はてなキーワード: 学費とは
光熱費、通信費もその中から払っていて、家賃も6.5万で同じくらい。
バイトはしてない。
バイトなしで13万だと、厳しくはないが決して余裕があるわけではないと感じる。
大した趣味もなく、強いて言うなら憧れだった京都の街を月に一度ほど散策するぐらいだ。
そこでも、京都の寺の拝観料は高いので2つ以上は入らない。
自分のなかでは慎ましく暮らしていると思っていて、日々の生活を立てることに満足していた。
そんななか、Twitterでリツイートされてきた「13万」。
しかし、それよりもっと少なくて、よりにもよって私が両親から貰っている額と1円も違わぬ13万だった。
最初はこれくらいでと決めた10万に途中から足りなくなって、さらに3万足してもらった、あの13万である。
自分が非難されているんだと思わずにはいられなくなってしまった。
「13万」と入ったツイートを見るたびに私は針のむしろに座るような心地だ。
私も私なりに頑張っているつもりだ。
日々負い目を感じながら、できるだけ節約を心がけている。
私にどうしろというのか。
せめてユニットバスのある部屋に住むべきだっただろうか。
私には学費を全て自分で賄うため、ほとんど毎日バイトをしているような親友がいる。
そういうこともあって、両親というか自分の置かれている環境には本当に感謝しているし、甘やかされているのだとつくづく感じる。
学生が現在置かれている状況に違和感を持って署名集めのため街頭に立ったことも数回ある。
だからもちろん、仕送りの平均額がどんどん下がっていっていることも知っているし、学生の半分が奨学金を借りていることも知っている。
あのボンボンの認識が甘いということは分かっているし、あいつが「お金がない人も大学以外の道があると思います」などとぬかしたら人一倍鼻息をピーピーさせて憤慨しただろう。
しかし、ひとそれぞれの都合や想いに考えが及ばないという点では、「厳しい環境」の彼とそんなに変わらないのではないか。
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
3月に卒業する予定なのですが、4年間で感じてきたことを身バレ無しで書きたいと思い、投稿してます。
何を感じたかというと、常に話題になりつづけている「格差」です。
ここでいう格差とはピラミッド上位層の中に限定した中での格差(つまり上の上と上の下の格差)かもしれませんし、もっと広義での格差かもしれませんが、私の中でも曖昧です。文章を読むにつれて伝わっていけばいいなと思っています。
私は地方出身で、首都圏に身寄りもないので一人暮らしをしています。家賃は5万円台です。
もちろん高卒で働かなければ家庭が維持できないほどの貧困家庭ではなかったということです。
母子家庭なので国や地方自治体からの援助があり、そのため働くことなく上京できた可能性がありますが、このあたりは母親にまかせっきりなので詳しくはわかりません。
学費をバイト代から払ってしまうと生活がままならないので、学生支援機構の奨学金を学費に充てています。いわゆる一種と二種の両方を全額借り、学費を払い、余剰分は実家の母親に預けています。
上京するまでは月々8万円ほど稼げば十分に暮らしていけると思っていました。
食費3万円、光熱費や携帯など固定費2万円~3万円、自由に使えるお金として2万円~3万円。
高校生の頃は月5000円のお小遣いだったので、自由なお金が約2万円というのはとても魅力的に感じていました。
しかし実際は全く8万円では足りず、毎月15万円ほどは必要でした。
試算との差額の多くは交友費です。
私は貧乏ということを周りに印象つけられたくなかったので、誘われた飲み会や旅行にはなるべく参加しようとしました。
それだけで月5万円以上は必要となったわけです。
周りの友達の多く(体感では8割ほど)は両親からの仕送りや小遣いで飲み会や旅行に参加します。
比較的お金のない友達でも、アルバイト代が全額小遣いになり、生活費全般はすべて仕送りや奨学金で賄っていることがほとんどです。
「貧乏というレッテルを貼られたくない」というプライドだけで、毎月約70時間、年間800時間以上をアルバイトに費やしてしまいました。
アルバイトの時間が多い分だけ失ったものがあると考えると、とてもつらいです。
4年間で約3000時間以上です。もし全くアルバイトが必要なければ6000時間を超えるでしょう。
難易度の高い資格試験に挑戦できたでしょうし、プログラミングにも手を出せたかもしれません。
何百冊もの本を読むこともできました。
4年間多額の交友費を使っていたことでサークルやゼミなどの友達とたくさんの思い出ができましたし、それが無意味だったとか無駄だったとか言いたいわけではありません。
楽しかったですし、実際遊んでいるときに「このお金(時間)があれば…」と考えることもありません。
私は文系で、大学の研究室でいわゆる日本の格差問題について議論することがあります。
正直私以外は格差問題について基本的に上からの視点でしか話しません。
両親の収入によって子供に文化資本的な格差がある、教育格差がある、なども問題は存在を認めながらも他人事でしかないようです。
解決しなければいけない問題ではありますが、本人が直面している問題ではありません。
この、格差問題との距離感の違いが必ず浮き彫りとなり、つらかった。
私が母子家庭に生まれなければ、この大学での一般的な家庭に生まれていれば、見栄やプライドがなければ、地元の大学に入学していれば、と卒業を前にした今どうしても考えてしまいます。
母親に話せるわけもなく、同じ大学の友達に話せるわけもなく、高校の友達と頻繁に会うこともできず、つらいです。
超今さらだが、国会に取り上げられたアレはマッチポンプというか政治家の綱引きの道具というかただの自演くさい感じがしたけど、
アレだな。
私も便乗して「神社本庁落ちた斯界死ね!」とかエントリ上げるべきだったかな。
視点者をコネなし就活生にして、「地縁血縁がないとまともな神社に就職すらできないのに唯一都心に残れる希望のあった本庁の試験に落とされた!残ってるのは地方ばかり!地方で死ねってのか!」とか自己中心性丸出しの、若者の悲痛な叫びを装った自分勝手な放言みたいなエントリをさあ。
でも普通のリーマン視点からすると斯界の連中は随分とまあラクしてっからなー。そんなエントリまるで書く気にならないなやっぱ。甘酒うっま。
まあ、神道ってのは一言で言えば要するに、穢れを嫌う宗教なわけですよ。でこの穢れってのは、異物と言い換えてもいい。
んで、例えばねー。
まあ神社界ってのも、平均身長がちっちゃい辺りからもよーくわかるように、せっまい世界でみんな知り合いであまり面識ない人にも遠い遠い血縁があったりとかして、そういう隔絶されたムラ社会なわけですよ。
学校に入ってくるのも知り合いばっか。家名を聞けばどこそこの子とすぐわかる。育成機関は似たような血で溢れかえっているわけですよ。
で、そういうところへ例えヨソの子が入ってきたとしても。
少子化やら現代化やらで神社の血族のみで維持し得なくなった斯界としては表向きは拒まないし、基準さえクリアすりゃあ入学を慈悲深くも情け深くもお許し遊ばして下さるんですけどね。
いやぁ残念ながら。これ。あくまでも。表向きだけの。話なんですよねえ。
ヨソの子が、神社について学びながら学費生活費稼ぎたい!と神社バイトに応募すれば、既に申し込み電話の時点からとっても失礼な対応をした挙句、他の子と一緒に面接にきたその子にだけ滅茶苦茶難しい筆記試験を出して答案を見て嘲弄し、その子だけ落とすような真似をする。
で。
バイト落とされたそのヨソの子が、それでも実務に携わりながら必要な費用を稼ぎたい!とめげずに応募を続けて、どうにか採用してくれた神社でバイトしながら学生続けてみれば、まあその神社ってのも他の神社が落とした人材拾うだけの理由があるくらいのボーダーライン上にあるヤバイ場所だったりするわけで、周囲は、何も裏事情を知らずにただ働いてるだけのそのヨソの子を、評判悪い神社の与類と責め立てる。
頑張って勤労学生してるヨソの子は自分がなぜここまで責められてるのかも納得がいかないまま、でも他に神社の勉強しながら働く宛てもないから、選択肢ないから、黙って攻撃に耐えて働き続けると。
奨学金? あぁハイハイたくさんありますよー。斯界はなんたって身内ばかり、学生への支援も充実してますからねえ。
唯一採用してくれたバイト先で費用稼いでるだけで責められるそのヨソの子が、じゃあ、と支給奨学金に応募するわけです。するとどうなるか。
驚いた事に、奨学金の面接の場で面接官からそのバイトの事を責められるわけなんですねー。
生活費学費がないから奨学金応募するのに、その費用を稼ぐ事を教職員学生全員から攻め立てられるから奨学金に応募したのに、お前は奨学金を受けるに相応しくない労働をしていると学校のお偉い面接官数名の前で面罵されるわけですよ。
あ、結局その支給奨学金は裕福な神社の子が貰ったそうですよ。徒歩十五分くらいの学校に400万くらいする車乗って来てたんだけど、学校側から駐車を禁じられたから、その奨学金で単車を買ったそうですよ? 通学楽になってよかったですねー。大事な大事なお金持ちの神社の跡取り息子ですもんねー。おみ足を汚して損なうことが万が一にもあっちゃあいけない。
それだけ耐えて耐えて耐え抜いた後に、得た実務経験が、じゃあ就職の段で役に立つのかっていうとなんとまあ救いのない事に。これが真逆なんですねえ。
ハイ。最初に言った事に戻ります。神道は穢れを嫌います。異物を徹底的に嫌って排除して視界の外に追いやって忘れ去るのが神道なのでございます。
最も有名な祝詞の一つであるところの大祓詞にも穢れをそのように扱うくだりが最後の方に出てきますけどね。まさに言行一致、神社界って祝詞を体現している素晴らしい場所だと思います。
就職にあたっては、その子だけ学校側からの就職支援も非協力的。希望する神社への問い合わせも後回し。むしろ露骨に宮司出張中だのなんだの理由つけてただの求人打診の問い合わせすら二週間放置されるのが連続であったりなんか。「ダメでした♪次頑張ってね♪」て結果を朗らかに聞かされる頃には、もう他の求人はあらかた内定出て、ほくほく顔の子達で溢れかえってます。
そんな事になったらどうするか。
何も推薦されないから、全部自分で決めなければなりません。選択したくない選択肢を選ぶのは自分の手だけで行わされます。
ま、とかく神道は穢れを嫌う。
上の話読んで、「学校やら教育委員会に学校側の不平等を、機会均等付与における不公平性を訴えればよかったじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんね?
でもね。
訴えたら、穢れ。
騒ぎを起こしたら、穢れ。
腫れ物に触るように扱われて、のちのち丁重に斯界から排除されるんですねー。
私も業界歴長いですからねー。そういう奴いっぱい見てきましたねー。
「じゃあ神社でバイトしなきゃよかったじゃん」そう思う人もいるかもしれませんね?
神社外でバイトする子はねー。神主にならない率がねー。これけっこう高いんですよー。養成学校通ってる学生がそれじゃ、本末転倒でしょ?
まあこういうケースはただ不幸なだけの話という気もしますがね、しかしこうした大なり小なりの不遇に耐えて斯界に残る神主ってのは相当数いたりするもんなんですよね。
上のような話を読むとこれってよっぽどのレアケースなんじゃね?と思うかも知れませんけど、この手の話は割とありふれた話なんですよ。まあだからこそ書けるんですけどね。
で、なんで色々な目に遭いながら斯界に残る神主が多いかっつう話なんですが、
そこには、もちろん“斯界はヨソよりゃよっぽどラクだから”という根本的な理由もあるわけですが。
その他に、もう一つ理由があるんですねー。
それは…“不遇を是とする”。この真実を、誰にも否定され得ないという事。
いやぁこれに尽きますね。
歴史は巡るだの負の連鎖だの色々ペシミスティックな言い方はあるんでしょうけどね?
つまりはね?
今 度 は 私 達 が 理 不 尽 な 不 遇 を 与 え る 側 に ま わ る わ け で す よ 。
そ し て そ れ は 誰 に も 否 定 で き な い わ け で す よ 。
ケケケケケケケケケ!
――なんて事を、斯界以外知らない若手の連中あたりが大勢で言い出したら、穢れ扱いして対処するのも難しそうなんだがな。
それともこの手の狂信者を伝統と信仰とを継承する純粋な信仰者として扱ったりとかすんのかね。
どうせいずれはお神輿担ぐのはゆとり世代が中心になるんだから、のほほんとしたゆとり世代をムラ社会の狂人どもがキツい洗礼でお出迎えする現状は、やっぱやり過ぎと思うわ。
ゆとりもいずれキレる。
大学生・大学院生の時の方が圧倒的にストレスフルだったし、金は稼げないどころか学費払ってるし、自由な時間少ないしで圧倒的に社会人の方が楽だし楽しい
彼の両親も、それぞれ23区ど真ん中にある一軒家で育った。
夫の親族のほとんどは都内に家があり、大半は大学出で、半数が東大か海外の大学を卒業している。
母方のひいおじいさんは大学教授、おじいさんは会社経営者で、父親は超大企業に勤めていた。父方の祖父は医者だ。
ど都心にある両親の実家はそれぞれ部屋数が10以上あり、庭は子供が鬼ごっこをできる広さがある。
ここまで聞くと、小町によくあるような夫自慢に思えるかもしれない。
夫は都内の私立の中高一貫校に進学し、専門学校(夫曰く、名前を書いたら入れるそうだ)を卒業してエンジニアになった。
年収は同世代の中央値のちょい上くらいで、1千万円を超えることは一生ないだろう。
一方私は、中堅地方都市にあるアパートで育った。うちはどちらかといえば貧乏寄りで、住んでいるアパートを同級生に見られるのが嫌で嫌で仕方なかった。
家は6人で暮らすには明らかに狭く、自分の部屋がある友人がとても羨ましかった覚えがある。
奨学金と親族からお金を借りて学費をやりくりしたのだが、曲がりなりにも大学に娘を通わせられたのだから、そこまで貧乏というわけではなかったと思う。
そんな私にとって、夫は今まで出会った人の中で最も育ちがいい人間だ。
夫は乱暴な言葉を決して使わない。いつも柔和で物腰も柔らかく、大きな声を出しているところも見たことがない。
躾が厳しいお祖母様が、ジェントルマンとしてのマナーや所作を教え込んだらしい。
夫は怒らず、驕らず、感情的にもならない。女性を見下すことも絶対にしない。
対して私の言葉遣いは乱暴だ。仕事中は丁寧に話すことを心がけているが、すぐ地金が出てしまう。
ホテルで食事をしたことも、きちんとしたフランス料理も食べたこともないからマナーもわからない。少ないお小遣いは本に費やしたため、趣味らしい趣味もない。
夫との育ちの違いを最も感じたのは、箸づかいだ。私は箸づかいがとても悪い。練習してもうまく使えるようにならなかった。
私とは何もかも違う人間だ。
夫に貧困の話をすると、明らかにピンと来ていないのがわかる。
驚いたのは、「うち(私と夫)は、中流の下くらいだよねえ」と言ったことだ。
うちは共働きでそれぞれ正職員として勤めていて、都内のマンションにすんでいる。
すくなくとも私の実家よりはるかに余裕がある暮らしをしている。
「じゃあ、君の実家はどのあたりなの?」ときくと、「僕の実家がちょうど真ん中(の生活水準)だと思う」と返され、二の句が継げなかった。
思い出したのは、義母との会話だ。義母の庭は定期的に職人に手入れしてもらっており、色とりどりの季節の花や木が植わっていて、とても見応えがある。
「こんな素晴らしい庭は見たことがない」と伝えると、「そんな立派なものじゃないわ。近所の方や、知り合いの家の方がよっぽどすごいわよ」と家族一同に全力で否定された。
その時は、「謙遜してるんだなあ」と思ったが、今思い返すと、あれは本気で言っていたのだろう。
私にとって一番凄い庭は夫の実家のものだが、夫の家族はもっと広くてもっと手入れされている庭をいくつも知っているのだろう。
私にとって一番凄い家は夫の実家だが、夫の家族はもっとお金持ちでもっと格式がある家をいくつも知っているのだろう。
夫にとっての「貧困」は、テレビで写し出されるアフリカの現状のようなものなのかもしれない。
存在は知っているが、リアリティを感じないし、遠すぎて自分の家と比較をしたりしない。
夫が大学に行かなかった理由の一つは、「行く必要がなかった」からではないか。
私は狭い家を抜け出し、自分の部屋で生きて行くためには絶対に大学に行く必要があった。
すくなくとも、18歳の私はそう思っていた。
しかし、夫にはそう言った飢餓感や、行かなければならない必然性がなかったのではないだろうか。
大学に行くと、様々な人がいた。
・明らかに更生や同情の余地の無い屑夫なのに、「私がこの人を支えていけばいつかまともになるかも……」とか「この人も可哀想な人なのだから私が支えないと……」等と更生を期待したり生い立ちに同情したりする。
・明らかに自分に非の無いことで理不尽に怒鳴られたり殴られたりしても、怒らせた自分の非を探して自分を責める。
・基本的に要求せず、全て誰かの言いなり。自分というものが有るのか無いのか知らないけど、とにかく主張というものをしない。
・無駄に料理や裁縫などのドメスティックなスキルが高い。これがあるから夫は妻を生かさず殺さずで囲おうとする。これが無ければ向こうから捨ててくれるかもしれないのに。
・子供の前で殴られ、子供の前で泣き、子供の前で夫に赦しを乞い、その後子供に駄目な母で御免なさい的なことを言って謝る。子供は板挟み。
・越えてはならない一線というものを理解できなくなっている。例えば上述した子供を巻き込んだDVもそうだが、例えば、夫に唆されて自分の実家に電話をかけて両親からお金をせびるといった背徳行為等に関しても、夫に言われればやってしまう。
・家事全般もそうだが、所謂女子力的な要素も無駄に高い。無駄に付き合いも広く、小金持ちのママ友達が多い。故に見栄を張りたくなるのか、あるいは意地なのか分からないけど惨めな自分を認められない。
・田舎育ちなので、都会に対して妙な拘りがある。故に実家に頼るとか実家に帰るといった選択肢がとれない。
・大学時代に親父に引っかけられて卒業後すぐ家庭に入ってしまった為に社会経験がアルバイトくらいしかない。その為自立するという選択肢が浮かばない。
・基本的にお人好し、悪く言えば人を見る目が無い。故に変な人との付き合いも多く、以前お金を盗まれたことも。
・要はメンヘラ
・まず学がない。
・学が無い上に、努力というよりも才能で無駄に仕事で成功を納め小金持ちになってしまった為、学の大切さを知らない。故に、学を軽視する。
・学を軽視している為、子供が宿題をしていると「勉強なんかするな」と怒る。学を軽視している為、「高校出たら働いて今までかかった学費を返してもらう」という素晴らしい( )教育方針を持っている。
・教育方針から分かる通り、学を軽視し、金銭を何よりも重視する。人や物の価値を金銭でしか計れない。
・学を軽視しているので、習い事等を一切許さない。反面無駄な成金的贅沢を子供に沢山経験させることには熱心。
・学を軽視している癖に学にコンプレックスがあるので、大卒の妻にコンプレックスを持っている面倒臭いオッサン。
・当たり前だけど、些細なことでキレて、些細なことで殴る。加減を知らないので痣が残っても気絶してもお構い無し。子供の友達が来ていても殴る。自分の両親兄弟の前でも殴る。赤の他人の前でも殴る。実の息子さえも殴る。とにかく殴りまくるがケチなので物だけは殴らない。
・無駄に容姿がまともで、口が上手く、女にモテる。愛人がいる。
・愛人と子供の交流を平気でさせる無神経。ちなみに愛人も殴る。
・一応子供に愛情があるらしく、割りと構ってくる。しかし幼稚ですぐキレるサイコ父さんなのでいい迷惑。
・基本的に独占欲が強く、子供も妻も自分の思い通りであってほしいと願うし、そうでなければ許せない。例えば子供が友達を作ったり友達と遊んだりすることを嫌うし、妻が自分以外の男と交流を持つことも嫌う。(友達と遊んでると機嫌悪くなるのだけは止めて欲しかった……)
・要はメンヘラ
以上
日本が太平洋戦争に突入した理由として、二言目には軍部の暴走がどうのと言われる。
しかし、これは当時貧しい家に生まれると、立身出世するためのルートが軍隊ぐらいしかなく、
彼らの勢力を抑えようにも抑えられなかったという事情もあるらしい。
現代は、まさにこの戦前の空気に近づきつつあるのではないかと思う。
高校の無償化といっても、今はそこまで義務教育みたいなものだ。
給付型奨学金がどうのと言ってるが、今出ている限りの情報だと、貧困家庭に行き渡ることはまずなさそうだし、
むしろ国立の学費を私立に合わせて引き上げようとすらしている。
困ったことに師範学校も、教師になれば奨学金が減免される制度ももうない。
奨学金という名のローンを背負っても、その後の就職先があるかも疑わしい。
いい加減、防衛大にでも行くしかない状況になりつつあるんじゃないか?
さて、最近安倍が言ってる一億総活躍とやらは、もう男性の所得はこれ以上伸びないので、
女性も高齢者も動員して家庭内の収入を増やそう、そして家庭内で互助を成立させようという政策らしい。
しかし、自分はこれも失敗すると考えている。男の所得上げなきゃどうしようもないだろう。
家事や育児や介護が女性に集中する現状(という理由にしとこう)で、女性が結婚しようと思えるだろうか。
仮に、これらを積極的に担うことで、所得の低さを補おうとする男性が現れたとして、
女性が彼らを選ぶだろうかというとこれも疑わしいのだが、それはひとまず置いておこう。
防衛費がないとか、周辺国の理解が得られないとか、そういうのもあるんだろうが、それ以前にだ。
優秀な若者が軍にばかり流れるような世の中は作るべきでない。
高2のときに、薬剤師になるのも良いのではないかと思って、親戚の出た大学の薬学部薬学科を進路の視野に入れたことがあった。
私立なので学費が高すぎること、教員志向なので理学部か農学部に転ずることとなり、その後数学が壊滅したため文系になることになったため
薬学部に行くことはなくなった。
しかし、今思うと、薬学部薬学科と言うのは色んな意味で素晴らしいような気がしたのだ。
まず、大学院博士課程に行って研究職を目指す場合、ポストがなさすぎて食べていけない人というのが大量に発生している。
勿論博士取得者の進路はアカデミックポストだけではなく、塾講師など色々あるが、それだって多くはない。
薬剤師資格があれば、これを活用してなんとかなるのではないかということを思った。あと大学院時代から既に薬剤師のバイトできるのだろうか?
これは、産休・育休のあとに復帰しやすい、同じ職場に復帰しなくても転職しやすいということでもあると思う。
高校の先輩女子で薬学部薬学科に行っていた方は、これを理由に薬剤師になることを決めたらしい。
また、社会的地位というものもある。医者と違って、全部の大学が最上位というわけでもないが、それなのにかなりの社会的地位はある。
聞くと、アメリカでの薬剤師の地位というのは相当なものらしい。
さらに、一部の大学では、入試で数学が理系分野は必要ない。数学が得意な人にとってはどうでもいい利点かも知れないが、理系自体を諦めなくてはいけないレベルで数学ができなかった人間にすれば、これは大きい。一部の大学と言っても、中堅国公立や難関私立も含まれるので、どうしても上位国公立でないと行けないのでない限りこの恩恵は受けられる。理系数学を侍みにしている人からすればデメリットかも知れないが……。
今一度薬剤師になることの利点を思い浮かべてみると、これらの要素が思い当たる。既に諦めた人間による、隣の芝生は青い的な感想だが
特にもしいま、数学ができないという理由で文系にしようとしている高校生がいたら、ぜひ薬学部薬学科への進学を検討して欲しい。
言いたいことも分かるが、この人は生活保護をどういう制度だと思っているのか?
日本で生活保護を受ける人の割合は、もっとも比率の高い大阪ですら1%に遥か届かない(0.3%程度)。一方、日本の大学進学率は依然として60%を越えない。
筆者は、その0.3%レベルの子に、全体の半分以上のレベルの教育を受けさせないとヒンコンノレンサガー、というもの。ごくごく一部の実例だけをみて、しかも各種奨学金制度の話などを全部すっとばして制度設計を語る。そういう思い込みで制度を作るほうが危険。
まず大前提として、育てられないんだから妊娠すんなというのがあるが、退学については「そういう学校もあるしそうでない学校もある」としか。たとえば、2000年以降に全国でわーっと作られた単位制高校(昼間定時制)なんかは、成人が通うことを想定してるんだから当然「妊娠したら退学」なんて校則あるわけがない。障害をもった生徒も可能な限り普通科高校でともに学ぶ環境をつくることが、社会全体としては将来的に重要という観点から、いまインクルーシブ教育の推進が全国で進められようとしており、それに伴ってまた全国の高校の「校則」は大きく変わっていかざるを得ないと思う。「筆者の知り合いの文科省関係者」はずいぶん頭が悪いようだが(文科省関係者は現場を知らないから仕方ないが)「全国の教育関係者」は当然考えているし、筆者が騒がなくても変わるべきことは勝手に変わる(変わったからと言って筆者の手柄ではない)。
その他、児童手当の問題、学費以外の費用の件(制服や高校なら教科書代の問題は、地元利権の問題があるのは事実だが、安いメーカーが参入することによって発生する問題もある(「高い」制服を着られる生徒と「安い」制服しか変えない生徒間の差別感の発生等)ので一概には言えない)、医療ケア児の問題についても、いろいろ言いたいのは分かるが、最大の問題は役人に文句言って解決すると思うなということ。だって、それほぼ全部金があれば解決する(金がないから解決してない)問題だからね。じゃあどうやって金を回す?予算をつける?法を通す?
三権分立習ったでしょ、中学校の公民で。行政に文句がある場合、役人に文句言っても徒労感しかない。だって仕組みを決める権限は彼らにはないんだから。彼らは法に則って、政治を「執行」するのが仕事であって、仕組みを決めるのは法であり法を作るのは議会なんだから、議員に陳情に行きなさいと。そんで選挙に行きなさいと。今ある仕組みを作った議員や政党はどこで、そんでそれに反対しているのはどの党で、ってちゃんと調べたのか君ら?
別に、その党が議会で多数派を握らなくてもいいんだよ。委員会で発言権があり、役人に物言える程度に力のある議員なら仕組みを作る程度の力はあるんだから、資料を整えて陳情に行きなさい。ネットで与太記事書きとばしてそういう現実的な部分を他人任せにしてちゃ、あなたの言う何事も変わりゃしないよ。
2017年にはぶっ壊したい、こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20170104-00066222/
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20170104-00066222/
よく貧困云々で返済不要の奨学金の枠を増やせだとか学費を無料にしろとかあるけど、果たしてそれで何が変わるのだろうか。
奨学金を借りる人たちで問題になるのは以下の2種類だと考えられる。
まず1についてだが、大学卒業後に正社員になれず奨学金を返済できないという場合、たとえ奨学金が返済不要になったとしても、その人が非正規であることには変わりない。
大学を出てもまともな職に就くことも出来ない人間のために、教育と称して国が金を払うのは何の意味があるのだろうか。
よくある理論に「教育は若者を育てるための投資だ」というものがある。
しかし、このタイプの人の奨学金を返済不要にしたところで投資を回収することが出来ないのは明白である。
次に2のタイプの人についてだが,なぜ必要なだけお金を借りないのだろうか。
まともな職に就くことができれば、月々数万の返済は大した負担にならないだろう。(もちろん就職したての頃は大変かもしれないが)
私が考えるに、大学という看板を就けただけの名ばかり大学の存在と、それを見抜けずに大学を出れば就職できると思っているバカの存在であると思う。
まともじゃない大学に入学して借金を返済できなくなってしまうという不幸(自業自得)をなくすためにも、まともな職に就くことが出来ない大学に通う学生に対しては奨学金を払うべきではないかと思う。
例えば、アニメーターや声優などの専門学校に通う学生に対して奨学金を貸すのはあまりに酷な気がする。
同様に、まともな職に就くことの出来ない学部に通う学生には、それを支えることのできる親などの経済力を前提条件とすべきだと考える。
まともな職に就けるであろう学生のみに奨学金を給付すれば、それは投資としても十分回収することができるのではないだろうか。
大学に入る必要がない人が奨学金を借りて無理して大学に入る現状をどうにかしない限り、奨学金を返済できない人が出てきてしまう。
それはもうまともな職に就けないことが予想される学生には奨学金を貸さないなどの、通常のローンと同様な厳正な審査を設けるしかないと考える。
本人は中の下というが、「広瀬すずに似てるって言われる」という。
広瀬すずに似ている中の下なんて居ないことはわかると思う。
AKBはほとんど知らないが、見てみたら、乃木坂の衛藤美彩って人に似てた。似てたというか、顔面偏差値このくらい。
本人は、スクールカーストは底辺で、教室の隅っこに居る、アニオタという。
で、でた~女特有の自分を卑下しつつ承認欲奴~wwwwwwwwwwwwwwwとか思ってた。
俺は、非リアな「いない歴=年齢」なもんで、美人というと、「ドキュンの肉便器」「金持ちやイケメンの相手してる」すぐそう考えていた。
ネットの女叩きの影響ね。
6年くらい彼氏いなくて、マッタクモテない。1年前にできた彼氏には振られた。1年前の彼氏までは処女だった。
絶対嘘だと思った。この美人がどうやって男に言い寄られないんだよ。
男を拒否ってるだけだろ?と思った。
違うという。
俺は、もうかなり衝撃的だった。嘘だ嘘だ。
嘘でしょ。
杉原千畝の話をする。
ユダヤ人が大虐殺されて殺されそうになった場面で、自分の命が危険になるのをわかってて、ユダヤ人を救うためにビザを発行しまくった人だ。
俺は、そういう風に、心がきれいな人でありたいと言った。
すると、その子は、私もそう思うと言った。
これだ。ママ。
「ああ、バブミでしょ」
嘘だろって思った。
うそでしょ。
こんな美人が、嘘でしょ。
俺は、ついつい言ってしまった。
ソーニャというのは『罪と罰』って小説に出てくる、心がきれいな娼婦。
なぜ、ドストエフスキーみたいな大文豪が、風俗嬢が心がキレイみたいな嘘を書くんだろうと不思議だったが。
風俗嬢に聖書読ませるっていう感じのストーリーなんだけどさ、そんな聞こえがいいだけのものをドストエフスキーが採用するなんて絶対おかしいと思ってたんだけど。
本当にいたんだ。
と、同時に。
俺が今まで偏見の目で見ていた人たちは、心がきれいな人たちもいたんだろうなと思った。
偏見から、ひどい態度をとってしまったんじゃないかと後悔した。
ネットでイキってるクソフェミ女や、専業主婦は辛いアピール女はどーみても性格が悪いのがツイッターで丸わかりだった。
がるちゃんも屑方向にだいたい議論が流れるから、そういうもんだと思ってた。
いやしかし、ショックだったんだよ。
こんな可愛い娘が、心が屑じゃないとか、嘘でしょって。
マトモな心の人が、本当にいるんだ。俺だけじゃなかったんだ。
そう思った。
俺の世界が完全に変わった。
と言っても私が4年前に上京した時にお別れした一軒家じゃなくて
そこに父と母と弟と妹の4人で住んでいる。
そして今はそこに帰省した長女の私もいる。
必然的にスペースを分け合わなければ眠れない。
弟は大学中退したDQNなのもあり、その横暴さを振りかざして一つの部屋を独占している。
8畳の部屋に父と母と妹と私で2つの布団を分け合って寝ている。
と、いうのが理想。
現実は「仕事で疲れているんだ」といって父が一つの布団を使って眠るので
共働きの母はほとんど毎晩リビングで布団を畳みながら寝落ちしているらしい。
たまに最後まで畳めて妹のお布団までたどり着けたときは一緒に寝ている。
でもそれも私が帰ってきたら妹の隣を私に譲ってくれる。
「まるでヤドカリだね」「言い得て妙」と言って笑いあえる家族なので
弟や父にモヤっとした不満は抱きつつも我が家を嫌いになりきれない。
弟が部屋で買っている亀は可愛い。
でも今年受験生の妹に勉強机がなくて、テレビを見ている父のん横でテキストを解いている姿とかみていると
普段の学生生活で友人の指輪に自分のトータルコーディネートの総額が負けたときとか
生活費のために働いているバイト先で(仕送りは当然なくて、奨学金は全部学費に回している)
「今日8万もお買い物しちゃった☆」って会話が蔓延っている休憩室に座っているときとかの
胸の下あたりを細い糸でキュッと結ばれたような惨めな気持ちを思い出す。
両親には「勉強机を買ってあげて」って春に言ったけれど、結局叶えられず。
私はせめてと思って妹に自転車を買った。
安物だけれど、これで図書館に行って勉強してほしいなと思って。
片道40分かかるけど、無理な距離じゃないし、父とテレビに挟まれて勉強するよりかはマシだろう。
「ありがとう」と言ってくれた妹を見ていると、
最寄り駅まで1時間ちょっとかかった家だったけど、借家の一階建てでボットン便所だったけど、
(惨めな思いはしつつも)貴重な体験がいっぱいできて、
(お金かかるからあまり満喫はできないけれど)読書以外の趣味も見つかって、
なにより素敵な友人たちができた。
ただ、私の家は結構な貧乏だってことや、20歳でデキ婚は当たり前じゃないってことなどに
気づかされたのは正直とても辛い。
私は来年そのまま東京に残って希望していた職に就くことになった。
そのことを伝えた時、両親はいつでも帰ってきていいよって言いながら泣いてくれた。
家族のことは大好きだ。本当にこの家の長女でとっても楽しいし幸せだと思う。
でも、お金はないのに物で溢れている家だとか、母が10年間ずっと着ている服だとか
実は黙っているけど結構な額の借金があることとか、東京までの往復費が出せなくて未だ一度も遊びに来てないこととか
友人は奨学金借りていないし仕送りももらっていることとか、お母さんの車はいまだにカセットなこととか
そういうのがただただ悲しい。
私に何ができて、どうすればいいのかも分からない。
最近は貧困問題がよく取り上げられていて、色んな人の声を聞く。
その中には想像も絶するくらい苦しい状況の人たちもいる。
でもだからって「自分は貧困じゃない」「まだマシだから弱音を吐いたらいけない」とは思えない。
何が言いたいのかまとまってなくてごめんなさい。
気の置けない友人たちにも言えない私のコンプレックスを酔いにまかせて吐き出したかっただけなんです。
私はこのまま東京に残って就職するけれど、いつでも帰ってきなさいと言ってくれる両親を裏切れるように頑張る。
せめて自分の子どもにはこんな惨めな思いをさせないように頑張りたいし、まずは結婚できるように恋人を作るところから頑張る。
結局どんな大学に入っても頑張らなきゃいけないことはなくならないし、