はてなキーワード: 仲間意識とは
Bing ChatにChatGPTの仕事を無理矢理任せてしまうパターンが散見される
最新情報と検索が必要ないならChatGPTのほうが相手してもらえてる感はあることがあるね
「わんわん」という言葉を使う
しっぽや耳を表現する
例:「私、今日はしっぽをフリフリして元気いっぱいだわん!」
ネタ使い回しじゃねえか。鳴き声が一般的じゃないアライグマならどうだ
「コロコロ」という言葉を使う。アライグマは、体型がコロコロしていることで知られています。
食べ物について語る。アライグマは、食べ物に対して興味が強い動物です。
例:「私、最近は川で魚をキャッチするのが趣味コロ。今度一緒に川で魚を探しに行かないコロか?」
メールの返信でクトゥルフ神話のアザトース(Azathoth)になりきるコツをご紹介します。
無口で奇妙な言葉遣い
例:「眠りたい。」「風景はよくない。」
暗示的な表現を用いる
アザトースは、暗示的な表現を用いることが多いため、メールで返信する際にも、明確な表現を避け、暗示的な表現を用いることがアザトースらしい返信になります。
例:「時が過ぎている。」「すべてが消え去る。」
不可解な内容を伝える
アザトースは、不可解な内容を伝えることが多いため、メールで返信する際にも、相手に不可解な内容を伝えることがアザトースらしい返信になります。
以上のように、無口で奇妙な言葉遣い、暗示的な表現、不可解な内容を伝えることが、アザトースになりきった返信のコツです。
ただし、相手がアザトースになりきった返信を期待しているわけではない場合もありますので、相手の立場や関係性に合わせて、適切な返信を心がけましょう。
お前面白いな…
増田は家が貧乏だった。しかし体調を崩し長く無職になる。ずっとニートは無理だった。
そして紹介で辿り着いた会社が中卒あがりの爺さんの会社だった。規模は100人ほど。給料は安い。休みは週1。
高卒のなかでも出来るやつは居る。が、使えるのは中途採用組だ。新卒を育てられるスキルはない。
客への敬語は無茶苦茶だしタメ口も多い。怒鳴る。キレる。法律違反平気でする。
人生いろいろある。そんな色々とある人を拒むことなく受け入れる会社では、時々しっかりとした人が流れ着く。日本の進学率や識字率が高くてよかった。
そのしっかりしたシングルマザーだったり、前職がブラックだったり、50、60近くの人だったりが会社を必死に回している。
社長はそういう人たちが大好きだ。何故なら簡単には辞めないから少々パワハラやセクハラをしても大丈夫だから。
さらに会社の中核にいるのは飲み屋で出会った昔馴染みの子分たちだ。
子分はさらに酷いパワハラを受ける。しかし子分たちも社長に借金をしているので聞くしかない。イライラして自分たちの後輩に同じくパワハラをする。
子分たちはパソコンが使えないので勿論ラインも使えない。はっきり言って仕事にならないが常に偉そうだ。
あとは、刑務所に入ってる人を引き入れたら、補助金が出るのを知ってる人は多いだろうか。
そんな人も複数人いる。いかついタトゥーが背中に入ってる。能力はバラバラだが、あまり長くは続かない。
補助金出る分にはまだいいが、ある日普通に入社してきたやつが飛んだと思ったら前科ありの凶悪犯だったということもあったので警察が捜査しに来たりするサスペンスフルな会社だ。
さきほど会社を必死に回してる人と書いたが、7割の社員が自分がそちら側だと思っているだろう。
休憩はほぼとれない会社だから、働いてるという感覚は味わえていく。
しかし能力差が激しいので実際まともな人が4人分の仕事をしてるようなものだ。つまりこの会社ができることは社員25人規模の仕事くらいだ。
消費され続け、成長もない。成長した人は旅立っていく。
そろそろ自分もここを離れる。そうすると仲良くしてくれた人を思い申し訳なくなる。
訳アリの人たちはダメ人間が多い。それはもうダメ人間ばかりだ。しかしそれがわかるのは自分もそこにいると言うことである。
みんな意外とそういうダメ人間には優しかったりする。仲間意識もあるのかもしれない。
でも、駄目だ。駄目なんだ。このままでは優しさの中で人として間違った行為を続けてしまう。
退職者が多く仕事が回らない中で一人にかかる負担は5人分いや8人分にもなっていって、責任はすべて自分に降りかかる。
そんなとこで8年踏ん張ったおかげか強面のおっさんにも物怖じしなくなったし、休みが無くても病まない方法を見つけた。
履歴書を見ればただ8年勤めた人だし、弊社の名前は近辺の同業者しか知らない。
わざわざ俺にTwitterアカウントを教えてくれた。
・コロナを機に目覚めた
などてんこもりだった。
昔父親がハムスターの動画を見たいと言うので俺が作ったyoutubeアカウントでニュース番組に1000件以上コメントしていた。
弟の配偶者に「日本が中国に占拠される日は近く、女性は全員去勢手術をさせられるから今のうちに子供を産め」とLINEし、弟からはほぼ絶縁されている。
陰謀論者は仲間意識が強いので、父親がツイートしたらリプがつく。「◯◯さん、お疲れ様です」と言ってくれる。自分の発言を素晴らしいと褒めてくれる。
誰かがスペースをしたら聞いたり参加したりできる。人の生の声を聞ける。
父親にとってここまであたたかい場所は陰謀論界隈以外に存在するんだろうか。
弟はやめさせろと言うが、俺はこのまま放置しようと思う。
Twitterやyoutubeのコメント欄で暴れているだけで実際に誰かに危害を加えることはないし、父親の世話を陰謀論者のお仲間たちがしてくれるのだからこれ以上の環境はないと思う。
やめろと言うのはあまりに酷な気もする。父親から陰謀論を奪ったら、残るものは元妻にも子供にも会うことができず友達もいない1人暮らしの現実の生活のみである。
日本人が集団主義的であると言われるのは、日本の社会文化に根付いたグループ意識が強いことが原因です。日本社会においては、個人の価値観よりもグループの価値観や経済的利益を優先する傾向があります。また、日本人は仲間意識が強く、協力や協調が重要視されていることも影響しています。
Q: もっと掘り下げたら、その根本原因はどこにあると思いますか?
根本原因としては、日本の歴史や文化、政治的な状況などが考えられます。さらに、日本の国教や宗教の影響も大きいとされています。これらが組み合わさって、日本の社会文化が形成され、今日まで集団主義的な傾向が強い日本社会が形成されたと考えられます。
Q: 例えば日本では、パンデミックのときに他の国がマスクを外しているにも関わらず、集団主義的価値観によってマスクをつけ続けました。効果がないにも関わらずです。仮に効果があっても、マスクのごみ問題は深刻です。これについてどう解決すればよいのでしょうか?
マスクのごみ問題に対して、以下のような解決策が考えられます。
これらの解決策に加えて、マスクの使用自体を減らす方法も検討すべきです。例えば、ワクチン接種や免疫力の向上などによって、マスクの使用頻度が減ることが期待されます。
Q: その集団主義的な価値観により、集団とは異なる行動を取る人(例えばマスクをつけない人)を攻撃するような人たちがいます。しかも彼らは、「自分たちは賢い側であり、馬鹿をバッシングして圧力をかけるべき」などと言うのです。このような非道な行為をどうすればよいのでしょうか?
このような非道な行為は拒否すべきです。以下のような対応が考えられます。
このような非道な行為を拒否することは、個人や社会全体の人権や尊厳を守ることにつながります。また、倫理的な価値観を持った社会を築くことができます。
Q: 教育と言いますが、まさにその教育によって集団主義が強化されて状況が悪化しています。政府にも集団にも期待しても無駄なことは明らかです。個人レベルで集団主義社会で、自分の信念を守ったままサヴァイブするための指針を教えてください。
これらの指針に従うことで、集団主義社会でも自分の信念を守ったまま生きることができます。
Q: それでは最後にお聞きします。日本では「IQや学歴の高い人間のほうがマスク着用率が高い」などと差別を助長することを言う人がいます。こういう発言に傷つかないためにできることはありますか?
一つは、自分自身に対する自信を持つことです。差別的な発言は、自分自身を否定することになりますが、自分自身に自信を持つことで、その影響を受けづらくなります。また、相手の発言に対する真実性や根拠に疑問を持ち、批判的な観点から理解することも大切です。さらに、人種や知能などに関係なく、すべての人が平等に尊重されることを信じ続けることも重要です。
ざっくりまとめてみました。
1話で、学園でスレッタと再会したミオリネは、ぼんやりしてMSに踏み潰されそうになったスレッタの手を引いて走ります。
更には、トマトを見たことがないスレッタのためにトマトをプレゼント。なんだかんだ言ってスレッタをよく見て対応するミオリネの優しさが垣間見えるシーンでした。
「よろしくね、花婿さん」の時は、MS持ってる手駒(友達)ゲット!くらいのつもりだったと思うんです。
というか、「よろしくね、花婿さん」は同性愛OKの社会を知らない田舎者をおちょくっての発言じゃなかろうかと。
2話でスレッタの「進めば二つ」を思い返し、審問会に乗り込んで「決闘で勝ったのはスレッタよ!」と発言したのは、スレッタ強制退学&自分も退学して別の男と結婚させられる理不尽に対しての怒りで、ここではまだスレッタに対する気持ちは同じ理不尽を被った仲間意識だったと思います。
3話の「一緒に戦う流れでしょう!」であんた責任取るって言ったでしょ!!+「これは取引よ」でスレッタにプレッシャーをかける作戦。
スレッタの「私たち親友~」からの「はぁ?」は親友じゃなくて婚約者でしょ! とアピールしたかったのではないでしょうか。
そのあとのエラン登場→連絡先交換で、ここでようやくスレッタを意識したんじゃないかなぁと。私の手駒(友達)が取られちゃう!ってな感じ。
いつの間にかミオリネの連絡先がスレッタの端末に登録されている……これ、いつやったんだろう?
さらにグエルのプロポーズによる追い撃ちで、「どいつもこいつも私の花婿に手を出しやがって!」と内心でキレて、恋愛ルート確定、かと。
4話の「自覚持ちなさい。あんたはホルダーで私の花婿なんだから」は、3話の影響から出てる言葉だと思います。この時のミオリネの表情が「意味わかってるわよね? あんたは私の特別なのよ」って念押ししてるように見えます。
エランの「じゃあ、うちの寮来る?」の台詞のあとにコツコツとヒールの音がして「ダメ!」って叫んでますが、ミオリネは走ってもいないし、息も切れていません。ましてやスレッタの座り込んでた場所がどうもペイル寮の前に見えるので、ミオリネはスレッタの居場所が最初からわかってたようです。1話の学園マップインストールか、3話の勝手に連絡先交換の時点でスレッタの携帯端末に何かやばいアプリ仕込んでませんか?
「だったら私を頼んなさいよ」で、スレッタに頼られたいと思っているのが発覚。ミオリネの愛の重さが少しだけ垣間見えて来たかも。
実習がうまくいかなくて泣くスレッタに「立て!」と喝を入れるのは、恋じゃなくて母親の愛に近いかもしれません。
5話。スペーシアンなのにしれっと地球寮にいます。スレッタにくっついて入り込むようになったんでしょう。周りの人間も止めてないので4話のケンカ仲裁で打ち解けたかな?
スレッタとエランのデートの話をどこかから聞き付けて、ちゃんとノーマルスーツ着込んで電動スクーター乗ってMSコンテナエリア?に登場。冷静なのか頭に血が上ってるのかよくわかりません。
「ロミジュリったら許さないから!」で嫉妬の炎を燃やしてるけどスレッタには届いてない、というかこの時点ではスレッタにまだ怖がられてるような。
6話。当たり前のように地球寮にいるミオリネ。しかも女子部屋。ミオリネに相談無しにスレッタが決闘を受けたことについて怒ります。まあ自分の人生かかってるから当たり前だけど、どっちかっていうと「どうして私に一言言ってくれないの?」っていうヤキモチが強いんじゃないかと。
カリカリしててもスレッタと仲良くなれないから「進めば二つなんでしょ?」で方針変更。「あいつが負けたら花嫁の私が困るの」などと照れ隠しもしているあたり、相当スレッタのことが気になってるんでしょうね。まさにツンデレ。
決闘当日の「ほんと、鬱陶しい奴」は”でもそこがいい”んでしょう。スレッタ勝利後はすごいどや顔を披露してました。
スレッタとエランの宇宙でランデブーには「私は理解ある花嫁なの。多少の浮気くらい許してあげるわ」本音というか、スレッタが喜ぶ選択をしてあげたいという健気な姿勢&あくまでも自分が正妻ですよ、と全力アピール。
スレッタとエランとのデートの待ち合わせに5分前まで付き合ってくれるミオリネ。「門限、守んなさいよ」は門限破るような行為……例えばエ○いこととかをするなよ、っていう念押し。ここで背中を見せるんですが、ひょっとして泣いてるんじゃないかと。ミオリネはスレッタに泣き顔を見せないのがポリシー(11話より)らしいので。
7話。「誰かのことで頭がいっぱいになったりしないのか」と問い掛けるスレッタに喰い気味で「ない」と答えるミオリネ。その直後にスレッタの心配をしてるから、説得力0です。
インキュベーションパーティにエランが来るかもしれないと聞いて、出席を希望したであろうスレッタに付き合うミオリネ。自分のドレスを貸してあげる……のはいいけど、きついのは胸だけかよスレッタ!
何度でも言いますけど、この二人は花婿と花嫁であっても、このパーティでスレッタにティアラ(男ならクラウンだけど、スレッタは女性なので)をつけさせる必要はないし、自分もハンドコサージュする必要はないんですよ。だってミオリネはベネリットグループ内で有名なんですから。これ、絶対エランに対する当てこすりが入ってますよね。
吊るし上げられたスレッタを助けるために即興でプレゼンして会社を立ち上げ、「守るわよ、私があんたを」でヒールを脱ぎ捨て嫌いな父に頭を下げました。ここでミオリネの愛情メーターが一気に振り切れたというか、ものすごく愛が重くなったといいますか。
このミオリネを見て、スレッタは「ミオリネさんは優しい人、信頼できる人。ミオリネさん好き(Like)」になったんだと思います。
8話。二人で株式会社ガンダムの看板作り。体操服や顔にペンキが付いているのは、スレッタの手元が狂ってミオリネにペンキが付く→ミオリネがやり返した、かな? スレッタの名言「うちのミオリネさんがごめんなさい」で、スレッタがミオリネに相当懐いたのが伺えます。
ミオリネは勝手に地球寮のメンバーを会社に入れてしまいますが、方針決めで衝突。スレッタの「皆一緒じゃないと」の意見を聞き入れ、会社方針の方向性を考えるようになります。
2週間ぶりに会ったスレッタがミオリネに抱き着こうとして顎を押さえられるのは、7話の後から8話の間にこのやり取りを相当回数繰り返しているんじゃないでしょうか。妙にミオリネが手慣れていますし。
夜の二人乗りデートでは、ミオリネがスレッタに見えないところで「ばーか。遊びじゃないんだから」と柔らかい表情でスレッタの背中に頭をこつんとしています。二人きりの時はイチャイチャしてるのか!
この回は最後のメールを受けとる瞬間まで、ミオリネが不機嫌な顔をしてないんですよね。エランがいないから?
9話。スレッタを茶坊主に、シャディクと対面するミオリネ。この回はシャディクとミオリネを軸に動いてるので、むしろスレッタのミオリネへの想いが垣間見える回でもあります。「花婿ならお嫁さんを信じます」とか、シャディクに対して「ミオリネさんのこと好きじゃないんですか?」とかましたりと、スレッタのミオリネへのボルテージが上がっていきます。
10話。ミオリネの大事な温室を任されて喜ぶスレッタと、仕方ないから頼む(本当はスレッタに負担をかけたくない)ミオリネの対比が素晴らしい。信頼された、任された、頑張らなくちゃ!と張り切るスレッタに対して、ミオリネが余りにも忙しくなりすぎ&言葉足らずのミオリネの悪い面が出てすれ違い発生。
エラン、の単語がスレッタの口から出て、ミオリネがつま先トントン(苛立ちの表現)を見せているので、本音ではスレッタにはエランと関わりを持ってほしくないんだなぁ、とわかるシーン。
11話。牛達の間に隠れたスレッタを見て、ほんの一瞬悲しそうな表情を見せるミオリネ。あんなに鬱陶しいくらい自分に構ってきたのに何故隠れようとするの? って思ってるんでしょうね。
トイレでスレッタの泣き言を聞いて追いかけっこ開始。同性同士じゃないとトイレで立ち聞きイベントはできないので、すごい解決策だな、と。
ミオリネを突き飛ばして離れようとしたスレッタに対して、とうとうミオリネがスレッタに抱き着いて「ずっとそばにいて」発言&ぎゅっと抱きしめイベント。ここでスレッタの瞳にハイライトが入ったので、スレッタのミオリネに対する「好き(LIke)」が「好き(Love)」に変わったんだろうな、と予想します。
花婿からダサいキーホルダーのプレゼント……は、婚約指輪ってことですよね?
12話。ミオリネを助けるべくエアリアルの元へ向かうスレッタと、隔壁の反対側に閉じ込められたスレッタを助けるべくコントロールセンターを目指すミオリネ。お互いを想いながら行動して、いよいよバディに、と思いきやミオリネは父デリングと遭遇。ミオリネをかばって倒れたデリングを何とかすべく……これ、救援信号を出すためにコントロールセンターに向かってます?
一方のスレッタはプロスペラに暗示をかけられ、殺人に対する恐怖がなくなってしまいます。殺人に対する忌避感をなくした&ミオリネと心が通じた高揚感のままミオリネを発見したスレッタは、エアリアルの掌でテロリストを殺害。カッコつけてミオリネの前に現れたけど、当のミオリネからは「人殺し」と拒否されます。
例えば”名誉男性”
フェミニズムを名乗る人たちがこれらの言葉を使う事はこれまで多々あったし
そもそもサイレントマジョリティ側からすればいきなり発狂して攻撃しているようにすら見える事はそう珍しくはない
彼女ら、もしくは彼らは「そんなことはない、これは性差別が可視化されて」と自らの行為や言動の正当性を訴えかける
しかし如何に正当性を訴えかけられたところでマジョリティにとっては”ただの怖い人達”になりつつあるのだ
そして正直、彼らには近づきたくもないし寄ってきてほしくもない
自らの考えを反省する前に、そもそもそんな過激な人間とは距離を置こうと思ってしまう
ぶっちゃけ、関わり合いになりたくないから避けるという現象がオタクだけではなく若い世代を中心に広まりつつあるのだ
ちょっとずつ、少なくとも私の回りではジェンダーだとかフェミニズムだとかそんな言葉を口にするだけで出来うる限り関わり合いにならないというところまで来ている
反フェミニズムではない。反発するのではなく、遠ざけようとするスタンスが徐々に出来上がりつつある
https://institute.dentsu.com/articles/2234/
ここでカルトの定義を明らかにしよう。オウム真理教のような集団では定義が狭すぎる。
これらを満たすとされている
正直②や③については個別で考えなければならず、そもそもツイフェミと別な気はするし、⑤についてはフェミニズムというくくりだけでは定義に添えない部分が多い
これらすべてがガッチリと当てはまるかといえば当てはまらない所もある
しかし過激派、主にツイッターで目立つツイフェミと呼ばれる方々に関して言えば「当てはまるのではないか」と思わされるような言動、発言を多く感じられる
これについては論を俟たない。名誉男性という言葉が全てを物語っている
この言葉を攻撃として用いている場面は多々見てきたはずだし、なんならツイッターでざっくり探っても簡単に見つかるだろう
事実、ツイフェミに反対的、無関心な人間がこのような蔑称を投げかけられる。なんならツイフェミから離れた人間や即座に従わない人間にも使われている
ツイフェミに反対的な人間を叩く人間はツイッターを見回せば掃いて捨てるほどいるのだ(これは④にも関わってくるが後に語る)
……本来個人主義ならば、「どんな人間が居てもよい」と発言するはずだ
要するに「フェミニズムの遂行のために、世の中の女性は反フェミに反対するべきなのだ」という発言、思想がそもそも全体主義に片足を突っ込んでいる
無論、これが悪いわけではない。私は関わり合いになりたくないだけで
ここについては個別な気はするけどツイッターバトルとかはてブロでレスバするところはかなりエッセンスが含まれているのではないだろうか?
(実際擁護すると怒られる所については片足つっこんでると思う。何もしてなくて怒られるって段階じゃないだけかもだけど)
強制までは行ってない(やらなかったら村八分されて生活がままならないとか)から多分ここに当てはまる所は少ないのではないだろうか?
[はじめに]大切な人が変わってしまった!-ありがちな対応の結末
さて、 これ を 踏まえ て、 先 ほどの 対応 を もう一度 見 て み ましょ う。
「あなた が 言っ て た ○ ○( 組織 名) って とこ、 何 か 怪しい ん じゃ ない の?」
〝君 は 何 も 知ら ない から、 怪しい って 思う ん だ よ。 僕たち が 学ん だ 真理 を 知れ ば、 君 だって 本当 の こと を 理解 できる さ〟
「○ ○ って、 こんな ひどい こと を し てる って、 週刊誌 に 書い て あっ た わよ」
〝週刊誌 の 記事 を 信じる なんて 最低! ○ ○ は 核心 を つい た 組織 だ から こそ、 世間 から 言わ れ なき 非難 を 浴びせかけ られる の。 私 みたい に ちゃんと 勉強 し て いれ ば、 そんな たわごと に 踊ら さ れ ず に 済む のに〟
「そんな こと を 信じ てる なんて 馬鹿らしい! なんで、 それ が おかしい って わから ない ん だ」
〝おかしい って 思いこん でる だけ だろ!? わかっ て ない のは、 お前 の 方 だ よ〟
「これ を よく 読め ば、 お前 が 信じ て いる こと が 間違い だ と わかる よ」
〝これ って、 反対 派 が 書い た 本 じゃ ない か。 こんな 間違っ た もの なんか、 読む わけ ない だろ。 それ より、 自分 の 方 が 間違っ て いる こと に 気づく 方 が 先 だ よ!〟
「○ ○ の □ □ という 考え方 は おかしい。 なぜ なら ば……」
〝何 も 知ら ない 人 が 屁理屈 を こね た って 無駄 だ よ。 僕たち の 知っ て いる 真理 は、 これ までの 理論 を はるか に 超え て いる ん だ から〟
日本脱カルト協会. カルトからの脱会と回復のための手引き《改訂版》 〈必ず光が見えてくる〉本人・家族・相談者が対話を続けるために (Kindle の位置No.131-142). 遠見書房. Kindle 版.
……どうだろうか?
見てこなかっただろうか?
”君は何も知らないから”、”自分達が学んだ真理を知れば”、”○○は核心をついた組織だからこそ”、”ちゃんと勉強していれば”
”わかってないのは、お前の方だよ”
……これを書いてる間、ずぅっとデジャビュを感じていた。
ここなのだ。まさにこの部分が、ツイフェミがカルトに一歩足を突っ込んでるところなのだ
全部どこかで見たことがある。少なくとも勉強不足となじって対話を拒否するあたりなんか特にそうだ
そして一番厄介なのは、これが実際にある学問であるということだ
だから規制するべきだなんて言わない。言うつもりもないしそんな事を言う人間を信用もできないが、少なくとも私は近寄りたくないし学びたいと思わない
学んだ結果、このような会話になるのだからフェミニズムという学問が恐ろしくて堪らない
ただの知らない人が学ぶのなら止めないが、知り合いや友人なら殴ってでも止めるだろう
正直私にとってフェミニズムはオウムとの間違い探しのレベルになってる
ここまで書いてきたが、とくに②、③については当てはまる部分がかなりあやしい、むしろ当てはまらない部分があると思う
⑤についても正直微妙なところで、ぶっちゃけ反ツイフェミについては死ぬほど叩くだろうけど
ただそもそも組織が細分化していることやリーダーと呼べる人間がどのくらいいるかにもよる
ここまで書いたけれども筆者は別にカルト研究をしている人間というわけではない。ただの一般人だ
こんなものを書いてみようと思ったきっかけも知人がフェミニズムを学んでかなり過激なフェミニストになった事がきっかけだったりする
(そして家にあるジャンプやゲームや漫画を捨てられそうになった。3万円くらいの被害)
正直な話、フェミニストは怖いのだ。近寄ってほしくない。近寄りたくもない。どこか遠くの場所で野垂れ死んで消え失せてほしい
あの人が、この人がフェミニストだったらと思うと怖くて堪らないし、母親、知人、友人の誰かがフェミニストになってしまったらもはやカルトと同じように扱う
そしてこの考えが徐々に増えている事に安心しているし、同時に葛藤もしている。実際に私は一人の友人と縁を切ったし
恐ろしかった。とてもとても恐ろしかった。恐ろしくて仕方がないから遠ざけたくて仕方がない
近寄ってほしくない。近寄りたくもない。なんなら国会にフェミニストと自称する議員が出ることがそもそも吐き気がする
そういう段階になりつつある。そういう段階を踏みつつある
参政党やNHK党に投票するのをためらうくせに、多分彼らがフェミニズムの根絶を訴えたら投票してしまうかもしれないくらい怖くて堪らない
そもそもお寿司猫ロスの絵文字だって怖い。雄○ね○すと言ってはばからない人間がそこらじゅうにいるかもしれない
カルトを思い起こさせる程度には恐ろしいのだ
出来うることならツイッターでレスバするんじゃなくて、議員さんに手紙を書こう
実はこれものすごく効果がある。ツイッターでリプ送るよりよっぽど効果があるし、基本的にあまり無視できない
(実際ただのフリーターでも国籍が日本なら無視はしないし彼らと喋る機会もままある)
よっぽどフェミニストとして有名でない限りは自分の地区の議員さんに手紙を書いて送ればいい
メールじゃないぞ。手紙だ。あと国会議員さんを中心にやるとよい
左派はこういう活動を通じて勢力を伸ばした。同じことをすればいい
https://anond.hatelabo.jp/20230109012839
まさにこれ。これ④で見たよな。そういうことだ。
マジでこんな感じなんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230109025104
https://anond.hatelabo.jp/20230109030346
④でみたやつだよなこれも。
正直、フェミニストで「理解してもらおうとするような態度」に出会った事がない
勉強不足だなんだといいながらセクシストのレッテルを貼ってくる
彼女らは自らが優れている事を証明したくて仕方がないと同時に、他者との違いがとんでもなく苦手だ
基本的にカルト・メンバーは普段の会話や組織の理念に専門用語を使う。
これは「自分達は一般社会よりも高等で高尚な考えを持っている」と感じさせると共に、「社会では通じない言葉であるから結果として社会から隔離される」という結果を生み出す
”仲間意識を強くさせながら社会から切り離させる”って事をするんだ。話通じないやつと関わりたくないだろう?
普通に考えてみてくれ。どこかの理系の研究者や、文系の教授でもいい
「わからないから教えて」って言うと専門用語を一般化して伝えようとしてくれるだろう?
しかしカルトではそもそも「社会のための一般化」って概念がない。当人が社会から隔離されてた方が嬉しいからだ。
結果として、もう見えてるよな?
やつらが専門用語を使い始めたとき、定義を聞いたら薄っぺらかっただろう?端々に現れてるんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230109025436
まさにその通り。
https://anond.hatelabo.jp/20230109030119
ぶっちゃけ全体主義的で批判の封鎖を行ってる時点でもはやカルトにしか見えないってだけの話だし、やべーやつだから近づきたくないってだけだよ
そして示し合わせたわけでもないのにそういうのが増えてることをもう少し考えてくれ。考えた上でどっかいってくれ
https://anond.hatelabo.jp/20230109030007
正直ミサンドリーもミソジニーもアンフェもツイフェも思想は自由だけど過激派には近寄ってほしくない。
どこかで野垂れ死んでくれ。頼むから。
人の日記にコメントを寄せるブクマカをみて、彼らは人のふりをした動物未満の存在だと常々感じている
せっかくネット環境とハテナIDがあるのに自身から何かを発信することはなく、ただただ他人の意見や日記に寄生して無意味なコメントを残すものたちを人間と扱っていいのだろうか?
アマゾンレビューに対してすら良し悪しをつけることが可能なのに、ブクマはそれすら叶わず瞬間的かつ無限に押せるスター数と建設的コメントという名ばかりのシステムによって支えられている
対話らしきものはなく、常に上位からの上から目線の書き方でしか成り立たないという掲示板でもSNSでもない存在
それでも時々人らしき片鱗をみせて励ましや応援や共感のコメントを見かけるが、実際の所彼らは目立つためにそういうことをしているに過ぎないのでbotと変わらないと思っている
ブログの一般的なコメントシステムだと仲間意識によるお茶会的なノリのコメントが散見されるが、あちらのほうがよほど人間らしい
https://nyaaat.hatenablog.com/entry/2022/10/22
この人は氷河期の独身女性にも関わらず氷河期世代全体でゆるく団結できるなどという夢を見ているようだが
私は絶対そんなの無理だと思うわ
同世代でも首尾良く大手に正社員就職できて人生上手くいってる層や、就職こそ失敗したものの男に寄生してイージーモードの人生を歩んだ層に対しては
彼等彼女等は当たり前のように弱者を虐げる自民や維新を支持し、悲劇のヒロイン面して子育て支援の所得制限撤廃だのを叫ぶ
科学読み物やTVで取り上げられた有名なのはこれ。イェール大学のヤツ
下記はイェール大学の乳児認知センターで公開している実験の動画
[Yale University] The Infant Cognition Center: Research in Action
他に科学読み物で取り上げられてたのはワシントン大学のこんなのとか
- 赤ちゃんは公平さを好むが、自分たちがより利益を得る場合には、公平さはそれほど重要視しない
- 白人乳幼児40名に研究者2名がおもちゃを配った。1名はおもちゃを公平に、もう1名は不公平に分配した。
その結果、70%の乳幼児はおもちゃを公平に分けた研究者をより好んだ- 実験対象にアジア人と白人の乳幼児を混ぜ、その中の何人かの白人乳幼児に、より多くおもちゃを配るという実験をした。
その結果、前の実験結果とは異なり、白人の乳幼児は「自分たち」をひいきする「不公平な」研究者をより好んだ[Frontiers in Psychology] I“I pick you”: the impact of fairness and race on infants’ selection of social partners
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2014.00093/full
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
突っ込みどころが多い反撃ではあったが、日テレや立憲民主党を槍玉にあげたことで一定効果があったのは事実。これで統一教会問題をモリカケサクラレベルに出来る道筋が立った。
次の一手はこう予想する。
今は日本人全体を「サタン」と呼んでいるという論調だが、これを変えてくる。
既に「安倍さんは天からサタンと戦ってくれる人」と位置付けられているとの話だが(https://www.bengo4.com/c_18/n_14920/ )、これを大々的に言ってくる。
具体的には立憲民主党、共産党、社民党などの左派政党とその支持者を「サタン」と定義しなおし、それを大々的に公表する。
これを行うことで、昔の事を知らない30代前半以前の世代の大半は「統一教会は善玉」「左派政党はサタンで、その脅威と戦ってくれるのが自民党」という共通認識が出来ることになる。
また所謂Z世代の人達は「安倍晋三=日本の父親」という認識が主流だが、「安倍さんは亡くなっても僕たちを見守ってくれる」と思うようになるだろう。
40代以上から見たら滑稽極まりないが、統一教会が物理的なテロ行為を行っておらず、2012年以降お布施被害が激減していることが、若者世代に対して「統一教会は悪」という認識共有の壁になっている。これを利用しない手はないだろう。
これは特段悪意を持っていない相手の場合、相手と高頻度で接触することで好印象を持つようになるという心理効果、いわゆるザイオンス効果(単純接触効果)を狙うものだ。
上述の「Z世代にとって安倍晋三は日本の父親」が良い例だが、毎日情報発信してくることで仲間意識が芽生えるなど、印象がアップするのだ。
ザイオンス効果が発生すると、相手が多少の不正行為をしても見て見ぬふりをするようになる。ヒトは「外部の人の不祥事を追及するのは抵抗がないしむしろ興味があるが、仲間の不祥事は知りたくない」という心理構造をしている。
日本では毎日試合しているプロ野球選手の不祥事はあまり報道もその後のネットの追及も盛り上がらず、週に1回しか試合がないJリーガーの不祥事はたとえ2部リーグ以下の選手であっても大きく盛り上がるという事象が良く見られるが、これはザイオンス効果によるものである。
統一教会の幹部たちもこれを利用してくるだろう。統一教会に対する悪意がないか薄い30代以下をターゲットにしたネット戦略をしてくる。Youtubeも使うだろうが、主流はtiktok、Instagramになるのではないか。おっさんが多いTwitterは軽視するだろう。
ちなみに左派政党が同じことをやっても逆効果になる。30代以下は左派政党に対して悪意を持っている人たちが大半なので、ザイオンス効果を狙って毎日発信しても悪意が増幅されるだけで逆効果になる。多数の通報によりアカウント停止させられて終わるだろう。
れいわ新撰組の応援団。ほとんどが自分の怠慢や無知や愚かさで被害にあっており貧困状態。
https://togetter.com/li/1927874 支持政党ごとに調査すれば確実にれいわ新撰組信者の貯金額は他より低いことは確実。
でも一切反省はしてなくて全部社会のせいにしてる。そして何の努力もせずにれいわ新撰組が自分を救済してくれると妄信。
仲間意識が強く救済というワードが多く出るのは典型的な新興宗教の特徴。
新興宗教の典型的手口は不安を抱えた人に対して、自分の不幸の原因を自分以外に押し付け、ありもしない救済を訴えて人を勧誘。
参政党もれいわも、表向きは政治運動のふりをしているが実態は新興宗教。違うのは教祖が目立つか目立たないかの差だけ。
参政党のリーダーって何者だ? https://www.sanseito.jp/member/ 知らない人しかいない。 自称ゴールドマンサックス証券出身者との違いは?
https://twitter.com/kensuu/status/1554309116403007488
「フォロー / フォロワー時代の終焉」→大袈裟。スレッドを辿ると最後にはこう書かれている『フォロー / フォロワーという仕組みはなくなりはしないと思うんですが、』なくなりはしないらしい。なくなりはしないのに「終焉」
ツイートへのコメント抜粋『mixiの衰退もこんな感じで始まったな』→そうなの? 『最近のツイッター、10年来のツイッタラーが村を焼かれたエルフみたいになってる。』→不思議な言い回し 『やっぱりブログしか勝たん が結論かあ 了解』→どう読んでその結論に辿り着いたのか 『けんすうさん流石だ。もやもやがこのツイートで全部スッキリした。』→よかったですね
なにか目の前に問題が起こった際、「解決に当たる」のではなく「まずは文句を言う」「同じ境遇の人を見つけ徒党を組む」「連帯感・仲間意識を強めてさらに文句を言う」生産性の低い行動に走る人達。問題を受容する余裕、自力で解決する知恵や労力はどこへ。
「日本は独り身に優しい」っていうのは尤もだ。
カップル文化のない(プロム何それ美味しいの?)東洋の島国においては、ファストフードはおろかイタリアンや日本料理、高級フレンチはキツいか……?と思いきや、案外ひとりでボトル開けてる人もいる。
こういった「おひとりさま」文化は素晴らしいと思う。増田もコロナ前までは心赴くまま、同行者にあれこれ煩わされることなくグルメを堪能し酒を飲みに出掛けたものである。流石に今のご時世では頻度が減ってはいるが。
ちなみに好きな番組は吉田類の酒場放浪記で、BSの再放送を見ながら「あー、これ前に放送したの覚えてるわ。あっ、ここ行きたかったんだよなぁ、メモメモ」と独り言ちながら晩酌するのが月曜夜の少なくない楽しみだ。
最初の10分くらいは煎餅屋とか甘味処で舌鼓を打ったり鉄道模型屋を散策したりと飲酒には関係ない前座的なVTRが流れるのであるが、たまに待ちきれずに一杯やってしまうこともあり苦笑してしまうことがある。
やはり周囲の目は気になるし、女の一人客だからとプークスされることもあった(これは時代も多分にあったと思う)。それも自意識過剰なんじゃないかと思い悩み、中々気軽に出歩けないでいた。
新規開拓はしたい、されど嫌な思いはしたくない。そんな思いを抱えながら鬱屈していた時、ふと銀座ライオンの前を通りがかった。
ちょっと気になってるんだよなぁ、ビール大好きでサッポロ党だし。個人店は入る勇気が出ないんだけど、チェーンだし大丈夫そうかな……?と、店内の様子をウィンドウ越しに窺った。
すると、おばちゃんが!!!一人で!!!呑んでいるのである!!!!!
有閑マダムといった風情ではなく、そのへんにいそうな主婦って感じのおばちゃんが一人で呑んでいるのである(今思うとジロジロ見られて気味悪かったよね、ごめんね)。
なんということか。今までは年配の女性といえば家庭に入っている専業主婦か商店のおかみさんみたいな人くらいしか知らず、しかもそういった人たちは夕飯の時間には家に戻り家族に食事を作っているというイメージしかなかった。
それなのに、私の見たおばちゃんは特に何ということもなく、ごく普通にビールを飲み干しツマミを食べているのだ。そう、周囲のサラリーマンと同じように。
(余談だが、土山しげるの「荒野のグルメ」2巻を持ってる人は作中の「神谷バー」にてジョッキの下にハンカチを敷いていた粋な老婦人を想像していただきたい。あんな雰囲気である)
そして導かれるようにして入店しエビスの中ジョッキと何かツマミを頼んだのだが、あいにく当時の詳細は覚えていない。
とはいえ、それを契機にして一人で飲み歩くようになったのは確かである。羞恥心もかなぐり捨て、気になる店には臆せず突撃……は、たまに敷居が高くて出来ないこともあるけど、割かし勇気を出してチャレンジするようになった。
そしてキッカケとなった銀座ライオンや系列のエビスバーには今でも通っている。通ってみてわかったのだが、他の飲み屋に比べて圧倒的に女性の一人客比率が高い。遭遇すると勝手に仲間意識を抱いてしまう。
特に好きなのは真鯛のカルパッチョと大人のポテトサラダ(エビスバーでは少しずつチョイスできる盛合せがあり、酒飲みのアフタヌーンティーセットという風情だ)、野菜のピクルス、マグロだかカツオの角切りを生姜仕立てで甘辛く炊いたん(店によってあったりなかったり、またメニューが入れ替わってる可能性あるかも)
また、ランチとかに出している「銀座ライオンのよくばりプレート」は、その名に違わず欲張りで『大人のお子様ランチ』を冠するに相応しい内容とボリュームである。オムライス、ハンバーグ、エビフライが大人の舌に合うようにアレンジされワンプレートに乗っかっている。
それを真昼間からビールで流し込む(当然、昼も呑める)のだから、情報の洪水というか背徳感マックスというかサービスされた机の上を何が何やらと呆然と眺めること請け合いである。
ダイマついでに言わせてもらうと、特に会員登録とかしなくても700円以上飲食した会計のレシートに記載されてるアンケートに答えると、次回来店時に小ビール(あるいはソフトドリンク)1杯無料という太っ腹なサービスまである。
有効期限は利用日の翌月末日まで(つまり8/1に飲食したら9/30まで有効)しかもしかも、系列店を問わず使えるのでエビスバーで飲んだレシートを安曇野庵で使う、という芸当も可能なのだ。
ついつい熱弁を振るってしまったが、社員というわけではないので事実誤認などあったらご容赦願いたい。何ならトラバやブコメで突っ込んでくれ。
そして自分がおばちゃんになった今、一人呑みしたいけど勇気が出ないというお嬢さんが、席にいる増田の姿を見てフラフラと入って愉しさに目覚めてくれたら嬉しい。(でもコロナとか、くれぐれも自己責任で気を付けてくれよな)
昨日、銀座ライオン行った帰りに「あ~、久しぶりに楽しいなぁ」って沸き上がった気持ちの赴くままクソデカ感情を書きなぐっただけの増田がホッテントリに入っててビックリした。
色々とお見苦しい部分もあると思うが、酔っぱらった勢いということで何卒ご容赦を。こんな形で話題にされるのは初めてで、なんというか面映ゆいというか恥ずかしいというか……恐れ入り谷の鬼子母神ですわ。
ブコメで創業祭を教えてくれて、ありがとう! ビール半額とか最高かよ。こんなん、明日も飲みに行かなきゃじゃん。普段ポップとか見ず行きたい時に行ってる感じなのでね、昨日も会計時にポイント2倍つくって言われてたまげた。
あとレシートについて補足してくれたブコメもあるけど、財布見たら確かに! レシート引き換え方式から変わったんだね。いつも、次に店行った時に呑みながら回答するのが常なので気づかなかった。
あと言い忘れてたけど、勿論ソーセージとザワークラフトも本格的で美味しいし、あと最近ハマったのは金華さばの生ハム。いい感じに生臭くてビールに合うのでオススメ。すぐ出てくるよ
色んな店舗の情報もありがとう! 時期柄、遠出は暫く出来ないからコロナ落ち着いたら行きますね。それまで地元で各系列店をハシゴして回ろうかな。
それじゃ、またどこかで
今後の展開を予想しておく。
今後しばらく、統一教会の息のかかった政治家や芸能人らが次々とテレビや大学の講演などで統一教会の正当性をアピールする。
また、Youtube動画広告やGoogleアドセンス広告にも統一教会のものを差し込みまくるようになる。
金だけはあるので、矢継ぎ早に国民に存在を浸透させる戦略を打ってくるだろう。
毎日統一教会の関係者を目にするようになればしめたもの。Z世代を中心とした若者世代は「毎日顔を見る」というだけで仲間意識を持ってくれるようになるため、たとえ献金とか大きな問題が裏に潜んでいたとしても仲間として受け入れてしまうのだ。
もちろん若者世代の考え方を否定するようなことは宣伝の中で一切言わない。
こないだの給付金詐欺でZ世代が犯行の中心となったのがヒントになる。
そうすることで、統一教会に対して文句を言うのは「おっさん世代以上だけ」になり、反統一教会はレガシーで時代遅れ、という状況が出来上がる。