もう4年くらい前になる。
人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。
「あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」
なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。
彼女は俺のことを好きではなかった。
昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲。
自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。
あれから、いくつかの変化があった。
まず、実家とは疎遠になった。
それと、他人に嫌われることが平気になった。
好かれたり嫌われたりは、人間の価値とは無関係と思うようになったからだ。
世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。
凄惨な事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀や送別会や映画でも悲しくなることはなくなった。
タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。
人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。
褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。
そういうことに気付いたのだと思う。
ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。
感情がなくなったわけではない。
場の空気、前後の文脈や、他人の感情に干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。
好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。
幸せと呼ばずしてなんだろうか。
長い前置きだったが、本題に入る。
恋人が出来た。
恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックスはスポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。
このことを伝えるべきだろうか?
追記
人の感情に流されなくなってから、投資で失敗することがなくなった。
例えば、今年はトランプ大統領が誕生しようと、イギリスがEUから抜けようと、パニックで相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。