はてなキーワード: 気概とは
余震も収まってきたしそろそろ動き出さなければ、ということで、事務所のテナントの耐震診断をしてもらうために不動産屋に電話をかけてみたがまだつながらなかった。HPを見たら営業再開のめどが立てられないとのこと。人や車の往来が多い立地で築年数も結構経っている建物なので、地方議員をしているという家主に直接連絡を取ることにした。
連絡先の控えが取り出せる状態ではなかったのでFBで探し出し、メッセンジャーで連絡をした。
丸一日経ってもメッセージは開封されず、今はいろいろな連絡が殺到しているだろうし、かつFB上で友達ではないので受信箱も仕分けがされていてそもそも気づいていないかもしれない、とも思い、自宅の電話番号が公開されていたので、申し訳ないとは思ったがそちらに電話をかけた。
「不動産屋が営業再開のめどが立たないとのことで、申し訳ないとは思ったがやむを得ずこちらに連絡した。
もっと緊急度が高いところが一段落してからでもちろんいいので、順番を待っている」
ということをていねいに伝えたはずなのだが、それに対して返ってきた的外れな返答が、本当に不快だった。
「あの建物は丈夫に作っているので、すぐに倒壊する危険はないとわたしは思いますよ」
→おまえの私見を聞いているのではない。今後のために専門家に見てほしいということを言っている。
「いいですか、優先順位というものがあるんですよ。おわかりですか?」
→最初に言ったでしょ。この状況を経験してわからないとでも思ってんの?
「窓が開かなくなったと言いますが、開いたまま閉まらないよりはずっといいでしょう」
→窓が開かないこと自体に困っているのではなく、建物に歪みが発生したのでそれを調べてくれとさっきから言っている。
いちいち言い返すのもめんどくさいし不毛だし、だいたい頭が回らなくて言葉が出てこなくて、終わるまで黙って聞いていようと思ったが、窓のくだりでもう耐えられなくなって話をさえぎり
「確認ですが、借主から家主への、調査をしてくださいという依頼のお電話です」
「はい、その依頼のお電話です、順番が来てからでいいですからね。診断をお願いします」
という調子で、なんとか「診断する」という言葉を引き出せたので、そこで電話を切った。
一晩明けた今も腹立たしい気持ちが消えない。
なにしろ議員さんのところにはいろいろ頭おかしい電話もかかってくるのかもしれないし職業柄どうしても会話の調子が説教臭くなるのかもしれないが、それにしても、現状認識のレベルの低さというか頭の悪さというか、はなから「何もわかっちゃいない」という調子で一方的に誰でもわかってることをあたかも自分だけがわかってるかのような調子でとうとうと語り続けるそいつの語り口に、ああこんな馬鹿が議員をやっているうちの地方ってもうダメやん、という暗澹とした気持ちになったし、被災者がお互いに共有している「大変なのはみな同じ、お互いに譲り合って、協力しあって乗り切ろう」という気概にものすごい傷をつけられたような気持ちになった。
といった、東京から来たテレビの連中並のことしか書かれてなくて、当事者意識がまるで感じられない。
もしかしたら、見えないところでいろいろ駆け回ってるのかもしれないけどさ。
それならあんな言い方にならないはずなんだよね。
頭が回らなくて言い返すこともできなかったというのがますます腹立たしい。
こっちはいまだに毎晩車中泊なんだよ。自宅も損壊してんだよ。そっちもいつ見てもらえるかわかんない状況なんだよ。
風呂入るのに、移動時間と待ち時間と合わせて4時間かかんだよ。
足りないものは分け合って、励ましあってやってんだよ。
馬鹿にするな。
どんだけ毎日頑張ってると思ってんだ。どんだけ我慢してると思ってんだ。
何もわかっちゃいないのはお前のほうだよ。
レイアウトの問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。
多少機械的になりますが、考察と反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います。
まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。
一応、どうしても楽しめない境遇を可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さらに相手の感情や思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います。
また、「かわいそう」といえば、自分はアニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。
そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。
ところで、
とありますが、自分が記事を投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定数存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。
また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。
勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります。
おりあそ氏やkato19氏は自分の考察や批判を読んで、「自分の記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。
個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判の論理を受け止めてほしかったと思います。特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。
様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。
例えると、本来議論が平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います。
結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品を批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります。
とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログや書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます。
おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易に判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。
悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。
また、普通は相反する立場の相手と意見を交わす際には自分の意見と相手の意見の比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分の意見の説得力の有無などよりも、相手の意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります。
そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分や自分たちがファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体の評価を行う上ではズレが生じていると思われます。
また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体のスポークスマンのように便宜上賛美、擁護の立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます。
一方で、自分やその他の原案やアニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見の根拠の概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います。
その上で、
コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空のアイドルがアニメに出演している、そういうものですよね?
と氏の記事にも言及があるように、ラブライブがメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。
原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメと声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます。
それはつまるところ、「アニメもメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。
実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体の独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからとスルーしつつ、基本的にポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。
しかし、PVやCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。
メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います。
しかもスクフェスやスクパラ、ドラマCD、PV、ライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一、侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)
いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色だから許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。
つまり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的に評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスだから許しなさいという理論は説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。
また、アニメにおいて原案の方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮と見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています。
glee盗作騒動は自分の絶望とアニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写の凄惨な状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機や姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。
また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品やキャラクターを扱う上での倫理的な善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります。
絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深い問題から目をそらしながらの朦朧とした感情と論理から、批判派の体験や感情は全て妄想だから目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。
仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からはパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品が批判されたくないとか、好きな作品がパッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。
kato19氏や自分が思い当たる絶賛派の何人かもアニメの作品表現や演出を評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合、表現が曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品がラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。
先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来のキャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています。
ただ、絶賛派が作品の物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品の演出などが安易なパクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…
たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人だから好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠をアピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます。
kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠、評価する根拠を読んでいると、その作品がラブライブという作品群であることの意味や価値が殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案や原作、物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。
おりあそ氏の批判や先の自分の考察や反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。
絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブがラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います。
そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現や演出その部分だけを見て論じる第三者的な評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。
その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。
高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナーや建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストランや料理の包括的な意味でのファンや評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質な料理を提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。
レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員がいるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員のファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います。
この例えにおいては料理の種類や味というのが作品の物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出や声優スタッフなどにあたるでしょうか。
私が二十歳そこそこの30年も前の昔話…
当時銀行のATMや駅にある券売機のメンテナンスを仕事にしてました。
定期点検に行った時の話。
壊してしまいました。
交換基板がありません。
復旧までに、何時間もかかりました。
当時駅員の方は、
「これは300万位の損害だな~」
ありませんでした。
要求されるかも知れません。
気がします。
「今の世の中は便利になったはずなのに、人は生き辛くなってきてる」
と述べてましたが、本当にそう思います。
新社会人を職場に迎え入れる時期ですが、失敗するのが目に見えていても、
ちゃんとその機会をあたえ、場数を踏ませてあげてください。
顧客側の方も、使えない奴が来たと分かってても、
自社の新人を育てるつもりで接してあげてください。
heis101 “そんな俺からしたら保育園のデモなんて、豪華客船クルーズの客が船酔いしたってクレームつけてるようなもんだ国民全員の問題だとかマスコミはいうが、どう共感しろと?”
htnmiki こんなこと書いても意味がないことくらい増田もわかってて、それでもこれ以外に言いようがないってことなんだろう。諭すブコメ書いてる時点で生きてる世界が違うんだよ。
lettuce0831 わかる。恋愛格差だって深刻な問題なはずだ。保育園は東京からエクソダスすればいいだけだが、これは一生解消されないのだ。「お前も不幸になれ」なんて曲解もいいとこ。「俺にも彼女くれ」っていうゾンビの叫びだ
hobo_king 子供を持つこと自体が資産のある人間に許された贅沢だろ苦労など知るかってのも、視点によっては否定出来ないな。ただ、どちらの言い分が正しいとか言い出すと格差って問題の本質からは遠ざかると思う。
YPoAH 将来とか老後とか言ってるヤツ、持たざる者の心がわかってなさすぎて震える。俺達は今この若い時分を幸せに生きたいんだよ。何もないまま空っぽの老後迎えてどうする?薄味の汁を更に薄めて味のしない人生など無意味
white_rose この増田を叩く人たちの冷たさにぞっとする。/年金云々て、豪華客船の客が不自由ない暮らしをしてちょっぴり施すのを待つために安月給で虐げられていろ、と言っているようなもん
ganbarezinrui 共働き勝ち組女の愚痴は迅速に肯定され国会まで拡散するけど、こういうおっさんの本当に深刻な嘆きは自己責任で切って捨てられる。死ねという気概もなく、ただ絶望するしかない
ysog 都会生まれが田舎の絶望を想像できないだろう。普通に青春し結婚して家庭をもつ側がモテない側の絶望を想像できないだろう。生まれながらの属性や過去は変えられない。そんなのもう、呪うしかないじゃない。
Josequervo ブコメ、落ちた母親より酷い自分の境遇を訴えたり待機児童問題に共感を覚えなかったりしただけで人の足を引っ張ってると言われる世の中。残酷だし救いが無さ過ぎる。
sleeplessnemuin 女の不利益は保護が当然!と叫び、男の不利益は自己責任wでごまかす。これが女の感情を元にしたフェミの限界 だからアンチフェミが激増するし、将来子孫を残せないのもフェミ、又はフェミの子なんだけど自覚なし
季節外れのインフルエンザだよ!
カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。
(下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね)
カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。
勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。
カドカワにとっては、美味しい漁場ね。
という企画書になってるハズ。
Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数の「視聴者」が居るから。
Twitterとか2chとかでTV番組のコメント拾うとソコソコ的確なデータが揃うのも同じ。
ということはだ、カクヨムの場合は「読者」中心に設計しないといけないはずだった。
が、ニコニコとかがあると、どうあっても「作者」寄りに設計するよな。
そこがマトモにシミュレートしてねえよなって感じる所。
まあ、「読み専」って単語そのものが既にして判ってねえ感満載なんだが、
繰り返しになるけど、評価者が中心に来ないとまずい。
誰も評価しなかったらどうなるか?
誰が使うんだそのメディア。
今のカクヨムは、その状況。
まあ、面白い作品があって埋もれてる状況って、もったいないよな。
そうすると、例えば以下の手法がある
どこまで読んだかの栞、傾向の似てる作品のレコメンド、読んだ作品数の貯金。
あらゆる読者向けサービスで使われている書影(表紙画像)って記憶にダイレクトに効いてくるので、
pixivと連携して書影コンテストを開催するくらいのことはやって充実させる気概が欲しい。
コレがあるだけで、チョット読んでみようかって人が増える。
カドカワに人材居ないなら、それこそ日替わり編集長とか頼めばええがな。
目が多ければ問題になることは少ないんだよね。つまり、評価者が少ないのが問題。
だったら、「参考になったレビュー」と「参考にならなかったレビュー」をさらに評価するのが手っ取り早い。
(興味深いとか面白おかしいみたいな、スラド方式もあるけど、いきなり導入は難しかろうな)
まあね。
でも、そのレビュー評価で作品選んでんだから実は同じなんだよね。
星の合計数が出てるってのがそれ。他の人の評価で選ぶなら、他人の評価を読んでるのと一緒。
AmazonとかAppleが星の合計数じゃなくて「★★★が何人です」ってやってんの意味あるんだよ。
★5と★1にピークがあるなら人を選ぶ作品だってわかるし、★5が多いなら読んで損はしない。
知らず知らずのうちに人は評価者に影響を受けてる。
ちゃんと評価されればね。
なんでかって言うと、無名の1万人の作品を読む暇人は基本的には存在しない。
ニコニコ動画に「人類には早すぎた動画ランキング」がある理由を思い出そう。
ログイン後に強制的に玉石混交の作品を読まされるとかじゃない限り、人はランキングに頼る。
チートは弾くべきだけど、やるべきことは「互助会への加入補助」になるんだよ。
互助会ってワードが強すぎると思うなら、クラスタの生成とか、ニッチなクラブ作りでも良い。
ハードSF好きとか、スーパー攻め様だけ読む人とか、ネットは広大なのでニッチの組閣は必ずできる。
(設計的には評価者だけの組織化を促すべきなんだろうけど、難しかろう)
今は、「読者」間の繋がりを作る方法が全く無い。
まあ、そのうち週刊カクヨムができてピックアップされたり、
今週の短編のお題が出されたり、
そういう風になっていくだろ。
もう俺の作品は日の目が見ることはないだろうが、そんなのはどうでもいい。
俺だけでなく多くの人が期待をこめて飛びこんだカクヨムをこのまま潰さないでくれ。
そして、これを見たWEB小説に少しばかり興味がある人、どうか頼む。
多くの耳目を集めて準備期間も取った今のカクヨムには、面白い作品がかなり埋もれている。
俺もいっぱい出会った。それをなんとか探し出して少しでも延命してやってくれ。
運営がなにかしらの一手を打つまで、そこまで生き残らせてくれ。
この増田に触発されて書いたのに、元増田ですら作品名書けてない現状が全て。
何言ってもステマ扱いされるようなコミュニティは健全じゃないよ。
クックパッドでも(アレだけ揉めながらも)つくれぽが人気なのは、
現時点でコミュニティ作りが全くないのは致命的。
何に焦ったか知らないけど、見切り発車しすぎじゃねーかな。
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ブコメみてもイマイチ盛り上がりに欠けてるので、勝手に補足しとく
で、「ガチャの問題点は、確率がわかんないとこ」って発言すると、
「スクエニが事態を把握してない証拠これね」って使われる(裁判・規制で)
「じゃあ高額課金させないように、ルール決めるか。どう取り締まるか」みたいな話してるとこもってきて、
「ガチャが問題なんだろ」みたいな見識を、大手スクエニの要職者が発言すると、
「大手の要職者の認識この程度で、業界の自助努力も自浄作用も期待できない」からの「取り締まり強化」になる。
「誤解があった」とか「認識が甘かった」とか「理解できていなかった」とかっていう、
(お詫びを出すと、それそのものが「大手ですらこの認識なので中小推して知るべし、はい消費者保護のための強化必須」になる)
もう出ちゃった段階でワリと積んでるけど、
法務が「事態は社として把握してるし、こいつ単なるバカで要職でもなんでもないから」
キャラが好きな現場のPだから別に燃えないっしょ、みたいな状況じゃなくて、迂闊な一言で雑に規制されて業界死滅する状況よ?
ビジネスモデル崩壊の危険すらあるんで、自社で外に向けて喋る奴全員止めるぐらいの気概が必要。
ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってからは自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。
そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題がニュースになったり、実況動画のユーチューバーに扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DSを発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。
俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代は任天堂に憧れ、ファミコンとディスクシステムに埋もれて育った。反抗期はメガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターンで遊んだ(結局スーファミもプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。
社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。
興味が無かったわけじゃないけれど、ネットとWebとコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。
仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックなホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなものを勝手に持っていたような気がする。つまり、ゲームを作る側でも無い普通の人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為はクリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。
そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSやWiiで遊ぶようになった。
でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲームが話題になることはなかった。俺自身もWiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラが面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的な感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分が少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚を体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。
我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機やゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチなクリスマスプレゼントだと思う。
その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。
かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである。
すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。
一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。
その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。
12月31日、仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分のIDを登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。
ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……
かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験の歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ。
操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。
正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
なんだこれは。
気持ち良すぎる。楽しすぎる。
気が付くと、がむしゃらにわけもわからずインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。
一体、なんなんだこれは……!!
3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。
なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。
別に、大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分のお年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラで似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲームが現実になるなんて!」とバーチャロンに100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。
とんでもないものを作る人がいる。
そうだ、楽しいゲームをプレイしたときの体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界は過去より進化している。
かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。
だって、フィールドを思い通りに走り回り、リアルな人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。
去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ。
良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だって、ゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。
気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。
信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。
すさまじいゲームバランスと運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤーが前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロとローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂だからできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルなインクでいっぱいで、なぜだか不思議とクリエイティブな気分だった。
ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーションに特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。
普段、仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネットを特別なもの、得体の知れない不穏なものと敬遠する層があり、そういう世界がある。世代間ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアル対ネットの戦い」だとか、「紙媒体とWebメディアの二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。
仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。
しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネットは電気や水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ。
既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルかバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションがスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。
思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね。
対人で対戦できるFPSやTPSだって、オンラインのRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験はそれからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。
でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術や経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃。
日本は経済は没落し、軍事力も弱い。その上国民は白痴ばかりで、自己中心的な思想が蔓延している。そのため凶悪犯罪もあとを絶たない。
このままでは日本は滅んでしまう。それを防ぐための処方箋を提示したい。
1.自分がよければそれでいいという考えを捨て、社会に尽くそう
社会に尽くせるなら、自分の命や財産なんて喜んで捨てられるはずだ
2.社会のためなら家族や恋人、友人を喜んで殺める気概を持とう
痛みを与えることで、人に迷惑をかけない人間性を身につけられる
5.テレビ・ラジオ・映画・漫画・アニメ・ゲーム・ポピュラー音楽・小説・ラノベのような、白痴化を促進させるものには触れない
この手のメディアによって、我々は自己中心的な卑しい心性をインストールされている
それとともにこの手の下劣メディアは麻薬のような働きを果たし、人間が本来持っている滅私奉公という欲求を捻じ曲げる
自分の体と心を鍛えるためにも、冷暖房や防寒着を使わない生活を送ろう
7.こんな駄文を真に受けない
2017/04/12 追記
http://anond.hatelabo.jp/20170412233837
↑お久しぶりです。書きました。
先日「寝ぼけてピンクローターを買ったかも知れない」とこちらに書き込んだ25歳処女ですが、今朝方、無事にピンクローターが届きましたので、早速試して使用感をご報告したいと思います。
まず、注文したのが23日、この日は祝日ですので、まあ実際買っていたとしてもしばらくかかるだろうと思っていたら24日の朝には注文確定メールが届いており、また夕方には配送完了メールも続けて届きました。迅速すぎる対応に恐れおののきつつもメールをよく読むと、ラブグッズの使い方を具体的に説明してくれるページや、エッチな漫画が読めるページなどへのリンクが貼ってあります。商品が届く前から気分を高めてもらおうというショップ側の気概に涙が滲みます。エッチな漫画は私の好みの作風ではなかったのでエロ広告を見るのと同じ目で流し読みました。バイブを使用してひとり感度を磨いていた女性が「こんなに乱れる○○、見たことない……エッチで可愛いね……」と彼に耳元で囁かれてビクビクと達するシーンには思わず私も震えました(バイブだけに)。私もこんなふうになるんだろうか。正直怖いしこの彼氏もなんか怖い。
さて、世間が緑と赤と性欲と怨念に包まれに包まれた本日、神のひとり子イエス・キリストがきったねー馬小屋で産声を上げた聖なる日に、とうとう私の住むアパートの宅配ボックスにその包みが授けられました(所在無く家にいましたが、真顔で出られる自信がなかったのです)。ぱっと見Amazonと大差ない小さな段ボール箱ですが、よく見ると随所に配送業者へのメッセージが仕込まれています。ピンク色の「大切に届けていただき、ありがとうございます!」という先回り感謝メッセージは公共のお手洗いで散見するものと同種で、しかし何か暗い思念のようなものを感じます。考えすぎでしょうか。とにかく「受け取る本人以外にバレない」ための工夫がこれでもかと仕込まれており、「優しさの塊」が届いたと言って過言ではないでしょう。「っていうか、箱についてグダグダ長々書いてねーで、さっさとそれを体に当てがってあんあん言ってるところを実況しろよ」と思われている既に履いてない紳士諸君には大変申し訳ないのですが生憎私は本日死ぬほどヒマなのです。なるべくこの事実から目を背けていたいのです。実は、この部分を書いている時点ではローターの電源を入れてすらないので、この先私がどうなるかは私でも分かりません。とりあえずリスカしたくなっても思い止まるように、カッターの刺さったペン立ての横に家族の写真を置いてみました。有効であるかは定かではありません。っていうかね、この時点でだいぶキテる。正気を取り戻して続けます。
お気に入りのムーミンのふわふわの部屋着を着て、「生活の木」のアロマを焚いて、ホットカーペットに寝転がりました。いまだ湯気を立てているホットミルクには甘〜いはちみつをたっぷり溶かしてあります。無骨な蛍光灯は消してしまって、間接照明の柔らかな橙の灯りを点けました。BGMはEllie Gouldingの"Love me like you do"です。女子力の過剰摂取で吐きそうです。箱の中から今日のおともだち、ピンクローターを取り出しました。パンパカパーン。ピンクローターの名の通りピンク色です。当たり前ですね。私は何を言っているんだろう。ころんとしていて、可愛いかたちをしています。えっちなくせに、清純そうな顔ちゃって、こいつぅ〜。電池を入れて、いよいよスイッチを押してみましょう。寝ぼけた私は高級志向だったようで、この1200円のローターは三段階に振動の種類を変えることができる高性能です。まず一段階。ぶいぶいぶい、と予想以上に大きなモーター音を立てながら、ピンク色のカプセルが振動を始めました。いやほんと、すごい震える。びっくりして思わずカーペットの上に取り落としてしまうと、ローターはぶいぶい言いながら少しずつ前進を始めました。えっ。可愛い。そういう小動物みたいになってる。ハムスターを飼いたいな(でも一人暮らしでハムスター飼ったら終わりかもしれない)と考えていた私には少し嬉しい発見でした。カーペットの上を蠢くローターを暫し鑑賞します。引っかかったら、おしりを押してあげたりして。なにこれ、かわい〜〜!! 母性本能がくすぐられたところで、えっちな気分も高まってきました。高まってきている、ということにしないと、進みませんので、便宜上そういうことにしておきます。
はあ。だいたい、こんないかにも性欲掻き立てられたいで〜すみたいな電子機器を手にしているだけで目眩がします。塾や習い事、部活だって滅多にサボったことのなかった私です。真面目ちゃんなんです。それは私の「25歳処女」という肩書きが何より雄弁に物語ってくれているわけですが。まあ、とにかく、「いきなりデリケートゾーンには当てずに、身体中をゆっくりとマッサージしましょう」と解説にあったので、とりあえず一番弱い設定で、体のあちこちに押し当てていきます。しかし、デリケートゾーン、という遠回しな言い方は何でしょう。女性誌なんかでオナニーのことをセルフプレジャーだの、セックスのことをラブタイムだのと呼んでるのを見るにつけ、そっちのほうが卑猥というか、シュールじゃないかと思ってしまいます。腰、おなか……振動が下の階に響いていませんように……脇、胸の周り……うーん、くすぐったいような、そうでもないような……そして首まで来て、私は、とうとう気づいてしまったのです。これ……むっちゃ肩こりに効くわー!!! そうでした。もともとこういうグッズは通販などでは「小型マッサージ器」として販売されていたのでした。この頃肩こりに悩まされていた私は、いつもボールペンのノックするところで刺激していた首の付け根や肩にピンクローターを思い切って押し当てました。きっ、きっ、きくうぅ〜〜!!! 堪らずスイッチを二度押しして、フルパワー振動に切り替えます。ぎちぎちに張った私の肩の筋肉を容赦なく責め立てるピンクローターの前になす術もありません。ほわ〜〜!!! ンギモッヂイイ!!! こめかみや顎に当ててもキモチイイので、美顔器のようにも使えるかもしれません。なんて子なの、ピンクローター。肩こりも解消できれば小顔効果まで期待でき、更にはえっちに乱れることさえ可能にするなんて。たまげたなあ……。
しばらく肩に当てて堪能したところで、私はハッと我に返りました。いかんいかん、これでは釣り増田だと思われる。そういえば昔、今よりもっと暇だった学生時代、それこそハタチそこそこピチピチの頃、ボトルメールアプリで捕まえた男とちょっとえっちなやり取りを幾度か交わしたあと、実は50過ぎの禿げたキモい童貞オッサンでした〜!!! と嘘暴露して相手を絶望に陥れる遊びに熱中した時期がありました。相手は50過ぎの禿げたキモい童貞おっさんに「ねえ、どんなこと想像してひとりえっちしてるの?」などと聞いて時間を無駄にしたと思って後悔しますが、実際は彼はハタチそこそこのピチピチの女の子とメールを交わしていたわけです。時間を無駄にしていたのは誰でもなく私自身であったことに気付くのにはしばらく時間がかかりました。
さて、とうとうここまで書いてしまったので、もはやこの性欲掻き立てられたいで〜すみたいなピンクの淫乱かわいこちゃんを自らのデリケートゾーンに押し当ててセルフプレジャーに浸りビクビクしないわけにもいかなくなって参りました。クリスマスです。ヤマトのおじさんが大切に心を込めて運んでくれた優しさの塊です。これを使って25歳独身処女のシケたクソのような12月25日をサイコーにハッピーなメリメリクリスマスへと華麗に変身させねばなりません。もう逃げられない。クソッ、彼氏欲しい。来年は、2016年こそは、寝ぼけてクリスマスにピンクローターを買うような人間にはならないと、ここに宣言致しまして、私はしばらく、失礼させて頂きます。
結論: