はてなキーワード: 気概とは
姉はブルボンで、
兄はナビスコだった。
わかんねーだろうなあー私もわかんないわよ!
30年前っていったら、
まあ、何とかも一昔って言うくらいな昔で
今の電子端末のタブレットのことじゃなくて食べる方のタブレットなんだって。
へーって思ったわ。
携帯もすごいしね。
あんなに現在位置が常に分かる地図が便利だなんて思わなかったし。
筒抜けならもっと気が利いたことしてくれてもいいじゃないと思うの。
例えば、
どうせ、私のメールも解析してるんでしょ?
どうせ、私の居場所も分かってるんでしょ?
終電間際まで外で飲んでたなら、
終電時間が迫ってきたら「もうすぐ終電よ」って教えてくれない?
え?できるの?
そう、グーグルならね。
みみみ、未来ね。
手抜きだけど、目玉焼きをそのまま御飯にのっけるのが美味しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
■女が羨ましい http://anond.hatelabo.jp/20151017123444
童貞で馬鹿にするされないって場は、むしろ男同士のヒエラルキー構成において良く出てくる話題だと思ってた。
女から馬鹿にされる、んじゃなくて、若い男が複数集まった中で「コイツ童貞かよpgr」って見下される。
男の群れの中で、「俺の方が男として優れてるんだよな」って優越感を満たすアイテムとして、ヤッた女の数を競い合う、俺の方が先に卒業した、みたいなんしかみたことないんだが。
せっくる回数をアピールする「100人斬り」とかって言う言い回しも、男社会の中での格付け用だよね。
で、元増田は、男の友達がいるのかどうかは知らないが、そういう男社会の中での童貞の位置づけってのは話から外して、「女はいいよな~」って話を持っていく。
要は男同士の見栄の張り合いの問題なのに、「『俺に』股を開かない女が悪い」問題にすり替えてどーすんの。
本来闘うべきライバル≒女を奪い合う相手、である他の男に挑む気概を見せることもなく、
悪い原因を女(という叩きやすい要員)にすり替えてダダ捏ねてるだけだもん。
あと、ツリーにぶら下がった
>女だって処女だって人に言えずに セックス経験あるフリして会話してる人くらいいるっつーねん
これも、女同士の中でのマウンティングの話に近いよね。
・年収500万円以上
・専業主婦
この3つだけでも宝くじレベルなのに更に相手の男性の顔や性格まで言及し始めたら
人が空を飛ぶレベルになっちゃうってことに気づいてない女性が多いと思う
もうね、今の時代に年収に条件つけちゃったら結婚なんてできないよ!
まず「30歳」って数字は女性にとって、とてもとても嫌な響きなのは共感できると思う
だからこそ20代の頃に結婚を視野に入れて男性を見ていかないと間に合わない
30歳を超えた瞬間から男性のリアクションが大きく変わっちゃうから注意して!
200万円代の男性なんてざらにいるし300万円だったら自分が頑張れば世帯収入で600万円超えられるよ
この条件は250万円~300万円に変更しよう!
ずーーっと家にいるってことは家事炊事洗濯全てを異次元クラスにこなさないと男性は納得してくれないよ
「ずっと家にいるんだから」で片付けられる気持ちがわかるかい?
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ブサイクな人間が嫉妬や自虐に使い、肝心のイケメンの人格を排除している時点で、低俗なミームであることは自明だっただろう。
元ネタに込められた思いなんて、今では何処吹く風だ。
まあ“そういう人間”は、「ただし性格のいい人に限る」とかだったとしても分が悪いとは思うが。
最近ではそれがターゲットを変えて「童貞を殺す服」になっているのかな。
“彼ら”にはぜひとも逆に殺してやるくらいの気概を見せてもらいたいものだな。
なんなら「処女を殺す服」でも作ったらどうだ?
君の発明にしてくれて構わないぞ。
おいおい、君はまだそんな次元で話しているのか。
「ただしイケメンに限る」といった低俗なミームが風化してから何年経ったと思っている。
なのに、いまだそんな不毛な質問するのは、君の中で「外見だけで人を判断するなんて酷い」だとか、画一的な価値観を前提に語っているからだ。
君がよほど未成熟な人間でないのなら、そのような評価基準に是非を求めようだなんてことはナンセンスだと気づくはずだ。
そもそも人間は総体的に評価すべきで、各々で重視する側面はあっても、決して「それだけ」でいいわけではない。
住む部屋を探している人は何を重視するかはともかく、「その条件さえ満たせば後は何でもいい」とはまず思わないだろう。
また、現在進行形で対象を求めているかどうかでも、回答への真剣度は変わってくるしな。
いずれにしても総体的に評価すべき価値判断を、一つの要素だけ抜き出して語っても意味はない。
愛すべきは「要素」ではない、「人」だろう。
まあ、そこに君の求める真実があって、それで人生が豊かになるのならば好きにすればいい。
そ、そうか……。
偶然そうやって出会いに恵まれていない人を捕まえて「だから結婚できないんだよ!」なんて言うのはお門違いではあるのだが……。
君は高学歴高収入を「高望み」といっているが、もう少し考えてみて欲しい。
自分と同程度のスペックで、かつ一緒にいたいと思え、相手も君とパートナーになりたいと思っている。
それは、高学歴高収入と比べて本当にハードルが低いのかどうか。
それにハードル走も、それはそれで大変だと思うぞ。
……それらを踏まえたうえで結婚できるのか?
それは私が決めることじゃあない。
もしかしたら高学歴高収入の人と結婚できるかもしれないし、君のいったような条件の人と結婚できるかもしれない。
だが不確定要素が大きい以上、結婚の条件を弄ぶ人間に他者がいえることはそこまで多くないんだ。
いずれにしても、私がいえる教訓はこれだ。
「現実を見ろ」
陳腐な教訓だが、こんな所でいるかどうかも分からない人間を前提に語っている時点で、本当に理解している人は少ないんじゃないかな。
それにしても、いやはや……。
恋愛や結婚が自由になり、親戚などの「お節介システム」も廃れたのが現代だと思ったが。
今も形を変えて、そのシステムをお金を払ってまで求める人が多くいるとは。
各々が自由を追い求めた結果が今だとするなら、何とも難儀な話だな。
不特定多数にモテるのと、誰かのオンリーワンになるのとは全く違うし、狙った人の恋人になるのと、出会った人の中からよさげな人と恋人になるのも全く違う。
一人でも恋人できたらモテとか、結婚できたらモテとか、こじらせてる人はともかくとして、恋人がすぐできる、切らしたことがないってのは、そりゃ限られた何パーセントだ。
確かに努力で参入することも出来るけど、それをライフワークとするか、最低でもオタクと呼べるくらいの趣味にするくらいの気概でやらないとなれない。
ナンパテクニックを磨き、振られてもめげない鋼メンタルを身につける、死ぬ気で金を稼いで大金持ちになる、ファッションに気を遣い、女にまめに心配りをする……みたいなとにかく能力値を上限まで努力で爆上げしていく方法だ。
そうでない、大概のモテる人間はコミュニケーション能力がやたらと高いか、元々の容姿プラスアルファ分がやたら高いかのどちらかで、どちらも生まれもった能力を損なわずに育てた運の良い人たちだ。
もうね、プロスポーツと同じです。才能の無い人間でも努力すればある程度は行けるけど、努力した才能のある人間にはかなわないみたいな。
オンリーワンになる、気の合った人と結婚するとかいうことなら、そういうスペックみたいなのはそこまで上げる必要ない。
まあ別れないで関係を継続させる為には若干のコミュニケーションを取る努力と、性格の良さみたいなのはあった方がいいけどな。
余程運が良い人は別として、普通の人は黙って座ってても幸運はつかめないので、なるべく出会う確率を上げる為に多くの人と会う努力をしている。
場所を選び、機会を逃さないというところは知識で勉強できるかも知れないけれど、結局は運と人間性だよね。
前記のモテ出会いは多くなるので、生来容姿が良かったりコミュニケーション能力が高かったりした人間や、↑のようなモテ努力をした人間が結婚できる可能性はそれなりに高くなる。継続できるかどうかは本人たち次第だけど。
ので勘違いするけど、気の合う人を探すだけなら本当に出会いの確率を上げるだけだからな?
気にしてる時点でコミュニケーション能力に大きなハンデ背負ってるからな?
テロなんかしたって世の中は変わらない。でも選挙にいくよりはマシだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150914225701
というエントリを書いた。
冗談のつもりで、
相撲で決着っていいよな。
若いほうが強いだろうし。
と書いてみたが、その三日後、委員長を囲んでスクラムとか、相撲より面白いことになった。
帝を奪って詔を出させた方の勝ちっていう源平合戦を想起させられざるを得なかった。
欧米型の民主主義なんかではなく、日本の風土に根ざした民主主義といった感じで素晴らしかった。
かねがね思っていた、公平でも中立でも効率的とも言えない多数決で選んだ議員で、これまた公平でも中立でも効率的とも言えない多数決をするっていう件からくるモヤモヤをうまく解決してくれた気がする。
うむ、民意を背負った議員たちが神聖な議会で源平合戦、詔をださせたほうの勝ち。
これぞマツリゴトではないか。
自分としては、これで満足なんだが、ブコメやトラックバックの感じだと、やっぱり選挙を大事にしたいと思っている人が多そうだ。
ならば、憲法改正以前に、一票の格差是正を進めたらどうだろうと思うんだが。
だいぶ合区は進めてもさ、それでもまだ違憲状態なわけじゃないですか。
違憲状態なのを置いておいて、憲法改正を次の選挙の争点にもってきたがってるのはどうしたもんだろうか。
だから、前のエントリで書いたように、10000人なんとかとっ捕まえて、支持政党を聞いて、その割合で議席割り振れば、一票の格差の問題なんてなくなると思うんだけどね。
そのね、デモとか言ってる連中は、安保とかチンポとか言ってる場合じゃなくね?
おらが町からも議員様を!ってわけで、過疎った田舎からも農家の票をあつめて議員を出せるのが自民の強みでさ、まあそれが違憲状態って言われてるわけじゃん。
あいつらも、どうせどうなったっていいと思ってるんだろ?
ほら、自分が応援しにいったって、微塵も勝敗に影響しないわけだけど、勝敗を決する瞬間のあの空気を共有したいってやつ。
だから、法案が成立したら大変な事になるっていっても、成立したら帰ったろ?
熱も醒めたろ?
W杯と一緒一緒。
前のエントリ書いた人だけどね、ちょっと言いたいことがブレたので補足。
最近は無用な強度とか、耐久性とか、過剰品質っていって嫌われるところじゃん。
でもね、そういうのが大切だと思うんだ。
強度や耐久性なら、まあないよりあったほうがいいし、強度や耐久性はアピールポイントになるけど、こういう補助金もらう基準とかって、余裕でクリアっていうレベルでは開発しないと思うよ。
車だけじゃなくてさ、家電だって、医薬品だって、みんなそうやってるだろ?
これは、VWはグレーじゃなくて黒だったけど、どの分野でもほとんどがグレーに近いことしてる。
そりゃそうだろ。
消費者に訴えかける目的の性能は達した!ついでに補助金をせしめる基準もクリアして、粗利そのままに安く販売!
これが正義だもん。
基準が限りなくゼロに近ければ、1の検出が出ただけで∞に近いわけだし、今回のフォルクスワーゲンは別、悪質さがぜんぜん違う!
右も左も自分たちの思想に沿う意見しか取り入れずに、そうでない人間を一方的に罵倒する。
安保の件では皆がそうだ。お互いがお互いにレイシスト、ネトウヨ、売国奴、在日などという都合の良いレッテルを張り合う…
結局わかり合えず断絶している人間達の姿を見ているとこの上ない絶望を感じる。
現憲法をどう解釈しても無理筋な安保法案改正には反対だけど「戦争法案」と矮小化してまともな議論をしようとしない反対派の肩を持つ気持ちにもなれない。
片方は国を守るために必要だと声高にいうが実態はアメリカの要請によるものなのは明らかだし、
もう片方は「反対の意志を示しただけで十分だ」と自分を慰め、頭の悪い子供を神輿に担ぐ有様でそもそも廃案に持っていく気概も無い。
お前ら、もう死んでしまえよ…
昨年急に浮世絵に目覚めた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20150815210249
これに対して、
http://anond.hatelabo.jp/20150816024827
こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式で進化してるように思う。
ここで、それについて説明していきたい。
日本人のアイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。
ここで、見てもらいたいのは、ルフィが市川猿之助に似ていないこと。
なぜだろう?
「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」
その通りだ。
ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。
ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。
役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。
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狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式なアンソロジーみたいなものである。
絵はすなわち、歌舞伎の様式美、世界観、江戸の空気を体現したものではならない。
ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである。
似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本は世界を変えた。
勝川春章
この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎の世界観、様式美との調和に成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。
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顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。
歌舞伎の雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する。
彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。
ちなみに、葛飾北斎は勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。
面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである。
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歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。
正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性がデッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。
スネオの髪型やカイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。
女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいのエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。
続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。
先に写楽に触れよう。
東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。
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Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。
小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正は必要ない。
芝居小屋の闇を表現したかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗りの人間にスポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。
実際、写楽は売れなかったらしい。
なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビュー、しかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。
よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である。
ところで、写楽は商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。
写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば
歌舞妓堂艶鏡
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http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg
歌川豊国の役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。
勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。
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歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。
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この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国、自称二代目豊国)、幕末の豊原国周まで続く。
末期がどんなになったかといえばこんなだ
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg
さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵の様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。
人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。
最後の浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。
晩年ともなると、このような感じ。
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http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg
絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。
下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式。
どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である。
劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能。
人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター。
デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。
人物はデフォルメでも、背景描写はパースを重視するのも浮世絵的。
っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。
ちゃんとした美術史や絵の解説書から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。
http://papuriko.hatenablog.com/entry/2015/08/31/173033
読んだ。ちょうど最近読んだ本と関係ある話だったのでこの機会に紹介しておく。紹介したいのは「岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私」だ。
良い意味でタイトル詐欺だった。岡田斗司夫関係の話はこの本のメインではない。それよりもかなりまじめに社会学チックな話をしてる。そもそも岡田斗司夫界隈に関わろうとする時点ですごいバカか逆に非常に意識の高いというか貪欲な人間なのだろうと思っていたがどうやら後者のようだ。単に岡田斗司夫の事件をレポートすることを目的としているというよりは、このチャンスを利用して最大限己をアウトプットしようという気概を感じる。岡田斗司夫が女性を一方的に搾取したかのように感じるひともいるだろうが、どうもしっくりコなかった。それよりも、岡田斗司夫んに群がった女も、一方的にくわれるだけではない、あわよくば彼を逆に食い物にしてやろう、転んでもただでは起きないぞ、というしたたかさを持った人間揃いでないか、という可能性は念頭においても良いと思われる。
さて本書で問題となっているのは、主に男性の、異性に対するコミュニケーション能力や経験の衰えと、それに反比例するかのように膨れ上がる恋愛に対する欲求だ。恋愛ベタになっているのに、恋愛に過大な期待を抱くようになっていき、ギャップがどんどん大きくなっているらしい。現代が男の性的欲求を満たすためにあまりに高度に発達しすぎたせいで、男たちは現実の女性と恋愛するコストやリスクを負担する合理性を見いだせず、それでいてバーチャルでいろんな刷り込みをしているから現実への恋愛に強いあこがれを持ってしまう。コストやリスクをかけず、ときメモのように自分を鍛えることもせず、それでいてバーチャル世界のようなめくるめく恋愛体験や性的体験を求めるというモンスターがゾロゾロ生まれてきている、と。分析だけにとどまっているのが学生っぽいなという印象はあるが、なかなか読ませるつくりになっている。
本書は男性を中心に話を展開しているがこれは女性にも当てはまる話であろう。男女問わず二次元にはまるオタクや、アイドルに貢ぐブームは地続きなのかもしれない。個人的には艦これやら、とうらぶにはまってる人たちについてさすがに気持ち悪すぎると感じていて、そのあたりもわかるかと思ったがこの本を読む限りここでの話とはちょっと違うようだ。オタクの話は部外者には本当に難しい。
また、どちらかというと本書はマクロな話よりも、ミクロな世界としてサークルクラッシャーやオタサーの姫などに関する分析に力を入れており、この部分が面白いのでぜひ読んでみて欲しい。
完全に門外漢の意見だが、同人は仕事じゃなく趣味ベースであることに最大の意義があると思って見ている。
だから、若者が慣れ慣れしいノリでテキトー&カジュアルに絡んでくるケースがあり得る――
それくらいまでに同人文化が進展していることを少しでも「よきかな」と思うなら、雑な頼み方をしてくる人間の存在もある程度看過してやることが必要だと思う。
その上で、ゲンナリすると自分が感じるなら即断ればいいだけのことだ。
未熟な者に合わせて柔軟な対応をする気概がなくなってきたなら、自分はハードルを上げ新参を阻む老害化しているのかもという視点も必要だろう。
もしそう自覚できてしまったなら、ヘタにストレスのたまることを敢行するより、分別のついた人で固めた内輪だけで活動する宣言をしておいた方が良い。
ただのアンソロ依頼方法の話でここまで推測して広げるのは大仰かもしれないが、これはオタク像の変遷に関連していると思う。
いわゆる古き良きネクラな「オタク」は、それらしい神経質さや慎重さも備えている。
けれど今のアニメマンガに熱中する若者は、どちらかというとヤンキーに近い気質をもっている。
それは時代のカウンターとして「オタク」的ダサさを克服しようとした結果にも思える。
意外にオシャレであったり、良くも悪くも照れがなく、考えるよりまずやってみる、深く読むよりまず形から、という所がある。
彼女らとて自分らの未熟さに開き直っているわけではなく、大抵叱れば素直に反省して聞いてくれる。
その過程に巻き込まれたとき、ただ嫌悪感を募らすのではなく、好意的に導いてやることも先輩として一興ではないかと思う。
そこでプリキュアを褒められてもな……って感じだよ。
でもただただ夢が大事夢が大事って連呼してるだけで、すっごく薄っぺらい。
バケモノの子は台詞で説明し過ぎる、と言われてたけど同じ状態か?いやバケモノは見てないんだけど。
アンパンマンみたいに全体がお綺麗ファンタジーで構成されている世界ならまあそういう世界観なんだろと思えるけど
リアル現代日本舞台で他にリアリティある言動をするキャラもいる世界でそんな薄っぺらい事言われても違和感あるだけだよ。
全体的にもドシリアスな展開になったと思いきや、次回であっさりそれを忘れ去って「明日は友達皆でショッピング♪」とか言い出したりして回ごとのギャップあり過ぎだよ。
やれ世界の危機だとか言ってなかったかお前ら。ショッピングしてる場合か?
シリアス展開は大人オタクウケがいいから入れたいけど子供は明るく楽しい話を好むから、ってんでそうなってるんだろうけど、全体の整合性取れてねえ。
ドシリアスな理由で数か月に渡って仲違いし続けてしていた二人が一緒にサッカーやっただけであっさり仲直り、ってのもあっていやいくら何でもねーだろと思った。
仲違いしていた根本的な理由は全く解決しておらず、サッカーはその時ワールドカップだったから時事ネタってだけ。子供騙しにもほどがあるだろ。
見ていて嫌になる話も多い。この前は子供の頃から母親に自分を否定され続けていた娘が母親に反発している、と言う話が出て来て毒親を乗り越える話か?と思ったら
結局「母親はちょい天然なだけで悪気はなく娘を愛している」「娘もやっぱりママが大好き」的な展開になってええええっと思った。
これだけ毒親とか問題視されてるこのご時世にこんな話作るかあ?毒親持ちの子供があれ見て親は悪くない親を愛せない自分が悪いんだと思い込みそうで痛々しい。
ディズニーと比較するなと言うけどラプンツェルがリアリティある毒親を描き、勿論娘が最後は決別して乗り越えていたのとは違いすぎる。
終盤になるとシリアス展開続くけど、そうなるとキャラが強敵に只管痛めつけられて悲鳴あげ続けてたりして子供怖がって見たがらねえ。
リョナ好きのヲタ狙いなの?あれ。精々3歳とか4歳の女児がそんなもん見て喜ぶと思ってんのかよ。
増田はディズニーアニメと同じく大勢のスタッフで打ち合わせて作ってるはずだ、と言うけどさ。
その打ち合わせ内容が全然違うだろ。ディズニーは子供にとって面白く教育にも良いエンタテイメントを作ろう、という気概を感じるけど
プリキュアで打ち合わせてんのはどうやって玩具を売るか、スポンサーの意向にそぐわない内容が入ってないか、だけじゃね。
つかあれ作ってる人に問い詰めたい。
お前本当にこれが子供向けの作品として良いものだと思ってんのか?
お前に娘がいたとしてこれを是非見せたい、と本気で思えるのか?と。
絶対思ってねーだろ。子供は馬鹿だから子供騙し作っとけば騙せる、とか思ってるだろ。
いや仕方ないんだろうけどさ。高い志を持てるだけの金も余裕もないんだろうし。実際それで子供騙せてるんだから、目先の仕事としてはそれで良いんだろうし。
でも大きくなってからも思い出に残るって事はなさそうだよねあれ。
良い子供向け作品ってのは大人になってから見返すとまた(良い意味で)違った感想を抱くものだと思うけど、
プリキュア見てる子供が大人になって見返したとしても「こんなくだらねーのに夢中になってたなんて子供だったなあ」という悪い意味で違った感想しか抱かなさそう。
ミニマリズム関係なく「ミニマリスト」が胡散臭い理由 - 泡沫サティスファクション
ここで書かれているミニマリストに対する指摘はただしいと思う。
「ミニマリストだからとか関係ねえ。うさんくさいやつがうさんくさいことしてたら胡散臭いって言われるのは当たり前だろ「おまえらが胡散臭いのは、意思を持たずにネクロマンサーに使役されるゾンビみたいな動きしてるからだ。批判にたいして向き合う気概もなしに仲良し集団やってるのはよくいってもカルト教団のようで気持ち悪いしお前らのレベルまで行くと同じ人間とも思えない。ゾンビにしか見えない」これは私も同意する。でもこれちょっとごまかしが入ってるよね。
ミニマリストがうさんくさいのははてなに限った話ではない。そして、はてな外でもポロポロ批判記事をみかけるからその胡散臭さが叩かれるのは共通である。それでも、やはりはてなでは極端に叩かれ過ぎである。やはりそこにははてな独特の事情があるのが妥当である。はてなは、普通の感覚でいえばやはり異常な場所なのだ。これにたいして「はてなは修羅の国だ」といいつつ、どういうところが修羅の国なのかというと「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」としか説明がない。これはあまりフェアではないような気がする。「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」だけではてなをサバイブできるのはある程度頭のいい人だけであって、話題になっている自称ミニマリストさんたちのように頭の悪い人間にはそれだけでは不十分ではないだろうか。
炎上の理由の7割は自称ミニマリストさんたちがバカだから、それは間違いない。あの人達バカだからどこいってもいずれ炎上するだろう。だけど残り3割ははてなが変だからだ。その3割をごまかしてはいけない。
はてなブックマークという仕組みの異常なまでの脆弱性(ハックしやすさ)とそれゆえに培われてきたはてなブックマークに対する過剰なまでのモラルの高さは、初心者には理解し難い。3ブクマで新着カテゴリとしてトップページに載ることができてしまうこのシステムは、新陳代謝を促しやすいという意味で優れてきたが、ちょっとした不正や工作、および慣れ合いによる組織票にたいしてすら脆弱である。はてな運営は、そうした不正にたいして自ら積極的に介入することを避け続けてきた。多少アルゴリズムが変化して組織票に対しては対策が取られたようだが根本的に新着のハードルを上げるつもりはないようだ。その結果、はてなブックマークに関しては、各ユーザのモラルに委ねられるところが多い。実際まだ破綻してないので高いモラルが維持されているといってよいと思うが、一方で高いモラルが行き過ぎて暴走する人間がいる。つまらない記事を書いた上で慣れ合いや工作によってはてなブックマークに載る行為ははてなブックマークを汚す行為とされ「しばき隊」が黙認される傾向がある。
「賛同」以上に「批判」(モヒカン族)が結束しやすいシステムに問題はないのか。はてなブックマークのヘビーユーザーは10年プレイヤーがゴロゴロいる。そういう人間は目が肥えすぎている。10年間はてなに存在したあらゆる自意識の血を飲み干したシロクマや、炎上後で焼き殺された人間の肉を食い漁って生き延びてきたヨークシャー・テリアなど妖怪化しているものも少なくない。そんなわけでブロガーに求めるハードルは、他のブログサービスよりかなり高い。特に、目立つつもりがなく書いても、たまたま影響力のある人間によって拡散されてホッテントリした記事などに対する評価は激辛である。そういう人間はいきなり脳天かち割られて即死する危険がある。また「はてなモヒカン」という言葉があるように、欠点や落ち度に対しては容赦なく群がってヒャッハーしていく人が多い。 初心者狩りはよくないと思うぞ。
これに関しては郷に入っては郷に従えって言うべきなのかどうなのかわからんが。とりま、「つまらない記事を書いて目立とうとする奴は殺されても文句は言えない」「良くない記事にブクマをつけるやつは馴れ合い集団として排除する」などなど、理解しておかないと痛い目にあう暗黙のルールがたくさんある。はてな独自の暗黙のルールに嫌気がさす人は、はてなは村社会であるかのように感じる傾向にある。
他にもいろいろ気をつける点があるので、今後も修羅の国はてなでサバイバルしていきたいと思うのであればガイドブック「はてな村奇譚」をよむといいよ!
id:c_shiika 増田実は奇譚読んでないだろ。本当に読んでいたら結論は奇譚読もうじゃなくて、人力検索に相談しようになるはずだ。
ならない。あれの最後は発祥たる人力検索のことも思い出してあげてください、であったはずだが。あなた実はこの文章読んでないだろ。本当に読んでいたらこんなブコメはしないはずだ。ネタの感覚で面白いと思って書いてるんだろうが、私はお前のコメントすごく不愉快だからな。俺煽り耐性低いからな。俺今すごく顔真っ赤っ赤だからな。ミニマリストもたいがいだが、お前みたいな身内のノリで不快なコメントするやつだって同様にむかつくからな。ちょっとはコメントを自重しろ。feitaちゃんを見習え。feitaかわいいよfeita
自称「ミニマリスト」の皆さんはすべからくMacとiPhoneとブログは捨てられず、同じような記事を同じ様な視点でしか書けない。
ブロガーとして独り立ちしたいという夢だけは一人前だが、日々の仕事や生き方に独自の視点は持っていない。
本業で贅沢できるような資産や収入があるわけでもないから、レビューブロガーになることも出来ない。
或いは、イケダハヤト師のように地方ブロガーと称することで、不便を売りにすることも考えてはみるが、
地方に行って仕事を出来るほどの能力も無く、気概も覚悟も無いから、東京(大都会)からは離れられない。
出来れば安定した場所でリスクを取ったような雰囲気を醸し出し、ブロガーを名乗りたいのだ。
・貧乏でも名乗れる
・東京在住でも名乗れる
東京で消耗するけど地方に行ったら死ぬと思う木っ端ブロガーにとって、
ミス・ユニバース日本代表に選出された宮本エリアナさんが話題になっている。
彼女が黒人とのハーフであるがゆえに日本人からの差別を経験し大変つらい思いをしたという。
そしてその部分に海外のマスメディアが注目し彼女の日本から差別をなくしたい、改善していきたいというインタビューの内容を取り上げている。
特に子供のころからとなると小学生や中学生レベルだとほとんど歯止めも聞かないのでまずまず差別を受けた経験が0などということは想像しがたい。
Facebook等でのコメントも差別的なコメントが多かったのも事実だ。
だがしかし、差別的なことに五月蠅いはてな民ですら直接的に賛同しているコメントがほとんど見られない。
たとえば以下の記事では宮本エリアナさんに対しての日本のマスメディアがあまり取り上げないことに対して疑義を問いただしている。
はてブではその記事に対して「そもそもミス・ユニバースは以前から取り上げられていない」というコメントが多数散見される。
日本では宮本エリアナさんに対する賛同のコメントかなり少ないように思える。
さてなぜだろうか。
個人的な意見としてはそもそもコメントにあるように、ミス・ユニバースという大会そのものが注目されていない。
以前は朝日放送が主体で大会が開催されていたが1995年を最後に大会の中止、その後1998年にフランス人実業家のイネス・ロングリンによって再開された。
その後は2006年の知花くららさんや森 理世(もり りよ)さんなどが好成績を収めた。※森 理世さんはミスユニバースに選ばれた。
親が日本人で日本で生まれ、日本で育ち、日本代表として選出された。
ところが当時彼女たちはめちゃくちゃに叩かれた。
やれ、不細工だの衣装がエロいだの、それはもうぼこぼこである。
そもそも根本的にミスユニバースという大会そのものがグローバルな女性を審査しミスユニバースを決めるという内容だが(ちなみに顔だけではなく体のスタイルや考え方、立ち居振る舞い等も十分に考慮される)
日本人が一般的に備えている美的感覚や考え方等は全く考慮されていない。
はっきり言ってしまうとミスユニバースを主催している一部の人間たちの美的感覚や考え方をごり押ししているだけで素晴らしい女性である等と到底思えない。
もちろん、実際にテレビなどに出演されて考え方などを聞き素晴らしい方だと思ったことはある。
だが少なくともそれはその方本人の話を聞き始めてそう思えただけだ。
ミスユニバースに出場したからといって素晴らしいのだと思うことははほぼほぼありえないといっていいだろう。
少し過激になってしまうがむしろ、偏った日本人像を拡散し、無用な誤解を生ませる新たな差別を生みだす凄惨なイベントといっていい。
よくジュノンボーイのコンテストの入賞者やホストの画像を見てゲイっぽく見えるという話を聞く。
彼らはそれが明確な差別だとわかっているのだろうか。
その国にはその国なりの美的感覚が存在し、美しさに対する基準は違う。
国籍に関しても明確に今後日本国籍を取得すると明言していますし、日本で育ったのであれば私は日本人だと思います。
差別が存在しないとも思いません。特に黒人は明確なマイノリティーなので無意識の差別もあると思います。
ですが、ミスユニバース等という差別を助長しかねない大会に参加してその口で差別を解消するなどというのは賛同を得られることはないでしょう。
もし、ミスユニバースの差別的構造をも同時に解消してやるんだ!という気概があるのなら何も言いませんけどね。
最後にミスユニバース2014の審査員の写真へのリンクを貼っておきます。
http://anond.hatelabo.jp/20150610001620
昨夜書いた増田を開いてびっくり。2…270ブックマーク?なにそれ!?
昨日は、些細な面白くないことが重なり、酒を飲みながら初めて匿名ダイアリーというものを書いてみたものの
チラシの裏に愚痴を書き殴るような感覚だったので、まさかこんなにブコメを頂けるとは。
激励から辛辣な批判まで、色々なご意見、どれも滋味に富んでいて前向きな気持ちになれた。
頑張れとか、後でその経験は財産になると書いてくれた方、ありがとう。自分もそう信じてる。
自分はただ愚痴を聴いて欲しかったんだなぁというのが確認できた。
批判をくれた方も、ホントはもっと罵詈雑言を浴びせられるかと思ったけど、どの批判も愛を感じたので嫌な気はしなかった。
いくつか補足説明
「慣れない」と書いたのは、子供と暮らしながらの家事に慣れないという意味。
1日の中に「寝つきそうだから絶対に無音にしなきゃいけないタイム」とか
「シンクが風呂になるイベント」とかがいきなり発生するからペース配分が非常にムズいんだよね。
LDK広めの1LDKアパート。1が寝室だがLDKにも布団を寝室をひき、
どこでも寝かしつけられるようにしてある。
母子が寝室に居てくれれば家事自体は捗るが、日当たりとか気候とかを考えるとそうも言ってられない。
ただでさえ産後は1ヶ月家に缶詰な母子に、寝室に篭もれというのも酷な話。
でも産まれるまではこんなに子供がLDKで寝るとは思わなかったよ。
●「育休なんて取らなければよかった」の真意について
実は、近隣に子育てを手伝ってくれる親が居るんだけれど
自分たち夫婦には「自立したい」という妙な気概があって極力頼らないようにしているんだよね。
育休なんて取らなければよかったというのは、親に甘えちゃえば良かったっていう意味。
●妻とのコミュニケーションについて
実際、退院して家に帰ってからの妻は目に見えてピリピリしている。
出来る限り受け止めようとして、でもしんどくて増田に愚痴った。
今日は妻と少し話をした。
妻も同じようにストレスを打ち明けてくれた。
夫はただサンドバックになればいいと思ってたけれど、それだけじゃダメだってことがわかった。
要は何が言いたいかというと、
産前から、準備はかなり整えていたつもりだったけれど、それでも新生児と生活するってイレギュラーなことの連続で
さーて、こんなことをしている場合じゃない。
子どもちゃんとモフモフしなくっちゃ!
父ちゃんがんばるぞー!