人権を得るには条件があり、それを満たして始めて人権が手に入ると考えている。
といっても、とてもシンプルで、奴の中では「仕事が出来る∝人権がある」となっている。
いわゆる発言権と基本的人権が完全に統合されて、発言権がないものに基本的人権は認めなくていいというルールになっているのだ。
これが最初全く理解出来ず、なぜこの女は同業者や顧客の人格をここまで否定できるのか、そして自身の職務能力をここまで誇張したがるのか不思議でならなかった。
なんのことはない。
奴にとって仕事の出来ない者は穢多非人であり、もしも自分も仕事ができないと思われたら穢多非人まで落ちると「本気で」信じているのだ。
カルトの世界や戦時中において、基本的人権にすら条件が付与されるのと同じ世界観を、普通の職場に持ち込んできて、その中で生きている自分になんの違和感も持っていない。
そんな狂った女だったのだ。
問題は、そこに私が気づいてから暫くたった今尚、この女のことを日に日に嫌いになり続けているということだ。
私の「人には基本的人権がある。これが現代社会における大前提である」という世界観と、あの女の「人権とは全て条件付きである」という世界観が絶望的に噛み合わないのだ。
私だって優秀な人間に対しては多少便宜をはかって貸しを押し付けようとしたり、適当な仕事をする相手にはこちらも適当な仕事を返したりはするが、基本的人権は常に100%誰に対しても尊重するようにしている。
だが、あの女はそれを平気で0%まで落とせるのだ。
信じられん。
そんな感覚、せいぜい20世紀、せめて高校生までにしろと思ってしまうのだが、アイツは令和の時代にいい年して平気でそれをやる。
昭和生まれってだいたいそうじゃね? つい20年前までは会社の階級が上なら何やらせてもいいって世界だったし