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はてなキーワード: ゼミとは

2015-02-25

ポエムを書く

要約すれば、可能性を捨ててきたけれど、幸せだよという話。

自分に溢れ出る才能がある事に気づいたのは、小学校に入る前だ。

主に兄弟しか、遊んでいなかったため、自分がどれほどの才能を秘めていたのかそれまではよく理解していなかった。

しかし、小学校というそれまでと違う環境に放り込まれる事で、自分理解力スピードの差、他人自分がどれだけ違う人種なのかというのをはっきりと理解するようになった。

もちろん、全員が全員馬鹿だったとは言わないがそれでも、そのほとんどは自分よりも「出来ない」奴が多かった。

そういう嫌な子どもだった。

子どもというのは残酷から自分より能力が高い奴を優先的に叩き潰そうとする。

言葉暴力、身体的な暴力精神的な暴力自分は身体が小さかった為に、そう言った理不尽暴力を多く受けた。

だが、同時に、とても聡い子どもであり、尚且つ狡猾で、精神的にタフであった。

まれ持ってそう言った能力を与えられていた。まさに、ギフテッドだった。

故に、いじめられても凹まず、自分能力を全く隠さず、常に全開で才能を振りまいていた。

狭い小学校では、常に一番になれた。

中学生の時も同じだった。同級生の数が増えたがそれでも一番をキープするのは片手間でできる事だった。

高校に上がり、やはりその中での一番を保ち続けた。

その頃には暴力による影響はほぼ皆無になっていて、むしろ多くの友人から慕われる程度には成長していた。

まあ、実際の所彼らは僕の才能を利用したいだけだというのは分かってたけれど、それに気づいていない振りをしてやり過ごしてた。

今思えば、幼稚な考えだと失笑してしまうのだが、当時の自分としては最高のやり方だと信じていた。

天狗の鼻がへし折られたのは、大学入ってからだった。

ゼミの同期でマジモンの天才出会ってしまたからだった。

そいつ(以降、Aとする)は、思考の深さ、広さ、速度、濃度で全て自分を上回っていた。

何をさせても、Aは予想の全て上を軽々と超えていた。

それまで自分には才能があると自惚れていたが、夢から醒めた、とても残酷方法で。

それから、色々出来たであろう可能性を一つ一つ捨てていった。

自分も、それなりにそつなくこなしていたが、Aに比べたら全て雑であるのは明白だった。

一応、負けっぱなしではない。

Aは自分よりも酒に弱いという弱点があるが、それは単なる体質の話だし、能力的な物でも何でもないのでそれを誇ったとしても空しいだけだ。

博士課程を修了した後、Aが何をしているか知らないが、きっとその才能を存分に何処かで発揮していると自分は思う。

自分の才能の限界が見えてしまい、多くの可能性を捨ててきて、十年程になる。

いい年をしたオッサンがこういうくだらない文章を書くのは恥ずかしいとは思う。

だが、それでもどこかに書きたかったので、増田に書くことにした。

今の自分は、あの頃なりたかった自分では無い。

だが、それでも、毎日がそれなりに充実しているし、楽しみはある。

今年は、長男小学校デビューが待っている。

彼は、自分のように、他人との差異に不必要に自惚れないかどうか、親として少し不安ではある。

親の目から見ても、まあ、息子は利発な方だが(親馬鹿丸出しでスマン)、それでもAには匹敵しない。

なので、程々の自分立ち位置をなるべく早めに見つけて欲しいななどと思っている。

オッサンのポエムをここまで読んでくれてありがとう

2015-02-23

枕に顔うずめて足バタバタするやつ

自分場合mixiににちゃんの感動コピペやらおもしろコピペドヤ顔で貼ってレス乞食してたことと、

キノの旅SSを載せちゃったことと、

とあるエロゲーシナリオ抽出してmixiで連載(笑)してたこと。

才能あるよとか言われてすごく複雑な気持ちになってた。

就職して久しぶりにログインして、とりあえず黒歴史日記は全部消した。

承認欲求強すぎて空回りしすぎてた頃って本当に恥ずかしい。

ちなみにキノの旅SSゼミ教授にも読まれてて「ここでいう~は~の比喩なんだね」みたいな感想コメントまでくれてうわあああああああ

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2015-01-30

大学で得た「今、もっとも役立ってること」って何?

国際法の授業とゼミで身に付けた「日本語英語法律条約の読み解き方」「レジメのまとめ方と発表の仕方」。

これらの能力がなかったら、中年フリーターになってたかもしれん。

そんじゃーね

http://anond.hatelabo.jp/20150129231744

2015-01-28

彼氏いる人を好きになった

大学4年生、もう卒業する

相手は同じゼミの同期の子で、これまた同じゼミの同期の男と付き合ってる。

女の方とは仲良いけど男の方はそんなでもない。

多分女の方は俺のこと男だと思っていない

明日一緒に女の方とデートする。

そこで好きだとだけ伝えたいと思う。

2015-01-24

とりあえず頑張る

ただの愚痴です。大学4年の卒論作成における愚痴です。

私は私立理系単科大に通ってる。

そこでは4年で研究室配属がされ、就活と同時進行で卒論にも取り掛かる。

就活が早く終わった人は3月に既に内定が出ているのでじっくり卒論に取り込める人とそうでない人が出てくる学科だ。

私は後者で10月まで就活をしていた。

しかし、同時進行で4月から教授と話し合いや罵倒されながらなんとか10月まで卒論もしてきた。週2回のゼミにも必ずでていた。

しかし、11月の上旬にそれまでの疲れがでてきたのか約2週間ほどまともに大学に行けない時期があった。(ちなみにその時期はゼミ休みの時期だった。)

所属する研究室には特に連絡する習慣も慣例もなく、コアタイムが導入されている研究室でもないので私は体が全快するまで休んでいた。

復帰した日に教授からいきなり言われた「君はやる気がないのか」

それまで、週2回のゼミはもちろんの事、週5で10時~18時までは就活を除き来ていて吃驚した。他の方は来る人は来るがこない人はこない研究室では来ている方で自分では頑張っていたからだ。

パニックになりながらも、約2週間近く休んでいたのは熱を出し体調が優れなかったからですと伝えると

「もう知らん」

一日で2度目の吃驚だ。相手は教授だ。私立大学といえどとても優秀な研究者である教授だ。でも、大学指導する立場だ。

私の研究室は発足一年目で院生が居ないのもあって教授一人で学生7人を見ている。教授本人の研究も大変なのは分かる。教授博士課程からずっと国立大にいらっしゃって、偏差値の低い私立の生徒を指導するのは初めてなのも知ってる。

でも、私も20年以上生きてきて初めての研究活動だ。正直に言うとやり方が解らない。研究のやり方が分からない。とりあえず頑張るしかない活動だった。

理系学科研究をしたことがある人には分かると思うのですが、大体卒論テーマ教授本人に関係するもの新規でのテーマはあまりない。ぶっちゃけると教授が興味あるテーマ若しくは本人の研究バイトが大多数になる。

私の研究教授が興味あるテーマの中から自分卒論テーマを決めた。多分、失敗はその時点から始まっていたと思う。そのテーマ教授本人も全くの素人だったのだ。選んだ時は「自分も一緒に勉強するから」と言っていたので私は単純に二人三脚で分からない所はお互いに補填していく形で卒論を書いていくと思っていた。アホだった。

そんな事は無かったのだ。実際は私が勉強したことを教授に教えていくスタイルだった。そこが一番厄介であった。私は他人に説明するのがとても下手な人間だったからだ。

私には人にはあまり言えないが発達障害の症状があり自閉症スペクトラム指数はいつも閾値を超える人間だ。普段はまともで社交性のある人間の振りをしている。声が聞こえる振りをして生きてる人間だ。

生きていく上では説明が下手でも生きていけるし問題はない。自分の事を一から十まで知ってもらう必要性もない。しかし、卒論作成する上ではとても重要だ。2月には発表も待っている。とりあえず人に上手に説明するには技術必要だと考え、図書館コミュニケーション関連本や説明上手になるための本を卒論そっちのけで読みふけり教授自分がその時どれぐらいまで理解しているのかを説明した。

「君と話していると宇宙人と話しているみたいだ」

典型的言葉を言われた。私の人生では始めて言われた言葉でもあったが。

何回も教授と打ち合わせをしたが、私の言葉では分かって貰えなかった。最終的に言われた言葉

「君は人に聞けばなんでも解決できると思っているのか」

自分は頭がいいから、君がちゃんと説明してくれたら自分はちゃんと分かる」

「もう時間がないから(私の卒論)について勉強はしないし、きみのためにわざわざそんな事はしたくない」

11月上旬にもう知らんと言われてから約2ヶ月後の12月末の言葉だった。私も限界だった。どうしたら理解してもらえるのか全く分からない状況だった。正月には地元帰省し、家族と過ごすと自分がいかに辛いのかを実感するだけだった。家族からこそ自分の辛く情けない状況を言えなかった。

私はこの状況を変化させるには2択あるとずっと考えていた。自分が変わるか教授が変わるかのどちらかだ。自分ではこの4月からずっと自分方法自分を変えようと頑張ってきたが無理なのと時間差し迫っていた。なので学生相談室に行って、カウンセラーに方に的確で具体的な方法を聞いてみようと実行した。

結果としては、学年主任教授が呼ばれ、

主任教授から「君が変わるより、相手が下に降りてきて君の話を聞く方が簡単だから、ねっ。僕から(私の担当教授先生に君の状況とかを簡単に説明しておくよ」

と決着がついた。個人的主任教授は私と担当教授関係をよく分かってくれたと思う。その点には安心していた。 翌週、なんとなく、戦々恐々の気持ちで研究室に入った。扉をあけるのは簡単だった。学年主任から担当教授に説明は済ませたよと連絡は来ていたのでどう話を切り出せばよいのか頭はパニックだった。

部屋に入ってから30分ぐらい経過した時だった。教授から増田さん、何か僕に話す事はないの」と言われた。頭の中で何回もシュミレーションしていた言葉がすらすら言えたのは奇跡だった。しかし、「私が説明上手になるか先生が降りてきて聞いてもらうか~」と言っている時に言われたのは

「十分優しくしてるじゃない」 だった。

つくづく強者言葉でなければ弱者の主張は通らないものだと実感した。学年主任がなんと言って担当教授に説明したのかは分からないが、結局、私の状況を理解してもらうのは無理だった。締めくくりの言葉

「君の好きにしたらいい」

と目も合わさず、PC画面に向かったまま言われた。

私が説明が下手なのが悪いと言われてしまえば、はいそうですね、で終わる話だ。私は教授から何を学びたかったのだろう。それこそ、どうすれば人に伝わるのかが知りたかったのかもしれない。

今回の話は私も悪くない。でも、先生も悪くない。コミュニケーション齟齬問題だった。

卒論制作をしていく上でのただの愚痴が2500字以上になってしまった。あと数日で私が好きにしてやっている卒論概要を出さなければいけない。

とりあえず頑張ろう。

2015-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20150113070445

学部単位がちょこっと足りないとか、ゼミ教授相談したら何とかなったりするぞ。

大学4年無い内定の屑野郎雑記

これからどうするか、一応結論は出た。

留年

卒論は書けない。全て俺の怠惰が悪い。その分ゼミプロジェクトはこれから一週間本気で取り組もう。もちろん他の授業のレポートテストも全力でやる。けれど卒論が4単位であることを考えると、どう足掻いても、どれだけ運がよくても2単位足りない。その2単位に俺の大学生活の全てが示されているような気がする。

今日ひとつ面接があるけど、もし通っても辞退するべきだと思う。今のままでは社会に出られない。人に迷惑をかけるだけだ。というかそもそも留年では入社できない可能性は高いけどね。よほど人格評価されれば学生入社土曜日学校に通いつつ働くことができるかもしれないけれど、現実的ではないだろう。

結局、死ぬ以外の選択肢は、留年してバイト学費生活費を稼ぎつつ真っ当な人間に戻れるよう努力すること。それが俺に残された唯一の道なんだと思う。

学費は前借りという形になるだろう。父さん母さんは許してくれるだろうか。留年を告げたらどんな反応をされるだろうか。

ごめんなさい。ただ謝ることしかできない。死ぬことは逃げだ。恩返しがしたい。その思いは今、確かに持っている。

ごめんなさい。あなたたちは何も悪くない。こんな息子でごめんなさい。

ここまで、昨日の日記コピペです。若者反面教師にしてもらいたくて、誰でもいいから俺のささやか意思表示を見てもらいたくて、ここに書き残すことにしました。

友達をたくさん作ってください。何か夢中になれるものを見つけてください。就活が上手くいかなくても、決して一人で抱え込まないでください。俺にできなかった「普通のこと」を、できる人になってください。お目汚し失礼しました。

2015-01-09

友達iPhone見られた

友達っていうか共通のゼミのとってる男に授業中、一緒に検索結果見てたら、なんか急にニヤニヤされた。

うわー、キモい男って、人の画面見るだけでにやけるんだ、キモい。って思った。

できることならそのゼミにもう行きたくないんだけど、行かないと卒業できないし。

もうなるべく顔合わせたない。困った。

2015-01-06

学生ゼミ

https://twitter.com/tetsurokitahara/status/552279103731433472

これまで講義などで用意された、細切れになった問題の〆切に合わせてしか手を動かしたことがないので、ゼミ前に何とかすればよいという生活習慣が染みついており、結果としてゼミ2日前くらいからしか取りかかっていないのだろう。「夜型」「徹夜型」の学生にはだいたいそんな感じの者が多く、土壇場で体調を崩す、現実逃避ネットゲームなどにはまった結果心を病む、などトラブルを抱えやすい。

この手の学生問題を細分化して中長期的にスケジュールを組んだり、問題点自覚して細かく軌道修正しようということが出来ないので、教員がこと細かくマイルストーンを示してやる必要が出て来る。きめ細かな教員の指示は学生にとってはありがたいだろうが、学生自覚が乏しいと、単なる教員小間使いとして卒業することになる。仮に進学したとして、大学院生時代意識改革が足りていないと、就職活動時に苦労し、結果として俗に言う「そこそこ真面目なクズ」が出来上がるというわけだ。

学生生活習慣が改まらないと、週2ゼミ最後まで続くことになるだろう。しょうがいね。そういう奴だったんだ。

2014-12-31

大学先生と、つらかった日々のお話

年末になり、忙しさが減ったので、いつもは長い文章なんて書かないのですが、書いてみます

関東大学でのお話です。(私が今も大学にいるのか、それとももういなくなっているのかは、隠しておきます

どうか、ファンタジーお話だと思って読んでください。

うちのゼミ先生と接すると、精神的に疲弊し、本当につらい思いをします。

 何か先生の気の触ることをすると、アスペルガーだと言われる。

 何かに失敗してしまうと、人格性格問題点をあげて否定される。

 常に他人の陰口を言っている。

その先生は、これらの行為を、口頭でも、メールでも行います

特に、人をアスペルガーだと言って馬鹿にすることが気に入っているようで、よくそ言葉を口にします。

私だけではなく、私の先輩も、後輩も、先生のそういった言動によって精神的なダメージをうけており、

同じ経験をした人たちで集まれば、よくそういった話になります

4年間で大学を出て行く人は、まだましな方で、

大学院に入る人は、先生と付き合う年数が増えるため、より大変そうです。

一度、先生から不当な扱いを受けた先輩から、同じゼミ生たち数人にメール相談がありました。

先生にこういうメールを送られて、憤っていて、おかしいと思うので、以下のような抗議の返事を先生に送りつけたいが、どう思うか」という内容でした。

その先輩は非常に傷つき、怒っており、「先生に送りつけたい」という長いメールからも、その憤りが伝わってきました。

しかし、結局、先輩はそのメールを送りませんでした。

というのも、私を含め、相談を受けたゼミ生とのメールで、

「もし、その抗議のメール先生逆鱗に触れてしまい、指導が受けられなくなってしまうと自分が苦労する」という結論になったからです。

当たり前ですが、先生という立場と、生徒という立場では、力関係があります

罵倒され、人格否定されたことに対して、言い返してしたいと思っても、

先生に目をつけられ、指導がないがしろにされてしまうのではないか」、

先生という立場を利用して攻撃を受けてしまうのではないか」、という怖さがあります

他の先生や、上の先生相談したとしても、今度は誰が告げ口をしたのか、という話になってしまます

先輩たちが、「あの先生とはとにかく距離を置くしかない」と言っていたのも、そういう理由があったんだと思います

友だちや恋人相談して、心の傷を癒すこと、とにかく忘れること、そして先生と距離を置くこと、これしかありません。

心配をかけてしまうので、親には相談できません。また、何度も友だちに相談にのってもらうと、相手も疲れてしまうので、頻繁にはできません。

それもまたつらく、精神的に追いつめられる原因になります

この文章では、私は、先生のことを悪く言ったりしないようしています

とにかく、ただただ、先生がこういうことをしていて、私を含め周囲の人間がつらい思いをしていたということを書きました。

そういう風に、事務的にやっていないと、なんだか汚い内容になってしまいそうな気がしたので。

先生は不幸だと思う。学生から先生へはなかなか意見を言えないからです。

から、ずっと、自分がやっていることによって、他人がどう感じているのか分からないままです。

そういうことは言わないほうがいいんじゃないですか、と、言ってくれる人がいないのです。かわいそうだと思います

2014-12-22

男女差別のせいで論文が潰れそうな件

半年かけて100人被験者実験を行って、

女性の方が顔色から人の健康状態を見抜く力が強い」

ことを証明した。

これは女性の方が内科医のような仕事に適正があることを意味している。

しかし現状、内科医に占める女性割合は高くない。

これは医学部入試における女性の苦手とする科目、数学理科偏重のためである

その証拠に、先程の顔色から健康状態を推測するテストで高い得点を示した女性数学力をはかると平均的男性より低かった。

まり内科医として高い適正を持つにもかかわらず、旧来の入試ではその素質を正しく評価できない。

性差による能力の違いを加味した入試制度が作られることは急務である

という旨の論文を書いた所、前半においては大絶賛を受けたが、後半はズタボロに批判された。

どうにも、フェミニストにとっては女性男性よりはるか高い知性を持つのに、

封建的社会制度のために現状の地位に甘んじているというストーリー大事らしい。

いい所も悪い所もあるのが当然だと思うが、常に上にいないと気がすまないようだ。

から実験をやり直すのは無理だろう。

さら内定

生涯年収ゼミ内で1位だったはずなのにな。

2014-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20141215141745

というかさ、導入すべきなんだよ、それ。

これからSNSサイトリアルとの接続を強く打ち出す。FBとは違った側面でね。

例えば学歴。どこの大学を出ているか学部は。学科は。ゼミはどの教授についていたか。そもそも大学にも入れない低能なのか。

英語ネイティブ議論できるレベルに身に着けているか国家資格を持っているか。どの業界に勤めているか。勤続年数は。転職経験は。年収は。年齢は。性別は。国籍は。

そういうレベルで詳細にプロファイリングされたものidに紐つけることが求められる。もちろんこれらの保障は入会申請時の実際の面談によってすべて証明しなければならない。

これを旧帝一工限定SNSとして一般公開原則とすればはてななんか軽く超えるwebサービスになるよ。庶民は高等民の意見をありがたく拝聴するからPV数も稼げる。

大学教授陣や医師代議士などのハイソな連中から集めれば初期の質も保てる。

定期的に試験を課して点数の低い人を高い人と同じように目立たせれば嫌なやつは辞めていくし新陳代謝も促せる。

2014-12-14

モテない話

まれてこの方、モテたことがない。24年間彼女がいない。


人生モテ期は3度来るという話があるが、あんなのは嘘だ。それに、ドラマ映画の「モテキ」も嘘だ。

満島ひかり長澤まさみ真木よう子麻生久美子自分の周りにいる世界なんて、芸能界だけだろう。

それでも自分環境はマシな方なんだと思う。

高校まで共学だったし。

しかし、モテない人間にとって、共学だろうが、男だけだろうが関係ない。

今となっては当時の女友達は数えるほどだし、うちの大学男子率9割という拷問だった。

なんでゼミが全員男なんだよ。


チャンスは3回あった。

1回目は、小学校から好きだった女の子に、強制的告白させられた中1の夏。

の子はむっちゃ可愛い子で、今現在も相当美人の部類に入る。

周りは「なんであの子」という反応だったが、同窓会などの反応を見る限り、俺の審美眼に狂いはなかったはずだ。

まだ中1ということもあり、その時はフツーに「興味ないから」と手紙をいただいた。

お嬢様感すごかったし、当然である


2回目は高校とき

自分高校受験成功したものの、中学の時にろくに勉強せず、肌感覚高校に受かっていたため

塾へ行かなかった高校時代勉強が出来ない落ちこぼれに転落し、半不登校となっていた。

1年生の時は、それが原因でちょっとしたいじめにあっていたのだが、担任などの気遣いもあり

2年生は全く別のクラスとなり、友達もできるようになっていた。

ただ、それでもちょっとずつ休んでいたため、決して多くの友だちがいたとは言いがたい。

ましてや女の子など、「友達のいないちょっと暗めの男の子」なんて近寄ることもないだろう。

そんな中で、1人だけ特に仲良くしてくれる女の子がいたわけだ。

の子は1人目とは正反対の、地味子だったが、話が結構合って、映画を見に行くことになった。

しかし、だ。文化祭代休日に行く予定だったが、台風だったかなんかで文化祭が延期になってしま

代休日に文化祭が行われることに。

結局、映画を見ることもなく、経緯は忘れたが俺が何とか頑張ってバレンタインデーチョコレート

もらうことには成功したが、その後何もなく終わる。

そんな地味子は、最近結婚したようだ。割と頭がいい子だったが、あっという間に燃え上がった

結婚らしく、その事実を知った時は、衝撃というか「あ、うん。そう」という大概冷めたものだった。


3回目…の前に、空白の5年間をお伝えしよう。

高校時代勉強できなかったので、浪人生となり、大学ストレート卒業するまで、5年という時間がかかった。

その間に何もなかったわけではない。もちろん、人なりに「良いな」と思ったことはある。

ただ、自分高校時代挫折や、入ってしまった世間的には認知されているけど、学力は劣る大学というところから

まり自信を持って他人アタックする勇気を持てなかった。

ましてや大学ゼミは男100%であるいちご100%的な活動もしたかったのに…。

サークルという選択肢が世の中には存在する。

アレって要は、「出会い系サイト」の大学である

大学という区切りを持たせているだけで、7~8割の奴らは出会いたいだけである(当社調べ)。

変なところで真面目というか、童貞ながらの思考で「出会うためだけに入るのは馬鹿だ」と思った俺は

入らなかった。これもまた、こじらせ童貞の典型だ。

アルバイトは?と思われるかもしれないが、これもまた、男率100%世界だった。

あいにく男色趣味はない。


では、話を「3回目」に戻そう。

3回目は就職後だ。

就職難だ、アベノミクス失敗だと言われる昨今だが、なんとか大手企業に勤めることができた。

そのおかげか、社内には美人が多い。セクハラと言われたらおしまいだが、キャバ嬢やってても

俺は文句は言わない。

そんな中で、1人の同期に出会った。それが3人目だ。

の子は、1人目と同じ美人系で、とにかく可愛かった。

障害があるとすれば、その子北海道の子で、配属も北海道となってしまった。

同期だから何度か会う機会があり、彼女とはそこそこウマがあっていたため、

2人で飲むこともあった。

ここで童貞思考の登場だ。

秋口に北海道へ行った時、告白したのだ。数回会っただけ、どこかで一緒に遊んだわけでも何でもない子に。

から考えてみると、バカ以外の何物でもない。あえなく玉砕し、今やFacebook友達でもなくなった。


ちなみに、この話にオチはない。現在モテない話は継続中だ。


モテない人間なりに、なぜモテないのか考えているし、周りにもどうすれば良いのか聞いているのだが、

いっこうに答えが見えてこない。

幸いにして、就職後に女性友達は一気に増えた。暗澹たる大学時代とはおさらばできた。

毎週のように女性と飲んでいる。だからどうした。俺は彼女がほしい。

ただ、彼女がほしいという割に「将来、そのまま結婚したい」という古風な考えもの

将来を見据えて「性格が良くて可愛い子」ばかりを狙っている。

自分スペックを考えると、そりゃ無理だよなと思わなくもない。


周りからは「モテるでしょ」と言われる。童貞だという話が漏れると「嘘だ」と言われる。

お世辞なのかわからないけれど、お世辞じゃないならなぜここまでこじらせているかさっぱりわからないし

お世辞なら「建前はいから、なんで俺がモテないか教えてよ」と言いたい。


今、仲の良い女の子がいる。

同い年で、可愛い子だ。仲の良いグループの集まりしょっちゅう顔を合わせるし、二人で飯や映画も行く。

ただ、仕事が忙しい子で、メッセンジャーがなかなか返ってこない時もある。

返ってこない時は心がかき乱される。女子かよと自分で突っ込もうかという時もある。

過去最高に心を奪われている状況なのだが、童貞なので対処療法が全く見つかっていない。


12月23日デートだ。今世紀最大の勝負の時が、今迫っている。


誰か俺を助けてください。



※追記

トラックバックをいただいたので。

デートする子には「モテるでしょ」と言われていない。

しろ、常にけなされている。そんな状況で告白するというのも不思議な話だが。


1回目がチャンスっていうのは、一応アクションを起こしたという意味


※追記

デートの結果

ぶっちゃけダメだった。

理由は直前にデートを断られたから。

まさか当日に断られると思わなかった。

しかもその後、連絡が取れなくなった…というわけで放置していたんですが

先週から急に連絡を返すようになってきて、わけがからない。

もうね、女とか信じられない。

2014-12-09

優遇あさましく求めるのは日本女性特有醜態

http://anond.hatelabo.jp/20141208214051

なぜ日本にはレディファースト根付かないかについてゼミで討論した事がある。

例によって女子学生たちは日本男性批判想像上の外国人紳士崇拝の言辞を並べていたが、30分ほどで女性教授

静かに、だが力強い声で言い放った。

「レディーが絶滅しつつある日本ではレディーファーストを普及させようがありません」

教授海外で教鞭を執っていた時期が長いが、茶道華道ともに師範免許を持つ人。

その教授曰く、「優遇あさましく求めるのは日本女性特有醜態

自らレディとならずして、レディ扱いを求めるのは常軌を逸しています」と。

女子学生達はその後、一言も喋りませんでした。

2014-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20141204160159

ブコメとかで「○○大学の○○ゼミ所属していた」ことを暗にアピールするやつ割といる。

暗にアピールするやつは育ちが良くて、露骨アピールするやつは成りあがり的な育ちの悪さがあるんだよね。

話はそれるけどさ。

退学の周辺

10年ほど前にとある大学入学した。

大学受験が全国対ゲームのように思えて楽しかったため流れで入ったが、

それ故大学生活の展望も、勉学に対する意欲も全く持ち合わせていなかった。

結果、文系学部にも関わらず1回生前期で3割ほど単位を落とした。

その後更に低調となり、遂にある辺りから大学に出ず引き篭もりがちになった。

確か二十歳の誕生日は一日中布団で寝たきりで

「ああこれで地元市役所高卒区分を受けることができなくなったのか・・・

ということを考えていた気がする。

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ところで、かつて在籍した学部には

「前期は4月中に、後期は10月中に休学届を提出し、受理されれば学費は月割り」

という規定があった。

半期28万ぐらいが4万8000ぐらいで済む。

学生生活における1年の違いが生涯年収における何百万の差にうんたらという言説もあるが、

目先の20万も大きい。

半期開始早々にドロップアウトセンサーが反応し、「あ、これはヤバイな。」と思うところがある以上、

この選択肢意識せざるを得なくなった。

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このようなクズ人間故に、休学届の提出は4月30日(または10月31日)の夕方以降であった。

ギリギリまで迷っていたということもあるが、現実学費無駄にするという実感が迫ってくるのが大きい。

ある時は本当にギリギリになってしまった。

休学の申請の手順であるが、教務で申し出ただけでは申請したことにならず

大学財務部で1月分の学費を支払い、その領収書を休学届に添付することで初めて受理される。

学部教務の受付時間が17時までのところ、着いて休学すると申し出たのが16時45分頃。

残り15分で財務部との間を往復しなければならない。

ここで問題になるは、在籍していた大学が山の上にあったということだ。

20万の懸かった山道全力ダッシュというのもなかなか経験できるものではなく、

学生時代に得られた数少ない貴重な体験の一つである

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余談だが、当時は上記のような休学時学費免除制度一般的ではなかった。

就職留年問題になった頃、それ故に休学する場合学費免除という制度が導入された大学がいくつかあった。

まり普通に休学する分には学費も通常通り発生するということだ。

今では学費制度はそれなりに広まってきているようである

中退先延ばし・休学におけるテクニックの一つとして覚えておきたい。

http://www.etic.jp/kyugaku/university.html

これも余談だが、別学部にいた友人から担任教員とのやり取りで休学手続きをしたという話を聞いた。

そもそもこちらの学部には担任すら存在しないのだが、

そういう点も含めて休学一つとっても学部が違うだけでも随分変わってくるものだと妙な感心をした記憶がある。

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こうして休学~復学を繰り返した結果、最終的には5年在籍して退学するに至った。

実働2年半で取得単位が70丁度、卒業要件の約半数。まあこんなものかもしれない。

決め手となったのは第二外国語の再履修のクラスがなかなか決まらず、

ベンチで一人座って途方に暮れていた時に不意に涙が溢れ、この場にもう居たくない、と思ったことだった。

思えば語学とは極めて相性が悪かった。

暗記をするということが恐ろしく苦手である時点で仕方がないのかもしれない。

ある時、第二外国語ドイツ語課題で「ベートーヴェン第九の歌詞を覚えて書き取り」というものがあった。

他の学生にとっては並の課題かもしれないが、これが恐ろしく苦痛で仕方がなかった。

そしてその課題が出された直後から、ある車のCMで第九が頻繁に流れるようになった。

正直これは堪えた。今でも第九は苦手だ。

所謂ゼミを履修するための要件の一つに第二外国語単位一定以上取得するというものがあった。

当然履修することなど出来るはずがなく、一瞬たりとも研究室所属したことがなかった。

文系なのでどの程度の密度で事が行われるのか今でもさっぱり予想がつかないが、

学生たるもの少しぐらいは研究というものに触れておきたかたかもしれない。

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退学を申請する際のシステムも少し変わっていたかもしれない。

教務の説明によれば

「退学した場合支払った学費は戻ってこない。従って期末まで休学ということにして、改めて判断して欲しい。」

とのことだった。

まさか前述の休学のテクニックに応用編が存在するとは思ってもみなかったし、

たまたま申請に行ったのが10月で助かった。

最後に、と思って掲示板を見てみると、あらゆる掲示物に記された学籍番号が1から始まっていた。

学籍番号の頭二桁は入学年度を示している。私は2006入学だったので06始まりだった。

入学してすぐの頃、一人二人ほど99で始まる学籍番号が掲示されることがあった。

01辺りを見かけることすらなかなか無い。そんな中、十の位から違っているのは奇異に見えた。

ところが気付けば自身もそちら側に移っていたことをはっきり認識した時、

変な話ではあるが「やはり退学は止むを得ないか」とも何故か思ったものだった。

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周りで退学が視野に入っている人間が少なくとも3名いた。

際どく耐えた者2名、最終的に退学した者1名。ただその者も私のようなクズではなかった。

ある時在学中お世話になった部活会合に出てみると、退学するか悩んでいる現役生がいた。

類は友を呼ぶではないのだろうが、やはり似たような者が自然と集まるように出来ているのかと妙に納得した。

極々たまに話の流れで自身が退学したことについて触れることがある。

勿論その受け止められ方は様々だが、ありがたいことに嫌な顔をされたことはない。

退学という話題に触れた際、明るく笑って流してくれる人は大事にすべきだ。

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退学について書き殴ってもよいという場を見つけたので、吐き出させて頂いた。

普段滅多に文章を書いたり打ったりしないので何かと散らかっているが、ご容赦願いたい。

退学 Advent Calendar 2014

http://www.adventar.org/calendars/573

2014-11-14

研究室の後輩がずっとゲームしてるのが気になって仕方ない

研究室にいる間じゅうずっとやってる

ゲーム画面以外開いてないことすらある

それを見てるとなんかイライラしてくるんだけど、こちらになにかデメリットがあるか?と考えてみるとないんだよね

あえて言うならゲームばっかりやってたせいで準備が足りてないクソみたいなゼミ発表聞かされることくらい

人は人、自分は自分で頑張ればいいと理性では思うんだけど見かけるたびにイライラする

うまいやり過ごし方ないかなあ

2014-11-11

私の長い付き合いの女友達のなかに、二人ほど、oh、ビッチだね、と感動する子がいる。

一人は成り上がり戦国武将タイプエリート結婚するという目的のために生きていて、眉目秀麗頭脳明晰で、かつビッチ

エリート妻は英語ペラペラでなければ」とその辺を歩いてるアメリカ人を逆ナンパして実戦英会話

○○学部は芽がないから、△△学部の×ゼミの子たちと合コンセットしたから!大丈夫だよね!というライフスタイル

学校では、かわいいし頭も良いし清楚だしと一番人気で、アナウンサースクールに通ってるんじゃ、とか噂されていたが

私には「女子アナになっても馬鹿野球選手とかタレントじゃエスタブリッシュにはなれないもん」とか、鼻っ面をひっぱたいてやりたいようなことを言っていた

結局、某民間企業一般職を「あえて」選んだ彼女は、合コン三昧→社内のぼんぼんを捕まえて結婚・退社→海外駐在

今は帰国して、海外駐在マダムのなんたら教室を、某高級住宅地で開いている

もう一人は、ファム・ファタルタイプ。と言えばおしゃれっぽいが、ザ・メンヘラ。で、ビッチ

磨けば光るダイヤの原石、と噂された美貌なのだが、本人は磨く気なし。それでもそりゃもうモテていた。

はいメンヘラ本領が発揮されていくうち、周囲は「あれ、この子ちょっと危ない子だね…」となって引いていったが、

メンヘラに引っかかってしまった男がいた。同じコミュニティ内なので、すわサークラか、と一瞬周囲はざわついたが、

二人はそれから、そりゃもうすったもんだの大恋愛のようなものを繰り広げる。

彼女メンヘラビッチなだけあって、あっちこっち浮気をしてくる。男の家に半同棲で住みついていたのだが、

深夜、男の家から浮気相手の家に行くためのタクシー代を、ぬっ、と手を男に向かって突き出し要求するような、手の上に乗ったのが1000円札だとキレるような(1000円で足りる距離)

男が素直に万札を彼女の手に乗せると、それはそれでキレて「私のことを愛してないの!?」と言って暴れ出す。そんなメンヘラ

私はどちらとも仲が良く、たまたま男の家に届けなきゃいけないものがあってその場に居たのだが、思わず笑ってしまったが、次の日、夜中手首を切って大騒ぎになってた。

男が先に就職して引っ越しする時に「私の気に入る家にしろ」と命令し、通勤不便じゃね?ってところに引っ越したのに、その後すぐ喧嘩してお別れ。

あいつもこれで憑き物が落ちたか…と周囲が胸をなでおろす暇もなく復縁、くっついたり離れたりを半年おきに、サーモスタットのように繰り返すこと7年。

十何度目かの浮気で、とうとう男の方がもうだめだ!とキレて別れて、その後、他の女性とお付き合いをしていたのだが、まさかの略奪復縁

そんなこんなで、二人が出会ってから20年近く経つというのに、相変わらずサーモスタット状態が続いている。

私の友達である彼女たちは、どちらもとても危険でそして魅力的。酷く厄介な二人ではあるが、私の男に手を出さないのでまぁ問題なく友情は続いている。

ビッチってのはこのぐらいじゃないと面白くない

あいうのは、単なる「田舎くさい、生き汚いメンヘラおばはん」だ

2014-11-04

54歳、大学講師

http://www.yomiuri.co.jp/national/20141101-OYT1T50077.html

テニュアですらないってことかなかな。

ゼミ生の有無次第だと思うけど、首切られて終わりそう。

学内でも相当浮いているんじゃないかな

2014-11-02

評価されない人生

今年で30歳になった。

人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。


まり小学校

ミニバス所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。

確かに僕は運動神経がとても悪かった。


小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。

僕は成長が人より遅かった。


中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。

その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。


周りを見返したくて、必死勉強した。その結果、地元北海道進学校入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。


唯一得意だった勉強ダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル浪人もしたが結局志望校合格は出来なかった。


顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県大学入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。


就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接から憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社説明会を受けた。経営陣の考え方、会社ビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月東京ベンチャー企業就職が決まった。


一人一人が会社インパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的発言した。会社から評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランク評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。


生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。


覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強しまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。


大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブ主任から評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。


最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。

そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいこと出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。


だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。

どうしようも出来ない、自分が情けない。

誰か僕を助けてください。

2014-10-22

童貞彼女の嘘をゆるせない

彼女と別れてから数ヶ月たって色々気持ちの整理もついたので愚痴増田に書き込む。

彼女大学ゼミの先輩で、遊びと勉強のメリハリのつけられる、明るく優しい女性だったため彼女のことを好きになるのに時間はかからなかった。

彼女が当時付き合っていた彼氏(私の知人でもある)と別れた数日後に私から告白し、一旦は振られたもののなんだかんだ付き合うことができた。

こうして彼女と付き合うことになったわけだが、その彼女というのは俗にいうメンヘラだった。

具体的に説明するなら腕には数年前から追加され続けた多数の傷があり、少し放っておくとすぐに愛されていないと感じてしま不安定な女性

わかっていながら好きになってそして告白したのだが想像していたよりも大変な経験をすることになる。

彼女と私の関係はとても不安定で少し問題があればいつもケンカをし、そして毎回そのケンカは別れ話に繋がった。

私がtwitterで後輩の女の子リプライを交わしていたら「私そういうの嫉妬するから」と言われ怒られたこともある。私は変に律儀だったため彼女が許可した人間しかリプライを交わさないようになった。

彼女リストカット癖をやめさせるために「リストカットをしたら別れるから」と私から常々言っていたら、別れるためにリストカットをするという本末転倒な結果に終わった出来事もあった。要はいつもなんかしら揉めていたのだ。

そんな彼女約束していたことがいくつか合ったのだが、そのうちで私が最も強く主張していたのが「嘘をつかない、隠し事をしない」というものだ。

友人同士で遊びに行くのは全然構わないし、男と遊びに行くのもまあ俺に言ってくれれば許そうという約束だ。俺だって先のTwitterの件があるんだしそれくらいはお願いしてもいいだろう。

最初の隠し事(現時点で判明している限りでの)は友人同士での飲み会だった。

詳細は書かないが、彼女は友人同士の飲み会(全員私の友人でもある)の事をひた隠しにしていた。その飲み会存在は知っていたし、彼女が誘われていることも知っていたがなぜか彼女は「その日家の用事があるんだ」と俺に伝えていた。不審に思った俺が問い詰めてみるとどうやら俺のいない場所で友人と飲み会をして羽を伸ばしたかったらしい。まあ分からないこともないが彼女に対する信頼がこの頃からしづつ減っていった。

他にも彼女はいくつも嘘をついた。

深夜、セックスをした直後に「明日は昼から母親と用事があるんだ」と私に嘘をつき元カレ会いに行こうとしていたこともあった。

今夏に閉館した都内の某映画館に閉館直前二人で行く約束をしていたのだが、その約束を破棄してこっそり男と二人で観に行っていた。(分かる人は察したと思うがその映画館彼女は男と二人でピンク映画を見たのである

などなど、具体例をあげたら枚挙にいとまがない。時には逆ギレされたこともある。

こうした出来事たちを我慢できなくなった私は相手をこれでもかと罵倒し、彼女もそれに耐え切れなかったのかひどく怒り、結果喧嘩別れという後味の悪い形で交際は終了した。

彼女と付き合うまで童貞だった私にとってこれが現実女性との交際なのかと心底傷ついた記憶がある。別れた直後は俗にいう「現実の女はクソだわ」モードであった。

増田恋愛経験豊富なみなさんには「それくらい普通だろ」とか「そんなことも許せないのか」と一蹴されそうな陳腐ネタだとは思うが自分の初めてを捧げた相手にそういった扱いをされたことはどうしても我慢できなかったのだ。

勿論私にも悪い部分はたくさんあったし落ち着いた今は反省もできている。そういった反省をつらつら書くのもありとは思うが、ここくらいでは羽を伸ばさせて欲しい。

反省部分はいつか本人に伝えることができたらいいと思っている。(しかLINEFacebookTwitterもついにはインスタグラムまで、何から何まで連絡手段ブロックされているためいつのことになるだろうか)

2014-10-20

研究室を選ぶときに調べるべきこと(進学希望者向け)

とりあえず修士には行きたいと考えている現3年生向けに、

研究者としてまともな人の方が後で痛い目は見ないよ~ということで

研究室選定のときに調べるべきことをまとめました。

公立コンピュータサイエンス系を前提としており、他で使えるかはよくわかりません。

月の査読本数や学会幹事などをやっているかまでわかれば

その分野においてどのような位置づけなのかもわかりますが、

とりあえず科研と業績を調べれば本当に危ない人は避けられるということで。

2014-10-03

人間って環境で変わるもんだなあ

義務教育の頃は、しゃべるのは苦手じゃないけど人付き合いが苦手だった。

思ったことをすぐ言ってしまうからよく嫌われていた。

学生時代部活ゼミでは、野党として好き勝手言うのが常だった。

言うだけで執行しないから信頼はほとんど得られなかった。

自分勝手シナリオを描き理想を語るだけの嫌な奴だったと思う。

こんな人間性なので就職活動には多少の困難があったが、なんとかやりたい仕事につくことができた。

職場では一番年下だが、パートアルバイトの人たちとは立場上は上下関係があるので、まとめたり指示したりしなければならない。

生きてきてそういう経験ほとんど無かった。飲み会複数人で出かけるときほとんど相手任せだった。

苦手だけれどもやらなければならないという責任感もあるので、仕方なく場数を踏んでいるうちに処世術が身についてきた。

私が人付き合いが苦手なことに対して、上司は残念がっている感じを出してくる。確かに不甲斐ないと思う場面が多々ある。

しか自分の中では基本性能が変わってきているように感じている。

かつては、正直なところ、人と良い関係を築けないから社会に出るのがすごく不安だった。

でもやってみると意外とできるもんだなと思っている。

2014-09-17

ネット攻撃から身を守るにはどうすればよいか。

インターネットセキュリティにおける問題は常に話題にあがるものですが、

それは一部の悪意ある人のためだけに起こされているわけではないと感じます

やはりネットワークを支えているのは人と人。

どうしても考え違いや、思い違い、意見の相違やぶつかりなど、諍いが絶えないものです。

そんな時に、ネットから身を守る方法とはどのような事なのでしょうか。

ウイルスソフトファイヤーウォールを構えて、外部からの侵入に耐えていればそれで防げるものなのでしょうか。

私はそうは思いません。

ここでは参考例を元に、攻撃者がどのような手段を講じてくるかを

考えてみましょう。

ここに書いていることは鵜呑みにしてはいけませんし、真偽の程はわかりません。

ターゲットが ******** という人だった場合

この人がどういった方かも知りませんが、あくまで例ですので。

まずは身辺調査

そのような事が行われるのではないでしょうか。

幸いなことに ******** さんはTwitterWebサイトログが大量にあるようです。

ここで注意をしておかないといけないのは、いつから自分ネット危険性を知ることになったか、ということです。

多くの方は、ネットを初めてすぐの頃は、防御力0の状態です。

そのような状態の時に、ネットへ放流した情報というのは、極めて危険です。

そう攻撃者の方は考えるのではないでしょうか。

そうした目線情報を遡られると怖いものがあると思います

まずは、プロフィール系をあさられるのではないでしょうか。

http://********

こちらから

性別**年齢**歳血液型**型職業***現住所********

このような情報を手に入れることができそうです。

当然のことながら、これが本当の情報であるかどうかはわかりません。

ですが、断片的に偽装された情報であっても、あとでつじつま合わせができれば、情報価値はあると、攻撃者は考えるかもしれません。

また、****で**歳というのは考えにくいですが、年齢はもともと入力している生年月日を元に計算されているものと考えることは可能でしょう。

とあるプロフィールには**代後半であるという事を書いているそうなので、辻褄はあうな、と、攻撃者の人は考えそうです。

次に攻撃者のターゲットTwitterに移ります

最近のものよりは、過去情報を調べるところから始まるのではないでしょうか。

Twitter過去ログ検索できるサイトで、キーワードを元に検索をかけているかもしれません。

3月24日

ああ明日大学卒業式なんだ。意外に多いんじゃないですか明日大学卒業式の人。




こちらの情報から攻撃者は、****年3月25日大学卒業式が行われた、と考えるかもしれません。

6月29日

何で片道二時間弱かかるFランク大学に通っていたのかな。





大学Fランクの扱いで、そこまで2時間をかけて通っていた、という情報を蓄積しているかもしれません。


10月24日

またバス時刻表平日と休日間違えたせいで無駄太陽さらされてしまった。





バスも利用していたと攻撃者は考えるかもしれません。


11月4日

本当に目だけはやたらいい。うちは****系の大学で、眼鏡率がやたら多く、うちのゼミの男も俺以外は全員眼鏡(またはサングラス)だ。






大学は*****系、ゼミでは一人だけ裸眼、これは重要情報だと、攻撃者が考えたとしたら大変です。

攻撃者はここから情報から大学Fランクで*****系の大学で******周辺にあると考えるかもしれません。

調べると、********という大学が条件に近いのではないかと、攻撃者は考えるのではないでしょうか。

********駅からバスで25分〜40分かかるそうです。

そしてもう少し、つじつま合わせをするための材料を探し始めるのではないでしょうか。

先ほどあった、********年3月25日が卒業式という情報キーになるのかもしれません。

そう考えて攻撃者は調べるでしょう。3月は卒業式の多い月ですが、********は****年は3月25日が卒業式だったようです。

またこんな情報も調べられるかもしれません。



10月26日

文化祭打ち上げで男五人、女三人でたこ焼きを食べ、ファミレスオールしてきた。




10月24日

今日の予定:後輩の文化祭の手伝いをする





****年10月26日に、文化祭打ち上げオールでしてきたという報告があり、10月24日に文化祭の手伝いが開始されるということから

攻撃者は*****年10月24日〜25日までが大学文化祭であると考えるかもしれません。

http://********

********では********という学園祭が行われているそうですが、****年は10月24日〜25日が日程だったことが伺えます

3月25日

久々に来てみれば大学の近くのコンビニ潰れてるやん!大学内にコンビニが出来たのが原因なのかな。





卒業式の日に大学訪問したおり、近くのコンビニが潰れているという情報も利用されるかもしれません。

http://********


2chの********スレ過去ログも参照されるかもしれません。

74 + 1:**学籍番号:774 氏名:_____**[sage]

大学北側にあったセブン-イレブンが無くなっちまった・・・

75:**学籍番号:774 氏名:_____**[sage]

大学内にも一応出来たからねー。 それが嫌なら遠いけどファミマじゃない

76:**学籍番号:774 氏名:_____**[sage]

>>74 ええー とっても不便だな・・・

77:**学籍番号:774 氏名:_____**[sage]

休日に閉まってるのに、コンビニと呼べるかよ

78:**学籍番号:774 氏名:_____**[]

大学内のコンビはいまいちだから嫌い セブン無くなったとなると弱ったなあ




ほぼ同時期に、大学近くのコンビニが潰れたことが言及されています


また、********さんの古いブログも調べられるてしまうことも可能性としては考えられます

http://********

****年3月4日から6日まで、ゼミ合宿として、****へ旅行してきた。

そんな情報攻撃者が活用してしまったらどうしましょう。

すべて仮定の情報ではありますが、攻撃者がこれを有効に使わないわけがないかもしれません。

例えば、大学電話をして卒業生の名簿を作っているが、これこれ年度のこういうゼミを知りませんかということで調べあげるかもしれないし、

大学HPゼミHPを見ると、卒業生名前掲載されているので、これを虱潰しに調べられてしまうかもしれません。

卒業アルバムを貸してくれたらお金をやる、とかSNSで連絡をされている人がいるかもしれません。

ここまでくると、いくらウイルスソフトファイヤーウォールで防御をしていても防ぎきれなくなってしまうのではないでしょうか。

結局自分以外の近親者を攻められてしまうと、回避のしようがないのです。



10月1日

弟がPixiv始めたらしいので、マイピク追加したったwwww





攻撃者がターゲットには兄妹がいると考えたら大変です。

pixivを探されると大変です。


http://www.pixiv.net/member.php?id=********


^^^^^^^^

×××スキャナー家にありましたので借りました

タブレットはお兄さんに貰ったおさがり品


^^^^^^^さんが該当者に近いと攻撃者は考えるかもしれません。

********さんも×××というソフトを利用しているとどこかに書かれていたと思いだしたらどうしましょう。

^^^^^^^さんはTwitterをやっていることも突き止められるかもしれません。

仮にこれが********さんの近親者だと攻撃者が考えて、こちらに手を出してきたら大変です。

周りを攻められると手のだしようがありませんし、これがもし的を射ていなかったとしても、********さんの名前を出されてあれこれ嗅ぎ回られれば、不審に感じますネット上のつながりにもヒビが入ってしまます

直接のつながりでなくても、^^^^^^さんのマイピクメンバーやTwitterフォロワーなどまで攻撃が波及したら、目も当てられません。

攻撃者がそのような鬼畜所業を行わないことを切に願います

今回の参考例は攻撃者の手口として一番手のかからないポピュラーものかもしれませんが、

もっとリアル積極的手法に出られると、ここまで優しくないと考えられます

ネットはそのような危険と隣合わせなのです。

********さんに対して言えますが、詳しくはわかりませんが、ここ最近からネットライフが始まった若者にはこういった危険をはらむ傾向が多いように思います

ug***のコラムを一読でもしていれば、このようなことにはならなかったかもしれません。

情報の有無や、危険性の大小は関係ないのです。

攻撃者が本気だとどこまでもこられて、自分だけでなく周りにも迷惑がかかってしまうのです。

インターネットを仮想空間だと見誤ってしまい、大失敗を犯してしまうのです。

インターネットは前述した通り、人と人とのつながりで、真っ当にリアル空間です。

そういったことを肝に命じていなければいつか困ったことになってしまうのです。

重ね重ねここに書かれていることの真偽はわからないため、安直な行動を行わないことを切に願います

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