はてなキーワード: 2023年とは
コロナによって東京オリンピックの開催がおじゃんになった世界線の2031年。
世は禁酒法ならぬガチャピンが定めた禁嫌法から10年が経っていた。
かつてガチャピンの片腕であったムックは禁嫌法の緩和を訴えるも反嫌法に基づいて電気椅子に送られてしまっていた。
「嫌い」をキめたくて仕方がない人々は、
はてなというアングラなサービスを使い日々「嫌い」という感情をぶちまけるのであった。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?
このようにきわめて重大な法令を、
国民はなぜこのように圧倒的に、まるできまぐれのように受け容れたのだろうか。
コロナの流行は禁嫌指導者に大きなチャンスを与えることになった。
完全禁嫌プログラムには反対していたはずの人びとの注意はコロナに奪われ、
国家存亡の危機に際しては、人間の自由意志などは些細なことだと考えられた。
またコロナは、ガチャピンに広範な権力を与える思いきった法律制定に、国民を馴らしてしまった。
感情の節約が必要となり、感情節約の手段として、ガチャピンはリベラリストたちに禁嫌奨励することになった。
憲法修正第ガチャピン条はその自然な表現だが、コロナはまたスパルタ式理想主義のムードをもたらした。
マイノリティが良いものであり、マイノリティが生産能率の良い存在であるならば、禁嫌論議は、さしあたり反駁の余地のないものだった。
もしこのコロナとの戦いがすべての争いを終わらせるものであり、勝利が新たな輝かしい世界秩序をもたらすことを可能にすると考えるならば、
この効果的な禁嫌を無限に続ける時代に入っていくことを想像するのは、いかにも容易であった。
そして結局、コロナとの戦いは国民を、即座に結果があらわれないと苛立つように変えてしまった。
2022年と2023年は、やる価値のあるものは何でも、官僚式手続きや反論や快不快や便不便を無視して、即刻やる価値がある、ということになってしまった。
こうした諸勢力の結合は、抵抗し得ないものだった。国民は熱病にかかったように、息せききって、禁嫌のユートピアへの近道を選んだ。
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
俺用メモです。
韓流なんか見てたまるか、と思っていた基本韓国嫌いの俺ですが、ステイホームでうっかり「愛の不時着」を見てしまい、以来すっかりハマってしまいました。
良いものは良いと認めざるをえない。
というわけで俺のおすすめするトップ10+くらいをできるだけネタバレしない範囲で紹介したいと思う。
1話、3話、最終話のラストシーンは涙。全編を通して人生訓にもなるような考えさせられる深い名言の宝庫。どん底から這い上がるたくましい生き方に共感する。「強く願えばいつか叶う、意外な方法で」 パク・ウンビンの歌唱力に脱帽した。
ウ・ヨンウ弁護士を好演したパク・ウンビンの魅力全開。韓流時代劇にはハズレなしだと思う。数奇な運命により、女であることを隠して王となり名君として良政を行う。女として生きたいが生きられない悲しみ。そして最後にたどり着く女としての幸せ。「欲しいものが一つだけありました。かんざしです。」最終話は歴史に残る名作といってよい。
君の名は。に大いにインスパイア()されたタイムリープ恋愛サスペンス。恋愛物だがサイコサスペンスと謎解きがあり、時系列と人間関係を立体図に書いてメモっていかないと頭の中がこんがらがるくらい複雑に絡んだストーリー。数々の伏線がラストで見事に回収されていくとても練り込まれた脚本。終わり方が本当に切なくて美しい。君の名は。のオマージュ?というかそのまんまだけど。
76話もあって見終わるまで骨が折れるが、バカバカしくも続きが見たくなるよくできた秀作で結局最後まで飽きずに楽しく見られた。長かっただけに終わってからのロスが激しい笑
心優しい、優しい世界の話。自閉症スペクトラム障害で人の心がわからないが写真記憶能力を持つ天才が弁護士となって活躍する。ウ・ヨンウ弁護士がとにかくかわいい。物語がとにかく優しい。心救われる映像と物語。現実的じゃないとかやぼったいことは言わない人へ。
なんかタイトルからして北朝鮮から逃げてきた人の話かと思ったら全然違った。人生なんてろくなことない、ただ心を無にしてやるべきことをやるだけ・・・という諦観の境地に達してしまった不遇な女性が、心を許せる「ヤクザ」と知り合って、互いに惹かれていく。自分のこころを解放していく日誌をつける。人生がつまらないと心を閉ざしてしまったあなたへ贈る、こころが救われる物語。主題歌が耳に残る。
「恋慕」が明らかにインスパイアされてそうな、恋慕より数年前に制作された似たような作品。こちらは女性が男性と入れ替わるのではなく、庶民である道化師が王様と瓜二つであったことから数奇な運命に巻き込まれていく。最終回はいろいろあったが一応のハッピーエンドでホッとする。
ラブコメみたいなタイトルだがコメディ要素が一ミリも無いとても重い話。不幸な生い立ちのせいで社会の底辺で生きてきた少女が、人生に生きる意味を失っているものの誠実で心優しい「おじさん」と出会い、互いの人生に影響を与えていく。ヒロインが韓国のトップアイドル歌手と知って驚いた。演技力素晴らしい。最終話は観ながら一時間ずっと泣いていたくらい。誠実な二人の幸せな未来を感じさせるラストが素晴らしい。
私が人生で一番泣いた作品かもしれない。登場人物の全員(ただし犯人を除く)に深く深く共感できる心理描写にとても優れた作品。
不遇な人生のせいで自己肯定感がどん底に落ちた未婚のシングルマザーが、苦労して苦労して子育てをする中、褒めて褒めて褒めまくるスーパーポジティブマンの警官に出会って立ち直っていく話。身近にありそうな人生ドラマであり、恋愛ドラマとしても素晴らしく、サスペンスドラマ(殺人事件を軸に話が展開していく)としても秀逸。笑いもある。主人公の男女がとにかく魅力的。子役も魅力的。演技力凄い。最後まで視聴した後の読後感(余韻)が素晴らしい作品。
ビジネスドラマであり不遇な青年の人生をかけた復讐劇でもある。その点でよく半沢直樹っぽいと言われるが半沢直樹がオモチャに見えるほど脚本が素晴らしい。群像劇なので登場人物それぞれの人生が並行して描かれるが、どの人物もとても魅力的。恋愛ドラマとしても秀逸。
「貧乏な男との結婚はイヤ。だから好きな男は私の手で成功させる。私が努力してあなたを金持ちにして差し上げます。」という恋愛観が衝撃的であり新鮮であり新しい女性像を描いていると感じた。
トランスジェンダーや肌の色の違う外国人への差別問題を扱った社会派作品でもあり、彼女ら/彼らへの応援歌でもある。これも読後感(余韻)が素晴らしい作品。泣けるシーン多い。
ビジネス恋愛ドラマ。IT系スタートアップ企業が生まれて成長していくさまがわりとリアリティをもって描かれている。恋愛ドラマとしても秀逸。笑い多め(3話ラストで死ぬほど笑ったw)恋愛ドラマとしてはラストの切なさが半端ない。結末には賛否両論あるようですが私はあれで良かったのだと思っている。メインキャストの一人、ジピョンは名前の文字を並べ替えると「手紙」になるというアナグラムになっているそうだがそういう緻密で心優しさに溢れる脚本が素晴らしい作品。あとシャレオツな音楽がとてもいい。OST(サウンドトラック)は必聴。
クッソしょうもない笑いあり、シリアスあり、派手目なアクションありの総合エンタメ作品。基本的には恋愛ドラマですが北朝鮮の生活などが興味深く描かれておりエンタメ作品として極めて優秀。笑えるシーン多め。登場人物みんなに愛嬌があり魅力的。メインキャストではない二人のサイドストーリーの悲恋に号泣。このドラマも音楽がとてもいい。Flowerという曲の和訳を読んで泣いた。サントラ欲しくなるドラマのNo.1でもある。
ストーブリーグとはプロ野球の世界でオフシーズンの冬の間の公式試合のない期間のこと。万年最下位で荒れたチームが門外漢のゼネラルマネジャーを迎えたことで劇的に変化していく。マネジメントとは何か、リーダーシップとは何かを考えさせられる。世の中の企業のトップ、経営者やチームのリーダーとなる方々に是非見てほしい作品。
サスペンスあり、子育てに悩む母親の姿あり、嫉妬あり、多くの要素が絡み合った複雑なドラマだが根底にあるのは女同士の真の友情と思いやり。前半は子育て中の、あるいは子育て経験のある男女ならとても胸にくるものがあるのではないだろうか。子役の迫真に迫る演技もすごい。韓国ドラマはどうしてこれほどまでに心理描写に優れているのだろうか。
ラストまで展開が読めない見事な脚本で、終わった後の余韻も良い。41歳のイ・ヨウォン(ウンピョ)が美しい。音楽も良い。
人生の大半を共に過ごしてきた3人の女友達の友情物語。三人のうちの一人が病気で余命宣告されてしまう。親友っていいな、というお話。
フェンシングのスポ根物語かと思ったら、友情あり、恋愛ありのごった煮の青春群像だった。いろいろ設定が非現実的だけど心理描写がうまくてとにかく泣けるドラマ。ラストはハッピーエンドではない。後味が必ずしも良くないけどドラマが終わって振り返ってみると色々なことがあった約20年間の出来事が一つ一つ思い出深く、本当にこの5人の若者たちと自分も一緒に青春を過ごしてきたかのような思いに駆られる。記憶に残る作品。青春ていいな。
注:韓国では数え年のようで、実際の年齢はマイナス2歳して下さい。(23歳と19歳)
これは極端な反日感情描写を含むので日本ではあまり宣伝されないが、大河ドラマなみの超大作だと思う。完成度の高い傑作。朝鮮の「ザ・ラスト・お嬢様」と、偶然に彼女の人生にかかわってしまった3人の男たちを中心に、李氏朝鮮が崩壊していく時代の流れに翻弄される数奇な運命を描く。切ないお話。
笑いに全振りした恋愛コメディ。サウンドエフェクトの使い方が面白くて笑える。泣けるシーンもある。全編楽しんで見ることができ最後まで飽きない。悪人が一人も出てこない。登場人物みんながそれぞれとても魅力的。
幼馴染の男女の成長の物語。7話くらいまでかったるいけど8話あたりから面白くなってくる。最後まで見てとても後味のよいドラマ。ハッピーエンドなのもいい。そして音楽がほんといい。サウンドトラックを買いたくなるレベル。
キム秘書ことパク・ミニョンさんはもう完全にコメディ女優になってしまった笑。基本コメディ貴重の恋愛ドラマでラストもハッピーエンドだけどあんまりスッキリしないなあ。ミニョンちゃんが可愛いだけのドラマ。まあ見ていて飽きないしドラマとしては面白くはある。
ビジネスドラマ。「未生」とは囲碁用語で、まだ安全が確定されておらずいつ死ぬ(相手に取られる)かもわからない碁石のこと。囲碁棋士を目指して挫折した青年(学歴ナシ)が26歳で初めて一般企業にインターンとして勤め、ボロボロになりながらも人間として、ビジネスマンとして成長していく様子を描く。社会人経験のある人なら涙なしには見られない真面目なドラマ。韓流には珍しく笑えるシーンはあまりないド真面目一本勝負。就活を控えた学生達にはぜひ見てほしい作品。最終話は完全に蛇足で無いほうが良かった。
ヴィンチェンツォとは人名「ビンセント」のイタリア発音と思われる。イタリアマフィア一家のコンシェルジュ(最高相談役)として上り詰めた弁護士が韓国に隠した財宝を取り戻すため帰国し、市井の人々と巻き起こすドタバタ劇。基本的にはコメディで泣ける要素はあまりないがサスペンス要素もあって面白い。
韓国の財閥一族の熾烈な権力争いを描くドロドロの昼メロサスペンス。泣ける要素はあまりないが面白かった。
プロ野球チームでエースピッチャーだった兄が、暴漢に襲われた妹を助けたものの過剰防衛で犯人を殺してしまい刑務所に投獄される。プロ球団からも解雇され引退か、となるが刑務所内で地道に練習を続け、最後はプロ野球に復帰するという物語。淡々と進むストーリーで退屈な部分もあるが、いいドラマだった。
検事ドラマ。腐敗した検察庁の悪を暴こうとする若い検事と女性刑事。シーズン2は退屈でイマイチだった。
トッケビとは韓国に伝わる妖精?妖怪?みたいなもの。輪廻転生を超えた普遍の愛を描いたファンタジー。一大ブームを起こした作品のようですが私には合わなかった・・・
人気があるみたいですが私には合わなかった。登場人物にあまり魅力がない気がする。共感できなかった。
25歳の女性が浜辺で拾った古い腕時計を巻き戻すと自分だけ時が進みおばあちゃんになってしまう。見た目おばあちゃんの中身25歳が繰り広げるドタバタ劇。ネタバレになるので書かないがラストであかされる真実はとても重い話だった。
とりあえずこんなところで・・・
マイナカードに学校の「成績」 対象小中学生 2023年度にも
https://www.fnn.jp/articles/-/120549
この記事のブックマークで怒ってる人は何に対して怒っているんだろうか?
もしかしてマイナンバーカードに成績が記録されるから紛失した時に漏洩するって思ってるのかな?
このニュースの書き方も悪いけど実際はマイナカードと紐付けられるんじゃなくて、マイナンバーと成績をひもづけるんだよね
マイナンバーの仕組みは調べて貰えばすぐわかるけど中央管理じゃないからデータ自体は各学校もしくは教育委員会に置かれる事になるとおもいます
この紐付けで解決しようとしているのは転校や進学する時に内申書や成績を紙で郵送したり手渡ししていたのをデータでやりとりできるようにしましょうという事でしょう
また卒業証明書等が必要になった場合、卒業した学校まで取りにいく必要があったのが不要になるかもしれないですね
みんな大好きな無駄な紙での仕事を電子化しましょうという事だとおもうのですが違うのでしょうか?
ちなみにマイナンバーに紐付けられたデータというのは誰でも見れるのではなくて、見れる権限というのがあって誰が何を見たかはすべて記録されマイナポータルで確認できるようになっています
そんな状態で売りつけるのほんとやめろと。
FOMAが始まった時もカバーを全然していないのに売れ売れ命令で電池は持たないわ、繋がらないわ、つながったら電池切れるわでホント最悪だった。
あの時の失敗をまだ学ばない。5Gを売るのなら、まずカバーできるエリアの企業に売れと。必要な所で対応できるようになってから一般に売ればいいものを、ろくなカバーができていないのに速い凄いだから買えってのは、ドコモの無能さがよくわかる。
これで営業に売れって言うんだぜ。法人ならまだわかるよ。まだね。繋がらないとクレームは必ず来るだろうけど。
FOMAの時にあんなにあんなにあんなに!失敗したのをどうしてこうも繰り返すのか。
苦労するのは末端なんだよ。
デスクでふんぞり返ってる有象無象の輩共は苦労しないんだ。アイツらは末端の顔すら知らないで売れ売れ言ってるだけだからな。
結局苦労するのは、無駄に増えたサービスと約款に泣かされるスタッフだけだ。
俺は光コラボを売れって言われた時点で携帯屋じゃなくなったから見限ったが、今も営業で苦しんでる人は気の毒だわ。せめて70%カバーしている時点から売れよ。
あー、ムカつく
これはシステム的、ハードウェア的にどうというよりも、Proの場合は「これ以上、Switchの進化は無い」とも解釈できるためだ。
また、Proの場合は専用タイトルが出る未来は考えづらい。「綺麗なゼルダ」「綺麗なスマブラ」では、コアなファン以外の客層を取り込めるとは思えない。
そのため、Switch 2としてフルモデルチェンジし、下位互換を残す事で、既存タイトルを活かしつつ、その性能をフルに活かした専用タイトルが今後発売していくだろう。
このサイクルを、数年(4〜5年)周期で回してほしいと考えている。
言うなれば、PS4で言うところのPS5みたいなもの、といえば伝わりやすいだろうか。
引き続きnVIDIAのSoCが採用されると思うが、XavierかOrinのどちらか(を、Switch向けにカスタマイズしたもの)になるだろう。
それぞれ、現行と比較すると以下の通り。
現行 | 0.4TFLOPS | Tegra X1カスタム |
---|---|---|
Xavier | 1.3TFLOPS | - |
Orin | 不明 | 曰く、Xavierの7倍との事 |
参考
PS4 | 1.84TFLOPS |
---|---|
PS4 Pro | 4.2TFLOPS |
PS5 | 10.3TFLOPS |
まずXavierだが、こちらはPS4にも及ばないくらいの性能だ。そんな性能では4Kは無理だろう。
(Switchの上位機種としては十分かもしれないが…。)
一方、Orinに関しては、その性能を仮に1.3 x 7 = 9.1TFLOPSとすれば、PS5の10.3TFLOPSに迫る勢いだ。
ただし、PS5のデカイ筐体を見た後なので、そんな性能を実現しつつ、Switchのサイズ感やコンセプトを維持できるのかは疑問だが…。
Nvidia Announces New Drive Platforms With Orin and Ampere
こちらの記事によればOrinのTDPは45Wと言うことなので、案外大丈夫かも?
もちろん、PS5やXBOX Series Xの凄さはSoC以外にも高速SSD等の要因があるため、真の意味でこれらのハードに迫る性能にはならないと思う。
だがそれでも、馬力が無くてSwitch版が作られなかったタイトル(例えばARKとか)がSwitch 2なら可能になる、等の可能性が生まれるのは良いことではないだろうか。
実は、Orinが採用される場合、2021年に発売しない可能性がある。
NVIDIA、5W版の新型SoC「Orin」でADAS市場を本格的に志向。「2000TOPSでも、4000TOPSでも可能」とダニー・シャピロ氏 - Car Watch
気になる出荷時期についてダニー・シャピロ氏は、サンプル版を2021年、通常版を2022年、5Wの低消費電力版を2023年と語る
さすがに、早くても2022年になるだろう。
ここでnVIDIAが頑張って2021年に間に合わせるなんてことが…ありえるのか?
一応、PS5の例を書いておくと、PS5には「カスタムRDNA2アーキテクチャ GPU」が搭載されてるが、RDNA2アーキテクチャの「Radeon」はまだ発表すらされていない(今月末に発表予定)。
つまり、AMDはゲーム機に対してGPUをある程度先行して投入していた事になる。
nVIDIAが同じような協力体制を取っているのであれば、あるいは…?
以上です。
この予想がどこまで当たるか、来年以降が楽しみです。
「端末の値引き販売」っていう枝葉に拘ってクソなルール作るからこうなる。
果てはルール作りどころか商売人の具体策にこまごまと文句言う始末。
下らねぇキャリアいじめするぐらいならB2Cが焼け野原になってるMVNOを救えよ。
元々そっちが値下げのメインだろうが。
根本のインフラ支える企業の体力削ってどんな将来見据えてんだよ。
そういうことやってるから5Gで惨めなほどに出遅れてんじゃねーか。
端末が増えねーからインフラ整備のコストが減って、それで整備がどんどん遅れるって
なんで5G走り出す直前に端末の値引き規制やったんだよ、やるならどんなに早くたって
2022年とか2023年あたりだろ。Sub-6もミリ波もスポット単位でしか使えねーのに何が5Gだよ。
土建屋や旅行業界にばら撒く金はあっても通信の根幹を支える企業の体力は削るのか?
https://www.youtube.com/watch?v=yBmePNR3pSE
1995年の台湾のCM。ただし、CM中で日本語が使われていることから、輸入品っぽい雰囲気を作ろうとしていることがわかる。言い換えると、このブルマーも日本っぽい雰囲気を出すための小道具だという可能性があり、台湾でブルマーが使われた証拠にはならない。
なぜ教師達が少女の羞恥心に対してあそこまで冷淡だったのか。仮説だが、下着が見えたら恥ずかしいという意識が生まれたのが、ブルマーを時代の教師と少女との間の時期なのではないか。
「となりのトトロ」でも「サザエさん」でも、パンツが見えることはむしろ活発さのイメージを表現しようとしている印象だ。
マーリア・シュヴァルボヴァーの描く、ソ連時代のブルマー少女。
https://www.mariasvarbova.com/dinningroom
昔の写真を見たが、結局は当時のイギリスはブルマーではなかった。
子ども向けの辞書にブルマーのイラストがあって、その印象が強かったからのようだ。
やれやれ!
広さ1のマップで全ての建物の内部が作り込まれNPCが生活している。
広さ1のマップで経済がシミュレートされていて、全ての建造物や(場所によっては)地形を破壊できる。NPCが建設したり修復したりする。
広さ100のマップで政治と経済と技術の進化がシミュレートされ、歴史も進み、建物も時代に沿って進化したりする。
広さ10000のマップで上記を達成。戦争もシミュレートされる。
——追記
ブコメで進化が遅いって言われてるけど、GTA5がいつのゲームか考えると、あながち遅くもないと思う。
GTA5が2013年9月発売だから、2023年で10周年だけど、あと3年でそこまで進化したゲームが果たして出るだろうか?
たぶんグラフィックが少し綺麗になって、広さが1.5ぐらいにはなるかもしれないけど、その程度で終わると思う。
本質的には何も進化してない。それを踏まえての上記予想なんだよね。
俺ももっと早く進化して欲しいけど、それは無理だと考えている。
ウォッチドックス3が全てのNPCを仲間にできるという画期的な仕組みを導入するので、それがどの程度のクオリティになるか、今から楽しみだけど、マップの広さは0.5ぐらい(WDは密度で勝負と製作者が言ってるけど、それを考慮してもせいぜい0.7ぐらいが限界じゃない?)だろうし、自動生成のせいで調整しきれてない部分も沢山あるだろうなと予想してる。
でも2030年頃には、そろそろ血の通ったものをある程度自動生成できるようになってるんじゃないかな。
—-更に追記
id: hazardprofile NPCが勝手に行動するのはゲームにならんというのはSTALKERでやったでしょ
chernobyliteというa-lifeが搭載されたゲームが2019年秋に出てて、好評みたいだけど。。。
—-更に追記
広ければいいのか?みたいな意見もあるけど、ここでは密度も含めてるからね。
それを踏まえて、広ければいいのか、という問いにはYesでもありNoでもある。
なおGTA5の面積は資料によって78㎢から125㎢ぐらいなので、間をとってここでは100㎢とすると、
東京都が2188㎢なので面積だけなら約22倍だけど、高層ビルの中や駅の構内なんかを考慮するとGTA5の1000倍ぐらいの情報量はあるんじゃなかろうか?(雑ですまんな。もっと精密な考察は俺も聞きたい)
上記2030年の予想で言ってる、全ての建物の中が作られてるってのは、超高層ビルなら1階に入れたらOK程度のなんちゃってレベルを想定してる。おそらく超高層ビルや新宿レベルの駅なんかが再現されるのは2040年頃でやっとじゃないかな。
で、それは面白いのか?という問いへの答えだけど、もちろんゲームとしての面白さはゲームバランスが重要。
それがダメなら答えはNoになる。でも、ここではそれをクリアした上での話だから、答えは「面白くなるに決まってる」だ。
俺は上記予想のものが実現したら、面白さの次元が変わると思っていて、逆に言うとこれが実現できなければ(グラップリングアクションなどの別の進化?を考慮に入れても)面白さの次元は変わらないと考えている。
なぜここで東京都の情報量について触れたのかというと、俺の言語能力では、上記予想で述べた要素が面白さのパラダイムシフトに貢献するという事をうまく伝えられないからだ。そこを補足すれば、それぞれ各人で少しは想像しやすくなるかなと思い書いてみた。
もう少し言うと、あそぶつり、という物理シミュレーションを題材にしたフリーゲームがある。
ちょうどいい機会!今やらないでいつやる!みたいな人が多くてうんざり。いい加減にしてほしい。これは学校だけの問題じゃない。早生まれや学年の定義や、そういうことでもない。
教育業界は何十年も、4~3月のスケジュールで動いてきた。お金も人の動きも、それに関係する全国の民間企業も、全てがこのスケジュールに応じて動いてる。公立高校も実質無償化になって久しいけど、それも全て、4~3月の中の国の予算組みで動く。人の動きや転勤も全てそう。各種調査統計も、5月1日を基準日として行われ、それを基礎数字に全てが動く。
民間の会社もそう。仮に9月入学になったら、近いところで、学習塾業界に激震が走る。そこの決算や人の動きも全て変わる。新卒採用にも影響が出る。例えば、教科書を作る会社。それを販売する会社。机や椅子といった教育機器・備品の会社。制服を作る会社。進路情報をサポートする会社。その全てが、4月入学やそれぞれ適した時期にに最高の形で供給できるよう、工場の稼働や人的な問題など、調整している。地方だと、春先の年一回に全てを賭けた老舗の制服取扱店や教科書販売店も少なくない。
9月入学にするというのは、文部科学省が決めて、各県に通達して、予算や人の問題をクリアすればOKという話じゃない。教育業界に関わる日本中の民間企業も、大きな変化を迫られてしまう。事業の大幅な組み換えや、見直しが必要になる。ただ単に半年ズラすとか、そういう簡単な話ではない。欧米と合わせて9月に!というのもナンセンスな話で、半年ズレによる受験機会増などの恩恵も沢山あった。
確かに、9月入学のメリットは分かる。受験シーズンと厳しい冬を切り離せるのも魅力的。でも、絶対的に時間が足りない。今年の9月は無理。そもそも、9月にコロナが終息しているかも分からないのに、どうやって9月入学に向けて動けというのか。全国の教育業界に関わる全ての企業や組織が一斉に段取りを始めれば、緊急事態宣言どころじゃなくなるのは目に見えている。
少なくとも、今年は無理なのだ。2023年に9月入学を始めるから今から数年かけて準備していきましょうなら、まだ分かる。でも今年はあと4ヶ月しかない。それも、コロナが終息しているかも不透明な4ヶ月先。ただでさえ、現場の教職員たちは、生徒の学習をなんとか継続しようと、今必死になって取り組んでいる。地方だと家にWi-Fiがない家庭も多い。もちろん、ろくに家庭訪問もできない。休校要請が非人道的なスケジュールで降りてくる中、どうにかできないものかと、試行錯誤しながら必死にくらいついている。そんな現場に、9月入学に向けて学校行事他全てを見直して準備していく余裕は、はっきり言って無い。無いです。
今大切なのは、子供たちの学習機会をどう確保するかということ。ネットを使った環境を、いかに整備するのか。郵送でのやり取りと抱き合わせでもいい。そこに文部科学省なり県なりが経費や補償を投じて、統一のフォーマットやスキームを形作ってくれれば、現場はいくらか楽になる。頑張るための方向性が見える。どうなるかも分からない9月入学に振り回されるより、直接的に、目の前の子供たちのためにやれることをやりたい。
だから、安易に9月入学がちょうどいいなんて、そんなことを言わないでくれ。煽らないでくれ。4ヶ月でやれることでは到底ない。そして、現場はもう、耐えきれない。