2024-10-02

私の人生がままならないのはやるべきことが時間軸方向にとっ散らかっているからか

私はもうかれこれ数年家で仕事をしている。時間には縛れていない。

しかし忙しい。余暇がない。部屋が片付かない。仲の良かった友達ももう1年以上会っていない。

軽い鬱なのかもしれない。少なくとも今メンタルがいいとは思えない。

そんな中で今日一つ考えたことがある。

私は1日の時間の使い方がどうしようもなくとっ散らかっているのではないか

1日の中には毎日繰り返しやらなきゃいけないことがある。顔を洗ったり歯を磨いたり薬を飲んだり洗濯機を回したり買い物に出掛けたり。

こういうタスクを1日のスケジュールの中に無作為に詰め込んでいくと時間がどんどん細切れにされてしまう。

細切れにされるとどうなるか。長時間集中したりどっしり腰を据えて取り組むべき仕事作業が手につかなくなっていく。

すると長時間集中して取り組めば得られるはずのスケールメリットが失われる。

1つの仕事を2分割や3分割にすることで1回で済むはずのやる気スイッチを2回も3回も入れ直す必要が出てくる。

効率意識するなら毎日些細なルーティーンに気を取られず過集中気味に一つ仕事に没頭する時間を長く取るべきではないか

見渡せば部屋が散らかっている。私は余裕がなくなるとよく部屋が散らかる。

部屋が散らかるとはどういうことか。

空間を整えるのがうまくいっていない…?

ふと思う。このようにx,y,z軸方向の制御がうまくできていないことにはなんとなく自覚的でいられる。

しかし私はいつも時間軸方向を見落としがちだ。

こまごましたルーティーンを1日のあちこちに挿入して集中できるはずのまとまった時間をいたずらに分割している今の私は空間のみならず時間軸方向にも散らかし癖を発揮してしまっている。

時間軸方向への散らかりは部屋のように俯瞰することができない。

散らかっていることが他人にバレにくい。だが同時に私は自分でも気付けていなかった。

若い頃、26時間ぶっ通しで仕事資料に向き合い完成と同時に眠りについたことがあった。

極端だがああいう日のスケジュールには整理された本棚ごみ一つない床のような清々しさがあったと思う。

時間空間を切り分けることなく同じように扱い整理することができれば私はもう少し余裕を持って生き、人と会ったりできるのかもしれないと思った。

さて、私はどうすればいいのか。

毎日ルーティーンを減らす(洗濯や買い物の頻度を2~3日に一度にする。風呂も2~3日に1回でいいかもしれない)

毎日ルーティーン仕事時間前にできるだけまとめて行い仕事の途中に割り込ませない

・やらなくていいことを洗い出す(具体的にはまだ思いついていない)

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん