「こういう言い方はダメだ」とか「これは差別だ」とかそんなものいちいち規制できるわけないじゃないか。
いわゆるヘイトクライムや誹謗中傷が当たり前に規制される行為なのはその通りだ。
私は「平等になってほしい」と願うのであって、「他人の思想は捻じ曲がっているから誰か矯正してほしい」というのとは違う。
だがここ最近は(今の時点での)マイノリティの側に立てば何をしても言っても良いと勘違いしている事例が散見されるのではないか?
我々はマイノリティ(とされる人々)に普通に接すれば良いだけで、言葉に気を遣い行動に気を遣いとするのはお門違いではないか?
任意の事象におけるマジョリティ/マイノリティの構図に目を向けた時、そこに社会的な階級・扱いの差が生まれるならそれこそ立場が逆転するだけの差別ではないか?
発言に気をつけなければならないTPOがあるのは確かだが「こういう指向の人が嫌」「こういう外見の人が好き」という様々な意見を寛容に受け入れていくのが
誰もが居られる社会であって、そうでなければ目指すところの平等って一体何なんですかね。
日本と似通った習俗がある国をモデルケースとするならまだしも、「ヨーロッパが先進的」とか「一義的な多様性(何を差しているのか分からないことが多いが)において寛容」みたいな基準で主張しているのであればそれこそ他国の文化に理解がない立派な差別だと思うんですがね。
これだけの人間がある集団として生きている以上は、マイノリティとされる人々を受け入れられる人も受け入れられず距離をとる人もいるので