はてなキーワード: 部活とは
もう10年以上も前の話。
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校を卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意
中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料と化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。
中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん。体育祭の時に疲れたと愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み、家族でハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別なものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。
高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私から話しかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。
高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。
しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校は私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。
高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラスは私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験が純粋に心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的に作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校はキリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。
ある日の放課後、雑談をしながら謝恩会の作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分も女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。
冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかしたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。
それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。
謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。
バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園に手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作りで学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族にキモいと叱られた。
その後、彼女の第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日の受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。
合格者発表から数日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験のストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。
卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラスの打ち上げも解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学は地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。
本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方に自分は行くのに、Dが大学で彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。
大学の大講堂で座る席を探す
はぐれものの黒人とか有色人種が集まってるところに、すんませーんっつって座らせてもらった
そんで最初のウェルカむ実力テストみたいなのをいきなりやらされてめちゃあせる
だってゆめのなかだったらセンター試験おわってすぐくらいで英語実力ビンビンの設定だけど、
実際の中身は受験から20年近くたったロートルにもほどがあるクソ脳みそだから
留学先でいろんな人がいるとこでやる問題がなんで和文英訳なんだよと今思えば笑えるけど、
夢の中ではマジでいっぱいいっぱいだった
~というのもはforだったなとか使える言い回しをギリギリで考えながら、部分点はもらえるのかなとか不安を感じたりしてた
問題文のラストで、センター試験で英語トップクラスだった人間が多いみたいだからこんなの楽勝だろうHAHAHAみたいに書いてあってさらに焦った
なんとかそれなりに書けて解けた・・・と思う
そんで大講堂を出ようとすると女バレの人たちがボールカゴ押してはいってこようとしてた
大講堂が体育館化してた
中学のときの部活の後輩がいて俺に声かけようとしてきたけど名前忘れてたから適当にスルーして近くにある階段のぼったら上で行き止まりになってた
おいおーい俺駐輪場さがしてんだけどー笑とセルフツッコミして降りたら後輩が顔似てる二人組にいじめられてた
校内放送でなんたらはきてくださいみたいに女の声がした
私は小学生の頃から初詣で、「これから先の人生が楽なものになりますように…」と祈ってたような真面目系クズ。私生活では空き時間をダラダラすることに費やし、情熱を持って趣味をやり込んだり、何かに挑戦することが嫌いな子供で、昔からやる前から「どうせ私にはみんなみたいに上手くできないしな」と諦めてばかりいた。残念ながら、現在までこの性格はそんなに変わっていない。
しかし、大人になってからそろそろ今の自分ではあまりにもマズイのではないかという気がしてきた。そこで、少しでも自主的に色々なことに挑戦できるように、脱真面目系クズを目標にして、何かを始めてみようと思いたった。それが今年の初めである。
とりあえず、まずは簡単なことから始めて自信をつけようと思い、「そうだ、自動車免許だったら1〜2ヶ月で取れてそんな大変じゃないし、資格ももらえて一石二鳥かも〜」と思いつきその日のうちに30万を払って入校した。
結果、自動車学校は私にとってはめちゃくちゃ大変だった、苦労した内容は割愛するんだけど(ちなみに学科はそんなに苦労しませんでした、実技がやばかったです)、毎回車に乗る前には緊張のあまり、短時間で5回くらいトイレに行って胃の辺りを抑えながら教官を待っていた。今にして思えばたかが自動車教習になんであんなに緊張していたのかわからないが…
このことを友人たちに話すと、「えぇ!半年以上もかかったの?」と驚かれる。基本的にみんな長くても3ヶ月くらいでサクッと卒業したらしい。
これを聞いて、「なんで私ってみんなみたいに上手くできなかったんだろう、やっぱり私は何をやってもダメなのかな」と落ち込んだんだけど、友人たちの話を聞いて、私が上手くいかないのは単に人生経験が圧倒的に少ないからだなと思った。
友人たちは学生時代の習い事で、めちゃくちゃ緊張した機会や、嫌いな先生に毎日怒られながら必死こいて部活してたことに比べたら、自動車学校なんてマシと言っていた。教官に注意されても、悪い部分は直し、理不尽なことを言われたらスルーするスキルも持っていた。
私は昔から特に何かを頑張ったり、厳しい人に何かを習ったり、プレッシャーを感じるような機会がほぼなく、ゆる〜〜く生きてきた。そんな真面目系クズの私は人より出遅れた分今から何かをするときには人より多く失敗しながらでないと技術の習得や、挑戦による成果を得ることはできないのだなと残酷な事実に気づいた。
気づくのが遅すぎた………
94年~00年の小学生時代の中で、小2~小4のゲームに対する熱量は突出していたと思う。
地元にはファミコンショップ桃太郎とカメレオンクラブがあった。
新品を買えるのは誕生日とクリスマスで、それ以外はThe BESTか低価格な中古品しか買えなかったが、買えなくても行けばワクワクを提供してもらえる場所だったように思う。
ゲームは当時の俺の全てだった。
様々な選択肢の中から、時に、暇つぶしの仕方なさで選ぶ大人にとってのゲームではなく、スポーツ少年団かゲーム少年かという数少ない選択肢の中で、後者を能動的に選んだ。
同じように後者を選んだ連中との共通言語は必然的にゲームになるわけだから、
それは、もはや、「お前は喋るな」ということと同じだった。
カテゴリー的には、基本的に、スポーツ少年団とクラスで積極的に発言できる者が陽キャだったが、彼らの中にも、俺たち程ではないにしろ、ゲーム好きがいて、交流はあった。
多くのゲーム少年たちの本所属は陰キャだったが、風向き次第では、陽キャの下~中ぐらいにレンタル移籍されることもあり、陽キャ・陰キャをはっきり区別できなかった。
だが、そんな学校内での立ち位置なんか関係ないぐらい、俺たちの周りで起こること、俺たちの注目するトピックスが世界の中心だったし、世界の中心は俺たちだという自負すらあったと思う。
ゲームはそれほどまでに、コミュニケーションを、密に、充実させたものにしてくれていた。
学年を重ねてもゲームは続けていたものの、徐々に熱量は低下していき、4,5年貯めたお年玉をはたいて、VAIO J(ディスプレーは現役)を購入したのは中1のことだった。
Age Of Empires 2の楽しさをクラスの気心の知れた連中に広め、PCゲームやネットの面白さにハマるのと反比例して、ファミコンショップ桃太郎やカメレオンクラブに対する思いはなくなっていった。
また、小6時は図工クラブという、プラモなど、好きなものを作る超陰キャクラブ(6年の在籍数3人)に所属していた俺が、中学ではバスケ部という陽キャ部活に入部したこと、学習塾へ行かされたことで、TVゲームに費やせる時間が単純に無くなったことも大きかった。
そして、いつしか、ファミコンショップ桃太郎もカメレオンクラブも潰れてしまっていた。
ゲームを嫌いになったわけじゃない。
PS4を持ってはいるが、FIFAシリーズしかプレーしなかった。
今でもFIFAシリーズは好きだが、最新作の購入は見送り、PS4をラクマに出品している。
大人になり、ゲーム以外の選択肢は増え、YouTubeは毎日見ている。
でも、ファミコンショップ桃太郎やカメレオンクラブへ用もないのに行き、得ていた、あの持続的なワクワク感は得られなくなった。
未だにswitchなどのゲーム機がそれを担えているのだろうか。
昔の俺にとってのファミコンショップ桃太郎やカメレオンクラブが、今の子供たちにもちゃんとあれば良いなとそんなことを思わせる記事であった。
1ヶ月程前にインスタをやめた。
やめてみて、結論から言うと弊害はなく、むしろメリットばかり感じている。
そのメリットについて書く前に、少々長くなるがやめた経緯について語る。
学生は夏休み。かくいう私も3週間という短い夏休みを得た矢先であった。
インスタのストーリーに流れてくる大量のリア充、リア充、リア充。
友人と遊びに行きました、飲み会、サマフェス、海、山、ドライブ、デート、部活遠征、帰省しました、旅行です等々...
よくもまあ毎日それだけ投稿するものがあるもんだと思う反面、自分が実家のベッドで寝ころびながら
友人のそればかりをスクロールしては眺め、スクロールしては眺め、を繰り返しているうちに気分が沈んだ。
夏休みに入る前から若干気分障害じみた気配はあったが、それが休暇を境にどっと来てしまい、
皆が外の世界でわいわいキャッキャ遊んでいる時間に私は過眠をかまし目が覚めても傾眠、
親にその自堕落を指摘されればブチ切れ物を壊し、暴言を吐き、ひとしきり暴れて泣くという行為を繰り返していた。
それでもやめられなかったのは人の輪から外れそうで怖かったからである。
大学に行っても「ねえ、昨日の○○のインスタ見たー?」という会話がほとんどで
休み時間がくればインスタを開きその話題でひとしきり盛り上がるのであった。
今や同学年のほとんどはTwitterでもFacebookでもなく、インスタで繋がっており、なんならLINEを超えちゃうんじゃね?という感じだった。
辞めることで他人を知れないことが怖かった。
今思うとインスタでしか繋がりのないような人間がどこで何をしていようが私の人生には全く徳も損もないのに、その時は繋がりを切ることが怖かったのである。
その繋がりに固執しつつ、他人の楽しそうな様子を見て気分を滅入らせ、どんどん自分を嫌いになっていた頃であった。
多分これ、好きな子いる人には分かると思うんだけど好きな子の投稿って無駄に細部まで見てしまうことない?
料理の写真の対面に皿が写ってるとか、他人を伺わせる内容が書いてあるとか。
なんなら怪しいと思った女の投稿まで全部監視してる系の女だったんだけど。
7月の終わりに好きな子が投稿した料理の投稿にさ、「○○ちゃんとの合作」みたいなの書いてあって
「#合宿」みたいなのが書いてあったわけ。
それでもう5月くらいからマークしてた女がタグ付けしてあったからその女の投稿にとんだら
「泊めてくれてありがとう」みたいなのが書いてあったわけ。
んでストーリー見返したら(ストーリーって足跡つけずに見られる方法あるからそれ使ってたんだけど)
好きな人のベッドに寝転がって間接照明で遊んでるっていう投稿がでてきたわけ。
てめー、24時間で消えるからって付き合ってもない男の家に上がり込んだ投稿するとかどういう精神?
それ「私やっちゃいましたよナマステー」って言ってるようなもんじゃね?
ああナマステ―はそいつらが作ってたのがカレーだからなんだけど。
って思いながら即トイレで吐いた(ストレスで胃炎も起こしていた時期だったので簡単に吐いた)
それでひとしきり泣いた後、自分が圧倒的にダメになっていっていることに気づき、
「インスタをやめたら人生が好転するのか?」という記事を2時間近く読み漁り、
どこの誰が書いたか分からない記事に背中を押される形で私はインスタを消した。
やめて2,3日は他人の行動が伺えないことが怖かったけれど、1週間も経てばどうでもよくなった。
あれだけ執着していた好きな人の動向伺いもできなくなってしまったけど、それは2週間くらいで「まあいっか」と思えるようになった。
3週間経過したころから、勉強する内容や人との会話が以前よりも頭に残るようになっていることに気づいた。
思えば人と話している時も、勉強している時もインスタで見てしまった内容について考えて気分が塞いだり、今何してるんだろうって気になって
しょっちゅうインスタを開いたりしていた気がする。
あとは、お父さんに言われたんだけど、結局人間の脳もスマホのパケットと一緒で、
動画はデータ量が多いから、1日に人間が記憶できる容量を圧迫してしまい
ゴミみたいなストーリーの映像ばかり残ってしまうのではないか、と。
(この理論だとYouTubeやネッフリでみている動画も容量食っていることになるがそれは認めたくないなあ)
だからその容量が解放された分、記憶力が向上しているのではないか、と。
まあ記憶が必要な仕事や試験がない人には関係ない話かもしれないけど
近いうちに大きな試験を受けることになる私にとってはとても助かることであった。
現実世界の楽しいこと、綺麗なこと、些細なことにスマホのカメラじゃなく自分の眼を向けられるようになったって感じる。
でも逆に言えば、「いいな」って思ったことは誰にも評価されない。自分の「いいな」で完結できる。
ちなみに私がインスタをやめたことなんて誰も気づいていなくて、
「○○のインスタ見たー?」とか言ってきた友達数人に「もうやめちゃったんだ」と伝えて全員が知らなかったレベルなので
まあそんなもんです。やっててもやめてても気づかれないんですよ。
自分が「いいな」って思ったストーリーを適当に流されて、投稿に適当に「いいね」押されてるに過ぎないんですよ。
押してるくせにどこ行ったか覚えてない奴なんて山ほどいるし。
友達も減ってないし、相手は変わらないだろうけど私はその人達に全力を注げるようになった。
だって喋りながらインスタ眺めることがなくなったんだもん。対峙しているその人との時間がすべて。
そんなわけで。タイトルはインスタをやめたら頭が良くなったっていう一面しか紹介できていないけど
実際はすごくいいことがたくさんありました。
何よりも自分が好きになれました。
そういえば。好きな子のことはまだ好きです。ここでは話ずれちゃうからしないけど、この記事だけじゃどう見てもクズ野郎ですが
どうしようもなかった私をたくさん助けてくれた人です。
でもその人は今インスタで毎日自分の作った料理を投稿するのに必死で、少しかわいそうだな、と思いますが
そんなことに執着している時間を使って、私はもっと賢くなって、綺麗になってやろうと思います。
最後に。インスタ辞めたってお母さんに言った時の言葉で締めようと思う。
タイトルちぎれてるっぽくて変えたけど、
『「無理して学校行かなくてもいいんやで」と言うと「軽く言うけどよ!!俺の将来どうなるんだよ!!!!」と返ってくる場合があるが、本来ならその状況以前に対策すべきだったんだよ。なので休息フェイズに入るしかない。』
ですね。
ツイッターとかに書けばいいんだけどなんかツイッターで意見言うとなんか超怒られる場合あるからここで。
■
夏休み明けが一番子供の自殺数が多いらしいということで、夏休み終了時期になるとツイッターで
「つらいなら無理して学校行かなくてもいいんだよ」「図書館等に避難していいんだよ」
といった発言が多く見られるようになりました。
■
それに対して
「そう言うけど将来とか考えると簡単にいかねーんだよ!!他人ごとだと思いやがって!!」
■
まぁわかんなくはないけど、
骨折してるし部活休めよと言ったら「練習休んだらプロになれねーだろ!!」っつって骨折した腕で投球練習してるようなもんなんだよな。
無理したところでより悪化するし、プロになるどころかその後の人生全体に悪影響及ぼすだけだし。
■
思いつめちゃうと、
「夏休みの宿題をやってなくて自殺」「成績が伸び悩んで将来を不安視して自殺」してしまった子に対して他人事じゃなく思うかもだけど、
それは例えるなら、
「おゆうぎ会で主役を取れなくて幼稚園児が自殺」くらいの…なんというか… そんなんで死ぬなよ…みたいな感じなんだよな。
■
■
お前はそうなる前に少しでも休息をとるべきだったけれど、そうは出来ずに頑張り過ぎてしまったね。
つーか学校って「学校行くのかったりーなー」とか思いつつもまぁまぁよろしくやっていくところであって、
「学校行きたくない…でもここで躓いたら将来が終わっちゃう…。もうやだ!!!!やだよおおおお!!!!」
■
「学校行かなくてもいい」という言葉に、特に関心を示さなかったり、大変な子もいるんだろうなと思ったり、まぁ実際サボってるしwwwみたく思うのが健全(?)で、
「不登校になったら将来終わるに決まってんだから行くしかないんだよ!!」みたいなマジギレ&マジレスをしてしまったらそれは赤信号なんだよな。
あとはお前が自分自身の状況を認められるかどうかというだけで。
■
「クラスメイトとかが普通に登校してるのになんで俺だけ…」みたいなみじめさや、
「『普通の人生』のレールから外れてしまった!!」みたいな絶望感もあるだろうけど、
【精神ギリギリだけどずっと頑張り続けて新卒で希望職種に就くも半年で精神崩壊してn年間ひきこもり&フルタイムで働けなくなって30代なのに年収150万いかない】
という未来を避けてほしいのが俺の願いなんだよな。
■
■
A.将来のために学校を休めなくても、それで死んだら本末転倒だし、身体と精神ぶっ壊すと超だるいから休もう。
A.休めという助言に対し「じゃあ俺の将来の保障でもしてくれんのかよ!!」みたいな思考・発言そのものが心療内科案件(ソースは俺自身)
A.実際に将来うんぬんを考えると、多くの人の今後の人生に超大きく関わるのは「大学新卒カード」なので、
不登校だろうが、浪人・留年・就職浪人をしようとも、将来やりたいことがあるならそこまでに帳尻合わせるように今休め。
■
とは言っても折角休んでも、「大学入る年齢までに治さなきゃいけないんだ」「新卒カード逃したら本当に人生終わりなんだ」
みたく考えちゃうのは良くないから、新卒カードが無くてもどうにかなる将来の夢・目標も候補として考えられればいいですね。
自分の夢や目標が無いなら、他の誰かの夢や目標の手助けが出来れば…… まぁそこまでいったら治ってるようなもんなのかな。
■
休息時に自分の将来、夢や目標を考えてみて、破滅的なものしか浮かんでこないときはまだ休息が必要なサインなので覚えておいてほしい。
お互いの家を行き来したり、駄菓子屋行ったり、他の友達も交えてたくさん遊んだし、一番の親友だった。
5年生だったか6年生のころ、いつものように一緒に学校から帰っている時、
増田くんの真似してやろっか?
と言って、変な顔をされた。そんな顔してないと言ったが、よくしてるよ、ほらっ。と、しつこくその変顔をされた。
あまりにもしつこかったので、思わず頭をひっぱたいてしまった。友達は泣き出した。痛かったのではなく、いきなり叩かれたことを避難された。
と言われ、その子は去っていった。
親友に手を上げてしまったことが悲しく、その後泣きながら家に帰った。
絶交だといった時のその子の恨めしそうな目が、脳裏から離れなかった。多分、人生で感じた初めての罪悪感だったのだと思う。
次の日学校でその子にすぐに謝りに行ったけど、無視された。それでもしつこく謝り続けたけど無視された。それでも謝っていると、だんだんその子もニヤニヤし始めた。
あぁ、許してもらえたんだと、とても嬉しかった。
ただ、その変顔の理由が分からなかったので、冷静に確認してみると、
増田くんはよく鼻の下をすごく伸ばしてる顔してるんだよ、変だよすごく、
と言われた。自分では気がついていなかったけど、鼻炎持ちだったので鼻がむず痒いときにしていたクセだったようだ。
後で鏡を見て確認したら、確かに変な顔だったので、意識してクセを直すようにした。
その友人とは中学を卒業するまで、ずっと仲良しだった。部活も陸上部で一緒になり、自分は長距離、友人はハードルを得意にしていて、共に切磋琢磨した。
趣味でカメラをしていて、過去にカメラを使ったバイト経験もある。職場の行事の際にカメラ係をしてから、職場でいいように使われていてどう断っていいのかわからないでいる。
困った事例
・部活動の写真撮影をしてほしいと合宿に参加させられそうになる
→自分が所属している社内の部活で試合の写真を撮ったところ、「ぜひ我が部でも!」と合宿に参加させられそうになった。都内から合宿地までの交通費、宿泊費はもちろん自己負担。そこそこ日にちが迫っていたため予定があると断ったが、次はどうなるかわからない。
→特に困っている事案。定年まで働いた方に勤続の証書みたいなのを渡す会が月一であり、前任が抜けたことによりその撮影係にさせられた。(管轄は他の部)。取られる時間も1時間超と長いのに残業代が出ず、かつその後のフォローがめんどくさい。退職した人にデータを送るに当たって私用アドレスを教えてもらったり、アカウントの開設の案内したこともある。
管轄も違うし万が一の責任も取れないこともあり、上司に断ってくれと相談したが動いてくれない。個人的には後任をたててもらって技術講座的なのをしたい....。
みなさんならどう切り抜けますか?助けてくれ....
[以下、追記です]
みなさんしっかり表明してるんだなぁ〜というのが第一の感想です。
「仕事じゃないじゃん」っていうコメントが目から鱗でした。たしかにこれはボランティア〜。
不満点として一番大きいのは、仕事としては評価されなくて、かつ賃金が発生していないことなのかなと改めて考えました。あとは単純に写真整理やら加工やらでめんどくさい。搾取されてる感覚がつきまとっています。一度安請け合いしてしまったツケなのでしょうが。
「業務として受ければ」というコメントにたいしてですが、色々経緯があり、うちの部では「業務に関係ないこと」という位置付けになっており、残業申請も通りません。
とりあえず、カメラ依頼してくる部活の秋合宿の日程をスケジューラーで確認したので、それまでに逃げ切ります。
ありがとうございました
相手チームの主力や控えの投手が次々と肩を壊し、野球部員が監督に反抗して、試合をボイコットしたり、あるいは野球部員が成績不良で部活禁止になったりする中で、のほほんと過ごしていたチームが、残った二軍三軍級の相手に勝ち進むのだ。
この前ボーッと考えたこと
例えば自分の仕事がチーム戦の場合、チームメンバーのレベルによって成否が変わってしまうことがある
こうなると、自分の力量だけじゃどうにもならない
スポーツとかでよくあるね
スポーツとかだとそれでも1チームが優勝するけど
仕事だと、全員勝ちとか全員負けとかもある
労働者っていうのはピンきりなようで居てそうではない
例えば医療業界なんて皆頭良いけど、安い業界だとほとんどが頭悪かったりもする
東大卒がよってたかって頑張って失敗する領域もあるし、誰がやってもある程度成功する領域もある
あれ、何書こうとしたんだっけ?
そうだ、あるチームで周りが仕事に対してあまり良い成果をあげられなかったら
一人で頑張っても成功はできない
それなら移籍(転職)するしかないけど、業界全体の平均的な成功率からは脱することは非常に難しい
・チーム戦をしない、個人戦をする
・育成された良いチームに所属する
・チームを自分で作り育成する
と気づいた
自分の居る業界はそれでも他業界よりはまだマシだろうけど、業界レベルで詰んでると脱出きついな
と思った
例えば自分はx年前に1000万を超えて、次は2000万だなと思って行動してるけど
周りは600万くらいで満足してワークライフバランスとか意識し始めるから、温度感が合わない
部活に例えるなら自分は全国大会で上位に入りたいのに、どのチームも地方大会しか見てない感じ?
かと言って全国大会目指してる人を探すのは至難の業だから、もう個人戦に出るしか無いよね、となるけど、その競技に果たして個人戦が有るのか?っていう
こう考えると、野球廃人達が強豪校に集まる理由って納得できるな
今度改めてちゃんと考えよう
物心ついた時から、誰かに褒められたり自分が特別な存在になる妄想ばかりしている。頭の中に隙間ができれば必ずそのことを考える。
最近でいうと街で困っている人を助ける、難しい仕事を自分の裁量でやり遂げる、転職に成功して大活躍する、などなど。共通しているのは、困難を克服して成果を上げること、どのシチュエーションでも目撃者がいることだ。それも私のことを知っている人が現場を見ていて、一目置いてくれる、評価してくれる。
認められたい気持ちがあるのは分かっていて、実際に人に褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。誰だって認められたい気持ちはある、人並みのことなのかもしれないが、あまりにも執拗に常にそればかり妄想してしまうので、何かあるんだろうと思い始めている。最近は私がシングルマザーとして立派に子どもを育て上げて周囲に認められたいがために旦那に死んでもらうのもいいかなとまで妄想している。
小さい頃はよく褒められた記憶もないけど、褒められなくて悲しかった記憶もない。両親は生真面目な人たちで、これからの時代は女も男と同様に自立できるようにと育ててくれた。私自身も真面目な性格なので突飛なことをしなかったからかもしれないが、基本的に放任で何でも好きにさせてくれた。小学生の頃、青や紫のスニーカーに男の子用のマウンテンバイクに自分をボクと呼んでも咎めなかった。部活も習い事も自由だったし勉強を強制されたことはない。夜更しして勉強していると早く寝ろと無理矢理消灯させられた。
一般的に見れば恵まれた人生だ。勉強は中学校まで学年トップで高校は進学校、旧帝大を卒業して都内の大企業に入り結婚して子どもを二人産みやりたい仕事を続けている。全て自分が望んだことの結果だ。
なのにどうしてこんなに褒められたくて認められたくて一目置かれたいのだろう。親子関係に原因があるのではとずっと考えていたが、書いてみると人並みだ。他に原因があるのだろうか。
だいぶ昔から「乳揺れは乳を傷めるのだ。将来張りのない垂れ乳になるのは見てられないのだ。真の巨乳好きは乳揺れを望まないのだ。(でも股間は正直なのだ)」程度の言説は割と主流派だったと思うけどなぁ。
だからと言って別に「俺たちはこんなにも優しいんだぞー!」とか言うつもりもないけど。(そもそも俺個人は巨乳も乳揺れも好きでないし、肯定的にも否定的にも言及したことが一度もない。)
そんな「揺れるのが見たいからこんなのなくなれ!」とかいう一部の愚かな言説を拾ってこられてもなぁ。
「愚かな奴を批判してるのであっておまえに話しかけてない」と言われれば、まあそうなんだけどねぇ。
このブーバンドってやつ、つけたらいくら飛び跳ねても胸が揺れない素晴らしいアイテムなので、出来たら誰かがバズらせて体育や部活で揺れのせいで痛くて悩んでる女の子達とかに届いて欲しい
アマゾンで3千円くらいで買えるよ pic.twitter.com/NIWrKUD0pC— 山野@グッズ交換アカウント (@akatsuka_yamano) August 22, 2019
Aくんは○○というジャンルのキャラクターだ。二次元。わたしは作者の半ば公認で、次元を越えて二次元の男と結婚した。
Aくんとの出会いはわたしがまだ学生のころ。もう10年以上も前になる。
わたしはその原作が大好きで、10年の間に他のいろいろなジャンルにもはまってきたけれど、落ち着くと○○に魂が戻っていった。
記念に作者さんのサイン会が開かれることになり、わたしも運良く当選した。
サイン会というものは初めてだったけれど、周りにいるのがみんな○○を好きな人という空間というそれだけで気分が高揚した。
10年以上もの間愛した世界を作った神様みたいな存在の人と会う。就活の面接よりも、部活でソロをもらって楽譜一枚ぶんの長い間注目されながら演奏したときよりも緊張した。
登壇された先生も緊張されたご様子で、それでも堂々と読者の我々への感謝やご挨拶をされていた。
サイン会のことは今でも鮮明に覚えているし、たくさん連ねたい感情や思い出はあるけれど、この記事のメインはそれではないので端折って進めようと思う。
わたしの番がきた。
他のサイン会というものがどういうシステムかはわからないが、このサイン会は応募したときの名前が名刺くらいの大きさの紙で用意されていて、順番がくるとそれが読者→スタッフさん→先生へと渡され先生がサインと宛名を書いてくれるというものだった。
先生「あ!」
わたし「わわ……」
繰り返しになるが、わたしは10年以上前から○○が好きだ。Aくんが好きだ。
応援の気持ちで、単行本がでると、とりわけAくんが登場していると(Aくんは一年出てこないこともあるくらいのキャラ)ファンレターを出したりした。二回だけバレンタインにAくんにチョコをお送りしたこともある。
それは少しだけ熱心な普通のファンの範疇だったはずだったけれど、覇権ジャンルのような人口ではないためか、先生はわたしの名前を覚えてくださっていた。
もちろん本名は井上とか吉田とかのありふれた名前で、馬喰町太郎だなんてパンチのきいた名前ではない。
元気良く挨拶して、お祝いのお言葉と、サイン会という機会を設けてくださった感謝と、作品への思いをお伝えしよう。そうして考えていた言葉が全部吹き飛んだ。
先生は、すみませんお名前見てはっとしちゃってと笑い、隣で色紙の用意などをされていた方(担当編集さんでした)に「Aの馬喰町さん!」とわたしのことをお伝えされた。
そしてわたしには長い間○○を読んでいたお礼と、わたしが先生やアシスタントさんや担当さんの間でAの人で通っていることを話された。
長年作品を支えた(という言い方はおこがましいものの先生のお言葉を借りて)一介のファンにはこれ以上ないお言葉だった。
当然、古参ファンへのリップサービスだと理解していたし、本気でないからこそわたしも「えーっwwwありがとうございますwww」という軽めの反応をした。
冗談やお世辞で言っていただいたことでこんな記事を書いたりはしないし、この記事は自慢のつもりでもない。理由はこの先を読んでもらえるとわかると思う。
わたしはSNSをしている。漫画やゲームなどのことを話す用途のアカウントで、サイン会に行ってきたことを軽く話した。
「Aくんをわたしの嫁に出すしかないと言っていただいちゃったので今日は結婚記念日😂」という文面で、本気らしさは感じさせなかった。と思う。
それから数ヵ月が経ち、即売会のイベントに先生が参加され、○○の最終回後のお話が同人誌という形で頒布された。
Aくんはそのご本の中で既婚者になっていた。(※相手がいるという記載のみで、奥さまはお名前すら登場していない)
わたしの話になるが、わたしは基本的に作中の男女カプが好きな腐女子だ。腐カプを好きになることはたまにしかないが、♂♀、♂♂どちらでも固定厨。
ただし、公式の推しカプには従うし、推しが幸せになるのを祝福できるし、公式で好きな異性がいる男をホモにする腐女子は公式アンチか?それともエアプか?と思う。推し♂♂がそれぞれ女の子とくっついたら公式を受け入れる。
わたしはAくんを腐カプの受けとして見ていた。
でもAくんが女の子を好きになって、女の子と結婚して幸せなら、わたしは祝おう。BAのことは諦められる。幸せになってね。そう思った。偽りはない。
ご祝儀袋にファンレターを入れて(本当は本当にご祝儀を入れたいくらいの気持ちだったけど現金はだめなので)気持ちばかりの差し入れのお菓子をお祝い代わりに、ご結婚おめでとうございますという旨とご本の感想をしたためた。
数日後の先生のSNSに、「お祝いされるべき方にお祝いをいただいてしまった😂」という旨の投稿がされた。
遠回しに結婚相手はわたしだと仰っている。わたしにしかわからない形で。
これは完全に自意識過剰なのだけど、先生がわたしのSNSを見かけた可能性はあった。もっというと、以前からチェックをされているかもしれないという気もしていた。(そのため当該アカウントでは腐関係は隔離して、見られても困らないごく一般的なファンの投稿だけになっている)
この理由はどうにも暈しようがないので伏せさせていただくが、サイン会のときの投稿よりも前からそこはかとなくそんな予感がしていた。
だからサイン会の後に、なんにも投稿しないことでなにか変なこと言っちゃったかななど思わせたくなくて(わたしはネガティブなのでわたしならそうなる)、喜んでみせたのもある。
だから、今回の先生の投稿も、わたしの反応待ちなのではという感覚があった。当然自意識過剰だ。
自意識過剰だけど、ともかくわたしもSNSを投稿した。先生が遠回しに伝えてくださるのはわたしと他のファンの方双方へのお気遣いだし、わたしも大層喜んだ様子で詳細は書かず感謝を綴るのみにとどめた。
ところが先生のご本を読み、かつ先生とわたしのSNSのどちらも見ていた方には察せられるもので、配慮が足りない、常識がないと言い出す人がいた。
(正直、ご自身の立場だったらおまえはもっとなんにも伏せずに狂喜乱舞で全部ツイートするだろうと思うそういう性格の人だ。)
わたしは腐女子でBAが好きだった。Aくんが結婚したからそれを受け入れた。
しかし相手がわたしとなると話は変わる。わたしじゃAくんを幸せにできない。でも、自費出版とはいえ公式でAくんは結婚した。
公式を受け入れないのは公式アンチという信条と、10年の推しカプを自分自身のせいで諦める苦しさで板挟みになった。
チョコを送ったのがよくなかったのか。それくらいみんなやってる。
ファンレターだって、腐要素こそ滲まないよう努めたが、夢感情は元々なかったのでAくんと結婚したいなどということはもちろん書いたことがない。表情や言動を事細かに好きだと綴っただけだ。
サイン会で喜んだのも長いファンを喜ばせようというお心遣いが本当に嬉しかったからだ。
誤解のないように言うが、わたしが喜ぶかなと結婚までさせていただいたご厚意自体は本当に嬉しいし、この上なくありがたい。
ファンとの距離感が近すぎるとは思うけど、お気持ちは本当に本当に嬉しいし、それほど大事なファンだと思っていただけてることは誇りです。○○を好きでいて本当によかった。
でも推しカプの片方が結婚してましてその相手が自分という事態はどれほど複雑(オブラート)な気持ちか、固定厨の方なら多少はご想像いただけるだろうか。
ご厚意に厚意と感謝を示したくて喜んでみせたら上っ面だけを見た界隈の一部の人間に常識がないと思われること、それにこういった反論をできないこと、本当に頭にきてます。
言い方を選ぶのをやめさせていただくと、お前らただの嫉妬だろ?
怒ってた一部は夢女子で、夢女子の全員がそうだとは思わないけど、ああいう場で喜ばないほうがよっぽど世渡りの常識ないのに夢界隈のローカルルールにあわなかったんだかしらないがよく自分こそが常識みたいな面ができるな。何様だよ。
○○のことは今でも大好きだし、Aくんのことも一生の推しだと思っているけど、今は創作するのもしんどくてそれ以降別ジャンルばかり描いている。
再度になるが、わたしは固定厨腐女子なのでこの記事は自慢でもなんでもない。
わたしが表立ってこんなことを言えないから連中だけ好きに愚痴を言えるのがムカつく一心で書きました。
作者に見られてるかもと自意識過剰にでも思った時点で鍵かけろとかオタクは原作者の目に触れるなとか、わたしにももちろん落ち度はある。(その点を反論させていただくなら、わたしに怒っていた夢女のほうが先生に直リプをバンバンしているはばからないオタクです)
これを読んでくださった方にもわたしのほうがよくないと感じる人もたくさんいると思う。わたしかわいそうでしょう同情して!というつもりならもっと自分に都合の悪いところは伏せて印象操作して書いている。
本なんて読まない子供だったから、原稿用紙3枚ノルマだったりの読書感想文は地獄だった。
小学生の頃はゲーム大好きっ子だったし、中学時代は部活部活って感じで本なんてまるで読もうと思わなかった。
本を読むのが楽しいと思うようになったのは高校生くらいだった。受験が終わって時間ができて、家に置いてあった京極夏彦さんの本を興味本位で読んだのがきっかけだった。父や姉が読書好きだったおかげである。
現代の夏休みの宿題にも読書感想文はあるのだろうか。教養とか読む習慣を身に付けさせたいのだろうけど、本に興味がない小学生にとっちゃ地獄の期間だ。宿題も選べるようになればいいのに。
結局のところきっかけが大事だと思う。一つのきっかけで始められる人がいれば、きっかけがなくて興味が湧かない人だっている。
読書感想文を今書けって言われたら書けるかな?
やっぱり感想文は苦手だ。
運営は熱中症の怖さを軽視してるとしか思えない。夏の太陽は人の命を刈り得るという事を知った方が良い。そして熱中症に年齢は関係ない。若いから大丈夫だろで済まない。単位で釣って学生を炎天下へ引きずり出すようなやり方が本当に気にくわない。
自分語りになるけど許してほしい。俺は熱中症経験者(幸い軽度)。高校一年の時発症。当時屋外スポーツの部活に所属してた。体調がおかしくなって病院に行ったのは寝起きの朝だった。吐き気や呼吸の乱れに襲われて冷静じゃ居られなかった。熱中症は時間差で来ることもある、俺もそれだった。
点滴を2本打つことになった。医者曰く、点滴1本打つと普通は尿意を催すらしい、血管に直接水分を送ってるから。俺は1本打ち終わっても尿意が全く来なかった。2本めの終わり際にやっと催した。ひどい脱水状態だった証拠だと医者に怒られた。
この経験以来体質が変わった。まず集中力や思考力が落ちた。頭に靄がかかった様な、スッキリしない状態が常態化した。多分脳にダメージ行ったんだと思う(検証したわけじゃ無いけど)。
それと極端に暑さと日光に弱くなった。毎年夏になると倦怠感でロクに動けなくなる。それに頻繁に吐き気や頭痛や寒気に襲われる(暑いのに寒気がし出す事があるんだよ、不思議と)。この前なんて仕事で半日ほど車の運転しただけで頭痛と疲労感に襲われて、帰宅後ベッドの上で2時間くらい動けなくなった。車内はクーラーを効かせてたにも関わらずこれだ。
因みに死んだ俺の祖父も畑仕事中に熱中症で倒れた事があった。年齢の割には身体も大きく、頭もしっかりしてて、とにかく元気だったのに。熱中症を境に元気が無くなって、身体は痩せ細り会話も以前ほどハツラツと出来なくなってしまった。熱中症になってさえいなければ、もう少し長生きできたのかなといつも思う。
熱中症は毎年ニュースで騒がれてる割には、やっぱり実体験として苦しんだ事ない人は軽視しがちだと常々感じる。先日も上司にゴルフに誘われたけど熱中症が怖いからと断った。ゴルフ以外にも夏場の誘いは基本断ってる。そうすると大体「若いくせに、男のくせに、情けない」と言われる。
1度だけヤケクソで誘いに乗った事があった。案の定体調が悪くなってダウンした。その時の同僚は青い顔して日陰で横たわる俺を見てやっと理解を示してくれる様になった。
こんな調子だから俺は夏が怖い、毎年夏が来るのが本当に怖い、夏ってだけでメンタルが病んでしまう年もあるくらいだ。そしてその怖さを知ってるからこそ、学生を半強制的に動員しようとしてる今回の方針には怒りを禁じ得ないし呆れ返ってる。未だ熱中症対策が整ってない中、ノルマまで課してボランティアを募るなんて馬鹿にしてるとしか思えない。
俺は言いたい。ボランティアの要請が来たとして、自分の体力や体質や体調に不安があるなら躊躇わず断ってください。断りきれず強制的に参加させられる事になった場合も、勇気を持ってボイコットしてください。熱中症について理解を示してる人は、恐らくまだまだ少数です。苦しむのはあなた自身です。周りの人は苦しむあなたを見て「まさかこんな事になるなんて…」と無責任な事を言い放つだけです、残念ながら。
もしそれで五輪が大コケや失敗に終わったとしても、それはあなたのせいじゃありません。無理な運営計画が祟り失敗するべくして失敗するってだけの事です。
積極的に参加したい人、使命感を持って携わりたい人は是非五輪を盛り上げてください(体調管理にはとにかく気をつけてください)。こういった熱い想いを持つ人が自主的に集まるからこそ大きな力を発揮するのが本来のボランティアだと思います。
最後にくどいようですが、夏の太陽は時に命を奪います。熱中症になったら後遺症が残る事もあります。若さや根性でどうにかなるもんじゃ無いんです。運営がその事を理解してくれる事を願います。そして熱中症で苦しむ人が出ない事を祈るばかりです。