はてなキーワード: トラウマとは
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
・薩摩藩が琉球王国を侵略、奄美を奪って薩摩藩に併合(奄美が不自然に鹿児島県なのはそれが理由)
その後琉球王国は琉球藩になり、廃藩置県で正式に沖縄県として日本に併合
・中央から役人が来て沖縄を支配 文化・言語を破壊 それまで琉球王国を治めていた尚氏らは東京に住むように命じられる
・WWII戦争で情勢悪くなったら中央政府はさっさと降参して沖縄放置、沖縄壊滅、昭和天皇のせいで10万人死
・終戦後沖縄はアメリカに併合されて米兵にやりたい放題される(レイプ、強盗、殺人しても無罪放免)
・その後日本に復帰するも戦争とアメリカ統治時代のせいで未だに貧困。沖縄に基地を押し付けまくり県民世論調査でも県内基地移設反対派が多数。未だに自民党が弱い。
そのほか、戦前は鉄道があったのにアメリカが破壊しまくったため今は短いモノレールとバスが移動手段のメインで大混雑する
また、戦時中のトラウマや不良米兵の脅威を吐露するだけで「自分だけ被害者ぶるな」理論を武器に結構な割合で存在するキチガイから叩かれる
自衛隊関係の仕事してる奴らなんて皆こうだろうから言った所で別に情報漏洩にはならんと決めつけて言わせてくれ。
俺の夏休み、潰されました。
あっ、数年前の話ね。
夏休みが普通に取れたことに安堵してしまった自分に気づいて「あっ、この仕事マジでクソだな」とフラッシュバックを起こしているだけ。
自衛隊は何がヤバイってアイツら「俺達が24日365時間で働いているのだから、それと取引しているお前たちがそうじゃなうていいはずがないよな?」と本気で考えているんだよね。
たとえ相手が夏休み中だろうと平気で個人携帯にかけてきて「良かった。捕まりましたね。実はあの機械が壊れてしまって~~~」と語りだすわけさ。
まあ確かに貴方達は輪番制かなんかで誰かしらが毎日24時間対応できるようにしてますけど、ウチの会社は平日0900~1800が営業時間で、土日・祝日は平日にアポを取ってもらっておかないと困るんですが???
いやマジでアイツら何がヤバいって「えっ?自衛隊と取引しているのに当直制になってないんですか?」みたいな態度で来ること。
中には「当直制じゃないのは知ってます。でも年に1回・2回ぐらい突然休日や真夜中にアポなし電話するぐらい許してよ。1日ぐらい寝なくても人間平気でしょ?これぐらいはサービスサービス」みたいな態度をね、あちこちの部隊の色んな隊員がやってくるわけですよ。
1人が年2回やってくるのを20人がやったら年40回なんだが?
突然アポなし真夜中電話じゃなくて、金曜夕方滑り込みでの「土日に対応してください」はその何杯も、本当にクソほどある。
連休直前に「連休が終わったら大事な任務が始まるんです!月曜からず~~~っと自分たちで頑張ったけど金曜までかかって直せませんでした!今度の土日月で直して!」みたいな電話するのとかザラ。
いやいやお前らが火曜日ぐらいで諦めてササっとこっちに電話してたら木曜金曜で終わって3連休普通にコッチも休めてたんだけど?
んで現場行くと「今日は休日なんで上長はいないっす~~~当直のオレちゃん士長(昔の言葉でいうと一等兵(軍曹未満))が対応するッス~~」とかかましてくるんですわ。
オイオイ人を休日に呼びつけておいて自分たちは当番制をズラしもしねーとは太い奴らだな・・・。
ほんまサイコパス。
こういう連中と付き合っててさ、夏休み前になるとマジでヤバいんだ。
「夏休み前ギリギリまで頑張って部隊修理を追求したけど駄目でした!頑張った僕たちは夏休み取っていいよね?というわけでプロの力で休み中に直してね。対応はいる人間(下っ端が1人・2人電話番で残ってるだけ)が対応するよ♡」とかかかってくるのよ~~~~。
今年はそういうの無くて良かった。
まあ別に民間を相手にしてたら休日出勤がないかっていうとんなこたないんだが、社会人としての常識の有無がダンチなんだわ。
まあ民間だってヤバイ会社はヤバイんだけど、民間全体でヤバイ会社引く確率と、自衛隊全体でヤバイ部隊引く確率だとマジでさぁ・・・。
はぁ・・・これが言霊になって今にも電話かかってきたりするのかなあ。
とりあえず、寝れるうちに寝ておくか・・・。
たまに時々女からは受け入れられない愛の形を突きつけられてそのせいでトラウマになったり男性不信になった女のつぶやきをXで見ることがある
愛の形は人それぞれというけど一方的な愛ではなく成立する愛の形は多分そんなにバリエーションはない
人それぞれの愛の形は認められないのも含まれる
やばすぎてワロタ
https://shop.useful-info.com/barbarians-i-met-in-konkatsu/
婚活で野蛮人に当たることは避けられない?
私はかつて婚活していた時、様々な人と出逢うことが出来ました。
尊敬できるような素晴らしい人もいましたが、トラウマになるようなヒドイ人もたくさんいました。
日常生活の中で自然にパートナーを見つけられなかった人が婚活しているわけですから、人間性に問題を抱える人が混じるのは避けられません。
今回は、私が婚活する中で出逢い、恐らく一生忘れられないであろう野蛮人たち(女性の事故物件)を紹介したいと思います。
気を遣うことを強要する野蛮人
結婚相談所に登録して、ようやく決まった人生で初めてのお見合い。
緊張しつつ初対面した時、挨拶をして同時に着席・・したかったのですが、私が先に着席することになりました。
彼女は自分の荷物(ハンドバック)をゴソゴソいじり、私に背を向けて立っている格好になりました。
おそらく、この状況が気に入らなかったのでしょう。
振り向きざまスゴイ形相で私を睨みつけ、「荷物ココに置いていいのかしら!?」と叫んだのです。
その女性は小さなハンドバック一つしか持っていないのだから、ポンと置いて、素早くスマートに着席すればいいだけの話。
それが出来ず、なぜかイライラし出す。
なんて神経質な人・・、というのが私の持った第一印象。
まあ、彼女が座るのを待たずに先に座った私が悪い、という理屈も成り立ちますが、そんなことで怒るのは感情のコントロールが出来ない子供である証拠。
私が先に座ったという状況が許せないと思うのは彼女の自由ですが、初対面の相手に対してあからさまに悪態をつくのは無礼千万。
社会人とは言えません。
基本的な自制心もないワガママお嬢さんと見なされても仕方ないでしょう。
同じ趣味を強要する野蛮人
とある結婚情報サービスの回転ずし型パーティに参加して、そこで出逢った30歳の女性にリクエストされ、後日、改めてお見合いすることになりました。
当時の私は27歳のピチピチの男の子でしたから、正直、30過ぎの女性にはあまり興味がありませんでしたが、美人でスタイルも良かったので会うことにしました。
まあ、可もなく不可もなく普通に雑談を楽しんでいたのですが、話がお互いの趣味に移った途端、様相が一変しました。
彼女はダイビングが好きで、フィジーとか海外にもよく行くと、目を輝かせて話していました。
別に、趣味の不一致が交際や結婚生活の足枷になったりはしないのですが、彼女にとってそれは致命的だったようです。
「えー、ダイビングをしたいですよー・・」と非常に残念そうな落胆した表情で訴えかけたのです。
自分の想い通りに相手が考え行動しないのが許せないようでは、ストライクゾーンが無いのと同じ。
お互い上手くいくように折り合いをつける姿勢がないのは、婚活では致命的ですね。
服装が気に入らないから激怒する野蛮人
私は29歳だったと思います。
本人同士でやり取りし、駅の改札という雑踏で待ち合わせ、近くの喫茶店で話をすることにしました。
私はシャツにブレザーという格好だったので、別に無礼には当たらないと思っていました。
しかし彼女からすると、スーツでビシッと決めてないのは非常識なんだそうです。
「何よ、その恰好!全く・・。ちゃんとスーツを着てくるのかと思ってた・・」
初対面の年上男性に対して、駅の改札という公共の場で叱責する女が存在するとは思いませんでした。
しばらく、あっけにとられていましたが、こちらが謝罪する理由もないので、彼女の顔を眺めていました。
「まあ、しょうがないわね。じゃあ、行きましょうか・・」
結構相談所での初アポでは、いかなる状況でも必ずスーツ着用という信念を持つのは彼女の自由ですが、それを他人に強要したり、ましてや、人間関係をぶち壊すようなブチ切れ態度をとってはいけません。
柔軟性や大らかさのカケラもないのは、結婚生活では致命的です。
過去の異性関係をほじくり出そうとする野蛮人
3つ目の結婚相談所で、私は32歳の時。
初アポで、根ぼり葉掘り私の過去の異性関係を聞いてくるのには、辟易しました。
私は良い思い出なんて何もないので、話したくもないし、話す義務もない。
しかし、彼女は教えてもらって当然という態度でズケズケ訊いてくる。
無教養で、明らかな非モテタイプ女性ですから、自慢できるような浮いた話なんてないのでしょう。
喫茶店で地獄のような時間を過ごした後、彼女がとった帰り際の態度も脳裏に刻まれています。
「私はこっちに行くから。アナタはこっちが帰り道ね!」と行く方向を人に指示し、自分は背を向けてスタスタ帰っていきました。
lot********
24分前
非表示・報告
こういう人なんだからしょうがない。
手慣れてるんだと思いますね。
奥さんも気の毒に、子供がいないうちに別れたほうがいいかもね。
こういう性根というのが40から変わると思えない。
人を大事にできない人と一生一緒にいるのは人生を台無しにすることだと思う。
no
3分前
非表示・報告
しっかり慰謝料とってさっさと別れた方がいい
奥様には頑張ってほしい
mif******
11分前
非表示・報告
40でこの行動してるならこの先治らないよ
20歳そこそこで遊んでるなら将来は意外と落ち着くかもだけどさ。
cat********
19分前
非表示・報告
そう、子供がいないうちに別れた方がいいと思う。
yat********
18分前
非表示・報告
許せるわけなどない
一生、トラウマですよ
サレ妻より
min********
12分前
非表示・報告
なんだかんだずっと許せないしまたやるよ
そういう生き物なんだと諦めて25年
もっと許せそうだな
たった今
非表示・報告
34歳、独身女、性行為の経験なし。急に気持ちを吐き出したくなり、とりあえずネットの海に文字を放流することにした。
同級生たちは半分ほどが結婚し子どもを持つ人も多い。結婚式には何度も出席した。友人たちの嬉しそうな顔は美しかった。子どもと遊ばせてもらったこともある。小さくてもしっかりと自我を持つ子どもたちはとても愛らしく、そうやって育て上げた親たちを心から尊敬している。
そのような光景を見ても、結婚したいとか子どもを持ちたいとかいう気持ちが湧いてこない。まあそういう人生もあるだろうと納得しているつもりだ。
でもたまに、恋愛や結婚をすっ飛ばした人生ってもったいないのか?と考えてしまう。他人が羨ましいというよりは、なんだか損をしているような気持ちになる。今ちょうどそんな気分。
記事のタイトルを『男嫌いか、ただの喪女か』にしたが、正直なところ若い頃はどちらの自覚もなかった。私は自身を恋愛に興味がない人間だと思って生きてきた。彼氏が欲しいと思ったことがなかった。でも恋愛そっちのけで勉強ばかりしている女が珍しいのか周囲は放っておいてくれない。男性にトラウマがあるのかとか奥手なのがいけないとか色々言われてきた。この歳になってそんなお節介を焼いてくれる人はだいぶ減ったけれど。
でもまあそうやって言われるうちに男嫌いと恋愛下手(喪女)を自覚し始めてしまったのだ。そっとしておいてくれたらよかったのに!
暇で暇でしょうがない人は読んでいってね。
野山を駆け回る女児だったので女の子よりも男の子のほうが気が合った。いつも男の子の集団に混じって(というより私が男を引き連れているように見えたらしいが)遊んでいた。だから男が嫌いだなんて思ったことがなかったが、ひとつだけトラウマ級の事件があった。
小学2か3年生の頃だったと思う。下校中、上級生(たぶん4、5年生の男)に呼び止められた。知り合いではなかったが同じ学校の児童に警戒心などなく、素直に話を聞いた。「目をつぶって」と言われて従った。次に手のひらで目を覆われた。そして口にぬるぬるしたものが当たり、舐められているのだと分かった。でも訳が分からなくて動けなかった。恐怖というより困惑とただただ不快感。唇の隙間に舌をねじ込まれそうになり、とにかく侵入を許すまいと歯を食いしばった。かなり長い間舐められていたように思う。口と手のひらを離した見知らぬ上級生は「先生に言っちゃダメだよ」と言い残し走り去っていった。顔なんて覚えられなかった。でもランドセルの横にぶら下がるヒョウ柄の体操着袋をはっきりと見た。
ベタベタした口が気持ち悪い。走って家に帰り、真っ先に歯を磨いた。レイプ被害にあったらシャワーを浴びてはいけないと言うけれど、小学生でもすぐに汚れを落としたいと思ったんだ、無理な話だよ。母親に言いつけ学校に電話をしてもらった。ヒョウ柄の体操着袋が犯人だと。
犯人は翌日かその次の日には見つかり教師立ち会いのもと謝罪された。今考えるとこれ良くないよな。被害者と加害者とを会わせるなんて。そのせいだろうか、私は相手の顔と名前をはっきり覚えてしまったし相手もそうだったのだろう。この後数年に渡って嫌がらせを受けることになる。
口を舐められただけでかなりの不快感だった。これが性器を触られたり挿入されたり、また加害者が大人だったらと思うと可哀想で仕方がない。全ての被害者の心が救われてほしい。
私はまだ性的に未熟な頃の被害だったのと男友達が多かったためか、男性が怖いとはならず加害者個人を恨んだ。だから男嫌いではないと思っていた。
ちょうど進学のタイミングで隣の学区に引っ越した。そのためヒョウ柄体操着袋とは違う学校になり安心した。
しかし運悪く再会してしまった。私は小学生のときから同じピアノ教室に通っていた。当時あまり気にしていなかったが、その教室の目の前は口舐め事件現場で、犯人はその近所に住んでいたのだ。
レッスンが終わりドアを開けるとヒョウ柄体操着袋がいた。気づかぬふりをして自転車で帰ろうとしていると背後から「もう一回する?」と声をかけられギョッとした。確実に覚えていやがる。気持ち悪い。すぐピアノ教室に逃げ込んだ。先生に何と話したかはよく覚えていないが、優しいお婆ちゃん先生は私をしばらく匿ってくれた。30分くらいだったろうか、奴がいないことを確認して自転車に跨がろうとしたときサドルに唾が吐かれていることに気がつき再び先生に泣きついた。先生は箱ティッシュを丸ごと持ってきて片付けてくれた。私には片付けをさせてくれなかったのをよく覚えている。あのときの先生の様子を思い出すと、もしかするとあれは唾ではない別の体液だったかもしれないと今では思う。
その後もピアノ教室には通い続けた。奴と鉢合わせすることはなかったがサドルは汚され続けウェットティッシュを常備するようになった。
市か何かの俳句コンクール入賞者の中に奴の名前を見つけたことがある。
手と手をつないで
デートがはじまる
気持ち悪い。
こういう犯罪者予備軍が賞をもらい、普通に恋愛を楽しみ、そのうち結婚して子どもが生まれて良いパパだねって言われていると思うと許せない。
特に理由があった訳ではないけれど女子校に進学した。通える範囲で、自分のレベルに合っていて、校風が気に入っただけ。男を避ける意図はなかった。
女子校生活はとても快適だった。進学校だったので治安が良く、学校行事も活発。女子校っていじめがひどいでしょ?なんて良く言われるけれど、勉強に忙しくいじめている暇なんてない学校だった(たとえ暇でもいじめはなかっただろうと思える良い学校だったよ)。
女子校は性別の概念がない空間だった。女ではなくただの人間でいられる場所。進学したり就職したり色々な環境を経験したが、女子校以上に過ごしやすい場所は今のところない。
ただ、学校の「マニア」と呼ばれる人たちが存在した。待ち伏せ、盗撮、校舎に侵入など、不審者(全て男だった)がしょっちゅう出現した。文化祭、体育祭の撮影は家族のみの許可制にするなど対策は取られていたが、登下校時の付きまといなどが酷く生徒は不審者に慣れきってしまっていたように思う。
【大学時代】
勉強が好きな私にとって大学は天国だった。定額講義履修仕放題、今でいうサブスクだね。成績が優秀だったため授業料が半額になった。それでも履修仕放題!なんてお得なの!
他学部の面白そうな講義にも顔を出し、スポーツ系のサークル活動もして充実していた。
ただサークル内での恋愛のいざこざってほんとに面倒くさい。勝手に揉めていてくれたらいいのに何故か巻き込まれる。カップルの女側に呼び出されたことがある。
女「私、〇〇くんと付き合い始めたんだ」
私「そうなんだ!おめでとう!」
女「だから〇〇くんとはもう遊ばないでほしいんだ」
私「そうだね、わかった」
女「〇〇くんと一夜を共にしたことがあるって聞いたよ」
私「(なにそれ知らんこわ……オールでトリキいったときのこと?)そんな関係じゃないよ」
女「もう私のだから。取っちゃってごめんね」
怖すぎる。恋愛経験のない私はただビビリ散らすことしかできない。
この「取っちゃってごめんね」は他の人にも何度か言われたことがある。男を狙っていたことなんて一度もないのに。
これに関しては自分で考えて反省した。たぶん、子どもの頃に男友達と遊んでいたような距離感のまま接していたのが悪いのだ。あまり男の人と仲良くしないよう意識するようになった。
そういえば、このカップルの男側〇〇とは就職後に誘われて一緒に飲んだことがある。そのとき周りがみんな結婚してさびしい結婚したいと嘆いていた。そんなことがあったが、後日FBを見ると入籍報告をしていた。良かったじゃん!と思ったけれどよく見たら入籍日が一緒に飲んだ日より前だった。
怖すぎる。
たぶん私はそんなに不細工ではないのだと思う。正直そこそこモテた。絶世の美女ではないがブスでもない、ちょうど良いレベルの顔。男性から告白されることもはっきり言って多かった。しかしそれを全て断ってきた。故に自分からアプローチする方法を知らない。その結果の喪女である。
悲しいことにモテる一番の要因はおそらく体型なのだ。アンダー65のFカップ、平均身長くらいのややぽちゃと言われるくらいの肉付き。小5くらいには私の体型は完成されていたため、不審者によく遭遇したし中学生以降は常に身体目当てでモテていた。痴漢被害にもよくあった。大学生になるとますます声をかけられるようになった。もう多すぎてうんざりした。こっちは勉強しにきているのに邪魔をするなとさえ思っていた。同級生も先輩も後輩もバイト先の店長も取引先のよく知らんおじもみんなワンチャン狙ってくる。いつか信頼できる人が現れると信じたかったが、体型を褒める言葉や視線を浴び続けているうちに身体を曝け出せる人になんてこの先出会えないと思った。
こういう話は誰にもできない。モテ自慢と言われてしまうから。身体だけを気に入られることのなにがモテなのだろうか。理解できない。
ひとつ付け足すが私は私の体型が結構好き。筋トレも頑張っている。私の身体は私だけのものだ。
博士課程まで進むつもりで進学した。結婚出産のタイミングを逃すから女性にはおすすめしないと言われたがそんなことに興味はなかった。
しかし院生(男)たちはそうではなかった。ここで相手を見つけなければ一生独身だと焦っているようで、数少ない女性院生だった私は標的になった。また院生だけでなく教授からもセクハラ(の自覚はないだろうが)を受けた。密室での指導や2人きりの出張(酒を飲みながら身体に触ったり混浴に行きたがったりひどかった)など、これがあと数年続くのには耐えられないと判断し博士課程への進学は諦めた。ただ勉強したかっただけなのに。
【就職後】
セクハラ教授から逃れるため離れた土地の一般企業で研究職として働くことにしたが、就職後も教授からの連絡は続いた。郵便物を送りたいからと住所を探られることもあった。全無視したけど。
就職後、しばらくは楽しかった。博士課程には進めなかったけれど研究所でバリバリ働けると思うと嬉しかった。しかし就職から半年ほど経ったころから飲み会やら何やらで独身男性を紹介されるようになってきたのだ。同じ大学出身の研究員がいたのだが、付き合ってもいないのに2人の子どもは頭が良いだろうなぁ可愛いだろうなぁと勝手に想像されたり独身男性社員と無理矢理電話番号を交換させられたりもした。
絶望した。どこに行っても同じような扱いを受ける。
数年は研究職にしがみついてみたがある日ぷつっと糸が切れたように諦めの境地に至り、結局仕事を辞めた。現在は研究から離れて他の仕事をしながら比較的穏やかに暮らしている。
長々と書き殴ってみたが、これが私の半生だ。同じことの繰り返しで薄っぺらくて悲しくなる。結婚出産を経験した友人たちは異なるステージで悩んでいることだろう。それなのに私はずっと同じところで同じことを悩んでいる。
こうやって振り返ってみてもまだ、自分が男嫌いだとは断言できない。仲の良い男友達がまだいるし(しかし彼らも結婚すると会えなくなるのだ。奥さんに恨まれたくない)。
喪女なのは確かだろう。私は身体しかモテたことがない。性格を気に入ってもらえるほど他人と深く関わることができないのだ。人付き合いが下手な、明らかな喪女だ。
ひとりでいるのは嫌いじゃない。むしろ好き。孤独死の問題がクリアできれば上手くひとりで生きて死んでいけるはずだ。
ただやっぱり、同級生たちを見ていると自分が損をしているようなもったいないような感情になるのだ。こんなにナイスバディ()に生まれたのに性行為の機会もない!キスもできない!子どもに好かれやすいのに自分の子どもは持つ機会がない!そうだ、身体と時間がもったいないのだ。
毎日毎日老けていく。卵子の数が減り白髪が増える。自分の身体は自分のもの。己が満足できるように整えておけたらそれでいいと自分に言い聞かせる。
60歳になってからでもいいから、いつか心から信頼できる人が現れないだろうかとまだ希望を捨てられない。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるの!と夢見る子どもと同じステージにいる34歳。
気色悪いな。
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
40代男
子供の頃からマンガ・アニメ好きで、キャラクターたちの純粋な精神が大好きだった
逆に現実では人間の複雑さ、汚さを見るにつけ不信感とトラウマが植え付けられた
社会生活はなんとか送れているが、恋愛・性欲対象としての現実女性に興味がなくなっていった
現実で言い寄られたりすることもあったが、
養ってほしい、媚びたい、甘えたい、などといった意図を不純に感じて嫌悪してしまう
現実には男女格差があり、経済的に男性に依存する戦略として有効だからこういう言動をとるのだろうと理解しているが、
精通はAVだったがシコリまくったのはゲームのキャラで、次第に現実女性の体の不完全さに物足りなくなった
ヤリそうになったことは何回かあるがそのたびにリアルな人間のエグみを感じて萎えていった
コスプレも無理
創作されたキャラクターたちの体の完璧さに比べたら、コスプレイヤーの不完全な体ばかり目についてしまう
コスプレする人に物申したいわけではなく、むしろ趣味を現実に表現できていて凄いと思っている
ただ自分の嗜好がそうだという話
今では恋愛対象としても性欲対象としても現実女性に興味がなくなり、
ちなみにAI生成で金を稼いだことはない
自分の老後が心配だが、このご時世、年齢・性別にかかわらず同じような人は沢山いると推測する
折り合いをつけなければいけないと強迫的に考えているわけではないが、
興味があるので
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2412003
TG誤認や多様性批判に結びつけるのは論外。ただ多くの人が思っているより男女間のグラデーションが存在する。肉体的な形質のどこかで線を引く必要がでる場面と、性別で判断すべきでない社会的な場面と分ける必要ある
https://b.hatena.ne.jp/entry/4757133334964214880/comment/todomadrid
未だに性分化疾患を理解してますよアピールしながら性分化疾患を中性扱いしたり性のグラデーション論の根拠にしたりしてる奴が多くてビックリしてる
性分化疾患とは、この性分化のステップの何らかにトラブルが生じ、性染色体、性腺、内性器、外性器が非典型的である生まれつきの状態に使われる用語で、多くの疾患(体質)を含む総称です。
実はなによりも私たちは、自分の体の状態が、世間の人々から「男でも女でもない」「男女以外」であるかのように見られてしまうということこそを恐れて生きているのです。(中略)
現実に、学校での LGBTQ 等性的マイノリティの皆さんについての授業で、DSDs を持つ人々がまるでグラデーションの中間の存在であるかのような説明をされて、不登校になった当事者の女の子のケースや、男女以外に「その他」が設けられているの性別欄を見て、自殺未遂に至った当事者の女の子の相談も受けている状況です。
学校で体の性にもグラデーションモデルが使われた授業で,不登校になったDSDs当事者のお子さんについての相談も受けている状況です。
「体の性のグラデーション(スペクトラム)モデル」は,DSDsに対する古い偏見を助長するだけでなく,DSDs当事者の子どもたち・人々の大多数に,二次的なトラウマを与えかねないものです。
仮に当事者団体の声明を知らなかったとしても、出生児に判断された性別でずっと生きてきて物心ついた後に「あなたの身体の内部を確認しましたが、あなたの性別では通常あるはずの器官がありませんでした(あるいは、ないはずの器官がありました)」と診断された性分化疾患の方に対して、
「中性」「性別にはグラデーションがある」と宣うのって思考力もなければ人の心もないとしか言いようがないんだが
まず性分化疾患の人も染色体はXYかXXの二種類しかないから中性だのグラデーションだの言うのは全くの誤解だし、
「染色体は二種類だけど身体にはグラデーションあるじゃん!」って言うなら
髪の毛が全く生えない女性は?
こういう人たちのことも全部中性とか性のグラデーションって呼ぶの?
「後天的ならただの病気だけど、先天的なら中性なんだ!」って言うなら
性分化疾患を「中間的な性」「性のグラデーション」扱いするのはそれくらい失礼なんだよ
いい加減気づけ
以下は自分が知っている毒親界隈の話で、彼女さんと同じかどうか分からないが、自分からすると元増田が書いたようなことは「あるある」と思うので、参考になれば幸いだ。
当り前のことだが、毒親の狂気と、子供に刻み込まれた精神的な傷や障碍は、それを直に受けていない人間には分からない。
だから元増田が理解できないのは当然で、むしろ理解できる方がちょっと特殊だ。
毒親界隈だと例えば、元増田の実家や職場に、不審な液体入りの大瓶を抱えた異様な高年女性が現れ意味不明な脅迫を始めて大騒ぎ、がありうる。それも、元増田への直談判とかを飛び越えていきなり。
耳を疑うような話がいくらでも転がってて、普通の人間には理解不能な世界だ。
子供は、親が何か理解不能な凶行に出ると身に染みているし、トラウマも積み重なっている。
こんなことを書くのは本当に、心の底から嫌で嫌で仕方ないが、元増田が今、具体的に前に進めたいのなら、彼女とのことは諦めた方がましかもしれない。
少なくとも、元増田の実家や職場に大混乱をもたらして、無関係の人が病院行きになったり元増田が失職したりして、彼女が自責の念でどうにかなってしまうよりは。
俗に、「虐待の影響から回復するには、虐待されていた年数と同じかその2倍かかる」と言われる。
実際、子供の脳の損傷は、形に見えるほど残っている。
ここから長い長い年月じっくりトラウマ治療などを受けつつ、元増田は毒親関係の様々なことを丁寧に勉強し、しっかりした複数の専門家に助けを求め、元増田とその周囲の安全も図って、それでもなお残るリスクを承知で行動に移す、くらいに元増田の人生と周りを犠牲にするのは、勧められない。
とりあえず今、彼女も元増田も、2人だけで抱え込まない方がいい。
狂気に立ち向かう2人に必要なのは単純な「親から離れろ」的アドバイスではなくて、ただ理解してくれる人やしんどさを忘れて楽しめる時間空間などの、心の支えだと思う。
ムリに性差はあるのだろうか。
男で俺○○無理なんよねっていうのあんま見かけたことない。食の好き嫌いや対人関係的にこういう人は無理的なのは見かけるけど、鳥無理(昔糞かけられてからトラウマで)とか、ビール無理(にがい)とか、たばこ無理(くさい)とか、SNSやってる人無理(浮気)とか、オンラインゲームやってる人無理(なんかキレてうるさい)とか、そういう対物的な無理はあんまり見かけない気がする。
私が女性と仲良くなることが少ないからか、マッチングアプリで私に興味を持つタイプの選別のせいなのか、性差なのか、なんかこだわりなのかと思うほどそういう無理が何かしらあるいは複数多く持つ女性としか親しくなったことがない。
母もそうだ。父は寡黙に嫌なものでも嫌と言わず受け入れるが母は無理とすぐに言う。
特に食は共に過ごすとその機会が多く、酸っぱいの無理言って本当の美味しいカプレーゼを食べる機会を失ったり、日本酒無理言って本当の美味しい秋田酒を逃したりなど、まぁ強要はしないけど、それにしてもパクチー無理〜納豆無理〜とか無理がどんどん溜まっていく様を見てると、なんか過学習しやすくね?と少しイラッとしてしまう。
無理無理言う人に幻滅してしまうんだけど、性差として受け入れざるを得ないのだろうか…?
初めてホットエントリに入った!嬉しい!いつも思いの丈推敲した文章は入らないのに!悲しい!
男女論はやっぱ燃えやすいのね。観測範囲、ジェンダー、表現(言葉の意味)の問題がある感じっすね。
初めましての女性との食事で自分の好きなもの無理無理と否定されまくったのに、連絡先求められてお食事楽しかったと言われ驚いて、過去を思い返しながら備忘録に日記書き殴ったんさ。読みにくくてごめんね。コメントありがとう気持ちに整理がつきました。
https://x.com/search?q=from%3Anaramanara3206%20%E9%B6%B4%E8%A6%8B&src=typed_query&f=live
現行の『クラッシュ・バンディクー』シリーズのファンで、かつてソニー・コンピュータエンタテインメントで『クラッシュ・バンディクー』シリーズのローカライズに携わっていた鶴見六百氏を始めとするPS1時代の『クラッシュ・バンディクー』シリーズ関係者への憎しみをぶつける。ノーティドッグも憎いらしい。
鶴見六百信者は苦手なんで、二度とクラッシュバンディクー作品に来るなよ。
ラチェクラの所にいけよな。
返信先: @naramanara3206さん
あのチー牛の言葉を使った名越と友達の鶴見六百は、本当に世間知らずですわな。🤣🤣🤣🤣
哀れな鶴見六百〜🤣🤭🤣🤭🤣
何が番組に偽りだ?
お前が恥を知れ!!😠😠😠💢💢💢
クラッシュバンディクーの原作(PS1版のクラッシュ1〜クラッシュカーニバルまでの作品)を壊されて、SIEと鶴見六百とノーティードッグの奴らが、泣いてトラウマになる姿が楽しみだな。
https://x.com/STeienshi/with_replies
コナミが展開する麻雀ゲームの運営への不満、企業への罵倒を公式アカウントへのリプライする。かなりの投稿頻度をキープしている。最近は自分はコナミから暴力を受けていると主張する。ゲームはずっと続けている。
返信先: @MAHJONG_MFC573さん
KONAMIって会社、早川社長になってから無責任で仕事のヤル気無い人材が増え違法な行動も正さず苦情を言えばイジメ
これが一流企業のする事でしょうか?
やる事ヤクザと同じやん
返信先: @KONAMI573chさん
勝負は出来ません
勝つ時も負ける時もバカ偏りしてるから、本格的なんてもはや『嘘』でしか無い!
ヤル気ある方なら、改善してるはず
6年以上同じ事を言い続けても無視
こんな企業あって良いの?
返信先: @konamistyleさん
現在、麻雀格闘倶楽部にてKONAMIのネット暴力を受け続け12試合連続して勝利無し
返信先: @mfcsp573さん
何も客にとって良い子どもは無いです
かつては熱心なソニックファンであったが、昨年11月ごろにファンを辞める。声優に殺されたらしい。
ずっと
金丸さんのTwitterの言動だけで正直もうソニックシリーズ人に勧めずらいなぁ
フロンティアでお客さんが増えても言動を変えないと思わなかった
正直
金丸さんはこの人よりも酷いことをずっとしててソニックが子ども向けに本格的に移行してても変わらなかった
本当に悲しいし辛い
お客さんにこういう妥協をさせ続けるのが声優の姿になっていくならAI声優に仕事をとられてもしょうがないよって思う気持ちはある
長くファンをやってればやってるほど損をするんだ
こんな思いをしたくなかった
妥協するけど
それでもう何年も傷ついた
これ以上は無理です
これからシャドウをヒーローとして好きになる人が傷つきませんように
#ソニック
#ソニかつ
#ShadowTheHedgehog
シャドウファンの私はセガとソニックチームと金丸さんと悠木碧に殺された
それだけだよ
金丸さんはソニックシリーズよりネットで政治的発言や陰謀論を言いたい人で
悲しい
ほんとうに
悲しい
わかるし、とってるどころかエコバッグなりビニール袋なりの1番上の商品にわかりやすくセロテープで貼ってる
一度多分万引きに来た人扱いドラッグストアの店員にされて(急に寄ってきてそのバッグ素敵ですね!って意味分からん話題で唐突にマークされた)以来トラウマで……
ウォーキング後で急ぎながら汗かいて寄ったのが怪しく見えたのかな
以後怪しくみえるかもしれない行動はしないように気をつけてるけど、そうやってビクビクしてるの逆に怪しいかもとか考えて落ちつかないからレシートはそのためのお守り