はてなキーワード: 儚いとは
フェチワード(例として“ふともも”“したちち”“おしり”のような)を連投したり、○○はエロい、あのエロゲはエロい、あのエロ動画はエロい、ずーーっと似たような発言ばかりしてて、荒らしに近い。
でもギルドチャットではカリスマ的存在として扱われているから、自分はチャットを盛り上げているんだ!と自覚しているらしい。
ギルドチャットでやる分には構わない。遠慮なくやってくれ。でも全体チャットでずっと、ずーーっと、ずーーーーーっと、エロとフェチを連投されるのは辛い。「ふともも」「ふとももはエロい」「ふとももすべすべ」「ふとももおいしい」「○○(キャラ名)のふとももはえっち」「ふともものエロさが分からんだと!?」みたいな事ばかり
エロを売りにしたゲームならそういうノリが出るのも分かる。(チャットありの成人向けオンラインゲームを遊んだ事もあるけど、こんなノリの人はいなかったけど。。皆落ち着いてたし、全年齢的な話題で盛り上がってた。サメ映画とか。)
でもこのゲームは儚い雰囲気が売りなんだ。それをゲーム側がせっかく作り上げた雰囲気をぶち壊す発言を毎日毎日毎日毎日
冒頭で『しかしない』と書いたのはエロとフェチが9割を占めていたからだけど、それ以外の話をする事もあるので誇張した表現だった。
確かにエロとフェチ以外の話もする。サーバー内はもちろん、よそのサーバーのギルドにいちゃもん付けて喧嘩売ったり(サーバーを跨ぐチャットもある)、プレイヤー間の対立を煽るような発言したり、治安悪化、チャットの雰囲気を悪化させる発言がとても多い。
本人は『自分のギルドの公平性のために』と義憤にかられるらしい。でも他から見ると的外れなクレームだったという事が本当に多い。
自分達も同じ行為を繰り返してるはずなのに、やられたら文句言うとかも。。
何度か諭されてるけどやめないから、思い込みの激しいクレーマー気質なんだろうな。
あれか。コムドットや立花やガーシーやへずまを面白がれるタイプなのか。
そういう連中が連日エロとフェチワードと対立煽りを荒らしのごとく垂れ流すチャットがもう数ヶ月は続いている。
あーあ。
サーバー移動してぇーな。
落葉松の葉が色づき、日に日に深まる秋。校庭の銀杏並木も、黄金色に輝き始めた。窓から差し込む陽光は、かつてないほどに冷たく、私の心を映すようだ。
そして私は研修所での日程を終え、窓の外に目をやった。
2ヶ月という短い期間であったが、その中身は濃密で、まるで生命の樹液を濃縮したような、重みを感じた。
憧れのその先へ至る道、それは長く険しい道のりである。日夜、机に向かい、文字を追った。
周囲には若き血潮が奔流し、時にその勢いに圧倒されることもあった。年齢を重ねた身としては、彼らの力強さに感嘆しつつも、どこか他人行儀な感覚が拭えなかった。
卒業後、我々はそれぞれの人生を歩み始めるだろう。共に汗を流し、酒を酌み交わした仲間たちも、やがては遠くかすんでいくのかもしれない。
時の流れは残酷で、人の記憶は儚い。しかし、この場所で共に過ごした日々は、私の心に深く刻み込まれている。
そんなに虚しいと思うことか?
ニートもVtuberも大差ないし、本棚も観客も似たようなもんだ。
他人の人生も自分の人生も、そんなにこだわって違いをみつけるほど大したもんじゃない。
ただ人間というのは小さな違いを大きく騒ぎたい、それだけのことだ。
どれもこれも、刹那に生まれては消えゆく80億分の1の命と、それに付随する物事にすぎんわけ。
優劣とか貧富みたいな二項対立できるもの、それ、全部儚いものだよ。
自分で自分を可哀想な方へ押し込めて嘆くことに慰め以上の意味はない。
過去や身分や立場にとらわれず、今本当にやりたいことをすればいい。
やるにさしあたって障害があるのなら、できる範囲でやるだけのことだ。
その点に関しては誰もが同じだ。願望や理想に果てはないしな。
スタートレック(現在の正式名はスター・トレック)は50年の歴史があるうえに、1話完結のエピソードが多い。シリーズの入門ガイドの意味もこめてやってみた。
はてな界隈でスタートレック全話追っかけてる人は少ないだろうし、シリアスなファンははてななんて見てないだろうから、自分の価値基準で好き勝手書かせてもらう。
すごく偏ってると思う人もいるだろう。私もそう思う。海外のこの手のランキングでは常連のエピソードも入ってない。思うところがあれば、ぜひ書いてほしい。
なお、全938話は2024年9月末時点での話で、10月から『ローワー・デッキ』の新シーズンが始まったので話数はまた増えている。
スタートレックがSFドラマとして最も輝きを放つのは、銀河に存在する人間以外の存在を通じて、人間とは何かを描くときだ。それはあらゆるSF作品の共通の魅力でもあるが。
本作は人間に造られたアンドロイド、データが、自らの子孫を造ろうとする物語。AIの子供との「ファーストコンタクト」を通じて、子供を持つということが、個人にとって、種にとってどういうことなのかが描かれる。
本作には、派手なアクションシーンもSFXもない。しかし、その物語は喜びとユーモア、発見に満ち溢れ、重い悲劇として幕を閉じる。それは家族を描くキャラクター劇であり、SFであり、力強い人間ドラマだ。
スタートレック立ち上げ最初の年に、スタートレックらしさというものを決定づけた重要な一篇。怪生物の住む惑星に不時着したクルーが脱出するために取る行動を描く。
スタートレックの原型は西部劇(幌馬車劇)と言われるが、これはまさにインディアンに囲まれた幌馬車の設定を宇宙にしたもの。
しかしポイントは、主役がミスタースポックであるという点。感情がなく論理で動くヴァルカン人(と地球人のダブル)である彼は、助かるために論理に従うか、あるいは……。
本作は異星人の視点で人間の感情と理性の葛藤を描き、このモチーフは以降繰り返されることとなる。また作品にシャトルのセットを導入し、物語の舞台を増やした一作でもある。
宇宙大作戦の打ち切り後、少々品質を落としたアニメで継続となった本シリーズだが、名作はいくつかあった。しかし本エピソードはちょっと違う視点で選出している。
これ、実はラリィ・ニーヴンというSF小説家が書いた『ノウン・スペース』というSF小説群のにある短編の一つを、そのまんま映像化しているのだ。出てくる異星人も借りてきたもの。
ニーヴンを知る人も少なくなっただろうが、アシモフやハインラインの後の世代で、ハードな科学設定とエンタメとしての面白さを融合した作品を書き、SF界の潮流を作った人と言える。
本作は、スタートレックの世界観が他作品をまるごと呑み込んでも成立しうる、緩く、包容力のあるものだと示した。ローワーデッキのハチャメチャコメディスタイルが可能になったのも、ある意味この作品のおかげ。
宇宙大作戦にはTV史上初めて白人と黒人とのキスシーンを描いた『キロナイドの魔力』という記念碑的作品があるが、人種問題を深く描いた作品というと、こちらを推したい。
黒人の天才科学者が自らの知能と感情を転写し開発した自動航行AI。それに船を委ね、演習に参加したエンタープライズだが、AIは次第に狂いだす。
本作のAIは自らの判断に絶対の自信を持ち、誤りを認めようとしない。博士もAIを擁護し、次第に我を失っていく……と言うプロット。
AIの恐怖を描いた先進性はともかく、本作が人種問題の作品であることは、日本に生きる我々には少々理解が難しい。
この物語が暗喩するのは、飛び抜けた能力で社会から評価を受け、地位を得たマイノリティの苦しみだ。常に完璧を求められ、ひとつの失敗で社会から振り落とされてしまう、隠れた差別を描いている。
この複雑な問題を1968年のTVドラマに持ち込んだことこそ、評価されるべきだと思う。
「タイムループもの」といえば誰もが1作ぐらい頭に浮かぶだろう。映画『恋はデ・ジャ・ヴ』など様々な傑作がある。
しかし、それらの作品の多くは、「なぜ」タイムループが起きるのかを説明しない。なぜか寝て起きるとループしてたり、なぜか恋が成就するとループを抜けたり……。
スタトレ世界でタイムループを描いた本作が優れているのは、その「なぜ」が明確に定義されており、それを解決することが物語の目的になっている点だ。
突如として起こる反物質爆発で時空ループが生成されると、キャラ達は過去に戻される(都合よく前のループの記憶を保持したりしない)。
そこから毎回、艦のクルーたちは僅かな違和感から少しずつ状況を理解し、「なぜ」かを探り、回避するための答えに近づいていく。
ご都合主義的な「ふしぎな現象」はなく、戦うべき悪役もいない。ハードSF的な状況で、知力に頼ってロジカルに物語を進めていく。しかしこれが最高に面白いのだ!
舞台は艦のセットのみ、登場人物もレギュラーのみというミニマルな作品だが、スタートレックのSF性、センス・オブ・ワンダーを代表する1作だと思う。
スタートレックのフランチャイズ化は、TNGによるリバイバルを経て実質このDS9から始まった。いままでと違ったスタトレを作ろうという意欲に富んでおり、非常に作家性の強いシリーズだ。
未知の世界を訪れる宇宙船でなく、未知の存在が訪れる宇宙ステーションを舞台とし、全7シーズンの後半では巨大な宇宙戦争を連作として描いた。最近の『ディスカバリー』などのシリーズも、本シリーズがなければ成立しなかった。
その総決算と言うべきこのシリーズ最終話は、単体で観るとなると評価が難しいが、173話の積み重ねの末の1話としてみると、ずっしりとしたものが心に残る。
DS9はシリーズで初めて黒人俳優を主役とし、戦争犯罪や植民地主義のもたらす被害をストレートに描き、舞台となる異星の宗教と重ね合わせることで人間の信仰心をも題材にした。
更には、「これは一人の狂った黒人の観た夢なのではないか……」というメタレベルの視点すら取り入れ、多様な視点と重層的な葛藤、その先にある善とは何かを描こうとした。
シリーズに長く付き合うことでもたらさせる重い感動を体験してほしい。
ヴォイジャーはハードSF的な物語よりも、キャラクターの成長やモラルに焦点を当てた傑作が多いが、敢えてSF的なセンス・オブ・ワンダーに満ちた本作を推す。
ネタバレしてしまうが、これは「恐竜人類」の物語であり、「ガリレオ・ガリレイ」の物語だ。
遥か昔に宇宙に出て進化したある種の恐竜と、銀河の反対で出会ってしまった宇宙船ヴォイジャー。それを、なんと恐竜人類側の視点で描く。
故郷の星に、自分たちとは異なる知的種族がいたという事実を知った科学者の知的興奮と、その発見を社会から拒絶され、迫害される恐怖。
SFの根幹である科学そのものを主題にし、人間と科学の関係性に向き合った、ひとつの到達点。深い感動をもたらしてくれる傑作だと思う。
『スタートレック:エンタープライズ』以降停止したTVシリーズを、配信に適した連続劇フォーマットで復活させ、『ピカード』などのシリーズの端緒になった『ディスカバリー』の最終話。
連続劇で見せるスタトレにはまだ課題が多く、特にディスカバリーのシーズン4,5、ピカードのシーズン2などは間延びして物語の行先がわかりづらいという批判があった。
しかし、それらの連続劇も、最終話に来ると、そこまで迷走していたテーマが急にシャンと鮮明になり、ああ、なるほどこういうことだったのか、という感動をもたらす。
特に本エピソードはディスカバリーのグランドフィナーレとなるだけあって、描かれるものも壮大だ。銀河の知的生命の発祥の謎を求めて行われるトレック(旅)である。
しかしその結末、謎は解明されることはない。その代わりに提示されるのは、「真実を求めるトレック」とは何なのか、という命題だ。
スター・ウォーズやマーヴェル作品、ガンダムのような複数作品がひとつの歴史を形作るシリーズの楽しみは、クロスオーバー、そして「設定の穴が埋まる瞬間」だろう。
子供向けのCGIアニメシリーズとして作られた最新作であるプロディジーは、この設定の穴埋めを、他のどんな作品よりも見事にやって見せた。
新スタートレック、ヴォイジャー、ディスカバリー、ピカードなどの実写作品の設定を少しずつ掬い上げ、時に大胆にプロットに取り込んで、独立して楽しめる作品になっている。
その頂点がこのエピソードだ。シリーズを通じてのマクガフィンであったヴォイジャーのキャラクター、チャコテイの姿が見えた時は、その絵だけで感涙してしまった。
実にオタク的な楽しみだが、フランチャイズ作品に長く付き合ってきたものだけが味わえる、究極の悦楽がここにある。
プロディジーの日本語版は、2024年10月時点では製作されていない。英語版だけならNetflixで子アカウントを作り、基本言語を「English」」に設定することで観られる。
はっきり言ってシナリオの全体的な完成度は高いとは言えない。その質についても、表現手法についても注文の付く作品である。しかしどうしても外すことができない一篇がこれ。
1960年代、宇宙大作戦で人種や性別による差別のない理想世界を描いたスタートレックは、1990年代になりその理想のほころびを正直に描くように変化した。
本作で暗喩されるのは、性的マイノリティの直面する差別であり、同時に女性の権利でもある。
物語では、両性具有の種族の星に生まれた「女性」が、女性であると言うだけで罪とされ、矯正を施されようとする。
それは90年代に入るまで見過ごされてきた同性愛者への差別と、「治療」という名の暴力の告発である。
矯正の場へと連れていかれる彼女が最後に、法廷の場で叫ぶ。「私は女だ!」と。
自らの性を自らの物として誇れない、自由に語ることもできない、あらゆる属性の、抑圧された人々の叫びが、そこに込められている。
新スタートレックの日本語吹き替えは名優揃いで品質が高いが、これだけは英語版で観てほしい。その叫びは、魂の演技だ。
今回入れていないランキング定番としては、タイムトラベルの古典的傑作『危険な過去への旅』(TOS)や、エミー賞にノミネートされた世界でもっとも儚いロケットの打ち上げシーンが見られる傑作『超時空惑星カターン』(TNG)がある。
SFらしさが感じられるエピソード中心なので、人気の高いボーグのような強大な敵との対決とか、クルー同士のファミリー劇的な人情エピソードはあまり入らなくなってしまった。
また、『エンタープライズ』(ENT)、『ローワーデッキ』(LD)、『ストレンジ・ニュー・ワールド』(SNW)の作品も入らなかったが、もちろん傑作、快作はいくつもある。
ENTはバルカン人の設定を完成させた『バルカンの夜明け』3部作、LDはアニメならではの手法で連邦、バルカン、クリンゴンの若者たちの生活を描き交錯させた『wej Duj』、SNWは過去作の設定を活かしつつ現実の21世紀の社会情勢を24世紀の世界へと繋いで見せた第1話『ストレンジ・ニュー・ワールド』や、アースラ・ル・グインの小説『オメラスから歩み去る人々』のオマージュである『苦しみの届かなぬ高さまで』を推す。
色が付いた光を遠方に見て、バンバンと音が鳴って、何が面白いのかよくわからない。
暑くて眠い夜に、他人と押し合い圧し合いして見に行くには、内容があまりにも素朴すぎる。
先日、音楽もストーリー性が無いと流行らない、みたいな記事を見た気がするが、花火だってそう思う。
単純な光、単純な音で、ストーリー性をどうやったら喚起できるのだろう。
同じ時間があれば、歴史資料でも読み漁りたい。図書館だとかの有益な情報を読み知りたい。
同じ混み具合なら、博物館とかの館内で歴史物や昔の事物だとか、価値の定まったものを知ったほうが、よっぽど楽しめる。
シガニー・ウィーバーです。
私はいつもお馴染みの助けられなかった少女の儚い気持ちを手のひらの中で消えていくでお馴染みのメディカルバブ炭酸強めを入れてバブみを感じつつ
いや感じつつと言っても良いのか分からないけれど
もうこれはお風呂に湯船にお湯が溜まる間にとかしておけば良いんじゃね?って
事前に投入する仕組みにしたの。
儚い少女のあの助けられなく手のひらの中で消えていく感じは得られないけれど、
そのバブみはないとしても
お風呂に入っての気持ちいい爽快感は変わらないことに気付いたの。
しっかり入って休憩してしっかり入って休憩してって
何度か繰り返していると
なんか汗もかくはかくんだけれど
スッキリした感じがして思いっ切り熱いのを1回くらったらお風呂でそうした方がいいのかも知れないわ!って断言しちゃうわ。
それはそれで
今の私の一番重要な要素なのかも知れない気がするし、
おかげでもうオリンピックどころかなにもテレビも見ずに珍しくゲームもやり込むこと無く、
つーかこの暑さじゃねーってところもあるし
まさに夏休みのちびっ子の規則正しい生活のようで真夏の大冒険大草原だわ。
この感じよこの感じ夏のこの感じ。
今日も忙しいらしいと思うので、
今日も今日で無事に早くにお仕事終わりますように!って祈りまくりまくりすてぃーなのよ。
夜は身体をゆーっくり冷やしていく
そのためには夏野菜の力を借りることに決めたの。
キュウリを囓りながらそう思ったわ。
まさか自分がキュウリを買うだなんて今まで思いも寄らなかった行動にビックリだわ。
もう刻むのですら面倒なので、
塩もみ的にキュウリ洗いもんで
そのまま片手で持ちつつ歩きながら食べられるニューヨークスタイルでキュウリを食べるのよ。
お手軽スナックよりヘルシーじゃない?
キュウリって。
暑いなぁって思って冷たいアイスとかばかりじゃ無くキュウリを囓るのも一つの涼を得るということでは
なんだか風流だと思うわ。
いくら食べてもそんなに害は無いはずよ。
キュウリかじっておいた方がいいわよ。
それだけでも十分に涼しく過ごせると思うわ。
どうしても暑い!って時には
キュウリ囓ってみてよ!
うふふ。
たまには本当にお気に入りの値段の張る上等なサンドイッチも食べてみたいけれど
これもこれで美味しくいただいて朝の元気の源よ。
ルイボスティー人気なのかしら?
気のせい?
そんな世間がやっとルイボスティーウォーラーの良さに気付いた頃
もう私はたくさんごくごく美味しく飲んでんだからね!って
高らかに声上げて高く言いたいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
暑いわねということを毎日言っているような気がするでお送りするでお馴染みの今日も暑いわねって言っちゃうわよね。
そこで、
私は自分自身に課す
ねえ、
正解!
やったー!
もう迷ったわよ正解が日の出本みりんか越後製菓かのどっちかってことに。
そういうことを乗り越えながら言う今日も暑いね!って言ったら1回10円をゾウさんの貯金箱に入れつつ。
今日ももうそろそろ10回言った頃かな?って開けてみるとピッタリ100円!
わーい!これで帰り道ヨーグルトアイスバーを買って食べれるわ。
涼をそこで求めるの。
つーかさ
たかだか1本じゃ涼も求められないわ。
どうしたら良いのかもう諦めてお風呂に熱いそうよ熱いお風呂に逆につかってスッキリ汗かいた方がいいのよね。
最近そういった風に
熱いシャワーや熱い湯船に浸かるようにした方が逆に涼しいような気がするのお風呂あがりにね。
もちろん、
物語の儚い少女を助けられなかった気持ちを手のひらの中に抱きしめながら握って消えていく炭酸入浴剤バブでのそのバブみを感じながら、
そうかい?
そうなの!
期間限定のフレッシュレモンソルトのバブじゃない炭酸入浴剤も試してみたけれど
やっぱりバブなのよね。
ここはバブに分があるわ。
なんかさー
熱い!って思ったら1回大量に汗かいてしまった方が気持ちいいかも知れないわ。
私今なら法人専用のお風呂で使える完全防水のタブレットを持ちながら入浴するニューヨークスタイルでの入浴を欠かさないようにしているの。
お風呂で動画やテレビや動物オモシロ映像を見ながら入っていたら
どばーっと汗もかけるってものよ。
汗かくとなんで気持ちいいのかしら?なんでだろう?なんでだろう?って
昆布が海の中で出汁がでないのなんでだろう?ってその節の勢いで言っちゃいたいぐらいな勢いなのよ。
そうよ!
手のひらを太陽に透かして見れば!のノリ!
いやそのバイブス!
昆布だって生きているの!みんなみんな生きているの友だちなの!
でも冷静に考えてみると
そう思わない?
そりゃー昆布は生きているって私は知っているわ。
だけど昆布とどうやって意思疎通を図ったらいいのかがどうなのか問題あるわよね。
あ!これきっと
そっかー
私が子どもだったら
井上陽水さんの夏の歌をききながら
子ども電話相談室に昆布との意思疎通はどうしたら良いですか?って
あれって、
相談に乗ってくれる様々な専門家の先生たちが子どもの質問なのに大人同士で先生同士が言い争っているのもまた聴きどころよね!
海の植物専門の先生がいるのに昆布のこと宇宙のことを詳しい先生に訊くんだもの。
まあ私は大人だからと言ってもついこないだまでは子ども相談室に電話して良いレヴェルの年齢だったにしろ、
その分別は付くわよ。
昆布のはなしをしていたら
うふふ。
ここのサンドイッチ屋さんはサンドイッチが塩辛くなくて私は好きだわ。
舌でダイレクトに感じるタマゴの味は目を閉じておいでよって手招きをしているバービーボーイズのようよ。
お馴染みかしら。
ボトルからになったら洗うの億劫だけどちゃんと洗って清潔にしておかなくちゃ、
当たり前の話ボトルも清潔にね。
ごくごく飲んで水分と朝のシャッキリ感を創造するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
少し前に、精子観察キットで自分が放った精子を眺める増田を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20240711233856
相変わらず仕事漬けの日々で、なかなか友達に会うとか旅行に行くような時間も取れず、最近は夜な夜な性教育の実技というか実験を試すのが楽しみになってしまっている。少し成果があったので、学んだことを書こうと思う。
前回の記事で、ロート製薬が発売している精液検査キット・ドゥーテストという商品が気になっていると話した。ドゥーテストというのはもともと妊娠検査薬のブランドのようで、そこに精液検査ができるキットが追加されたようだ。2回測定できて、5500円というやや高価なセットであるが、そこそこきちんとしたセルフ検査キットとなると、それくらいの値段が相場なのだらうなと言う感覚を受けた。
なぜ、このドゥーテストが気になったのか。それは他の精子観察キットにはないレンズに魅力を感じたからである。これまで試してきたSeemやメンズルーペは、小さなレンズをスマートフォンに貼り付ける方式を採用していた。しかしドゥーテストは置き型の筒状のレンズを採用している。しかも他の製品にはできなかったピント調節機構を有している。メンズルーペは安価に精子を観察できると言う特徴を有していたが、反面、精子の解像度には弱点があった。seemがサービスを停止したいま、高解像度な精子観察キットを探すことが筆者の中で大きな課題なのである。
ドゥーテストはロート製薬の通販で発売している商品だが、Amazonで購入できるようになっていた。実家ならしながらこんな研究に興味を持ってしまった筆者はAmazonの宅配ロッカーを愛用している。速さでいえばヨドバシに軍配が上がるとはいえ、ナイショなものはAmazonで買うに限る。
ある程度の金額を購入すると送料が安くなるため、今回のような高額商品は細かいアダルトグッズと抱き合わせで買うようにしている。今回は女性が立小便するときに使える使い捨てトイレ用品を抱き合わせで購入した。このレビューはいつか別の記事で紹介しようと思うが、そんなふうにあれやこれやを買っては秘密のレンタルロッカーに収納していける、便利な時代に生まれたことをこんなに喜べる瞬間があるだろうか。そうやってこの日も、時折コンビニに行ってはこそこそと不透明な紙袋を受け取った。ネカフェで開封して取扱説明書を読む。
箱の中身は至って普通の精子観察キットである。至って普通とは、精子を貯めるカップ、観察するためのプレート、レンズ、説明書、という組み合わせだ。取扱説明書は注意事項だけ書いてあり、主な使い方はスマホアプリでグラフィカルに誘導すると言う流れもだいたい共通している。そこで手が止まる。説明には「2〜7日の禁欲をすること」と書いてあった。しかし筆者は息子ともども我慢ができない。早くこのキットの真価を見たいのである。
そうは言っても、筆者の足を引っ張るのが、まさに股間の息子張本人である。男性諸君には理解してもらえると思うが、ちんちんとは自身の身体の一部ながら、自らの意思を全く尊重してくれない気まぐれな生物である。カメラを向いてくれない子供をオモチャで気を引くように、オカズを用意してみてもちっとも反応しない。ところが仕事で退屈な会議を聞いていると、突如として下腹部が突っ張り始めるのである。そして帰宅する頃にはすっかり眠ってしまう。まるで駅ではトイレに行かないくせに電車に乗った途端モジモジし始める子供のようではないか。
そんな息子を、まず「やる気」にさせる必要がある。別に、やる気にならなくとも、手で刺激すれば時代に勃起し、射精まだ持っていくことはできる。しかし筆者の体感として、射精時の精液の量はメンタルに大きく関係していると思う。
自慰行為において、快感と射精は必ずしも同時に起こらない。物理的に射精できたとしても、残尿感のように精液が出てこず中途半端な感覚を覚えたり、真逆に全く快感なく精液だけ放出してどっと疲れることもある。漠然と右手でシコるよりも、交際相手とキスをしながら手コキをしてもらった方が、快感も上回るし、コンドームを付けて出された精液の量も比べても気持ち多めのように感じる。精子の量が変わらないとしても潤滑剤になる前立腺液などが多ければ精子は活き活きするのだから、出せるものは出しておいた方がいいのである。
なにより、2発で5500円の高級キットを購入したからには、なんとしてでも"質の高い精液"を生み出したいのは、誰もが思うことであろう。出したい、けど、出せない。筆者の欲望と体力、そしてちんちんの意思が重なる時が訪れるのを待たなくてはならない。
某日、家族も寝静まった夜、漠然とテレビを見ていた時、それは来た。股間に建ったテントの中で遊んで欲しいと誘っている。時はきた。早速準備をするのだが、手間取るとあっという間に萎えてしまう。いざ挿入しようとコンドームを箱から取り出すうちに萎えてしまった経験はないだろうか。そこで、キットを準備する前にスキンシップを図る。
こんなこともあろうかと、あらかじめdlsiteでオナサポASMRを購入しておいた。これはダミーヘッドマイクと言う特殊なマイクを使って、耳を舐められる感覚を再現したり、耳元で囁かれるシチュエーションを再現した音声作品だ。「気持ちよくなっちゃうね」などと囁かれながら息子はご満悦だ。右手を竿に当て、左手に探し物をさせる。パッケージの封は予め開けておいたから片手で採精カップさえ取れればいい。
準備は整った。あとは耳舐めお姉さんにリードされながら竿に当てた手を動かすだけである。刹那、疼いていた下腹部がぎゅっと強張った。裏筋を抑えて漏れないように気をつけながらながら採精カップの底を尿道口にあてがって精液を注ぎ込む。これはseemと同じ使い捨てのプラスチックカップだ。計量はできない仕組みになっている。
出した精液を20分以上放置して、粘度がなくなるのを待つ。酸性の膣内に放たれた精子たちは長く生きられない。アルカリ性の粘液に包まれながら、子宮への道が中和されるのをじっと待っているのである。しばらくして子宮からもアルカリ性の体液が出ることで中和され、精液をエネルギー源にして精子たちは卵子は向かって泳いで行く。別々の生き物を繋げる仕組みとしてよくできていると感じる。
その待機中に機材のセットアップを行う。股間の息子はもう一仕事をおえて、もう筆者の眼中にもないほどに存在感を失っている。まず射精に専念し、そのあと機材の設定を行う。これこそが賢者のベストプラクティスというものだ。
前回の精子観察の課題として、スマートフォンのレンズの大型化を挙げた。今時のiPhoneはレンズが大きく、机に置いても水平にならないため、上に検査キットを置くと精液が流れてしまう。すると死んで流されている精子と泳いでいる精子の見分けが難しくなってしまう。
この対策を考えていたのだが、先日大手300円均一ショップでスマホスタンドが売られているのを発見し、300円なら失敗しても痛手がないと思い購入して試した。しっかり水平になった。そしてレンズを取り付け、ピント調節を行う。スマホのインカムの周りに滑り止めの両面シールを貼り、その上にレンズを貼り付けるのだが、ピント調節のためにクルクル回せば簡単にシールが剥がれてしまう。デモの映像はスムーズに回していたがどうやって対策しているのであろうか。
しばらく待っていると、スマホがカタカタと震え出した。固定がイマイチだったのかとスマホスタンドを確かめていると、今度は床が揺れ出した。地震だ! よりにもよってこんな時に揺れるのか。筆者の心臓は爆発しそうであった。家族が気にかけてやってきたら、こんな光景を目にしたらどうする。慌てて精液カップを物陰に隠し、寝室の動きを警戒しながら、セットアップを続けた。レンズを装着し、試料台に模様が映っていることを確認した。どうやら試料台に等間隔に溝が掘ってあり、この模様をゲージとして1区画に何個の精子が存在するかで精子濃度を測っているようだ。
液化した精液を試料プレートに垂らす。プレートは顕微鏡のプレパラートに相当し、カバーガラスが接着されている。精液を棒の先につけて、この棒を試料プレートに載せると、カバーガラスの間に毛細管現象で精液が染み込んでいく。カメラ越しにも、液体が流れ込んで粒々の精子たちがなだれ込んでくるのが見える。かなりの密度だ。しばらくすると浸透して、精子の流れが落ち着く。すると精子たちが四方八方に動き回る様子を見ることができるのである。
青い精子に再び会うことができたことに喜びを感じながら、測定を始める。しばらくして結果が出た。1600万匹/mlと言う数値で、WHOの基準より上回っているとの結果だった。しかし過去のデータを見れば、筆者は2400万匹/mlの濃度で精子を出せていた。あのころから月日が経ち、時代に健康診断で医者から注意される項目も増えてきた。身体の衰えには抗えないのかもしれない、と感じて切なくなってしまった。仕事も忙しいので一過性のものかもしれないが、このまま測定を続けて数値が上がらなかったらどうしようという不安もある。いや嫁もいない男が受精能力のことなど気にしても仕方ないのだが、大切なことは目に見えないのである。
それはそうとして、このレンズが精子をよく拡大してくれるところは面白い。改めて観察するとすでに半分くらい動いていないように見えるが、それを除けば元気に泳ぎ回っている様子を観察して、アプリとは関係なくスマホで動画を撮ってみる。同じような構造のレンズではseemのほうがピントがきっちり合って観察できたように感じるがこれほどの倍率はなかった。
ピントが合いづらい理由を考えてみたが原因はよくわかっていない。スマホの保護フィルムなどの厚みが焦点距離に影響してしまうのだろうか。しかし、精子観察のためにわざわざスマホの保護フィルムを剥がすのは、少し考えものである。真面目にやるならバキバキになってもいいiPhoneSEでも調達して観察した方が良いのではないかと思う。
一通りの観察を終えた。精子は受精卵にたどり着くことを使命とし、精液に守られながら子宮を目指す。したがって厳しい外界では長生きできない。
しかし前回の増田でこの精子にあれやこれや実験をしてみてはというコメントを見た。そして精子はまだ細胞でありながら生命ではない。片付けるついでに気になったことを試してみる。筆者はこの精子たちの生殺与奪を握っている。
試しに、試料台にティッシュペーパーの切れ端を載せてみる。液が吸い寄せられ、精子たちも漂うように吸い寄せられていく。しかし精子たちはそれでも元気に泳いでいる。
次に気になった点として、このキットを水洗いしてみると言うものだ。説明書では使い捨てと書かれているが、正確な数様に影響するにしても精子を見るだけなら洗えば使えるのではないかと思った。ものは試しだ。水につけて洗い流してみて、再びレンズの上に乗せる。
驚くことに、まだ精子がいた。本当に少なくなってしまったが、よろよろと泳ぎ回る個体がところどころ残っている。カバーガラスの間に水を流し込むのは難しいらしいが、水道水に流してもある程度は生きられるのかと驚いた。まだ精液の粘液部分を身に纏って生き続けていたのかもしれないが、筆者が想像する儚い細胞というイメージ覆った。
これではキットを再利用できないということを改めて実感したとともに、一度放たれてしまった精子を完全に追放する仕組みの難しさも感じた。もちろんカバーガラスの中の狭い空間というのは特殊な空間だが、膣内だって広い空間ではない。筆者な単純計算で一発で8000万ほどの精子を送り込むことができる。そんな数の精子たちが膣内に放たれてしまったら、僅かも子宮に辿り着いてしまったら。膣を水洗いするなんて簡単にはできないであろう。よくコーラを流し込めば避妊できるなんて俗説を信じるなという性教育を見かけるが、イメージに反して精子はしぶとく生きることのできる細胞なのかもしれない。
そしてここまで書いて気づいた。せっかくなのだからコーラを垂らして精子が本当に死ぬか確かめてみればよかったのだ。精子はもう片付けてしまったし、うちの冷蔵庫は三ツ矢サイダー派なのだ。なんて愚かなことをしてしまったのだろう。大学時代、理科実験はやり直しが効かないから実験計画の作成が重要であると散々言われたのを、今更思い出した。筆者の2800円がこうして散っていった。
ドゥーテストは、倍率も大きく、精子をよく見ることができた。さらに精子の量を測定してくれる貴重なサービスとなったので、妊活の指標としたい人には向いているかもしれない。
ただ、ピント調節が少し難しく、はっきりと精子を観察できるわけではないという点も課題として感じた。採精カップはメンズルーペが優れていると感じているので、メンズルーペのカップに射精し、ドゥーテストのレンズで観察するのが最も効率よく精子観察ができるのではないかと思った。またカップも使い回すと精子が残ってしまう可能性があるので、入念に洗うことが必要であると学んだ。
また、ドゥーテストの高倍率レンズは精子の動きを観察するのにとても良いので、可哀想だが精子にあれこれ試して動きを観察してみると面白いと思う。酸性の状態にしてどれほど生存できるか、などは特に気になった。しかしこう言う実験をするのであれば、闇雲に料理酢を流し込むなどと言うのはナンセンスで、pHを正確に測らないと意味がない。測定するための試験紙を買うのが良いのか、紫キャベツを煮出すのがよいのか、と頭を抱えながらamazonで調べると、2000円もしないpH測定器が売られているのを見る。ガチャポンを回すくらいの気持ちでオモチャと割り切って買うか、やめておくか。悩ましい。
そして筆者は実際の膣がどれほどに酸性環境なのかを知らない。どうやって測定するのがよいだろうか。一番シンプルなのは交際相手の女性に、「膣内にph測定器を突っ込ませてくれ」と頼むことだが、ひみつ道具の存在すら打ち明けられずにいる相手にこんな話をしたら精子をどうこうするまえに筆者の人間関係がどうにかなってしまうし、女性の性周期を知らない筆者にとって測定するタイミングも難しいと感じてある。どこかに膣のpHを趣味で測っている物好きなレディは居ないものだろうか。
「男性は顕微鏡を買うと精子を観察してみるらしい」とのこと。顕微鏡なんて一般のご家庭にあるわけがないだろうと、試しに500倍の顕微鏡の値段がいかほどのものか調べてみた。するとヨドバシに5000円くらいの子供向け顕微鏡があることを発見してしまった。最初からこれを買えばよかったのではないか……? しかし顕微鏡なんてますます置き場に困る。でも精子観察し放題、好きな時に好きなだけ射精して観察できるのである。20代の筆者がコンスタントに精子を観察して何十年かデータを溜めたら、それこそ何か世の中に役立てることができたりしないだろうか。いや精子よりもっと仕事とか町内会とかできちんと社会貢献した方がいいことはわかっているのだが。
あとは一案として、とりあえず顕微鏡を買って、しばらく精子観察に使ったあと、飽きたら近所の子どもらに寄贈してやろうか。子供を産むか産まないか、それ以外にも未来の世代にできることはあるだろう。
いや、思春期の学生に顕微鏡をプレゼントする財団でも作るなんてアプローチもあったかもしれない。これは教育振興である。まずは花粉とかプランクトンとか観察してもらって、科学に興味を持ってもらう方が重要で、そこからどういった方向に探究心が芽生えようとそれは本人の自由である。科学大国日本を支える若者を増やしたいと願っている筆者の気持ちに偽りはないのだから。
ヒューマニズム信奉者は、実のところ人間崇拝の相対主義者と置き換えても成立する。
まずヒューマニズム信奉者は教育の価値を重んじており、理性がモラルを改善すると言っている。
しかし核が武器にもエネルギーにもなるように、理性は武器にも善にもなり得る。
わかりやすい話が、理性を身に着けた人間が、他者を「説得」するためにそれを行使することが挙げられる。
言い換えれば「他人を、理性を使ってコントロールしようとする」ということであり、目的によってはナチや共産主義者の再生産となるだろう。
そもそも人間が生まれつき「善」であるという前提が、ヒューマニズムや共産主義者は間違っているのである。
彼らは「社会が間違っているから、それを改善する方法が必要であり、そのためには教育や経済構造改革が必要であり...」と言うだろう。
ちょっと待ってほしい。一人ひとりの人間の内面の問題を無視して、「構造」の問題にできるだろうか。
構造を変えて得られるのはあくまでも外的束縛からの開放であり、内的束縛からの開放ではない。
教育が一見すると内面を改善するようにも見えるが、理性を改善しても、武器を手に入れるようなものなので改善にはなっていない。
この点で見ると、聖書や口伝律法は実に多くの倫理システムを備えており、例えば「神は想像を絶する無限の存在であり、人間は神のもとで倫理的であるべきだ」と命じているのである。
人間崇拝者たちはこの点をわかっていない。つまり、倫理の頂点に「人間」を君臨させ、善悪を単なる好き嫌いの問題に置き換える。
人間集団Aの善悪とBの善悪が対立したときは、そこで争いが起きて自分たちの善が勝つ限り誰かが残虐な目にあっても良いとするのが、人間崇拝の相対主義である。
何千年もの歴史を耐えた律法と、儚い歴史しか存在しないヒューマニストの思いつきの、好き嫌いの善悪でどちらが優れているか、俺と賭けるか?俺はユダヤ人の律法に全額賭けるけどね。
なおキリスト教とユダヤ教は「信仰を重視する」か「行動を重視する」かで大きな違いがあるので、キリスト教の方には問題があると言っておく。もちろんユダヤ教は行動を重視する。
『俺は全てを【パリイ】する〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜』は、
孫・ラスダン村・勘違い系にアレルギーがなければ勧めたいけど、作品に思い入れがない人が見て面白いかは謎
サガシリーズのような戦闘観の異世界で、有用なスキルが一切閃かず(授からず)、山に一人で籠って低スキルを十数年ひたすら鍛え続けた主人公の話
この作品のオリジナルフレイバー(独自要素)は、『こんなの余裕ですけど?』『本気じゃないんですよね?』ではなく、
主人公がいつでも本気でギリギリで死にかけているところ。主人公は常にギリギリの戦いを繰り広げているが、何故か周囲からは大物・余裕そうに思われてしまう
そして、必ず『信じられないな。これが世の冒険者にとっては雑魚扱いとは。とても信じられないが目の前にあることが現実だ』と主人公が戦慄し、
『俺は○○にすら死にかけるのか。もっと鍛錬しなければ』と主人公がなるオチがつく
この系統にアレルギーがない人には万人に勧めたいけど、『俺は○○にすら死にかけるのか』のギャグ部分がアニメ版では少し弱いのよ
例えば、主人公はミノタウロスのことを都会の巨大な牛だと思っていることが、原作を見たことがない人にこれ伝わったかなー・・・ってなった
この後、ゴブリンエンペラーや黒死竜と戦ってギリギリで勝つけど、主人公はただのゴブリンや食材用のカエルだと思っているところが、
わかりやすくてテンポのいいギャグになってるといいなぁ・・・・
何も持たざる者 何も得られぬ者
指先に残った かすかな炎
与えられないなら 動くだけ
逃れらんない理不尽と 逃したくないチャンス
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
誰もみない夢を みたいだけ
擦り剥き 汚れて ふるえてる手足
這い上がるんだ 明日のために
抗えよ ひたむきに叫べ
唯一の終わりなき “才能”さ
「僕にしかできないこと」探す旅
まっすぐに歩いていこう
悔しさだって 乗り越え
どこまでも行こう
失敗だって 愛せると 知ったよ
僕は進み続けるよ
信じた軌跡が 味方する
太陽を知り 月を誇れたら
輝き 満ちゆく光
弾きだせ 閃きに懸けろ
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
まっすぐに踏み出せ
ノーギフテッド
好きな人。
恋とかではない。本当にただ好き。
コンサート中、好きな人はずっとキラキラしてて、歌もダンスも最高で、MCも楽しくて、コンサート中ずっと夢の中にいるみたいに幸せだった。
コンサートが終わって一夜明けた今でもまだ夢の中にいるみたいでぼんやりしてる。
可愛かったな、あの衣装良かったな、やっぱりあの踊り方好きだな、あの曲の演出最高だったなって思い続けてしまう。
あの空間にいる人全員が全員、私の好きな人のことが好きなんだと思うと本当に感動する。
みんなが揺らしてるペンライトがすごく綺麗で、そんな光景をまた見ることが出来て幸せだった。
私の好きな人は私より年上だし、いつ芸能界からふっといなくなってもおかしくない。
昨日は楽しい1日だったな。
今日は日常に戻っていつも通り仕事してるだけだったけど、普通の日常の中で昨日の幸せの余韻が続いてた。
やっぱりずっと好きだな。
気持ち悪い。まだ金曜の衝撃を引きずっている。動揺が収まらない。こうやって匿名ダイアリーにふつふつ湧き上がる感情を書き殴っているおかげで幾分ましになっているが、それでも引きずっている。
メンタルの弱さ、それに起因する自身のなさ、そこから来る腰の重さで目の前に巡ってきたチャンスを逃してしまった。
脈なしだったといわれればそうである。脈ありだったらデートに誘ってOKをもらえた後にバイトでいけなくても別日をサジェストしてもらえるはずだからだ。でも今回はそんな提案など無く、なぁなぁになってしまった。脈なしだった、ただの仲のいい同級生の一人だったのだと片付けておくのが妥当だと思う。儚い片想いだった。
頭で分かっていても上手くいかなかったことは辛いし悔しい。しかも片想いの相手が想いを寄せているであろう人物が友達だから余計に悔しい。まだ確定してないからそうであると思い込むことはよくない。けどかなりの確率でそうであろう。
自分は俗に言う「非モテ」とカテゴライズされる人間だとは思う。女性と何度か2人でご飯にいったことはあるが、そこから先が長続きしない人間である。失敗は数多く踏んでいる。そしてそのたびに改善している。けど上手くいかない。恐らく自分が気づけていない大きな欠陥があるのだろうと思う。友達に聞いても「なんでだろうなぁ」といわれる。だから、基礎的な問題を抱えているのだろうと思う。
金曜、衝撃の事実を知る直前、その友達から「お前、メンタル弱すぎ。そしてそれを明るみにしない方がいい。」とアドバイスをもらった。はっとした。自分は直ぐに素をさらけ出す人間なので、精神的な弱みも直ぐにさらけ出す。その友達には以前からいろんな相談をしていたから、僕のメンタルの弱い部分を人一倍知っている。あと以前に人間関係で精神を病んでそこから学校のカウンセリング室にずっと通っているのだが、その事実もかなり同級生に知れ渡っている。何しろ自分の声がよく通るほうであるので、仲のいい友達に話していることが他の同級生まで知れ渡ってしまっているからだ。
その友達は言った「彼女がメンタル弱いのは嫌だろ。」まぁなんとなくはわかる。
時は戻らないので、これからはメンタルの弱さをさらけ出さないようにしようと思う。さらけ出してもその友達だけだ。そして心に溜まった鬱憤はここに書き出そうと思う。
今年、下半期の目標はメンタルの強化だ。そして巡ってきたチャンスを逃さず、掴みきって彼女を作る。女性との交際経験は全くのゼロではないが、23にもなって彼女ができる程の交際関係になっていないことはよろしくない。だから、彼女がほしい。そのために、メンタルの強さがほしい。