はてなキーワード: デスソースとは
男「女は金に困れば身体を売って稼げる」
女「男も身体売れるだろう」
男「異性に売るのと同性に売るのでは辛さが違うだろうが!!!」
実際『男が男に身体を売る』のは本当に辛いのか、同性とのセックスはどんな感じなのか実体験をお伝えできたらと。
まず私は男ですが男に身体を売った経験があります。1回や2回じゃなく普通に数年間売っていた時期があります。
前提として私はいわゆるノンケで男相手に欲情した事は一切ありません。
これは元々のメンタル強度もあると思いますが、1番の理由は『男に身体を売るより金がない方が辛い』からです。
金のためならなんだってできらぁ!ってわけじゃないですが飯を食うためなら別にちんぽくらい咥えれます。マジで。
でもなぜかキスだけは死んでもしたくない。これなんなん?
私は両方ともしていましたが9割が前者でした。
なので今回は個人間でのやり取りで売っていた時のお話しをします。
まず需要と供給を考えると男相手に身体を売るのはコスパが悪いです。それだけではまず生きていけません。生活できる人はほんの一握りだと思って間違いないです。
生活するほど稼げない理由の一つはシンプルにゲイの数がノーマルの男に比べ少ないです。
私が男相手に身体を売っていた時期は地方の大きい都市部に住んでいましたが、週にどんなに多くても3人程度にしか売れませんでした。もちろん私のビジュアルもあると思いますが「ゲイで尚且つ金払ってもセックスしたい人」という局所的な需要しかないのです。
さらに私は1度も踏み入った事はないですがゲイの方が集まる発展場などもあり、わざわざ高い金払うまでもなく性欲を満たす機会がそれなりにあります。
その後東京に引っ越すんですが関東圏では需要は増えますが今度は供給も増えるのでむしろ売れる機会は減りフェードアウトしていきました。
しかもお店経由でなければ個人の言い値なのでプレイ内容にもよりますが1000〜15000と振れ幅が尋常じゃないです。
故になんとなくの相場というのはありますが、定まっていなく売り手同士協調することも無いのでとにかく安い方に需要が高まります。買い手も「この前は5000で生でさせてくれた子がいたけどな〜w」とか平気で言ってきます。魔境です。
イタズラやドタキャン、いわゆる冷やかしです。
・とにかく値切りマン
これらを掻い潜らなければありません。最初はずいぶん騙されましたが慣れれば最初のやり取りで大体わかるようになります。あんまりなめるなよ。
結論男との性行為自体は大して辛くないが、お金を稼ぐという手段としては辛い部類に入るって感じだと思います。
「いやいや死んでもちんぽなんてしゃぶれねーよw」という方もいるかもしれませんが電気とガスが止まって財布にも口座にも2桁くらいしか入ってないみたいな状況になったらきっとしゃぶれます。がんばれ。
次に男とのセックスはどうだったかというと、イメージと違うことが多々ありました。
絶対にアナル必須でド級の変態がまぐわっている的な世界だと思っていましたが実際はそんな事は非常に稀でした。
私も意外でしたがゲイの方でも必ずアナルセックスを求めているわけではありませんでした。
前後の処理がめんどくさい、そもそもアナルはうんこ出すとこだろ汚ねぇな...等色々理由はあるそうですが私もオーラルセックスで終了が多かったです。
アナルセックス最初は抵抗がありますが慣れたらただうんこが出たり入ったりしてる感覚だけで適当に「大っきい〜すごい〜」とか言っときゃいいので楽でした。
・変な性癖多くない?
巨乳が好きとか足が好き尻が好きみたいな理解できる性癖を逸脱した人たちが結構いました。記憶に残ってる範囲で書いときます。
変な柄のポロシャツ着せてくるやつ
白いスクールソックス履かせてくるやつ
白いブリーフ履かせてくるやつ
汚れたスニーカーでちんぽ踏んでくれというやつ
こう思うとプレイ内容よりも服装に異常なこだわりを見せる方々がいっぱいいました。
・セックスが下手
今までで1度もこの人セックス上手いんだなと思ったことがありません。もちろん男とのセックスがそもそも好きでない私が評価するのもおかしな話なんですが、それでもそれはあかんやろと思うことが沢山ありました。
まず冬場のケアされていない男の手は凶器に近い。ガッサガサで撫で回す手すらいたい。やすりでもついてんのかえ?
せめて寝る前にハンドクリーム塗るくらいしてくれ。
やたらと乳首をいじってくる人は本当にしんどいです。女性はわかると思いますが、無策に乳首をひたすらいじられると行為後乳首にデスソースでも塗られたんかと思うくらいヒリヒリします。シャワーが地獄です。
他にも色々ありますが眠くなってきたんで気が向いたらまた書きます。
ほな。
これからも増田が人が見てるところでも人が見てないところでも擬態して自制していけるのを祈ってるぞ。
そんな増田に一般人目線からの参考情報だ。擬態の参考にしてみてくれ。
増田の文章を読んだところ、大部分は一般的感情をうまく擬態・想定できて文章を書けてると感じる。
でもひとつ、一般感情から比較的大きく外れている部分がある。以下 anofile の箇所だ。
anofilesにアップロードされていた、
猫に熱湯をかける動画、子猫の尻にデスソースを塗りたくって思いっきり体を握りつぶしながら尻の皮を剥がす動画、
あれを何度も見た。
これはおそらく増田からしたら、匿名の場でもあるし、人間の赤ちゃんではないのでOKなラインだと思ったのだと思う。
しかし、一般感情からしたら、増田という匿名の場でもこれは結構見てる側をつらい気分にさせる描写だよ。
うまく擬態させるならば、増田という場であっても、増田の先頭に「注意!!赤ちゃん・猫に関して過激な場面表現が含まれてます。見たくない人は見ないよう注意。」と書いた上で本文を書く必要があっただろう。
ブコメで猫の描写についてコメントつけているのがあるのはこれが原因。
ちなみに赤ちゃんに関しては「表現」だけに関して言えば猫よりは少しマシだったけど、行動に移したらどっちもかなりヤバいから、どちらもやらないよう気をつけてほしい。
なんか荒れててびっくりした。マジで?
死ねばいいとか、やってるところバレて捕まればいいとかご指摘ありがとう。
「死ねばいい」と「失明するまで殴りたい」は開示請求いけるかもとのことなので
早速進めさせてもらってます。こういうの初めての経験だから戸惑いつつ。
ちなみに開示請求は早ければ早いほどいいらしい。
何度も書いているけど、行動に移すことはない。
行動に移すほど振り切れた異常者じゃないからこそ、今後もまともなふりしていくのしんどいなって話であって。
伝わらなかったみたいだね。
これが普通ならよかった。みんなも対象はどうであれ、こんなこと考えながら生きているならよかった。
26歳、都内に住む女だ。164cm48kg。
高校時代から私立に進ませてもらえたし、日々の生活を振り返れば多分裕福な家庭生まれだ。
女子特有の人間関係のゴタゴタはそれなりに経験したが、基本的に「一軍女子」のポジションで学生時代は謳歌した。
今でもそこそこの年収をもらい、結婚も控えて何不自由していない。むしろ幸せだ。
そんな私は、幼稚園生のあたりから、一言でいえば「虐待欲」に苛まれている。
自分より年下の子をわざと仲間外れにしたり、ボールを異常に強くぶつけて泣かせたり。
そういうことをして、傷ついている表情や痛がっている顔を見ると、とんでもない快感だった。
小学生のころから、街中で赤ちゃんを見かけると、それはそれはとんでもない虐待欲に駆られた。
もちろん行動に移したことはない。
あれを思いっきり蹴り上げたら、つねったら、どんなに気持ちいいだろう。
母親に助けを求めて泣き叫ぶ口に、タオルを詰め込んでやりたい。
生き物苦手板には、多数の猫の虐待談(実際にやっているかは不明)が溢れている。
あれを読んで、情景を想像するのが大好きだ。
ミイミイと小さく、よちよちと歩く小さくて温かい体を思いっきりぶっ叩きたい。
一番やってみたいのは、精神的に追い詰めること。
しばらく可愛がって、安心感を抱かせて、ある日突然蹴っ飛ばしたりとか。
必要最低限の餌だけ与えて、極限の空腹状態に追い込んだ目の前で焼き魚食べるとか。
anofilesにアップロードされていた、
猫に熱湯をかける動画、子猫の尻にデスソースを塗りたくって思いっきり体を握りつぶしながら尻の皮を剥がす動画、
あれを何度も見た。
あの鳴き声はたまらない。
動画は消されてしまったが、あの鳴き声を思い出すだけで、膣内がぐちょぐちょになる。
こんなふうに、私は赤ちゃんと猫に対してだけ、異常な虐待欲がある。
もちろん、自分が異常だとわかっている。誰にも話したことはない。
友人や彼氏と一緒にいる時に、赤ちゃんが視界に入れば「かわいいね〜」という。
猫の時だってもちろん。
気が遠くなる。
私は一生、内側でこの異常性を爆発させながら、善良なまともな人のフリをして生きていかなければならない。
低年収とか、昔いじめられたとか、何か性格が歪む要因があるとかじゃない。
むしろ恵まれた人生なのにこれだから、生まれつきおかしいんだろう。
例えば、私と2,3歳くらいの女児がトイレに二人きりになったとしたら、
私はその時自分を押し止められるのか?
すれ違い側にぶつかったフリして頭を壁に打ち付けさせること、そんなことをやってしまわないか?
ぎゅうぎゅうの満員電車で、抱っこ紐をつけている母親がいたとして。
私は、電車を降りる時にバックルに指をかけてしまわないだろうか。
人気のない夜道で、母猫とはぐれた弱った子猫がいたとして。
私は、通り側に思いっきり蹴っ飛ばさずにいられるのか?
私は、常にこんな恐怖と隣り合わせだ。
赤ちゃんを見ると、隣にいる友人に「かわいいね」なんて話しかけながら、
ああつねりたい、蹴りたい、揺さぶってやりたい。そんな衝動に駆られている。
これからも移すことはしない。
一生やらないだろう。異常性と同じくらい、まともな感性が私の中にはあるから。
これから一生、まともなフリをしなくてはならない。
気が遠くなる。
なんだか色々言われているけど、行動に移すことだけはしないよ。
だめってわかってるから。
行動に移せるくらい狂うことができたら逆に楽だとは思う。
食べ物の辛さは含まれるカプサイシンという物質の量に左右されるが、スコヴィル値はこのカプサイシンの量を表す。
最近の激辛ブームや、クイズブームでマイナーな専門用語がフィーチャーされることも多くなったので、聞いたことある人は多いと思う。
ではこのスコヴィル値はどのように決まっているのか気になった人はどれくらいいるだろう。
たとえば「この唐辛子はスコヴィル値100万!」とか言われても、何が100万なの?と思わないだろうか。
100人中99人は思わないだろうが、増田のような定義オタクは専門用語の定義が気になって仕方ないので調べてみた。
Wikipediaより:開発当初は、トウガラシのエキスの溶解物を複数(通常は5人)の被験者が辛味を感じなくなるまで砂糖水に溶かし、その倍率をスコヴィル値としていた。この測定方法では、カプサイシンをほとんど含まないピーマンのスコヴィル値は 0 とされ、一方、ハバネロのスコヴィル値は 30 万とされた。
これは最初の定義である。今ではもっと定量的に分析できるようだ。
が、具体的な定義は日本語版ウィキペディアや日本のサイトには書いてないため、英語版や論文を参考にした。
<方法>
1. どのご家庭にもあるHPLC(高速液体クロマトグラフィー。物質の中の化合物を測れる)を用意する
2. 図りたい唐辛子を乾燥させてアセトニトリル(どのご家庭にもある有機溶媒)に溶かす
3. カプサイシン+ジヒドロカプサイシンの量をHPLCで測る。純粋なカプサイシンも標準として測る。
4. キログラムあたりのカプサイシンミリグラムを出してppmHとする。
5. ppmHを15(なぜか16という話もある)倍するとスコヴィル値(SHU)が出る
つまり1万スコヴィルは666ppmH(1kg中に666mgのカプサイシン)、純粋なカプサイシンは1500万スコヴィルということだ。
世界一辛いグミ「Lil' Nitro」は900万らしいので、半分はカプサイシンである。本当か?
それにしても、各唐辛子農家やデスソース販売者がちゃんとスコヴィル値を出しているとは思えないので、結構みんな適当に自称しているようである。
ではこのドラゴンボールみたいなスコヴィル値インフレは純粋なカプサイシン=1500万が最高値かというと、そうではない。
子どもの頃から辛いものが大好きで、何にでも桃屋のキムチの素かけて食べてた、食生活クソな時はお米にキムチの素かけてお湯かけてお茶漬けみたいに食べてた
辛いよ!って言われたものなんでも口に入れた
麻痺してたのかもしれない、あんまり辛いと思わなくなったのよね
20代半ば頃、ウイルス性胃腸炎に2年連続で罹るという不運到来
それでたぶん胃腸が弱くなったのかね
笑っちゃうぐらい痛くて転げ回ってた
今はそれはもう落ち着いてきてる、アボカドうめえ
お口がHOTの次の日おケツがHOTになる
関所がバカだから食べちゃうし、ガバガバすぎて腸への敵襲かどうかの判断ができない
それがトイレで神に赦しを乞うぐらいつらい
あまりにもおケツが泣くので辛いものをなるべく控える期間ができた
今まで余裕で食べられたものが辛いと感じるようになってた
この刺激が逆に嬉しくて、辛いものをより美味しいと感じさせた
これいつか治るの?
総じて良い半期だったと思う。
-----
・オレが私になるまで 2 佐藤 はつき
相変わらず構成力が高い。進行に無駄がないのもそうだけど、進行しつつ回収/再利用するの上手い。
今更だけどやっぱり表現しようとするメンタリティの選び方が群を抜いて上手いと思う。見せられるまで気づかないんだけど、見せられると「ああ。。」ってなる。「子供ってね」という感覚ではない。
それぞれのイベントはそれぞれの年頃の世界観をハイレベルに反映していて、一括りに語るのが難しい。
適切な言葉を探したけど見つからないので、ぜひ読んで感じてほしい。
このあたりの共感度の高低で本作への評価が大きく分かれるとは思う。
画についてはずいぶん明るくシュっとしたと思う。あとは枠線でこんなに印象変わるんだっていう。母さんに「ありがと」と応えるアキラの横顔が綺麗。
白セーラーのアキラかわいい。ブレザー派のおれがセーラー派に寝返りそうになった。危ないところだった。
印象的なイベントが沢山だけど、やっぱり最後のアキラと瑠海かな。言ってしまえば10代の女性同士にありがちな痴情のもつれなんだけど、瑠海がそう思ってしまうのも無理も無い背景があり。しかし場当たり的な対応で袋小路に向かうアキラを救うのはやっぱり瑠海で。
2 巻は電子書籍サイトのランキングなんかでは結構良い位置にいるのも見かけたけど、もっと売れて良い作品なのでみんな読んで読んで。
出版社は電書サイトの良いとこに広告出して!書店は天井に届く勢いで平積みにして!
-----
・スペクトラルウィザード 最強の魔法をめぐる冒険 模造クリスタル
前作も面白かったけど、本作はさらに面白かった。ストーリー物では多かれ少なかれ都合よく話が進むと思うんだけど、本作はぜんぜん都合良くないんだよね。登場人物がそれぞれのイデオロギーに従って行動していて、なかなか収束する感じがしない。そこに生まれる摩擦や軋み、人間臭さにずっしりと覆われる感じ。
そう書くと重そうだけど、エンタテイメント感が増しているので読みやすくなってる。ファンタジーのクラシカルさとアメリカンなアクション物感を混ぜたかんじ。
人間臭くて、静謐さ荒々しさユルさが混在する世界観がユニークでカッコいい。模造クリスタルらしい大仰なやり取りも映える。
画はパッとしたなあという印象。前作と比べると疎密とか引き寄りのバランスが良い気が。読みやすくなってるけど、ダークさや静謐さも前作以上に上手く出てると思う。フェニーとスペクトラは最高にカワイくてカッコいい。
おおむねスペクトラの内面にフォーカスしつづけていた前作と異なって、ドラマの中にスペクトラの内面を埋め込んでいるように見えた。(前作もリレントレス~はそうだけど。)
良く消化されていて、このへんもエンタテイメント感に貢献していると思う。だけどやっぱり重要な局面ではスペクトラの内面に回帰していて、「板挟みにはうんざり」「日常に戻ろう」と言ったスペクトラを襲う展開の悲しさに言葉を失う。
模造クリスタルをフォローしていない人はこの機会に是非トライ。高いと思った人はページ数を見れば納得!
-----
個人的にはそのくらいインパクトがあった。ここまでやるんだっていう。どこにもスキがないってゆーか。
画は見どころしかなかった。背景まで演出に動員しててスゲーし、ヒトはもちろん良い。
一花の表情がいちいち良い。「げぼく・・」の表情とか特に好き。
話としては一つ屋根の下でデッドロックした関係にあるカップルとその周辺キャラが繰り広げるドタバタってことで良いのかな。
この構図はなんとなく全盛期の高橋留美子っぽいなあと思った。
百合オタやマンガオタなら読まない理由はない。もちろんそれ以外の人も楽しめる。基本的には面白おかしく楽しく読める百合モノなのでオタからライトまでわりと広い層にアピールすると思う。
同時に凡庸なマンガ表現をバキバキに踏み砕いて進む戦車のような作品。強い。
-----
京太郎カワイイなあ。おねえと山田は京太郎カワイくてしゃーないな!おれも京太郎カワイイ!
最初のころは山田殺すとか言ってたのに、最近では女子コミュニティの平和維持活動とか山田の護衛がんばってるもんね。
-----
・うちの息子はたぶんゲイ 1巻 おくら
ある状況を受け入れ可能にするのは(親子の間柄とはいえ)愛ではなくて聡明さなんだな。という感想。もちろん愛を否定するつもりは無いけど聡明さが無ければ愛は意味を持たない領域があるんだなあと。愛による理解を試みてハマったのがシロさんのカーチャンなわけで。
こうした構図を作品世界の中でさらっと表現してみせたのはインパクトあった。理解を求めるのではなく、気付きを提示したという点が新しさなのかな。理解と気付きは似ているようで違う気がする。
おれの感想で小難しい作品ぽく見えたらゴメン。作品のテイストとしては重たい演出はなく、構えずに楽しめる良作だと思う。楽しい作品。
-----
引き続き面白い。安定感。
ロケーションや釣りスキルの面でスケールさせていて飽きさせない。釣りのワクワク感が失われないのが凄い。
ところで夏海はマンガ界で一番ハイカットのスニーカーが似合うと思う。上手い。
-----
作品のバリエーションが増えてて面白かった。SF百合的なのもフォローされてたりして。いろんな方向性の作品があると保守的な百合作品も輝きを取り戻すなあと思った。個別の作品ではあらた伊里が良かった。「許してくれるまで」はニヤニヤせざるを得ない。
まあでも、最終的に百合界のモヒカン平尾アウリが全部持ってったけどね。種籾まで奪う勢いで持って行ったよ。最高。もちろん「推しが武道館いってくれたら死ぬ」もね。6 巻は全方位にレベル高かった。
-----
・球詠 6巻 マウンテンプクイチ
まだ 3 回戦なのにこんなに盛り上がって大丈夫なのか心配になるアゲっぷり。
梁幽館にもドラマがあって、ゲームの残酷さと美しさが存分に表現されていたと思う。高代出塁のシーンはもう先が読めるだけに泣いた。
もちろん希のホームランシーンはエモエモで最高。画的にも一番の見どころ。
それはそうとスタンドのお姉さま方ガラ悪すぎw。らしくて好きだけど。
-----
・さめない街の喫茶店 2 はしゃ
想像以上に動きがあって驚いた。固定的なフォーマットで最後まで行くタイプの作品と予想してたんだよね。
でも 2 巻はゆっくりと、しっかり盛り上げてて。本作の"らしさ"が感じられる良い演出だったと思う。
画が良いだけのマンガだと思ってる人はぜひ手に取ってほしい。
とはいえ、やっぱり画は最高で。
画が良いと調理工程も楽しく読める。自分は食べ物マンガ好きだけど調理工程はほぼ読まないので(シロさんが酢豚に入れたのがラー油なのかデスソースなのかわからない)、本作が唯一調理工程まで読む食べ物マンガだったりする。
2 巻はトルココーヒ淹れてるとことか、穴ドーナツ揚げ中のシーンとか印象に残った。
他にはスズメの表情も面白かった。笑顔でイラッとしてるとことかブツブツ言ってるとことか。
スズメとヒナのキャトルに舞台を移した続編とか出ないのかな。スズメとヒナのキャトルもっと見たい。見たい。
-----
・廃墟のメシ2 ムジハ
2巻はさらに面白くなってた。相変わらず端々ににじみ出るコメディ感が可笑しい
突っ込むべきなのか突っ込んだら負けなのか。
ストーリーも先が気になる要素が色々で期待させる。
画も相変わらず良い。動きのある画も楽しいし、座ってるだけ、立ってるだけ、歩いているだけの画もいちいち良い。
上段見開きにハルカの後姿のシーンが2つあったけど、どちらも良かった。奥側も良いし、ハルカが少し膝を折ってる姿勢がぽくて良い。髪の流され方も。
エレベーターの前に立ったシーンみたいな背中に重心がある立ち姿が好き。
サンダルで塔から出てくるシーンがイイね。塔がカッコいい。家に帰ってきたシーンとかも良い。
俯瞰で寄った時のハルカもイイ。まあだからだいたい全部良いんだよ。
ストーリー物であっても、毎話毎ページいろいろな方向から楽しませてくれるのがうれしい。
(先が気になる以外に見どころの無いストーリー物も多いからね。もちろんひたすら丁寧にストーリーを追っていく良作もあるけど。)
かなり広い層が楽しめると思う。もっともっと話題になって良いと思うんだけどなあ。潜在読者かなりいるはず。
-----
ひたすら丁寧にストーリーを追った良作だった。完結。
ブレない世界観、タイトな展開、ストイックな表現。ここまで絞り込まれた作品は近年珍しいのでは。(おれがストーリー物あんま読まないのでそう思うだけかもだけど。)
完結したし読んでない人はまとめて読むと良いんじゃないかな。最初は一気に読まないと追いにくい。
ガワは SF ではあるものの、テーマとしてはヒューマンってことで良いのかな。とは言え LIMBO という仕掛けは作品の重要な土台ではある。
パンデミック物としてみた場合でも新しいアイデアじゃないかな。こういう攻めはマンガや小説みたいに読者に時間が与えらているメディアが向いてるなあと思った。
作画は狭い画角に人の表情を中心とした密度の高い画が続く独特な感じ。作品の内容にマッチしている。というかそういう狙いでそうなってるんだろうけど。大きな流れの中にあって、全体像をつかみかねる登場人物たちが何が起きているのか模索するという構図がすごくそれらしく表現されてる。
人の表情や人体はさすがに上手い。作画のバリエーションに乏しくてカオばっか描いてるマンガとは違う。イケメンたちのイイ表情をたっぷり楽しめる。
個人的にはセスが好きかな。表情に乏しいんだけど、そのせいで余計に思ってる事が出てる感じとか上手い。
ヒューマニズムとしての構図や展開はよくあると言えばよくあるんだけど、そんな批判を「だから何?」と軽く払いのけるタフさがあり、このタフさこそが王道と呼ばれる何かなんだろうと思う。
ルネの記憶の中で、アダムに希望を与えたものが、アンジェラから受け取った自身の言葉が、ルネに希望を与える。アダムの望みがルネの心を捉える。このシーンは何度でも胸をつかまれる。
最近では珍しいドストレートで良質なヒューマンなのでみんな読むといいよ。マンガにこだわらず良いコンテンツを探している人なんか特に。
TLにこんなのが流れてきて
https://twitter.com/Kagoshimaniax/status/1123783135681032193
へー、地方の番組とデスソースがコラボとか珍しいなと思ってよくよく読んでみると鹿児島発のデスデスソースというものらしい
いやわかる、わかるよ?方言で「ですです」って言うのに引っ掛けてるんでしょ?
わかるんだけど、やめろやそういうサムイの
デスソースわかる層+方言知ってる層ってどんだけ狭い層狙ってのダジャレなん
絶対許可取ってないし、そもそも突っ込まれたら「ぜんぜん違う商品です」って逃げる気満々だし
100歩譲ってパクるのはいい(よくないけど)、パッケージ見てくれなんやこれ、焼肉屋で売ってる秘伝のタレか
まあ無くて当たり前か、ぜんぜん違う商品ですって言う建前やからな
1000歩譲って、全然リスペクトない商品でもいい、個人店が行っているんならリスクも怖いしな
こういうのを地域おこしと称してガンガン売っていこうっていう動きはだめっしょ
ブレイクしたらどうするん、そっから許可取るんか、訴えられたらどうするん、1億総炎上時代やぞSNS舐めんな
地方にいたらわかると思うけど、地域おこしってこんな感じの劣化パクリ多いんよ
首都圏でちょっとヤッてましたよ!って人は首都圏の事例小出しにしたら10年は食えるって話
うちの子供たち(小学校低学年と幼稚園)はYouTubeが好きだ。とくにキッズ系のYouTuber、かんあきちゃんとか姫ちゃんとか、え、友達?ってくらい詳しいし、食いついてる。
最近アップロードされた動画はほとんどチェックしてて、まめに更新されるから2日に1回は確実に見てる。
正直、人んちの子どもがおもちゃで遊んだりおままごとやゲームをしてるのを見てて何が面白いのか自分にはわからないが、これだけ食いついてるんだから面白いんだろう。共感できないが理解はできる、って感じ。ちなみにテレビはテレビでイッテQとかシンカリオンとか毎週見てる番組はいくつかある。
YouTuberもいろいろいるけど、親としては小学校低学年に見せるのなら子供YouTuberの方が安心して見せておける部分はある。大人のYouTuberだとデスソースとかコーラ風呂とかやることがきつい。食べ物を無駄にしたり体を張ったりするようなところが、まだ分別のつかない子供には放置で見せておけない危なっかしさがある。まあイッテQも似たようなもんだけど、YouTubeの方が「自分もできそう」のハードルが低くなる感じが危ういというか。
1日1時間程度、自分のスマホからクロムキャストでテレビに映して見せてる。一度スマホの操作をこどもに任せたら、チャンネル権?を上の子が独占して下の子が泣いてたので、それ以来あまり子供には渡さないようにしてる。ちなみに下の子が泣いてた理由は「ハロウィン動画のおばけの仮想がこわいと言ってるのに、違う動画に変えてくれない」だった。
---
自分が低学年の頃見てたものと言えば、全員集合とか、カトちゃんケンちゃんとか、SHOWbyショーバイとか、世界名作劇場とかのテレビ番組で、当時はもちろんめちゃくちゃおもしろかったわけだけど、今はYouTubeのこういう感じがいいのかぁ、って思う。
いや、べつにYouTuberをディスりたいわけではないんだ。あの当時全員集合をみてゲラゲラ笑う自分に、母が「こんなばかみたいなの何が面白いの」っていってたあの感覚と全く同じことなんだと思うが、大人になったからわからなくなることってあるんだと思う。きっと自分が子供の頃YouTubeがあったらはまってただろうし。
まとめると、クロムキャストはいいぞってことと、テレビにしろYouTubeにしろ放置で見させとくのはよくないよね、ってこと。
YouTubeのTVにはない親近感と高い更新頻度による依存性はあながちばかにできないよねと思いました。そんなところです。
そんな気がした。
初めてデスソースを見たのは、よくイオンモールの中に入ってる青い看板のコーヒー屋。ずらりと並ぶ赤いソースに釘付けになった。
面白そうだし使ってみたいと思い、そこそこの金額を払ってしまった。衝動買いなんて滅多にしないことだったからわくわくしてた。
で、使った瞬間に後悔した。
買う前はこんなに辛いとは思わなかった。確かにラベルには「適量は料理にほんの一滴」って書いてあったよ。でもそれにしても辛すぎるでしょ。せっかくの野菜炒めがおじゃんになってるでしょ。
でも払った金額を考えると、その場で捨てるのがすごくもったいなく思えた。食べ物は無駄にしたくないとか、こんな時に思ってしまった。
ほんとにいかれてると思う。ネットを見るとデスソースてそこそこ人気なのね。ヤバイ!とか言いながら挑戦して辛かったねーとかほざいちゃってさ。
デスソースに手をつけないようになって数ヶ月経った(もちろん初めて使った時から数ヶ月だ)。デスソースは一向に腐る気配がない。いや、腐れよ。さっさと腐って捨てさせろよ。
更に半月経った。流石に使わないと減らないという現実に向き合い、いろいろな方法を試した。
ならば中辛カレーの中で目立たなくなれと思ったが、デスソースの圧倒的な存在感はカレーを凌いでいた。
特に炒め物のソースとして使った時はひどかった。デスソースを少し入れて炒め始めただけで咳が止まらない。玉ねぎの比じゃないくらいに目が痛い。結果できたのは蓼食う虫を殺せるほど真っ赤な炒め物だった。
でも全てが失敗に終わったわけじゃない。たまに辛いけども美味しい食べ方を見つけられた。それはもう限りなく低い確率でしか見つからなかったけども、一つ見つけただけで勝ち誇った気持ちになれた。
デスソースが憎たらしいことに変わりないけども、憎たらしさを通してデスソースをどう扱うべきかを知った。じゃがいもと一緒だと比較的美味しくなるとか、炒めてる時は呼吸したら死ぬとか、そんなものだ。
デスソースはまだ3分の1も残っている。でも一気に使うと腹痛を引き起こすから、少しづつしか使えない。
デスソースなんてものは、なくたって生きていける。世の中を生きる大抵の人はそうだ。デスソースなどという大台に乗るよりは、百均で売ってるラー油を選んでちょこちょこ使う方がよっぽど精神健康上すばらしい。デスソース購入とかいう損しかしない選択をしたことで、幸せになるために自分から動かなくてはいけなくなった。決して楽じゃなかったし、費やした時間はすごくもったいないと思ってる。
しかし残り3分の1になったデスソースを見て、これまでのことが頭をよぎる。喉を焼き尽くす辛さを初めて感じた時は、ひどかったけれどなんか笑けてくる。咳を繰り返したことも、今考えると激しい笑い話だ。
振り返らないと、幸せってわからないものだ。嫌な記憶は忘れられなくても、気がつくと風化されて、よくわかんないけどいい思い出だったんじゃない?ああそうだったわねと記憶を捻じ曲げてしまう。人間って幸せに対して異常にがめつくできてる。
あくせくソースの量を減らしていた時間は長かったし、先もまた長いだろう。
一つ気になることがある。
これから先、数ヶ月後。空っぽになったデスソースの瓶に向かい合う時、憎しみを感じていた自分は、何を思うのか。
お前なんか好きじゃない。青いコーヒー屋でまた見たとしても、もう二度と買わない。
でもお前がいなくなるまでは、ずっと大切にするからな。
そう言いたくなった。