2015-01-24

とりあえず頑張る

ただの愚痴です。大学4年の卒論作成における愚痴です。

私は私立理系単科大に通ってる。

そこでは4年で研究室配属がされ、就活と同時進行で卒論にも取り掛かる。

就活が早く終わった人は3月に既に内定が出ているのでじっくり卒論に取り込める人とそうでない人が出てくる学科だ。

私は後者で10月まで就活をしていた。

しかし、同時進行で4月から教授と話し合いや罵倒されながらなんとか10月まで卒論もしてきた。週2回のゼミにも必ずでていた。

しかし、11月の上旬にそれまでの疲れがでてきたのか約2週間ほどまともに大学に行けない時期があった。(ちなみにその時期はゼミ休みの時期だった。)

所属する研究室には特に連絡する習慣も慣例もなく、コアタイムが導入されている研究室でもないので私は体が全快するまで休んでいた。

復帰した日に教授からいきなり言われた「君はやる気がないのか」

それまで、週2回のゼミはもちろんの事、週5で10時~18時までは就活を除き来ていて吃驚した。他の方は来る人は来るがこない人はこない研究室では来ている方で自分では頑張っていたからだ。

パニックになりながらも、約2週間近く休んでいたのは熱を出し体調が優れなかったからですと伝えると

「もう知らん」

一日で2度目の吃驚だ。相手は教授だ。私立大学といえどとても優秀な研究者である教授だ。でも、大学指導する立場だ。

私の研究室は発足一年目で院生が居ないのもあって教授一人で学生7人を見ている。教授本人の研究も大変なのは分かる。教授博士課程からずっと国立大にいらっしゃって、偏差値の低い私立の生徒を指導するのは初めてなのも知ってる。

でも、私も20年以上生きてきて初めての研究活動だ。正直に言うとやり方が解らない。研究のやり方が分からない。とりあえず頑張るしかない活動だった。

理系学科研究をしたことがある人には分かると思うのですが、大体卒論テーマ教授本人に関係するもの新規でのテーマはあまりない。ぶっちゃけると教授が興味あるテーマ若しくは本人の研究バイトが大多数になる。

私の研究教授が興味あるテーマの中から自分卒論テーマを決めた。多分、失敗はその時点から始まっていたと思う。そのテーマ教授本人も全くの素人だったのだ。選んだ時は「自分も一緒に勉強するから」と言っていたので私は単純に二人三脚で分からない所はお互いに補填していく形で卒論を書いていくと思っていた。アホだった。

そんな事は無かったのだ。実際は私が勉強したことを教授に教えていくスタイルだった。そこが一番厄介であった。私は他人に説明するのがとても下手な人間だったからだ。

私には人にはあまり言えないが発達障害の症状があり自閉症スペクトラム指数はいつも閾値を超える人間だ。普段はまともで社交性のある人間の振りをしている。声が聞こえる振りをして生きてる人間だ。

生きていく上では説明が下手でも生きていけるし問題はない。自分の事を一から十まで知ってもらう必要性もない。しかし、卒論作成する上ではとても重要だ。2月には発表も待っている。とりあえず人に上手に説明するには技術必要だと考え、図書館コミュニケーション関連本や説明上手になるための本を卒論そっちのけで読みふけり教授自分がその時どれぐらいまで理解しているのかを説明した。

「君と話していると宇宙人と話しているみたいだ」

典型的言葉を言われた。私の人生では始めて言われた言葉でもあったが。

何回も教授と打ち合わせをしたが、私の言葉では分かって貰えなかった。最終的に言われた言葉

「君は人に聞けばなんでも解決できると思っているのか」

自分は頭がいいから、君がちゃんと説明してくれたら自分はちゃんと分かる」

「もう時間がないから(私の卒論)について勉強はしないし、きみのためにわざわざそんな事はしたくない」

11月上旬にもう知らんと言われてから約2ヶ月後の12月末の言葉だった。私も限界だった。どうしたら理解してもらえるのか全く分からない状況だった。正月には地元帰省し、家族と過ごすと自分がいかに辛いのかを実感するだけだった。家族からこそ自分の辛く情けない状況を言えなかった。

私はこの状況を変化させるには2択あるとずっと考えていた。自分が変わるか教授が変わるかのどちらかだ。自分ではこの4月からずっと自分方法自分を変えようと頑張ってきたが無理なのと時間差し迫っていた。なので学生相談室に行って、カウンセラーに方に的確で具体的な方法を聞いてみようと実行した。

結果としては、学年主任教授が呼ばれ、

主任教授から「君が変わるより、相手が下に降りてきて君の話を聞く方が簡単だから、ねっ。僕から(私の担当教授先生に君の状況とかを簡単に説明しておくよ」

と決着がついた。個人的主任教授は私と担当教授関係をよく分かってくれたと思う。その点には安心していた。 翌週、なんとなく、戦々恐々の気持ちで研究室に入った。扉をあけるのは簡単だった。学年主任から担当教授に説明は済ませたよと連絡は来ていたのでどう話を切り出せばよいのか頭はパニックだった。

部屋に入ってから30分ぐらい経過した時だった。教授から増田さん、何か僕に話す事はないの」と言われた。頭の中で何回もシュミレーションしていた言葉がすらすら言えたのは奇跡だった。しかし、「私が説明上手になるか先生が降りてきて聞いてもらうか~」と言っている時に言われたのは

「十分優しくしてるじゃない」 だった。

つくづく強者言葉でなければ弱者の主張は通らないものだと実感した。学年主任がなんと言って担当教授に説明したのかは分からないが、結局、私の状況を理解してもらうのは無理だった。締めくくりの言葉

「君の好きにしたらいい」

と目も合わさず、PC画面に向かったまま言われた。

私が説明が下手なのが悪いと言われてしまえば、はいそうですね、で終わる話だ。私は教授から何を学びたかったのだろう。それこそ、どうすれば人に伝わるのかが知りたかったのかもしれない。

今回の話は私も悪くない。でも、先生も悪くない。コミュニケーション齟齬問題だった。

卒論制作をしていく上でのただの愚痴が2500字以上になってしまった。あと数日で私が好きにしてやっている卒論概要を出さなければいけない。

とりあえず頑張ろう。

  • その教授がホントそのままだったらまあそれなりに酷い先生、というか、まだ研究室持ったばっかりで教育の仕方知らないんだろうけど、 まあ、大学だからな。 本来自分で学んでその手...

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