はてなキーワード: 明確化とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81804
白饅頭さんやデヴィッド・ライスさんのことは応援しているけど、この記事はフェミニストと男性学者が受け入れられるものにはまったくなっていないね。
これは統計的差別という概念を正面から否定するものになっており、現代フェミニズムが統計を駆使しながら戦ってきた歴史をも否定することになってしまっている。
例えば、女性専用車両を合法的に成立させている基盤はなんだろうか。
統計上無視できないレベルで男性から女性に対する性犯罪が多く、その逆は圧倒的に少ない。
政策としてもこの統計的傾向は無視できないからこそ、最大多数の最大幸福を優先して専用車両を設けるに至ったんだよ。
加害性の強い属性を強制隔離しない限り、電車内の性犯罪は防げないから。
あれだけ世界各国から勧告されてもなお日本が共同親権制度を拒み、主に母親に親権を付与する形で単独親権制を維持する理由は何か。
父親の加害性、妻や子に対する家庭内暴力とモラルハラスメントの発生件数が母親によるものと比べても圧倒的に多く、共同親権にした時のリスクを無視できないからだよ。
家庭どころか、未成年の時点で既に男子学生と比べて女子学生の方が交際相手からの加害(デートDVと呼ぶことも)を受けやすい傾向にある。
フェミニズムだけじゃない。
EBPMという概念があってね。
https://www.cao.go.jp/others/kichou/ebpm/ebpm.html
EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)とは、政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすることです。
政策効果の測定に重要な関連を持つ情報や統計等のデータを活用したEBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼確保に資するものです。
有害な人物の排除一つとっても、十分な統計的エビデンスを集めてきた上でようやく可能となる。
これだけ統計が重視されている中で、全体の傾向があっても個々の人間には問題がないなどと言っていては、専用車両もアファーマティブアクションも成立させることなどできなかっただろう。
まさしくその点について書いた文章なのですが、伝わり辛く、すみません・・・。
まず前提として、オタク達は「基準を明確にしないサイゲームズの言及には「どこからエロいのか」をわかって」いません。
何度か書いたように、またあなたが言及している通り、Cygamesの出した基準は不明確で、「どこからエロいのか」そもそも「どこからイメージを著しく損なうのか(エロを含むのか)」すら判断のしようがない表現です。
つまり「どこからエロくてどこからエロくないか本当」に分かって居ないのです。
しかし、そのような基準が分かって居ない状態でも暗黙のままにしておける、特殊で異常な関係が成り立つ理由を私は先の文章で書きました。
そしてそのような異常な関係はフェミニストとオタクの間では成り立たないので、「どこからエロいのか」基準を明確にするという当たり前の認識あわせが必要になる訳です。
(フェミニストとオタクの間で必要になる明確化の方が「当たり前」だという事に注意してください。何度も書きますが、二次創作と一次創作の基準を明確化しなくてもいい関係の方が異常なのです)
また、エロについては程度というものがある事を抜かしてこの件の議論は不可能だと考えています。
18禁にならないような表現についても人は「エロ」を感じることはあります。
ウマ娘と二次創作者の間では、ひとまずの目安として18禁が「どこからエロいのか」のラインとして少なくともオタク側の理解としては共有されている、と私は考えています。
しかしフェミニストとオタクの間ではこの暗黙の了解は通用しません。18禁でない表現でもフェミニストの方は「エロ」だと判断し得るし、
先程「18禁にならないような表現についても人は「エロ」を感じることはある」と言ったように、そのようなフェミニストの方の感じ方は間違いとも言えないからです。
18禁というラインを失った結果、「どこからエロいのか」の基準は再び分からなくなります。
と言うより、本当に分からないのは「どこからエロいのか」ではなく「どのくらいエロければ規制されるべきなのか、どのくらいエロければ公共の場の掲示に適さないのか、どのくらいエロければ広告に適さないのか」等の個別の基準だと思います。「どこからエロいのか」という設問自体が既に粗すぎるのです。
仮にあなたがそうした「どのくらいエロければ~~するべきでないのか」を明確化することが可能だと考えるなら、それを示しさえすれば議論は一歩前に進みます。
逆にその明確化が不可能だと考えるなら、「どこからエロいのか線引きは出来ない」と考える人と、その点について見解の相違は無いという事に成ります。
私が当惑するのは、双方が対立しているように見えない点です。どちらの立場の人も基準の明確化を求めている気がします。
恐らく混乱の原因は「基準」というものに対する理解の相違なのだと思います。
「基準」は最初からある物ではなく、作り出す物です。「どこからエロいのか」は最初から決まっているのではなく、誰かが決めないと決まらない物です。
そのような意味で「どこからエロいのか線引きは出来ない」という言い方は正確ではないと私は感じます。線引きできないのではなく、誰かが線引きしないと、線は永遠に存在しないのです。
そして、私の様な規制を受ける側(一次創作者)がその線を決定することは出来ません。勝手に「私がやっているこれはセーフ」と出来ちゃいますから、自分に対する規制を自分で決められるなら何だってありになってしまいます。
だから、規制を求める側(フェミニストの方々)に明確な基準を置いてもらう他に無いのです。勿論その基準が適切かどうかの議論は別途必要になりますが、最初の一歩が無ければ何も進まないのです。
https://anond.hatelabo.jp/20210318200022
この増田について、ブックマークのコメントで気になったものに返信させていただきます。(長すぎて切れてしまったので増田を分けることにしました)
碧志摩メグの件で不快感を示す海人さん達を叩き、映像研で作者を叩いた人達たくさん居たよね。権利者が言ってるのにそれはないだろうと思う。あと、オタク兼フェミニストも沢山いるので勝手に対立させないでくれ
碧志摩メグさんの件は実はこの件に関して物凄く重要な例だと思っています、ナマモノとそうでないものの境界だからです。後程詳しく説明します。
映像研の作者さんはこの文章を書く上で念頭に置いていました(具体的には(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)辺りで)、ただ「叩いた人達たくさん居た」と言うのが自分の印象と異なっていて驚きました。恐らく観測範囲の問題だと思うのですが、自分の見える範囲では大部分のオタクに受け入れられていたので自分の中では「一次創作者が基準を出し、受け入れられた例」として記憶していました。
あとオタク兼フェミニストが居るというのは文章中も書いた、と言うより結論部で強調したはずですが・・・・どういう意図のコメントでしょうか・・・・・?
対立しているとも書いていませんし(集団間に信頼関係は無いとは書きましたが・・・・)、互いに信頼関係の無い集団の両方に属する人が居るのは当たり前の事です。
オタク兼フェミニストが存在するという事実は私の論旨にとっても非常に重要な事実です。既に書いた通り、それは二次創作を取り巻く環境の特殊性を知っているフェミニストの方が居るという事ですから。
そもそもウマ娘に関しては騒いでる「フェミニスト」というのは最初から存在せず捏造デマの嘘松エア炎上だったで決着してたはずやがこの増田はいったいどこの「フェミニスト」に向かって言ってんのや?
誤解がある気がするので詳しく説明します。私が念頭に置いているのは以下の増田さんの冒頭で引用されているツイートです。(尚、この増田さんの文章はフェミニストへの敵意が露わになって居る為、閲覧には注意が必要だと思います。内容としては似通ったことを言って居るかも知れませんが、態度に私は同意出来ません)
https://anond.hatelabo.jp/20210317235416
ここで引用されているツイート主の方は別の所で見た事も有り、フェミニストの方だと認識していますが、それ以前にツイート内で「フェミニスト」と「それに「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と言う人」が登場します。
ここで質問なのですが「ウマ娘に関して騒いでる「フェミニスト」」とはどのような人を想定されているのでしょうか?
さっきのツイート主の方の事でしょうか?であれば存在します。そうではなく例えば「ウマ娘自体を(性的であったり、動物を女性化しているという理由で)批判しているフェミニスト」という意味であれば、私はそのようなフェミニストの方をそもそも想定していませんし、文章内でも触れていないはずです。(もしそうであれば、どこからそういう発想が出て来たのか良く分からないです・・・・)
私が想定し、理解を求めているのは「オタク(二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方です。そうした方の存在は先のツイートで居るのだと認識して書きました。
同様の誤解を与えてしまって居そうな方を挙げます。私の文章が分かり辛く、すみません。
今のところ私は「ウマ娘を叩くフェミニスト」を見たことないんだが…なんか仮想敵作ってシャドーボクシングする案件増えてないかなあ…。
本作品で「エロいから/女性の性的消費だから引っ込めろ」的な「いつものフェミニスト」の過激主張ってそんなに大きかったっけ?エア炎上は有ったがまさかソレが既成事実化しててその前提であちこち話が広がってる?
フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。
ウマ娘は「『フェミが炎上させてる』は嘘だった」が知られているし女性にも人気なのでそっとしたいてほしい。オタクは嘘炎上でも構わないから女叩きがしたいんだ、とまとめて敵視されたくもない。テイオーかわいいよ
恐らく同様の誤解を与えてしまって居ますね。申し訳ございません。
恐らく想定されているような「ウマ娘を叩くフェミニスト」はこの文章では元々想定していません。あくまで「オタク(二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方向けの文章です。
「一次創作者と二次創作者の信頼関係」に対して、「フェミニストとオタク」を当てはめてる意味がわからないんだけど。せめて、「フェミニストと表現者」では? 「オタク」というのはどういう存在なの?
これは実は非常に重要な点です。実は先の元になったツイートで私も良く分からないのがこの点なのです。
ウマ娘における曖昧な基準でも受け入れられる暗黙の関係は、ご説明した通り「一次創作者と二次創作者の信頼関係」で成り立つ特殊なものです。
一方でツイート主の方が想定されている「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人の大部分は恐らく一次創作者でも二次創作者でもありません。つまりそこに二次創作の特殊な事情で成り立つ関係が同様に適用出来るという発想が私には不思議なのです。(そのような意味で、「せめて表現者を想定するべきでは?」という疑問は私も共有します)
ただしこうした関係が二次創作の特殊な事情に依るとそもそも知らなければ、おかしな発想ではありません、そこで私はそのような想定でこの文章を書こうと思った次第です。
また、勿論二次創作者とオタクを兼任する人は居ますので、兼任する人だけを想定している、という考えはあり得ると思います。そのような想定も念頭に置いて書いたつもりです。
「オタク」については「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」では長過ぎるので、言い換えています。「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」かつ「「ウマ娘のエロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めた人」の集合ですね。
増田はあなたがあなた自身で二次創作者に向けて「自分の作品に」配慮して欲しい旨を伝えたことがあるのだろうか。編集部などではなく自分自身で二次創作の過激なエロを止めて欲しいような事を発言したことが?
私自身は自分の作品の二次創作は自由に遣って頂いて構わないので、そういう発言をした事は無いです。
ただ、自分以外の方の例を見て、発言すれば意図を汲んでもらえそうだなと思う事はあります。
あと映像研の作者の方の件は受け入れられた認識だったので(そうではない可能性が出てきましたが・・・)、そこでも一次創作者の意図は組んでもらえそうだと考えていました。
上っ面で敵意がないとか言いながら俺らは昵懇なので口出すなって言ってしまう無能な増田だ。都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼の話じゃなくて社会一般に開いた話をしようね。
対応の差は元々問題と思わないので異論もないが、表現においてOK/NGの基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊な状態なわけで、部外者にそれを求めるのは無茶かと。オタク差別的な表現を非難する時に基準などないでしょ
このお二方は私の文章と同じ趣旨の事を、反論という形で書かれています。つまり誤解を与えてしまって居るという事ですね、申し訳ございません。
私の文章はまさに「社会一般に開いた話」に「都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼」と同じ対応を求めるのは無茶である、と言う趣旨です。
また「表現においてOK/NGの基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊な状態」を「部外者同士(フェミニストとオタク)の関係間にも求めるのは無茶」という趣旨です。
本当に重要な事なのですが、「二次創作者と一次創作者」の暗黙の関係の方が特殊で異常なのです。だから社会一般の殆どの関係でそれと同様の対応を求めることは出来ないし、「フェミニストとオタク」の間にそれを求めるのも不可能、という事なのです。
うーん・・・・これでも分かりにくいかも知れませんね・・・ただこれ以上どう詳しく説明すれば良いのか、苦慮している状態です。表現者としてなっていませんね・・・・。
あとは最初に言っておいた碧志摩メグさんの件について書きます。
実は碧志摩メグさんの件はこの話で非常に重要な論点です。何故かと言うとウマ娘における馬主や競走馬達と似た(しかし微妙に異なる)立場に海女さんの方々が置かれた例だからです。
まず重要なのは「碧志摩メグさんはナマモノなのか」という事です。ウマ娘の場合、限りなくナマモノに近い、と言うより個人的にはナマモノと言ってしまっていいと思います。実在の馬に対し、個体を識別できるレベルで二次創作を行っています。
対して碧志摩メグさんはと言うと、実在の海女さんという職業を対象にしていますが、個人を識別できるレベルの二次創作ではありません。海女さんという職業を対象にした萌えキャラ化という認識です。
ただし注意しなければならないのは、「職業を対象にした萌えキャラ」を全て同等だと考えるのは危険だという事です。
例えば駅乃みちかさんは恐らく鉄道スタッフを対象にした萌えキャラですが、彼女と碧志摩メグさんを同等に考えるのは危険です。何故なら海女さんという職業に就く人の少なさに加え、「伊勢志摩」という地域の限定もかかっている為、個人を識別出来るレベルでないとしても絞られる人数の規模が異なるからです。
私の書いた文章では、まず第一に法律レベルで尊重されるのは一次創作者の様に作品の権利を持っている場合か、ナマモノの様にその人自身が肖像権等の権利を持っている場合だと考えていました。
通常、職業を対象にした創作について、その職業の方が権利を持つ事はありません(例えば漫画家が「漫画家の萌えキャラを描かないで」と言っても効力は有りません)、しかし単純にそれを碧志摩メグさんに適用するのは危険だと私は考えています。
これは個人的な考えですが、碧志摩メグさんの例は、一次創作者やナマモノの対象者の様な権利者と、職業萌えキャラの間ぐらいに位置すると考えるべきだと思います。
恐らく(素人なので分かりませんが)法律的に海女さん達が碧志摩メグさんに権利を持つ事は無いと思います。しかしだからと言って彼女たちの意志を無視するのは倫理的に問題がある、というのが私の考えです。
そしてウマ娘ではまさにこうした問題に対する対応が行われています。法律的には競走馬の馬主の方々やファンの方々はウマ娘について権利は持っていないそうです、しかし権利を持っているCygamesが馬主やファンの方々の意思を尊重する姿勢を明確にしています。
こうした関係は理想的ですし、碧志摩メグさんについても同様の対応がとられていれば良かったのではないか、と考えています。
すみません、そのような前提では書いていません。
フェミニストの方の中にはオタクも、腐女子も、ウマ娘を愛好する人も、ウマ娘と二次創作者の現在の関係を理解し肯定する人も、二次創作者も、一次創作者も、その他色々な人が居る、という前提の下書いております。
特にフェミニスト兼オタクや腐女子、二次創作者や一次創作者の方は、私が説明するまでも無く二次創作を取り巻く環境の特殊性は理解されている、と言う認識で書いております。
フェミニズムに親和的な人間もそれぞれの趣味に傾倒するし創作もするよ。そのなかで誰かを傷つける可能性に葛藤も悩みもするよ。だからこそ不誠実な「何がエロかわっかりませ~~ん」に怒るんだよ
フェミニズムに親和的な人も創作する事、存じております。と言うよりも(隠していた訳では無いですが)私自身フェミニズムに強く共感している創作者の一人です。
ただ、それ故に「何が不誠実なのか」を論点先取する事には一定の躊躇を覚えます。「エロ」というものの定義困難性や明確化の困難への懸念や警戒を「何がエロかわっかりませ~~ん」へと翻訳することについてもです。
一人の創作者でありかつ創作の受け手でもある人間として、「エロ」というものの難しさに向き合うことにも誠実でありたいのです。
「何がエロなのか決めることが難しい」事が本当に不誠実な態度なのか、まずはそこを決め付けずにもう一度詳しく検討したり、議論したりすることが誠実な態度なのではないでしょうか?
フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。
この方の後半についてなのですが、ここは私自身の立場がややこしいというか、難しいのですよね。
私自身勿論オタクでもありますが、同時にその「消費」を提供する作者でもある訳です。
創作者側としては、割と好きに消費して欲しいという思いもあり、この件に対しては複雑な心境です。
また私の描いたキャラクターが特定の属性の消費に繋がるか、という事についても・・・・余り私自身の情報で変な予断を増やしたくないので暈しますが、例えば私が女性で、女性のキャラクターを消費し易い形で出したら、そこにはどのような問題が有るでしょうか?
これは女性が自身を自由に表現してよいか、という女性自身の自由にも関わる話であり、この議論はそうした様々なパターンを想定した上でなければ(つまり男性が女性を消費すると言う様な典型的なケースだけ考えるのでは)意味が無いと思うのです。
★追記
「ウマ娘をフェミニストが叩いている」という誤解等について追記を別増田で書いたのですが、末尾に載せたため余り読まれずに誤解がそのまま広まってしまって居る様です。すみません。
誤解やその他コメントへの返信は以下の増田で書いていますので、合わせてお読み下さい。
https://anond.hatelabo.jp/20210319115128
★追記終わり
はじめに言っておきたいのですが、私にフェミニストの方やフェミニズムへの敵意はありません。
この件に関して他の方も説明はされていますが、なにぶんフェミニストへの敵意が露わになっている物も多く、理解が難しい場合が多いと想像しています。
そこでこの件に関して一次創作者と言う立場から、フェミニストの方への敵意無しに説明することで、理解頂けないかと思い、筆を執ります。
ウマ娘では著作権を持っているCygamesから「競走馬のイメージを著しく損なう表現を行わないようご配慮いただけますと幸いです」という注意事項が出て、大多数のオタクはそれに従っています。(例外は居るようです)
しかしオタク達は(という括りは中々大雑把ですが)過去に宇崎ちゃん献血ポスターなどの際に「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とし、フェミニストに基準の明確化を迫っていた、
対応が違うのではないか、とフェミニストの方が違和感を持たれている、という話です。
一見して確かにそのようなオタクの対応は異なっています(勿論こうした対応を行っていないオタクもオタクの中には居ますが)
ただしここには「二次創作」を取り巻く環境の特殊さが関わっているために、そう見えてしまっている面があります。それを説明したいと思います。
二次創作は法的にグレーな行為です。その為二次創作者は一次創作者や権利者(アニメの制作会社や出版社等)に「二次創作をやっていいか」と明確に問い合わせない慣習があります。
また一次創作者側も二次創作を厳しく取り締まったり、明確な基準を出したりしない事が多いです。これは一次創作側も二次創作を歓迎している側面もあるからだと思います。(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)
ウマ娘での具体的でも明確でもない注意事項が受け入れられている背景には、こうした二次創作独特の慣習と事情があります。
(少し想像が入りますが)ウマ娘側は競技馬の馬主やファンとの関係を重視する一方、二次創作の過度な委縮も望んでいません。そこで明確ではない表現で二次創作者側に判断をゆだねつつ、馬主やファンとの関係性を悪化させるような二次創作については牽制を図っているのだと思います。
こうした関係性は一般的なものではありません。いくつかの条件を満たした特別な関係でしか成立しないものであり、「一次創作者と二次創作者(やオタク)」の間ではそれは成立しますが、「フェミニストとオタク」の間では成立しない。その為に対応が変わっているのです。
ではこうした暗黙の関係が成立する為の「いくつかの条件」とは何なのか。以下私に分かる範囲の2点を書きます。
一次創作者は「度を越えた表現はしないだろう」と二次創作者を信頼しているので、明確でない基準を出せます。
二次創作者は「このくらいなら訴えてはこないだろう」と自分の中に目安があり、その点で一次創作者や権利者を信用しているので、基準が明確でなくてもそれを受け入れられます。
ウマ娘ではまさにそうした信頼関係が成立している様で、(一部を除いて)ウマ娘達の性的な二次創作をする者は少なく、また現時点ではCygames側に怒られたという例は聞きません(私の観測範囲の問題かもしれませんが)
ではこうした信頼関係がフェミニストとオタクの間にあるかと言えば、残念ながらNOです。
ただこれは仕方が無い側面もあります。そもそも個人間ならともかく、集団と集団の間でこのような信頼関係が成り立つ方が異常だと思います。
一次創作者と二次創作者の間にあるこの信頼関係は、これまでの歴史が積み重なって出来たものです。ファン活動や同人誌、コミケ、等々、長い時間を掛けて生まれた信頼関係を他の集団が持っていなくても、それはおかしいものではありません。
また、不幸にもフェミニストとオタクの間には信頼関係をむしろ壊すイベントも数多くありました。
オタクの一部はより過激な表現を好み、その結果フェミニストは「度を越えた表現はしないだろう」とオタクを信頼することはできません。
宇崎ちゃんのポスターやキズナアイ騒動など、フェミニストが批判した表現は不適切かどうか人によって判断が異なる微妙な物もありました、その結果オタク達は「このくらいなら批判されないだろう」とフェミニストを信頼できません。
互いに疑心暗鬼になっている状態では、ウマ娘のような明確でない基準では意識を合わせることができないのです。
二次創作についてとやかく言わない事は一次創作者と二次創作者双方にとって都合が良い事でした。
一次創作者側はファン活動からモチベーションを貰ったり、二次創作によりファンが増えたり、といった利益が見込めます。
これは二次創作が法的にグレーである事も関わっています。細かいことを言うとそもそも違法である事に抵触してしまい、その作品の二次創作全体が潰れてしまう可能性も有る。
だから一次創作者と二次創作者の現在の関係は、双方に都合が良い側面があり、受け入れられる訳です。
対して、フェミニズム的な観点による批判の基準が明確でない事はフェミニストとオタク双方にとって利益が有る事でしょうか?
フェミニスト側は利益が有るかも知れません。基準を曖昧なままにしておけば色んな批判ができ、その批判が適切かどうかを基準との適合性で検証される事もありません。
しかしオタク側、というより表現を批判される側(多くの場合は一次創作者)としては、これは非常に困ります。表現をする際に何がアウトなのか分からないままに表現をすることになってしまう。そして後でアウトだったと知って炎上し、表現の修正や撤回を迫られてしまう。
一次創作者の立場から申し上げますが、これが非常に怖いのです。次出すこの作品は、この話はアウトかも知れない。作品の出来不出来に対する批判はある程度覚悟がありますが、差別的な表現だと批判される場合はその後の影響が全く異なります。今後作品を出せなくなったり、もしかしたら作家生命が終わるかもしれない。
私は幸いフェミニストの方に批判されるような表現は少ないジャンルの創作者なのでそこまででは無いのですが、やはり恐怖を感じる事はあります。
恐怖、そう、個人的な見解ですがオタクの一部がフェミニストに抱いている感情も実はこれだと思います。
自分がセーフだと思う作品、好きな作品も、フェミニストに批判されて修正させられたり、降板させられたり、作品を停止されるかもしれない、そういう恐怖を抱えている訳です。
そうした恐怖は信頼とは正反対のものです。そのような恐怖が無い状態、「本当に不正な場合は批判されるだろうが、そうでない場合は批判されないし、作品を潰される事もない」と双方が思える信頼関係が出来ればいいのですが、現状を見る限り難しそうです。
以上2つの条件をどちらも満たさないので、フェミニストとオタクの間には基準を曖昧なままにしておける暗黙の関係性はありません。だから対応が変わる訳です。
重要なのは「二次創作者と一次創作者」の関係の方が特殊なのであって、暗黙の関係性はほとんどの関係で成立しない事です。
分かりやすい例えかどうか分かりませんが、一次創作者と二次創作者は恋人だと考えて見てください。2人はキスなど特別な行為を行いますが、他人(フェミニスト)とは行いません。
それはおかしなことではないし、恋人でない人が「私ともキスしろ」と要求することはできない筈です。
以上の事をフェミニストの方々にご理解頂く事は、実はそれほど難しい事では無いと思っています。
何故かと言うと、フェミニストの中にはオタクを兼任している人も居るからです。女性のオタクや腐女子かつフェミニストの方からすれば、これまで説明した二次創作を取り巻く特殊性は言われるまでも無く理解されている事でしょう。
特に女性の消費者の多いBLでは二次創作は盛んですから、釈迦に説法です。
オタクや腐女子ではないフェミニストの方にはもしかしたら理解が難しいかもしれませんが、それでも理解頂けるよう、言葉を尽くしたつもりです。届いていれば幸いです。
実はもう少し書きたいことが色々あるのですが、既に長くなってしまいました。論点を足早に述べます、後日詳しく書くかもしれません。
・ウマ娘がオタクに配慮されるのは馬主が社会的な強者だからだ、という意見がありますが、誤りだと思います。
というのも強者ではない私の様な一次創作者の意向も二次創作者の方々の大部分は尊重してくれます。それは私がお金持ちだからではなく(お金持ちでは無いですし・・・)私が権利者だからです(作品への愛や誠意もあるとは思いますが)
・私は私の作品について「性的な二次創作をしないで欲しい」と表明することは正当な権利だと思います。一方私のものではない作品(例えばドラゴンボールやセーラームーン)について「性的な二次創作をしないで欲しい」と言ったとしてもそこに効力は無いと思います。
ウマ娘も同様です。Cygamesが権利者だからその意向が尊重されるわけで、それ以外の方の意見が強制力を持たないのは私の「ガンダムの二次創作をしないで」という発言に効力がないのと同じ、当然の事です
・二次創作者が「一次創作者の意向には従うが、フェミニストにはそうじゃない」という異議は、他に少し奇妙な所があります。と言うのもフェミニストの方々が批判対象とするのは多くの場合二次創作ではなく、一次創作やその公式コラボだからです。
つまり二次創作者は一次創作者に対して法的にグレーな事をしている(だから曖昧な基準でも従う)という負い目があるのに対し、フェミニストの方々は一次創作者の作品に対する権利者ではありません。
勿論作品の消費者である可能性はある訳で、フェミニストの方々の意見を無視することはありませんが、それは二次創作者に対する一次創作者の様な特別な地位ではない、という事が見逃されているケースが散見されます
・私がこの問題を知るきっかけの一つが以下の増田さんなのですが(この増田さんの語り口はフェミニストへの敵意が多い為、理解は得られないだろうと思い別の立場から書くことにしました)
https://anond.hatelabo.jp/20210317235416
この反応で気になるものがありました。
一生懸命正当化してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちがコンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャンする構図は変わらない。好意の多寡じゃなく、自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
というものです(個人叩きになるのは本意ではないので、idは載せません)
二次創作者(やオタク)たちが明確では無い基準でも受け入れているのは双方に信頼関係とWin-Winな関係があるからで、「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してる」からではありません。
彼らと一定の信頼関係を築けていると考えている一次創作者としてそのような言い方はフェアではないと感じます。(また、オタクには女性も含まれるし、腐女子も含まれる事を忘れていないか、心配です)
ただ、この事についてこの方に理解頂くのは難しい事ではないと思います。
何故ならこの方はガチャピンをアイコンにされていました(今見たらアイコンが変わっていました・・・)。過去にこの方がそれが著作権的にグレーである事を自覚しているというコメントも見た事があります。
ガチャピンアイコンがグレーである事を知りながらガチャピンや権利者に「アイコンにしていいか明確にしてくれ」と明確化を求めなかったのは「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してる」からでしょうか?
私は違うと思います。「アイコンにすることで訴えてきたり止められる事は無い」と信頼しているからではないでしょうか?
だとすればそれは二次創作者と一次創作者の間の信頼関係と同じです。理解は容易い筈です。
以上だいぶ長くなってしまいましたが、フェミニストの方にご理解頂ければ良いなと思います。自分なりに誠意をもって書きました。
ブックマークのコメントで気になったものに返信を追記しようとしたのですが、長すぎて切れてしまったので、別増田にしました。以下です。
https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 について、ブコメをいただきました。
ウイルス感染後数年の潜伏期間を経て発症する悲惨な病気もある(麻疹のSSPE等)。ワクチンの長期的副作用が分かっていないのと同様に、新型コロナの長期的影響も分かっていない。新型コロナのリスクを過小評価しすぎ。
この点については、論旨に影響ない程度に文章を簡単にするため、新型コロナのリスクを過小評価して文章を書きました。
当然ですが、より網羅的にフェアにいうなら、ワクチンの方にも同様に、既に統計(エビデンス)のあるリスクが存在します。こちらも文章から省いてあります。
同様に、
です。
R1<R2なら、人はワクチンを打たないということになります。逆も然りです。
元増田で書いた際は、論旨に影響しないため、Y1とX2は無視して、
としていました。上記ブコメは、Y1を無視するのはアンフェアだという指摘で、その通りです(実際にはX2も無視しています)。
元増田で書いたのは、情報収集と論理によって明確化できるのは、既知のリスクX1(とX2)についてのみであって、未知のリスクY2(とY1)については、個々人の主観的な価値判断になるということです。
したがって、Y2を大きく評価し、結果として、R1<R2と評価する人がいたとしても、他者がそれを「論理的に」「科学的に」否定することは不可能だし、やるべきではありません。
当然、「R1<R2(ワクチンを打たない)と考えるのは、X1(コロナの感染リスク)を過小評価しているからだ」などという指摘は非論理的です。その個人の価値判断のもと、Y2(ワクチンを打つ場合の未知リスク)を大きく評価しているだけだからです。
と価値判断する個人にとっては、R1<R2という判断が合理的であることは変わらず、
また、それを他者が「論理的に」「科学的に」否定することは不可能です。
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yzkuma 「ワクチン接種ジレンマ」で数理的に議論されている問題。リスク値のほとんどが不明なので個人的な正解はない。社会的には打つのが正解なので「自分だけ逃げ切る」という選択肢を自分の心が許すなら打たなくて良い。
数理的なんて言われると照れちゃいますね。まぁ足し算も数理ですが。
この点は元増田に書いた通りで、
「全員が免疫を獲得する必要がない以上、統計がないリスク(ワクチンの副作用)を低く、統計があるリスク(感染・重症化・後遺症)のリスクを高く見積もっている人がいるなら、その人が優先的に打ってくれたらみんなハッピーだよね」という考え方はあっていいと思ってます。
元増田に書いた通り、「コロナワクチンを打たない」という意思決定は、いわゆる反ワクチン(既知の科学的なリスク評価自体を否定する)と異なるよね、というのが議論の出発点です。
kou-qana 未知部分は掛け算で、その値は未知だから全部脳内妄想で、何を重視しても合理的ということ?うーん、未知部分はとりあえず掛け算しない態度と同程度に合理的…か…よくわからない。
掛け算というか足し算ですかね。
「何を重視しても合理的」というのは遠からずです。他人には口出しできないということです。それを合理的と呼ぶべきかどうかは微妙だと思いました。
frantic87frantic87 打ちたくないから打たないということ?内心の自由としてはそれで構わないけど、それで他者を納得させるのは無理では
極論すれば「打ちたくないから打たない」が認められるべきで、少なくともそれが「非論理的」「非科学的」だという非難はおかしいという話です。
個人がワクチンを打つかどうかについて、基本的には、他者を納得させる必要はないと考えています。同居家族等を想定しているなら、そもそもの議論がもうちょっと違う方向になると思います。
mRNAワクチンについては作用機序を科学的に考察すれば長期的副反応はそれほど大きいとは考えにくいけれど、嫌なら嫌で良い。アストラゼネカについては経験的に安全性が高いと考えられるけれど、嫌なら嫌で良い。俺は
まさにこういう議論がありがたいです。書いてある内容に異論はないです。
やるべきことは、未知リスクの部分をなるべく正確に推測するために、状況証拠には何があるのか、とか、リスクの見積もりに想定外はないかを議論する(または、専門家が適切にその議論ができるよう、社会的環境を整える・監視する)ことだと思っています。
残念ながら、ブコメでは、「ワクチンの未知リスクは十分に明らかでないと考えるので、ワクチンを打たない」と表明すると、「コロナの後遺症リスクを低く見積もっている」「集団免疫が獲得できないことが理解できていない」等、別の論点にすり替わってしまいます。「知っていることだけで議論したい」「知らないことは議論したくない」「自分の意見を信じたい/変えたくない」からですかね。論点がすり替わるため、未知リスクの見積もり自体はガバガバのまま議論が放置されます。
結婚活動?という類の話。
夫婦って言っても今はもっとオープンに多様性が認められていていると思っていて
一概に「夫婦」っていっても、
性別が同じかもしれないし別かもしれないし
夫婦になる、つまり書面上の契約をして戸籍を新たに作り人生のパートナーとして社会的に承認されることだけをゴールとして考えすぎな人が多い気がする。
決して批判をしているわけでもない、ただなんか血眼になって
自分の理想が違うからって価値観が合わなかった人をこきおろすのは違うんじゃないかな〜といった意見。
これは出産して子供が欲しいって言っている人もそう感じてしまう。
だから価値観の相違やマッチングしなかった相手をボコボコにするのかなと思ったりしている。
もしかしたら結婚した後、出産した後、のビジョンが明確になっているかもしれないけれど、
単純に心が痛いよね。
理想や目標が違うために、私は口論戦争をしているようにしか見えなくて
たまに見るコラム的なものも火に油注いでいるような記事ばかりだから、私個人の思いの丈をしたためてみました。
誰が奢るとか奢らないとか、大衆的な意見としてじゃなくて自分個人の価値観、要望として相手に話せばいいと思う。
大衆的な意見にするから炎上したり終わらないレスバトルで定期的に上がるんだろうな。と。
そりゃ私も常に奢られたい派ですけれども。
私の感想としては結婚は、結婚したからなんか特別何かあったわけじゃなかった。
本当にお互いの今後生きていくための手段としてでもあり、恋愛でもあり、家族になりたいって愛情もあり気持ちもあり、趣味の共有もあり、全てにおいて結婚することで解決するじゃんってなって結婚した。気がする。
だからなんというか今婚活で婚活市場で消費されて疲れている人がいたら
ふと方に力を抜いて、自分の成りたい作りたい家族を明確化してみたら、それをアウトプットしたら変わるかもしれないし
そして新しい知見として別の人の理想の家族も聞いてみてアップデートしていけばなにかまた新しい発見が見つかるのかな。
と思った次第です。
これは完全興味です。どんな家族にしたくてどんなことを今頑張っているんだろうって。
正直私はもうゴールしています。
人生における理解者及びパートナーがいる環境で自分の生活水準に達していればゴールなので。
前述で申していた通りの結婚が人生のゴールタイプかもしれません。
ただ残りの70年くらい?は新しいことにもチャレンジしたいので新しい意見や目標に触れてみたかったのがこのhatenaを書いた真の目的です。
ズル休みで得る背徳感のある快感と自己嫌悪が混ざって複雑でなんとも言い表せないぐちゃぐちゃな感情がそこにはある。
仕事は大した内容は任されていないが
突然休なんてしたらやはり社内的には迷惑だろう。
私も前職ではそういう人を間近で見てきて
人間関係や社風が合わない のだろう。
決して周りの先輩社員や上司が倫理に反するようなことやハラスメントもしているわけではないし、むしろ人当たりもよくて働きやすいとも思うのに、何故か合わない。
こればかりは自分に非があると思わざるを得ない。
結局は「何も努力しなかった人間の末路」になりかけている自分をただ受け入れるしかない状況になった。
高校生の時はただただ漠然と大人になったら普通に社会人になって社会的に評価されている人になるんだろうなって思っていた。アホな話、勉強もろくにしない奴がそんな評価されるわけないだろ、と。
だとしても気づいた時にはもう遅くて、仕事は全然長続きしない。
もともと勉強も習い事も年単位で継続したこともない人間がなにも長続きしないわけだから
なにも身に付かないわけで結果、転職の繰り返し。
継続と習慣が壊滅的。
なにかしら仕事に飽きがでる。
やれ収入が低いだの、もっと上流やりたいだの、技術者になりたいだの、、全部言い訳。
なのにほんの少し、多少のデスクワークとべしゃりができるだけで筆記・面接クリアはできてしまうし社会に若干の受け口がある。
いっそのことバッサリと社会不適合者だと切り捨てて
何者かになれる可能性を感じているようで手を伸ばさないし挙句働くことを諦めかけて
社会的な居場所や立場を求めて、見つけては自分の手で破壊する。
何者かになりたい。
こんな思いを心底願っている自分がすごい嫌いだ。
・仕事が単調、もしくは合わない
・組織としての統率感のなさ
・定時退社しない人多くて帰りにくい
明確化するために書き出してみようとしたが抽象化してしまった。
もう働きたくないんだねきっと。
ブラック企業もイスラム国も新人教育訓練では海兵隊の新兵訓練メソッドや精神的拷問洗脳技術を採用して、個人のプライドを粉砕し、幹部や社長に絶対服従と忠誠を刷り込む精神改造手術を行い
配置後は秒単位で行動を規定され、本社からカメラで監視されるとか軍隊そのもので、飲食の深夜営業も自爆テロもワンオペだし、双方ともにブラック体質なのは言うまでもない
吹けば飛ぶようなカスみたいなwebベンチャーも、やりがいとか成長みたいな金出せない分、ふわふわしたお題目でアルカイダとかイスラム国みたいに募集してるが、最近は若者も賢くなったので、とっととくたばってなろう小説の異世界か悪役令嬢にでも生まれ変わるしかないくらいしか救われる道がないような、人生詰んでる低能力人材の若者くらいしか来ないので難儀しているという
ブラック企業もwebベンチャーも自分の手足となって金を運んでくるショッカー戦闘員募集に難儀しているというわけだ
戦闘員不足で店舗を閉店せざるを得なくなったり、戦闘員の技術レベルの低さで案件を諦めなければならないという企業活動に支障が出るレベルだ。
同じブラックでも、かたやイスラム国はポスター1枚、youtubeの数分の動画一個でショッカー戦闘員を確保している。わずか一本の「イスラム国宣伝してみた動画」一本で、一個中隊のショッカー戦闘員をシリアに送り込めるというわけだ
なぜ、上記の糞企業たちにショッカー戦闘員が集まらないのか、それはお金とかでなくやることが明確でないからだと思う。現実逃避したい若者に対するアピールがダメよダメダメだからなのだ
イスラム国のポスターにはただ一言、仕事:警備員 勤務地:シリアのみ。
イメージしかないし、その上、シンプルな記述は美しいまでのWBSの様で安心感すらある。職種は同じワンオペありの戦闘員だ。どちらが現実逃避したい、導かれたいと思っている若者に対して訴求力があるか言うまでもないだろう
昨今の全体的な能力が低いために相対的に意識が高くなってしまっている若者たちという各国からアレな人材が集まりグローバルに成長しているイスラム国と、ただブラックなだけで落日な日本の糞企業のどちらを選択するのか結果は目に見えているに決まっている
そんなわけでこれを呼んだゴミみたいなブラック企業やwebベンチャーの経営者や人事担当には心を入れ替えてもらって、イスラム国のプロモーションのように敵を明確化、「プログラミングスキルで打倒!リア充エリート!」「金持ち企業向けソリューションを提供する富裕層向けの大手IT企業は粉砕すべし」とかわかりやすいスローガンをぶち上げ、1人でも多く現実から逃げたいなろう小説の主人公予備軍みたいな若者を確保してショッカー戦闘員に仕立てあげて働かせたら、日本の生産性も上がると思うのでござる
始めに言っておくと公立中学を「動物園」と表現するのは、それが正確かは兎も角許容される事だと思う
ただし普段、表現にそれと同等かそれより厳しい基準で批判を行っていないなら
公立中学を「動物園」と表現してそれへの批判が燃え上がり、擁護する人も出る中で、
私が思ったのは「随分お優しい事だなァ」という事だった
現代において表現するという事はポリコレ等等様々な基準でジャッジされ、炎上させられる危険と隣り合わせという事、その基準から言えば「あんなの燃えて当然」というのが本音だ
例えば漫画やアニメのキャラクターが「公立中学は動物園」と表現したり、作者やアイドルがそういう発言をしたら、当然燃えるだろう
今回擁護側に回ってる人の中にもそういうケースなら喜んで叩く側に回る人、いんじゃないの?とも思う
それがはてブのコメントなら擁護する、というのはどういう事なんだろう?
今回批判の槍玉に挙げられがちな「はてなリベラル」への反感は、そういう事なんじゃないだろうか?
普段は非常に厳しい基準で表現をジャッジし、批判しているのに、いざ自分達がその対象に成ったら急に表現に寛容になる
例え自分が当事者でも、特定の人達を動物に例える表現は本来結構過激な部類に入る発言の筈だ、当たり前に人を傷付ける表現でもある
そこに寛容なのに、じゃあアレ(宇崎ちゃん)は?コレ(キズナアイ)は?ドレ(アツギタイツ)は?ソレ(ラブライブみかんパネル)は?
あなたはそれにどういう態度を取っていたんでしたっけ?
となる
問題なのは動物園発言やそれに☆を押した事では無い、普段表現に厳しいのに自分達だけには寛容、というダブルスタンダードだ
普段表現に厳しくないなら、動物園発言も、それを支持する☆も、問題ではあるが許容される範囲、なのではないか
「自分に寛容、他人にも寛容」より、「自分(とその仲間)に寛容、他人に厳しい」人が非難されるのは当たり前の事だろう
私が切にお願いしたいのはそれだ、「同じ基準で裁いて欲しい」
表現がポリコレ等の厳しい監視の目を向けられる事はもう、諦めている
サッカーをしていて審判がぐでんぐでんに酔っぱらっていたら不安にならないだろうか?それでレッドカード出されたら納得できる?
私達表現者にとってジャッジはあなた達だ、特にポリコレ支持者、リベラルが多いらしいはてなはその筆頭だ
つまり私の不安は「あなた達は酔っぱらっていないか?」という事だ
現状、あなた達のジャッジが正確で、公正で、平等で、恣意的では無い保証は何処にも無い、ジャッジの飲酒検査は完了していない
そこにきて動物園発言だ、「もしやジャッジ、酔っぱらって無いか?」となるのは必然だろう
ではせめて、同じ基準であなた自身や、その仲間、あなたが好きな表現、好きな人を裁いて貰えないだろうか?
あなたがあなた自身やその仲間の審判をゆだねて良いと思える基準なら、ある程度ではあるけど安心はできる
逆にあなたが「いや、自分が対象に成るのは御免だ」と思うような基準は、当たり前だがこっちだって御免だ
そして同じ基準で裁く為に必要なのは、そもそも基準を明確化し、言語化する事だ、まずはそれすら覚束ないジャッジがとても多い(ルールが明確じゃないジャッジ程怖いものはない)
自分が普段表現をジャッジしている基準は、明確に言語化するとどういう基準か?それは不自然な部分や可笑しい部分が無いか、自分に適用しても問題無いか、矛盾は無いか
そういう事を一度立ち止まって、冷静に考えて欲しい
https://anond.hatelabo.jp/20201107053636
今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。
それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメが散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快な気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。
口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチは燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文止まりで発展性がない。
そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
説得力を完全に放棄したこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性の意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。
なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。
自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスのコメントはほかにもいくつもありました。
どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点を明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプを自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。
一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツをエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。
たとえば「これを機にタイツがエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。
女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツだけが例外だったとする認識はおかしい。セーラー服やハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである。
タイツにエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きをいただきましたので性的にまなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだ。アツギが種を撒いたことにはならない。
つまり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮が必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。
ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
議論が深まっ太郎
良い福利厚生
良い職場環境
→和気あいあいとした職場?活気のある職場?良い職場環境なんて千差万別だからあまり効果はない。
→所謂ジョブディスクリプション。業務と関係ない仕事のカットインほどやる気を削ぐものはない。
→月20万から23万とかチンケなレベルじゃなくて、学生時代にしっかりと成果を上げているならそれに見合った給料を出す。
どうしようもない無能社員、ダメ社員(特に年功序列で上がっただけのヤツ)を徹底排除(効果大大)
→ダメな先輩の存在は本当にやる気を削ぐ。降格、配置転換、場合によってはクビも視野に。
→そんなことはない。大抵職場を殺伐とさせるのはどうしようもない無能だ。
どうしようもない無能とは?
→バグが多いとかそういう類のものはチームで解決すべき問題だと思う。そうではなく終始業務分担の話をしたり、自分の尻を自分で拭こうとしなかったり、自分が世界で一番不幸な人かの様に振る舞い他人の不幸、苦労に目を向けず仕事を平気で擦りつけてくる類の無能だ。
鬱病を患った人も場合によっては無能になる。正直マネージャーやメンバーが期待する業務をこなせないなら、負荷の少ない業種への配置転換をした方がお互いの為になると思う。
「こいつ、仕事できねぇな」と部下からも上司からも思われる職場で仕事をしてたら絶対鬱が加速する。
この増田で言いたいこと。
PDF表示プラグインを使うことしかできないようなので、テキスト化してあげた。
https://cover-corp.com/2020/09/30/093001/
https://cover-corp.com/wp-content/uploads/2020/09/9月27日(日)に公表した公式声明における経緯説明と今後の弊社方針につきまして_v7.pdf
このたびは、先般の公式声明において混乱を招いてしまい、誠に申し訳ございません。
2020 年 9 月 27 日(日)に、弊社所属タレントにおける YouTube チャンネル統計 データの無許諾使用、ならびに弊社社内ガイドライン(サービス提供国の社会通念 および当該国の方針を配慮する旨)に反する行為・言動が確認されたことを受けて、 弊社より本件のお詫びとタレントへの対応措置について公表をさせていただきました。
しかしながら、本公表におきまして、中国向けとして投稿した内容と日本向けに 展開した内容について齟齬がございました。本件につきましては、不用意に混乱を招く 事態となりましたこと、深くお詫び申し上げます。
当初投稿した公式声明が公表されるまでの経緯につきまして、ご説明いたします。
1. 本行為・言動が発生した際、「ホロライブプロダクション」所属タレントに対する誹 謗中傷や生命・身体を脅かすような書き込み等が多量に発生する事態となった。本 件の対応としては、当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施した。
2. 当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施したものの状況は改善されなかった ため、社内で定められた基準により、公式声明と当該タレントの処分の発表を決定 した。
3. 公式声明の作成にあたっては、中国現地の協力会社とも慎重に検討した結果、タレ ントや社員らの安全と活動を守るため、中国向けの声明に関しては、問題となった 発言に対し強く言及する声明を出さなければ解決が難しいという指摘を受けた。
4. 以上の状況を受け、最優先すべきタレントと関係者の安全を担保するためには弊社 からのいち早い声明が必要だと判断し、緊急措置として過日の公式声明に至った。
上記経緯により、結果的に一部の国や地域に対し、配慮に欠けた表現の趣旨を内包する 公式声明を公表する形となってしまいました。本件につきましては、国内外にご迷惑を おかけする問題であったと痛感しており、深く反省しております。
現在「ホロライブプロダクション」は世界中の国や地域でご視聴いただいており、 弊社といたしましては、サービスを提供するそれぞれの国や地域の法律や慣例慣習、 社会通念など、その時点で決定されている当該国の政府の方針に基づきサービス 提供することを原則としています。
ついては、サービスを提供する国や地域によってポリシーやガイドライン、 コミュニケーションが異なるため、それぞれに合わせた伝え方や内容に配慮した 声明内容となりました。公表内容に相違がある公式声明を発表してしまい、 混乱を招いてしまったこと、改めて深くお詫び申し上げます。
本内容において混乱を引き起こしてしまったことを真摯に受け止め、経営責任を 明確化するため、2020 年 9 月 29 日(火)に実施した緊急経営会議におきまして、 代表取締役社長への厳重注意処分を行うと共に再発防止としてコンプライアンス 委員会の設置等を決議いたしました。さらに、弊社代表取締役社長におきましては、 本事象を重く受け止めており、役員報酬の一部を自主返納いたします。
今後も弊社が発表する声明に関しましては、各国の法律やその時点で決められている 方針に基づいたものを前提として対応いたします。また、いずれの立場に置いても 公平を保った範囲で、表現や発言の自由を準拠する方針を明確な社内規定として 制定し、ガイドラインをより強固なものとしてまいります。
引き続き、皆様へより良いサービスを提供させていただくために、常に真摯な態度で お客様と向き合うことを約束し精進してまいりますので、ご支援のほど何卒よろしく お願いいたします。
本件のお問合せについて、 タレントへの連絡はご遠慮いただくようお願い申し上げます。
VIRTUAL ENTERTAINMENT COMPANY
カバー株式会社は、VR・AR・5G等のテクノロジーを活用して、日本発で最先端の二次元エンターテインメント体験を提供することで、世界中のファンを熱狂させることをビジョンとする、VTuberのプロダクション運営や、VR・ARライブ配信システム、ARアプリなどの開発を行っている企業です。
社名 | カバー株式会社 |
資本金 | 4億5,280万8,545円 |
設立 | 2016年6月13日 |
代表 | 代表取締役社長CEO 谷郷 元昭 |
株主 | 経営陣、AT-Ⅱ投資事業有限責任組合、みずほ成長支援第2号投資事業有限責任組合、OLM 1号投資事業有限責任組合、Tokyo XR Startups株式会社、HTC Vive Investment Corp.、TLM1号投資事業有限責任組合、i-nest 1号投資事業有限責任組合、HAKUHODO DY FUTURE DESIGN FUND投資事業有限責任組合、千葉道場2号投資事業有限責任組合、SMBCベンチャーキャピタル5号投資事業有限責任組合、DIMENSION投資事業有限責任組合、他個人投資家 |