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2021-09-19

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

2020-08-14

【女は黙れ】聖書女性差別が酷すぎる【子を産めば救われる】

14:34

婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから律法も命じているように、服従すべきである

14:35

もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである

コリント人への第一手紙(口語訳) - Wikisource

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC14%E7%AB%A0

2:11

女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。

2:12

女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである

2:13

なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたかである

2:14

またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。

2:15

しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。

モテへの第一手紙(口語訳) - Wikisource

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A2%E3%83%86%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC2%E7%AB%A0

うわあ・・・、これを書いたパウロって奴は酷いミソジニー野郎ですね。間違いない。キリスト教徒はこんな本をありがたい神の言葉と信じているのか・・・困惑)。たまげたなぁ。

2015-11-20

「○聖」という尊称について

「剣豪」「剣聖」という呼称の誕生について - Togetterまとめ

の流れからコメント欄で、

元ネタというか発想の元は李白杜甫の詩仙や詩聖なんだろうがな。

と言われているのだが、

詩仙 李白

詩聖 杜甫

詩豪 劉禹錫

詩魔 白居易

詩鬼 李賀

詩佛 王維

詩囚 孟郊

詩瓢(詩奴) 賈島

詩骨 陳子昂

詩狂 賀知章

詩傑 王勃

詩家天子/七絶聖手 王昌齡

詩佛,詩聖,詩仙,詩鬼,詩魔各是誰?-百科問答-中文百科在線

これらは優れた詩人にそれぞれの特徴を捉えたアダ名をつけているだけであり、

杜甫の詩には儒教的思想が反映されているから「(儒教における)聖人」という意味での「聖」なのであって、

思想方面,杜詩中有儒家思想,洋溢著仁民愛物的情懷和濃烈愛國主義色彩,有「詩聖」之譽。

杜甫 - 维基百科,自由的百科全书

日本で言うときの「最も優れているから『聖』なのだ」というようなニュアンスは、そこには無いような感じがする。

では日本における「○聖」はと考えて古今和歌集に思い至る。

かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。

古今和歌集仮名序 - Wikisource

これは柿本人麻呂儒教的だと言われているわけではなく、単純に「優れた歌人」という意味での「歌聖」だろう。

そして同じく古今和歌集仮名序に登場する六人の歌人は後世に「歌仙」と呼ばれている。

このあたりが日本における「○聖」「○仙」といった尊称の、最初期の用例なのではあるまいか。

2010-06-21

「過失」ってはっきり言って建前だよね

wikisource : 刑法 (日本)

http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#38

罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

法的に問題がなく実際に法によって罰せられなかったとしても、そして原因が自分の中になくても他人からの評価は落ちるし場合によっては冷静でない、あからさまな悪意を向けられたりする。

この法規定自体は論理的に意味がない事をしないという部分で間違っていないんだけど、実際には私刑を下す奴ばかりだし、人間って本当に屑しかいないよね。

 
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