はてなキーワード: 麻痺とは
結論から述べると、増田をブクマするとき、[増田]タグを付けるかどうか分からなくなった。ただそれだけのお話である。あまりにもどうでもいいが、なんとなく思考が付き纏ってきて邪魔なので、ここに掃き出しておく。この増田は気が向いたら削除する。
これまで、暇な時間に増田を閲覧しては、「ええな」と思った増田にブクマしていて、そのとき[増田]タグをかかさず付けるようにしていた。そのタグを付け始めた理由は、よくわからない。多分はてブに初めて来て、増田のエントリを見たとき、お勧めタグに表示されたからかもしれない。なんとなく、それが作法なのだと誤解したのかもしれない。よくわからない。
そもそも[増田]ってなんやねん、誰?というのが当初の感触だった。
はてブを知るまで、増田といったら某ゲームのディレクター兼作曲家しか浮かばなかったし、他にも誰かを略称していると考えるのが普通であろう。
今では麻痺している感覚だが、普通に考えて、人の苗字にもなる単語がWEBサービスの略称になっているのはおかしい。はて匿のほうがよっぽど分かりやすい。しかも増田に書かれた日記の筆者も増田と呼ぶ。増田の日記単体も増田と呼ばれる。ああもう狂う。
こんな文章だってなぜか読めてしまう。でもおかしいだろ?こんなん。
最近はてなブログの筆者を「増田」と呼ぶ人たちが時々見られるが、これはあまり責められたもんじゃないと思う。はてブや増田において、「増田」という単語の取り扱い方はあまりにも特殊で、異質であるからだ。
脱線したのでタグの話に戻すが、ブクマでこのタグを使うのはきっとこんな理由だ。「増田のWEBページだから[増田]タグを付けておこう」
なんだ、何も問題ないな!と思いかけたがやっぱりしっくりこない。そんなタグを付けて何になるんだ?いや、なるか。だってタグは分類するときに使うし、増田の増田を[増田]として分類しておけば、あとで増田のブクマだけ見たいときに便利じゃないか。やっぱり何も間違ってない。
・・・でも、あとで自分のブクマを見るときなんて来るんだろうか。好きな作品の円盤を買っても、一度見たら棚に放置して埃を被せてしまうような人間が、あとでブクマをもう一度見ることがあるだろうか?いや、ありえないだろう。棚の隅っこで、Blu-ray版ハリーポッターシリーズがこちらを見ている。そんな目で見ないでくれ。
なんだかよくわからない。もう疲れた。俺は[増田]タグを付けるためにこれまで何回スマホをタップしてきたのか、そしてこれからもし続けるのか、わからない。
この話はこれで終わりだ。先が見えない話はもうしたくないんだ。やっぱりこれまで通り無心で[増田]タグを付けるんだ。あとで見なくたって、タグを付けるだけで安心するんだから、もうこれでいいじゃないか。
しかも二留。言っておくが正当な理由なんかないぜ。留学なんか考えたこともないし何かに夢中になって道を踏み外したわけでもない。一人暮らしでダラダラしてたら好景気の新卒カード逃しちった。「馬鹿だなぁ」って一瞬でも思ったろ? 俺も同意見ですハイ。
知ってるか? IMEで「二留」「落単」って一発変換できないんだぜ。コンピューター様の想定を超えるダメっぷりなの。
もうちょっとデキる奴だと思ってたんだよなぁ。確かに小中高通して提出物はほとんど出さなかったし机の中も汚かったし忘れ物も多いポンコツだったけどさ、というか普通にADHDだったけどさ。
一応大学はそれなりのところに受かったしWAISの結果もだいたい平均以上だったしで自分の知能にはそれなりの自信があったんだよ。
いや~まいったね。大学って恐ろしいな。自分が「落第生」になるとは。
親がさあ、すっげえ悲しんでんの。そりゃそうだよな。
「実家から通った方がいいんじゃないか?」「母さんそっちに寄こそうか?」「一旦休学するのもアリなんじゃないか?」「いやいっそこっちの大学に転学しないか?」「金なら心配すんな。お前の幸いのためなら惜しくはない(医薬)」
って丸4年言い続けたのをことごとく突っぱねられてさ。それで息子がちゃんと単位取る or 大学生活をエンジョイしてくれるんならまだ良いけどよ、結局「ほれ見たことか」な末路になってんだもん。親父が味わってる無力感を想像すると吐き気が混み上げてくるもん。ごめんなさい。
今期の必修(再々々履修)を取らないと退学なんだ。もう奨学金も止まってるしな。あっそうか俺借金あるじゃん。保証人親父じゃん。「死にてえ死にてえ。でも俺死んだら両親悲しませちゃうなあ」とか舐めたこと考えてたけどそもそも俺が死んだら金銭負担も発生すんのか。「家族なんだから迷惑かけたっていいんだぞ」が口癖の親父だけど流石にこれはなあ……。前向きな姿勢から発生する迷惑と究極の逃避から発生する迷惑とでは質が違うや。やっぱ機関保証にしときゃよかった。死にたい。
立派な両親なんだよ。なんであの二人から俺が発生したんだろう。完全に謎。
必修の単位取得もぶっちゃけ厳しい。俺大学来るべきじゃなかったなあ。何やってんだろ。
親にはこんなこと絶対言えないけどさ、俺なんか産まれてこなければよかった。
第二次世界大戦の時、日本が右翼やヤクザのチンピラ集めてスパイとしてロクに働かない効率最悪の奴らを使っていたころ
アメリカとイギリスは、アイビーリーグを出た超エリート層や、薔薇戦争から続く由緒正しい家系の貴族の若者が、自ら戦闘機パイロットやスパイとして志願して
日本が官僚の思い付きと暴走で松根油作ってエンジンオシャカにしまくり、八木アンテナを捕虜になった士官でさえ知らなくてイギリス人の下士官に本気であきれられていたころ
イギリスやアメリカは、増田の大好きな現代のコンピューターやAIの基礎理論を作ったノイマンや、チューリングが、人類史上初のプログラム内蔵型コンピューターを開発し、解読不可能と言われたエニグマを無力化して解読に成功して、原爆を作ってた。
2000年代前半、日本がコンピューターサイエンスを学んだ大卒社会人を、野比YRPという現代のアウシュビッツと形容されたエンジニアの処刑場でプログラマーの中でも最も替えが効かない組み込み系エンジニアを廃人か自殺に追い込みまくって代わりならいくらでもいる、死んだ奴の自己責任と言い、現代のSNS構想やブロックチェーンの雛形を研究していたP2Pを作った天才研究者を、訳の分からない理由で逮捕して心臓麻痺で死ぬまで追い込んでいたころ
中国や北朝鮮やインドは秋葉原やアメリカのシリコンバレーの雑貨屋やゴミ捨て場でパソコンパーツを集めて、本を買い、ほぼ独習から初めて笑われてもITエンジニアを育成しようとしていた。
そして10年後、インドはIT人材超大国に、北朝鮮はイスラエルやアメリカでさえ恐れるサイバー戦争の大国に、中国はITインフラを根底から西洋文明を覆そうとするほど大きくなっている。
単に日本が一時期でも技術大国だったのは、戦争の時に当時の国家予算の7割近くを次ぎこんだ資金投資の遺産と、冷戦時代にたまたまいい立地でジャンジャン投資をアメリカからもらっていたことでしかなかった、というお話
ホットエントリに入っている増田を読んで、自分の事のように胸が痛くなったので、増田に意見を書く。なぜ君は素直な感情を吐露しただけなのにクソ味噌にマウントをとられるのか。私も若い頃に散々悩んだが、答えはシンプルで、恋愛が「Easy game」だからだ。
パートナーに暴力を振るう人の痛みがわからない人、職場にいる刺激臭のする不潔なおじさん、約束の時間に毎回遅れてくる良い加減な男、ギャンブル狂いで金銭感覚麻痺してるヤツ。第三者が見れば君より外見、内面共に「下等な」タイプの人でさえ、なぜかパートナーがいたり、結婚していたりする。
そんな「Easy game」だから、世間の人はパートナーを見つけられない人のことを、分数がわからなかったり、自転車に乗れない人と同レベルの下等生物と見なしてしまう。君に対してつまらない奴だとか、性欲ギラついていてキモいとかあらんかぎりの罵声を安全地帯から投げるのはそんな見下しからだろう。だけど悲観しなくていい。君の人間性はパートナーがいる人たちに決して劣るものじゃないと私は思う。たった一つの人間心理、「誰か孤独を埋められる存在になれるか」というポイント、もっと言えば、「相手の孤独の定義は何か」ということさえ注意深く観察できればすぐにでもパートナーができると思うのだ。
少し寄り道的な話をしよう。私は技術者として生計を立てており好奇心旺盛な性格だったので、文系の人やお年寄りの「メカやハイテクが怖い」という感情を理解することができなかった。両親に外国人の友人が多く、子供の頃から海外に行ったことがあったので、「外国人が怖い」という感情も理解できない。そう言う世間からの感覚のズレが多々あり、ずいぶんと変人扱いされて苦労した。
人付き合いの距離感でもマジョリティと異なっていた。一人っ子として生まれ、進学で親元を離れ就職後も転勤続きで1人暮らしに慣れていたためか、「孤独でさみしい」という感情がどうやらずれていたのだ。長期休みにに1人で地球の裏側までバックパック1つで旅しても「孤独」とは感じなかったが、大勢の飲み会でパチンコや風俗と言った男性的なゲスい話題で盛り上がっているのに、全然共感できない時の方が「孤独」を感じたのだ。
そんな世間ずれした私に偶然にもパートナーができたのは「孤独」という感情をお互いにピタリと埋めあえる相手が見つかったからだが、「孤独」と一口に言っても捉え方は本当に人それぞれらしい。例えば飲み会のゲスい話題にはイマイチ乗れないけれど、露骨に距離を置いてハブられるのはもっと嫌だという人は、私と価値観が似ているようで全然違う。暴力を振るうパートナーと食事をすることさえ、1人で家で過ごすよりマシだという女性も山ほどいる。そんな些細な違いだが、日常生活を共にする上では居心地の良さに大きく響いてくるものだ。恋愛においてはなおさら「孤独」の捉え方のウェイトが重くなるだろうし、この感覚がマジョリティに近ければ近いほどパートナーは見つかりやすいのだと思う。
個人的な体感だが、「孤独」をどう埋めるかは外見や内面、年収なんかすっ飛ばすくらいの強いファクターだと思ってる。なんていうかゲームのバグ技級の強いファクター。君は大学生になって初めて一人暮らしをするような真面目な女の子、それも「ワキ毛」くらいの単語を聞くだけで顔を赤らめるような子が、留年を繰り返し、半分社会からドロップアウトしてるような遊び人にコロっとやられて、あっと言う間に同棲を初めて気がつけば喜んで男性器を加えこむようになるという、まるでAVかエロゲかというような衝撃的な場面を見聞きしたことは無いだろうか。私はある。
「孤独」への共感はそんな悪夢を現実にしてしまう強力なバグ技なのだ。確信は無いけども、ナンパ師や恋愛工学の技術が非難の声を浴びながらも、時として効果を発揮してしまうのは、意図的に「孤独」を埋めにいっているからだろうし、ろくでなしでもパートナーを見つけられているのは、「孤独」の感覚がマジョリティ側なので、努力せずとも共感出来る相手の母数が多いからなのだろう。多くの人がMサイズのTシャツを着るのに努力を要しないのと同じように。
さて、いろいろ話が脱線して長くなってしまったが、私が言いたいことは2つ。
あなたは決して外見、内面共に劣る存在ではない。そして、あなたは努力が出来る人だと思うので、パートナーにしたい女性の「孤独」を埋めるにはどうすれば良いかをよく観察して、自分の無理のない範囲で合わせられれば問題なくパートナーができるはず。必要以上に悩まなくても良いと思う。(最後に余談だが無理のない範囲で合わせるというのは本当に重要。これを無視するとパートナーシップは長続きしない。)
子どもの頃から辛いものが大好きで、何にでも桃屋のキムチの素かけて食べてた、食生活クソな時はお米にキムチの素かけてお湯かけてお茶漬けみたいに食べてた
辛いよ!って言われたものなんでも口に入れた
麻痺してたのかもしれない、あんまり辛いと思わなくなったのよね
20代半ば頃、ウイルス性胃腸炎に2年連続で罹るという不運到来
それでたぶん胃腸が弱くなったのかね
笑っちゃうぐらい痛くて転げ回ってた
今はそれはもう落ち着いてきてる、アボカドうめえ
お口がHOTの次の日おケツがHOTになる
関所がバカだから食べちゃうし、ガバガバすぎて腸への敵襲かどうかの判断ができない
それがトイレで神に赦しを乞うぐらいつらい
あまりにもおケツが泣くので辛いものをなるべく控える期間ができた
今まで余裕で食べられたものが辛いと感じるようになってた
この刺激が逆に嬉しくて、辛いものをより美味しいと感じさせた
これいつか治るの?
たとえばこういう人
○ 「閉じ込め症候群」患者とのコミュニケーションに成功:「生きていてうれしい」
https://wired.jp/2017/02/03/locked-in-communication/
意識はあるものの、完全に麻痺状態で目さえも動かすことができない「閉じ込め症候群」の患者は、精神的には“外”に出られるようになるかもしれない。
2017年1月31日付けで『PLOS Biology』誌に掲載された研究で、脳波と血流を測定する装置を使用することで、4人の閉じ込め症候群の患者が質問にイエスかノーで回答し、コミュニケーションをとることに成功したと発表された。
ルー・ゲーリック病とも呼ばれる筋萎縮性側索硬化症(ALS)によって完全麻痺となった患者たちは、地理に関する質問に正しく回答したり、家族の名前を正しく確認したりしたほか、幸せであり、生きていてうれしいと答えたのだ。
この研究報告の主執筆者である、スイス・ジュネーヴの「Wyss Center for Bio and Neuroengineering」(ヴィース・バイオ神経工学センター)の神経科学者ニールス・ビルバウマーは『MIT Technology Review』誌で、好ましい反応を知らされたあと、家族たちの「安堵は計り知れないほど大きかった」と述べている。
ビルバウマーと同僚らは1999年、目の動きだけで意思疎通ができるALS患者とのコミュニケーションに、脳コンピューター・インターフェース(BCI)が役立つことを発見した。一方、ほかの研究者たちにより、まだある程度動ける閉じ込め症候群の患者の脳の血流をとらえ、それを解釈する方法も開発された。だがこの方法では、完全に動けなくなった患者の考えを読み解くことはできていなかった。
研究者たちは今回、脳内の血中酸素濃度と電気的活動の変化を測定する、近赤外分光法(NIRS)と脳波記録(EEG)の両方の機能を備えたキャップを作成した。そしてBCIを使用し、各患者に関して「イエス/ノー」で答えられる質問をして、その反応を調べた。
テストの際には、「パリはドイツの首都ですか?」「あなたの夫の名前はジョアキムですか?」といった質問が行われた。研究者たちはさらに、「あなたは腰痛がありますね」や「わたしは生きたいです」「わたしはめったに悲しくなりません」など、より回答の自由度の高い質問に移行した。
4人の患者の全員が長年にわたり完全に閉じ込め状態にあったが、そのうち3人が、自分は幸せであり、生きていることがうれしいと答えた。
今から3年ぐらい前に、自分の人生の幕を自分で下ろした人がいた。
家族はもちろん、仲間やファン、多くの人が悲しみ、辛い思いをした。
一ファンだった私自身は、悲しい、より、寂しい、より、どうして、なんで、と頭が追いつかなかった。
しばらく、ぼんやりとした時を過ごしていたように思う。
お葬式の映像すら、なにかのフィクションのようにどこか遠く感じていた。
私が麻痺した感覚を取り戻したのは、彼の仲間が活動を再開した時だった。
誰もがその空白の中に彼の幻想を見る。
こんなに辛いことがあるだろうか。
今でも彼と彼の仲間が歌った曲を聞くし、それ自体は生活の一部で変わりがない。
でも、いつまでも彼だけが新しくなることのない写真や動画を見つめ続けるのが辛くて、最近は少しだけ離れはじめていた。
昨日、この一連の流れを思い出すような出来事がニュースとなった。
立場は違えど、自分の人生の幕を自分で下ろすということ、その本当の理由なんて本人以外には絶対にわからない。絶対に、だ。
自死遺族は、自分が追い詰めたかもしれない、自分が救えたかもしれない、このふたつの想いで苦しむとどこかで読んだ。真相が永久にわからないから。仮に遺書があったとして、それだって、100%本当のことなのかわからない。それがわかる人は、もうこの世にはいない。
ファンは、彼らの人生に本当の意味で深くは関われないけれど、遺族と同じような心持ちになる人だっているはずだ。ファンという存在が追い詰めたのかもしれない、とか、ファンという立場ながら何かできることはなかったのか、とか。
考えても仕方ないし、時は不可逆なのに。
きっと今、あの時私が感じた虚無を感じている人が沢山いるんだろうと思う。
たぶん、まだまだ気持ちは追いつかないだろう。人によってそのスピードは違うから、周りのことを気にしない方がいい。結局自分しか、その悲しみにも苦しみにも向き合えない。
生きていてくれたらそれだけでよかったのに、というのも遺された者のエゴで、その、生きている、こと自体が難しかったから幕を下ろしてしまうのだ。
それでも、生きていてくれたらそれだけでよかったのにと、三年経った今でも勝手に思うし、昨日の出来事にも同じように感じている。
せめて、安らかでいてほしい。すべての辛さから解き放たれて、二度と上がらない幕の向こうで、どうか、あたたかく笑っていてほしい。
1時間勉強したらタバコを1本吸うといった具合に、集中モードとリラックスの切り替えがスムーズになった気がする。
タバコを始める前は銘柄の区別がつかなかった。先輩に〇〇買ってきてとか言われても、何ミリとかハードケースorソフトケースとかロングorショートとか、下手するとキャスターとかマイルドセブン(現ウィンストンとメビウス)とか存在しない銘柄を指示されることがあって、そんなもん分かるか!と思っていた。それが自分が吸うようになり、人の銘柄を観察するようになったらたちまち違いがわかるようになった。また、銘柄によって味や香り、(大袈裟に言えば)哲学の違いがわかるようになり、自分の好みも把握できた。
4ヶ月間だけバイトをしていたのだが、上司や得意先の人間と喫煙所で仲良くなれた。好みの銘柄とその遍歴を探るだけで、その人の趣向や、生き方(※セックスまでも!)など少なくないことが把握できる。人の銘柄を覚えていて何かの際にプレゼントすると、それだけで契約が取れたりする。非喫煙者にとっては、そんなバカな話があってたまるかという感じだろうが、喫煙所ならではのコミュニケーションは確かに存在する。
※この一連のツイートは秀逸。アメスピ吸ってる男は絶対ねちっこいクンニすると思う。
偏見だけどアメスピ吸ってる男みんな性欲強い。— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
ホープを吸ってる男のセックスは淡白だけど2回戦余裕で出来る。
わかば吸ってる男は余ったラブホのゴムを持ち帰る。
赤マルすってる奴はフェラをさせるがクンニはしない。
ケントは普段冷たいのにキスが情熱的
ウィンストン(キャスター)はロマンチストだけどバックでフィニッシュする#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
セッターはヤってる時はオラオラなのに賢者モードがエグい
アークロイヤルは研修熱心でいちいち感想を聞きたがる
ラークは謎のこだわりがあって頑固。道具使うのが好き
メビウスはだいたい平均的で女の演技を見破れない
ピースは会社のストレス溜め込んでるが終わったあとの気遣いが優しい#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
タバコを吸いたくなるシチュエーションは確かに存在する。食後、運転中、勉強時、会議の後、やや重ためのアウトプットの前後、飲み会の終盤、普段話しづらいことを話す時など。それらに共通するのは、脳内あるいは身体的なリソースと食われる前後。気合を入れる時、あるいは任務を終えてリラックスしたい時、タバコは静かに寄り添ってくれる。
お菓子、特にチョコレートの消費量が減った。もともと甘党でデスクワークをしている時には欠かさず甘味を摘んでいたが、代わりにそれがタバコになった。砂糖とタバコ、身体に対する悪影響はどっちもどっちという気がする。ちょっと苦しいタバコ擁護だけど。
焚き火囲んでビール飲んで夜風を浴びながら吸うタバコは最高。今ではタバコなしのバーベキューなんて考えられない!
一年で10万円くらいはタバコ代に費やしている。嗜好品だと思えばそんなに悪い使い方ではない気はする。一日300円とすれば、自分にとってはおやつの代わり。仮にその10万円で両親に旅行をプレゼントするなりもっと有効な使い方あるだろうと言われればそれまでだけど、タバコより遥かに無意味な浪費をしている気がするので(ネトゲとかギャンブルとか)、そっちの方が節約の優先順位は高め。
もともと偏頭痛もちだったのが、朝起きて、頭痛を感じる頻度は以前より多く、わずかに痛みが強くなったきがしないでもない。起床後の空きっ腹が一番キマるのだが、強いの吸ったらその日は一日頭痛が酷かった。痛みをまぎらわせようとタバコを吸い、それがさらなら頭痛を引き起こす悪循環にハマることがあるので、体調が悪い時にはなるべく吸わないようにしている。
少し鈍くなった…かな?喫煙後は繊細な味が感じ取れなくなる。和食や薄味の料理の前には吸わない。というか食前に吸うと空腹感が紛れるので飯が美味くない。吸うのは食後にしている。食後のデザートがコーヒーとタバコになった。以前よりも甘いものを受けつけなくなった気がする。辛い料理の食後メンソールは気持ちいい。
これが最も良くなかったことだと思う。明らかに歯が汚くなった。歯が黄色いし、前歯の裏側がヤニで汚え。親や恋人には絶対に見せられない。歯医者行くなりオーラルケアで対策できるのなら、個人的にタバコによるネガティブな点はほとんど解消できるといっていい。あるいは加熱式タバコなどタールのないものなら良いのかもしれない。ちなみに家の中では吸わないので壁紙が黄色くなるとかはわからん。
以前より鼻毛の伸びが早くなった気がする。しょっちゅう抜いてる。こまめに鼻毛を切るようにすれば良いと思う。
夜に吸いすぎると寝つきが悪くなり、睡眠の質も低下する気がする。あと翌朝の頭痛が強くなる(気がする)。
運転中にタバコを吸うのが好きなのだが、明らかに車内が臭い。あと人に会う時に自分がどの程度タバコ臭いか全然わからん。もともと万年鼻炎持ちだが、以前より明らかにタバコの匂いを知覚する神経が麻痺してる。
その時は売り言葉に買い言葉でやめると言ったが、一年経っても結局やめてない。先日会ってまた同じこと言われてしまった。うん、確かにダセエと思う。何も言えないわ。
軽い依存傾向がある。体調が優れなかったので先日思い立って1日禁煙してみたが、特にイライラすることもなく穏やかに一日を過ごすことができた。健康体でないとタバコはまずい。
今のところ明らかな身体的障害は知覚できない。山に登る趣味があるのだが、特段以前より息が上がるようになったという感じもない。肺がん、脳血管障害のリスクなど将来的にはわからん。
もともとガチガチの嫌煙家。歩きタバコ野郎とすれ違う時はもれなく死ねと思っていたし、こんなに臭いものを吸う奴はガチで頭おかしいと思っていた。小学生のころ教師に、図書館で資料を集めてタバコをやめるよう進言したらしい(母に聞くまですっかり忘れていた)。嫌な小学生だ。
それが二十歳を過ぎるころ、たまたま喫煙者の多いコミュニティに属し、その後職場にも喫煙者が多かった。自分は吸わないくせに、毎回デカビタ買ってもらって、先輩らと喫煙所で駄弁っているのが好きだった。いつしかタバコ嫌いは解消し、好感すら覚えるようになっていた。勧められてタバコを咥えたこともあったが、その時は体が受けつけず、しばらくは喫煙者と飲んでいる時に、ごくたまにもらいタバコをする所謂パーティースモーカーというやつを長らく続けていた。
きっかけは30歳の夏にとある離島へひとり旅をした際、自転車で島を一周してビール飲んでタバコ吸ったらうまいかなと思い立ち、初めて自分のお金で一箱買ってみた。バニラみたいな香りのする、ウィンストンの1ミリだった。オオミズナギドリが営巣しているようなとんでもない絶壁で、水平線を見ながら缶ビール片手に吸ったタバコがちょっと笑ってしまうくらいに美味かった。それ以来、景色の良い場所を訪れるたびにちょくちょく吸っていたら、いつの間にか日常的にタバコを吸うようになっていた。
学生の頃に、モテない同性を集めて三浦半島を旅行した。そのときは良い景色に出会うたびにタバコをふかす友人たちを心底軽蔑していたが、今では彼女らの気持ちはよくわかる。あの時は悪態ついてごめんよ。
タバコは瞑想に似ている。あるいはマインドフルネス。潜水(フリーダイビング、スピアフィッシング)とも。脳内の毛細血管がきゅーっとなって、一瞬体温が下がって、それからうっすら意識が体を離れ浮遊する感覚が訪れる。気持ちいい。ダウナーな音楽でも聴きながら半目で酩酊するのが至福。
10年以上前になるだろうか、『タバコは穏やかな自殺』というコピーをどこかで見た。無論啓発のためのコピーだったと思うが、今みると、素敵な言葉だと思う。死にたいけど死ねない。自傷行為は、自意識が希薄な時に、自分の体が自分のものであるという認識を確かにしてくれるものだと思う。
先日「ハーモニー(伊藤計劃)」という近未来SF小説(ネットフリックスでアニメ版が観られる!)を読んだ。要約すると、めっちゃ強い新型コロナウィルスみたいなのが世界中で猛威を奮った結果、国家は国民の人体を『リソース』として扱い徹底的に管理する決定を下した。体に埋め込まれたデバイスが健康状態を常に把握し、自動で投薬がなされる。不健康であることが犯罪となった世界で、主人公たちは、飲酒や自殺未遂といったテロ行為を繰り返すという話だ。
自己管理のできない者が、あたかも犯罪者のように晒し上げられ、下手すると直接攻撃を受けるようになってしまった昨今において、「ハーモニー」の世界は決してフィクションだと切り捨てることはできない。ミアハの「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?」という台詞は、いっそう印象を濃くしている。日増しに喫煙者の肩身が狭くなっている本国において、あえていま、タバコを吸う理由づけをするならば、そんな世界に対するささやかな抵抗だと言えなくもない。
先日、近所のホラ吹きオジサンにそんな話をしたら、「なぜコロンブスがアメリカ大陸からタバコを持ち帰ったのか。君はその意味を考えたことがあるのか?」と言われ、なに言ってんだこのジジイと思った。曰く、それは産業革命と貨幣経済が浸透したことの反作用なのだと。人が個人として選択的に生きることを強制され、生活の実感が貨幣によって奪われることで『生きている実感』が希薄になったがゆえに、タバコが必要とされたのではなかったかと。それは戦時中に薬物が乱用されたのと同じ理屈だとも。なるほど、一理あるなと思った。
ネイティブアメリカンが霊的なものと交信するために必要だったものが、本来とは全く違った用途に用いられ、スポイルされ、経済活動の一部に組み込まれていった。その意味では、今日における瞑想やマインドフルネスも同じ道を辿っていると捉えることもできる。
なにかと生きづらい世の中で、現代人には瞑想運動野菜睡眠と、少しのタバコが必要なのかもしれない。(どうみても生きづらそうな某氏には、ぜひともタバコを吸っていただきたい。某氏にタバコを吸わせて感想を聞いた!的な記事が書けたらたいそうバズるだろうに!)
一年経って、いまの私はタバコに少からぬ好感を抱いている。ネガティブな側面ばかりが強調され、積極的にタバコを吸う理由が語られていないことに対して少し残念な思いがある(コーヒーや日本酒に比べてタバコの不遇っぷりはどうだ!)。タバコには効能もあるのだし、もっとインテリがタバコを吸って、おおいに語って欲しいと思う。ほんの数十年前まではたくさん語られていたではないか。畑正憲とか伊集院静とか。健さんだって美味そうにふかしていたじゃない。もちろん嫌煙者と環境には十分配慮した上でね。だって素敵な景色見ながらタバコ吸えないなんて、そんな息苦しいことありますか。屋外で、誰にも迷惑のかからない時くらい大っぴらに吸わせて欲しい。
むかし池袋で好きになった人がいて、当時私はタバコを吸っていなかったのだけど、彼の指先がセクシーで(長髪で大きい瞳と長い睫毛が好きだった。確かキャスターの1ミリロングじゃなかったか)、軽く日本酒を飲んで要町の彼の家までの帰り道、深夜の公園で一緒にもらいタバコで一服した。その時の思い出は、昨日のことのように思い出すことができる。タバコを吸う人はセクシーだと思う。タバコを吸わない綺麗な人より吸っている綺麗な人の方が断然好きだ。
その時、彼がタバコを携帯用灰皿に捨てていて、えらいねと言ったら、自分が気持ちよくタバコを吸うためにマナーには気を使っているよ。それは自分の権利を守るためなんだよ。だからマナーの悪い喫煙者は最低なんだ、と教えてくれた。その言葉を忘れずに、これからも、この愛すべきちょっぴり退廃的な香りのする嗜好品を楽しみたいと思う。
もしあなたの知っている誰かが亡くなって、その悲しみを周りと分かち合えないという状況だった時、これを読んで少しでも「同じ気持ちの人がいるんだな」と思ってもらえたらいいと思う。
知っている人の訃報を聞くと、ふつう悲しくなる。知らない人の訃報は、「へー」で終わってしまうこともある。
その人のことを知っていてもよく知らなくても、自殺の報は気分が沈む。それも普通とは少し違う風に。
有名人の自殺を通して、私は過去の夏に自殺した友人を見ている。
いや、自殺かは分からない。かの有名人だって本当に自殺かは分からない。誰も死に目を見ていないのだから。しかし、状況から見て自殺としか思えない。
そうなると、心は混乱する。重い悩みを抱えていたんだろう、どうして気づけなかったのか、と思う一方で、もしかしたら突然の心臓麻痺かもしれない、ひょっとすると自殺に見せかけた殺人かもしれない、などと突拍子もないことを思いついてしまう。そんなはずがなくても、その人が死を選ぶ程の悩みを抱えていたということや、自分や周りがそれに気づけなかったということを否定したくなる。
後を追うことは考えなかった。もし私が死んだら、私の友人は今の私と同じ気持ちになるのかと思うと、できなかった。
もし身近な人や好きな有名人が亡くなって、少しでも後追いを考えてしまっている人がいるなら、絶対にやめてほしい。
亡くなった人は、それを望んでいない。断言する。
訳あって、私は周囲の人間より少しだけ先に友人の死を知った。そして、そのことは発表されるまで誰にも言わないようにと言われた。
これがメチャクチャきつかった。周囲の人は、突然姿を表さなくなった友人について様々な噂話をする。死んだ?死んでない?何が原因?病気?いじめ?
半笑いでそんなことを話す奴はもちろん許せない、ぶっ飛ばしてやりたいが、真剣な顔で話している人もとにかく嫌だった。友人とろくに話したこともないくせに、何も知らないくせにと思っていた。でも、友人のことを何も分かっていなかったのは私も同じなのだ。だから友人は死んだ。誰にも言わずに一人で死んだ。私は不安な気持ちが拭えず、様々な不確かな憶測をめぐらせた。そいつの悩みは私が思いつくそのどれでもないかもしれないのに。所詮噂話をする無関係の奴らと一緒だった。葬式にも行けなかった。
今ならこう思う。友人のことを知らない人は、知らないなりに不安だったのだ。そして私ももちろん不安だった。大切な人が亡くなったときの状況や、心情を知りたいと思うのは自然な感情だ。だからそのことについて色々考えてしまうし、ネットで自殺者の心情や方法なんかについて調べてしまう。だがそういう情報に触れすぎると心は疲弊する。一種の自傷だ。だからそういうときは、テレビやネットに触れず、美味しいご飯食べて、風呂入って、好きな音楽聴きながら寝よう。
あの人はあんなに苦しんだのにそんな脳天気な生活してていいのか、とかそんなの考える必要は全くない。私のあの行動も自殺に追い込む一因になってしまったのではないか、とかも考えなくていい。メンタルが参っている時は、とにかく自分に優しくしろ。何も我慢するな。色々考えるのは落ち着いてからでいい。
自分がその人の死を止めれたんじゃないかとか、考えなくていい。あなたはその友人に冷たく接しただろうか?暴力をふるっただろうか?心無い言葉を浴びせただろうか?心当たりがないなら、それはあなたのせいじゃない。あなたの知らないところで、もしかしたらその人は苦しんでいたかもしれないが、それに気づけなかったのはただ運が悪かったのだ。だって気づいていたのならば、実際にはできなかったとしてもあなたはなにか行動しようとしていただろう。だからその人の死を悲しんでいるんだろう。
なんとも沈んだ気持ちのとき、静かな自分の部屋に一人でいると、今なら死ねそう、と頭に浮かんでしまうのだ。
鬱だ、死にたい……ではなく、なんとなく軽い気持ちで、あ、今なんか苦しまずに死ねる気がする、と思ってしまう。
そういう思考に変な思い切りの良さが加わると、人は息をするのをやめてしまう。
個人的な意見だが、人生はギャンブルのようなものだと思う。負けていてもずっと続けていればいつかは勝てるかもしれないし、今のツキが良いならその後の負けを恐れて降りたくなるかもしれない。この先アタリがくるかもわからない低迷の中にいて、私の友人は勝負を降りてしまった。
友人が亡くなった直後でも、1週間後でも、1ヶ月後でも、1年後でも、その後も、なんやかんやで世界は回るし、友人に影響を受けたはずの私も普通に生活できてしまうのだ。大切な人が死んでも、意外と生きていける。その事がショックだ。
ただ、私は友人の年齢を追い越してしまったし、友人は今伝染病で世界がものすごいことになっていることも、オリンピックが延期になったことも知らないんだなあと思う。
人が死ぬと、その人は異常に美化されるようになる。
たしかに素晴らしい人だった、だったけど、より美化されるようになる。みんな、あんなにいい人だったのにと急に言い始める。それを見ていると、なんだか死んでからじゃないと周囲から褒めてもらえないんじゃないかという気になる。
あちこちとっちらかった文だけど、要するに私は誰にも死んでほしくない。自殺は何も解決しない。苦しみから解き放たれるかもしれないが、それは楽になるということじゃない。ただ遺された人が本物のその人を忘れ、過度に美化された幻影を崇拝し続けるだけだ。死んだ方も、死なれた方も、得はしないと思う。
幻影でもその人のことを思い起こすことが無意味であるとは言わない。ただ、できるならみんな、生きているその人を見ていたかっただろうと思う。
繰り返す。なにも、あなたのせいじゃない。
《 後日記 》
本記事は、記述が未熟なので批判を浴びました。そこで、改訂版を、別ページに記述しました。そちらをご覧ください。
→ ちきりんの GoToキャンペーン 記事について 【 改訂版 】
以下の通り。(読む必要はありません。)
※ 「擁護」という言葉に噛みつくブコメが多いので、「擁護」を「解説」に改めてもいい。
「今すぐやらないと死んでしまう」というような解説をしているが、それは、今でなくて将来でも同じだ。今すぐ死ぬか、二カ月後に死ぬか、半年後に死ぬか、そんなことはどっちでも同じだ。
どうしても早めにもらいたい、というのがちきりんだが、それは、
「今すぐ四つもらうのが良くて、今すぐ三つではイヤだ」
もうちっとまともに考えるなら、7月と8月は夏休みの需要があるだけ、まだマシだ。苦しくなるのは、第二波が襲いかかってくる、10月以後だ。このころには客が激減する。その時にこそ、政府支援の意味がある。
比較的マシである夏休みの時期に政府支援をしても、下手をすると、需要が供給を上回ってしまうので、金が無駄になる。
ちきりんはこう書く。
コロナ対策費として、その 1兆円をそのまま旅館に支援金として給付しても、旅館の収入は 1兆円にしかなりません。
しかし、
国が1兆円を使って旅行費の3分の1を補助すれば、旅行に使われる費用の総額は、
国が出す 1兆円 + 個人が旅行費として負担する 2兆円 の合計 3兆円となります。
仮にちきりんの言うようになったとしても、その3兆円は、売上げだ。売上げの全部が収入になるわけではない。おおざっぱに、10割のうち、5割ぐらいは原価となって外部に流出する。たとえば、食材費とか、交通費とか、光熱費とか。
残りの5割のうち、3割ぐらいが人件費となって、2割ぐらいが粗利となる。粗利によって、販促費などの経費を払って、残りの1割が利益となる。
結局、3兆円のうち、3割と1割の合計である4割( 1.2兆円)が、労働者の賃金と会社の利益になる。一方、原価の5割と経費の1割という合計6割は、会社の外に流出する。
これらの分も、確かに経済振興の効果はあるのだが、それは必ずしも観光業を振興するわけではない。地元経済を振興するとも限らない。つまり、本来の「観光業の支援」とは別の分野に流れるわけだ。
その金は、無駄になるわけではないにしても、本来の狙いの分野とは別の分野を振興することになる。
以上からわかるように、決して「1兆円の3倍の3兆円の経済効果」があるわけではない。実際に観光業に回るのは、4割の 1.2兆円程度だ。
「それでも元の1兆円よりはマシだろ」
と思うかもしれないが、さにあらず。GoToキャンペーンで1兆円を払ったからといって、それで3兆円の需要が丸々増えるわけではない。もともとある2兆円ぐらいの需要が3兆円ぐらいにふくらむだけだ。この「キャンペーンがなければ需要がゼロになる」というわけではない。「コロナが収束すれば旅行をしたい」と思っている人は大勢いる。そういう人は、キャンペーンがあってもなくても旅行するのだから、「キャンペーンによって増える純増の分」は、3兆円にはならないのだ。
この分を差し引くと、実際には、1.2兆円の増加にはならず、その半分の 0.6兆円ぐらいの純増に留まりそうだ。
それだったら、観光業だけを狙って、1兆円をそのままばらまいた方が、よほど有効だ。
《 加筆 》
という意見がある。なるほど、そう思う人も多いだろう。
だが、観光業の周辺に金が回るということは、その分、観光業に回る金が減るということだ。それでは肝心の観光業を救う分が少なくなる。
効果をなるべく広げたいのならば、国民全体を対象に、「一律給付金」を再度実施すればいい。同じ金額を国民全員に配れば、1人1万円ぐらいをもらえる。その方が効果的だろう。(広く、という点では。)
ともあれ、観光業の取り分は、GoTo ならば 0.6兆円 で、直接給付ならば1兆円だ。観光業を救うという目的のためならば、同じ金額でも、直接給付の方が効果的なのだ。つまり、ちきりんの算術は成立しない。
( 1兆円に対して3兆円の効果がある、という説は成立せず、1兆円に対して 0.6兆円の効果しかない、ということ。)
──
乗数効果について言及している人がいるが、乗数効果は、補助金だけにあるわけじゃない。直接給付の場合にも、乗数効果はある。どっちも似たような効果があるので、言及しなかっただけだ。とっくに考慮済み。
「乗数効果」という言葉を知ったばかりの素人の出る幕じゃない。
というのがちきりんの理屈だ。それは、わからなくもない。が、だとしても、このキャンペーンが本質的には「貧富の格差の拡大」「金持ち優遇」に当たる、ということは理解しておく方がいい。
だいたい、ちきりんの理屈で言うと、「一律 10万円の給付」をやめて、「金持ちに限って多額の給付をして、貧乏人には給付をやめる」というのも、許されてしまう。
※ 所得税の減税ならば、そうなる。
もう、メチャクチャだね。
ちきりんは何やら弁解しているが、「経済を回すこと」ばかりを優先して、「感染の拡大を止める」ということをまったく失念している。
「金よりも命が大事」という発想がないんだね。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。もうちょっと常識のある人かと思ったが、今やスーパースプレッダーも同然だ。日本中をコロナだらけにして、ロックダウンにして、経済を全面ストップさせることを狙っているとしか思えない。
というふうになるのを狙っているんだね。
ここでも理屈は同じ。猿と同じで、目先のことしか考えられない。感染が拡大したら、日本中の経済がストップするということを、理解できていない。
政治力は関係ない。単に(方針を決めた)菅官房長官が馬鹿なだけだ。「馬鹿(菅官房長官)に政治力がある」だけのことだ。
→ 「それはダメ」菅氏一蹴の1都3県案 東京だけ除外の裏:朝日新聞
※ ふるさと減税と同じ構図。
あんたの頭だよ。
──
そもそも、観光業が可哀想なら、観光業に金を出せ。ひるがえって、客に金を出しても、客が得をするばかりで、観光業の方には金があまり回ってこない。客ばかりが得をするような制度では、金を出す方向が間違っているだろう。
可哀想な観光業に金を出すのでなく、観光業を利用する金持ちにばかり、集中的に多額の金を出す。金を出す方向が間違っている。
根源的には、GoToキャンペーンは、一切必要ない。最優先の課題は、感染者数を減らすことだ。感染者数がゼロ同然になれば、GoToキャンペーンなんかやらなくても、夏休みには自然に大量の観光客が戻る。1円も使わないで、3兆円以上の効果が出る。
そして、そのために大切なのは、「感染を減らすこと」という目的を実現する手段である。それは、「多人数会食の禁止」と「マスク義務化」だ。この双方を実施すれば、東京都では感染者が激減するだろう。
しかるに、現実には、この双方が実施されていない。そのせいで、感染者数が急増する。こんな状態で GoToキャンペーンをやっても、「旅行すれば、旅行先で感染する」と思う人が、怖がって、旅行したがらないだろう。出した金が無駄になる。
そもそも GoToキャンペーンは、一切必要ないが、仮に実施するとしても、コロナが収束したあとのことだ。それならば、人々が安心して旅行に行けるので、金を出したことの効果がある。
実際、政府はもともと「コロナが収束したあとに GoToキャンペーンを実施する」と言っていたはずだ。その当初の方針をひっくり返して、「感染拡大のさなかに GoToキャンペーンを実施する」というのは、狂気の沙汰というしかない。
それに気づかない人々にも呆れるばかり。馬鹿げたことばかりをやっても、ただの無駄だ。 損じゃね?
【 関連記事 】
https://anond.hatelabo.jp/20200718000431
【 追記 】
ブコメに答える。
salon_hiyake ちきりんの文章だと、現状こういう風になっているよね、という分析ばかりで、それが良い悪い、の判断は入れないようにしてると読めるのだけど。
codingalone さっと読んだだけだが、わりとフラットに書かれてると感じたがなぁ。擁護してると思うのはちきりんに対して特別な感情があるからじゃないの?
gomisute44 あれって擁護なの? あれは傍目から見て気狂いとしか思えないGoToキャンペーンを何故強行するのかを役人視点から解説した記事で、それ自体の善し悪しを語ることが主題ではないと思った
Outfielder ちきりんさんの話を「GoTo擁護」として理解してしまうような歪んだ読解力と、敵認定した連中が出した施策はとにかく悪口を言うという党派性思考とはワンセット
この記事の冒頭で「擁護」という言葉を使ったのが引っかかってしまったのだろう。「擁護」というより感情を込めずに、「 GoToキャンペーン否定論に対して、GoToキャンペーンを肯定する趣旨の解説」と言った方が良かったかもしれない。
指摘された「何故強行するのかを役人視点から解説した記事」というのは、たしかに、それはその通りだろう。
とはいえ、「何故強行するのかを役人視点から解説した記事」というのは、それ自体が擁護になってしまっている。なぜなら、「役人視点から解説した」というのは「黒を白と言いくるめるようなもの」つまり「虚偽」であるからだ。
旅行推進で感染が拡大すれば、ロックダウンで全国経済が麻痺しかねない、という危険性を隠しているのもそうだ。
夏には救われても秋になればまた恐慌状態になるというのを隠していることもそうだ。
要するに、真実を隠蔽して、ありもしない虚偽を吹聴する。「今さえしのげば、あとは大丈夫」という虚偽を吹聴する。こういうふうに嘘ばかりを書いて真実を記さないのだから、ちきりんの話は、ただの政府の太鼓持ちというしかないだろう。
結局、上のブコメの人たちは、詐欺に引っかかっているのも同然なんだよ。詐欺師の口車にだまされるのと同じ。「儲かりますよ」と言われて、ホイホイと金を出して、大損する。
そして、その詐欺師の口車を指摘しないで、「詐欺師の口車は正しい」というような解説を書く人は、詐欺師のお先棒をかついでいるのも同然だ。
ここでは「解説を書いているだけだ」というような逃げ口上は成立しない。「詐欺師のお先棒をかついでいる」とはっきり指摘するべきだ。つまり、「ちきりんは嘘つき政府の嘘を正しいものとして解説することで、詐欺師の嘘に加担している」と。
──
なお、擁護かどうかなんて、どうでもいいことに噛みついているのが、ブコメだ。
擁護かどうかは、話の論旨じゃない。「擁護」という言葉は取り消してもいい。冒頭に記しておこう。
> タイトル変えて公平ぶるのずるくね?
と書いている人がいるが、タイトルは変えていません。
本文を含めて、削除した箇所は一つもありません。加筆した箇所があるだけです。
──
それより、タイトルと言えば、ちきりんのタイトルは「 Go to キャンペーン」云々となっていて、To が小文字の to になっている。
こんなところで書き間違えるんだから、ちきりんの理解が いい加減だというのは、明らかだろ。
【追記2】
これはBLに限る問題ではないと思うのですが、二次創作界隈の村化など、ファンアートの域を出た交流文化やヒエラルキーが特にみられるのがBL二次創作界だと思うので敢えて「BL」としました。
【追記】
名前を出してやれば?→やりたいのは山々なのですが、契約の関係で同人システムに言及することが難しいため、ここで書いています。こういうケースはたぶん特殊なのではないかとは思うのですが、これについては私個人の込み入った事情が入ってくるのでここで簡潔に書くことは難しいです。
まあ、やはり出版社等各メディアにとっては腐女子は太客なのでね、はは……
結局カネが大事なんだろと思われるかもしれないですが、こちらも家族との生活がかかってる以上、取引先の気に障りそうなことはそんなにホイホイできません。
あと、自作の二次創作を一斉NGにしたいとかBL二次創作が100%嫌だとか、そういう話ではありません。あくまで、同人活動をするうえでの倫理観についてちゃんと考えるべきだという話をしています。
✳︎
名前を出してこういうことを言うのを私は止められているので(他の人はどうか知らんが)、スルーされるかもしれませんが、苦肉の策でここに書きます。
私の書いた漫画は、同人誌即売会を開かれる程度には二次創作がなされています。そして、権利関係などはさておき、いち創作者として、二次創作、特にBL二次創作のかき手・読み手(ここでは「同人女」とする)に言いたいことがあります。
別に私個人としては、検索よけをして、公式関係者にリプライを送ったりなんだったりしなければ、「どうしても二次創作を見たい/したい」というのを強制的にNGにしたいとは思いません。
ただし同人女たちに問いたいのですが、あなたたちは、二次創作のカップリングを、学校に入学してすぐ入る部活か何かと勘違いしていませんか?
例えば、この前私の知人の腐女子と電話で話したときの話です。あるゲームを最近やってるんだ〜と言った私に、彼女は当たり前のようにこう言ってきました。
「へえ、それで推しカプは?あ、『まだ』決まってないんだね。 私はa×bかな」
同人女は原作を「履修」した後、当たり前のようにいずれかのカップリングに属する習性があるのです。はてなでお気持ち表明をしている女なんかもそうです。
この、カップリングや推しごとのコミュニティ形成はアリが巣を作るみたいに当たり前のように各一次創作の根本に作られていきます。
ですが、少なくとも私は、承認欲求や所属欲、仲間づくりの基盤として自分の作品の領域に勝手に巣を作られるのは嫌です。それに、はっきり言ってこういう風に他者のものを無断で踏み台にすることを前提とした文化形成は異常だと思います。
同人女たちへ。ジャンル移動だのカプ界隈参入などを脳死してやり続ける前に、はてなでお気持ち表明をする前に、一度あなたたちが足蹴にしているものについて、ちゃんと考えてみてください。
「最近の漫画やゲームは腐女子受けを狙ってキャラ作りされてたりするから」とか、「お金を落としてるのは私たちだから」とかいうのは、確かにその通りかもしれません。ですがそういうのは、正しくても、正しくない。それを免罪符にして、何にも考えずにキャラクターのセックスをかいたり性癖を歪めたりするのは、どうなんでしょうか。昨今プロの漫画家や作家さんが正体を明かしてBL二次創作をやっているのもまま見ますが、それくらい感覚が麻痺してしまうのは……。うまく言えません。ごめんなさい。ですが、とにかく、今の二次創作同人文化に激しい違和感を覚えている私は、あなたが二次創作をしているものの原作者かもしれません。同人女たち、どうか、脳死しないで。