はてなキーワード: 落ち着けとは
福島から自主避難した人って、初期は被災地で家が半壊とか電気水道物流などライフラインが不安という人がほとんど。そういう人はとっくに帰ってきたり生活を落ち着けている。
あとは放射能恐怖の他にこのどさくさに紛れて夜逃げ同然で地域から逃げ出した人も結構いたから、そういう人にも福島から逃げたというだけで税金がまるまる使われ続けるのはどうなのかと思う時はある。
「ど、どうしたの!?」
前の席に座ってる先輩が驚いている。
自分の頬を涙が伝うのがわかった。
ただパソコンに向かって仕事をしていただけなのに、涙が溢れるように出てきた。
「自分には合わないな…大丈夫かな…」という気持ちが強かった。
だけども、なんの能力もない俺は割り当てられた仕事をこなすしかなかった。
でも自分に言い聞かせてた。
本心ではそう思っていないけど、何とかそう自分に言い聞かせて、
近所の古い銭湯へ行って、大きな湯船に浸かるのが至福の時だった。
頑張って気分転換をしなければと思っていた時はほぼ毎日仕事終わりに銭湯に駆け込んでいた。
泣くというよりも涙が溢れてた。
その次の日は、そう、冒頭の日だ。
どこも予約がいっぱいだそうだ…。
一週間後、二週間後、果ては一ヶ月後なら空いてますよ、と。
そうして何軒も連絡した後にようやく診てくれるところが見つかった。
会社を休んでも心は晴れたり、曇ったり、
はたまた土砂降りだったりする。
頑張ろうと思えた次の日に、「…死ぬか」と思っていたりする。
いつ復帰できるかもわからない。
でも幸せになりたいなぁって思うんだ。
母親をこれから先も旅行に連れてってやりたいなぁって思うんだ。
でも、もう…限界なのかなとも思うんだ。
たまたま上がってきてて、読んだらいろいろ思うところがあったので書いておく。長い長い自分語りになるが許して欲しい。
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元増田とおなじく、私も両親は高卒、親戚もたいていが高卒で働いている。
ただなぜか親が教育熱心だかなんだかで、塾に通わせてくれたし、まあまあそれなりの高校に行くこともできた。
高校の頃からだいぶ成績が怪しくなったものの、なんとか地元の国公立大に進学できた。
中学の頃の友人はたいていが高卒で就職してて、大学入学した時にFacebook見たら就職しました、って書いててすげえなって思った。
大学入ってからはよくある自堕落生活、単位は常にギリギリである。その上就活も面倒臭くてあんまりちゃんとやらなかった。でもたまたまプログラマとして雇ってくれる会社があって、そこに就職した。
何処の馬の骨ともわからぬようなアホな学生をプログラマとして雇い入れるような会社だ。今となったらそりゃ大変なことになるよなあと思うのだが、当時はこれでやっと親を安心させられる、独り立ちできる、という一心で働いていた。その結果、メンタルおかしくなる一歩手前まで行った。こっちで知り合った友人が「落ち着け」って言ってくれなかったら、今生きてるかどうかさえ怪しい感じだ。
で、私は考えた。どうすりゃこの地獄を抜け出せるんだ、と。
考えに考えまくった結果、会社の外に見える実績を残せばなんとかなるんじゃね? と考えた。それで、勉強会とかカンファレンスで話したり、コンテストやハッカソンに出たりした。体力的にはかなりしんどかったけど、何より楽しかった。外の世界にはこんなに面白いものがあるんだって分かった。
ただ一つだけ思い違いをしていた。会社にバレなきゃいいと思ってたんだが、バレた。バレたら、怒られた。なんでそんなことするんだ、会社で使う技術だけを勉強してればいい。そんなことを言われた。とても凹んだ。それと同時に、やっぱりこんなところにはいられない! って思った。
それまでまともに転職活動をしてこなかったので、このタイミングでやっと面接を受けはじめた。ハッカソンや勉強会を主催してる会社を受けた。好印象だったかどうかは知らないが、なんだかんだで話を聞いてもらえた。そして今の会社に受かった。地方のよくわからん大学から直接入るのは難しそうな会社だ。実際、大学時代の恩師にも「まさかそこに転職するとは」と言われた。
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世の中にたような境遇でも、辿るルートが違うとこんなことになる。
就職してもう何年か経つけど、未だにすげえ楽しい。新卒の頃がなんだったんだってくらい。
だから、大都市には夢があると思う。掴めるかはさておき。そりゃ要領いい人はサクッと掴むだろうが、私のように面倒臭がりでどんくさい人間はなかなか掴めない。それでも諦めず、策を練って立ち向かえば、まあなんとかなるときもある。今はそう思う。転職前は絶望しかなかったけど。
とある若手俳優の出待ちを、もう三年間している。茶の間の期間を合わせたら、五年をゆうに過ぎた。現場にはすべて通い、プレゼントを山のように渡し、稽古場にも、プライベートな場にも顔を出している。彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優、演出家、プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。最初は驚いていた彼も、今はもう驚かない。「ああ、お前か」そんな顔でわたしと話す。毎月ある舞台に、稽古場。入り待ち出待ち。少なくとも月に十回以上話すのだから、致し方ないことだろう。
彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファンに申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女にわたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。最初はたくさんいた彼の出待ちは、塩対応に耐えかねて、どんどんいなくなった。
それでもわたしは彼が好きだった。全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。
泣きながら舞台を観て、何も楽しくないまま全通したこともたくさんある。
すべての現場に足を運び、祝い花を出し、プレゼントをしているのはわたしだけだった。わたしは意地になっていた。どうして一番お金を使っているのに優しくしてくれないんだろうか、という自己中な悩みを抱え、暗い気持ちで劇場に行っていた。
それでもわたしは、彼が好きだった。どんなに辛くても、彼の隣を歩きたかった。
朝、彼の姿を見ると世界がきらきらして見えた。どんな人込みの中にいてもわかったし、彼が乗ったタクシーですら感覚でわかった。どんなに遠い稽古場でも行ったし、何時間でも待った。一目見たくて会いたくて、どんな場所でも遠征した。どんなに出番が少なくても、会場にかけつけた。彼が舞台上に立って、輝いているのが大好きだった。どんなに嫌われても、大好きだった。
「どうして?わたししか出待ちいないからそう思うんでしょう?」
「平等?それ、本気で言ってるの?お金使ってる子が偉いのは当たり前じゃない!平等なんて求めてないって何度も言ってるよね?しかも、ちゃんと平等にできているなら、ファンの子揉めたりしてないよ」
彼は押し黙った。彼のファンは全体的にお花畑で、掲示板やツイッターがよく荒れているのは周知の事実だった。わたしは泣いた。それで、その日はおしまいになった。
一か月後、久々の舞台初日で出待ちをした。はじめて稽古場に行かなかったので、本当に久々に彼と話した。彼は喧嘩が嘘のように饒舌だった。わたしは面食らい、訊いた。
「…もう出待ちしていいの?」
「あー…」
「すごいしゃべるからびっくりした」
「俺もいろいろ考えたんだけどさ」
「うん…」
「お前来んなって言っても来るじゃん」
「来るね」
「え…」
「だからいいよ」
「…あのね、わたしも一か月いっぱい考えたの」
「うん」
一か月お互いのことを悩んでいたことに笑った。わたしは嬉しかった。ようやく、言葉が届いたような気がした。喧嘩をしたくないと言われたのも、わたしのことで悩んでくれたのも嬉しかった。
話してもいい日、彼は自らわたしの元へ近寄ってくる。わたしもダメなときに無理やり話しかけることをしなくなった。電話をしていても「ごめん、折り返すわ」と言って切ってくれるようになった。ほかの俳優に断ってわたしと帰ってくれたり、去り際に「さみしい」と言ったら戻ってきてくれたこともある。個人イベントで、同厨の中で息苦しくなったわたしを気にかけてくれた。こっそりファンサをくれることも増えた。仕事のことも教えてくれるようになった。プライベートのことも、向こうから話してくれるようになった。遅刻ぎりぎりで二人で走ったり、迷子になって笑ったり、オタクからのリプライを読んでいないって教えてくれたり、喫煙所で偶然会って笑ったり、たくさんたくさん思い出を作った。
そのたびに好きという感情が溢れた。わたしはどこまでもただのファンで、どこまでもガチ恋だった。
「付き合ってください」、そう、うっかり伝えてしまったことがある。隣にいた彼は驚き、「落ち着け」と言った。「落ち着け、今はまだ無理だ、まだ早い」わたしは驚いた。付き合う気なんかないくせに、なんていう回答をするのだろう。そしてわたしが本気であることも理解している。
クリスマスイブに舞台があった。帰り道、二人でイルミネーションの中を歩いた。わたしは再度告白をした。彼は曖昧に答えをぼかす。きらきらのイルミネーション、隣を歩く愛しい人、単純に泥沼だった。返事は先延ばしにされた。わたしは安堵した。どうしてだろう。
最近、「好き」というと、彼が身構える。わたしはそのたびに悲しくなる。
どんなに関係が深くても、それは変わらない。
でも、それでも、オタクをやめられないだろうな、とも思う。
同厨が知らないたくさんのことを知っているわたし、肯定と承認欲求。嫌になる。
下手に彼が優しいせいで、わたしはガチ恋をやめられない。彼のせいにしないと、わたしは自己を確立できない。不安定だ。付き合いたい付き合いたい付き合いたい付き合いたい。
終わらない。
わたしはどうしたらいいんだろう。
雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。
静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。
世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜のライトアップをしている。
知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。
ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。
寝椅子に近い座椅子に腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。
感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。
お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇の香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。
素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼
その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラのシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。
じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。
ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い。
照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。
延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。
RainyMoodみたい、眠い。
寝た。
羽織ったままだった外套が背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい。
先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。
見た。立った。帰る。
夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、
ほんとに見てないのだろう。
今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。
帰りは一段と寒さが増していた。
もう4年くらい前になる。
人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。
「あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」
なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。
彼女は俺のことを好きではなかった。
昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲。
自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。
あれから、いくつかの変化があった。
まず、実家とは疎遠になった。
それと、他人に嫌われることが平気になった。
好かれたり嫌われたりは、人間の価値とは無関係と思うようになったからだ。
世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。
凄惨な事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀や送別会や映画でも悲しくなることはなくなった。
タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。
人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。
褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。
そういうことに気付いたのだと思う。
ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。
感情がなくなったわけではない。
場の空気、前後の文脈や、他人の感情に干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。
好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。
幸せと呼ばずしてなんだろうか。
長い前置きだったが、本題に入る。
恋人が出来た。
恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックスはスポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。
このことを伝えるべきだろうか?
追記
人の感情に流されなくなってから、投資で失敗することがなくなった。
例えば、今年はトランプ大統領が誕生しようと、イギリスがEUから抜けようと、パニックで相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。
以前、『母親に結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本の保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。
日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。
母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。
体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。
先週の金曜日までは。
抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。
先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。
取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医や外科医が到着。
通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずにCT撮影。
小腸か大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。
通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者の協議がつづく。
主治医(産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医と内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養を補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。
(なお、ここまでは姉からの伝聞)
そして今日。
CT診断を経て主治医、放射線医、外科医、内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。
ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。
準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?
いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。
いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。
母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。
スタッフ・ステーション(最近は、ナース・ステーションとは言わないらしい)横の病室から、エレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。
患部の状態を確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的な処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアがあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。
何事!!!
本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。
手術衣を来た外科医(協議で議論をリードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。
どういうことか?
ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ。
医師の説明するところでは、現在の薬を使っている場合、最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。
もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。
腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。
実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話に対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。
「ここまで来ていただいて、まことに申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。
一緒に聞いていた母の心中は分らない。
手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。
もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医の説明を、母と姉と共に聞く。
「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科と内科の判断に従わざるを得ない。
『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。
まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養を補給し、しばらく様子をみる。
何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。
もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物も飲み物もとれませんが云々」
といった説明があった。
やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。
その瞬間、「来たな」と思った。
なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。
それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。
「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。
現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、
新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。
だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。
普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合の症例というのも多くないのです。
なにが起こっても不思議はない。」
「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。
このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」
そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。
曰く
「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」
さて、ここで問題だ。
母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである。
実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。
そして、今の母は、そういう状態にない。
考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。
それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。
突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。
この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから、明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分の結論となった。
とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。
明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか。
6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。
あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。
もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか。
誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。
、
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ご飯、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、納豆(二つ)、四種の香味野菜と大根サラダ
○調子
はややー。
昨日夜遅くまで頑張った甲斐があって、良い感じに進んでよかったよかった。
ただ、会議、会議、会議の後ろ二つはよかったけど、最初の一つはそっちにかまけてたせいで、ちょっと中途半端だ。
明日までに終わらせないと後ろが詰まってるんだけど、今日も残るのはしんどかったので、ほどほどで帰った。
横入り作業がなければ、明日ゆっくり終わらせて、来週からの超忙しそうな仕事に備えて、心を落ち着けよう。
帰宅して少しゲームをして、ご飯を食べて、お風呂はいった後ぐらいから、
ちょっと気持ち悪くなってきてしまい、今もなんかフラフラする。
●DS
……HaloWars2で間が空いたせいで、モチベーションが下がった。
●3DS
そうえば集めていたFEバッジの唯一コンプしていない台があったので、ログボでプレイして、コンプ。
はじめて、コレクションのところで「100%」になったところが見れて、満足。
○ポケとる
大好きな悪ポケが活躍できるはずのこのポケモンに負けるの、ショックがでかいわ。
いやわかってる、バリア解除を入れ忘れたのが手痛いのはわかってる、でもショックだ。
なんかプレイするの忘れてた。
デイリーボーナスリセットされちゃうけど、もう今から外出る気にはなれないので、いいや。
ログボのみ。
祖父が亡くなった。
数年前から入退院を繰り返しており、たまに発作も起きて、病院に迷惑を掛けていると聞いていた。
また入院することになったから、見に行ってやってくれと親から言われていたが、何かと理由を付けて行くのを先延ばしにしていた。
体調が落ち着けば行くつもりだった。何より、入院している祖父の姿を見たくなかった。
何かあったところで、自分には何もできず足手まといだ。荷が重い。そう思っていた。
祖父はそれほど遠くないところに住んでいて、行こうと思えばすぐ行けた。
ただなんとなく顔を見せて、お菓子を食べながら夕方のニュースを見て、すぐ帰った。
「またおいで」と言われたのが最後だった。
数日前まで、あんなに会うのをためらっていた自分を恥じた。もっと会って、いろいろな話をしておくんだった。
「おじいちゃんはあなたを一番かわいがっていたんだよ」
つい先日、出張に行ったとき、なんとなく手ぶらで帰ってしまった。お土産を買って、仕事は嫌々ながらも、何とかうまくやっていると言っておけばよかった。
出棺のとき、棺に思い思いの品が入れられた。何も持って来られなかった自分に後悔した。
棺に寄せ書きの手紙が入れられた。控え室にメッセージを書くよう置かれていたものだ。懺悔の言葉しか思い浮かばなかった。どう書いていいか分からず、やがて式が始まってしまった。
自分の名前すらも書けないままだった。最後の手紙でさえ、自分の言葉を綴れなかった。また一つ後悔をした。
俺は馬鹿だ。こんなことを増田に書いてどうなるっていうんだ。自分の言葉をネットに流したところで、じいちゃんには届かないのに。
たまの休日なんて、大したことはやっていなかった。休みの日に部屋にこもってダラダラとネットを見て過ごすぐらいなら、もっと会いに行けばよかった。
(追記)
ブコメ>narukami 人から「かわいがっていた」と聞かされたところで特にここに書くような思い出もないのでしょう?
長くなるし、まとまりがつかないので省略しているが、幼少の頃から祖父は近くに住んでいてよく遊んでいるので、たくさん想い出がある。
亡くなってから数日経つが、昔一緒に遊んだ想い出ばかり蘇ってくる。
進学をして、社会に出ていくうちに自然と絡む頻度は減っていって、ここ最近は親戚付き合いが面倒に思っていたところだった。
まだ介護までには至っておらず、これから覚悟を決めていく前に、あっという間に逝ってしまった。お礼の一言も言えなかった。
それまでの自分のぞんざいな考えや行いが、これほどまで後悔を生んで自分を苦しめると思わなかった。
残された祖母と両親へは、もう二度とこういう気持ちにならないよう、意識的に付き合いを増やして、介護にも逃げずに最期まで向き合いたいと思う。
この前の正月の話。
久々に実家に家族全員集まって、皆で卓についておせちをお食べているときに、クッソしょうもないことで兄夫婦がグチグチと口喧嘩を始めた。
最初はどうでもいい言い合いだったのに、だんだんヒートアップして義姉(兄の嫁)が「おまえは給料が低い」とか「いつも自分のことばっか」とか言い始めた。
実際、兄の仕事は激務薄給で大変なのは家族全員知ってるから、おいおいそれは言っちゃダメだろみたいな空気が流れた。
義姉のこの罵倒にブッチンした兄がヤバそうだったから、僕が落ち着けっつって兄を制止しようとしたら、「おまえは関係ないだろ!!」って言ってきた。
ここで僕も頭に血が上って、「正月早々うるせーんだよお前ら!!」って年に1回あるかないかくらいの大きな声を半泣きになりながら出した。
そのあとは、親父とお袋が何とかなだめてその場は終わった。
ここで質問なのですが、大きな声を出すと目頭が熱くなって涙が出てくる現象は何というものなのでしょうか。感情が昂ぶり大きな声を出すと毎回こうなります。僕の身体が異常なのでしょうか。教えてください。
「その距離を保つんだ。それ以上は近づくとバレる可能性が高まる」
固まって行動するのは危険だとミミセンが判断し、追跡役は変装が得意なドッペル一人に。
他はドッペルから更に離れてついていくことに。
相手に少しでも不審に思われたら追跡役を交代するか、最悪シロクロとタオナケに撹乱してもらう作戦にした。
万全の体制は過剰とも思えるほど、追跡は順調であった。
街頭にいた信者や野次馬が、今は嘘のようにいなくなっていたことも大きい。
だが、あまりにも順調すぎて気を緩めていた一同は、ある重要なことを失念していた。
「! しまった、駐車場だ! あの教祖、車で逃げるつもりだ!」
予想外の事態にミミセンも動揺を隠せない。
それが予想外であったことよりも、予想外にしてしまった自身の不甲斐なさが、何よりミミセンにとってショックだったのだ。
だが、こんなときでも冷静に、目的を見据えて行動できるのが弟の強さであった。
そして、それが弟が彼らのリーダー的存在である最大の理由でもある。
「落ち着け! むしろチャンスだ。いま教祖は一人、しかも車で来ているなら、その中に“何か”あるんじゃないか?」
弟の言葉にミミセンも平静さを取り戻し、すぐに思考を巡らせる。
「そうだ! タオナケの超能力でタイヤをパンクさせるんだ。そうすれば予備のタイヤを取り出すために荷席のドアを開けるはず。その瞬間を狙うんだ!」」
だが、ここでまたアクシデントが発生する。
1回念じるのに数秒かかるのだが、ここまでの追跡で体力と精神を削っていたため普段よりも時間がかかっていたのだ。
しかも、既に5回以上は念じていたのに成功しないという運の悪さである。
諦めかけた弟たちに、千載一遇のチャンスが舞い降りる。
教祖は車に乗り込まず、おもむろにバックドアを開けていたのだ。
「天は俺たちを見放していなかった! 強行突破するぞ!」
弟の合図で、全員で車に向かって走り出す。
「な、なんですかキミたち、いきなり」
荷席の中を覗いた一同は、大量に入っていた意外なものに驚く。
「……水だ」
Nintendo Switch (公式サイトでの表記がカタカナではなく英語表記なのでそれにならう) が特異なマシンだことは論を待たない。
Wii U は結果的にハズレハードとなってしまったわけだが、では Nintendo Switch はハズレなのか?
産まれる前からオワコンなのだろうか? スプラトゥーン 2 もゼノブレイド 2 もマリオオデッセイも爆死確定なのだろうか?
Nintendo Switch は携帯機だ。
Nintendo Switch は USB-C 端子で充電する。 ドックにも USB-C 充電器を挿すようになっているので、据置機のような大きな AC アダプターは必要としない。
ドックが本体ではなく、軽量・低消費電力な本体に TV 出力アダプターを接続するというのが論理的な形態なのだから、これは携帯機と言うほかない。
携帯機として考えた場合、競合機種の価格は以下のようになる (税抜) 。
さらには、ハンドヘルド端末としては iPad mini 4 (32GB: \42,800) や Android タブレット (Huawei MediaPad M3: 約 \28,800) あたりも競合となるだろう。
二万円を切っているのはどちらも五年前のハードだ。
こうしてみると、価格性能比で見れば決して高くもないように見えるのではなかろうか。
ただし「価格満足度比」で測るにはあくまでソフト次第なので、高く感じる人はソフトの充実度に不安があるのだろう。 それかそもそもゲーム自体に興味がないかだ。
任天堂ファンには苦々しい 3DS アンバサダー事件もあったので価格設定で下手を打つなという意見もまぁ理解はできる。
据置機との比較で PS4 や Xbox One S と変わらない値段じゃねーかという意見があるが、はっきり言ってこの両者がバーゲンプライスすぎるだけだ。
腰を落ち着けて大人向けのゲームしたい層は PS4 買っときゃまちがいないので今すぐポチればいい。
なにかと専用ケーブルを要求されるのが任天堂ハードの常だったので、充電端子が USB-C なのは大英断だ。
PS Vita が二世代目で MicroUSB になったのもそうだが、汎用端子は可能なかぎり活用できてしかるべきだ。
バッテリー駆動時間に不安を抱える Nintendo Switch だが、モバイルバッテリーを一緒に持ち歩けば長時間プレイも可能であろう。
まず、ジャイロやら加速度やら IR やらのセンサーをリッチに積んでいるのは最近のハードのお定まりだが、なぜ GPS を積まなかったのか?
つまり位置ゲーはできないということだ。 持ち歩けるのに位置ゲーはできない。 なんで?
これから伸ばしていきたいスマホゲームと食い合いたくないということかもしれないが、せっかくの携帯機なのに、どこにでも持ち歩けるのに、メリットを活かせないじゃないか。
さらに、これは任天堂のポリシーと絡むので仕方ないが、可能であれば SIM カードスロットを積んでほしかった。
たしか 3DS の時に「通信して遊ぶのに月何千円払わないといけないのはどうか」と否定的だったし、 PS Vita がドコモと連携して 3G 通信を積んだのも失敗に終わったし、これ以上コスト増になる要素も足せないとは思うが、ここにきて格安 SIM 通信環境も整ってきているので、なんならニンテンドー SIM とか言って格安 SIM に参入まであってもよかったんじゃ… まぁ、ないな、これは。
あと、 VR はいいとして、ニンテンドー 3DS にあった AR 機能をなぜ捨てた?
いまにして思えば先進的だった、二眼カメラによる AR 機能は残念ながら 3DS でもプリインストールアプリくらいでしか活かされなかったが、もうあきらめたのか?
Nintendo Switch の性能なら Google Tango 並の空間認識で新しい遊びも生み出せそうなのに。
ついでに言えばインカメラもない。 3DS カメラでエロ自撮り問題があったので潰したんだろうか。
なんかこうして書いてくと、コントローラー関連のギミック以外にハードウェア的な魅力ってあんまりないのかなと思えてしまう。
そのコントローラーも追加で買うと高いし…
Wii のときにたくさん買ったリモコンは Wii U では使えたけど今度こそゴミになるし…
いろいろ不満が続いてしまったが、なんだかんだ言ってゼルダ BotW は楽しみだし、スプラトゥーン 2 ももちろん楽しみだし、マリオオデッセイもやっぱり面白そうだ。
任天堂には比類なきコンテンツ力があるのだから、無理してハードにギミックを組み込むのはそろそろやめてもいいのかもしれない。
あーー、そろそろめんどくさくなってきたからもうやめた。
は? Nintendo Switch がハズレかどうか? 知るかバーーーカ!!!
職場の同僚に好きな女性がいました。私と同じ新卒入社の女の子で、周りよりも落ち着いた雰囲気を持ち、それでも気持ち良く笑う、明るい女の子でした。
彼女と私はこれまで何があったというわけでもなく、ただただ同じフロアに机を並べ、仕事をし、たまにある同世代での飲み会では職場の上司の愚痴を言い合う、はたから見れば仲の良い同僚でしかありませんでした。
一度、一緒に外出する用事があり、二人ともそのまま直帰となった日、彼女からの誘いで夕食をご一緒したことがあります。比較的早い時間、客先での用事を済ませ、二人で東西線に乗っているときのことでした。彼女から「疲れちゃいました。飲みに行きましょうよ。」と誘ってもらえたときは、電車内のこもった空気の息苦しさがたまらなくなり叫び出しそうになったほど、気持ちが高鳴ったことを覚えています。二人の乗り換えの駅となる飯田橋で降り、神楽坂の通りに面したお店で、二人でワインを飲みました。
彼女の東京での生い立ち、学生時代の思い出などをひとしきり聞き、これまでずっと丁寧語だった彼女が、別れ際には「じゃあね」と言ってくれたことが、嬉しくてたまりませんでした。
同期の男から、彼女が私の直属の上司と不倫関係にあるらしいという噂話を聴いたのは、それからひと月ほど経った頃のことでした。
不倫という関係については、世の中で騒がれているニュースが時折耳に入ってくるという程度の印象しかなく、彼女のそんな噂話を聴いても、彼女に対する侮蔑の念は爪の先ほども起こりませんでした。
私はもう救いようもなく恋をしていました。
それからというもの、同じフロアに、彼女と、私の上司とがいる中で仕事をせねばならぬという状況が、いよいよ耐え難いものとなっていきました。
上司から仕事について指摘を受けるような場面があると、彼女の目が以前に増して気になって仕方がなく、上司の頭は頭に染み込まずただただ叱責を受けているということにパニックを起こしてしまいそうになりました。また上司を見返すつもりで取り組んだ仕事が評価を得られたときには、必要以上に舞い上がってしまい、どうにも自身の気持ちを落ち着けられなくなってしまっておりました。
同期の男の指摘通り、上司が退社していくと数分後に彼女がいそいそと出ていく日が、少なくない頻度でありました。彼女が出ていったあと、残された(彼女が意図して残していったというわけではもちろんありませんが)私は、残業どころではありませんでした。どこかのお店で以前神楽坂で飲んだ日のように、上司の前で酔っ払って顔を赤らめ、どこかの一室でスーツのスカートの下に履いたストッキングを降ろされている彼女を想像するだけで、胸が引き裂ける想いでした。
私が何度となく想像した彼女の服の下、下着を取った彼女の白い身体の丘陵、指を沈めるとそれを温かく受け入れるとろりと濡れた場所。そんな色々を今彼女は差し出し、あの男は存分に堪能し、甘ったるい時間を過ごしているのだろうか。
そんな想像を、私は止める術を持ちませんでした。
「想像力よ、お前は私に容赦をしない」
昔読んだ本にあったそんな一節を思い出したりしながら、進まない仕事を前にデスクで呆け、とがりきった自分の気持ちがなんとか落ち着いたところを見計らい一人で退社する、そんな日々を過ごしていました。
しばらくはそんな毎日を過ごしていたのですが、彼女がある長い出張から帰ってきた頃から、彼女らの関係に変化が見られるようになりました。
その出張の時期がきっかけであろうという自信はないのですが、ずっと見ていた私の目から見て、どうやらあの時期からであろうと思います。ある日、彼女がたいそうに目を晴らして出勤してきて、目に見えて元気のない日がありました。それから、示し合わせたかのように同じ時間に退社していく日もなくなり、同世代同士の飲み会でも彼女の出す話題には変化が見られ、また恋愛関係の話となったときに、少しだけ緊張がほぐれたような印象を、私は受け取りました。
そんな予感を少し感じるだけで、私の会社での生活も幾分平穏を取り戻してゆきました。
これから年末に差し掛かる。またどこかで食事でもできないだろうか。
そこからまた始められないだろうか。
以前から、何が始まったというわけでもありませんでしたが、なぜだか私の心持ちはそんな風で、少し前向きなものとなっていました。
そんな頃、ある同僚の呼びかけで、同世代の若者同士での忘年会が企画されました。年末の忘年会の重なる時期で、日程が仕事納めも終わった休業日にしか設定できず、集まったのは私と彼女含め数人での小さな飲み会となりました。
休みの日ということもあり、中目黒の外れにあるカフェバーに、開店とほぼ同時刻に入店しました。こじんまりとしたお店で、店員は二人しかおらず、客もまだ私たちのグループだけのようでした。今時の洋楽が小さな音量で流れるこざっぱりとしたお店で、好感が持てたことを覚えています。
最初の飲み物の注文もそこそこに、彼女が手洗いに立ちました。その数分後、続いて私も尿意を感じトイレへと向かいました。そこは男女共有の個室で、その狭い部屋に入ってすぐに私が考えたことは、恥ずかしくも「つい先程彼女が使ったのだ」ということでした。私は立って用を足しながら視線を滑らせました。今は上げてあるこの便座に彼女は腰掛け、ホルダーに設置してあるトイレットペーパーを彼女は使ったのだ。誰にも覗かれることのない私のその思考は遠慮を知りませんでした。
ふと視線を下げた瞬間、私の心臓は一番の大きな伸縮をし、熱い血が全身へと駆け巡り、息が止まりました。サニタリーボックスが目に入ったのです。
まだ酔ってもいませんでしたが、頭に血がのぼった私は、躊躇うことをしませんでした。震える手をそれに伸ばし、つまみを持ち蓋をあけると、そこにはトイレットペーパーでくるめられたものが入っており、それを手に取り周りの紙を剥がすと、丸めてテープで止められた紙ナプキンが入っていました。
私はそこで個室の鍵がかけられていることを確認し、便座に腰掛け、ゆっくりとテープを剥がしました。これを開いて私はどうしようというのか、これまで見たこともない、血に染まったグロテスクなものを見てしまっては、その衝撃が人生に大きな爪痕を残してしまうのではないか、そんな恐れのような感情が大きかったように思います。にもかかわらず、なぜ私は手を止めることができなかったのでしょうか。そのごわごわとした紙を開いてみると、少しの恐れとともに想像したような鮮血はなく、薄黄色に染まった濡れた箇所があるだけでした。
ショッキングな赤色ではなかったことに安心すると、今度は自分の手中にあるそれがたまらなく愛おしいものに思えてきました。私はその濡れた箇所を自分の鼻と口とにつけ、息を吸い込みました。女性の秘部の香りが鼻孔を抜け、そこでしばらく止まった息を整えると、ゆっくりとその香りと味を味わいました。
そこからのことは、余り覚えておりません。このまま長居しては怪しまれてしまうと思い、それを元と同じように包んで箱へ戻し、自席へと戻りました。彼女とも二三言葉を交わしましたが、私の頭の中は先程の個室での光景で一杯でした。そんな上の空のまま宴も酣となり、会計を済ませ、次に会うのは年明けだね、良いお年をと言って、それぞれに別れました。
それからというもの、この年越しはあの紙ナプキンのことで頭が一杯なままでした。年始もろくに出かけることができず、自室のベッドに横たわり彼女と彼女のナプキンのことを考えておりました。しかしながらいつまでもこうしているわけにもいかず、明日が仕事始めとなります。
明日出勤すると、新年の挨拶の飛び交う中彼女とも顔を合せます。おそらくその時も愚かな私は「もう月経は終わったのだろうか」などと考えてしまうのでしょう。
嗚呼、なんという2017年の始まりなのでしょうか。いっそこのままトイレットペーパーの芯にでもなってゴミ箱に放り投げられたい気分であります。
実体験まで書いてやってるのに妄想としか判断出来ないほど頭が残念な子か?お前は1つも具体例出さず脳内妄想だけで生きてるのだね。負け組は大変だな。
具体例ひとつで必ずと断言する脳ミソ腐った親を持つ子供って同じように脳ミソ腐って自殺するんだろうなぁ笑
生まれてくる子供がかわいそう=生まれても居ない他人の心配をするフリをして虚栄心を隠しているだろ。
生まれてくる子供のために予算を作っておく夫婦が存在しないとか言い出すんだろうか笑
長期的展望のない想像力のないキチガイの子供って将来絶望して自殺しそうで笑える。
事実、お前は無能と言われてキレてるじゃねーかw
確認していない事柄を事実と言われましても統失おじさんの子供は統失になって自殺するんだろうから落ち着けと
無能は無能と認めた方が人生が楽になるぞ。肩の力抜けよww
いやぁ俺が無能かどうかとここでの理屈って一ミリも関連性がないんだが主張と主張してる人の区別がつかない典型的バカの子供って将来は自殺するんだろうから今から子供がいないのに慣れておいたほうがいいぞ
もう何ヶ月もシャンプーを使わずにお湯だけで頭を洗っていると言う男に会った。
「毛があまり抜けなくなったしフケも出ない。臭いも気にならないと家族の評判は良い」
風邪から回復したての私の鼻腔に、太陽が悪あがきで送り込んできた彼を掠めた風は獣のうんこのように臭かった。
※実際にうんこが付いていたわけではないし、獣的な生物が付近にいたわけでもない。
そりゃお世辞にも心地よい香りとは言えないわけだが、
彼が頭皮や何かの病気のせいでそのような生活をしていたら可哀想だと思い、
「確かにシャンプーを使ってない割には臭くない」
と臭さを全否定するでもなく微妙で情けない反応をするしかなかった。
しかし後日調べてみるとあれは湯シャンとかいう洗髪方法で、巷で静かなブームなのだとか!
思い起こせば獣の彼は、チアシードやバターコーヒーなど話題の健康食品にもうるさかった。
するとブームに乗っただけだったのか!発信源は誰だ?ミランダ・カーか?ジャスティン・ビーバーか?
もしかしたら、あの夕陽が似合う彼だけが奇跡的に臭かっただけなのかもだが、
職場にこんな海外有名人気取りの湯シャン信者がいたら本当に嫌だ。出勤したくない。
その前にうんこ風を送る太陽なんて要らない。夜なんて明けなければ良い。
とにかく。せめて水素水で洗って欲しい。水素湯シャン。あれは噂を聞いた限りだと脱臭効果も高い気がする。
それとなんらかのエイジング物を最近の成金達は好むわけなので、
30日間日光に晒したエイジング水素水の効果は格別なのじゃなかろうか。
では良いお年を
「浮気ってさあ、結局どれだけ悪いことだと考えてるかで、するかしないか決まるよね」
と彼女が言った。
僕は、そうかな?と思いつつも黙って聞いていた。
「普通の人は例え脅されたとしても、そうそう道端で裸にならないじゃん。
でも浮気するってことは道端で裸になるよりも作業的にはずっと大変なわけよ。
道端で裸になるよりいけないことだと思ってたら、やめるタイミングなんていくらでもあるよね」
「うーん」
釈然としないままに生返事をした。
言っていることは合っているようにも聞こえるが何か重要な視点が抜けている。
何なのかは分からないが。
「で、あんたは浮気が道端で裸になるよりもましなことって考えてるわけだ。
道端で裸になるよりも人を傷つけてるのに」
いや、それは違うぞ。裸を見せられて傷つく人だって大勢いるんだ。
いや、そういうことを言いたいんじゃ無い。
僕は混乱してしまった。
彼女のよく分からない比較と、これから行われるであろう糾弾への怯えで。
彼女はじっとこちらを見つめている。
僕はそっと目をそらしながら落ち着け、と心の中で念じた。
そしてふと彼女の比較で腑に落ちないことが何なのか、気付いた。
そうだ。浮気はもっと衝動的な欲望に突き上げられてやるものだ。
「例えば、例えば道端で猛烈な便意を催してしまったとしよう。
でも決して道端で漏らすことが悪くないと思っているわけでは無いんだ」
僕は説明を始めて、何か道を誤った気がした。
「それで?」
「ふーん」
「と思う。だから浮気したのは漏らしてしまったようなもんなんだ。
決して悪いってことを認識してないわけじゃ無い」
彼女は変わらず真っ直ぐこちらを見つめていた。
「あたしが聞きたいのはそういうことじゃ無いんだけど」
「漏らしてしまったようなもんなんだ」
僕の声は少し細っていた。
「あんたの例えにのってあげるよ。じゃあ、道端で漏らすことと浮気すること、どっちが悪いことだと思う?」
でもまあ、この状況での答えは1つしかない。
「浮気だと思う」
「じゃあ浮気が出来るなら道端で漏らすことも簡単に出来るよね。
彼女の冷めた目が僕を見つめ続けていた。
美人は、度が過ぎると暴力なんだと思いましたこんばんは。(挨拶
友人が、理性と共に記憶が飛んだというので、代理でレポを書きます。
まず先に申し上げますと、私は小宮さんのこと、「ラブライブ!サンシャイン!!のダイヤさんの中の人」って認識しかない程度の人間でした。
しかも大変申し訳ないことに、ラブライブ!サンシャイン!!も「そこそこ好き」程度で。
こんな私が、何故いきなり小宮さんのファンミに行くことになったか。
小宮さんのファンクラブに入っている友人が、一人で参加させるには不安なほど小宮さん大好きだからです。
友人(仮名:花子)は、北海道から、この日のためにわざわざ来たんですけどね。
小宮さんのこと好き過ぎて、心臓止まりかねないって、他者から見ても思うぐらい大好きなんです。
もし、花子の心臓が止まったら、私は遺品とその時の思い出を、北海道の花子のご両親に伝えなきゃいけない。
「お嬢さんは、とても幸せな時に天に召されたんです。どうぞ哀しまないでください」って伝えなきゃいけない。
私のせいで、本気の小宮さんファンの方一人分の席奪ってしまう申し訳なさは重々承知です。
それでも、付き添って一緒に参加してあげなきゃ!と思うほどに心配だったんです。花子の心臓が。
延々知らない曲が続くライブなら辛いけど、トークとかコーナーが中心っぽかったので、それなら大丈夫だと思っていた前夜。
花子「カレンダーのお渡し会がある。カレンダー欲しい。絶対欲しい。カレンダー欲しい。カレンダー買いたい」
まだ漢字フルネームで書けるかどうかも怪しい声優さんのイベントの物販に、朝8時から並ぶことが確定したそんな夜を過ごしました。
そうして迎えた当日の朝8時。
既に100人近く並んでたんです。正直、色々ナメてました。
あと、男子99%くらいかと思ってたら2~3割くらい女性だったのもビックリ。「小宮さんしゅごい」って思いました。
トータル4時間ぐらい、クッソ日陰の中、時折ゴジラがぎゃおーんする中並び続けて、無事お渡し会のチケット?整理券?もゲット(花子が)
ちょっと腹ごしらえして、開場の時をソワソワしながら待つ(花子が)
開場に入ってまず思ったことは「ちっか!!!!!!!!!!!!」。
花子が謎の引きを見せて、前から3列目ぐらいだったんですよね。私なんかがこんな所から見るの本当にマックス申し訳ない。
開演までの間に、花子と、「端っこがいいか。出来るだけ真ん中に近い方の席がいいか」でウロチョロ席交代。
ようやく腰を落ち着けたと思ったら、案外すぐに開演。物販の開始といい、開場時間といい、開演時間といい、基本的にタイムスケジュール通りなのしゅごい。
MC担当の芸人さんのトークが面白くて、客いじりのさじ加減も絶妙で、「あ、このイベント普通に楽しめそう」って安堵感を覚えました。
~追記1~
痛車乗ってたり、全局同時にアニメ放映したとしても全部録画出来る環境整えてたり、何故かLOVELESSの最終回を工事のおっちゃんと見たりする。
テレビじゃなくてライブで積んできた感ある人だった。トーク本当に面白かった。
~追記1終わり~
そして定番の注意事項説明が終わって、「では、小宮さんどうぞーーーーー!」って流れでね。
出てきたんですよ。
とんでもないのが。
あ、ごめんなさい。サンタ服!!!!!!!!!!!!!!!!!!
脚ほっそ!黒タイツ太ももほっそ!黒タイツサンタ可愛いかよ!!
あんな美人でサンタで黒タイツなのに、自己紹介から3分もしないうちに、サンタ服の白いモコモコ部分が痒いのか、肘のあたりを掻きながら喋る小宮さん。
何せあんまり前情報がないもので、顔立ち+「ラブライブ!の声優さん」だからもっと萌え路線狙いなのかと思ってたんです。
肘ポリポリ掻きながら喋りよった、あの人。「暑い💢」つってサンタ帽脱ぐし。
<最初のコーナー>
事前に、ファンから募った小宮さんへの質問に、小宮さんが答えてくれるコーナー。
小宮さんの解答が大変雑なのが、とても可愛かったです。
ファンが「即興劇とか見てみたいです」ってリクエスト送って来てるのに、「時間が勿体無い!」ってバッサリ終わらすの可愛い。
結論、とちおとめを買わなきゃって思いました。(イメージキャラクターしてるって宣伝もしっかり挟むところ素敵です)
<2個めのコーナー>
9割眠そうだったのと、「食レポ下手くそかwww」ってところが大変に可愛いと思いました。
あと小宮さんの「恥ずかしいって感情が欠落してる」って発言もキュンとしました。
<3個めのコーナー>
小宮さんからサイン入りグッズをプレゼントして貰えるコーナー。くじ引きで、呼ばれた座席番号の人が当たり方式。
しかも、小宮サンタが直々に客席まで持ってきてくれるという、出血大サービスが過ぎるサービス。
ラインナップは、グッズ販売されてたもの一式と、1st写真集。
そして、特賞が、「自分の携帯に、小宮さんからのメッセージを録音させてくれる」というもの。
「うわぁ、それ当たった人、逆に可哀想だな…」って思いました。
そんなんされたら人生狂うやんか、って。
花子、当たってやんのwwwwwwww特賞wwwwwww
でも、ワイより、花子こそ真ん中に近いところ行くべきだと思って、席変わったんです。
そしたら、とんだ女神の戯れが花子にメガヒット。メテオストライク。
ボイスレコーダーに録音するからって、すっごいシーーーーンとしてくれる会場の皆さん。
「メリークリスマス♥はーなさん♪」って両手を口元に添えて、めっちゃ可愛い声出す女神。
( ˘ω˘ )スンッ って顔する花子(本当にした)(ガチでした)
居た堪れなくなって「生きてる?!」ってツッコミを入れてしまったワイ
ようやくこのコーナーが終わり、小宮さんはお色直しで、一時退場。サンタ服で歌うのか?また肘痒くならないか?って思ってたので一安心。
<幕間>
ライブ慣れが凄い方だなって思いました。よくあんな時間調整しながら上手いこと笑かしてくるなと。
<ライブコーナー>
どちゃくそ可愛いワンピース着て戻って来た小宮さんのお歌のコーナー。
~MC~ゴバスが小宮さんにとって大事だってお話。昔からのファンなら感涙モノだろうなと。
4:プラチナ(カードキャプターさくら)
~MC~各作品についての思い出。意外とオタクなんだなと知った瞬間。
~MC~マクロスが好きってお話。そして、グッズの宣伝タイム。「はー暑いなー。汗がもうね~。あー、タオルで拭こう…あれ?!このタオルは?!」という茶番可愛いかよ。
聖子ちゃんと、どちゃくそ可愛いワンピースと、ライブグッズのマフラータオルのミスマッチ感凄い。
ワンピースって言っても、ふりふりふわふわじゃなくて、シックめな感じだったの。
可愛い女の子じゃなくて、美人な女性が似合う系ワンピースだったの。
キュートな曲を、シックな服着ながら、ロックめにマフラータオルかけて、女神レベルの美人が歌うから、脳みそが何を思えばいいか分からなくなった。
ちなみに、星間飛行の
手つきがね。
超ぉ~~~~~~~~~~~~~~~……………絶色っぽかった。
「あーなたが好きよっ♪」ってところでバキューーーンされた時も、2016年恐らく最後の膝抜けを味わったけど。
私参加したの昼の部だったんですが、夜の部では、星間飛行がラストの曲になってたって聞いて納得でした。
皆の認知度と、乗りやすさと、小宮さんの可愛さ発揮具合がベストマッチだったんだと思います。
もちろん他の曲も全部とても可愛かったし、楽しかったです!
長くなりましたが、小宮さんのイタズラっぽい顔がハンパなく好きになりました。
余談ですが、家について、花子の携帯に録音されてたボイス聞かせてもらったんです。
「メリークリスマス♥はーなさん♪」
の
「はー↑」って上がるところが可愛すぎて、「メリークリスマスが過ぎる💢💢💢💢」ってキレたくなりました。可愛すぎて。
~追記2~
どうやら夜の部の同じコーナー(プレゼントの)で、
前「さっき、友達に『生きてる?!』ってツッコまれた人おったね』」
小「ね~!あんなに喜んでくれるなら良かったです!」
~追記2おわり~
「五本全部じゃなくて良かったね」と言われた。
例えば仕事で体調崩して休みとるか隠して頑張るか迷ってた時に、
「仕事的にこの先も同じことありそうだからあと5回くらいあるうちの1回だと思ったらいいんじゃない」
いずれも「お、おう」という感じで、自分ではネガティヴになってやたら重大視してるんだけど、
そんな発想もあるのかと自分では思いつきもしなくて、それで気が楽になったり大したことないと思えて救われることが何度かあった。
人に言われて初めて気づくのかもしれないけど、そういうマインドのフレームワークを知ってると騒ぐよりも先に自分だけで落ち着けるのかもしれない。
なんか良いのあったら教えてください。