はてなキーワード: 同業者とは
タイトルの通り。筆者は高校の教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テストの方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやすく解説していきたい。
わかりやすくとはいえ、大学入試の古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典の知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。
問題や解説・予備校の分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。
https://www.toshin.com/kyotsutest/
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf
以下は教員仲間とのディスカッション用メモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。
まず、第三問の古文。
センター試験から変わると事前に予想された、複数の文章や会話形式の選択問題はなかった。
本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章の入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。
・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。
・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの。
これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ「文学的な文章の鑑賞」つまり「作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。
・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。
・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念「無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)
・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。
・また、過去の試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力を古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である)
これだけでも十分すごいが、続いて漢文。
こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通のテーマの文章ふたつの出題である。
・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題。
・とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。
・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。
・漢詩の押韻の知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題。しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。
・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。
・文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補は「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。
・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。
・しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのである。しかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。
受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり、受験生の心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。
・よって受験生は文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程を要求される(というよりも問題側から誘導されてゆく)という問題の構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である。
このように、古文・漢文ともに「受験生に思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生の思考を多角的なものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。
また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題の誘導する深い思考に対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路が設計されている。学力を測る目的の大学入試問題としても適切である。
センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報を多面的・多角的な視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術的知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育の現場から、惜しみない賛辞を送りたい。
・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう。自分にとっても、いろいろ考える機会になった。
・別記事で「古典を義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。
https://anond.hatelabo.jp/20210222160532
この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……
古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています。
古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります。
・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすくしました。
こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくまで論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。
よくある誤解だけど、国語の入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情・センス」ではなく「論理」になっています。
もしかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。
石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分の現代文指導の根本にある本です。
解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。
解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典の学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います。
これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数の問題でも非常に数学のエッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。
新共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問のエッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています。実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。
今回の共通テストはセンター試験の名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃんと多角的な思考力を問う内容になってる!
そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさらに進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすいものになっています。
それもあるし、これを見た高校の先生は「知識だけでなく、学問的な思考の方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります。
大学入試改革は、高校入試改革の嚆矢としての役割を持っているので、この方向性は国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います。
古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来の人達に私達の心情とか踏まえて歴史を理解して欲しいって思うもん。
こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います。
今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンターや共通テストが良問であるとされる所以ですね。
店に不満はなかったんやけど、やっぱり色々おかしいところはあるんだなぁと。
同伴できることが良いことだと思っていたので…
とまぁそんな感じで、お客様と連絡先交換するとアホほど店外のお誘いが来る。まじ?って感じ。
これは、私の慣れてなさを見抜かれてるのか…
とネットで、「店外 断り方」でググったら、直接的に言わないならやっぱり忙しいことを理由にすべきだと。実際、春休みの課題に、時給上がるフル出勤ノルマに、バイトの掛け持ちに、ぶっちゃけLINEをしてる暇もないんだから、ご飯など行けるわけない。
でももうこういう人たち、ありとあらゆる女から忙しいことを理由に断られてるでしょ…もう察されるわよ…
たしかに美味しいご飯をいただくことは、ホヨホヨ大学生ワイには必要な経験かもしれない…でも時給も発生せんし、長く夜を続ける気もないから、ガンガン断ってしまってる…これでいいのかしら?
あと、今日は同業者だという人についた。よく分からないけど上の人間の話をするから、経営サイドの人間だと思ってたら、最後に交換したラインが完全に源氏名だった。あら?ホストだったの??ごめん…顔もトークも微妙で…
なーんにも知らずに夜職に片足突っ込んでるなぁって思う。
元記事主だけど、まあまず自分としては他人の労働をばかにしたりかまってるヒマはないという点は理解頂きたい。
内情としては、会社から新規事業の立ち上げを任されたのだが、詳しくはオブラートにするが、
プランAとプランBで検討しているとしよう。プランAはまっとうな商売だが労苦は多い。
プランBは労働集約性も低く収益性も見込まれるが、若干うさんくさい。こんな状況である。
世の中には価格プランをこねくりまわすことで客を混乱させて儲けるスキームもある。
なので「なぜ胡散臭くなってしまうのか」という原点に立ち戻る必要があった。
ツイッターとかだと人間も多すぎて炎上するので匿名ダイアリーに頼ったというわけである。
繰り返すが他人をばかにするわけでもなく、弊社の既存事業の同業者でも腐ってるやつはどこにでもいる。
ようは気持ちの問題で、もしプランBをえらんだら最初はいいが、いずれ反社っぽい「傾向」になるんじゃないかと危惧したわけである。
もちろん上に述べたのは実体験としてヤクザな商売をさせられてイヤな思いをさせられた業種であり、主観と感情論をふんだんにもりこんでいる。
あと飲食についてはベクトルが違うと別スレで書いてるからちゃんと読め。
元記事主より
Web小説が好きだ。なろう系とか俺TUEEEE(笑)なんて馬鹿にされるけど、スナック感覚で自分の叶えられない欲望を補うのに最適だし、無料で膨大な量の作品が読めるのは有難い。
もちろん全体的な質は低いが、ある程度慣れてくれば鼻につく一人称語りも、小説の作法に則っていない表記も殆ど気にならなくなった(顔文字や絵文字は未だに違和感を覚えるけど)。
Web小説はとにかく、「百合」を挟みたがる。とくにVTuberや配信者になる話はその傾向が強い。
女主人公VTuberデビュー → 同期と連絡を取る → コラボしよう?的な展開に → 気楽にオフ会をはじめる → !!!!百合描写!!!!あ゛あ゛あ゛ぁ????????!?!?!?!くぁw背drftgyふじこlp;@:「」
私は女の子同士のキャッキャウフフを「てぇてぇ」と眺めることが出来ない!!!!!!なぜなら!先天的に受け付けないorまだ百合に目覚めていないから!!!!!!!その上残念ながら、この先も目覚める予定がないのである!!!!
VTuber系の話が好きだ。大抵が現代を舞台としているので、自自分を主人公に投影して簡単に承認欲求が満たされる感じがするし、配信業で死ぬほど儲かったら気持ちいいだろうなという願望も含めてニヨニヨしながら読んでいる。
同業者との連携やライバル的な人物が出てくるのも好きだし、「伝説の先輩」が登場するとアツい。
しかし!!!!!!それらと主人公が「百合」 を始めるとなると!!!!!話はまた違ってくる!!!
百合の何がダメなんだと聞かれても、上手く答えられる自信はない。尊さが分からないというのが1番。
軽いノリの百合にありがちな胸の大きさ比べ、風呂での触り合いなんかにトキメキを感じず、なんか品が無いなと思ってしまうからかもしれない。女子同士のベタベタした交流が嫌いなのか?分からない、元々ネットの交流をリアルに持ち込むのが嫌いだから、それも関係しているのか、していないのか…。
正直百合モノはそれらしき絡みが始まった途端に切ってしまうので詳しくないが、とにかく何かがダメなのである。
いやわかる、私の悩みは「嫌なら読むな」の一言に尽きる。もしくは「自分で書け」、「自衛しろ」……
分かるけれども!!!!VTuber界隈は実際に百合カプで見る風潮があるとかも、理解してるけど……!!
男主人公のVTuberモノも好きだが、やっぱり私が好きなのは女主人公が頑張って配信をして、色んな人にチヤホヤされつつ周りと交流する図なのである。だから、ひたすらに主人公が配信業に邁進している小説を見つけ出した時は、大変嬉しい。
VTuber、配信者モノの作品はWeb上にごろごろ転がっている。しかし、そのうち私が最後まで読み切れるのは、ほんのひと握りだけ。百合が悪いんじゃない。作者も悪くない。趣向の間口を広げられない私が愚かなのだ。
あーあ、百合が好きになれたらなぁ……。
追記2021/02/13
コメントを見て腑に落ちたけれど、私は百合が絶望的にダメなのではなく、女子同士の絡みなのに急に露骨な「作者の欲望」が出てくる描写がダメなのかもしれない。
思い返せばTS転生した元おじさんが同級生(女)の着替えに興奮する場面も嫌いだし、というか出会い頭で胸と太ももについて「素晴らしい」とレビューする男主人公も嫌いだし、多分というか絶対そうだ。
そういった一部の受け入れられない描写を覗いた、純粋な精神的な百合なら読める…のかな?
まあ胸比べ云々が百合描写であるか男性向けの描写であるかの判別って(私の中では)あんまり付ける意味がなくて、結局言いたいのは
「自分のハマったジャンルが生理的に受け付けられない描写で溢れ返った地雷原でした。自分の体が地雷に負けない屈強な体だったら(になれたら)良かったのに!無念!」
ということです。
まともな就職ができず、自営業をやっているが、同業者がSNSでキラキラ発信しているのを見ると、違う世界だな、と思う。
私は本来、消費したいだけの人間で、仕事で世間の役に立ちたいといったものがない。
Yちゃんは演技はそこそこ上手いくらいだけど歌が抜群にうまくて、とにかくYちゃんの歌が大好きだった。
感情を乗せるのも本当に上手で、歌声は真っ直ぐで、私は涙が出るほどYちゃんの歌が好きだった。
この素敵な歌声の持ち主はどんなことを考えているのだろう?
どんな人生を歩んできたんだろう?
Yちゃんの歌声だけではなく、Yちゃんの人格にも興味が湧いた。
多くの時間をYちゃんに費やした。誰かにハマる感覚は久しぶりで、本当に楽しかった。
しかしYちゃんのインタビューやラジオを聴いたりライブのMCで話しているのを聞けば聞くほど、大嫌いになった。
人を下げて笑いを取るタイプで、とても苦手だった。
自分が良ければそれでいいという気持ちが丸わかりの傲慢さに愕然とした。
天真爛漫で明るいキャラで売っているからこそ、余計にその性悪な部分が際立って見えて本当に不気味だった。
人格込みで歌手やタレントを好きになりたい私にとってそれは致命的だった。
その性悪さが目につくようになってから、盲目的に可愛いと思っていたビジュアルは声優基準という低い基準で見ても可愛くはないということに気づいた。
ツイートは同業者にもオタクにも媚びたものばかりで、八方美人で気味が悪いと感じてしまった。
男性とのあからさまな匂わせツイートに気づいた時には本気で気持ち悪いと思った。
相手のファンを煽っているとしか思えないツイートの数々、態度、写真での距離感、全てにがっかりした。
あの綺麗な、素晴らしい歌声の持ち主が、こんな性悪なはずかない!
そう思いたかったけど、もう顔を見るのも歌を聴くのも嫌になった。
Yちゃんはこの先きっと、今以上に売れることは難しいのだと思う。
女性声優が年齢を重ねてから人気に火がつくパターンをあまり見たことがないし、いくつか大きな作品に出演してもあまり注目を集めていないのでこれからは維持していくだけ。
だから私のようにあの性悪さに気がついたとしても、炎上が起こるほどの力はYちゃんにはない。
そのことをとても悲しいと感じてしまう。
炎上してほしいわけじゃない。
ただ、炎上すらできずボヤ騒ぎで終わってしまうような小物ではないと思いたいだけではある。
そう信じたくなってしまう。
Yちゃんの人格がもし、ファンに見える部分だけでもクリーンで謙虚だったらと考えずにはいられない。
裏で何をやっていても何も気にしない。
Yちゃんのこと一回は好きになったから、アンチになんてなりたくない。
ただ、もうYちゃんのことを好きになることは無いと思う。
これからも人気のあるキャラクター、作品にだけ媚を売るの頑張ってね。
可愛さ余ってにくさ100倍。
大好きだったよ
【追記】
私は大学4年だ。この一年、コロナが流行ってからというもの、大学にもいけず、バイトも休業続き。バカ高いお金だけをはらって私の大学生活は終わろうとしている。就活だって働き口は見つけてるけれど、一番行きたかった業界は採用中止や無期限延期ばかりだ。研修だってオンラインだし、リモート勤務の可能性もあって、同期と顔を合わせるのは何年後になるのやら。
卒業式だって縮小されて、お金はまるまる取られるけれど食事会もゼミの打ち上げも無くなった。
去年の春、感染拡大で前期すら始まらなかったころに「感染収まったらリセットされて自由な2020年になればいいのにね」だなんて叩いた軽口を繰り返せる自信も元気ももはやない。
テレビをつければ感染を広めている若者といわれ、はっきりと言って質の低いオンライン授業と、長い間閉まっていた図書館で不完全燃焼な卒論を書いて後期を終えた。
これが全部終わったら近場の温泉に友人と泊まって卒業旅行をしたいねなんて言ってたのも今や叶いそうにない。この一年、アルバイトの友人とも大学や高校の友人とも数えるほどしか会っていない。趣味の映画や舞台やライブも中止や延期やオンラインばかり。
コロナが流行っていてしょうがないのもわかりすぎるほどわかってはいるけれど、最後の楽しみすらスライドに書かれた突き放した言葉でなくなった。
この一年私たち「若者」の全員が考えなしに生きていたわけじゃない。
それなのに、政府や政治家たちは一年間まともな結果を一つも出さずに私たちを批判して、ただただ我慢しろ、自粛しろ、の一点張り。
テレビをつけても、意味のなさそうなフェイスシールドやマウスシールドで楽しそうにしているのは、私たちが我慢してやりたいのにやれないことをやってる芸能人ばっかりだ。彼ら彼女らはプライベートでは自粛していても、仕事では旅行をしたりおいしいものを食べたり、同業者と頻繁に会っていてズルいだなんて思ってしまい、そんな考え方も嫌すぎて最近はドラマさえも見れなくなっている。
ニュースのインタビューで批判してるのはおじさんおばさんばかり、必要に応じて電車に乗れば、感染対策が不十分なのは圧倒的に中年以上の人たちばっかり。ファミレスの前を通れば老人たちが集まってて、なんだか最近は自粛したって良いことなんて一つもないじゃないかだなんて思い始めている。オリンピックだって前は楽しみだったし、アスリートの気持ちを考えたら無観客とかで開催すればいいじゃん、とか思っていた。でも最近、某アスリートが「どうやったらできるかを考えて」だなんてほざいてるのを見て馬鹿馬鹿しいし、腹立たしい。もしかしたらそんなことを言った人はもっと上の立場を忖度したのかもしれない。本当にこれを言うのは良くないのはわかってるけれど、でもこんだけ私たちが我慢して楽しみを奪われてるのに、あなたたちだけ良い思いをするならば、是非とも中止にしてほしいと思っている。
というかなんなら今はオリンピックも政治も全部全部めちゃくちゃになってくれとさえ思ってる。
こんなことを書いたってなにも変わらないし、若者対若者以外の対立構造に陥ってるのはわかってる。医療従事者を考えるとこらえどきなのもわかってる。
いわゆるテクノストレス症候群 伊達や酔狂でIT産業のうつ病他の疾病率が高いわけじゃない
それにドクターコール24があるはずだから、デスクに相談すると通院無しで診断が受けられる場合がある
「社会学者」という肩書ではもうTwitterで発言しない。それだけでネットの社会学叩きは止まる。SNSで遊ぶのはお終いにして、仮説・調査・検証のサイクルを回すお仕事に戻ろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210131185208
SNSで妄想大系の「宇宙論」を語っている物理学者が多数観測されて、彼らが海外の一流大学で学位を得て、国内の名門大学で教職に就いて、同業者から「アイツはトンデモだから」という批判も出ない、
という状況になったら「物理学徒は頭おかしい。こんな学問税金の無駄」と素人の市民は思うようになるでしょう?
いや社会学はあまりに対象が広く使ってるフレームワークも分野ごとに違い過ぎるから、同業者でも他分野の人の「正しさ」を検証するのは難しくおいそれと口出しできない、という状況なんだろうなと同情してるけど。
https://togetter.com/li/1660066
このTwitterの社会学叩きが酷すぎて鬱になりそうな院生さんも「自分はあの人達とは違うんです」と思うなら、Twitter止めて真面目に学位論文に取り組めばいいんじゃないですかね…
約15年ほどIT土方で働いていて、有難いことか分からないけどコロナ禍でも全く仕事が減る様子がない。
むしろテレワーク用のPCのスペックが悪く何をするにも時間がかかり残業が増えた。
上場を先延ばしにする取引先、閉まる商店、必死で弁当を売る飲食店。
知り合いにも、就業時間が短くなった、テレワークになったけどほとんどやる事がなく寝ていたなどの話を聞く。
本が読み進んだ、DVD一気に見た・または動画サービス漬けだった、久々にゲームをやったなどの話を聞いてふと気づく。
たまたまコロナ禍で期間限定無料配信の古い漫画を見て、こんなに面白い漫画だったのに何で今まで見なかったんだろうと思ってしまった。
そもそもゆっくりクリエイティブなものに触れ合う時間があまりなかった。
今までも終業後ライブに行った、映画を見た、イルミネーションを見に行った、そんな話を周りから聞きつつ羨ましいな、でも時間ないから結局行動しなかった。
趣味で音楽をやる人、絵を描く人、写真を極める人、いいな凄いなと横目で見つつ残業疲れで何も行動しなかった。
本当に行動力がある人なら寝る間も惜しんで趣味に没頭するのかもしれないけど、
そこまで行動力のある人間じゃない場合、疲れてるとそこまで入り込めない。
自分はIT系だが、デザイナーやエンジニアなどその道を極めようと考える仕事イコール趣味(そもそもデザインやプログラミング好きな人)みたいな人もたくさん出会っている。
学生時代は割と本も読んでいたのだが、働いてからは電車内では疲れてほとんど寝ていて本も読まず。
アフターファイブとは程遠い生活をしていてすっかり引き出しの少ない年寄りになってしまった。
人との触れ合いが会社しなかく、そもそもコミュ障なので会社でも人と仲良くなれない。
震災以降テレワーク環境を整えることになり社員には会社用携帯が配られ会社の電話に出ることもなくすっかりコミュ障が悪化し語彙力も低下した。
学生時代の友人とは疎遠になり、社会人になってからの友人は片手の指もいない。
結局この15年残業以外の事をしておらず何もない人間になってしまったのだ。
最近分かったことは、親よりバラエティに疎い、新しいミュージシャンや芸人を知らない。
若い頃に色々ハマっておけばよかった、人生やり直したい、今生きてても死んでも何の意味もないんだろうなと何度も考える。
同時期に始めた人は平日も練習してどんどん課題を進め、平日何も出来ない自分はついて行けずやめた。
余談だが知り合いに30歳を超えてからコスプレを始めた人がいる。
失礼ながら自分以上にKYで無神経でトラブルをよく抱える人だけど、正直その行動力に感服するし羨ましい。
今までにあった同業者は、あまりのキツさに倒れたり病んだりして辞めていったが、
無駄に健康でメンタルが強い(悪く言えば無神経)な自分はずるずる続けて15年経過してしまった。
この15年で得たものは残業代だけだけど20代の頃はブラック会社にいたので貯金も特別多いわけではない。
コミュ障の自分はもう結婚は諦めた。親は相談所に行けとうるさい。
もう結構な年齢だけど、やりたい事をやろうと思った。
自分はあまり裕福な家庭でなかったので専門学校で2年学んで就職したけど、通信で学士を取ろうと思う。
資格なんて意味ないという人もいるが、割と劣等感の強いコミュ障にとって資格持ちというラベルはお守りくらいの安心感がある。
結局学士ないと他職種への転職難しい(以前転職エージェントの人に言われた)と言われ小心者の自分はずっとITで働いてきたけど、
だったら学士とればいいという事に今更気づいた。遅い。遅いけどそれで行動しなかたらもっと遅くなるので行動する。
早口の自分語りのようになったけど、こんな匿名ブログでケジメつけるのも情けないかもしれないけど、遅くても良いから変わろうと思っている。
Haskellと圏論を結びつける主張には前々からずっと疑問を感じている。
およそ、その主張の根拠は「圏論の概念であるモナドを借りてきたからだ」というのだが、その言葉の意味を突っ込んで追求した人はいないのだろうか。
数学科として、ある程度圏論を学んだ身として疑問に思ってしまうのが、
つまり、総合的に、「Haskellは圏論を用いることで副作用や参照透過性などのプログラミング言語の課題を解決したのだ」というよくある主張が、全然ピンと来ない。
この辺突っ込んでちゃんと解説している専門書はないのだろうか?
第一、第二、第三の疑問いずれに対しても、満足のいく回答は得られず、ただ「モナドは圏論由来の概念だ」というだけだ。
もしかして何か、圏論という一般にはよく理解されていない概念の言葉を良いように使って、なんだか深淵で素晴らしいもの聞こえるよう、同業者を適当にだまくらかしているんじゃないのか?とすら思えてしまう。
ネットに書く上で、避けるべきデリケートな話題ってあるけど、年々そのデリケートゾーンが広がっていって、もうよその国の大統領選挙の結果すらデリケート認定されてきてしまってる。
当方フリーで活動してて、多少は人気商売のためTwitterで自力で広報もしなきゃいけない。
政治的なにおいのする発言をすると、それがどんな薄いものでも、瞬間的にドドッとフォロワーが減るので、これもいかんのか、それもか、という具合に学習していってて、段々と発言の幅を狭めていっている。それ自体はいい。
(同業者のフォロワー数万人超えのアルファの人たちは、発言が個人でやってるとは思えない"丸み"になっていて尊敬する。直接話すとちゃんと政治にも関心があったりするんだけど、ツイッター上では完全に隠し切れている。莫大なフォロワー数が風圧になって、ジェット機の研ぎ澄まされた形状のように、発言が極限までシャープになっているんだと思うけど、自分にはとてもたどり着ける気がしない……。)
厳しい日常と日々戦ってて、ネットくらいは明るいものが見たい人たちにとって、デリケートな話題は避けたいというのも分かるんだけど、もはや「選挙でトランプが負けたー」という事実すら「強く政治的な意見」みたくなってしまってるようで、めちゃくちゃになってるなって思う。
この件に関しては、主にバーサーカーと化した陰謀論者の暴れっぷりのせいが大きいと思うんだけど、なんでそいつらのために、ここまで制限されなきゃならないんだ、いくらなんでも侵害されすぎでは、って思う。あの界隈の人ら、相当穏健な方でも、トランプ負けた程度の発言に対して、「事実ハラスメント」とか言い始めてるんだよ。
本来2メートル幅あった歩道が、暴走マッドマックス仕様車がすごい量通るようになって、もうロクに半身でも歩く幅がなくなってる息苦しさがある。
広報の役割もやるなら「萌え」や「推し」の話しかすんなって感じなのかな。
それにしたって、もうちょっとデリケートゾーンを元の幅に戻せないのかな。
無理か。
感染が怖いので11月くらいから派手な外出はしてない。仕事も完全在宅勤務。かれこれ一年以上実家にも帰ってない。
食料品調達のため行くスーパーも人が少ない時間帯に行く。外から帰ったら手洗いうがい徹底してる。
夫としか食事してないし、そもそも外食も全くしていない。テイクアウトはする。
ただ、近所のお店がつぶれたら嫌だなと思って、リスク低そうな(混んでない・マスク外す必要ない・喋る必要ない)お店は、応援の意味を込めてたまに行くようにしてる。パン屋、美容室、本屋、整体とか。まあお店のためといいつつ自分の楽しみのためでもあるけど。
今日は疲れが溜まってたので、近所のリラクサロンに行ってきた。めちゃくちゃ癒されてご満悦だったんだけど、帰り際にこんなこと言われた。
・コロナ感染が怖いから本当は閉めたいと思ってる、同業者みんなそう言ってる
・でも、医療従事者とか保育士とか、長期間コロナと闘ってる常連さんのためにも頑張って開けている
・素性の知れない新規者にコロナうつされて、それで他の大事な仕事してる常連さん(保育士さんとか)にうつしたら大変
・自粛続きで疲れが溜まってる人、他に遊びに行くところがなくて暇だからといって来る新規者が多くて迷惑している
・本当に身体を良くしたいと思ってる人(=定期的に通う人)以外は入れたくない
・飲食業界もそう、周りの飲食店も「常連以外入れたくない」とみんな言っている
ええー!それ、常連じゃない私に言う!?!?リラクサロンなのに疲れが溜まってリフレッシュしに行くのダメなの?一見さんお断りならホットペッパーに掲載すんの今すぐやめなよーー!!(ホットペッパーで予約して行った)
常連さんがたくさんいるおかげでコロナ禍でもつぶれなくてよかったね!!良かれと思って来たけどまさか迷惑だったとは!!ごめんなさいね!!もう絶対二度と行かないわ!!!!(沸点低い自覚はあります)
静岡のお店が、感染者が多い1都3県からの客を敬遠する貼り紙してて話題になってたけど、東京内でもそういう「常連以外お断り」したい店主はたくさんいるのかもしれないと思った。まあ確かに何かあった時に連絡は取りやすい…のか…?
テレビや新聞は当てにならなかったから、去年の2月からこれはと思う医療関係者のTwitterを何人か追って情報を得るようにしているけど、忙しすぎてツイートが減った関係者とは別に、ツイートは続いているけど、ここ数日で内容が過激になる人が増えてきた。観察した「過激になる理由」を自分なりにまとめる。
一番有名なのは「なんでもPCR」を主張していた医者。これが叩かれて引っ込むかと思いきや、PCR検査の限界(検査キットの精度、検査担当者の技術、偽陽性偽陰性、検査の瞬間に陰性でも次の瞬間に感染する可能性)を無視した主張は内容の正確さを問わなければわかりやすく、マスコミが継続的に取りあげて今でも根強い一派になった。
結果、安価なPCR検査が広まったけど、これら安価なPCR検査は陽性になった後の一番面倒を部分を見ないで正式な医療機関に押しつける形になる。場合によっては押しつけることすらせずに患者を放置する。この手の行為が真剣な医療関係者には無責任に思えて腹が立ち、非難するリツイートが増える。
この腹立ちが長期間続くことで、非難の言葉がだんだん荒んでくる。
いくつかあるけど「手洗いうがいばっかり言って科学的な対策が出てこない」「会食がダメなら宅飲みパーティー」「新型コロナはただの風邪」あたり。
手洗いうがいは、そもそも「手洗いが大事」なことを医者が最初に見つけたのが1847年でまだ新しく、しかも当時の同業者に否定されて見つけた医者は失意のうちに亡くなったという逸話になってしまうほど科学的なこと。だけど現代の日本人には手洗いうがいは一般的過ぎて科学的に思えない人が多くて、こういう非難になる。そこは医療関係者は粘り強く対応していると思う。
https://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/1f3pro00000sihs4.html
会食は、本当は飛沫感染を防ぎたいから場面を問わず「声を出すならマスクしろ、マスクを外したら声を出すな」が正しい指示なのだけど、その中の一場面である会食だけがクローズアップされて、正しい内容が伝わらない。何なら無視して店で飲んで大声で話し続ける。しかも店を応援しているつもりでいる。感染が広まったら店を閉める対策を取らざるを得ないので、ひいきの引き倒しなんだけど、そこがわかっていない。こういう人たちほど積極的にGoToキャンペーンを活用して、結果、感染を広めている。医療関係者は失望していて、本人が失望するのもつらいけど、家族から旅行に行かないことを責められたとかツイートしているのを読むとこちらもつらい。
新型コロナはただの風邪、だけはちょっと注意が必要。「若者は無症状だから平気」という誤解には無症状でも感染したら家族や友人に再感染すると言えるし、「インフルのほうが狂暴」という人には今の対策で今年のインフルエンザ率が例年に比べてほぼゼロなのにコロナは広がっていると言える。ただ一部の人たちはいろいろ調べて「手洗いうがいしてマスク着用と換気を徹底すれば問題ないのに医療関係者が不安を広めている」と考えている。これは対策はその通りだけど、書いた通り、手洗いうがいマスク着用は、一定数の人間には理解されないか、無視されて、徹底は無理。なまじ対策については正しいだけに、その手の人たちが医療関係者を責めて、それに同調する人たちが出てきて、医療関係者は消耗する。
医療関係者はワクチンについては話題が出るたびにチェックしていて、もちろん海外の英語の一次情報まで調べている。有効なワクチンができて接種が行きわたるのがゴール、それまでいかに被害を最小に抑えるかだと考えている。医療関係者は海外で出回り始めたワクチンの有効性は認めている。だけど日本のマスコミが、数少ない副作用をことさらに騒ぎたててワクチン接種に否定的な人たちが増えている。コロナで重症になったり亡くなったりするのと比べたらはるかに少ない割合で、ワクチン接種が広まらなかったらどうにもならないのに、と。
医療崩壊は、もともと医療関係者の間ではコロナの前から日本は医療崩壊しているとネタになるほど人員が足りていない。ECMOみたいな専門的な機械を使いこなすのには訓練が必要だし、感染症対策でガウンやマスクの着用着脱すら手順が決まっている。コロナの患者には一般の患者のざっと10倍の人手が必要になる。専門的な人員はそんなに簡単に増やせるものではない。だけどマスコミはベッドの数があれば入院できるといい、そういう主張を積極的に取りあげる。
この2つに限らず、コロナが騒ぎになってから、追っかけている医療関係者がマスコミ、特にテレビと新聞を、ほめたのを見たことがない。ほめるのは一部の専門家が出演した時だけで、その専門家個人を支持している場合に限られる。そのマスコミ憎さがとげのあるツイートになる。
とどめを刺したのがこれ。医療費抑制のため、ここ10年くらいか、病院の経営が厳しくなる方向に医療政策を振っていたので、病院や医者の数が減っていた。潰れないまでも、利益が減って、そのしわ寄せが医療関係者の給料減や勤務時間増に来ていた。さっき書いた「コロナの前から日本は医療崩壊している」のネタはこれが理由で、もともと政治や行政に対する不信不満は医療関係者にはあった。
コロナで不信が上積みされるのは去年から始まっていて「第一波を抑えたのに次に備えた環境整備やルール作りを放置」「拙速なGoToキャンペーンで感染拡大(個人的にはこれに限っては観光飲食業のためにはある程度はやむを得なかったと思う)」「経済優先で専門家の意見を無視するのに尾身先生を表に出して盾にする」「年末年始の人員往来増加の無視」「会食禁止を国民に訴えながら自分たちは会食を継続」「国会議員まで亡くなったのに責任回避と手柄争いを優先」「緊急事態宣言を出した後から場当たり的に対策を追加する戦力の逐次投入」「医療関係者が足りていない事実を無視した罰則ベースの対応強制」など。目の前の患者がどんどん増えて、減りそうな要素がひとつもない中でこういう対応を目にして、特に緊急事態宣言以降から非難に混じって捨て鉢なツイートも散見するようになった。
今この瞬間もコロナ対応の診断に、治療に、搬送に、受入に、集計に、運営に、対策に、事務に、研究に、駆け回っている医療関係者のみなさまへ。
忙しさと、世間からの非難と、感染への恐れとで、仕事への疑問と不安を抱えながらも医療を続けている医療関係者のみなさまへ。
コロナに感染したにもかかわらず、復帰して医療に携わり続けている医療関係者のみなさまへ。
みなさまのおかげで私たちはコロナに向き合う手段を維持できています。
みなさまの努力がどうか一人でも多くの患者を救うことにつながりますように。
一個人として対策できることは少ないですが、不要不急の外出を控えます。
手洗いうがいを忘れず、換気に気を付け、他人と接する機会には必ずマスクを着けます。
小さな声はマスクでさらに小さくなって、日本の隅のそのまた隅から届けることは難しいですが、それでも医療関係者のみなさまへ感謝をつぶやきます。
人権を得るには条件があり、それを満たして始めて人権が手に入ると考えている。
といっても、とてもシンプルで、奴の中では「仕事が出来る∝人権がある」となっている。
いわゆる発言権と基本的人権が完全に統合されて、発言権がないものに基本的人権は認めなくていいというルールになっているのだ。
これが最初全く理解出来ず、なぜこの女は同業者や顧客の人格をここまで否定できるのか、そして自身の職務能力をここまで誇張したがるのか不思議でならなかった。
なんのことはない。
奴にとって仕事の出来ない者は穢多非人であり、もしも自分も仕事ができないと思われたら穢多非人まで落ちると「本気で」信じているのだ。
カルトの世界や戦時中において、基本的人権にすら条件が付与されるのと同じ世界観を、普通の職場に持ち込んできて、その中で生きている自分になんの違和感も持っていない。
そんな狂った女だったのだ。
問題は、そこに私が気づいてから暫くたった今尚、この女のことを日に日に嫌いになり続けているということだ。
私の「人には基本的人権がある。これが現代社会における大前提である」という世界観と、あの女の「人権とは全て条件付きである」という世界観が絶望的に噛み合わないのだ。
私だって優秀な人間に対しては多少便宜をはかって貸しを押し付けようとしたり、適当な仕事をする相手にはこちらも適当な仕事を返したりはするが、基本的人権は常に100%誰に対しても尊重するようにしている。
だが、あの女はそれを平気で0%まで落とせるのだ。
信じられん。
そんな感覚、せいぜい20世紀、せめて高校生までにしろと思ってしまうのだが、アイツは令和の時代にいい年して平気でそれをやる。
アダルトサイトMasdarvatorを運営している増田と申します。
他社様が運営している別のアダルトサイトを通じて、あなたの端末が新型コンピュータウイルス(Trojan-NCV-2021)に感染していることが分かりましたので、
端末がTrojanウイルスに感染した場合、感染した端末を第三者が操作出来るようになります。
例えば、あなたの画面に表示されたものを遠隔から視聴することもでき、あなたに気付かれずにカメラやマイクを操作することもできます。
SNSアカウントや端末内にある個人情報やメール履歴なども外部から閲覧できますので、あなたのプライバシーが完全に公開状態となってしまいます。
Trojanウイルスに一度感染しますと、Trojanウイルス自身が定期的にアップデートされるため、
市販のウイルス対策ソフトがインストールされていてもいたちごっことなり駆除できず、
早速ですが、先日、あなたが他社様のアダルト動画に夢中になっている瞬間の映像が、外国のハッカーによって記録済みであることが明らかになりました。
現在この映像はダークネット内に保管されており、SNSなどを通じて映像をいつでも瞬時にばらまける状態になっているようです。
あなたが普段通っている所なども把握できますので、ばらまかれる際はそちらの皆さんにも送信されてしまうのではないかと危惧しています。
また公的機関に送信されてしまうと、視聴していた動画の内容によっては著作権法違反やポルノ所持違反などの証拠として採用される場合があります。
ご提案になりますが、国内のホワイトハッカー(善意で活動するプロのハッカー団体です)に依頼して頂きますと
ダークネット内に保管されているあなたの映像や個人情報をすべて回収、消去をお手伝いすることが出来ます。
人的な作業が発生するため有償にはなってしまうのですが、インターネットに流出してからではもう遅く、削除ができません。
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そう言われて、僕は慌ててアイフォーンを弄って音量を下げ、耳からブルートゥースのイヤフォーンを外した。
「五月蝿かったですか?」
そう言いながら僕は同業者の方に振り返る。
「いや、そうでもない。たださっき画面がチラッと見えてね」
(そんなことなら放っておいて欲しいなあ)
そう考えながらも、「田中」さんがこの現場における僕の同期であることを思い出すに連れて彼の気持ちもなんとなく把握しつつあった。
「面白いですよ。なんのかんの言って放送作家の仕事が安定してますんで」
「割り切った言い方だね。それじゃあVのモノも同じように捉えてるのかな」
「俺なんてランキングの高いのしか見てないからそういう風には感じないな」
「確かに今はそうかも知れませんね」
「なら声優ラジオなんか聞いてないで聞くのもVでよくないかい?」
「ラジオは音だけで完結してるから、職場でならラジオに限りますよ」
「僕なんてゲームやりながら聞くから画面はあんま見てないけどな」
「でも、たまに画面見てる前提で進むじゃないですか。気になるんですよね」
「完璧主義だね」
「そうなんでしょうね」
こっちが二重にかかってしまったことが向こうに伝わったのか、田中さんは少し黙ってしまった。
仕方ないので食事に集中した所で彼が口を開いた。
「ところで誰のが好きなんだい?」
「そこ、やっぱ大事なのね」
「大事ですよ」
「君にとっての魂はそこか」
「神ではないのか」
「なるほどね」
なぜ、講談社で書くんだ?角川でかけよ お前は俺達の奴隷なんだから、俺達が決めた場所で書け、おまえに決定権など無い
または
他のサービスなどしらないんだろ?
結論だけを言えば、質問サービスとか知恵を売っている人は商売敵だからと書いてある
アンケートを取るというサービスはあるから、業務に使う知識はそちらで、有料で買ってください。
あとサービスを普段使っている人が年に1回とかお礼で匿名で書いたりする
どこをどうみたら、素人が書いたように見えたのかが 同業者やスクール関係者なら謎