はてなキーワード: 軽食とは
朝雨音が聞こえて、
凄い雨かと思ったら外に出たら案外そうじゃない弱い雨の時とか、
ご近所さんのガレージに当たる雨音がすごく大きく聞こえるから、
朝雨音で起きると大概大雨なのかな?って思うけど、
だいたいはそんなに小雨だったりするのよね。
嘘です。
なんかさー、
雨降るかなと思って長い傘持って行くも、
降らなかったらなんかそれはそれでいいんだけど、
雨が降り出したら降り出したで
目的地まであともうちょっとの距離で傘さすかささないかのチキンレースみたいに
もう目前と言うところで傘さすと、
なんか負けちゃったような気がするし、
大雨なんじゃない?って勝手に思うあのなんて言っていいのかしら。
降水確率と降水量って比例してる感じがして、
100パーセントの時で小雨だったりすると
100パーセントじゃないのかよ!って雨の強さの割合に勘違いしてしまうこと、
分かっていてもなかなかその先入観は拭い去れないわ。
最近はものすごく天気予報の精度が上がってきたみたいなんだけど、
見るところでまちまちな違う予想が出てるときは
何を信じたらいいのかしらって
結局人は雨雲を見るのよね。
開けて閉めて開けて閉めたら入れなーい!って
要はドアトゥードアを地で行くような、
家に帰り着くまでが遠足のように
家に帰り着くまでは雨やんでて欲しいし降らないで欲しいわ。
実際アイパッドで何に使って良いか全く分からない暗中模索の和洋折衷案もいいところよね。
普通にポインティングデバイスとしては使えるけど、
そんな居酒屋のようで
外に出たら雨だったってオチ。
まったくよね。
それで街を歩いていて、
まあはっぴはいいとして、
三度笠って言うチョイスはなかなか渋いわねって
感心したところよ。
でも雨対策としては今やっぱり再注目して欲しくべく
三度笠と蓑って言うのも案外東京オリンピックで手放しで使える頭に付ける日傘よりはカッコいいと思うんだけど、
やっぱりあの三度笠の渋さがいいのよ。
三度笠と蓑やると
まあいろんな人に使ってもらいたいわね。
実は売れ残った三度笠が重たくて横着してお地蔵さんに被せて手軽にして帰りたかったのが裏目に出て、
恩返しを喰らうという、
もうおじいさんは婆さまに横着したことを言い出せなくなっちゃって
あの絵図らだけは
アルプスの少女ハイジの谷地の父を煮込んでいる何かあの美味しそうな食べ物に匹敵する
でもバッ様は
ジッ様が横着してお地蔵さんに笠被せて帰ってきたことはもういつものことで見破っているから
あとでバッ様が回収しに行っているというところまでが恩返しみたいよ。
みんな不思議に思わないけど
桃太郎の桃がなんで流れてきたことだけに関しては当たり前のように
誰も突っ込まないそこの伏線は全く回収されていない謎だけが桃に入っているワケなのよね。
そういえば、
あの桃誰が流したんだろう?って
そうじゃないかも知れないわね。
うふふ。
今日は真面目に
いいレモンがあったので、
皮まで使えるレモンだったので躊躇せずに輪切りにして
なんか気の効いた良い喫茶店の様なテイストにはまだまだほど遠いけど
そんなレモン水を目指したいわね。
あれはあれで
なかなか喫茶店の味をめざすとなると難しいのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
雑貨屋さんは、手軽に言えばLoft、マルイ、駅ビルアトレの構内ショップ(2Fに多い)なんかに固まってる。
路面店には、アンティーク食器を売ってる店(吉祥寺PukuPuku)や、セレクトショップ的なおしゃれショップもある(フリーデザイン)。
あと吉祥寺にはおいしい店がそれこそ山ほどあって、ラーメン(一蘭)やカレー(まめ蔵)、パスタ(麦と卵吉祥寺店)なんかの軽食系の美味しい店もあれば、たいやき(天音。めっちゃおいしい)、ケーキ(多奈加亭)、和菓子店(とらや)、なんかのスイーツ店もある。
ちょっと奮発していいなら、めっちゃおいしい(予算1人前4000円くらい)イタリア料理店(シャッター)とかもあるし、なんなら渋めに、旨い鰻屋さん(うな鐡)なんかも。自分は入ったことがないんだけど、サラダ専門店(CRISP SALAD WORKS)とかのスーパーオシャレ飲食もある。
肉が食べたければ、味としてはサトウの2階が最高にオススメで、東京でも有数レベルにステーキがうまくてリーズナブルんだけど、めっちゃ階段が急で店内も超狭いので、ちょい入りにくい。雰囲気より味重視のカップルならぜひ。ただホントに狭いよ。
あとは(NICK NICK)っていうグラムで注文できる店もめちゃ旨い。ちなみにいきなりステーキもあるけど、他のステーキ店のグレードが高すぎるので、まったくお勧めしない。
ただ吉祥寺はなんだかんだ飲食激戦区なので、旨くない(不味い、ではない)店は一瞬で潰れるので、どの店に入ってもほぼどこでもおいしい。
アトレ本館1Fには食品街がある。ちょっとスーパー味があって、そういう雑多な雰囲気がきらいじゃなければ、おいしいお惣菜やスイーツ屋がたくさん集まってる。すっごいおしゃれな屋台街、というのが一番近い。
3. コピス
4. パルコ
それぞれの特徴を一言でいうと、アトレはそぞろ歩きが楽しい、キラリナはファッション館、コピスはびっくり箱(1階の奥の奥にオジサンが1人でやってる老舗傘専門店があったりする)、パルコはバランスが取れた古き良きエンタメモール、って感じかな。東急デパートとかもあるけど、なんということもない普通の百貨店。普通にキラキラしてる。
ジブリじゃなくて本当の「美術館」がよければ、コピスっていうモールの上の階にある(武蔵野美術館)。
映画館は4館ほどあって、雰囲気でいえばパルコ地下の映画館(アップリンク吉祥寺)がデートにお勧め。サブカルチックな単館上映館もある。そのへんは好みで つぶれてた。跡地はなんとコンビニ。
散歩も、井の頭公園があって、ご時世がらベンチが使えないとか制約はあるけど、売店(今は閉めちゃってるかなー?)もあるし公園もあるし芝生もある。池の周りをのんびり歩くだけでもかなり和むよ。井の頭公園の中を三鷹の方に歩いていけばジブリ美術館まで歩けるよ。
ブティックや雑貨屋などの女性向け路面店は、僕はまったく分からないんだけど、高1の姪っ子、40代の女友達、76歳の叔母さん誰を連れて行っても、道端を歩いているだけで全員「めっちゃ楽しい!なにこの店ー!入りたいー」を連発するので、年齢問わず、女性には歩くだけでも相当楽しい場所の模様。
ユニクロがでっかいので、楽しいことは楽しいよ。まあ、売ってるのは結局ユニクロだから、どうということはないんだけど。他のファッション店やブティックはよく知らないが、まーとにかくたっっくさんある。
総じて、アトレ、ピコス、パルコあたりがモールとしてはお勧めで、歩くだけでかなり楽しいはず。
アトレがお勧めなのが、ぜんぶフロアショップなので店構えがめっちゃオープンで、変に入りにくいブティックとか小物屋とかが全然ないこと。店員さんにもめっちゃ気楽に話しかけられる。
あと穴場的には「中道通り」っていう道ががいわゆるオシャレ通りで、おしゃれ雑貨屋やおいしい料理屋の路面店がうじゃうじゃ集まってるので、軽くぶらつくだけでかなり楽しい。
これらに加えて、スタバとかエクセルシオールとか星乃珈琲とか、気負わずちょっと休憩できる喫茶店もたくさんある。
あとは、自分はよく知らないけど、寄席があったり、脱出ゲーム店があったり、素朴なゲーセンがあったり。
アニメ・ゲーム系はこれまた詳しくないけど、ヨドバシ行けば大量の商品が陳列されているので、本場アキバほどのマニアックさを求めなければ十分じゃないかな。
吉祥寺がいいところは、新宿渋谷に比べて街の規模が小さいので、町中の移動がめっちゃ短くて済むところ。気楽にうろうろできる。
街に出るのが久しぶりだったので、買い物をした
綺麗だなあと思った
心がもう少し元気だったらもっと感動したのかな
写真を撮った
寒くなったので移動して中華を食べた
帰り道、今日友人と話したことを考えながら歩いていたら悲しくならなかった
少しずつ、心は元気になっているのかもしれない
1950年代に考案された最初のAIであるニューラルネットワークは、1990年代には実用化した。
2000年代に多層ニューラルネットの欠点を補完する深層学習が誕生すると、
やがて民生用の量子コンピュータが普及し始めると、AI の量子演算化研究は当時のホットトピックとなった。
だが、高度に複雑化した量子化AI理論を理解できる学者は世界に数人しかおらず、論文の査読に8年もかかったという。
その実用化にはさらに多くの年月を費やしたが、身の回りのあらゆる電子機器に搭載されるようになった。
量子化AI の導き出す結論は常に最善・最適なもので、人々は機器に言われるままに行動するようになった。
その方がいつも快適だし、無駄な思考コストも要らないので当然のことである。
電子機器の指示に従って暮らす人にとって、 AI は神であり、その言葉はご神託となった。
その昔、SF作家のアーサー・C・クラークは、
と言ったが、
という世界が具現化したのだった。
考えてもみてほしい。
ものごころつく前から、機器の指示に従うことが善とされ、それに逆らった人間には事故や病気という罰が与えられる。
祖父母も両親も私もそうやって暮らしてきたし、将来産まれてくる子や孫もそうするだろう。
今、私に与えられている指示は「ロウドウ」だ。
畑を耕し、野菜を育てる。
私の担当はトマトで、午前の担当区画では種まき、午後は別の区画で収穫をする。
水まきは週に1回なので今日は無い。
住人全員が食べる分のトマトを運ぶのはかなりの 運動 になる。
牧畜担当に憧れが無いわけでもないが、友人曰くミルクの運搬がかなりキツいらしい。
夕方には、その日食べられる食材を持ち寄って集計し、グループ単位で調理して食べる。
食事は1日2回。朝はパンとミルクだけの軽食なので、夕食が一番楽しい時間になる。
友人ともいっぱいおしゃべりできる貴重な時間。
食後の片づけを終えたら、睡眠室に戻り、私は「メイソウ」をする。
正直に言うと、この2時間に具体的に何をすればいいのかよく分からない。
お母さんは、何でもいいから自分一人で考えることが大事というし、
お父さんは、妄想でもしとけばいいという。
昔の人の暮らしを想像するのだと言って、なぜか神話を語ってくれた。
人々は神様のことが良く理解できず、勝手に悪い神様を創り出してしまったこと。
それを見かねた良い神様が「フネ」という新しい世界を創造したこと。
その「フネ」はいくつもあって、この「フネ」に宿る神様の名前は…
なんだっけ。一度はちゃんと聞いたんだけど、今はもう思い出せない。
ピピピピッ。
腕にはめられたリングが光り、「メイソウ 〇」の緑の文字が浮かび上がった。
すぐに「スイミン」の指示を示す青い文字へと変わった。
どうやら、今日の「メイソウ」も無事終えられたようだ。
昼間、体をたっぷり動かしたせいで、今夜もぐっすり眠れるだろう。
私は、どうしても思い出せない神の名を妄想しつつ、静かに眠りについた..。
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Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
コロナの影響で家にいるようになって、天気がいい日にしていた散歩をやめた。
コロナの影響で毎週のように会ってた友人と出かける機会がなくなった。
コロナだから外に出る機会を減らそうと買い物をまとめてするようになった。
コロナだし、何かあったときのためにと軽食や飲み物を準備していた。
しかし、私は現在休職中の身。つまり、定期的に外に出る事もなく頭も体もろくに動かすことがなかった。
なのにご飯だけは毎食仕事してた頃と変わらない量を食べる。なんなら自宅に篭るストレスから無駄にお菓子まで食べるようになった。
まぁ、正直これだけだったらカロリーセーブするなり家の中で運動すればいいかな?と思った。
少しずつ月経が狂い出した。
初潮から今まで一度も狂った事が無かったのに、突然二ヶ月に一度の頻度になってしまった。
更に呼吸がし辛くなった。
何というか、息を吸った時に肺の半分くらいしか息が吸えなくてすぐ吐き出してしまう。
マスクをしてるのもあって、すぐに息を切らしてしまうようになった。
コロナは熱がない場合もあるというし、感染を疑ってより家に引きこもってしまった。
何かをやる気力がなくなった。
やらなきゃいけない事は目の前にあるのに、どうしてもやる気が起きない。
気持ちが沈み、生きる事が辛いとさえ思った。
原因不明のこの症状にずっと悩んでいたのだが、色々調べた結果全て運動不足が引き起こしていたと分かった。
コロナ以前は毎日外に出るようにして、歩くなり買い物のついでにサイクリングするなりしていたのをやめただけでこんな症状を引き起こすだなんて思っても見なかった。
風は冷たいが木々のざわめきが心地よく、適度に歩いては無理しないように休憩を挟み深呼吸した。
たったそれだけで息苦しさはなくなり、家に帰ってもやる気が湧いたままで溜まっていたやるべき事も片付けられた。
コンビニは社会のインフラみたいな言い方をされることがあるけれど、当店のオーナーにはそういう意識は全くない。当店は幸か不幸か立地が物凄く良くて儲けがあるらしい。オーナー夫婦はコンビニ経営で得たお金で子供達全員を育て上げて良い職に就けて全員結婚させることに成功。もはや惰性と道楽で店を開けている。なのでこれ以上頑張る気がないので、夜勤の求人をしても人が集まらなくなったら、あっさりと夜の営業をやめた。
夜間営業のないことでお客様達からのブーイングを喰らったのは、私みたいな閉店の直前まで働いているバイトだった。
お客様の訴えでちょっと気の毒だなと思ったのは、近くにある総合病院のお医者さんからのもので、当店のある一帯は近くに民家がほとんどない為に、道路に照明が一つもないのだけど、そういう場所でも夜勤の看護師さんなどが自転車や車で通勤をしていたりする。真っ暗な長い道程の途中、当店が営業しているのは、看護師さん達本人にとっても共に働くお医者さんにとっても安心感がすごくあったらしい。
そして、道路に面し、高速道路の乗り降り口も遠くない所にある当店は当然、トラック運転手達に休憩所替わりにされていたが、夜勤を辞めてからは駐車場も閉店と同時に利用を禁止してしまった。トラック運転手の人達は適応が速くて、あまり文句は行って来ず、別の店で休むことにしたようだけれど、最近の世論に後押しをされて夜間営業を辞めるコンビニが相次いだら、彼らの行き場はなくなるだろう。そして、当店の近隣地域は夜勤労働者の確保が無理という理由が最大で、夜間営業を辞めたがっている店舗が多い模様。
当店は昼間の売上の良さと長く経営してきた実績から、本部に対して強気で出られるらしく、地域でも早いうちに夜間営業を辞める権利をもぎ取ったらしいが、売上的にはダメージがでかくないことを証明できたということなので、他店でも要望すれば夜間営業を辞める申請が通りやすくなったかもしれない。
夜間営業を辞めたのと同時に、オーナーは売れ残りを出さない為に、深夜早朝ぶんの米飯とサンドイッチの仕入れ数を少なく絞るようになった。惣菜パンはといえば、主に深夜に入荷するものだったのが、午前の入荷に頼るようになったから、夜8時頃にはほぼ売り切れて無くなるように塩梅されるようになった。
えっじゃあ早朝のぶんどうするの!? って話だ。深夜営業をしていた時は、売上のピークが午前5時頃にあって、次のピークが7時頃だった。昼間に比べたら少ないかもしれないが、夕方のピークと匹敵するかそれ以上らしい。その時間帯の売上も、オーナーは切ることにしてしまったのだ。夜勤バイトの人が知る限りはすごく軽食の売れる時間帯だったそこを「どうせ売れない」とデータも見ずに切ってしまった。よって、朝の通勤途中に急いで朝御飯にサンドイッチを買っていくようなお客様達は無駄足を運ぶことになったはずだ。
でもまあ、忙しい人達の適応力は凄まじく速いので、二、三日棚がガラガラになっている所を見れば寄り付かなくなるわけで、オーナーが言った通り、朝は「売れない」時間帯となる。
夕方も、もちろん閉店間際に売れ残りがあると損だからということで、午後6時くらいには棚がだいぶ空いている感じで、7時半頃には大体空っぽになる。近頃はコロナの影響で来店時間をずらす人がいる。外食難民になったのかこれまで見かけたことのない人が来たりもする。そんなとき、棚に弁当は一つもない。お客様は空っぽの棚を見て怒って帰ってしまう。
去年のレジ袋有料化もすごい悪影響があったけど、深夜営業の終了やそれに伴う朝夕の納品絞まで合わさり、お客様の空気感がなんか殺伐としてきたなと私は思う。店内だけでなく世の中全体がコロナ禍にかかわる不便で膿んでいるし。
この際だからゆっくり休もう! というのはわかるんだけれども、みんな便利であることを当たり前だと思ってるんだな。不便になるとたちまち世の中はギスギスしてくるものなんだ。震災みたいな分かりやすい困難じゃなくても、人心を十分に荒ませる。
穏やかな日本人というのは幻想だって、東日本大震災の時によく言われていた。だが、その幻想を作り出した、というより、本当に日本人を穏やかなにしていたのは何だったのか? ということが語られているのは、あまり見たことがない。それは私が思うに、些細な便利の集積だ。チリみたいな便利が積もり積もって住みやすい国を作り人々を穏やかにしていたのではないか。
気軽に、もうやめよう! と言えるほどの小さな便利を諦めることによって、私達の地盤は削られていく。しかも、少しではなくけっこう一気に地盤沈下が起こる。小さいものは大事にされないからだ。我も我もと、皆が一度に小さな便利を手離していく。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。
今日行った喫茶店、ずっと前から気になっててやっと行くことができた。
店内はジブリの骨董品店のような薄暗くて、いろんなものが置いてあって
見てるだけですごい面白かった。
だけど今流行の古民家カフェはどうも好きになれないなと思ったのが、
古い建物の中をくりぬいて、今風のものぶち込んでるのが薄っぺらくて。
結局外壁だけが古くて中は今時のおしゃれカフェと何ら変わらなくて
どこも同じなんだよね。
すべてのものに歴史があって、というか、昔のまんまなに1つ変わらず
机の塗装とか剥げてるのも味がある。
びっくりするぐらい安い。
そしてお味は……まぁ喫茶店の味(苦笑)
私が作ってもきっと同じ味になるんじゃないかと言う位。
ひと口食べて思った。
リピはないなと。
店構えとかすごく好きだったんだけどね。
自宅から遠いこと。
店主の娘と孫がカウンターに来て、店主が先に帰っていた常連ぽいお客さんのことを
いろんな要素があるけど、結局気に入らなかったんだよね。
一歩入れば何かわかるんだよなぁー、1回きりだなって思う店。
毎回期待して入るけど、1階入れば満足してしまって
リピすることがほとんどない。
今はない大好きなアンティーク喫茶店は、大人になって1人でも通ってたのに。
いいお店ばっかり潰れていく。
最近の古民家カフェもおしゃれカフェもどうも薄っぺらくて苦手だし
なんだかね。