はてなキーワード: 伝統とは
幕末期、公武合体すなわち朝廷の伝統的権威と現実の統治者の結合による統治者の権威付けが図られたが、その具体的手段は和宮親子内親王の徳川家茂への降嫁であった。
翻って主権在民が謳われる日本国憲法下において天皇家が君主として権威を持つとすれば、民主主義精神の不足と言わざるを得ない。現実に先の東京五輪でも、選挙で選ばれた議会が選んだ首相を差し置いて、天皇に五輪への苦言を言わせようとする王政主義(反民主主義)を公言する者も少なく無かった。嘆かわしい限りである。
我が国が真の民主国家たらんと欲すならば、あたかも天皇が首相の上に立つかの如き思想を抱かないよう、その権威を剥奪しなければならない。
これを公武合体に準えるならば公民合体とでも言おうか。その具体的手段は、公武合体に準えるならば、皇族の一般人への降嫁となる。
この合体は、民の側が皇族の歴史をも伝承・吸収してこそ成る。伝統が皇統に専属せられたままでは、伝統に基づく権威もまた皇族に残置されるためである。
したがって、逆説的ではあるが、降嫁を受ける者においても皇族の伝統を体現する必要がある。それは例えば装いであり、髪型である。
つまり、「令和の公武合体」を体現するためには朝廷の伝統的髪型である鬟を結える必要があり、それには髪を伸ばす必要があったのである。
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
自分に関係のないことでやたらと怒る人がいる。おそらく、実害があるから怒っているのではなくて、常に何かに対してイラついているのが好きなのだろう。私はそう解釈している。
昨今、取り沙汰されている眞子さまと小室圭さんのご結婚の話題などは、まさにその典型ではないかと思う。
はじめに断っておくと、私はお二人のご結婚にはとくに反対ではないし、お互い好きなら結婚して問題ないと考えている。
だから、そもそもお二人の結婚に断じて反対という人がこの先を読んでも、不快になるだけだろう。
断固反対という方はどうかこのページを閉じて、世の中に溢れているバッシング記事を参照していただきたい。
***
私は小室圭さんの生き方が好きだ。間違いなく優秀な方だし、これからも活躍してほしいと思っている。
だが、ICUに合格してアメリカへの留学も果たし、卒業後はメガバンクに入行した。
相当な努力家でなければ成し遂げられないことだ。
銀行を退職後はパラリーガルとして法律事務所に勤務しながら大学の夜間課程で経営法務を学び、さらにアメリカの大学で法務博士課程へと進学する。
知っている人にとっては言うまでもないことと思うが、弁護士になるには非常にお金がかかる。
日本で弁護士になるには大学の法学部を卒業後、さらに法科大学院へ進学するのが一般的だ。
もし小室さんの借金が批判に値するのなら、少なくとも日本では金持ちの家庭に生まれないと弁護士を目指せないことになってしまう。
「親ガチャ」という言葉が話題になったが、親ガチャの不運を嘆く層と、小室さんを批判している層はどの程度一致しているのだろうか。
親ガチャに賛同しつつ小室さんをバッシングする、などという矛盾した行動を取っていないことを願うばかりだ。
そもそも、結婚するにあたって借金があるのはけしからん、という論理が私にはさっぱり分からない。
ギャンブルやアルコールへの依存で膨らんだ不毛な借金ならともかく、夢を叶えるための学費として借りたお金ではないか。
「公費で借金を返済するのが目的だろう」などと言う人がいるが、正気だろうかと心配になる。
そんなことが打算的な策略によって実現できると思うのなら、もはや世の中に思い通りにならないことなど1つもないだろう。
お二人は、お互いに惹かれ合って結婚を決めた。
それだけである。
皇族だからといって一般人と完全に切り分けて考える人のほうが、余程きわどい思想の持ち主のように私には思える。
***
身も蓋もないことを言うと、お二人がご結婚されたとしても、私自身の暮らしに何か影響があるわけではない。
よって、正直なところ私には「なぜそんなに批判する人がいるのかが分からない」のである。
どちらかと言えば、これを書いたきっかけは「批判する人たち」の動向を目の当たりにしたことにある。
冒頭にも書いたように、自分とは明らかに関係のない、自分の暮らしに何ら影響を及ぼさないことで怒る人がわりといる。
まず、この事実に驚いた。
これは私の個人的な推測でしかないのだが、批判している人の多くは皇室に思い入れがあるわけでも、日本古来の伝統を重んじているわけでもない。
ICUに合格する学力はなく、メガバンクの熾烈な選考に勝ち残って内定を獲得することもできない。
国際弁護士になる夢を実現するために、メガバンクを退職する決断力もない。
法律事務所でパラリーガルとして働く能力も、アメリカの大学院に留学する語学力もない。
もちろん皇室の女性と相思相愛になることも生涯ないだろうし、世間から猛烈にバッシングされても結婚を貫く胆力も持ち合わせていない。
つまり、批判している人たちの大半は小室さんにかなう要素が何ひとつない。
たとえば、「自分は借金をしていないが、あの男には多額の借金がある」といった発想なら、自分自身が「正しい」側に立てる論拠を獲得できる。
「借金はよくないよね」
「相当な借金があるのに皇室の女性と結婚するなんてあり得ないよね」
もしくは、
「何か悪いことをしているに違いない」
「それならバッシングしても構わないだろう」
この程度の認識の人もかなり多いと思われる。
批判している人々だって、ほじくり返せば過去に汚点の1つや2つありそうだが、さぞかしご自身は一点の曇りもない清廉潔白な聖人君子だから小室さんのことを批判し、許せないなどと断じるのだろう。
***
皇室に関わった民間人へのバッシングと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは美智子さまのことだ。
皇室に初めて民間人が嫁ぐのと、皇室の女性と民間の男性が結婚するのでは状況が異なるが、一部メディアから執拗にバッシングされているところは共通している。
美智子さまがご結婚されたのは、私が生まれるずっと前のことだ。
だが、当時一部メディアから激しいバッシングを受けた美智子さまが失語症になられたことは知っている。
令和時代なのだから、皇室の女性の意思が尊重されてもいいのではないか、と私などは思う。
ここでやめておけばよかったのだが、反吐が出るほど嫌いな某ニュースコメントを私はうっかり見てしまった。
中には「このバカ女は……」などと、何とも無礼極まりない罵詈雑言を書き残している者までいる。
人間とは、自分に関係のない出来事にこれほど憤り、自分とは違った世界で暮らしている(と思い込んでいる)相手に対して、これほど無礼になれるのかと驚愕したものだ。
公費に税金が使われているのだから国民は文句を言う権利がある、などともっともらしい持論を展開する者もいた。
一体、この発言者が納めた税金のうち、いくらが宮内庁で使われているのだろう。
微々たるものであろうことは、あえて説明するまでもなく明白である。
仮に結婚なさったとして、この発言者が納める税金が増えるわけがない。
ちなみに、お二人の結婚がこれほど炎上するに至ったのは、どうやら某週刊誌が発端のようだ。
小室さん自身の借金や母親の金銭問題に関して、週刊誌がほじくり返さなければ明るみに出ることはなかった。
一部メディアがバッシングしているのは、美智子さまのときと全く同じ構図ではないか。
お二人のご結婚に対して憤慨したり罵ったりしている人は、週刊誌が作り上げた特異な市場で愚弄されていることに気づいたほうがいい。
週刊誌はそのうち別のネタのほうが部数が伸びると見て、新たな「市場」を開拓するのだろう。
そして、間もなく世間はお二人のご結婚にまつわる騒動を忘れ去っていくのだろう。
***
話を戻すと、お二人の結婚について憤っている人の多くは、自身は安全地帯にいて、自分とは関わりのない世界のことだから安心して批判している。
注目すべきは、そもそも「自分の暮らしには何ら関係のないこと」を批判しているので、批判したところで何も変わらないし、自分の生活圏には1ミクロンも影響を及ぼさないことだ。
まるでストレス醸成と解消のエコシステム、あるいは永久機関のようだ。
自分に関係のないことで憤り、批判する人は、おそらくこの「永久機関」を求めてやまないのだろう。
心から批判しているわけではなく、本気で何かを変えようという気概もない。
勝手に憤って批判し、オリジナリティ溢れる罵詈雑言を撒き散らしている有象無象など放っておいて、お二人にはどうか幸せになっていただきたい。
時を経たら、多くの人を魅了するラブストーリーとして回想されるのかもしれない。
年に何人も人殺してるような薬物を作ってるんだぜ?
包丁は人を刺す1000000000000000000倍も野菜や肉を切ってる
車だって人を挽く10000000000000000倍も人を載せて走ってる
でも酒ってどこまで行っても人間の脳を破壊する以外は何もしてないじゃん
そして破壊され続けた脳はいつしかDV・殺人と言った形で人間に牙を剥く
今はもう時代が変わったけど昔だったら酒を言い訳にしたセクハラパワハラが脳が破壊されたせいなんですと言い訳に使われていた
酒はどこまでいっても脳を破壊することしか出来ない悪魔の道具だ
だがそれは同時にアルコールを含んだ状態で摂取するという本来の用途こそが脳を破壊し時に人の命をそれ自体によって奪う薬物であることを証明している
そんなことをしていて恥ずかしくないのかな?
逆に中東なんかでケシやモルヒネなんかを作っている人達も自分たちの仕事に誇りを持っているんだろうか?
品種と農法に拘った伝統の品種から最新の機械によって抽出された薬物の成分とそのキマリっぷりに対して職人としてのプライドを持っているのだろうか?
LGBTQ+の権利の拡大が叫ばれている。
そのうち、特にトランスジェンダーの権利の拡大が行われるたび、これはどこまで続くのだろうと、少しの恐怖もある。
なぜ怖いのか、書きながら正直な気持ちを整理してみた。
まず、そもそもこの分野の言説では、男女を区分けする意味が雑すぎて、混乱が生じてる部分が多そう。
私の意識では、性自認、アイデンティティの部分だと本人が言ってることが正。意識の領域だから、意識が出してる答えが正。
でも例えば、スポーツで男性部門に出るか女性部門に出るかとかの問題だと、このホルモン値だったらとか、体に影響する治療をしてるのかとか、社会としてガイドラインを整備した上で、医師が判断するなどがよいのではないか。
身体は完全に生物学的にXYなのに、アイデンティティにあわせてXXの競技に出たら、筋肉量が少なかったりなどXXの選手にとってすごく不利になってしまうので、なぜ分けているのかの理由を考えてそれにあわせて対応する必要がある。
それと同時に男性部門、女性部門っていう呼び方をやめるとか、トランス当事者に苦痛の少ない方法を模索していく必要がある。
他にも例えば地震が来て避難所でナプキンを配る数を知りたいから男女どちらですか?って確認してるのに性自認で答えてたら双方困るよね。
不要な人に渡すのは物資がもったいないし、逆に性自認が男性でも身体に生理が来るならその人はナプキン要るでしょ。
だからここでもそもそも男性女性という区別/質問の方法がふさわしくないという話なんだけど。
そう、男性ですか女性ですかという区分けは雑だし、伝統的だからステレオタイプ的でもある。
これまでの男女どちらかの区分けでは対応できないことが社会的に認知されだしていて、2区分だけでは絶対足りない。どっちに押し込んでも潰される人は出る。
私としては、トランス女性は女性だし、トランス男性は男性だと思う。
その考えに従うと、今後は「女性」や「男性」という言葉の中に、身体的な特徴がXXの人、XYの人、どちらも含まれる。女性にも男性にもバリエーションが存在する。
だから、雑に男女で分けてればOKだった時代はもう終わったから、より明確に何のためにここでの区別は存在しているのか、という目的を改めて考えて、明示する必要があると思う。
個人的に一番気になるのは、自分の生活に影響してくる部分である、トイレや浴場での区分けで、安全を重視して考えたときに今後も残る区分だろう。
歴史的に男性から女性への加害が多かったことを考えると、ここで一番多数の人の安全を守れる可能性が高い基準というと、身体の持っている特徴がXXかXYか、というところに依らざるを得ないのではないか。
私は女性だが、相手の性自認に関わらず、ペニスがある人と同じ場所で着替えたりしたくない。
ペニスがはえていなければ、相手の自認が「男」でも構わない(というか、気付きようがない)。相手がこちらを性的に見ているかどうかも関係ない。伝統的な女性(身体がXXの特徴だった人)の中にもレズビアンやバイセクシュアルの人はいたわけだし。
平均的にXXはXYより力が弱く、膣に強引に挿入される形での性被害を受けやすい。
誰かの身体がXXあるいはXYであるとき、本人がその事実に苦しんでいたとしても、それを反対のようにみなすことはできない。意識上の自認が違うということは理解はできる。けれども、現にここに存在している身体、ペニスあるいは膣のついた(もちろんどちらにもあてはまらないあるいは両方である人もいるが)身体の、現実の特徴を無視することはできない。
性自認のみで考えろというのであれば、その要求は安全を考えたときに行き過ぎだ。
安全を譲歩することは、できない。
ルール変更によって加害を受ける可能性が高くなることが受け入れがたいのだ。
ペニスのついた体の人も「女子更衣室」を使ってOKです、となったときに、性自認しか基準がないと、それがトランス当事者なのか、トランス当事者を装った性犯罪者なのか、他人が容易に判断できない。加害の可能性にさらされ、その上不安を訴えれば自分が「差別者」になるのではないかという葛藤まで負わされる。不当だ。
公共のスペースで判断基準を設けるなら、他人が判断できるもの、つまり自認以外のものであるべきだ。
だから、そもそもの男性女性という区分けをやめ、ペニスがはえてるかはえてないかとかの事実でしかない区分けに変更するとかはしてもいいと思うが、自認が女性だから、(これまでの意味での)「女性用スペース」に入っていいとかにはしないでほしい。
でも、トランス当事者を含め女性にも男性にもバリエーションがあって、そのすべてのバリエーションを同じには扱えない。
トランス当事者の権利は拡張されるべきだ。例えばトランスジェンダーであることを理由に就職で差別される、容姿
を揶揄されるなどはあってはならない。
でも、次に主張される権利は私の安全を脅かすものではないか?その恐怖が頭をよぎり、手放しで応援できない。
男女の2区分では対応しきれないことは明らかなのだから、これまでの区分で言う男性用/女性用スペースに入る権利を拡張していくのではなくて、そもそも男女の区分でなくてもよいのでは、という見直しも含めた形で、苦痛の少ない社会を目指していければいいのに。
昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系の政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻を理由とせずに「性差別を助長する表現」を理由として、萌え絵に代表される様な一部の表現の禁止を政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現を表現の自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。
日本の右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現の自由を否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界や映像業界に自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制も存在しない」状態を作り上げることで実質的な表現規制をする様になってる。なので、公共の利益、公序良俗の保護を理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現の自由が一義的に示す表現である「思想的・政治的表現の規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制の犠牲にはなっていない)
で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現の禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻だから」とは言わずに「性差別的であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。
何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である)自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動の題目が「子供の教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである。極右と極左は政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。
左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的な表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織を業界に作らせて『自主的な規制を権力側から強いる』事で実質的な表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。
特にフェミニストとされる人達が特定の表現(宇崎ちゃんとか)を特定の場所(日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関や企業に対する言論圧力によって当該機関や企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対に表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快な性差別的表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人や自民党の政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。
左右の違いが全然ないかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守的アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼・フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的な表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップで無修正ポルノが販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ、一般書店で水着グラビアの雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)
良く知らない世界なのだが、腐女子の世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子の表現の世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。
そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタクの表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間に流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。
この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタクの世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右のオタクでも昭和左翼的な「政府による自由の規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼のオタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼・フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現の自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミと悪罵される人達の基準はちょっと、いや全く受け入れられない。
昭和左翼は自民党政府による「公序良俗=保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的に右翼である「表現の自由戦士」はフェミニズム側からの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。
どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どがエンタメである文学や映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前も戦後も内務省=警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗の保護を理由・目的として簡単に規制を受けがちであることは戦後の歴史が証明してる。
それを守りたいと思うのであれば自分が右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見し議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……
署名欄を思い出してほしい。奇妙な項目があったはずだ。
twitter 界隈がざわついている。ボクが危惧していた通りに、予診票のこの部分がトラブルを招いているようだ。
新型コロナワクチン希望書
ボクはセンター試験の現代文を八割正答した国語マスターですが、ぜんぜん解りませんでした。
以前、匿名ダイアリーでこの事について不満を述べたところ、ただちに三人から返信があり、少なくとも二人がボクと同じように読んでいた。
「接種はモチロンしたいが、まだ、かかりつけ医とかの診察や説明は受けてないぞ??🤔」
個人的にニュースサイトとかを調べてワクチンのことは理解したつもりではあるけど、医師の診察や説明は受けてない。コロナワクチン接種は予めかかりつけ医の診断を想定しているのだろうか。〇〇した上で△△しますか? って質問は、そもそも前提の〇〇をしてないときは No になるはず。
ボクは仕事柄、契約で署名するときは極めて慎重に日本語を精査するので、ここの引っ掛かりは看過できなかった。調べるとこの文言は旧来のワクチン接種で伝統的に使われてきたものを踏襲したようだ。しかし最近まで、同じように悩んでる人は twitter にもチラホラとしかいなかった。匿名ダイアリーのコメントには「お役所仕事なんだからスルーしろよ」みたいな意見が投げつけられた。
ひょっとしてみんな、アプリとか Web サービス の利用規約とかスクロールしてまったく読まず脳死で「はい」を押しちゃうタイプの人間なのか?
危険な習慣だよ。それでトラブルになっても何も文句は言えないぜ。
…ボクは接種前日、頭を抱えて悩んでいた。ネットをさまようのをやめて、予診票の細部に救いを求めていると幸いにも真に正しい理解にたどり着いた。
医師記入欄
でも続けて並んだ二つの項目でまったく同じ言い方をしているところを見ると、両者が示す意味は同じと見るのが良さそうだ。つまり、「医師の診察・説明を受け」の医師=現場スタッフ、だったのだ。だから問題の文章が言いたいことは…
あなたは現場スタッフから診断や説明があった場合、それを受けたいですか? 理解したいですか? そしてその上で接種を受けたいですか?
… ということだ。この署名欄は「患者の希望」を聞く項目だ。患者が希望しようとしまいと、現場スタッフからの説明はなされないかもしれない。聞いても理解できないかもしれない。接種は中止される場合もある。希望はあくまで希望であって、お互いに何も約束は締結されていない(希望していないときに接種したら流石に問題になるだろうが…)。
読まなくてもいい場所を読まなければ理解できない文章は、悪文でしょう。
…した、が出てきたらその用法の多くは過去形だ。問題の文章では未来完了形として使われている。
執筆担当者はおそらく、文章を短くすることを狙って「説明を受ける・理解する・接種される」のみっつを並列に並べて「希望する」で受けたんだと思う。しかし回答が「接種を希望しますか」になっているせいで、それだけが独立して読めてしまい、ほとんどの読者は想定通りに受けとっていないだろう。
未来完了形として素直に読むと、まるで、理解を約束させられているように見える。
一般に、理解に努めることは誰にでもできるが、最終的に理解できるかは運次第で、約束できるようなものではない。でも署名書かなきゃワクチン受けられないし… ため息をついて思考停止して署名するに至る。
予診票の当該項目は性質上、後で文句を言わせないように念を押すための契約に見えてしまう。実際には真の意図はアンケート調査と見るのが正しいだろう。
しかしアンケートに自筆サインを求める必要があるのか? 紛らわしいように思う。
後段にイエスと答えると、前提まで飲んだことにされるやつ。
キャラクターのほうがリアルより難しい、それはお前の言う通りだな。
それでも、やはり、処世術が必要なこと自体がおかしい、という俺の主張の根幹は揺るがないと思う。
これは非常に伝統的かつ正当な、リベラリズムによる問題設定だよ。
オタクが趣味を明らかにするときに処世術が必要なのがおかしい。
それに対して、お前のような、「処世術をすりゃいいじゃん、常識的に考えて」みたいな主張はさ
確かに現実の今を生きるには有効なんだよ(いわれなくても皆やってるが)。
でもそういう主張は簡単に「処世術をしないほうが悪い、何も現状でおかしくはない」に裏返る。
ツリーの最初の長文は、増田個人として誠実な考察である一方、そういう不平等の正当化に裏返ってるんじゃないかと思った。
キャラクターのほうがリアルより難しくても、リアルの女性だってやはりある程度燃えると、君も認めているしな。
どっちが難しいとかいう話には回収できないよ。
ジャニーズや韓国アイドル(男)の一部がやってるパンツレポとは
ライブなどで踊ってる最中腹が出てズボンから見えるパンツを◯色だった!◯◯(ブランド)だった!とわざわざSNSにレポすること
一番やべえしキモいのはそのパンツレポを許してる=寛容としてるオタクが多いこと
下ネタOKな女アイドルを寛容とする男オタクにはブチギレてたフェミニストはどう思うの?
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月刊TVnaviで浮所くんがパンツレポの話を!!してる!!www ご、ごめんね😝でもやっぱり意識してたんだね!笑 さすが浮所くん~👏🏻パンツの想像まで許してくれる浮所くんは満点アイドル🧡🤟笑
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恥じるでもなく嫌がるでもなく元気に「下履いてないんだよね😆😆😆」な浮所くんほんと笑うwwパンツレポ容認してることといい寛大だな…
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そう考えるとパンツレポが伝統のKAT-TUN担界隈では上田くんのおパンツを見た人なんて何万人といるのか そんな……この世界に上田くんのパンツを見た人が何万人も……すげぇ……
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全然知らなかったんだけど毎公演浮所くんのパンツレポが流れるってことはおたくの需要を理解して毎公演ゴムちゃんと見せるようにしてくれてるのかな??
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716
京都新聞で真宗大谷派の謝罪が話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。
kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インドの被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本の被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。
記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣の月光と大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナ(カースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。
まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本が発見されないかぎり。
また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒の一般的な理解なのだと思われる。
さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃(和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身の文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。
言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しかも相互に矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師が重要視されてきて、祖師が無視していれば無視できると思われる。
今回は、祖師(この場合、親鸞)が無視していないから問題になっているのだろう。
そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子だから、仏教が差別意識をもっていたということでもある。教えの主体は釈尊が中心ではあるが、ときに仏弟子がそのようにもなる。
違うぞ
そもそも今の漫画アニメ絵って少女漫画の絵柄の影響がメチャクチャ強くて、藤子や赤塚のような伝統的な少年漫画の絵柄は現代だとメインじゃないから絵柄として男が描きにくいんだぞ
藤子や赤塚みたいなデフォルメ絵を描こうとすると多くの人はのび太くんやブラックジャックみたいになるだろうし、劇画ラインの絵柄にしようとするとケンシロウやデューク東郷という風に発想が男キャラへ向きやすいのだ
血筋って考え自体がバカバカしいのは置いておくにしても、何よりも血筋を重視してるくせに宗家の女子より血の薄い分家の男子を選ぶってバカすぎて笑える。
科学の発達してなかった大昔ならまだ「仕方ない」と思うけど、今も「伝統だから」って思考停止して
まぁ、「美しい国」らしいといえばらしいけど。
ハロはご存知?
しかしですねレース用の車ってのは屋根がない車もたくさんあるんです。
Formula-1とかって知ってますかね?
ああいう車。屋根がなくてドライバーの頭部が外へとむき出しとなっている車。
そういう車、当たり前なんですが屋根がないのでドライバーの頭部へものが飛んできたら直撃します。
もちろんヘルメットはかぶっていますがヘルメットでは防ぎきれない衝撃は多々あるわけで。
大昔によくあったのはレース中のクラッシュでタイヤが飛んでくる、とかですね。
それによる死亡事故も昔はしばしば起こっていました。
あとレースの車って軽いから衝撃で浮き上がったりするんですね。
そういう飛んだ車が運悪くドライバーの頭部へと突撃してくパターンなんかもあります。
だから割と昔からこれは危険だから保護装置をドライバーの頭部を守るフレームのようなものをつけねばならないでしょうと
提言はされていたわけです。
ところがこれは長きに渡り反対勢力によって保護装置の導入は見送られてきた歴史があります。
曰く、ドライバーの頭部周辺にフレームを配置したりしたらFormulaカーの見栄えが悪くなるから、Formulaカーの伝統に反するからってことで。
すったもんだの末にハロが導入されたときにも、かっこ悪いと一部では大不評でした。
すぐに見慣れるよ、との声も多数ありましたが、それでも皆本音では格好悪いよね安全には変えれないけど、と思ってました。
とはいえとはいえ、ハロが導入されてからの数々のクラッシュでハロの有効性が証明されます。
レース中に浮き上がったマシンのタイヤがドライバーの頭部めがけて落下する、なんて場面でも
ちなみにハロの強度はロンドンの2階建てバスが落下してきても耐えうる強度らしいです。
あとレース中のマシントラブルでちょっと考えられないような角度、猛スピードでガートレールへと車が突進したときにも
車が衝撃吸収構造により文字通りバラバラになりつつガードレールを歪めながら車が突き刺さった際にも
ハロのおかげでドライバーの生存空間が確保されたおかげで死ななかったねということが起こったり、
そういう事例に枚挙にいとまがないです。
アメリカでショートパンツ(ホットパンツ)履いてたら娼婦に間違われると警告されたという話を聞く
たしかに画像を見るとストリートで尻が半分見えてるショートパンツ履いた娼婦がずらりと並んでたりする
日本で風俗女子と非風俗女子は見分けがつくだろうか?熟練者なら見分けつくかもしれないけど、外れる可能性高いんじゃないかな?
「セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています」
アメリカだと「性的対象物」となるような女性の服装のステレオタイプがあって、一般女性は少なくとも公的な空間ではそういう格好をするのは稀だけど、日本ではその境界がかなり曖昧ってのがあるかもね。