はてなキーワード: 膵臓とは
ネタバレするわ
女は秘密を知ってしまった男に対して死ぬ前に思い出残したいと言って引き摺り回す
男は彼女の病身にも関わらず明るい姿に君の爪の垢を煎じて飲みたいとメールしようとする
男は会心のメールと思って返信する
なぜか知らんが彼女は結局病気ではなく通り魔に殺されていたことが判明
最後に遺書として彼女の日記に書かれていた言葉は「君の膵臓を食べたい」
終わり
ネタバレするわ
女は秘密を知ってしまった男に対して死ぬ前に思い出残したいと言って引き摺り回す
男は彼女の病身にも関わらず明るい姿に君の爪の垢を煎じて飲みたいとメールしようとする
男は会心のメールと思って返信する
なぜか知らんが彼女は結局病気ではなく通り魔に殺されていたことが判明
最後に遺書として彼女の日記に書かれていた言葉は「君の膵臓を食べたい」
終わり
私は1型糖尿病だ。物心がつく頃には母に血糖値を測られインスリン注射を打たれ、3食きっちりバランスの良い食事を食べる生活をしていた。今でこそインスリンポンプという体の外に取り付ける膵臓β細胞を使ったりなんかすごい機器を使ったり医療の恩恵にあやかりながら好きなように生きている。そんな私は二十歳になった。私にとって持病「1型糖尿病」とは今や自分の一部である。
ある日、1型を発症したばかりだという女子高生に出会った。インスリン注射をこれから始めるらしい。彼女は泣いていた。私には分からない。だって当事者じゃないから。もちろん病気が自分を構成する一部だと思う私の気持ちも、世界中のどこを探しても分かってくれる人なんていないだろう。だって当事者じゃないもん。私にはむしろいわゆる健康な人のことが分からない。
分からないから、どうしようもない。正直向き合っていくしかないから頑張れとしか思えなくて、むしろ微笑ましかった。病院の先生も看護師さんも微笑ましそうにしていた。不謹慎なんかじゃない。みんな乗り越えていく壁なんだ、今は泣いてるけどそのうち笑い話になるから…というところだと思う。このへんの感覚は、なかなか理解しがたいだろう。
1型糖尿病と生きていくには、それくらい軽くなきゃいけないというのが私のやり方だ。だって自分は病気であるという事実に気を取られて生きていくの、息苦しいでしょ?
まあもちろん電車の中で低血糖になって立っているのが辛くなったり安くない医療費を支払ったりする時には悲観に暮れないこともないけれど、そうだけじゃない。
高校生という多感な時期に突然病気になって自己注射をしなければならないって相当ダメージ大きいというか、まあ私には到底分からないけれど、泣くのも無理ないと思う。物心がつく前に発症した私は笑いながら肩を撫でてあげることしかできない。
ただ、これだけは伝えたい。私はそんな大層な人間ではないからあの場で彼女本人に言うことはできなかったし、次会うことがあるのかも分からない。だからこうして匿名で書いているわけである。
病気は弱みなんかじゃない。
私自身の話をしよう。
私は現在コントロール良好で、HbA1cは6%台前半を保っている。(基準値は〜6.2%)低血糖が多いというのもあるが、血糖値が250より高くなることは滅多にない。7%台だった頃は血糖値が200切ればいい方だと思っていたけれど、今では150より高いとなんだか悔しくなる。100前後にしなければならない意識がすっかり根付いたのだ。それもあって6%台を保てているのだろう。心持ちというのは大事だ。(もちろんやたら低血糖になりやすいという個人的な体質みたいなものもある)
たいして生活に制限は加えていない。ごくごく普通に暮らしている。間食だってする。太るからやめたいけれど。おまけに運動不足だ。病気とか関係なく運動しなきゃなあと思っている。運動不足はよくないからね。
友人と飲みに行くこともあるし、食べ物の種類に気を遣う必要なんてない。食べちゃいけないものとかないの?と知り合ったばかりの人にはよく聞かれるけれど、全くないよと答えている。そりゃそうだ。食べた分だけ、インスリンを打てばいい。
インスリンは太るという認識を持つ若い女性がコントロール不良に陥ることがあるらしい。私は物心がついた時にはインスリン注射をしていたのでそういった先入観は全くない。食べた分だけガンガン打つ、そして時々低血糖になる。低血糖になったら甘いものを補給する。だから太るんじゃないの?その通りだ。打ちすぎたインスリン+補食で太るに決まっている。
でも食べた分だけ正確にインスリンを打てば、平気だ。何故なら膵臓が健康な人達だって食べた分だけインスリンが分泌されている。同じことじゃないか。…と合っているのか分からない考えがふと頭に浮かんだ時、頑張ろう…って思った。何をって感じだけれど。
とにかく、食べた分だけインスリンを打てばいいのだ。
インスリンの必要量は人それぞれどころか、自分自身の中でもよく変化する。生理前後なんかは上がったり下がったりする厄介者だ。だから血糖値はちゃんと測る。面倒なときは測らないけれど、まあそんなぐうたらも続かなければいい。ちゃんと測るんだ。そして、食べた分のインスリン不足が原因ではない、今までになかった高血糖や低血糖が起きたら、即インスリンの量を変える。もし医者に指示されている量があっても無視していい。1型糖尿病は、医者の指示を待っていてはいけない病気だと思う。もしも通院日の2〜3日後に血糖値が上がって、次の通院日まで待っていたら1ヶ月も高血糖状態だ。きつすぎる。自己管理が大切な病気なんだ。頭を使うんだ。私は要領が良くて比較的頭が回る方だと自負している。だから結構あっさりできちゃっている。血糖コントロールのためにいつどこで打つインスリンの量を変えるか、筋が通るように考えて、やっている。
血糖値を記録することもやめた。負担になるからだ。高校時代まではなんとなく頑張ってたけど主治医に見せるためだけで自分で見返すことが無かった。記録したところで体って不規則だから、その場その場で調節するのがなんだかんだ一番いい。意味もなく書かなきゃいけないという負担感は、体に良くない。最近の血糖測定器は履歴が見れるし平均値や傾向まで出してくれるし、ハイテクなやつだとリアルタイムでグラフ化して血を出さずともいつでも確認できる測定器もある。医療は発展している。
毎月の通院はいつからか分からないことを聞いたり新しいやり方を教えてもらったりするためのものになった。なんでコントロールがうまくいかないんだろうって思ったら数値的なものを教えてもらうのではなくその原因と解決のコツを教えてもらう。新しい機器や、同じ1型糖尿病の人達について教えてもらう。そういうところだ。
これが私のやり方だ。血糖値を記録しないのは、それでコントロール良好だからいいのであって、誰しもがそうしていいわけではない。いろんなやり方がある。自分に一番適したやり方がいい。
ただ、こんな風に気楽に生きている患者だっているんだよって伝えたい。病気とうまく付き合うんだ。悲観的になることなんて何もない。難病指定してくれよ経済的に超厳しいよ一生治らないから金かかるんだよって悲しみに暮れることはあるけれど。
医療の目指すところはQOL(生活の質)の向上だ。健康のために生きるのではなく、快適に生きるために健康でいる。
私は病気に生活を阻害されているとは思わない。快適な暮らしのためにしっかりコントロールを行っている。実際、ぐうたら楽しくやっている。好きな勉強をしてやりたくもない大学の試験に嫌気が差しながら夜更かしして、お洒落して、食べて飲んで、趣味に打ち込んで、将来やりたいことを考える。
人生の楽しみのために血糖コントロールをやっている。…なんて言うけれど、私にとって血糖コントロールは歯磨きと同じだ。朝起きて血糖値を測ってインスリンを打ってご飯食べて…という生活の流れは自然である。
さて、やたら長々と綴ってしまったけれど本題はここからだ。しかも短い。(本題ってなんだっけ?)
こんなことを言うのは私がまもなく就職活動を始めなければならないからだ。就活において病気を隠す気なんてないし、むしろ最もアピールすべき点だと思っている。病気があるけれど、うまく付き合って楽しくいろんなことをやってきました!って。いわゆる健康な人には絶対に語れないことだ。
自己管理をするので迷惑はかけない。血糖値を測らなければならないことと、万一低血糖で倒れたらとりあえず携帯している蜂蜜を唇に塗ってほしい、とだけ伝えて。今までだって自己管理で生きてきた。その証は私自身だ。
もしも私に病気があることが障壁となって雇えないなんて言うのなら、そんなところはこっちから願い下げだ。無理に採用されたってうまくやっていけるはずがない。病気と共に生きる私を採用したいと思っていただけるところで働きたい。
社会は厳しいところだって、甘く見てるって思われるかもしれないけれど、そんな社会で生きたくない。そんなのこっちから逃げてやる。自分のハッピーライフが最優先だ。そうさせてくれる社会がないわけない。あいにく私は自分が一番かわいいんだ。
だから病気は武器にしてやる。というか武器になることを知っている。
何年か前に、自由なテーマである原稿を書くという機会があった。それは数百人の中から優秀なものを選ぶものだった。
私は自分の病気をテーマにした。病気と共に生きる私をテーマにした。そうしたら、最優秀に選ばれた。なんだか当然の流れだと思った。
人間ってそういうのに惹かれる傾向がある。抗えないだろうから否定はしない。人の病気の話とか、大好きでしょ?否定はしないけれどそういうテレビ番組は嫌いだから見ない。とくにスタジオがなんか反応するやつ。分かったふりしてるやつ。分かることは不可能だってば。同情とかなんかへんな気持ちはいらないよ。前向きな番組は見るけれど。
実際優秀として選ばれたのは身内の病気話やそれに類似するものが多い。私としては、歯磨きと同義の病気生活をテーマにして選ばれるよりも、もっと行動的で才能と彩りに溢れるテーマで選ばれたい。そういう人間になりたい。
最優秀に選ばれた時に確信した。病気は武器になる。他の人にはない私だけの武器だ。生き方を武器にできるんだ。残念ながら社会はそういう風にできている。何とも言えない話である。やっぱり病気とは別のところで武器を見つけたいよ。才能って何だろうね。
ねえあの時の女子高生、見てる?
生活が一転して大変だろうけれど、生きる価値観とかそういうのが変わったんじゃない?こんな経験、普通はできないよ。
血糖コントロールは難しいけれど、やるしかない。神様がやれって言ってるんだから従うしかないよ。やらなきゃ死ぬもん。
病気は隠さなくていい。理解を示さない人間はそれまでの人なんだ。むしろ病気と共に生きる私というのは大きなテーマ、武器になる。
私は外出先で堂々と血糖値を測るよ。さすがに血は見えないように机の下とかカバンの中とかで隠しながらやるけれど、針も測定器も人の目につくところに出している。隠すの面倒だし、やりやすいから。だって、意外とみんな見ていない。
病気にならなきゃ気づけなかったこととか価値観ってたくさんある。いわゆる健康な人には見えないものが見える。自己管理さえすれば不自由なく生きていけるんだ。自分のやりたいようにやるのが一番だよ。
10万人に1〜2人という発症確率の世界は狭いからこれだけ書いたら私のことを知っている人は特定できちゃうかもしれないけれど、まあなんというか、探さないでください。
まず言っておかねばならない。彼は間違いなく天才的な漫画家「だった」。
彼は『コリンズ先生気をつけて』というタイトルの読み切りでデビューしたらしい。らしい、というのは現物が手元になく確認できないのだ。
なんでも、1985年発売の「マガジンフレッシュ」とかいうマガジンの増刊に載っていたようなのだが、マガジンフレッシュなどという雑誌の存在はインターネット上からほとんど消失してしまっているのである。これではどうしようもない。
入手不能のデビュー作は置いておいて、デビュー単行本の話に移る。
先に言っておくが、この作家、たったの一冊しか単行本を出していない。
そのタイトルは「がんばれアニマルズ」……。タイトルが地雷漫画のようだが、当然中身も地雷である。なんも面白くない。地雷中の地雷である。一巻で打ち切りになったのも当然である。
ちょっと待て、小原英治は天才なんじゃないかって? それもまた真である。
なぜならがんばれアニマルズは原作と作画が分かれているのだ。小原英治は作画担当。クソおもんない脚本に対する責任は負っていない。
このがんばれアニマルズにおいても、小原英治はいかんなくその才能を発揮している――。躍動感溢れる画面、息を呑むスピード感。でも、脚本があまりにも異次元レベルでおもんないので、作画も霞んで見える。悲しい話だ。
……作画面に全く問題が無かったのかと言われると、女体が致命的にえろくないとか、カラーがひどすぎるとかいう問題があるが、それでも圧倒的に脚本の責任のほうが重い。
彼が真の才能を発揮するのは、この後描かれた漫画である。その読み切りたちのタイトルは「ベガ将軍の憂鬱」「ひとつだけ光るもの」「俺は待ってるぜ」「あとは神様にでも言ってくれ」だ。タイトルから察せられるとおり、この短編たちはストリートファイターのアンソロジーに寄せられたものだ。
この短編は脚本も作画も小原英治によるものだが、なんとまあ。おもしろいのだ、これが! なぜデビュー単行本で原作をつけたのか問えるものなら問うてみたい。明らかに、彼一人ですべてこなしたほうがよかった。足を引っ張られすぎだ、あれは。
愚痴はここまでにしよう。この小原英治という漫画家、何が良いのかと言われると全て良いとしか言いようがないのだが、(コマ割りも構図もテンポもなにもかも上手い、絵が緻密だが読みにくくならないように白と黒の割合が考えられている、ページに対する情報の詰め方が上手い。漫画の教科書に採用されてしかるべき出来だ)
とくに台詞が優れている、「ひとつだけ光るもの」の台詞を引用しよう。
(場面は夜。たった一軒の家と、小高い丘、その上にはひとつだけ小さな墓標が立てられている。その傍に一人の男が居て、暗闇の中紫煙をくゆらせている。その傍らには一仕事終えたらしいスコップが置かれている)
――以下引用
ケン(妻が死んだ)
ケン(この手に残ったものといえば 家と幾何かの金 それに 発狂するには充分過ぎる程 退屈な日常)
(なにかを思案して、家に入っていくケン)
(ここで場面転換。ディージェイを相手にファイティングポーズをとっているケン)
ここまで引用――
どうだろう。この間、わずか一ページである。一ページで完全に舞台設定と登場人物の背景と物語の導入が、流れるように行われている。
なんだよそれだけかよ、たいしたことないじゃん、大げさじゃないか?と思われてしまうだろう。残念でならない。俺のつたない描写力では、彼のきわめてすぐれた台詞回しを支えている画面描写についてまではカバーしきれないのである。
彼の漫画をここに貼り付ければ、この一ページを目撃しただけでたちどころに1万人程の人間がショック死することは請け合いなのだが。
ところで、この漫画、「イライザ死んでるって、どういうことよ!?」と思ったかたもいらっしゃるだろう。
それもそのはず。小原英治のスト漫画は、一つたりとも原作に準じていないのである。
あらすじを列挙してみると、
ザンギエフとブランカが女たちを奴隷にして死闘を演じさせている! リュウとケンは助けを求める女の手紙に応え、(スケベ心混じりに)中東へ飛んだ。
からくも悪の幹部を打ち倒すとベガがどや顔でやってくる。以下、台詞を引用。
ケン「!!」
ベガ「と言いたいところだが 今回は見逃してやる 早く逃げろ」
ケ「知らなかった」
ベ「三ヶ月前までは万事順調だったんだがなあ ザンギエフとブランカの野郎国王にうまくとり入りやがって 見ての通りやりたい放題よ しかも親衛隊ともなると俺もうかつには手が出せん」
ベ(そこで俺は一計を案じた)
ベ(女の名を騙って一筆書けばスケベで脳カラのマッチョが来て奴等を始末してくれるのではと…)
ベ「しかしこれ程うまくいくとは」
ケ「お おいじゃこの手紙」
ベ「私が書いた」 (日ペン三級)
ケ(なんつーガラに似合わぬ字だ)
ベ「おっ サツが来たぞさっさと帰れ」
ケ「てめえ こんだけこき使ってくれたんだ ギャラの一つも払ってくれるんだろな お」
ベ「つけとけ」
ケ「糞ったれの×××野郎!! ×××かんでしね~」
「スケベで脳カラのマッチョ」というあまりにもあんまりな罵倒語が個人的なお気に入りである。
上記導入の通り、イライザが亡くなり、ケンは格闘業を再開する。(この話において、ケンは一時的に格闘業を廃業していた。……というか、財閥の御曹司ですら、ない。取り柄といえる格闘家としての自分を捨て、おとなしく夫として
生きていたのだろうが、妻が亡くなったためにケンは文字通りからっぽになってしまったのだ)
より良い闘いを求め、ケンは昔の仲間を頼るのだが、
フェイロンは俳優として専念、キャミィは専業主婦、本田は親方としての仕事に集中し、ガイルに至っては行方不明である。
(チュンリーは言及されていないが、おそらく(エンディング通りに)格闘家を廃業している。刑事もやめているのかもしれない。
リュウに対して触れていないのは――死んだんだろう、たぶん)
ザ「今や ケンカってえのは 衰退種である人類に許された最後の蛮行なんだぜ そいつを見せ物にしない手はねえ 巨大資本とメディアがついて廻るのさ」
ザ「今どき無償で痛い目にあう輩なぞいやしねぇよ」
ザ「俺だって そうさ ここ何年かはショープロレスで喰ってる ロープに飛んで帰ってナンボの世界よ」
ケンは魂の抜けたような目で、静かにこう考えている。
ケ(俺はただ生き続けたいだけなんだよ)
これは1人の格闘家が牙を抜かれ、「借り物の人生」を生き、妻の死を契機にまた自分の人生を生きる物語だ。
であるのに、最後のモノローグは言いようもなくもの悲しいのだ。
サガットなら真面目に戦ってくれるだろう、という助言を手に、ケンはサガットの元へ。(以下引用)
(かませを殴り倒すケン)
ケ「そりゃ 真かね ダンナ」
観客「ゲーッ なんだ おい 飛び入りかよ!! マジ?」
観客「これじゃカケになんねえよ」
サガット「シッ」
ケン「ぐが」
(わざとらしい殴り合いをしている 顔面血まみれ)
観客(こいつら― わざと―)
サ「奴に言っとけ 4本しか飲れんようじゃ 退引け時だとな」
ただ1人本気で戦ってくれたサガットを倒し、満足げにリングに立っているケン。
(ああ イライザ 僕はもう少し 生き続けることができそうだよ―)
スポットライトを浴びながら、そんなことを考えている。そうやって、ケンは死ぬまで生き続けるのだろう……。そんな未来を思わせる終わり方だ。
「俺は待ってるぜ」
あらすじはそれだけで、この話は会話劇がたまらないのだが……。
現物を 入手 してほしい
この話に関してだけはちょっともう抜粋した台詞なんかでは到底伝わらないと確信が持てる。どうにかして手に入れろ。「ストリートファイターⅢ」のアンソロジーだ。今は潰れてる新声社のアンソロだ。
とにかく手に入れてくれ。話はそれだけだ。
「あとは神様にでも言ってくれ」
ちょっと言いたくないのだが。小原先生はカラーが下手だと思う。
2009年に発表された「あとは神様にでも言ってくれ」を最後に、小原英治は漫画界から姿を消した。というか、この作品も十年越しぐらいに発表しているので、基本的に寡作である。
俺は最後の短編が発表されるまでは「病気になったのだろうか、漫画が描けない程の……」と思っていたのだが、どうもそんな気がしなくなった。
「あとは神様にでも言ってくれ」はデッサンも整っているし、線が乱れているわけでもないし、空間認識力は問題がなさそうだ。色彩感覚は元から妙なので病気をしたということもなさそうだ。
俺の考えていた脳や神経や目の病気という線はどうも薄いように感じるのだ。
であるので、たぶん、別の業種に行ったのだろう。ふつうにサラリーマンでもやっているのだろう。
……悲しい。
損失である。彼の新作漫画が読めないという事実は、全人類にとって大きな損失である、と断言できる。
もしも彼が「漫画家では生活が立ちゆかないから」漫画家をやめたのだとしたら、言いたい。
「あなたが漫画を描いていること」のほうが、明らかにこの宇宙において優先されるべき事項であると。
もしも彼の知人がこの文章を読んでいるのなら、彼を無理矢理にでも表舞台に引きずり出してほしい。
だいたい、今どき絵で金を稼ぐのがそんなにハードル高いのか。
ただの漫画家ならともかく、彼は天才だ。できる。やれる。金を稼げる。絶対稼げる。
だから、描いて欲しい。
以上、一ファンの主張でした。
http://anond.hatelabo.jp/20161124071825
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021101000492.html
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酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。万病の素。
あらゆる悪の根源。経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
健康状態のことブコメに書く気になれないのでトラバするが、俺も昨年末から結構長い下痢軟便に悩まされた。
自分の結論から言うと胃潰瘍と、まだ原因不明の何かがあるかもしれん。
一旦一般論に移ると、通常、下痢軟便は悪いもの食ったみたいな健康状態の振れなら2〜3日が関の山で、2週間続くとなにか不調が起きていると考えた方が良いらしい。
考えられるものは、軽いものからレアで重いモノまで、あまりに多く、急性の炎症、胃潰瘍、膵臓のなにか、十二指腸、過敏性腸症候群みたいな免疫性のもの、あとヘビーなのは、まあ諸々だ。
消化器系は痛みも感じづらく、特に意識しないと「気のせいかな」で済ましてしまいがちだが、それも上記諸々の重要なサインでもあるのだ。
なんで、結構続いているならまず病院に行くべきであるが、ここからは経験を話す。
自分は不調が続いていたので、近所のクリニックを受診したが、胃潰瘍は判明したものの、それ以外の診療があまりにあっさりしていた。
他でも別の視点で診てもらいたかったので、大病院を受診しようとしたが、大きな病院は、他の病院ですでに受診していると、紹介状を持ってこない限り門前払を食う。
大病院は初診が高いが、体の事なので、ケチらず、恥ずかしがらず、多角的に診てもらえる病院に行った方が良い。
あと、内視鏡の話が出たから、自分の経験を話すと、口から入れる内視鏡、あれは大丈夫だ。
あれを入れる前は、鎮静剤を打たれて、眠るというか気絶するような状態になるんで、痛いかどうかなんて分からん。記憶にも残らん。
そこまでして診てもらって、消化器の不調の大部分を占める過敏性腸症候群で「あーよくあるね」でも良いじゃないか。
大病院の混雑という社会問題もまたあるが、まずは自分の体を最優先することを勧める。
大病院が近くに無くても、消化器を見てくれる病院を受診することを勧める。
ところで、小児科とか、専門外のとこ行くなよ。
クリニックってのは来た患者はなんでも診るけど、やっぱ専門外なんで、変な診断になったりするからな。
なんかここ最近下痢が止まんないんだよね。月曜からだからかれこれ6日目突入か?
ガス抜きする気でミが微量漏れたり、感覚が全くないまま液漏れしてたことにトイレ入って初めて気づいたりしている。6日でパンツ3回汚してるしうち1回は着替えに帰るはめになって遅刻したりしている。
あとなんか出てくるモノが変なニオイする。いつもは快便で「腸の型を取りました!」みたいな堂々たるブツなんだが、最近は軟便の見本みたいなやつか、なんというかナタデココを噛んで吐き出したヤツとガムを噛んで吐き出したヤツをミックスして痰で和えた的なモノのどっちかしか見てない。軟便は快便よりひどい悪臭がするし謎の和え物は逆に全然便ぽくないニオイがする。例えづらいんだが、なんか甘いともさわやかとも言えそうで言えない変な香料みたいな。
そんで、地味に下痢より困ってんのが腹痛。これまでの下痢の腹痛と明らかに異質で、「先日間違えて刃物を食べたので内臓の某所に傷ができています」みたいな痛み方なんだよ。みぞおちからへそにかけてのあたり。
なにが困るってものを食うと沁みて痛いのが困る。うどん食っても痛い、ウィダーインゼリーも痛い、水を飲んでも痛いで参っちゃって、自然1日1食状態になったんだけど昨日とか出勤早々手の震えとか頭がぼーっとするとかなるし。明らか低血糖だったんでカロリーメイト食ったけど、やっぱり沁みるし。
医者行かなきゃダメかなあと思うんだけど、腹痛と下痢くらいで来やがってとか思われんの嫌だし下着汚して云々とか白状したくないけど黙ってていい情報なのかわかんないし、内視鏡だのバリウムだのってなったらイヤじゃん?バリウムとかぜってー沁みるし嫌すぎる。
あと触診っていうの?痛いところ特定しようとしてハラ押す医者いると思うんだけど、最近太っちゃって腹部は割とどこもパンパンなんで今回の腹痛とは無関係にそういう触診の手が腹に食い込むこと自体の痛みが著しかろうと想定されるわけですよ。自分で押してて痛いもん。押してること自体が痛くて、「押してくる手が特に沁みるのはどこか」みたいなのはよくわからん。
そんなこんなでずるずる週末突入したけど腹が痛くてメシがまずいことこの上ないし、ガス抜きするのにもいちいちトイレ行ってやらないとならないし、洗っても洗ってもパンツが足りない乾かないで水道代やばいし、明日とか人と会う約束してんのに外出厳しい状態で本当困る。
この前やっちまったとき履いてた手洗いできないスカート、アレにはダメージなかったのが唯一の救い。
追記
やりたい放題書いててふと「あれこれ叙述トリックみたくなるんじゃね?」って思いついてホクホクしてたのにみんなそんなのそっちのけで病院病院の大合唱かよ。ありがとうございます今日治らなかったら明日診察受けます。
ただ、書き方は叙述トリックだが内容には一切嘘偽りはない。ガス抜きで事故、液漏れ、刃物の誤食疑惑的腹痛、スカートは爆撃を免れた、全て事実である。笑えねーってなんだよ笑えよ。こんだけ茶化し倒したのにまだ足りねーのかよ。はてなーの笑いレベル高すぎだろ。
でもこれそんなに病院案件かなー。だって嘔吐してないんだよ? 出てきたブツは軟便か正体不明ではあるものの、鮮血色でもコールタールでもないんだよ? そして増田を書く余裕があるのだよ?
腹痛で検索すると腹膜炎とか肝臓や膵臓がぶっ壊れた系だとだいたい冷や汗流してうずくまったり転げ回ったりしてるじゃん。いや一時は冷や汗流すくらいの痛みはあったけど、いわゆる普通の下痢の痛みでであって刃物痛自体は流石に冷や汗レベルではなかったのよ。もともと腹痛からの迷走神経反射が起こりやすい体質だし、下痢でなら冷や汗はセーフの範疇かなみたいな。念のため婦人科系の腹痛の情報も漁ったけど下痢って時点でコレジャナイ感あるし。卵巣だのなんだのが炎症起こしてそれが飛び火しているにしては肝心の「卵巣だの何だの」が痛くなさすぎるような気がする。痛さの種類的には寄生虫も考えたが、腹痛前3日くらいまで遡ってもサカナ食べてないし少なくともアニサキスに噛まれたってのはちょっと考えづらい。急性胃腸炎か、最悪トラバの指摘通りちょっと潰瘍くらいだろこれは。腸捻転とか腸閉塞の超軽いのとかさ。癌wwwねーよwwwいや検査もしねーで100パー無いとは言えないが、他にもっと疑うべきなのあるだろwww
あと生理用品な、あれ下着ガード用であって今回の液漏れとかは保守範囲外だから、あくまで応急処置にしか使えないのな。6日で3回の1回目だけみたいな。構造上液漏れ発生箇所から吸収までの過程がノーガードになるから、あれだ、ケツの谷間っつーんですかァ? そこらへんが漏れたアルカリ液で荒れてえらい目見る。トイレットペーパー巻いて挟んどいて頻繁にトイレ行った方がコスパ的にも良かった。
それから、太ったくらいで腹押しても痛くないだろという(おそらく)殿方におかれましては、アザラシをイメージしていただきたい。分厚い皮下脂肪に阻まれて生半なちからではそもそも触診にならず、触診が成立するほど強く押したら普通に筋肉やらなんやらが巻き込まれて痛いという、そういう感じである(当社比)。
あー、それにしても痛い。今日治んねーかなー。出かけづらいの本当きつい。
一匹と九十九匹と 2 (ビッグコミックス) うめざわ しゅん
降矢木すぴかと魔の洋館事件 (YA! ENTERTAINMENT) 芦辺 拓
君の膵臓をたべたい 住野 よる
火星のプリンセス―合本版・火星シリーズ〈第1集〉 (創元SF文庫) エドガー・ライス バローズ
イリュミナシオン―ランボオ詩集 (角川文庫) アルチュール ランボオ
☆嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (文芸シリーズ) 米原 万里
NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫) 宮部 みゆき
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 渋谷 直角
GLASS HEART 「グラスハート」 (バーズノベルス) 若木未生
かもめが翔んだ日 江副 浩正
ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF) コンラート ローレンツ
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) マーチン・ファン クレフェルト
重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書) 大栗 博司
国のない男 カート ヴォネガッ
魔法とSkyTubeで生きていく (角川スニーカー文庫) 高野 小鹿
あの、素晴らしい をもう一度/再装版 自転車創業
猫と庄造と二人のおんな (新潮文庫) 谷崎 潤一郎
贖罪 イアン マキューアン
ファミリーポートレイト 桜庭 一樹
セカイからもっと近くに (現実から切り離された文学の諸問題) (キー・ライブラリー) 東 浩紀
今日もかるく絶望しています。 落ち込みがちガールの日常コミックエッセイ (メディアファクトリーのコミックエッセイ) 伊東素晴
アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国とパンク保育士奮闘記 (ele-king books) ブレイディみかこ
「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論の拮抗 (SEKAISHISO SEMINAR) 福間 良明
日本の文字―「無声の思考」の封印を解く (ちくま新書) 石川 九楊
未来を切り拓くための5ステップ: 起業を目指す君たちへ 加藤 崇
☆女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本) 瀧波 ユカリ
☆僕にはまだ 友だちがいない 大人の友だちづくり奮闘記 中川 学
☆非言語表現の威力 パフォーマンス学実践講義 (講談社現代新書) 佐藤 綾子
☓友達がいないということ (ちくまプリマー新書) 小谷野 敦
あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知 高石 宏輔
私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書) ジェーン・スー
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 クラウディア ブラック
インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法 ジョン ブラッドショー
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫) ジョン グレイ
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わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) 平田 オリザ
炭水化物が糖質の大半を占めるからって抜こうとする人多いけど、炭水化物はいわゆる多糖類と言って糖質の中でも比較的食べてもいい糖質です。
ダイエット程度の糖質制限で一番に注意すべきは単糖類やショ糖類。つまり主に砂糖や果糖。
この辺を理解してなくて、とりあえずご飯、パン、麺を抜けば痩せると思ってる人多いけど、悪いけどそれは糖尿病まっしぐらな危険な行為です。
健康の為のダイエットで身体を壊しては元も子もありません。今すぐに止めましょう。
その理由と解決策を簡単にまとめてみました。
・脳へのリスク
よく言われるのが、脳は糖を栄養としているということ。
当然ある程度糖を摂らないと、鬱になりやすいし脳自体にダメージが起こりえます。
だから、糖質が全くない生活とういのは健康な人にとっては自殺行為に他なりません。
これらはいわゆる単糖類、ショ糖類と呼ばれるもので、摂取後の血糖値を乱高下させるものです。
糖尿病のメカニズムを簡単に説明すると、膵臓に負担がかかることでインスリンの分泌が正しく行われない状態のことを指します。
未だに勘違いしている人が多いかも知れませんが、糖分の過剰摂取が糖尿病の原因ではありません。
血糖値の乱高下による膵臓の疲弊こそが最も原因として多いのです。
あなたがもし炭水化物を摂らないとすれば、身体の中の血糖値は徐々に低下していきます。
そうすると脳が糖分を欲しがるがために、甘いモノが食べたいという命令を出します。
そこで炭水化物を摂るべきではないと考えた結果、砂糖や果糖などを摂取するとどうなるでしょうか。
血糖値は一瞬で高くなり、膵臓は焦ってインスリンを分泌します。
不足から過剰、そして不足までを一気に駆け抜けることになるのです。
こうした状況が常態化していくことで、いつの間にか膵臓は疲弊し、インスリンが正しく分泌されない状態、つまり糖尿病へと至るわけです。
実際、私自身これが原因で体調を崩しそうになりました。
しかもとても残念なことに、こうした生活を続けている限りは食事の量をいくら制限してもほとんど痩せない身体になっていました。
おそらくは内蔵に負担がかかることで正しくカロリー消費ができない状況になっていたと思われます。
その間、下痢、倦怠感、肩こり、むくみ、寝不足、鬱、抜け毛、肌質の悪化など、実に様々な症状に襲われました。
・解決策
脳にとっても、糖は欠かせないものです。
ではどんな糖を摂るのが良いのでしょうか。
ここで登場するのが多糖類と呼ばれるもので、主に炭水化物に含まれるデンプンなどを指します。
説明は割愛しますが、これら多糖類は分解に時間がかかるのが特徴です。
つまり、血糖値の上下が緩やかになることで、膵臓への負担が少ない糖と言えるわけです。
そうした食品を調べるのにあたって、一時期話題になったGI値が便利です。
これが高い食品を意識して避けるだけで、血糖値の乱高下を抑えることができます。
・わたしの場合
ということで、今の食事状況を書いておきます。
目覚めは水か野菜ジュースを一杯程度。
空腹が我慢できなくなったらナッツを10粒程度。(これ結構重要かも)
夜食は炭水化物を摂取しない。また、人参、玉ねぎ、じゃがいもなどGI値の高いものは意識的に避ける(最低限に抑える)。
それに加えて、朝昼晩とも、葉物野菜、主に鶏肉か赤身の肉、魚、玉子などのタンパク質を平均程度食べています。
ちなみにはずかしながら晩酌は毎晩焼酎を2杯程度。休肝日は月に2~3回です。
だんなも同じような食生活ですが、すっかり体調がよくなったと言っています。
なんと、こうした食生活を守ることで様々な不調が一気に解消し、しかも以前より食事量が多くなったにもかかわらず体重がいい状態でキープ出来ています。
炭水化物カット、単糖類で糖質補充をしていた頃は、どんなに食事を抑えても徐々に体重は増え続けていました。
以前のように身体が急に糖分を欲しがるような中毒に似た症状もなくなり、精神状態まで安定しています。
しかも週に一度くらいなら何も考えずに食事を楽しんでも、2・3日もすれば体重が元通りになるようになりました。トイレでも立派な一本糞に出会えます。
あくまでわたしの例ですが、炭水化物カットの話を聞くと体調が悪かった頃の自分を思い出して辛くなってしまうのでまとめてみました。
ご参考までに。
このたびの東日本大震災で、東北から関東の一部まで大被害を受けましたが、我が社も陸前高田の坂井宏所長御夫妻とそのご子息および、各店の所長の御家族五人、YCスタッフ一〇人がお亡くなりになりました。深く哀悼の意をささげます。また、YC店舗は全壊六戸、半壊・一部損壊一七戸という被害を受けました。
今回の震災の被害対策については、政府の対応は誠に非能率で憤慨するところ大でありますが、グループ本社及び傘下各本社は、宮本副社長販売担当のもと、労力的にも、資金的にも迅速に対応し、その報告を聞いていささか心を癒されました。今後とも被災地YCの復興に全力をあげるつもりであります。また政府の被災地全体にわたる救済、復興の不手際については、紙面で厳しく批判し、督促してまいります。
さて、震災後の五月二十六日に、読売新聞が週刊新潮の無責任なデマについて提訴した名誉毀損訴訟に対して賠償金の支払いを命ずる判決が出て、全面勝訴しました。
この新潮報道では、二〇〇九年六月十一日号で、「新聞業界最大のタブー"押し紙を斬る"」というタイトルで、「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに捨てられていた」と断定しております。判決では「読売新聞においては"押し紙"が存在すると推察することもできない」として、新潮報道が全面否定されました。
新聞が二割、三割、五割以上もの紙を配らずに捨てるというような不合理な無駄をしていれば、用紙代、印刷代、輸送費及び人件費の消耗で直ちに倒産しているでしょう。
過去十年間の読売新聞の決算報告をもとに数字を申し上げれば、この十年不況で日本経済が停滞し、また新聞外のメディア、特に電子メディアの普及等もあり、販売部数が減少したことは事実であります。
しかし、二〇〇二年三月期と、二〇一一年三月期の十年間の読売新聞の収支を申し上げると、販売収入は二六四九億円から96.61%の二五六〇億円に減少、その落ち込み幅は3.39%に過ぎません。その間のABC部数は一〇一五・二万部から98.74%の一〇〇二・四万部に減少、落ち込み幅は十年不況の中で僅か1.26%であります。
それに対し、景気を最も敏感に反映する広告収入は、一五〇六・九億円から53.16%の八〇一・二億円に減少、落ち込み幅は46.84%にも達します。
それにもかかわらず、黒字経営を続けているのは資材、人件費の節減や、製造工程の近代化、合理化による節減と保有株の配当収入、不動産賃貸収入の安定もありますが、最大の原因は販売収入の減少が極めて僅かだったからであります。
週刊新潮の言うように、印刷した新聞の18%も捨てていれば、このような安定した販売収入はあり得ません。
大きく言って、読売新聞の収入構造は、販売6、広告2、不動産賃貸収入、配当収入、巨人軍等の事業収入2の割合です。そのうち二割を占める広告収入が十年不況で半減したのに、堂々たる黒字経営を続けていられるのは、ここにおられるYC所長の皆さまの日常の努力による販売収入の安定でありまして、皆さまの献身的な愛社精神と堅実な経営努力に心から感謝申し上げます。
ちなみに、最近倒産の多発している米国の新聞の広告収入依存度は、七割から八割であり、これは宅配制度の不備によるものです。
さて、原発問題と今後の日本と世界経済の問題について若干言及致します。
現在稼働中の原発もいずれ点検による稼働中止になり、このままでは来年には、日本の全原発が稼働停止になります。もし、日本の電力の29%をまかなってきた原発が動かなくなれば、日本の産業生産は縮小し、かなりの企業が倒産し、失業者が増大し、税収は減り、国家財政は破綻する恐れがあります。
菅首相は、現在9%の再生可能エネルギーを20%とか25%に増大するという夢を語っていますが、彼の言う再生可能エネルギーのうち8%は水力発電です。これを増強しようとすれば、民主党政権の言ってきた「コンクリートから人へ」を逆転させ、ダムを建設しなければなりませんが、それには五年、十年かかるし、また日本にはその適地もなく、コストは巨大になります。
菅首相の言う太陽光、風力発電は、現在全発電量の0.5%くらいで、日本の地理上、適地が少なく、風力発電は海上に巨大な浮体を作って乗せるほかなく、それも巨額な出費をもたらします。
太陽光発電は、理想としては良いのですが、実際に広大なパネルを作ろうとすれば、それも巨費を要し、一朝一夕にできるものではありません。
そうなれば、今問題になっている玄海原発のように、政府が安全を保証する点検済みの原発を再稼働させていく以外には、日本の経済、財政、産業、国民所得を維持する道はありません。
私が枝野官房長官をはじめ、関係政府要人や専門学者達に聞いたところによると、福島第一原発の事故は、地震によるものではなく、大津波によるものだということです。
つまり、地震による揺れで原子炉が破壊されたのではなく、大津波によって原子炉の冷却装置を稼働させる電源と冷却装置をつなぐ配電管が破壊され、冷却装置が止まってしまったこと、また海水を汲み上げるパイプ、そのための発動機の損傷もありました。
海面上一〇メートルの所に作られた第一原発は壊れましたが、一五メートルの高台に作られた女川原発は、津波による被害がなかったので、今すぐにでも稼働できるのです。日本海側、瀬戸内海側の原発は、二〇メートルの津波をかぶる心配はありません。静岡県の浜岡原発も、完全な防潮施設を作れば安全になるでしょう。福島第一では電源を地下に設置してありましたが、浜岡では建屋の屋上に設置してあります。
福島第一の事故で、たくさんの人災的原因が明らかになりました。この経験と知識と高度な日本の技術をもってすれば、耐震性は証明されている日本の原発に対し、さらにどんな津波が来ても、外部電源とつながる炉の冷却装置を損傷しないような防御装置を構築することは可能でしょう。震災後四カ月たっても、こういう措置を稼働中止中の原発に対して取ってこなかった政府は、一体何を考えていたのでしょうか。
ドイツが原発を中止したといっても、ドイツはフランスの原発から電力を輸入しているからできることです。
過剰な原発アレルギーで、日本の電力の三割を止め、節電とか自粛とかを連呼しているのみでは、日本はいずれ産業国家として世界三等国に転落し、貧困や失業に悩まされるのではないでしょうか。
読売新聞社は、この不況の中で、大手町の一等地に三三階の新社屋を建設します。首都直下型地震が来ても安全な耐震性、非常の時の自家発電や、交通途絶対策としての非常食の備蓄等、完壁なビルを無借金で建てます。
私が社長に就任した二年後、借入金はピークで一六四一億円余ありました。社長就任以降今まで五六五四億円設備投資しましたが、現在すでに返済し、数百億円の預金があります。つまり、二十年前に千数百億円借金をしなければ、新規設備投資ができなかったのです。しかし今、大手町に最新の建設技術の全てを取り入れた高層ビルを建てるのに、新たな借金は必要ありません。
現在の我が社の基本的な経営体力は、皆さんの努力による安定した販売力、YCの店力、全従業員の愛社精神が基軸であります。
さらに、読売新聞の主張する税制改革案を含む財政、経済、社会保障、産業政策等が、ポスト菅の内閣によって実現されれば、不況も解消し、広告収入の低落にストップがかかり、増収になり、その成果を皆さんとともに享受できるようになるでしょう。
次に今回の読売グループの人事異動について説明します。すでに新聞等に細かく報道されているので、重点について述べます。
内山前社長は昨年春、令夫人が大きな手術をして以来、術後が思わしくなく、そのショックで本人もいささか精神不安定になり、特に3・11の地震後の社務にはほとんどたずさわらないという状態になり、私宛に、夫人の看護に専念したいとの辞表が提出されました。
内山君は私の永年の忠誠な部下であり、私には万感こもごも至る思いもありましたが、新聞社として緊急非常の事態の中、その辞表を認めました。
老川東京本社社長は定年に達していたので、グループ本社の最高顧問としてグループ全体について指導してもらうこととしました。
私は依然、事実上の最高経営責任者として残りますが、八十五歳という高齢を考え、実務は白石興二郎君に、グループ・東京本社の代表取締役社長を任せることにしました。白石君は、編集局長、論説委員長、メディア戦略局長、社長室長等を歴任、社務の全般に通じており、最適任と思います。また、政策理論家として社外でも評価されている早川準一君にグループ本社の副社長兼副主筆として私を補佐してもらいます。
販売担当の宮本友丘君は東京本社副社長に昇格、私の直轄下で、東西の販売政策を指揮してもらいます。
内山君の病気のこともあるので、八十五歳という最高齢で、事実上の最高経営責任者である私の健康状態について報告しておきます。
今月、慈恵医大病院で、世界的な血管外科の大家として知られる大木隆生先生に、全身の内臓検査をしてもらいました。その検査結果の一部を読みます。
これは大木教授より読売診療所の近藤所長にあてられた報告書です。
「渡辺さんは、息切れなどの症状もなく、極めて健脚です。血液検査については、γ-GTが少々上っている以外、異常はありません。肝機能は極めて正常です。
次に、心電図と脈波検査を行いました。血圧は正常、閉塞性動脈硬化症がなく、脚の血流が良好です。
CT検査の結果、まず脳に関し驚くべきことに脳の萎縮が全く進行しておらず、頭がさえていることが見てとれます。脳動脈瘤、甲状腺、嚢胞や腫瘍もありません。心臓も肥大や大動脈弁石灰化もなく、極めて若々しい状態にあり、六十歳代くらいの若々しさと言えます。肺にはがん、腫瘍も認められません。極めて健康的な肺です。膵臓が唯一の所見のある部位で、萎縮があり、前糖尿病と言えます。腹腔動脈、上腸間膜動脈、および左右の腎動脈に狭窄はありません。
腰椎に高度の変形を認めます。腹部大動脈、腸骨動脈に動脈瘤や狭窄病変などはありません。膀胱に異常はありません。現時点で治療を行う必要はないと思われます。
内臓脂肪が多く、膵臓が萎縮していますので、一層のカロリー制限と定期的な運動を続けられることは膵臓のみならず、高血圧、痛みのある膝関節にとっても良いことです。
最も素晴らしいことは、八十五歳と高齢であるにも関わらず、脳に萎縮が全く見られないことです。人間にとって肝心な脳、心臓、腎臓、肝臓が全て六十歳代と思えるほどの若々しさです。
東京慈恵医科大学外科学教授血管外科 大木隆生 読売診療所 近藤和興先生御侍史」
以上が目下の私の健康状態なので、新社屋の完成する年、つまり米寿までは持ちこたえるでしょう。この世には小生が早く往生することを願っている人も少なくないようですが、その人達は失望されても仕方のないことです。
最後に、ポスト菅の首相が誰になるかを予想することは、巨人の勝敗の予測よりも困難であることを告白してごあいさつと致します。
いるわけないよね。
友人が、でもいないかな
知り合いが、はどうかな? 居てもそんなに親しくない知り合い程度ならそんな話しないから、知らないよね
強制と言っても、合法というわけじゃなく、措置入院や医療保護入院じゃなく、手続き上は同意入院
自分はそこから逃げましたけど、毎日職員がどなりまくり、周りは本当に薬のんでる人ばかりで、ものすごいストレスで、胃か膵臓かよくわからないけど、背中の左下がかなり強く痛み、それ以来ずっと体調悪いです。 精神的にもそりゃものすごいトラウマです。しばらく数年は、働いたりして日常はこなしているものの、ずーーーーーっと、職員の怒鳴りや色々な事が浮かんできたり、という状態が続いてたし
逃げてすぐから2~3年くらいまでは、その病院の事だけじゃなくて、人間の死ぬ前に記憶が走馬灯のように蘇るという状態みたいに、色々な事が浮かんだりしてました。責めてる感じでばかりではありませんが、過去の記憶が責めるように浮かんだりという事もありました。そこに入れられる前はそんな事はありませんでした。自分だけ逃げてしまったという中に居る人への罪悪感のようなものもすごくありました。
その頃は、逃げてからずっとそうでしたが、対人恐怖、や不安感はずっとありました。怖さを感じながらもずっとそのまま、したいことよりもするべきこと(でしたっけ?森田療法でもいうやつ)をやってきました。
例えば、何が怖いか書き出して、そうならないようにするとか、
どういう事かと言うと、明日をも知れぬ運命、みたいなところはずっとあったので、これからどうするか、みたいなのを、書いて、今のこの状況はどこがどう不都合で、それを回避する方法は、こういうのとこういうのがあって、それをやるにはこういうメリットとこういう問題点があって、みたいな感じ
例えば、寮がある派遣(正確には業務請負)で働いてたとして、その土地が寒いから体の調子が悪いとか、困った上役がいるとか、ではそこからどうやって転職するか、色々条件を書いてシュミレーションしてみたり
普通 みたいな事を考えなくなってて、(普通というのは、感覚的に人が普通の感覚として捉えてあまり考えない部分とか、周りを見て合わせてる部分とか。うまく言い表せてないけど、フツウ何々だよね~みたいな)
ずーーっと何かが浮かんでくるという状況でも、割合平気だったのは、一度に2つの事ができないわけじゃないのと同じで、例えば歩きながらものを考えるとか、浮かんでくててもそれはそれとして、別の領域を使って作業するみたいな。
どうして、こうなるのかは、おそらく情報を求めて脳が検索してるのが、止まらないからじゃないかなと思った。何か新しい情報とか、気を逸らすような情報を入れれば良いのでは無いかと思って、そうしてた事もあった。
割合平気と書いたけど平気でもなくて、歩いてて止まってしまう(比喩じゃなくて)ような時もあった
普通の記憶が走馬灯のように、というのと、病院でのショックな事が浮かんでくるのとではまた違うのではないかと思った。強烈なショックを受けるとは、ちゃんと調べたわけではないしあくまで仮説だけど、脳内ホルモンが大量に放出されている状態なんじゃないかと思った。(脳内ホルモン?脳内麻薬?脳内物質?正確にはわからない、良い感情だけじゃないから脳内麻薬物質というのともちょっと違うかもと思ったので。 それとも強烈な体験と言うのはそれを癒すために脳内麻薬物質が放出されてるのかもしれない。結局一緒かな。 でも、脳内麻薬擬似物質とはいえ、体に害は無くても、やっぱり何かが壊れてしまったり調子が狂ったりという事はあるのではないかと思う。)
うまくいえないんだけど、普通に落ち着いてものが選べるような状況で、閉鎖的な状態に置かれているとかでなければ、人は感じたくないものを感じないし、心は開きたいものに開くだろうから、無意識に閉じたり開いたり、ちょうど服を脱ぎ着するようにやってるんじゃないかと思う。 ショックを受けた時というのは、それができなくなって、心が開きっぱなしになってしまって、それで付け困れたりするのではないかと思ったりもする。
相談でこういうのもあるし
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1274109.html 友人が両親に精神病院に入院させられました。長年両親に虐待を受ける側だったのですが、警察に相談したところ、けしからんという理由だそうです。その病院は、周りから評判が悪いし、薬の過剰摂取強制と暴力で知れ渡っています。
忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、
改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
飲み会などにおける上の立場からのパワハラ・アルハラ・飲酒強要での健康被害、死亡事故も問題視されている。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。
万病の素。
あらゆる悪の根源。
経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
今日もリアルで尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が
自営で経理を任せておいたから、内緒で借金作ってたの知らなくて、出てってから893みたいなのがたくさん押しかけてきた。
嫁を全面的に信頼していたとは言え、裏切られたのは俺の責任。
借金取りの言い分のほうが正しいわけで。
本気だか脅しだか知らんけど「膵臓売れ」とか言われたりした。
一時は娘連れて心中しようと思った。
死に場所を求めて車で遠くの山まで走ってたら、ちょうど蛍がいてすごくはしゃいでた。
「おとうさん、蛍がいるね」って娘が言うから「そうだね」と何げなく答えたら「また来年来ようね!」って満面の笑みで答えたわけよ。
急に涙が溢れてきて、車を停めて娘をずっと抱きしめてたら生きる希望が湧いてきた。
そしたらヤクザも何も怖くなくて、脅されようが殴られそうになろうが(実際には殴らんのよ、警察沙汰になるから)毅然と立ち向かってたらいつの間にか話が付いて、店もたたんで、いろいろ整理したら100万くらい何とか手元に残ったから、これで起死回生を賭けて競馬したら全部すっちゃった。
これから七輪と練炭買いに行く。
2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグ。ハイテクの街として知られるこ の地に本拠を置くカーネギーメロン大学の講堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った 。
教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。バーチャルリアリティの第一人者と称される人物だ。最後の授業をするにはまだ若すぎるパウシュだが、実はこのとき、彼には長年親しんだ大学に別れを告げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓へと転移したガン細胞 。医師から告げられた命の刻限は「あと3カ月から半年」。
こうしてパウシュの最後の授業は始まった。スクリーンに映し出された演題は『子供のころからの夢を本当に実現するために』。それは、学生向けに講義をするふりをしながら、 まだ幼い3人のわが子に遺すためのメッセージだった????。
http://jp.youtube.com/watch?v=j2iHp-4sgGM&NR=1
↑の書籍版ムービーをみたあとに、日本語字幕版の講義ムービー1時間少しをずっと涙しながらみてた。
氏と同じ時間を、少しでも多くの人に共有してもらいたいため日記に書きます。
http://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA
若い頃の不摂生で内臓悪かった。
これ、本当にくるよな。
循環器系、消化器系、呼吸器系、50代くらいになるとどこかしらに蓄積疲弊の影響が出てくる。
しかも、場所によっては症状が出た時点ですでにリミットを切られる様なところがある(膵臓とかね)
もんだから、本当、定期健診は重要だし、40過ぎたらちょっとしたことだと思って病院を面倒がらず
ちゃんと診てもらった方がいいよ。