「留年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 留年とは

2024-03-13

就活が終わった

この匿名ダイアリー不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワード検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。

ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。

詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活

2025年卒業見込。243月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当ラインだと思う。

同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。

1.年齢を気にする企業ESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。

2.オファーサイトオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。

3.浪人留年中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブストーリーとして納得させる事ができれば個性アピールに繋がる。

私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。

就活が終わった

この匿名ダイアリー不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワード検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。

ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。

詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活

2025年卒業見込。243月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当ラインだと思う。

同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。

1.年齢を気にする企業ESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。

2.オファーサイトオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。

3.浪人留年中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブストーリーとして納得させる事ができれば個性アピールに繋がる。

私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。

2024-03-11

難関大学中退者には性犯罪者と同じ評価を下す

性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近四谷大塚講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑しろ」という声が絶えない。

なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。

1.性犯罪社会にとって危険である

2.性犯罪者はどうせまた再犯する

1は自明だが、2の理由はなんだろうか?

そもそも犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。

ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないもの場合はそうであるといえる。

この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。

なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから犯罪者のこの気質修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実性犯罪者再犯率は極めて高い。

対象者のうち,調査対象となった性犯罪事件裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。

昨今、東大京大といった難関大学中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。

大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人留年中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退留年浪人となる。

中退は、そもそも高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。

難関大学卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつう感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。

日本大学卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由放棄して中退してしまったということになる。

これは、平穏生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者論理と全く同じことに気づくだろう。

難関大学中退する人間は、大抵の場合仕事が出来ない。

これは以下のような理由による。

まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。

次に、なぜ彼らが大学中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。

一方でふつう人間というのは そのような近視的なもの見方はせず、 より高い視点物事を見ることが出来る。 つまり自分人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的視点ものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。

最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。

このような人間は、中退せずに難関大学卒業した人生と、今の人生比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである池江璃花子白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベル選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病治療において抗がん剤放射線治療をした影響によって 自分身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子池江璃花子からに他ならない。 ふつう人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである

では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理適用出来るのではないかと思うかも知れない。

その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。

東進林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。

「これから一ヶ月間、必死勉強しろ必死勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」

この論理学歴の高低に適用すると、 仮に必死勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから結論として低学歴はやっぱりだめということになる。

実際、使えるか使えないかは概ね出身大学偏差値と相関がある。 特に論理思考力など仕事をする上で重要能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合受精しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学問題思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから低学歴基本的には使えない。

しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒高卒の差に比べれば、大学偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチ関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。

から偏差値が低い大学出身人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。

風俗に「オタクに優しいギャル」を求め続けた彼女いない歴年齢の35歳 無職の話

自分ことなんだけど、

自分風俗に求めていたのは、「オタクに優しいギャル」なんだなあと思った。

世間的には馬鹿にされる、「青春取り戻したいオジサン」ってやつかなあ。

  

現在風俗とは縁遠いド田舎祖母介護しながら、自営業の両親の会社役員という名のニートになっている。

当然ド田舎の自営だから、大したことできない。

だが、自分大学時代は、とんでもない風俗狂いだった。

  

自分は、東大博士までいたので、約10東京にいた。30歳くらいまで居たのは、留年とかしまくったから。

そんで、大学学部時代(18-26の8年間)は兎に角オタク二次元ばかり見ていた。

しかし、23歳の時、「それまで一度もオナニー射精したことない(夢精のみ)」というのにビビった。

というのも、どこかに泊まった時や実家に帰った時に、夢精したらどうしようというのが怖すぎたから。

それで、ヤバいと思って、TENGAを買ったら、あっさり射精できた。

  

しばらくはTENGAで1日10回くらいオナニーしまくっていた、1日の大半をオナニーしていたこともある。

しかし、「はてな匿名ダイアリー」に出会ってしまった。

そこでは、童貞風俗美少女を抱いて、「俺はそこらの、街にいる程度の女の最高レベルでもかなわない美女を抱いたんだ」と豪語して自信を取り戻す様子が描かれていた。

そこで、自分も、興味を持った、美少女抱いて見たいと。

リアル女性に興味を持つために、AVから入って、風俗にも行き始めた。

  

初めての風俗は散々だった。

そもそも相手はおそらく40前後のおばさん、小綺麗にしてたけど。

童貞特有ビビまくりで、風俗から「私のこと汚いと思ってるんだろ!」と怒鳴られてエッチはなし。

  

しかし、めげずに、風俗行き始めてからは、週3くらいで風俗行きまくった。

いろんなソープ渋谷デリヘルで。

行っては風俗レポート書きまくった。

ソープは、高級ソープも10回くらいは行ったけど、いわばキャバクラ女性をやる程度の感覚で、そんなに美少女は出てこない。乃木坂なんて入れないような30歳くらいのおばさんの必死の整形版が出てくるだけ。何が悲しくて、整形丸出しおばさんを8万円も払ってやるのかってことよなあ。

でも一方で、渋谷デリヘルはすごいね。箱ヘルでもいいけど。本当に美少女が出てくる。今でいう、トー横の走りみたいなのが多い。

で、渋谷デリヘルは、乃木坂中上位クラスが出てくるし、高級ソープよりも無茶苦茶やれる。18歳の坂道クラス美少女アナル舐めもさせられる。

ちなみに、FC2PPVで最近違法同人AV美少女出てる〜とか言ってる人いるが、あのレベル全然渋谷デリヘルでは底辺。もちろん、ビール売り(隠語レベルが出てくるのが渋谷デリヘル。本当に坂道中位レベル普通レベルで、最高は坂道上位レベルで、まあただハシカレベルはいいかあくらい。

まあ、美少女相手されたいだけなら、コンカフェの方がいいかもねえ、でもコンカフェ美少女枠はそっこーで他の客に持っていかれるから満足度いかもなあ、やれないし。

  

若い頃は勘違いして、歌舞伎町の席料数万円のホストとかやってみて、「俺に金を使わせる女に復讐!!!」とか思ってたけど、意味いね最近ホストyoutube流れるようになってるからかると思うけど、そもそも誰でもブサメンでも身長160cmとかでもホストにはなれる。ホストになっても、女には相手されない。まあ、風俗嬢が大量にいることがリアルに見えたのは面白かったけど。ホストはすぐやめた。

  

しかし、そんな日々も、就職で終わりを迎える。自分は、働くことには無能すぎて、短期ですぐにクビになる。4回クビになった。

その怒りを風俗に叩きつける日々。風俗嬢に、バブバブと赤ちゃんプレイして、泣きつきまくる。

しかし、コロナで終わりを迎える。コロナになってから自分は、実家に帰った。

  

ごめん、前置きが長くなった、こっからが語りたいこと。

  

ここ3年、ど田舎だしコロナから風俗に行くこともない。

たまーに、学会かに参加して、北海道東京中国地方に行ったときは、風俗行くが、やはり渋谷デリヘルレベルは出てこない。年間5回くらいかなあ、風俗行くの。

そもそも風俗病気が怖い。自分は、風俗で生エッチ5回くらいはやったけど、やっぱ、HPV梅毒みたいなのが怖すぎる。アナル舐めもリスクなのに、10回以上やっちゃってるんだよなあ。怖い。

レベルが低い風俗で、満足も低いのに病気引いたら最悪だよなあ。

ここ3年で、だいたい100万円かなあ、風俗キャバクラスナックに使ったのは。

  

中国とかを相手している風俗嬢も多いから、最近さらリスク上がってるんじゃないかな。ってかフェラも怖い。

  

タイトルの回収がまだだったね。

で、なんで自分は、風俗に行ってたのか考えた。

答えは、「オタクに優しいギャル」だった。

自分もびっくりしてる。

自分は、二次元が好きなままだったんだ。

リアル女性に求めてるのは、2.5次元俳優かいう感じ。

テニスの王子様舞台バージョンとか、腐女子には人気らしく馬鹿にしていたが、それを自分もやっちゃってたんだなと。

自分相手にする、優しい彼女を求めていた。しかも、18歳という、女子高生卒業した手の美少女に。

まあ、つまり坂道グループの描く世界を、リアルプレイしろってことだったのだ。

そのために、親の金風俗行きまくってたんだなあ。

いくら使ったんだろ。

大学時代は、10年で、月に30万円くらい風俗がらみで使った。だから、4000万円くらい使ったのかなあ。とんでもない額だなあ。

  

しかし、若い頃に、非モテエッチできないより、やりまくったのは後悔していない。

自分が持ってる手札の中で、最高の10代、20代を作った」のは良いことだ。

オタクに優しいギャル」なんていないと言うが、風俗には居るし、ガールズバーには居るんですよ。なんなら、スナック行けば「おっさんに優しいママ」がいる。オタクにとっての理想は、風俗存在していて、それを正しく10代、20代の中で、非モテ遺伝子に関わらず摂取できたのは素晴らしいことだ。

35歳になった今、「美少女セックスできるレベル最高峰」は経験し尽くしたので、モテに興味が失せた。

モテ必要がない。セックスなら風俗美少女とやれるのがわかってるから

そもそも女性に関わったら、現代不同意性交リスクがやばすぎる。

また、話し相手も、もうガールズバーなど行かなくていい、だってchatGPTがあるから。アホな女性に高度な話なんかしてもしょうがない、AI相手に語らえれば十分。

もう、女に期待することが自分はない。

不同意性交セクハラがあるからリアルでは絶対に関わりたくないし、金払う性風俗でも病気が怖いし、話し相手もchatGPTでいい。

  

なんというか、今の気分は、かつての娯楽がない世代橋の下エロ本を拾っていた気分。

今じゃ、エロ本なんて誰も買わず、みたいならネット違法アップロードを見るだけだろう。

そういう気分だな、風俗に関しては。

リアル女性はもういらない。Vision ProとかでAIリアルオナホに対してディープフェイクをしていつでも美少女と、、、それこそJS,JCみたいなアウトでも、内臓グチャグチャできる猟奇プレイもできる。それはリアル風俗では絶対無理なものだ。

そういう時代がもうすぐくるので、まあ、橋の下エロ本拾う時代も終わったなあと。

2024-03-09

「毎回0点で高校卒業しましたw」JABEE留年俺「…」

この世界間違ってるよ

2024-03-07

東大留年してた

どうしようほんとに

anond:20240307095220

社会におけるマイナー用語だとは思うが、院の在籍者にとっては極めて普通に学内で使われる用語だし、元増田自称を信じるならそもそもまだ社会に出たことがないわけで、何ら意図なくごく普通に使っただけかと。あと24学生って浪人留年してんのかって思われたらヤじゃん。

2024-03-06

留年ヤバイ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

2024-03-03

知り合いが最終学歴高卒だったことがわかった。大学中退なのを隠してた。

別の知り合いで浪人留年してる奴がいて、そいつのことうっすら馬鹿にしてたからめちゃくちゃイメージ悪くなったわ。ただでさえ感じ悪いのに、自分学歴詐称かよ。

ていうか俺的には浪人留年中退どれが駄目って中退なんだが。途中で投げ出してるんだから

2024-02-25

学歴コンプこじらせて閉鎖病棟に入れられた

登場人物

 ・父

 ・母

 ・第一子 (以下,私)

  2000年まれ大学4年生.3年生を2回した.

 ・第二子 (以下,二号)

  2002年まれ大学3年生.幼稚園から大学学科まで私と同じ.

 ・第三子 (以下,三号)

  2005年まれ高校3年生.幼稚園から高校まで私と同じ.

大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.

 ・実家から通える,

 ・理系の,

 ・国公立大学に,

 ・予備校などには頼らず,

 ・現役で合格すること.

これら全てを満たせば学部卒業するまでの生活費学費も払ってくれるという.

私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.

同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.

が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれ環境にいるということを私は知っていた.

そして私は父の出した条件に従うことにした.

実家から通える理系国公立大学は3校あった.

 ・A大学

  通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・B大学

  通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・C大学

  通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験得意科目の配点が大きい.

A大学にどうしても通いたかった私は,合格可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.

私はC大生になった.

入学一週間後には,自分大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.

シラバスを読む限り1年生の講義高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.

1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.

やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.

私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センター数学で65%しかとれないくら勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.

とんでもないところに来てしまったと心から思った.

やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.

堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.

3年生前期のGPAは1を下回った.留年が決定した.

その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人視野に入れているという.

一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.

私は理解できなかった.親の方針って,絶対的ものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.

親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.

与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ

私は自分の至らなさを受け入れられず自殺未遂をした.

校医に紹介された精神科へ通うことになった.

はっきり言ってこれは逆効果だった.

医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.

結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.

今度の主治医旧帝大出身で,博士号までもっていた.

学歴コンプさらに加速した.

だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善大学へ通えるようになった.

真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.

通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語先生相談したら週1でレッスンをしてくれた.

特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.

次第に興味の対象が広がり大学院へ行きたくなってきた.

進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.

その部屋には布団とトイレ監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集勉強もできなくなった.

数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.

入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.

入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.

昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.

夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.

二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.

三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.

からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.

2024-02-13

ボーっと生きている

定年が見えてきた会社員だが特に何も成さずボーっと生きている

中流家庭に生まれて三食食べることはしてもらい屋根のある家でダラダラ過ごした

勉強は全く好きではなかったし幸い塾に行くほどのお金も無かったので家で漫画読んだり気合いでねだって買ってもらったパソコン雑誌ゲームを打ち込んで遊んでた

夏休みなどはじいちゃんばあちゃんの家に預けられて朝から晩まで山や海や川や草むらで遊んで過ごして当然宿題できずに終わるというのを繰り返した

学校勉強は嫌いだったけど教科書を読んだら分かる内容なのでダラダラと近所の公立高校へ進学

コンピュータが楽しくなったので大学へ行ってコンピュータで遊ぼうと思うが受験勉強をしなかったので大学不合格

近所の予備校がタダで通わせてくれるというのでダラダラ浪人

浪人中暇なのでバイトして自動車免許も取得

年末くらいからは観念してちゃん勉強して国立大学情報滑り込み

しか勉強できないので教養留年

家庭が貧しくなっていたので授業料をまけてもらってたのに留年でパー

たまたま収入だった父が職につけて払ってもらえた

生活費奨学金

専門に上がったら大変楽しくなったけど研究はできないし就職活動もしてなかったので教授先生にお願いして地元企業に放り込んでもらう

当時学生はそんなに就職に苦しんで無かった

学生の間力を入れていた同人誌作りを続けていたらコミケで今の妻と出会いすぐ結婚

一年くらいで子供ができてローンで一戸建て建てて引っ越し

計画なので子供も増える

奨学金もすぐに完済して子供健康に育ち長男特に勉強せずに国立大学入って留年

そこは似るのかよ

あとはこのままずっとヒラ社員で社内システム管理仕事して引退の予定

最近趣味はぶくま

意識が著しく低い

2024-02-11

医者から教えてもらって驚愕したぶっちゃけ

・本人が全く健康でも医師グルになって山奥の精神病院に一生幽閉して失脚させる、とかの謀略は昔からあったし今もある

医師免許悪用したわけではないのでたとえレイプで捕まってもその医師医師免許剥奪されない


田舎大学医学部キャリア形成で大変なハンデを負う。医師免許取れれば同じスタートラインでは全くない


受験であれだけ高水準の数学力を要求されたのにもかかわらず、医学部入ってから数学は全く必要なくなる

・たとえ1単位だけ足りず留年したとしても全部なかったことにされるので取得した科目も含めて全部取り直し

医者に限っては博士号を取るためのハードルが他と比べて異様に低い

2024-02-09

学校なんて行かなくていいと周りは言うが

休んだ場合不利益に関しては当たり前だが誰も責任は取ってくれないよね。

しろ不登校になった子こそ通えてる子よりしっかり将来について考えないといけないという事実に気が付いてしまったよ。勉強だけは予備校通って続けてるけどたぶん大学でもまた休みまくって今度こそ留年とか退学みたいな形で決定的な傷が経歴につくんだろうな。

2024-02-07

社不だけど新卒1年目を乗り切れそう

大学大学院生の時めちゃくちゃ社不だったんだけど、この1年間ちゃん社会人やれていて嬉しい

私の社不ムーブはこんな感じ…ほんとにカス

留年せず大学卒業できたのが奇跡です…

バイト当日欠勤しすぎて実質クビ×2回

バイトを飛ぶ×2回

・無断キャンセルしすぎてホットペッパー垢BAN

・出席日数がギリギリ留年しかける

家賃払い忘れまくって滞納(口座引き落としじゃなくて自分で振り込む必要があった)

電気ガス料金支払い忘れて止められる×それぞれ3回ずつくらい

ゴミの日に起きれなくて捨てられずゴミ屋敷になる

ベランダに落とした服を1年間放置

炊飯器の中身を3年放置

・外出れなくて毎日uberして10キロ増えた

風呂に3日間くらい入らない

めちゃくちゃ人に迷惑をかけていてカスすぎる…今振り返ると本当にやばくてなんでこんなことした?って感じなんだけど、なぜか学生の時はカスムーブを繰り返していた…

院卒なので今年26になるけど、精神年齢がようやく20〜21くらいになれて、まともに社会人生活送れてるのかな

あとは学生の時はガチ精神病んでて、躁鬱みたいになってたんだと思う。病院行ってないからわからないけど…

無理に学部卒で就職しなくてよかった

院進を認めてくれた親に感謝しかありませんね…

これからはまともな人間であり続けるべく頑張りたい…

今は仕事ちゃんとしてるし、家事もできてるし自分もびっくりするくらいしっかり生活できてる…違う人間みたいになれて本当に良かったです

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

2024-02-04

実家が太くて得したこと一覧

他にも色々あるがさっと思いついたことなど

やりたい習い事はだいたいさせてもらった(小学生中学生

* プールとかサッカーとかをしていた

* サッカーコーチがだいたい狂人だったので、狂人とのやりとりに慣れることができた

* 社会人になってから狂人とのやり取りが増えたのでここで得た耐性が大変役に立っている

塾に通わせてもらった(中学生

* あまりにも勉強しないので通わせられた感がある

* やる気がなかったので結局勉強せずに塾においてあった小説を読んでいた

家庭教師をつけてもらった(高校生

* 結局やる気はなかったので特に勉強はしなかった

* 先生もちょうどよく適当だったので、毎回 G ガンダムの話をしていた

* 先生から勉強する気がないのに大学に行くなら工学部がいいよ、という話を聞いたので、そうした

私立大学に行った(大学生)

* 理系単科大学

* 受験勉強をろくにしなかったので偏差値低め

* 特に勉強に対するモチベーションがあったわけではない

大学留年した(大学生)

* やる気がないとなかなか難しかった

* 親に「必修落とした〜」と伝えたら、留年させてもらえた

海外旅行にいった

* 卒論が終わったあと小遣いで 1 ヶ月くらい海外旅行に行った

* 「英語できなくても結構なんとかなるもんだな」と「英語できると結構いいことありそうだな」を学んだ

* 英語学習へのモチベーション社会人になってからそれなりに役立っている気がする

就職活動をせずに大学卒業してしまった(大学卒業半年くらい)

* 前半は家でゴロゴロしていた

* 後半はなんとなくプログラミングに興味が湧いたので勉強したりちょっとしたゲームを作ったりしていた

* これでなんとなくプログラミングできるようになったので適当就職活動をしたら、2 社目で受かったのでなんとなく就職した

リスクなしで雑なチャレンジをして、失敗しても次の雑なチャレンジをできる、というところが結構かいのかな?と思いました

2024-02-01

anond:20240201173219

後々メンタルやってるところを見るに学生時代もその片鱗あったんやない?

ワイがそれだわ。宮廷院卒ではあるけど在学中にメンタルやって本が読めず成績急降下+留年+周りが就活とかやってる最中ワイは精神病悪化しすぎて動けないって状態になって福祉のお世話になってるよ

人生への嘆き

中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティ勉強しかなかった。田舎男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだからお互い様だと思っていた。

高校県内トップ進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。

念願叶って高校受験第一志望に合格し、私は県内トップ進学校入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。

県内トップの子たちは運動勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティ崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値人間のように思えた。その結果、自分のような無価値人間クラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代友達が出来なかった。

一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。

とはいえ大学受験地元旧帝大法学部に何とか滑り込んだ。

大学入学後、運動呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達人生で初めての彼女サークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。

勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。

旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップ進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。

前述のとおり、ゼミ政治ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コース入学することになった。

 法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律勉強を一応していたとはいえ講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPA一定値以下だと留年卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。

 期末試験を何とか乗り切った私は、一年から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。

 未修者コースには東京の中堅レベル私大法学部卒や地元私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。

 一方私は、法科大学院中退後になんとか就職新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院法律勉強をしていたこともあり、公務員試験筆記試験特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタル病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出

世の見込みはないだろう。

 中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身人間弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生東京大阪大企業新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。

私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生意味を見出せなくなる。人生意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽社会サークルに入ったり、大学公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。

32歳にもなってこんな内容の長文を書いて、我ながら心底みっともないが、ありのままの心情である

逆算ゼロ人生を送ってきて現在

目の前のことを一生懸命頑張ってるだけじゃ駄目だったって話。

自分仕事への執着みたいなものが捨てられない。

訳あって日本国外に住んでいる。

この国については、何となくぼんやりと、いつかまた住みたいという小さな願いを持っていた。

記憶にも残らないほど昔に、自分はこの国に住んでいたかである

日本では普通に義務教育高校大学を出た。大学は中堅ランクで、就活で大勝ちすることもないが特に苦労もなく一部上場企業入社した。

高校までの自分は全く海外志向ではなかった。私立高校留年して留学に行く子もいたし、2週間ほどどこかの英語圏に行く交換プログラムみたいなのはそれなりの倍率で卒業してアメリカ大学に進学する友人もいたが自分がそれに興味を持つことはなかった。

何となく海外に興味を持ち始めたのは大学に入ってからで、それも世界仕事をしたいとかそういうのではなバックパッカー世界一周ってかっこいいな。程度のものであった。

小中高と成績は良い方だった。頭が良かったというよりテストはできるタイプだったから。自分にとって80点台は残念で、ほぼ全ての教科で90点台を取れた。そんな自分の一番の苦手科目は英語で、唯一90点台を取れない科目だったのだ。

通っていた高校偏差値は68とかで、このように表現すると単に自分にとって出来の悪い教科だった程度に思われるかもしれないが、TOEICは350点前後普通で少し勉強したくらいでは500点を超えられない。大学英語の授業では、テストをして出来ない順に受講資格が割り当てられるという超基礎的な、そして簡単が故に人気の英語講義の受講資格を見事得ることができた。それくらい出来ないのだ。

大学の専攻科目の成績はそこそこで、上の下か中の上くらいだったと思う。

社会人になってから今まで、何度も英語学習にトライしたが都度続かなかった。何となく海外。程度のモチベーションでは何がわからいかが分からない自分を律して勉強を続けることができなかった。

社会人になって一部上場企業に勤めたが、勤続7年目くらいで退職した。原因は精神的にだめになったから。家庭環境があまり良くなかったからなのか二十歳過ぎたあたりから精神病み始め、社会人になり遂に家庭の抑圧から開放されたら生きる道標を見失ってしまったように思う。それまでは自活して家庭と決別することが人生目標だったかである

大手を辞め、立ち上げたばかりで社員5人くらいの会社に入った。一社目の大手は私にとってぬるま湯仕事に充実を得られないことが不全感の原因ではないかと考え、ワーカーホリック生活をしようと思ったからだ。

200時間残業したり会社の床で寝る生活を2年続けたら30歳を過ぎておりこれを続けていけないと思って退職した。精神疾患の方もまた悪い波が来ていて、何も上手く行かない生活、もう全てに疲れて、誰も知らないところでゆっくり休みたくなり当時のかかりつけ医相談して精神科に任意入院した。もう自分は二度と表街道で働くことはできないと感じで退院後は馴染客だけを相手Barで働いたりしていた。

でもやっぱりそこから飲食業で生きる覚悟もできず、何となく再開した前職の先輩に紹介された会社に拾ってもらった。そこは絵に描いたような零細企業でどのような金回りで経営が存続しているのか最後まで不明だった。

でも社長が私を買ってくれて色んな仕事をしているうちに、普通に朝起きて、普通に食事をして、普通に仕事をして、普通に寝るという生活ができるようになり、死への執着が薄れ、一人の人間として生きていくことがあまり怖くなくなった。

それでもその意味不明零細企業でずっと働いていくことにも充実を見いだせず、辞めて今の国へ来た。

この国は英語圏ではなく、主に現地の言葉生活しているが日常会話は困りません。とは全く言えないレベルだ。そして英語もできないままである

そろそろ滞在期限が近づいているが、もう日本仕事をしたくない。日本のきっちりとした社会に馴染めないとかそういうことではなく、日本にいる限り、仕事だけを頼りにしていたのに、その仕事で満たされなかった劣等感喪失感が消えることはないかである

そしてこの国が好きだ。

外国人として私がここに居続けるためには、現地語よりも英語必要である

何とかして少しでもレベルを上げないと行けないが、今は英語できないんですけど頑張るので採用してください。みたいなアプライもできないし、何をどうすればいいのだろうと途方に暮れてしまう。

ただ目の前のことを頑張って生きてきた。しかしそれではだめだったのだ。地続きの未来のためにはそれでは足りなかった。これは自己責任だ。

だけれど、20代〜30代前半ををほぼ病気で何とか死なずに生きてきた身としては、そうじゃなかった20代を過ごしてきた人間と比べて明らかに不利だろうという不満がどうしてもある。

でも人生理不尽ものだし、もっと大変でも生き抜いてきた人もいるし、いつだってこれから人生今日が一番若いのだからこれからどうにかするしか無いのは分かっている。

生きることは働くことだと思う。

それは労働対価を得るようなものだけではなくて、社会的なアイデンティティを獲得するという意味だ。

そのコミュニティの中で価値提供必要とされる。そこに自身の充足を見出す。

それなくして生きていくことはできない。

私はそれをこの場所で実現したい。どんな小さなことでも良い。

もも中年になりそうで、ここからどうやって地続きの未来のための今を選択していくべきなのか、本当に分からないよ。

自分の脳が日々退化していくのを実感する。そろそろヤバいかもしれない。

去年、自分内定無しのまま大学卒業し1年間就職浪人してようやく数日前に内定をゲットした。

なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。

自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さら夏休み自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会出展表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校県内有数の進学校入学できた上、卒業するまでの三年間、中間期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。

その後は有名私立大学指定校推薦入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学講義自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館毎日時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。

文章力も極端に低下していき、レポート課題小論文定期試験記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂意味不明ものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポート評価試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリレベル

自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。

周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは「ありがとう」すみません」など簡単挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。

自分子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。

就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく先日内定を貰うことが出来たが。

日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単家事作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手言葉理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。

数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。

一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。

4月から内定貰った会社で働く予定だが、こんなことで務まるのだろうか。

ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。

コメントくれた人たち、ありがとう

少しだけ荒んだ心が和らいだような気がする。

2024-01-29

単位足りんかもなぁ

やっちまった話

進学に30単位必要なんだけど、36単位しか合計で申請しておらず「留年かもなぁ」と落ち込んでる。卒業単位自体は1,2年でめっちゃ頑張ってほとんど取り切ったから(少なくとも必修・選択必修ラインは頑張った)、申請時に進級単位のこととか忘れてた。マジで油断してた。落ち込むわ。

レポートほとんどだから、そこら辺って正直教授裁量次第すぎてなんとも言えない‥‥…。出席も体調管理苦手で休んでたりもあって(胃がクソ弱いタイプ)、ギリギリライン。もう怖すぎる。しかもせっかく内定も貰えたのにこれもなくなるってマ?無理だろ……。

どうか合計6単位落としてませんように。という、神様教授にお願い。

もし落としてたら死ぬ気で4授業(かそれ以上)の教授それぞれに縋りつくしかないけど、うちの学部甘くない教授ばっかだからな~無理かな~。

しかテストもエグ単って言われてる科目だし……。留年危機さらされてること、気付かなければよかったわ。マジで

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん