祖父が亡くなった。
数年前から入退院を繰り返しており、たまに発作も起きて、病院に迷惑を掛けていると聞いていた。
また入院することになったから、見に行ってやってくれと親から言われていたが、何かと理由を付けて行くのを先延ばしにしていた。
体調が落ち着けば行くつもりだった。何より、入院している祖父の姿を見たくなかった。
何かあったところで、自分には何もできず足手まといだ。荷が重い。そう思っていた。
祖父はそれほど遠くないところに住んでいて、行こうと思えばすぐ行けた。
ただなんとなく顔を見せて、お菓子を食べながら夕方のニュースを見て、すぐ帰った。
「またおいで」と言われたのが最後だった。
数日前まで、あんなに会うのをためらっていた自分を恥じた。もっと会って、いろいろな話をしておくんだった。
「おじいちゃんはあなたを一番かわいがっていたんだよ」
つい先日、出張に行ったとき、なんとなく手ぶらで帰ってしまった。お土産を買って、仕事は嫌々ながらも、何とかうまくやっていると言っておけばよかった。
出棺のとき、棺に思い思いの品が入れられた。何も持って来られなかった自分に後悔した。
棺に寄せ書きの手紙が入れられた。控え室にメッセージを書くよう置かれていたものだ。懺悔の言葉しか思い浮かばなかった。どう書いていいか分からず、やがて式が始まってしまった。
自分の名前すらも書けないままだった。最後の手紙でさえ、自分の言葉を綴れなかった。また一つ後悔をした。
俺は馬鹿だ。こんなことを増田に書いてどうなるっていうんだ。自分の言葉をネットに流したところで、じいちゃんには届かないのに。
たまの休日なんて、大したことはやっていなかった。休みの日に部屋にこもってダラダラとネットを見て過ごすぐらいなら、もっと会いに行けばよかった。
(追記)
ブコメ>narukami 人から「かわいがっていた」と聞かされたところで特にここに書くような思い出もないのでしょう?
長くなるし、まとまりがつかないので省略しているが、幼少の頃から祖父は近くに住んでいてよく遊んでいるので、たくさん想い出がある。
亡くなってから数日経つが、昔一緒に遊んだ想い出ばかり蘇ってくる。
進学をして、社会に出ていくうちに自然と絡む頻度は減っていって、ここ最近は親戚付き合いが面倒に思っていたところだった。
まだ介護までには至っておらず、これから覚悟を決めていく前に、あっという間に逝ってしまった。お礼の一言も言えなかった。
それまでの自分のぞんざいな考えや行いが、これほどまで後悔を生んで自分を苦しめると思わなかった。
残された祖母と両親へは、もう二度とこういう気持ちにならないよう、意識的に付き合いを増やして、介護にも逃げずに最期まで向き合いたいと思う。