はてなキーワード: 麻痺とは
憂さ晴らしが目的で、酒に酔った勢いで自分にも酔って、何も推敲せず書いてしまった。そんなエントリにど真ん中ストライクのご指摘や温かいお言葉を頂けて、想像以上に気分が落ち着いたよ。言及とブコメを頂いた方々、ありがとう。「好きな文章」なんてコメントもあって、「自分文章上手いのかな?」なんて勘違いしてしまったよ笑
職場の規定が妙に厳しくて、緊急事態宣言後も、飲み会はおろか人と一緒に食事をすることが一切なくなった。要するに引きこもり+ぼっち飯。
元来人と沢山つるむ人間じゃないのでそこまで苦ではないと思ってるんだけど、とはいえ数少ない友人や職場の人と飲むときはあったので、さすがに何か歪みが出てきてるのかもしれない。
Twitterはやってて結構呟いてはいるけど、リアルの友達もいるので「めんどくさい。めんどくさい。人生がめんどくさい。」とかさすがに呟けない。ここも後からバレても支障がない程度には気を使ってるけど、他のSNSに比べたら格段に正直に書ける。
オフラインで書くのも試したけど、何となく「誰かが見るかもしれない」と思って書くのがいいんだよね。それなりに気も使うし、何より誰かが聞いてくれてる感じがする。そして今回みたいに誰かが反応をくれて、肝を冷やしたり、我に返ったり、温かい気持ちになったりする。
Facebookが隆盛した辺りから、SNSは実名が前提になって、リアルの社会と変わらなくなった。何かを書こうと思うとリアルな人間が浮かんで、当たり障りのない事しか書けない。名前を晒しながら正直な発言をするような胆力はない。
コロナが世界を変えてしまってから、「何かを言いたいけど言う機会がない」という人は増えてるんじゃないかと思う。SNSはクソみたいな綺麗事で溢れてて、自分もお化粧した言葉を垂れ流してしまう。何かこう、「ほんとは結構臭いのにアロマ炊きまくって誤魔化した空気」のような感じ。臭いはキツイのに、みんな鼻が麻痺してていい匂いだと思い込んでる。
それに比べて匿名のメディアは、見るに耐えない言葉もあるし正直がすぎるけど、「人そのもの」ではある気がしてる。自分が人から「正直すぎる」と指摘を受けるような人間だからかも知れないけど、多少臭くても変に誤魔化すよりはマシだ。顔はいくら盛ってもいいけど、人間を盛られるのは耐えられない。
またつらつら書いてしまった。繰り返すけど増田があって良かったなと思う。「4年後もここに書き込みに来るの待ってる」ってコメントで泣きそうになったよ。4日後に書きに来てしまったけど笑
ではまた。
容姿について言及しちゃいけんの分かってるんだけどつい言いたくなっちゃうマインドでぐぬぬ…ってなってしまうのわかってくれる方おる…?
自分が「関係ないじゃん言われたくねえ」側じゃないので(元々え〜〜〜良いことはほめよ〜〜〜派)うっかり失言になるよね価値観アップデート難し。
https://mobile.twitter.com/seruko/status/1298480577952092160
上司から「安倍が辞めたね。麻生はあの曲がった口が嫌いだから次期首相になったらむかつく」と言われて、上記呟きを思い出した。
麻生太郎は自分も好きじゃないけれど、政策ではなく容姿で叩くのは違うと思う。しかも顔面神経麻痺という病気であの見た目なのであり、有名人で仮に冗談であったとしても中傷していい訳ではない。
元の呟きと裏返しの内容について述べたが、例え「褒め言葉」であっても、身長高いのがコンプレックスな人に「スラッとしてますね」だったり、標準体型になりたいのに太れない体質の人に「細くて羨ましい」等の地雷を踏む恐れはある。
「そこまで考えていたら人と雑談できないよ」という人にこそ気をつけてほしい。ぱっと目についた容姿を褒めたい(貶したい)のは「褒める(貶す)ことで、いま感じた気持ちを共有してすっきりしたい」という衝動をコントロールできない状態だということを。もしかしたら相手にとってセンシティブな内容なのかもしれないことを。
そういう意味で、褒めでも中傷でも、反射的に他者の容貌に言及するのは自分の予期せぬところで他者の不快感を生みうるリスクの高い行為であり、気心の知れた仲でもない限りやらない方がいい。
以上、色素薄めで初対面でも「ハーフなの?」と言われ続け、その度に(両親日本人だけど出自についていちいちつっこまれるの面倒だし、仮に複雑な生まれだったらどうするんだよ即お通夜ムードだよ)と思っている女より。
安倍政権は確かに日本の民主主義やシステムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要な犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小な存在の為しうることではない。これは、集団的、無意識な組織的犯罪なのである。
では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間を必死になって支え続けたのか?
他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき、自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権、安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻きが失言やおそまつな対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。
この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化や社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態はアンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算は横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。
いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である。
そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたかも小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実を直視できなかったからだ、と私は思う。
安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権を擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ。安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策と人口政策の停滞・失敗で20年近い時間を無駄にした日本を、更に大震災、原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者を麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。
思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。
もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから、安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術を成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災、消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネの効果にも限界がきたようだ。
いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネも限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネの意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネはモルヒネだ。肝心なのは、モルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。
それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味にモルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線の継承」などと言い出したら、そんな政権は半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。
こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本がそもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法の時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍がモルヒネであったこと」と「モルヒネが必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設的議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。
一枚絵を見せるのと文章や漫画を見せるのってかなり心理的に差がある気がする。
趣味で一次創作をやってるんだけど、主に書くのは文章と一枚絵。漫画は練習中。
絵単体ならそこそこ話すだけの人に見せるのも吝かではない、それどころか特に自信のある絵を引っ提げて見て見て褒めて褒めてって感じで突っ込んですらいけるのに、文章となると途端に誰にも見せられなくなる。
公開範囲は絵(リアルの同級生)>設定(小さい頃からの親友)>文章と漫画(自分だけ)って感じ。
文章と漫画を見せるのはマジで恥ずかしい。見せたいとは思う、思うけど恥ずかしさが優って踏み出せない。
下手だからかなとも思うんだけど、自分で満足いくように書いてるんだから出来の差こそあれ自分では下手だとは思えない。実際の巧さは別として。
ならなんで他人に見せるのに抵抗があるのかって、文章とか漫画とかは絵よりも内面を反映してるような気がしてしまうからじゃないだろうか。
単なる一枚絵は、その行間にストーリーを見いだせこそすれその人の思考思想まで確信するには至らない。
やっぱりこの気持ちは下手なことを恥じ入る感情よりも、自分の頭を直接見られるような羞恥心なのではないだろうか。
まあストーリーの皮をかぶったものなんかより、こういう長文自分語りの方がよほど自分の脳味噌をさらけ出してるけど。これ書き続けたらそのうち麻痺して文章も公開できるようにならんかな。
Vtuber事務所カバー所属のホロライブ4期生姫森ルーナちゃんが以下のツイートをしファンが騒然としている
姫森ルーナ🍬お姫様👑ホロライブ4期生(@himemoriluna)さんがツイートしました: レントゲン撮って骨に異常はなかったけど首の靭帯を痛めてしまったみたいなのら…😭
もしかしたら痛みで配信出来ない日もあるかも…( ; ; )ゴメンなのらね💦 https://twitter.com/himemoriluna/status/1296607744997257216?s=20
ルーナちゃんはホラー表現にビックリし椅子から何度も転げ落ちていたのだ
このように何度も椅子から落ちており首の靭帯損傷までいってしまった
この配信ではスタジオスタッフがいたはずなのに誰も安全措置を取らなかったのだろうか
俺が首の事故では覚えているのはアナウンサーの田んぼでの事故だ
男子アナ、尻相撲で首骨折し全身麻痺…テレビ宮崎・柳田アナ20080614.flv
このようにルーナちゃんも首の靭帯損傷ではなく首の骨折でまひになる可能性があったわけで一回目以降に立たせたりマットレスをひくなど対策は必要であったと言わざるを得ない
いまいち「はてな匿名ダイアリー」の効果的な使用方法が分からない。
話題のエントリなどを読み、文章を書くことが好きな人が多いのは分かるのだけど、工場から流れ出る汚水のように思考がテキストとしてアウトプットされて、ただただ垂れ流されるさまを眺めていて無為な時間を過ごしている。
話題になることが目的なのか、それとも多くの反応を獲得し、自分が持たない様々な角度からのフィードバックを得ることが大切なのか、それとも用水路に草船を浮かべて進むように、自分の放った言葉の行く末を見守るだけなのか、誰かの意見を過激な言葉で言い負かし、ストレスの発散をしているのか。
5chであれば該当する掲示板を掲示板群から探し出し、さらにふさわしいスレッドを探し、なんなら類似の書き込みや質問がないかを検索する必要がある。
それらの手間が掛かる分、玉石混淆があるものの欲しい情報を手に入れたり近づくことが可能となる。
Twitterであればよほどリツイートされない限りは自分が属するコミュニティ内で回る程度で、まるで蠱毒のように濃縮されたリプライが返ってきて、いつしか世間一般からは離れていき麻痺する。
Facebookやインスタグラムは承認欲求を満たし満たされるためのツールだろう。サービスを利用する年齢層の差異こそあれど、求めることは同じ。
記入欄のすぐ下に「はてなは、匿名性を活かした自由な表現が可能となる場として、はてな匿名ダイアリーをご利用いただきたいと考えております。普段お使いいただいているアカウントで書くものから離れた文章や、いつもとは違う筆致の文章などの投稿、匿名ならではの問題提起など、匿名性を楽しめるような形でご利用ください。」とある。
匿名性をポジティブに活用しようということなのだろうが、過激な言葉や揚げ足取り、論破だすり替えだ詭弁だというレスバに食傷気味なのだが、このエントリ読めよというものがあれば教えて欲しい。
屋根はあったので厳密に炎天下ではないが、屋外のステージイベントがあった。
大人のファンも多いが、どっちかというと子供というかファミリー向けの内容で、小さい子連れも多かった。
ステージ前の座席に入るには朝から整理券を配布され、開演1時間前に番号順に並ばされるシステムだったが、問題はその場所と待ち時間。
会場近くの日陰もない炎天下。そして開演ギリギリまで入場できず、動けない。
時は流れてその2年後、同じ主催の、似たようなイベントが、今度は屋内のホールで行われた。
ホールの手前にわずかなロビーがあり、その手前でチケット確認して入場というシステムだった。
入場した人が座席に向かえば、余裕で収用できるのだが、やはり開演ギリギリまでホールに入れてもらえない。
段々とロビーが密になっていく。追い討ちをかけるように開演時刻遅延のアナウンス。
座る場所もなく、狭いロビーに人がごった返す。またも子供も多いのになんて仕打ちだ、と思った。
この2回、私は地方からそのイベントのために遠征してたのだが、待ち時間や密をなんとも思わない主催側の感覚に納得できず、もう二度とこのイベントのために遠征はしないと決めた。
それにしても、私と同じようにあの空間で待たされた人々は平気だったのだろうか?
東京では、娯楽を享受するためには待つことも密も致し方ないという感覚が普通だったのだろうか?
それともあのイベントは、感覚が麻痺した人が多数派なのだろうか?
【追記】
見られるとは思ってなかったのに元増田に言及されてしまったので…
お前は慣れきって感覚が麻痺しているから気にしていないフリをできるのかもしれないが、かなりの暴言だ
これは文章を過激にするための言葉の綾であって、お前をモンスターだなどとは微塵も思っていない
どうか容赦してほしい
【追記ここまで】
女はいいよなあ すぐ同情してもらえてさ
俺は通りすがりの増田だけど、これに対するコメントの格差がまさにそういうことだよな。
女は男性不信になっても素敵な男友達ができて恋愛感情を抱かれてそれを拒絶しながらも今では性別にとらわれず人に関われるようになりました
男は未だに女の隣になるのはトラウマで、素敵な女友達ができるわけないし、寄り添ってくれるのはミソジニスト
ブコメ民も一部の人はまともだが多くは「作り話~」だの「主語デカ~」だのマウント絶好調
結局のところ、私はかわいそうでそれにも関わらずこんなに深く物事を考えてます!って言い方しか認められないんだよ
コミュニケーションがうまくないと同情もしてもらえないし、ということはもちろん救いの手も差し伸べてもらえない
そんで、女のほうが圧倒的にかわいそうって思ってもらいやすいわけ。コミュ力も基本的に高いしな。ちなみにコミュ力のないクソブスはツイフェミミサンドリストになる
顔面ゲロ男と隣になって泣いた女はかわいそうだけど、顔面ゲロ女と隣になって泣いた男はクズ野郎なんだよ
進歩的なブコメ民様方はそうじゃないのかもしれないけど、世の中の圧倒的多数はそうなわけ。お前らむしろ主語小さすぎ。
そうでなければ元増田みたいなクソゲロミソジニストモンスターが生まれてるはずないんだよ
そうなる前にハイパーリベラル平等博愛優秀ブコメ民クラスメイトが手を差し伸べてるはずだからな