業(世界史通史、系統地理)は時間の無駄と判断したのでほとんど出ませんでしたが本試で知識不足が露呈して点数を落としまくったのでちゃんと出た方がいいと思います。
ただテキストの質はあまり良くないと思います。特に世界史のテキストはさっさと捨てて教科書だけ読んでいた方がいいでしょう。地理も絵抜きで白黒の資料集みたいな感じ。
地理論述、東大世界史はぼちぼち出ていましたがまあ質は普通でした。
世界史はテキストに1980~の東大過去問が全て載っているのが素晴らしいです。赤本を買う必要が無くなります。
解答はありませんが赤本程度のレベルの解答があっても特に意味はないのでデメリットにはならないんじゃないでしょうか。
●講習
それ以外に東大志望の方が魅力的に見えるだろうなあと思える講習もあまりありませんでした。
関東の駿台の講習のパンフレットを見ると面白そうな講習がたくさんあって羨ましい限りです。
まあ休暇中にやるべきことは講習のバイキングではなく平常授業の復習なんでしょうけどね。
5.模試について
スカラシップの認定はめちゃくちゃ厳しいです。東大志望内3位でも5万しか貰えなかったらしい。
なので必死にスカラシップ狙いで全部の模試で本気出す必要はないです。駿台全国と東大実戦だけ真面目に受けて後はサボるか肩慣らしでいいんじゃないでしょうか。
ただサボると家に届く成績表が悲惨なことになるので事前にサボる理由を親に説明出来る人だけサボるべきでしょう。あとサボったからにはその日はちゃんと勉強しましょう。
6.総論
僕は関西駿台の東大コースのカリキュラムにはかなり不満があります。
特に英語は全く東大対策には適していません。まあ京大志望が多数派だしリソースは限られているので仕方がないことではあるんですけど。
また上述の通り東大対策の講習はほとんど無く直前期のプレ講座もほぼ全て映像授業とかいう有様でした。
これは河合塾のエクシードでもおそらく似たような事態になっているので(違っていたら申し訳ない)、散々関西駿台について説明した挙句元も子もない話ではありますが、
金銭的な余裕があるなら東大志望の方は駿台御茶ノ水3号館の東大コースとか河合塾本郷校に入学することをお勧めします。
金銭的な余裕があまりないとかそこまでする気がない関西在住の方は河合大阪エクシードとか駿台大阪EXでいいと思います。
なんだかんだ7割は受かるんで予備校の犬にならずに、また予備校から離れて堕落することが無ければまあ大体受かるでしょう。
あと宅浪は全くお勧めしません。概して生活リズムが崩壊しますし鬱になってる人が尋常じゃなく多いような気がします。
予備校代100万は決して安くはないですが東大合格のためならそこまで高い買い物ではないんじゃないかなあと個人的には思います。
今月卒業する。就職先も決まっている。だけど自分は学ぶには遅すぎた。全部自分が悪いのだ。社会のあらゆるものから逃げるために学校に入り、履歴書の学歴欄を埋まるだけという愚行を犯した。
昨日、アマゾンのアニメに自分と同じような境遇の人間が描かれていた。いや、自分よりもはるかにましだ。少なくとも年上であることを自覚して周囲との調和と図り、人生のやり直しをしているのだから。俺はできなかった。人生をやり直すには、この学生生活は長すぎる。
数年前、身体に重大な欠陥があるとわかり会社を退職。その後半年ほどふらふらして実家近くの学校に通った。
名前を書けばだれでも入れる、とは言わない。だけど学費の安さにつられる程度の学生が集まる学校だ。
成績は普通に良かった。高校時代にちゃんと勉強していたからなのか、テスト自体で落とすことはなかった。やる気があまりなくて欠席による補講があった以外は。
問題は就活だった。当然こんな歳ではまともな会社はとってくれない。周りは自分より年下で若い人間ばかりだ。そんな人たちと肩を並べて「新卒」なんて言っても通用しない。経験の浅い、職歴も大したことのない、できそこないのばか。世間の目がスーツ越しに刺さった。
学校に入ったのは逃げだった。
ここでなら自分は変われるなんて言うのは嘘でしかない。社会から追放されたに近い退職理由が尾を引いて、脱落した先の安住の地がここだった。当然そんなことで変わらない。何も学べない。
次の会社でも長く続かないのはわかっている。おそらく1年もつかどうかだ。
若返りの薬はいらない。
つか寿司と聞いて高級寿司を真っ先に思いつく時点でかなりバブリーというか昭和
回転やら安い店が大量に出現して普及した現代では
別に回ってなくても普通のOLやファミリー層が出せる値段で食える寿司店なんかいくらでもある
エロカット描きして稼いだのを自慢してたけど
女なのにエロ描くなんて凄い!覚悟してる!!なんて言われる時代もとっくの昔に終わってるわ
今時カットどころかガチのエロ漫画描いてる女も山ほどいるし、それなりに実力がなきゃ稼げないのに
絵を描くどころか自分が身体張ってお水や風俗で(遊興費の為ではなく生活費や学費の為に)働いている女だって山ほどいる時代
「今時の賢い貧困女子は風俗で学費稼いで大学行って無借金で大卒の地位を手に入れる」という記事をどっかで見たよ
奨学金で大学行く→返せなくて卒業後に風俗バイトするが年食ってる&本業の合間にやるからなかなか稼げないうちに更に年食って詰む、
だから若くて学生で時間に余裕あるうちから風俗で働いで稼いで卒業・就職したらすっぱり風俗から足洗う女子が一番賢い、んだとさ
18やそこらの子が身体を売るのが「賢い」なんて言われてしまう時代
そこまで要領良くなかった「賢くない」貧困女子を、親に学費出して貰った中年女が叩いてる
援交男あるある
女が会う気になるまでは紳士的に振る舞うが、話が進まないと豹変し、暴言吐きマシーン化する。暇つぶし目的のためか、援交男も女も異様に見下している奴が多い。
スレてない素人を好み、あわよくば無料セフレ化を狙っている。素人っぽさが良いと言う癖に、やけに愛想良い応対やプロ級テクニックを女に求める奴が多い。最初からプロのとこに行けば良いのではないか。女の嫌がることはあまりしないので、援交男の中では良心的な部類。
・とにかく安くセックスしたいよ男
風俗より安くセックスしたがるので値切る。ただしホテル代&援交代は実は安い風俗より高いという事実を意外と知らない。金を払って穴を使ってやってるというお客様意識で、金を払ってるんだから文句言うなという奴や、ヤリ逃げバックれ、暴力をちらつかせてタダにしようとしたりする奴がいる。女にとっては非常に危険な系統。風俗店から出禁くらった過去を持っていたりする。
とにかく幼い女とやりたいらしい。18歳未満とだとバレたら逮捕である。援交男も女もこういう男と絡んでいると芋づる逮捕などあるので危ない存在。援交女が補導されるまたは援交女の親経由でバレるのが王道パターン。あくまで建前としては18歳以上どうしの自由恋愛だってことを忘れないでほしい。
遊び相手として好みの女を探す目的の一環で援交もやる男。援交男の中では危険度は低い。ただし女を良くも悪くも非常にえり好みするため、よっぽど気にいった女を除き、同じ女とあまり会わない。
・とにかくやりたい男
援交なら簡単に女と会えてセックスできるはずと思っている男。先払い詐欺などに騙される。騙された結果、教訓を得て騙されなくなるか、晒し魔化したり他の援交女に八つ当たり的嫌がらせをしたりし始めるかの二択。援交初心者はだいたいこれである。ぶっちゃけ初心者なら行ける範囲にソープがあればソープに行くのが最も安全。
援交女あるある
・金儲けのためだよ女
援交女は全員これである。しまった終わってしまった。この前提で細かく見ていこう。
JC~アラサー等、幅広い年代や境遇に生息するお小遣いが欲しい女。データは無いがJD、JKが多い印象。援交の時給換算したらまともなバイトなどやっていられないらしい。ある意味最も健全な援交女である。
・ガチで金稼ぐよ女
生活費だったり学費だったり色々、纏まった金を稼ぎたいが、まともな手段では時間が足りないので援交を始める女。家庭環境に問題ある率とメンヘラ率が高い。金のために嫌々という態度を露骨に出す奴が多く、目標額までサクッと稼ぎきれないと定期客を作れず苦労する。
・相性良い人とセックスついでに金がもらえればいいや女
金は欲しいがそこまでガツガツしておらず、まずはセックスしても良いと思える相手でないと嫌だという女。男女双方のニーズが噛み合う相手と出会えた場合、最も平和に長続きするパターン。ただしガツガツしていないし困っていないので、女側が他に都合あったりするとちっとも会わなくなる。
・そもそもプロだよ女
所謂、援デリ女。素人援交女を装ったプロである。そもそもずっと援交やってる女は既にある意味プロだというツッコミをしてはいけない。顔の一部を隠した写真で男を釣っては、明らかな別人が現れるのが黄金パターン。
・先払い詐欺女
色々な理由をつけてはアマギフ等を払わせ、その瞬間にブロックしてバックれる。どんな理由であっても先払いを信じてはいけない。
これまでに数々の風俗嬢を見てきたが、きちんと付き合ったのは一人だけ。
そのヘルスでもなかなかの人気者で、やめた後も掲示板に書かれるくらいの人気ぶりだ。
19歳のEカップというのは、本当に張りがあって、さわり心地が良い。
さて、本題に入ります。
初めてお店で会ってから、すぐに気に入った。
最初から口説くつもりがあったわけではないが、何となく週一か週二で通うようになった。
お店は一回1.5万円もいかないようなお店だったので、掘り出し物だったと思う。
2回目までは普通のサービスだったが、3回目から一線を越えたサービスが始まった。
これまでも、そういったサービスを受けたことがないわけではないので、特段、好意をもったというよりは、良い風俗嬢だと思った。
何回か通ったいる内、帰り際にスマホを出してきたので、LINEを交換した。
平日の夜に、青山のレストランに連れて行き、少し大人の世界を見せると、後は簡単だった。
10代の女の子がこんなにかわいいとは思っていなかったが、やはり良い。あまり頭が良いとは言えないが、20代、30代の女性のように、無駄なお世辞なんか言う必要はない。
もちろんあるタイミングでセフレぐらいにはしたいと思っていたので、何点か気をつけた。
・一人の大人の女性として扱うこと。10代の子はまだ20代や30代の女性のように扱われている経験が少ない。
・風俗嬢も一つの仕事として、認めること。今どき、借金の返済のためのような、昔話はないと思うが、学費や生活費を稼ぐために人より大変な仕事をしているということを理解する。
・お店では、とにかく女の子を気持ち良くしてあげる。お金を払うのはこちらであるが、彼女を喜ばせるように接する。
・ご飯は割り勘にしないが、たまにおごってもらう。人気風俗嬢はそれなりに収入があるので、プライドを傷つけない。
・結婚していることは黙っておく。
うちは片親で、母は女手一つで私達をよくここまで育ててくれたと思う。
借金しか作らない金食い虫で貧乏神の兄の肩を持つから、本当に嫌気がさす。
うちはさっき言ったように片親で、割りと本気で金がない。
私は、大学に行きたかったけど経済的な理由でやっぱり行けなかった。
今思えば、奨学金でもなんでも使ってみれば良かったんだろうけど、当時はそんな考え全然思いつかなかった。
うちは金がないから、とにかく学校は諦めて、さっさと働きに出ないとって、すぐ諦めたのがいけなかったのかな。
まぁいいや。
でも、兄は専門学校に行ってる。親の金で。そのせいでうちには余計金がなかった気がする。
親が働いて働いて、年に200万くらいする学費を払ってた。
本当にギリギリになった時、ちょっと前から流行ってる「過払い請求」の手続きで、まとまった金が入った。
これで少しは楽になるかなって思ったら、その返ってきた金で母は兄にバイクを買った。
100万だか200万だかするような、何が良いのかわからん煩いバイク。
頭おかしいと思った。
そこでの仕事を「どうしても苦手な人がいた」という理由で、一日だかひと月だかで辞めた。
母は兄に仕送りをするようになった。
兄はそれでも金が足らなくて、母が買ったバイクを売った。
暫くはこっちで仕事してたけど、そのうち彼女を妊娠させたとかで結婚した。
まぁ、その結婚は結局、仕事を辞めたかっただけの女に騙されただけで、妊娠もしてなかったし半年で離婚したけど。
兄は婚姻中に、女の方が全然働かなかったから、生活費がどうので結局またアホみたいに借金してた。
一人暮らしの期間も含めてたかだか一年とかだし、金の使い方おかしいんだと思う。
母にそこまでの金がないのも分かってたからか、親戚に金を無心しに行って借金が発覚した。
どうにもならなくなり、結局債務整理の手続きをして、今も地道に借金返してるらしい。
私は当時、破産をしたという話を聞いていたけど、破産ではなく債務整理だと。
いっそ破産にしてりゃあ今頃もう少しまともだったかもしれないのに。
離婚後、少しして、母に金が勿体無いと説得されて兄は実家へ戻った。
破産したって聞いてた時期に、仕事するにも何するにも車が必要だとかで、以前過払い請求している関係で、もうローンが組めない母に頭を下げられて、私の名前で兄が車を買った。。
私はびた一文払っていないけど、母の負担が増えただけだし、こんなことしなきゃ良かった。
当時は、もう本当に関わりたくない一心で、これで縁を切ってもらうって話だった。
結局縁は切れてない訳だけど。
なんで日本の法律って、親兄弟の縁が切れないんだろうね。切りたい。
結局、今は債務整理やら何やらで、月々8万くらい返済を続けているらしいけど、クソみたいな仕事しかしてないせいで母への無心が尽きない。
先日、仕事から帰った母が、仕事に行っている筈の兄が家に居たことに驚き事情を聞くと、2月いっぱいで仕事を辞めたらしかった。
金もないのに。
結局、一時しのぎの為に私名義で買った車も売られた。
300万したのに。50万にもならなかった。買ってまだ2年?3年経ってないくらいだと思う。
一回事故ってるから、事故車扱いで価格が低いとかそういう話されたけど、絶対もうちょっと頑張って探せば値は上がったと思う。
本当に悔しい。
こんなのと血が繋がってることが悔しい。
母は「もうお金はない」って言いながら、兄への援助をやめない。
何年もやめない。
もう手を切れって言っても、見捨てない。鬼にもならない。
そのために、あなたは娘と絶縁する事になるのに。
将来、あなたの面倒なんか絶対見れないようなクズのために、定年まで、定年しても働き続けるんだね。
私は、もうすぐ地元を離れる。友人は寂しがっているけど、もうこの家に関わっていたくない。
親戚へも誰にも行き先を告げるつもりはないし、もう二度と連絡も取らないつもり。
金を搾取され続けるのは、もうこりごり。
どうしてあいつにばっかり金かけるんだろう。
なぜ皆がくっそ高い奨学金(レクサスの安いグレードなら買える)を借りてまで大学に行くのか、やはり大学に行ったほうが就職の選択肢は広がるから。そして高卒だとまともに就職できない、特に普通科。普通科高校なんてさ、教師も就職に関してはあまり積極的ではない。面倒くさいからね、高卒の就職先斡旋って、だから必死にFランでもいいから大学を勧め親にもそうせざるを得なくするんよ。
大学に行かないとまともな就職先がないっていうのはちょっと問題だと思うよ、高卒以下の離職率の高さがそれを物語っている。
新卒者の3年以内の離職率を学歴別にみると、大卒者は前年比0.4ポイント減の31.9%と2年連続減少したものの、4年連続で3割を超えた。短大等卒者は同0.2ポイント増の41.7%と4年連続増加。高卒者は同0.9ポイント増の40.9%と同じく4年連続増加。中卒者は同1.6ポイント減の63.7%と3年ぶりに減少した。同省は「(離職率は)大きくぶれているわけではない」と話している。
http://news.mynavi.jp/news/2016/10/26/425/
大卒は31.9 高卒は40.9 中卒はなんと63.7% まあ自分の周りが大学行って楽しい中自分だけが働いているということに嫌気を指して仕事を辞めるやつもいると思うけど、でもやはり高卒以下は良い就職先には恵まれないってのが現状だよね。
学歴不問!やる気を求めます!こういう企業に限って中小零細でブラックなところが多い、やはり大卒でないとそれなりに組織の大きい会社に入れることはヒジョーに困難。そして厚労省のデータを見るとね、やっぱり大企業は離職率は圧倒的に低い!組織がでかいと財政面、人事面でも余裕が出るからね。
高卒中卒は中小零細で低待遇でブラックな環境で働くか、それとも派遣か非正規、アルバイトで一生貧乏生活やるかしかないのが現状。だからみんな必死に大学に行く、借金してまでも。大学に行かないとまともな就活のスタートラインにすら立てないっていうのは大きいね。大学にいかざるを得なくした日本社会ははっきり言って異常だ。しっかり罪を認識しなさい。
んでこれからもどんどん様々な分野で大卒を条件にするところは出てくる。看護師も大卒を主流にしたいらしい。ますます奨学金地獄の学生を増やす、大学ビジネスは日本の若者を搾取する悪徳業界だよ。誇れる産業ではない、スマホゲー業界よりもたちが悪いよ。
まあ「自己責任」という言葉で片付ければそれで終わりなんだけどね。便利な言葉だよね自己責任って、国立大ですら奨学金借りないといけないくらい学費がくっそ高くなっているけど自己責任ですか。国は教育費なんかに金をかけたくないのが本音だよ。本当に教育に力を入れているのであれば今頃多くの学生が給付型奨学金をもらっているはずよ。
まあ低学歴に不利益ばかり押し付けていればいずれ日本は暴動や内乱が頻発するようになるだろうね、ていうかそうでもしないと日本社会は変わらないよ。
その代わり親が就労しているなどの入園条件はなく、親が専業主婦でも入れる。日本の認可外保育園に近い。
評判が良いとか質の割に安いなどの人気園は待機児童も多い(都心部だとそもそも全体的に足りておらず待機児童多い地域もあるらしいが)
ドラマで出てこないのは撮影大変だからじゃね?つか日本のドラマだって必要性がなければ出てこないだろ。
一般の子供を勝手にテレビに映すわけにはいかないし、子役揃えるのも面倒だろうし。
それとは別に、3歳~が入る幼稚園に相当する教育施設もある。preschoolとかpre-kとか言われる。
(日本で英語メインの保育・教育を行うインターナショナル園をプリスクールと称してるのはここから来ている)
こっちも私立は税金使ってないから日本の私立幼稚園より概ね高い(日本は私立幼稚園でも補助金あるからね)。
公立は所得制限などあり中流以上の家庭は入りにくく、学費も収入に応じて無償だったり私立よりは安いが有償だったり(自治体によっても違うだろうが)
公立は公立小学校に併設されていて、下記のkindergardenより更に年下のクラスという位置づけ(pre-kのkはkindergardenね)
その上に5歳(日本で言う年長、小学校入学の一年下)が入るkindergardenってのがある。
これは州によっては義務教育、義務でない州でも公立は希望者全入&無償だったりで「通わせるのが当たり前」という位置づけで公立小併設。
シッターは高いから、庶民家庭が毎日一日中使うなんて事は無理。
よく高校生がバイトで…と言うけど、あれもあくまでスポット的な利用。
日本の公的な一時保育の方がよっぽど安い。しかもそれで預かってくれるのは有資格者のプロだから、日本はシッターの需要がないんだと思う。
幼児保育・教育事情についてはアメリカより日本の方が遥かに恵まれてるよ。
5歳児以上ならアメリカの方が恵まれてる(何せ義務教育だし)けど。
よく「5歳児教育に対する税金投入額の国際比較」みたいなのを出して日本は外国より低い=日本は保育に金出してない!ってロジック使う奴多いけど、
アメリカと同じく5歳児教育を義務教育としている国は多いから、そういう国と比べたら日本が低くなるのは当たり前なんだよね。
でも4歳以下はどうなのか、ってな話で。そもそも保育と教育違うし。
したり顔で書いてるけど
30代夫婦がいくら低賃金と言っても二人で働けば世帯収入は40万はあるだろうが(一人20万だって40万だよ)
40万以上年金貰えてるじじばばって現役時代どんだけ高収入だよ、
そんな高収入なら貯金もたんまりあって自分の有料老人ホーム代も孫の学費も出せるんじゃね?と思うし
保育園の間違いとして、保育園に入園出来ないならそもそもどうやって共働きしてんのと思うし
まさかじじばばがいるから保育園使わない予定だったのか?今時同居でもそんなのいねーよ
子供30代なら親60代じゃん60代のじじばばが一日中孫の世話とか出来る体力あるわけないだろと思うし
矛盾だらけだな
長期休み以外は週に3、4回は会っていた、親友ともいえる友達がいる。仮にAとする。
Aの家は中途半端に貧しい。母子家庭だが上の子ふたりを私大に入れられるし、本人はバイトをしていない。学費のためにバイトに追われるレベルの貧乏ではないということだ。
しかし、寒がりなのにコートが買えず、ペラペラの服を重ね着している。それで凌げる訳もなく、いつも寒いと言っているし健康被害も出ている。
2000円のアクセサリーを「高い」と言う。700円を超えるランチも「高い」と言う。「8000円のコートって安いよね」という発言に共感してくれない。些細なことだが、こういったことの積み重ねにより、確実に「違う」と分かっていた。
いちばん引っかかるのは、毎年ずっと1000円程度の誕生日プレゼントをくれていたことだ。私は、はじめはそのくらいで様子を見て、仲が深まってきたら金額を上げていくのが普通だと思っている。しかし、Aはそうではなかった。金額を隠す努力をしないので、容易に1000円程度だと分かってしまった。
前から欲しかったナイキのスニーカーをもらった、ディナーに行くとサプライズでケーキが出てきた、といった友人たちの話を聞くと「そういうことだよなぁ」と思ってしまう。
お金が無いからではなく、上記のようなことを私にやる価値がないと思っているからかもしれない。「お互いに親友だと思っている」という確信が持てるほどの色々な出来事があったのに、プレゼントの内容だけでそんな風に疑ってしまう。
最近は別の友達とよく遊んでいるのだが、とにかく楽だ。バイトをしていないという点ではAと同じだが、上ふたりを大学院に入れられるくらいの家庭で育っている。10000円を超える服を着こなし、当然暖かいコートも持っている。何にでも興味を示し、私が声をかければ交通費だけで15000円ほどかかる場所でも一緒に行ってくれる。海外旅行にも乗り気である。
オシャレな店で1000円ほどのランチを食べ、ショッピングを楽しみ、疲れたらカフェでお茶する、という王道の遊び方ができるというだけでかなり楽しい。都心に出ても食事とショッピングしか楽しめないようなところに住んでいるからだ。
交通費のかからない場所を探したり、高いと思っていなくても「まぁあそこは高いからね〜」と言ったり、持ち物の値段を言わないようにする努力をしなくてもいいのがこんなに楽だとは思わなかった。
Aはガチの貧乏ではないので、お金のかからない遊びを知っている訳ではなかった。こういうところが、中途半端な貧乏の不幸だと思う。
成人しているのに100均や300均で買ったものを誕生日プレゼントに選ぶセンス。お金のかかる遊びが制限される不便。新しいものに興味を示せない感性。
これらが貧しさにより生み出されたものだと分かっていても、一緒にいる上でがっかりしたり、傷ついたりしてしまう。
誰にも相談できず困っていたが、いま、Aとは縁を切ることにした。
当たり前だけど、合わない人と無理に仲良くする必要はないよね。
先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。
当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。
気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学の過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強が楽しいと思うことができたのです。
いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプ。わたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。
先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたしの地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしはもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。
いや、違うかもしれません。分からない問題を先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生は担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたしは先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。
たったの半年程度で、わたしの順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。
「1位を取ったらデートしてください」
先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席の優等生の顔が浮かんでいたのだと思います。先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。
300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたしの学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。
わたしは、先生とのデートの権利をかけて彼女に一方的に勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物を攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。
誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたしは先生からのメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生は想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。
わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキーも職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。
映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想いを今日で最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。
しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生の気持ちを手に取るようで、その真剣な眼差しに促されるように、わたしは「はい、はい」と頷いていました。
先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄にしか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さな頃から過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。
先生とわたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入りの教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。
高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分が子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。
そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。
「共犯者だよ、君も捕まる」
そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想な女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。
わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから。
物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日は先生が学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたしを学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。
先生は、主任と校長にだけわたしたちの関係を告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任と校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたしは校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。
先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています。一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任と校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女の関係を辞めました。
先生とわたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生の退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断したからです。
春休み、わたしは毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日通うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。
高校3年生の時、知り合いから先生が都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学を第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生がいるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかったからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。
なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。
先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。
わたしの家には毎年、主任と校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですから。わたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。
はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中、わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然の事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたしは片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。
冬になり、主任と校長は一人暮らしになったわたしに年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。
2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきます。わたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールをはいたわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧にしか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。
はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きています。わたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。
しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。
せんせぇ、さようなら。
別に自分が既得権益の側にいるわけでもないが、彼らに同情する気持ちがないこともない。
それに正当な形で報いてやれないから、いつまでもああいうグレーなやり方が残るのだろう。
例えば、大学病院の医師の給与が、仕事がきつい割に安いのは有名な話だ。
大学院生だからという理由で、給与が出ないどころか、逆に学費を払っているケースもある。
ただ、彼らの場合、官僚と違うのは、外部の病院でバイトして生活費を賄っている点だ。
つまり、自分のとこでまともな給料を払わない代わりに、バイト先に払わせている。
官僚にせよ大学病院にせよ、日本は最近まで「今頑張ったらいいことがありますよシステム」、
つまり若い頃の苦労を買い叩き、競争させ、勝った者に別口で補填するという仕組みで回っていた。
おそらく、それが勝ち残れなかった者の妬みをかわすための手段だったのだろう。
だが、それも無理ということになった日には、苦労の買い叩きもできなくなってしまう。
というより、なってしまった。
終身雇用が崩壊したように、後からもらえるはずのものがもらえないケースが出てきた。
補填がされないことだってあるのだと、みんな気づいてしまったのだ。
大学病院も、特に田舎のそれは、深刻な人材不足に苦しんでいる。
この先、人口が減っていって、もう無駄な競争をやっている場合ではなくなるかもしれない。
いずれにしても、このシステムではもう回らない時が来ているのだ。
こうして改めて実態が明らかになった以上、また規制に手をつけなければならないだろう。
しかし、本当に天下りをなくしたいのなら、代わりに何かを諦めるしかない。
早期退職の慣習を廃して、居場所のないおっさんを定年まで抱えるか。
あるいは、待遇はそのままで、それで来る程度の人材で結構ということにするか。
どれも選べないなら、このままなあなあで続いていくことになるのだろう。
私の預かり知らないところでいつの間にか話題になっていて、理解した瞬間どれだけ救われた気になったか知れない。
私が味わって来た、正体の掴めない息苦しさ、葛藤、衝動、そういったものにようやく名前がつけられた気がした。
私の母親は、「否定型」の毒親だ。私の些細な言動に目をつけ、ねちねちと文句を言う。行動や失敗に対してならまだしも、そこから私の過去や性格まで取り上げ、事細かく並べ立てては「あんたはいっつもそう」と怒鳴り散らすような人間だった。自らの理解できないもの・知らないものは頑として認めなかった。視野が極端に狭く、主観や感情でしか物事を判断できない。父親も、分かりやすい否定こそしないものの、自分の主張を押し付けることが多かった。口癖は「自分が言っていることなのだからちゃんと聞け/言うことを聞かないならもう知らないぞ」。両親揃って、典型的な毒親の特徴を物の見事に備えていた。
2人に共通しているのは、自分が大好きだということ、自分の非を認めないこと(揃って子供の都合の悪い部分は全て相手に似たと言うのだから畏れ入る)、他者の思考や痛みを理解できないことだった。冷え切ったわけではないが夫婦仲はそれなりに悪く、私が幼い時の夫婦喧嘩では怒鳴り合いから殴り合いに発展し、ついには刃物が出た。激昂した母親がヒステリックな甲高い叫びを上げ、父親は声を荒げて母親を突き倒した。
私は物心ついた時から、怒鳴られることを何よりも恐れていた。判断基準は全て「親が怒るかどうか」であり、それ以外はどうでもよかった。勉強をしていれば親は黙っていたから勉強した。反抗すれば物凄い勢いで罵られることは分かっていたから何も言わなかった。弱みや痛みを家では見せなくなった。相談もしなかった。自分の意見を言うことを早々に諦め、親の顔色ばかり伺って過ごした。
真綿で首を絞められ続けるような生活だった。はたから見れば衣食住の不自由なく暮らし、学費も出してもらい、みんな仲良く恵まれた家族に見えたことだろう。思えば、外面だけは異様に気にする親だった。親が嫌いだ、なんて誰に言っても分かってもらえないと思っていた。
大学生の時に転機が訪れ、鬱になった私は友人と当時の恋人の助けでなんとか立ち直った。完治したわけではないが。親は私を救わなかった。救ってくれたのは友人と恋人だった。そのことが、私の歪んだ認知を大きく変えた。
私は親から逃げようと決心した。
そして、就職を機に家を出た。職場の関係上、実家のすぐ近くに居を構えることになったが、同じ家で暮らすよりは遥かに心が穏やかだ。時々の行動報告の電話と、実家への予告なしの拉致と、電話を無視すると浴びせられる非難を除けば。ゆくゆくは、結婚などを通じて距離を離していこうと思っている。
親は必ずしも好きになる必要はないし、一緒にいなくてもいい。そんな簡単なことすら分からなくなるほど、毒親のかける呪いは深く濃い。
それでも、枷は外せる。