2017-03-28

結婚願望について

もう4年くらい前になる。

人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。

あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」

なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。

勝手に寝れば?私も勝手に続けるから!」

とその後ずっと罵倒言葉は続いた。

彼女は俺のことを好きではなかった。

思い返せば、自分彼女を好きではなかった気がする。

昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲

自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。

あれから、いくつかの変化があった。

まず、実家とは疎遠になった。

それと、他人に嫌われることが平気になった。

好かれたり嫌われたりは、人間価値とは無関係と思うようになったからだ。

ピーマンが嫌いと叫んでも、ピーマンピーマンしかない。

世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。

それに加えて、他人感情シンクロすることがなくなった。

凄惨事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀送別会映画でも悲しくなることはなくなった。

タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。

これらの変化は、あの夜以降、一つの気づきがあったためだ。

人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。

褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。

自分勝手に前提条件をつけて、自分が苦しむ。

他人他人で、他人気持ち絶対からない。

自分気持ち相手には決してわからない。

自分の願望と、目の前の事実関係ない。

そういうことに気付いたのだと思う。

ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。

感情がなくなったわけではない。

絵や、舞踏みたいな、非言語芸術を楽しめるようになった。

場の空気前後文脈や、他人感情干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。

好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。

幸せと呼ばずしてなんだろうか。

長い前置きだったが、本題に入る。

恋人が出来た。

また、相手もいい歳だし、結婚も考えてるのだと思う。

しかし、自分結婚には向いていない。

恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックススポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。

このことを伝えるべきだろうか?

追記

人の感情に流されなくなってから投資で失敗することがなくなった。

例えば、今年はトランプ大統領誕生しようと、イギリスEUから抜けようと、パニック相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。

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