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2019-10-03

オプザイルと化す高校球児たち

高校卒業してしばらくした頃、所謂ネットワークビジネスに手を染めた同級生が何人か居た。彼らはアツい仲間だの、人生逆転だの、そういった言葉をかつての仲間たちに振りまいて何人かの人生をともに陥れようとした。

本当に儲かるんだぞ、ってことの証拠に彼らがこぞってInstagramに載せるのは、ルイヴィトンモエシャンドン、そして肉寿司だった。

俺の周りでは、こうした詐欺にのめり込んでしまう者の大半が元高校球児だった。生き甲斐を失った空虚感に餌を蒔かれたことが、簡単想像できる。

まり稚拙下品な誘いに、どういう生き方をしていたら引っかかってしまうんだと、こちからしたら想像もつかないくら馬鹿たことだけど、それも仕方ないことなのかもしれない。それぐらい彼らの世界には野球しかなくて、それに人生を捧げていたわけだから

部活に熱中し汗流す学生時代を過ごすのはとても素晴らしいことだけれども、

何も知らない大人にならない様、これから高校では、このようなケースを未然に防ぐ教育を、被害者OBを招いて講演をするなどして行うべきではないかと思う。

2019-10-02

今まで休みの日とか何してんのって質問が苦手だったのが今は聞く気持ち世間話的な意味以外で少し分かった

って話をしたくて、そもそも何で?いつから?その質問が苦手だったのか考えてたら、それも昔の彼氏の影響だったんだなーと

小学校時代は覚えてないけど、中学時代は平日学校の土日は毎日部活高校時代はそれにバイトが加わり、大学時代は授業と遊びの予定がない日にバイトを入れてもらい、なおかつその隙間に彼氏

社会人になったらストレスは増えたけど暇な時間は増え、そこが彼氏のんびりで埋まったけど、性格的にも彼氏的にも状況的にも堂々とそれを言えるわけでもなく……

2019-09-29

どんなコミュニティでも最後敬語になる

部活サークル職場、その他のコミュニティ、どこでもそう

最初フレンドリー雰囲気なのに、だんだん弄られキャラになって、最終的に敬語でさんづけで話しかけられる

半笑い

いかつい風貌じゃなくて舐められやすい童顔なんだけど腫れ物を触る感じで扱われて、一度そこを離れたら二度と連絡こない

たぶん内向的で人と付き合いたくない、めんどくさがりで偉そう、話が面白くないみたいな私のクズの要素がバレて人が離れていくのを繰り返してる

タイムリープをして過去を変えようとするキャラみたいに次こそは次こそは次こそはと自分なりに外面を良くしているつもりなんだけど、いつも結果は同じ

他人の害になってる気しかしないからもう死んだほうがいいし辛いから死んだほうがマシ

開成高校生いわく、専門書を買うのはコスパが悪い

弟の友達に、開成東大というエリート中のエリートがいる。

たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)

友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」

俺「へえ(開成までゆとり化か?)」

友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」

俺「そうなの?」

友「授業が上手いかどうかは別として、開成教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理先生なら物理数学先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」

俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」

友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」

かに開成レベル学校ならそれで良いんだろうなあ

2019-09-28

世界レベル選手最初から描いてるスポーツものって少ないよね

学校部活からはじまってやがて世界へ、っていうのは定番だけど、最初からプロとか世界レベルスポーツもの作品ってあんまないよね。

スポーツ作品といえば連載漫画で、漫画子供のものだったから、なんだろうけど。

今は青年大人向けの漫画媒体も充実してるし、プロとか世界レベルアマチュアスポーツ世界を描くスポーツものが見たいなあ。

野球とかテニスとかサッカーとか、少年向け連載漫画では使い古されていまさら手が出せないジャンル大人向け媒体で、プロ世界でやってほしいな

2019-09-27

大学に入って憧れの漫画研究会に入ったオタク

私はそこそこにアニメイラストを描くオタクだが、中高ともにそういった部活同好会)がなく、大学漫研というものに憧れを抱いていた。

そしてようやく地元大学入学。目をつけていた漫研に脇目も振らず飛び込んだ。ここで趣味の合う人と楽しい日々を送るんだ! って

結果としてすぐ辞めた。漫研に夢を見すぎてたみたいだ。内輪なオタクグループという世間から隔絶された世界の住人になれるのは重度のオタクだけみたいで、特に絵が上手くもないのにイラストレーターになるとか言ってる4年生や、謎に絵を教えようとしてくる人などなど、とても私には合わない世界だった。

それでも慣れれば楽しいかもって思って、念の為兼サーをしつつ続けてみたけどダメでした。

てか、コミケで2〜3冊しか売れない部誌の原稿を書く行為の何が楽しいんだ...?ネットで誰でも作品を公開できる時代漫研寄稿するって楽しさを理解するのは難しかったよ。

結局夢に描いたような大学生活は夢でしかなく、今は何の変哲もない飲みサーで量産型大学生やってますオタク活動個人でやるのが1番でした!オチはないです

ブラック企業の源流は中学校での部活にあるとわかった

娘が文化部から運動部に転部した。

文化部ときは楽しそうに部活のことを語ってたのに、

運動部に行った途端、休みゼロになり、いつも暗い顔をしている。

来月、小学生の弟が運動会があるのだが、部活の先輩から以下のようなクソ内容のメールが来て更に暗い顔になった。

兄弟運動会理由部活を休むのは慣例なので認めません」

あー、ブラック企業ってここからはじまるんだなぁと。

たった1年しか長く生きてないヤツが、小学生から中学生になっただけでこんな偉そうになるとは。

部活に入るのを強制する学校も悪いが、一番悪いのは14歳中学生権力持たせてしまうことだと思うわ。

スタンフォード監獄実験的。

2019-09-24

anond:20190924134416

先生なのかな?

中学校では2011年に授業(not部活)での飛び込み指導禁止高校ではまだ禁止されてない。

2016年に都立高校飛び込み時に大けがした事故話題になったな。https://digital.asahi.com/articles/ASL4J5SMZL4JUTIL048.html

anond:20190924133621

学校だと書いてても部活や授業で飛び込み指導してて、実際それが原因で事故起こってるんだよね

流石に最近は減ったかもしれないが

2019-09-23

anond:20190923000541

中学高校部活なんて出来ないし友達と遊ぶのだって金ないし、放課後も土日もバイトしながら家に金入れて、大学短大専門学校学費どころか入学金すら払えずに、一生高卒人生ハードモードの詰み人生送る子供の身にもなれよ脳味噌腐れババアって感じ

国立大学いけるくらいの金と、勉強の習慣がつくような家庭教育の習慣と、子供バイト代に生活費頼らない程度の見通しが持てねえんな子供なんか産むなよ

妹がいなかったらとっくの昔に親殺してるわ

それくらい恨んでるし憎んでる

2019-09-22

気づいたらぼっち

気づいたらぼっちになってた…という状態を繰り返しており、25歳になろうとしてるのに友達が一人もいない。

小学生の頃に仲よかったはずの子たちから今日から無視するね!」と言われたのが最初中学でも部活で突然透明人間と化したり。

高校生の時なんて、小中高と一緒に通っていた幼馴染に面と向かって「増田(私)のことが嫌い」と言われた。

大学生になってからマイペースな人たちとのんびり過ごせたけど、卒業してから一切連絡をとってないような関係で、友達って感じではなかった。

厄介なのは最初から空気として扱われるならまだしも、存在認知された後で意図的空気にされる、ということ。

こんなに他人に拒絶されまくるのだから、私に何かしらダメ理由があるからなんだろうけど、もうこの歳になると「どうせこの人も急に私のこと嫌いになるんだろう、なら適当でいいや」という気持ちしか人と関われなくなった。

一度信じられなくなったらもう二度と信じられないし、そういう意味では10歳の時点で私の人生は詰んでたのかもなあ。

ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休暇つぶしにでもどうぞ...

小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。

けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月祖父母からお年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生DSで遊んでいた。

私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達当選していた)

両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的

私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学同級生携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段メールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメール連絡網生意気(以下略)」)

当時の私にはその言葉絶望しかなかったし、せまい小学生世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。

私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。

次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。

学校ではどうぶつの森ごっこ流行った。(おままごと動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。

友達に「なんで私ちゃんDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通にしかった。

中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMii流行った。友人達ゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラス男子)と結婚したよ〜子どもまれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...

かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。

高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。

ここまで書いてきて、そういえばたまごっちリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...

別に今更、両親の教育方針ケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。

反動というか、今はスマホアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しいゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。

そんな訳で、長くてしょうもない話にお付き合いいただきありがとうございました。

2019-09-18

女って誰のことなんだろうと

と、女の外側にいるので思う

ファッション誌を読むと、都会で大木々やの受付のお姉さんとして働くキラキラアラサーOL実家暮らし貯金30万、とかが出てくる。雑誌ドラマの中の30代女性

テレビに映るのは、若くて可愛い女子アナ。そこそこ賢い私立文系出の、賢く生きる強い女性。寮暮らしをしながらグループ活動するアイドル。売り出し中の若手女優。何十年も女優やってる50代女性

勿論こんな人ばかりではない。ツイッターにいるのは、タピオカとKPOPをこよなく愛す都会育ちのJK私生活趣味につぎ込むジャニオタ腐女子・女オタク9条を守るアラフォー女性、気性の荒い子育てママ、整形風俗嬢美容アカウント。その傍に実名鍵垢で交流する普通の人々。でも普通の人々も、複垢ではそれぞれ妙な属性を持った誰かである

駅にいるのは、行くべき場所と帰るべき場所を持った人々。部活帰りの女子高生、前髪バッチリ女子大生、カツカツとヒールで歩く美人もいれば、ひっつめすっぴん履き古したスニーカーで歩く不美人もいて、集団で歩くお婆さんとか、泣きわめく上の子に困り果てながらベビーカーを押す疲れたお母さんだとか、慣れないリクルートスーツキャリーを引く就活生だとか、数え切れないぐらいいろんな種類の女性がいる。

教室にいた頃のわたしは、1人か2人の友人がいればいい方の、大人しく暗い女子。同じクラス女子はおろか、男子なんて顔も名前もわからないぐらい赤の他人だった。きっと異性からすれば透明な存在教室にいたのは、男女分け隔てなく友人の多い、代わりに声が大きくてずけずけとした女子。ブスでも美少女でもない、オシャレと恋に精を出す子達グループ部活部長として活躍する真面目で根気強く優しい女子可愛いが陰口がひどかったあの子。おっとりして優しくてお母さんポジションにいたあの子

男とは、女とは、と語られるとき、少なくともわたしは女には含まれていないのだろうなと感じる。発達ガイジとしてドロップアウトしてもう、あっち側にしがみつくことすらない。

誰が女なんだろうなあとよく思う。ファッション誌に載っているキラキラOLは一体どこにいるのだろうと思う時みたいに。誰が女で、女はどこにいるのだろう。

ブスがブスらしい振る舞いをしないとボロボロに叩いてくる人間、みたいなのが居る

かわいい〜に対する答えは未だに何が正しいかわからん

中学生の頃、かわいいかわいいと言ってくる同級生がいて曖昧に笑ってたが、ある時ふと可愛くないよ〜と返したら「あ、やっと認めた」と言われた時の衝撃たるや

中学へ上がるタイミングで仲の良かった友達3人は引っ越ししまった

それでもまあ1年生の頃は新しい友達も出来て楽しくやってたけど、2年でその友達たちともクラスが離れた

クラスに馴染めずネットゲームに逃避、顔中に出来た思春期ニキビはグジュグジュで、長い前髪で隠すようになった。小学校の時それなりに仲の良かった男子から気持ち悪いと言われたこと、いつの間にか下の名前呼びから名字呼びになったこと、

クラスヤンキー崩れのデブ男にゴキブリと呼ばれたこと、

廊下でキレるとヤバいタイプヤンキーにぶつかりこれからどうしようと考え、部活で手を洗ったあとカーテンで拭いたところを後輩に見られうわ…やば…と言われたこと、あと真冬学校帰りうんこ漏らしたことトイレ貸してくださいって言えなくて

色々重なって不登校になった

それでも中学卒業して高校生になって1年の時はやはりヤンキー女の二人組に絡まれたりもしつつ、2年で部活に入って友達が増え

やかんやこの歳まで生きてきたけどやはり世間評価は散々なもので、

aikoに似て…なくもないと友達に言われたのでその話をバイト先ですると見目麗しい後輩に「増田さんが芸能人に似てる?笑笑 え、だれですか?笑笑」と嘲笑気味にいわれ、

大学に入ってみんなで写真を撮れば、私のことを可愛いといった男に対してお前ブス専だよな〜!と言い、

電車で髪の毛を直すために鏡を見ていたら「あの人自分可愛いとでも思ってるのかな?」と女子三人組にクスクス笑われ、なんかもう…もう…

だって可愛くなりたかったなあ

社会人になって、それなりにやってたけど、

新しい人が入ってきてその人とどうしても折が合わなかった。

それについて上司が、○○さん調子乗ってるな〜気に食わないな〜って思って好きになれないだけじゃないですか?

と言われ、違うと思ってたし違うと思いたかったけど単にその人が気に食わないだけなのか……ああブスの嫉妬と思われてるんだろうな、まで考えてしまってしんどくなった

あとそれが原因で仕事評価も下がった

ネットでよく女はイージーモードだなんて言うけれどそうだろうか

どこまでもついて回る顔、顔の評価しんどくないですか

でもいわゆるKKOキモ金おじさんの皆さんも同じ目にあってますよね

人生ハードですよね

anond:20190918153729

あーそうニャね。

水が欲しいのに、濃いものちゃうと困るかニャ。

おたのしみとして、部活の帰りとかに学生がやってくれそうニャけど💦

冬などはおしるこもあるニャね!

残業で冷え切った体と心をであたためるために、空腹をもみたすという

コーンスープおしるこココアなどのちょっとヘビーな缶。

昔、性犯罪にあった

中学一年の頃、性犯罪(未遂)にあったことがある。

被害は押し倒されて胸に触れられた程度。

バイクが動かなくなったから押してくれと頼まれて。ついて行った先の叢で。

今ならバイクを一人で押せない人が乗ったりしないだろうと分かるし、とにかく私の頭が悪かった。

その日のうちに警察に行き、事情聴取を受けた。

頭が悪すぎて、それが恥ずかしいことという意識もなかった。

日登校した学校で、警察官を父に持つ部活の先輩に、そのことを尋ねられたことには流石に驚いたが。

今なら、あり得ないと思う。

色々と鈍くて精神的ショックも受けなかったのは良かったと思う。

そのとき犯人は、私の家の近所に友人のいる未成年で、後日親御さんが謝罪に来た。

その後も二十歳くらいにも似たようなめにあった。

私はがりがりのブスだったので、性犯罪被害者になることはもうないだろうと思っていたが、外見は気にしないんだと思った。

2019-09-17

anond:20190917095917

10台で部活やって筋肉ついて食欲もあって巨乳になった、20台でダイエットして筋肉も落ちて胸の体積は小さくなったけど表面積は変わらないので薄く垂れたように見える、とかありそう。

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

教室健全精神を育成できなかった

あの空間底辺をさまよっていた自分は、のびのびと学び、正しい人との関わり方を学ぶということはできなかった

毎日消耗し続け、精神をすり減らしながら、少しずつ歪んで行った

いじめられることこそなかったが、下に見られて居場所を少しずつうばわれ続けた

そもそもいじめられなかったのは、ただただいじめられないように必死に異常な自分を隠そうと取り繕っていたからだ。それは苦しい毎日だった

少ないが本当に信頼できる友人ができ、やっと一息つける居場所を見つけたのは高校だった。それすらも部活内のことで、教室に戻るとわたしはまた、出来るだけ馴染もうと普通のふりをしようとするだけの存在に戻った

教室に友人は1人。プライベートでは連絡も取らなければ遊びにも行かない、ただ2人組を作るとき、移動教室に行く時に必要なだけの友人だった。彼女が欠席すればたちまち1人になった。彼女のいない選択種目の体育は、輪の外で、浮かないようにするという虚しい行為に徹した。

高校卒業を機に、人付き合いを9割たった。もう友人を作ろうとしなくてもよいのだと思うと嬉しくて、大学では友人を作る努力をやめた。はじめの方だけ数人、挨拶をする人もいたが、やがてグループというものに吸収されて、輪となったので、自分はまた外側の人間になった。1人で買い物し、1人で外食した。1人でも生きていけるぞと拳を突き上げた。過干渉な親から離れられたことも、その開放感を手伝った。勝った気でいた。苦痛しかないと思っていた人生抜け道を見つけたような気持ちだった。

中学生の頃、昼休み教室で1人本を読んでいたのを教育実習生心配された。一緒にドッジボール参加しに行こうか?と誘われた。しかし、それから5年も経ってわたしは勝った。1人でも平気だと証明した。わたしは1人が好きなのだ

そう思いながらも、生活の張り合いのなさを日々感じた。寝るか、ネット巡回するか、飯を食うか、寝るか、それだけの休日意味を見いだすのは難しかった。元来人間は嫌いではない。わたしはおしゃべりな人間だった。話し相手を欲していた。だが、友人を作るのはあまりに面倒臭かった。それに伴う多くの苦痛自分が摩耗していくのは目に見えていた。少ない友人に連絡を取るのも億劫だった。張り合いはないが特に不満があるわけではない現状を変える気にもなれず、成人式にも卒業式にも出ないまま大学を後にした。

すっかり人間嫌いになった。若い女の笑い声が嫌いだ。強いストレスを感じる。ガキが走り回ってる休日の混んだ駅も嫌いだ。うるさい外国人旅行客への嫌悪日本人にまで拡大していったと言えばいいだろうか。

就職して、また、少しだけ救われた。部署の2人の同僚と最低限の日常会話をして、上司業務連絡だけの関係を保ち、後輩にはお互い敬語で話す。1日の会話は、挨拶と、ほんの少しの立ち入らない雑談だけだ。時々、お土産に美味しいお菓子をもらえばみんなで食べる。だが、会話はほんの少しだ。わたしは今の部署がとても心地よい。こんなものでよいのかと思った。あの、30人も40人もひしめく狭い教室で溺れるような毎日はなんだったのだろう。

思うに教室特殊すぎる空間だ。最下層のわたしは「社会性を身につける」どころか、「人とうまくやれなかった体験」ばかりを積み上げてきてしまった。子どもの頃はあん場所が一生涯続くのだと絶望しながら生きていた。

教室は苦しい形だ。画一化された平等な形。だが、そこで生きていない子どもだっているだろう。そこで生きていけるようになれと、突き落としてしまうのはあんまり乱暴だと思うのだ。もっといろんな形の教室があったらよかったのにと思う。「通っている今」も幸せであれる形の教室。40人の同僚とたった1人の上司の下で仕切りもない箱の中働くなんていう架空の将来のために苦しさを我慢する場所ではなく。

ゆたぼん君には賛同はできないが、彼を一様にバッシングする人々には驚いたし反感を覚えた。

体育祭は嫌いだった。なくてもよいのにとずっと思っていた。でも、多くの大人体育祭を無くそうと言われれば、子ども可哀想だと反論する。教室制度否定すれば、そこでしか得られないものがあるという。1クラス40人だからこそ、我慢強さと社会性が身につくと。より効率的な、誰も取りこぼさな我慢強さと社会性を身につける方法なんか絶対に話さない。例えば同い年しかいない空間では上下関係のうちでのコミニケーション方法は身につかないといえば、それは部活があるという。じゃあ、ホームスクリーニング児童課外活動我慢強さを身につけさせればいいじゃないか。と言えば、それじゃあダメだという。社会は甘くないと。

ともかく何であれ、自分の受けた教育こそ正しいという。

訳がわからない。わからいか自分は1人だったのだろう。どうせもう、子ども時代に戻ることなんかない。学校大好き人間自己満足の城でいくら不登校児が苦しんで低学歴底辺に育とうがわたしにはなんの関係もない。だからもうどうでもいいのだ。教室好きな人間が教室を作ればいい。……こうやって、確固たる正しい教室ができたんだろうなあと思う。

そう思えば、今の学校教育にはなんの不満もないな。クーラーがつくのはずるいもの。下の世代だけ教室から逃げていいなんてあっていいことじゃない。苦しめ。

人間尊厳を保ったままで

最近本当に性格が悪くなってきている。いや、元々いい性格だったとも言えないけれど、少なくとも今よりは心の中のドロドロ度合いは低かった。

受験生で、まあ第一志望には届かなそうだ。そこからまれ鬱屈性格悪化の原因であるとはわかりきっている。

クラスの人々の多くは推薦か何かで地元地方私大に行くみたいだ。まともにセンターを受ける人はクラスの半分もいないんじゃないか。(もちろん他人の進路に口出しする権利はないので、『楽でいいよな』と思っている自分に気づく→死にたくなる、という一連の流れ...。)

クラススポーツの才能があり、その人が所属する部活顧問にもよく手をかけられている人がいる。私はなぜかそれに無性に嫉妬している。本当になぜ。(その人と私は違う部活だ。私はもう引退したが。)

その人はあまり頭はよくないため、本名でやっているTwitter校則に反することを無自覚に載せている。それを見て私は「あ、これネットに上げて学校側の目につくようにすればどうにかならないかな」と思い、その手立てを考えた。該当ツイートを保存し、某高校口コミサイトあくま高校レベルの低さを指摘する形で画像リンクでも貼っておけば、先生達も対応せざるを得ないだろう。

そこまで考え、リンクを保存までして、結局やめた。足がつくのが怖かった。実行して何も起こらないのが怖かった。そこまでの悪人になるのが怖かった。

まり私は、学校では賑やかに振舞っているけれども実際のところ性格カスゲボ野郎だってこと。

いまは内心の悪をさらけ出すことはない。(頑張って耐えている、怖いのでただ言えないのもある) しかしこのままでは自分倫理心中の悪に蝕まれて消えちゃうんじゃないか、それが一番怖い。私は人間尊厳を保っていたい。

受験結果がどうなるにせよ高校を離れたら改善すると信じたい。いや、自分でもそう努力します...。どうしようもない文章でごめんなさい。

2019-09-14

anond:20190914110925

ある程度子供が大きくなると、子供が家にいない時に家事やる親が多いだろうけど

(塾やら部活やらで帰宅時間が遅くなるだろうし、土日も家に居ない子が多いだろう)

そこで親が家事して毎日生活を維持してるという意識がなくて

親は毎日家で遊んでると思ってる男の子って多そう

女の子ならまだ母親の事よく見てたり手伝ったりするだろうけど、思春期男子って母親から距離取りたがるし

その認識のまま実家を出て一人暮らしになると、尚更分からなくなって

一人暮らしの狭い部屋ですらごみ溜めで毎日外食の癖に「俺は一人暮らしで働きながら家事やってる」とどや顔する男が爆誕するんだろう

2019-09-12

女子大生マッチングアプリを使ってみた日記

マッチングアプリで知り合った2人目と待ち合わせ、タリーズカフェラテを飲みながら本を読んで待つ。連絡がある20時ごろになると緊張なのか手が震えてくる。店を出て店の前で待ってる。待てども来ない。緊急対応オフィスに戻ったらしい。たしかコンサルだっけ。知らないけどお疲れ様だ。

というわけでドタキャン食らった私は栄の街を旅する。なかなか店が決まらずに彷徨う。イタリアンバルの店先にメニューを見ているとバイトのお兄さんに声をかけられる。まあここでいいかと店に入る。イタリアビールを飲みながらサラダナチョスをつまんで店員さんとおしゃべりする。

ドタキャン食らったこと。相手マッチングアプリで知り合ったこと。彼氏に振られ、次の片想いもうまくいかず、寂しさと勢いでマッチングアプリを始めたこと。女子大生だといっぱいいいねが来て歪んだ承認欲求が満たされる気がすること。この間会った人は嫌な気はしなかったけど、今後どうしたいか自分でよくわからないこと。もし付き合った場合家族友達には出会いを明かしにくいこと。何も知らない店員さんだからこそなんでも話せた。

女子大生ブーストほんとすごい。いいねが3桁。自分美人なのかと勘違いしてしまいそうになる。(ここになんとも言えない自意識存在)

マッチングアプリでの出会いには抵抗感がある。大学生なんだからキャンパスバイト先でのラブが自然というか、大学生そんな焦って恋人作らなくても。バイト部活にぼちぼち行ってあとは寝るだけで一緒に旅行に行く友達もいないなんて寂しい夏休みを送ってるのがいけないのかな。忙しくなればどうでもよくなるかな。

先週のこと。一人目に出会った人は技術職の27歳。(ヤリモクを警戒して)アルコール無しの提案をしたらOKをくれたので会う前から少し信頼できた。メガネで穏やかな人だ。最初は緊張があったけど、次第に会話も弾んだ。持病の話も軽くできたし、おしゃべりで話しやすい人だった。帰り際に手を繋がれて、多少の動揺はあったものの悪い気はせず振りほどきはしなかった。次は来週末に会う約束がある。

二人目はコンサル24歳。まだラインのやり取りしかしてないけど、最初からタメ口でいいよと提案してくれたり、文章から堅苦しさを感じない。少し手慣れているような感じもする。ただ個人的コンサル男というものに悪い偏見を持っている。

今のところラインを交換しているのはこの二人だけ(他の人とのアプリメッセージは面倒になって返してない)。この二人のどちらかと付き合うのだろうか。その場合片方とはどうやってやり取りを終えるのだろうか。

あと、マッチングアプリ恋愛のための出会いの場として機能してるわけで、出会った人たちとは恋愛ベースというか交際への道のりとしてのコミュニケーションが起こる。少し思わせぶりな態度や、恋人繋ぎに居心地の悪さがあった。信頼も情を構築するより速く恋愛が進行していく。友達から恋人になる場合とは明らかに違う。

そんな違和感を抱えつつもやめられないのは、きっと元彼から浴びるようにもらった承認癒しをまた求めているからだろう。私の持病が一因で振られてしまったが、それまではめいいっぱいの愛情を注いでもらったと確信している。全く同じものを違う人に求めはしないけど、似たものが欲しくてたまらない。

つらつらと思いつくままに書いて来て少し気持ちの整理はついた。ちょっと自分の浅ましさと向き合えた気がする。

2019-09-09

黒島沙和のような人間はいる、という話。

人の感情理解できない、人を殺してみたい。

そんな感情を抱いたのは小さい頃からだった。クラス読み聞かせられる絵本道徳の授業で、登場人物が困っていたり悲しんでいたりしても何も思わなかった。むしろ、なんで登場人物感情を昂ぶらせることができるのだろうと不思議でなかった

けれども、それが普通でないことは直ぐに気づいた。それはそうだろう、自分が何も思わない時に周囲は頬に涙を垂らし、中には嗚咽を上げる人もいた。周りの人間の感じることなんて全く理解できなかった。でも、大半が同じような人ばかりだった。だから自分の方が少数派であり、おかしいのだと分かった。

それからというもの普通人間のように振る舞った。学習材料は、家族や友人が見るドラマ漫画アニメなどの物語からだった。自分には面白さが全く理解できなかったけれども、どのポイントで人が感動するか理解した。だから日常会話や体育祭などのイベントごとでは困らなかった。

なんなら、皆の感情を高まめるためにワザと泣いたり、指揮を取ったりもした。その時の感覚ゲームのようなもので、ただただ感情のツボを探して押せば周りが笑顔になったり悲しんだりしていた。面白かった。人間は単純で、ある意味機械的動物なんだなということを知った。

僕は、一般的人間を演じることで平穏日常を送っていた。

しかし、それは崩壊することになる。

中学生の頃に見た映画が、生活を一変した。『悪の教典』と呼ばれる2012年に公開された伊藤英明主演のサイコホラー作品である。内容をざっくばらんに説明すると、教師学校で生徒を無慈悲に殺しまくるというものだ。これを観た時、衝撃が走った。生徒を殺して楽しそうな教師を見て、「いいな」と思ったのだ。

それからというもの、「人を殺してみたい」という欲望で頭が一杯になった。何度も殺してみようと思ったことがあった。部活帰りの暗い夜道で、前を歩く体の細い子を気づかれないまま首を絞めてしまおうと思ったり、同級生の家の近くにある小池に誤ったフリして落とそうと思ったり。少年法では罪が重くならないから、未成年の内に一度殺しを行った方が後々の為になるのではと考えたりもした。

とにかく、毎日人を殺すことを考えた。そして、その度に決まって勃起した。僕は家や学校臭いトイレスッキリさせることで、殺人への欲も発散させることができた。はけ口があったから、僕は今まで人を殺さずに生きてこれた。

そして、今年の4月から放送開始された「あなたの番です」を視聴していた。見ていない人はググったりして欲しいが、ざっくり言うと連続殺人ものである最終回は元乃木坂46西野七瀬演じる黒島沙和が、黒幕であることを語り、人殺しを愛してるというサイコパスぶりを顕した。SNSではこの常軌を逸した行動に理解できない人が多かったが、僕はそうでなかった。大体のシーンを殺し側目線で楽しみ、共感した。そして、勃起した。

特にオチはないが、世の中にはこういう人間もいるのだと覚えていて欲しい。殺しを我慢して日常生活を送っている人がいるのだと。僕は人殺しの欲を別の方法昇華させることができるが、中には上手く行かずに悶々としている人もいるかもしれない。もし、そういった人の相談を受けても否定しないで欲しい。欲望コントロールすることは本人でも難しく、下手に矯正しようとすれば過剰なストレスを溜め込むことになるだろう。だから、下手に刺激せずにそっとして受けとめて欲しい。お願いだ。

忘れられない初恋の人の名前検索した話

もう10年以上も前の話。

中学三年生の私には好きな人がいた。

発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラス雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。

なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。

サマースクール話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からちょっと頭が良い学校名前が聞こえてきた。

怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。

残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。

特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。

その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。

夏休み後、真剣勉強に取り組むことになった。

不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校名前が出た。

志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。

頑張る理由が1つ増えた私は、さら勉強に励んだ。

妄想も、それはもういっぱいした。

彼の内申点学力から言って、彼が落ちることはない。

あとは私が頑張れば、その妄想現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。

塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。

試験会場には、もちろん彼がいた。

当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。

試験の出来はなかなかのもので、塾長から合格だろうと言われた。

安心した私は、受験から解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。

私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。

無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。

そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。

受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。

しかし、彼が来ることはなかった。

私は受かって、彼は落ちたのだ。

家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。

もちろん、嬉し涙ではなかった。

同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。

結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業

高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。

どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。

彼の進学した学校は、体育祭文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。

途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。

色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。

大学に入ってからも忘れることはなかった。

ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。

疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな

社会人になり、新たに好きな人が出来、付き合うことができた。

この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。

結局、当時の彼とは遠距離トリガーになり、振られてしまった。

相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。

忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。

当然、彼のことも懐かしむように思い出した。

すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー

それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。

変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。

そして、その勢いのまま名前検索した。

10年以上、忘れられなかった名前はすぐに打てた。

履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモード検索した。

すると、彼らしき人物がヒットした。

何やら本を出していたり、脚本家演出家をしているみたいだ。

作風を見る限り、本人に違いなかった。

彼の才能を生かす方面仕事で、私は嬉しかった。

それと同時に、何かスッキリした気持ちになった。

私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。

一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。

ようやく、過去過去認識できたのだ。

初恋の人の名前検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。

きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。

けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。

初恋の人の名前検索するのも悪くはないことが分かったので、ネットの海に漂わすことにする。

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