はてなキーワード: 悲劇とは
なんかこう
インターネットが広まって一気にオタク趣味に脚光が当たったからか
こういう「自分をオタクだと勘違いしてる人」がすげぇ増えたよな
その反動が「コンテンツを愉しめなくなった自分」とか「グッズに執着を失った自分」みたいにして定期的に放流される
そもそもオタクじゃなかった人間が、オタクとして振舞っていたんだから、そりゃ当然に興味を失うんだよ
そういうもんじゃないだろ?
例えば押し花を趣味にする時にさ、家にストックした押し花は「価値があるから取って置いた」のかい?って話
紛い物なの、似非なんだよ
一般人には全く価値がないだろう缶バッチでも、好きだから入手するわけ
特に、そこを抜ける事をポジティブに書く人は、完全に人生を無駄にしたよね
人気のあるコンテンツを消化
一定の時期が来ると「高く売れた」と喜んでた奴が居たけど
こういうのを「おたくだなぁ」って思うか?
基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました
ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田の投稿なんですけどね
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
通貨が弱く、教育システムや医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国の人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
同じ先進国の人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)の当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャルの擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、
ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね
やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分の人生が大変だと嘆いたり、傲慢な教育論はいてるのを見ると、
呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的な感覚だと思うんですよね。だって、エクイティ(Equity)や共通善と反してるから
(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国の特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)
やりたくないことをしない選択、他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している
でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティや共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢
暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない
- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である。
- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。
- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。
4. 困難な状況への理解:
- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題に共感すると同時に、エクイティや共通善に反する傲慢な態度には注意が必要。
- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティや共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである。
- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティや共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。
7. やりたくないことをしない選択と他者への受け入れと現実問題:
- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者を尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。
どう読んでもそうならないと思います
このメッセージは、精神疾患を持つ姉がいると自称し、さらに殺人を仄めかしている投稿に対する批判的なコメントのようです。コメントは、そのような重大な主題について軽率に創作することの危険性を指摘しており、実際の犯罪事件を引き合いに出して、創作物が現実の悲劇を軽視しないよう警告しています。また、「子は親の鏡」ということわざを引用し、犯罪者を生み出す家庭環境についての社会的な見方を述べているようです。このコメントは、創作において現実を反映させる重要性と、その影響を考慮することの大切さを訴えていると解釈できます。
日テレもフジもTBSも…面白くないことをコンプラのせいにする「勝ち組」テレビの周回遅れの意識
https://president.jp/articles/-/79269?page=1
テレビがつまらなくなったのは、本当にコンプラのせいなのか? コラムニストの藤井セイラさんは「原作者の死を招いた『セクシー田中さん』の悲劇、ドラマ『ふてほど』によるSNS炎上などを見ていると、問題の本質はコンプラによる表現の萎縮ではない。むしろ、コンプライアンスを必要としている社会の変化にテレビ局がついていけず、時代遅れになっている」という――。
@cobta
わたしは萌えみたいな絵のポスター全然好きじゃないんですけど、じゃあどんな絵ならいいのか考えるとよくわからず、そもそもアイドルが春の交通安全週間のポスターしてるのと何が変わらないのかとも考えます。「やめさせる」「禁止にする」という斜め上な方策が当たり前になっていることがこわいです。
https://twitter.com/cobta/status/1442945597250572290?t=Ml9ht-CqDstYuxL--yecuA&s=19
ここのところSNSを騒がせているランドセルおじ、発端の投稿から経緯を追いかける中で、私も嫌悪感を抱いた1人だった。
今も嫌悪感はあるし、もし過去ツイにある娘さんへの身体接触が本当なら、一刻も早く娘さんたちへのケアを行い、父親から離すべきだと思う。明らかな性的グルーミングだからだ。
今回のランドセルおじ...いや、可愛く言うような対象でもないので、見た目は中肉中背おじさん、頭脳はおむつにウンコがついた小学生、略してランドセル変態ジジイと呼ぶことにする。
改めて今回のランドセル案件は、過去ツイのキモさがガソリンになって余計に炎上しているが、対人援助を職業にしている経験上、子どもが嫌う父親の特性の1つは、自分と子どものパーソナリティの境界線が曖昧であることが多いように感じる。
人格のある個人として子どもに敬意を払っているなら、たぶん本人に無許可で彼女の所有物に触れたりしない。あなたは、あなたが尊敬する人物の胸元を急に触るのか?あっ、触る?そうか...。ならランドセルも背負うわな。邪悪な人間というのは存在するのだ。でもやめたほうがいいよ。
ジジイの「好きな子にいたずらするのと同じ」という発信が表しているのは、
・そのために相手が嫌がることをしよう
という強烈で治らない認知の歪みが、あのくらいの年齢になっても矯正されず残っているおぞましさだ。
一昔前に言われていた「娘に嫌われる父親」のなかには、きっと、娘を自分の所有物かのように見下したり、コントロールしたり、ちょっかいを出したりして、嫌われるべくして嫌われた人もいたんだろう。えっ、違う?加齢臭くさいって言われた?それ、私が父親に言ったことですね...はい...すいません。
相手が嫌がることはしないというサルでも分かる道徳心が、親子関係になると途端に剥がれて無くなるのはなぜだろう(ブーメラン)。
母親が、息子が一生懸命集めたミニ四駆とガンプラをゴミとして捨てることも、父親が、おしゃれに気を遣う娘にケバいだ似合わないだと一蹴することも、子を尊重していたら起こらないはずの悲劇だ。
きっと昭和や平成という時代では、父親が娘のランドセルを背負っても「変な父親だな...」だけで終わって、こんな大火事にはならなかったに違いない。
令和という時代に変わり、グルーミングだとか、ジェンダーだとか、親と子は他人だとか、そういう解像度が上がったことで、ランドセル変態ジジイの不気味さや気持ち悪さ、どれほど時代遅れなのかが可視化されたように思う。
きっとこれからも、ちょっとしたことをきっかけに様々な「過去の遺物」が掘り出され、あぶり出され、文化的価値観は流動していくのだろうな。
長男5歳が珍しく早く寝たと思ったら、次男3歳が寝ない。寝かしつけようと頑張るも、遊びをやめない次男についに妻がキレて、大泣きからの、うるさいと更にキレる。怒りすぎて喉が痛いだの手が痛いだの、怒りの永久機関爆誕。
妻がギャンギャン怒ると次男がギャンギャンして、妻がギャンギャン。
仏様も憐れむ衆生の愚かさよ。
怒り疲れて妻がダウンして、仕方なく次男を背負い、寝るまでエンドレスおんぶで家の中をずっと徘徊。
次男がやっと寝て25時。
叩き起こされ付き合わされる悲劇。
そして朝、妻は遊びに出掛けた(この予定があったので余計に気が立ってた)。
たぶん、帰ったら仕事が間に合わないとまたキレるのだろう。
おもちゃ屋と鉄道模型専門店まではガツガツ歩くも、目的のおもちゃゲットの後は一歩も歩かず、ずっと抱っこ。
疲れた。
しばらく前、
「ほとんど全く稼いでないんだから、専業主婦しろよ。家が汚いとキレる回数も減るだろ」
と言ってしまい、
「こんな発達障害児たちは幼稚園は無理。家でなんてもっと無理。殺してしまう。誰が保育園や療育の送り迎えしているのか」
と妻も引かなかった。
今でも、妻が専業主婦をしてくれてずっとみてくれたらと思う。
どう思う?
許せるか?
俺は許せる。
でもきっと「絶対に許さない!朝鮮人を皆殺しにしよう!奴らを根絶やしにしなかったら先祖に顔向けできない!」と憤る右翼共はウジャウジャ出てくるだろう。
そして、そんな奴らに限って自衛隊や自民党の中枢に根を張っていて、国家的な軍事行動を実際に引き起こすだろう。
自分たちの信仰心を証明する手段として、ジェノサイドを実施するに違いない。
すべてのユダヤ人があの虐殺を諸手を挙げて称賛なんてしていない。
多くの善良なユダヤ人は、一部のユダヤ人の暴走に心を痛めているだろう。
しかし、「連綿と受け継がれた誇りを失っていない『真に正しい』ユダヤ人達」が、よりにもよって権力を握ってしまうという悲劇が起きた結果、このような状況になっているのだ。
もしも本当に、どこかの誰かが、防衛省や国会議事堂にドッシリと蔓延った極右思想たちの逆鱗に触れれば、国民の大多数の意志を無視して、ジェノサイドにさえ手が伸びるだろう。
今のうちから、極右の暴走に目を光らせ、くだらん宗教戦争に日本という国がまるごと巻き込まれないように出来ることをやっていこう。
なんか婚活談義が人気なのでお前らにはどうせ不可能な方法で30歳無職でも年収1000万オーバーの女とハイスぺ婚活余裕だったから教えてやる
どれだけ終わってる奴でもどうせお前らにはムリだけどこういう方法もあるぞって教えてやる
まあ婚活余裕だったっていっても正直そういうのどうでもいいから複数人と付き合って結局結婚してないし辞めたけど。
結婚は安定で安寧で俺らみたいな天才からしたらそういう「幸福の沼」が一番怖いからな。沼がハチミツだったら俺らみたいな天才でも這い上がろうとと思わないからな。
スペックは首都圏有名国立大学理系院卒 年収1000万企業入社、ダサくてキショイから1年で止める
ずっと一軍。
正社員を1年やってクソだったので辞めてフラフラして24歳から音楽と絵を開始、自殺未遂で2回精神病院ぶちこまれてるけど基本明るいIQ120
要するに天才
ジャンルはオタクじゃなくて全部イケてる感じの奴な、勝手に色んな女や才能を見つけて支援したい奴らが色々来るのでそれで何とか。
以上終了
斜めに構えたお前らみたいな奴にはどうせ無理。誰が気取ったメガネの文字書くだけの奴を好きにもならん。ダセェから。
クソダサい眼鏡のお前らはnoteに文章を上げてダサい身内で「エモいンゴwww」とか言って身内でキショイことしてるだけ
そんなキショイ事おれはしない。そんなキショイやつダサい奴以外誰も好きにならない。
女子高生が放課後にスマホで見てるモンを作る奴が一番イケてるし偉いから。
終わってんならイケてろ。つーかスペックじゃないだろ。本来人を好きになるって、
それぞれの欠けた心の形をぴったりとはめ込んで結婚するものだろ。イケてるからそれの表現が出来るからみつけてもらえるだけ。
お前らみたいなスペック云々でやってるから誰もお前の事を好きにならねぇ事に気づけ
以上 終わり、
俺は天才なので勝手に人が寄ってきて、それで見つけられてモテてるが色々と思う所ある。
つくづく「才能というのは人に見つけて貰えるためにあるのだな」と思った。
仕事辞めてから俺には何もない。何の肩書も無い。ただ才能だけがあった。
ネットにアップし続ければ才能で見つけて貰えて勝手に人が寄ってきて見つけて貰える。
だから、現代において才能というのはきっと「人に見つけて貰えるための光なんだな」と思うようになった。
誰も見つけて貰えないくらい部屋で、蛾みてぇに部屋でずっと液晶に群がって音と絵を作る。おもしれぇモンを作る。
何もねぇけど確かに俺は輝いている。wifiにがんじがらめにされてる俺たちは身を寄せ合って光を見つけあうんだろうな。
婚活相談所で肩書しかないお前らと違って、俺は何も書く必要が無い。
ツイッターで必死にスラッシュで区切って「外銀だとかで人を集めてるダサい奴と違って俺は何も書く必要が無い」
ツイッターで何かラベル貼ってる「港区コンサル丸の内OL」みたいなクソキモイ奴らも俺を見つけて来てしてきてキショイからシカトこいてるけど
なんでそいつらに「そんなにペタペタとラベル貼ってんの?」って思ったけどさ、俺も元エリートだからやっとわかったは
お前らって才能無いから才能がない奴らってラベルを貼るしか無いんだなw
俺は才能があるからああいうのと違ってラベルを貼る必要が無いんだよね。
だってパッケージングしなくても勝手に才能で光ってるから見つけて貰えるもん。
お前らみたいなダサい奴はラベルを貼らないと人に見つけてもらえないんだなってやっとわかった。
さて、人を集めるための煽りもこれくらいにしといてさ。
スタンド使いとスタンド使いが惹かれあるようにイケてる物とイケてる物は惹かれ合うだなって思うんだよね。
「センス感じないな」って思う人たちって使う言葉もどこかで借りてきた言葉で、お手本の模倣の表現で、幸せそうで、やたらと勉強になったとか、
制作の事を大げさに実況中継してて、なんつーかポジティブを押し売りしてて丸いんだよな。
人間的に丸い奴にセンスを感じないというか、心という球体が何かを喪った経験があって欠けているからこそ他人の心に刺さる事が出来て、それを才能と感じる。みたいな。
あとセンス無い奴ってずっとネットでも他人の話をしてるよな。自分の人生なんだから自分の話をツイッターでしてほしい。俺はそういう人たちが好きです。
ロシアがだとか、男がなんちゃらだとか、そういう一生他人の話をしてるダサい奴ってセンスないよな。
なんだろう、なんていうか俺たちみたいな見えている天才は喜劇と悲劇のその両面が好きなのだ
コインの表裏のように世間はそれを分断したがって語りたがるが、
本質は一つ。表裏ではなく、コインは回転すれば球体となる。それが真実。みたいな。わかる???
まぁぐちゃぐちゃいったんだけどさー、別に才能無くていいんだよね。俺は才能あるけど才能がない奴らの事を見下してるわけじゃなくてさ
才能とか婚活とラベルとか正しいとか正しくないとかフェミとか色々あるけど「お前自身じゃん?」みたいな事がいいたいワケよ。そこに気づいてよ。みたいなね。
そこに気づかずに婚活しようとしてたり、他人の話ばっかしてるとさー、なんか病気になるから辞めろよなってっつーそういう話。
まー別に好きにすればいいけどな。ガチで。お前の好きなようすすればいいんだけどさ、お前自身じゃん、それを忘れんなよってことな。
色々さー、焦るとか云々あると思うんだけどまあ何を言ってもしゃーないし
とりあえず最後に俺が自殺未遂して退院した後に作った作品でも貼っておくわ
https://youtu.be/EeU4jiKJXdM?si=dvmezfYxIm5dMp5v
以上よろしく
読んだ本の内容をどんどん忘れていく年齢になったので、感想をかんたんに残していこうと思う。
良かった。
もっと早く読んでおけばよかった。
怖い設定(今回で言えば、アゾート制作のこと)で装飾された殺人事件が、実はなんてことはないってパターン。
シンプルに母親を思う娘が考えた偽装のための物語なだけで、読み終わってみれば、作品全体としてはめちゃくちゃ読後感の良い作品だった。
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完全恋愛
ハサミ男 ←もう一度読みたい
涙香迷宮
琅邪の鬼
眼球堂の殺人
◯◯◯◯◯◯◯◯殺人事件
invert
Xの悲劇
▼本
※他にもあると思うけど、家と実家にある本を見なきゃ思い出せない
ヨルガオ殺人事件
その裁きは死
屍人荘の殺人
隻眼の少女
小学生の頃に殴り合いの喧嘩をした相手と同姓同名(年齢も合致、居住区もほぼ合致)の男が殺人で逮捕されたというニュースを見て朝から萎えてる。
2月25日に札幌のコンビニで3名を死傷させる犯行に及んだ宮西浩隆容疑者に思うことを書く。
彼とは小学校の同級生だった。当時から彼は攻撃性が高く異様な雰囲気だったので、クラスメイトからも敬遠されていた。
孤立している彼を可哀想に思った私は、たまに彼と一緒に下校したり(彼の実家は小学校の
近所で小さな店を営んでいた)遊びに誘ったりした。
彼のどこが変わっていたかというと、たとえばさ行をうまく発音できなかったり協調性がなかったり、言動がやや過激だったりした。おまけに体格がよかったので、大人も手を焼いているように見えた。
たまに暴力事件を起こすこともあったが、とりわけ
問題児だったわけではない。
ただ、少なくとも当時の彼にとって唯一の友達と言っても過言でなかったであろう私にさえ、彼は暴力を働いた。応戦したものの私は小柄な子だったので、彼に簡単に突き飛ばされてしまった。その時、彼が「なんだ、たいちたことないじゃん」と言い
放ちにやにやしていたのを覚えている。私にはとても不気味な光景だった。あまり覚えていないが、それから疎遠になったと思う。彼はいっそう孤立した。
似たような出来事が彼の人生で繰り返されたのは想像に難くない。
宮西容疑者には何かしらの障害があったのだと思う。それだけでなく
生育環境も良くなかったかもしれない。彼の実家の様子(店頭)は殺伐としどこか荒んでいたし、理由は忘れたが(少なくとも私は)彼の家族や両親の話題をタブーだと当時は思っていた。私が勝手にそう思っていた可能性があるし、どこかで彼の複雑な家庭環境を小耳に挟んだ可能性もある。
いずれにせよ、
小学生の時点で既に異様だった彼が健常者とは考えにくいと思う。授業中にいきなり立ち上がって絶叫したこともある。行動がもはや健常者のそれではなかったのだ。
一方、実は冗談が好きでよく笑う男でもあった。
彼の犯行は許されるものではないし、彼を擁護する意図もない。ただ、もし彼の生育環境が
少しでも違ったり、十分に表面化されていない“見えない障害”に対する社会的な理解やサポートが整備されていたりすれば、犯行に及ばなかったのかもしれない──と思うと残念でならない。
「狂った男の凶行」として処理してしまうのは、問題の根底にある真の課題をみすみす見過ごす粗末なやり方だと
私はどうしても感じてしまうのだ。
被害者やご遺族の無念を晴らすためにせめてできることがあるとすれば、それは「同じ悲劇を繰り返さないように皆で努めること」ではないだろうか。
この問題の根底には、見えない(あるいは見えにくい)障害や問題に対する無理解や無策があるように思う。
障害だけでなく、介護や片親、精神疾患など複雑な事情を抱えるご家庭も然り。様々な世帯に通じる課題が潜んでいるように思うのだ。だからこそ考える価値があると思う。
宮西容疑者は確かに狂っていたのかもしれない。しかし彼をいっそう狂わせたのは、もしかすると社会の無理解と無策かもしれない。
彼をただの狂人として糾弾するのでなく、些細ではあるがこの投稿を参考に社会的問題として考えてくれる人が一人でも増えてくれればと思う。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害者の方々の一日も早いご回復を願っております。また、ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
ナチス前のドイツでのユダヤ人の地位について簡単なまとめと詳細な記述をしろ
Copilot
簡単なまとめ: 第一次世界大戦終結後の1919年には、ドイツに居住していたユダヤ人たちは、すでにドイツ人と同等の市民権・公民権を憲法で保障されるようになっていました1。
詳細な記述: ドイツに居住していたユダヤ人たちは、第一次世界大戦終結後の1919年には、すでにドイツ人と同等の市民権・公民権を憲法で保障されるようになっていました1。それから十数年後にヒトラーが政権を握ったときには、ユダヤ人とドイツ人の間の結婚が進んでいたこともあり、ユダヤ教徒のユダヤ人はわずか50万人でした1。当時、ドイツの総人口は6500万人でしたから、ユダヤ人はそのうちの1%にも満たない少数者です1。しかも彼らの多くは、ドイツに忠実な愛国者でした1。もし、その後12年にも及んだナチスの時代さえなければ、おそらくユダヤ人はドイツ国民として、この国に溶け込んでいったことでしょう1。
経済や権力といった地位についてと、当時のドイツ人からユダヤ人への感情などを掘り下げて
Copilot
ナチス前のドイツにおけるユダヤ人の経済的地位については、ヴァイマル共和政時代のドイツ経済は一時好調であったものの、1929年の世界恐慌と1931年の金融恐慌によって壊滅的な状況に陥りました1。この情勢下で政権を握ったのがアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)でした1。
権力的地位については、1933年にヒトラーがドイツ国首相に任命され、その後大統領になり、国の絶対的な支配権を手に入れました2。ナチ党は、ドイツが陥っている窮状の責任はユダヤ人にあるとし、国をかつての栄光へと導くと約束しました3。
当時のドイツ人からユダヤ人への感情については、ナチ党が政権を握った後、すぐにさまざまな法律を公布して、ドイツ人の生活からユダヤ人排除を図りました3。また、東欧の多くの地域では、ホロコースト以前から反ユダヤ主義が蔓延し、ユダヤ人は他の住民と隔離された生活を強いられていました3。これらの事実から、当時のドイツ人からユダヤ人への感情は、大きな差別と偏見に満ちていたと言えます。しかし、一方で、潜伏ユダヤ人とドイツ人が極限状態の中でともに過ごすうちに、「ユダヤ人」と「ドイツ人」、「被害者」と「加害者」、「救いを求める弱者」と「救援者」といった二項対立が揺らいでいき、人が人として互いを支え合うことがあったとも報告されています4。これらの事実は、当時の複雑な状況と感情を示しています。
当時から反ユダヤ主義があり、ナチスが政権をとる以前から反ユダヤを主張し民主的に選ばれたという背景があるのならば、なぜ現代でナチスの罪がナチスのみに着せられているのか
Copilot
その問いは、歴史的な事実と個々の責任についての複雑な議論を引き起こします。ナチスが政権を握った時、彼らの反ユダヤ主義の政策は一部のドイツ人から支持を受けていました。しかし、それは全てのドイツ人がその政策を支持していたわけではありません。また、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らなかったとも言われています。
ナチスの罪がナチスのみに着せられているという認識については、ナチス政権下でのホロコーストという大量虐殺は、その組織的かつ計画的な性質から、ナチス政権とその指導者たちに対する責任が強調される傾向にあります。これは、彼らがホロコーストを計画し、実行した主要な力であったという事実を反映しています。
しかし、これは個々のドイツ人や他の協力者の責任を免除するものではありません。戦後の裁判では、多くの個々の犯罪者が起訴され、有罪判決を受けました。また、ドイツ自体も過去の罪を認め、ホロコーストの犠牲者やその家族に対する賠償を行ってきました。
この問題は非常に複雑で、歴史的な事実、個々の責任、集団の責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理
ナチスの反ユダヤ主義を支持するドイツ人は一部とのことですが、ではナチスが政権を取れたのは反ユダヤ主義のみが支持されたことではないと思います。
では、ナチスの何が政権を取れるほどドイツ人に支持されたのか。それは有権者の主義と反する反ユダヤ主義を受け入れて余るほど重要なものだったのかを解説して。
また、多くのドイツ人は当時、ホロコーストの全貌を知らなかったと述べていますが、当時のドイツ人はユダヤ人に何を望んでいたのか。どのような迫害を行いたかった、あるいはここまでなら許容できると考えていたのか教えて。
Copilot
ナチスが政権を取得できた理由は、反ユダヤ主義だけではなく、他の多くの要素が関与していました。その一つは、1930年代初頭の世界恐慌による経済危機で、多くのドイツ人が失業し、経済的な困難に直面していました1。この状況下で、ヒトラーとナチス党は経済の回復と雇用の創出を約束し、多くのドイツ人から支持を得ました1。
また、ヒトラーが政権を握ることができた理由の一つは、彼の独裁権力の掌握が必ずしも「民主的」ではなかったことです2。ナチス党が国会で単独過半数を占めることはなく、ヒトラーの首相就任は議会の選出によるものではありませんでした2。首相指名は大統領の権限に基づくもので、大統領周辺の保守勢力との提携が鍵を握りました2。さらに、ナチスの権力掌握の過程では、選挙運動や宣伝活動と並行して、突撃隊などによる暴力の行使も大きな役割を果たしました2。
当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたかについては、一概には言えませんが、ナチス政権下では、アーリア人至上主義に基づきユダヤ人を標的に迫害しました3。しかし、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らず、ユダヤ人が大量に殺害されているという事実を理解していなかった可能性があります3。また、ユダヤ人に対する具体的な迫害の形態や許容範囲については、個々のドイツ人により異なり、一部のドイツ人はユダヤ人を助ける行動をとったことも報告されています4。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました3。これらの事実は、当時のドイツ社会の複雑さと、個々の市民の行動や意識がどのように政府の政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。
まとめると、
当時反ユダヤ主義はナチスのみがことさらに強調していたことではなく、ドイツのみならず過去から少なくない人や国がもっていた一部でのうっすらとした共通認識であった。(独裁後のホロコーストはいきすぎだとしても、独裁前に不穏さは少なかった)
ナチス自体は単独過半数を取ることはなかったが、落ち込んだ経済と共産主義に対するという点で国民や国に民主的・非民主的に支持されていた。
大統領による首相指名での就任という、おそらく議会からも大統領からも弱い立場から独裁を勝ち取れたのは、上手く立ち回ったと言える。
あっている点・間違っている点・補足・解説を加えろ
Copilot
あなたのまとめは大部分が正確ですが、いくつかの点を補足・解説します。
あっている点:
反ユダヤ主義は、ナチスだけでなく、他の人々や国々にも見られました。しかし、ナチスの反ユダヤ主義は特に極端で、組織的な大量虐殺(ホロコースト)につながりました。
ナチス党は、1933年の選挙で単独過半数を得ることはありませんでした。しかし、経済危機と共産主義への恐怖を利用して、多くのドイツ人から支持を得ました。
ヒトラーは、大統領による首相指名を通じて政権を掌握しました。これは、彼が巧妙に政治的な状況を利用した結果でした。
間違っている点:
ナチスが政権を握る前のドイツでは、反ユダヤ主義は一部の人々によって支持されていましたが、全体としてはそれほど強くはありませんでした。ホロコーストの「いきすぎ」は、ナチスが政権を握った後に始まったもので、それ以前にはそのような大規模な迫害は存在しませんでした。
補足・解説:
ナチスが政権を握った理由は複数あり、その中には経済的な困難、政治的な混乱、そして反ユダヤ主義のようなイデオロギーが含まれていました。これらの要素が組み合わさって、ナチスの台頭を可能にしました。
当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたか、またはどの程度の迫害を許容していたかについては、個々のドイツ人により異なります。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました。これは、当時の社会的な状況と、個々の市民の行動や意識がどのように政府の政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。この問題は非常に複雑で、歴史的な事実、個々の責任、集団の責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われて
Redditで高評価を得ていたにじさんじ炎上の解説を翻訳してみた↓
タイトル「私は広報を生業としているが、にじさんじの異様な広報戦略には一つの説明しか思いつかない」
"I work in comms for a living and can only think of one explanation for Nijisanji's bizarre PR strategy"
みんなと同じように、私もにじさんじの奇妙で自滅的なアプローチに困惑し、呆れている。ファンたちは、にじさんの取った行動を説明するために、事実を元にしたもっともらしい解説から陰謀論に至るまで、多くの説を投げかけている。私はこの状況について特別な内部知識があるわけではないが、広報の仕事を生業としている。私の職業上の経験と、にじさんじとドキバードの発言に関する私の知識から言えば、結論は明らかだ。「にじさんじは、セレンが解雇直前に送った職場いじめの説明を大きく誤解した」のだ。
にじさんじが的外れな解釈をしたのは、セレンがこの証言に添付した文書が曖昧だったからなのか、どちらか、あるいは両方の法律事務所が翻訳にミスを犯したからなのか、あるいはENマネジメントが世論に訴えるためにこの文書を冷笑的に解釈したからなのかはわからないが、これまでに起こったことはすべて、この根本的なコミュニケーションの失敗によって説明できると私は確信している。私が正しければ、時系列は次のようになる:
セレンが許可を得るためにラスト・カップ・オブ・コーヒーのMVをポスト。マネジメントは37時間放置し、さらに15時間返信がなかったため、セレンは最終チェックを得ずにビデオを投稿した。この背景や状況について、私たちは知らないことがたくさんある。例えば、マネジメントはこの最終チェックの前にすでにビデオを見ていたのか?見たなら、なぜ彼らは事前に卒業済みのライバーに掛け合わなかったのか?見ていないなら、数カ月に及ぶビデオ作成の過程で、なぜ彼らはこのビデオを見なかったのか?マネジメントの誰かがセレンにチェックの期限を与え、彼女はそれを過ぎてしまったのだろうか?これらの点は、にじさんじにとって不利に働くように思われる。なぜなら、セレンに非があるという証拠があるならば、それをエリーラの配信で示すことができたはずだからだ。とはいえ、これらの点は、その後の悪夢のような広報活動におけるにじさんじの思考プロセスを解明する上では重要ではない。
マネジメントとタレントの両方が、許可を得ずにMVを投稿したことについてセレンに連絡を取り、この直後に彼女は自殺を図った。マネジメントはセレンの緊急連絡先に連絡し、セレンのSNSへのアクセスを遮断し、12月28日にセレンになりすまして不在の理由を投稿した。ここでもわからないことが多い。他のタレント/マネジメントは、コミュニケーションにおいて嘲笑的で、残酷で、虐待的だったのか、それとも彼らの言葉がセレンによってそう解釈されただけなのか。もしタレント/マネジメントが罵倒していたとしたら、それは一度だけのことだったのか、それとも何度も繰り返されていたのか。繰り返しになるが、これらの事実がどのようなものであれ、これから説明する内容には影響を与えない。ここで重要なのは、他の事実がどうであれ、自殺未遂が起きた時点で、意思決定プロセスに関与している広報チームは、広報における悪夢が発生しつつあることに気づくということだ。にじさんじの職場におけるハラスメントやミスマネジメントが原因で、人気ライバーであるセレンたつきが自殺未遂を起こしたと世間に知れ渡ったら、悲惨なことになる。タレントとのこじれた関係を管理するのは広報の仕事ではないが、この時点で、事態がどう進展するかを考慮した上で、今後の対応について話し合いがなされているはずだ。
セレンはにじさんじとのビジネス関係を調停するために弁護士を雇い、両者は今後の話と賠償について話し合う。にじさんじへの復帰についてセレンとマネジメントの話し合いが決裂し、1月下旬までに何らかの決裂が避けられないことを両者が認識する。にじさんじはセレンに、MVが非公開になったのは自分の過失によるものだと説明するよう求めるが、セレンは失敗の責任はマネジメントにあると考えており、さらに、この出来事の前中後におけるにじさんじからの扱いについても不満を持っている。この件に関するドキバードの最初の声明によると、彼女は1月26日に、より中立的な条件でにじさんじから離れることを求めた。
にじさんじの無反応に業を煮やしたセレンの弁護士は、にじさんじの弁護団にセレンの不満を理解してもらうため、にじさんじでの体験談を送るよう提案した。私の理解が正しければ、この瞬間からすべてが狂い始める。にじさんじの解雇通告によれば、セレンは解雇された場合、にじさんじでの経験について公表するつもりであることを(弁護士を通して)にじさんじに伝えていたことが分かっている:「さらに、セレン・タツキは、もし交渉が進展しなければ、自分自身の状況等について公に説明を行うと主張しました」
さて、彼らは今、マネジメントおよび / またはタレントからのさまざまな虐待が感情的な書き方で列挙され、他のライバーの個人情報が載った文章を受け取った。セレンの2回目の声明によると、彼女は、「精神的に最も苦しかった時期に私の考えと過去を証拠とともに記録する」ためにこの文章を書き、その中には「公開されるべきではないプライバシー情報」が含まれている。にじさんじの弁護団はそれを見て、(皮肉なのか素朴なのか、セレンからのあいまいな指示に基づくのか、スタッフからの下手な翻訳に基づくのか、そんなことはどうでもいい)セレンはまさにこの文章を公表するつもりなのだという結論に達した。
すぐに広報チームは緊急事態モードに入り、先手を打って契約解除通知を打ち出せるように奔走し始める。私の経験から言えば、危機的状況下での広報業務では、「完璧」という言葉は消え去り、「迅速」に取って代わる。自分たちの言い分を最初に世間に説明できるというのは大きなアドバンテージだからだ。しかし経験豊富な広報チームであっても、急げばずさんなミスを犯す。このような背景を念頭に置けば、にじさんじがどのように対応を誤ったかは一目瞭然だ。忘れてはならないのが、にじさんじの弁護団は、交渉が決裂した場合、セレンが声明を発表する意向であることをすでに知らされており、(おそらく)NDA違反をした場合のリスクについて、セレンの弁護士に忠告済みであるということだ。今、彼らは「この文書はセレンが公表するつもりの声明そのもの」であり、「NDA違反を犯してでも公表することに決めた」のだと判断した。広報チームはこのやりとりには関与していないだろうが、広報チームは声明文のコピーを渡され、「法務部によればセレンはこれを公表するつもりだ」と告げられた。
広報チームは事前に書いておいたセレンの解雇通知を引っ張り出し、セレンの声明に先回りして反論を追加した。
「ANYCOLORとしては、「Selen Tatsuki」のANYCOLORに対する上記主張は、彼女が活動ルール違反について注意を受け、その責任を転嫁しようとし、ANYCOLORとにじさんじのイメージを傷つけた際に生じた状況を指していると認識しており、ANYCOLOR及び所属ライバーとして、不当な対応は取っていなかったものと認識しています。」
これらの文章は、「セレンタツキからのクレーム」が近い将来公開されることを想定して書かれたのでなければ意味不明だ。これにより、「ドキはタレントからのいじめについて言及しなかったのになぜにじさんじは言及したのか」という最初の謎が解けた。にじの弁護団は、セレンの体験談が世間に暴露されると判断し、それを受けてマネジメントは広報チームに対して先回りするよう指示したのだ。
さらに広報チームは、セレンが提起した個別の告発に反論する準備を始める。セレンの主張の中には特定のライバーに関わる内容もあるため、広報チームは(法務部と協力して)タレントにセレンの文書の一部を見せ、前世や職場でのコミュニケーションといった慎重な取り扱いが必要な話についてどのように喋るべきか指導した。これで、「なぜエリーラ、ヴォックス、アイク、ミリー、エナなどがセレンの文書の一部を見たのか」という2つ目の謎を説明できた。広報チームは、これらのタレントがそれぞれ、本人に向けられた個別の告発に答える必要があると考え、準備を始めたのである。そしてこれは、法務部がセレンの文章の意図を理解していなかったことに端を発している。
にじさんじの解雇通告の直後、ドキバードは用意していた声明文を発表した。この声明文には機密情報や個別具体的な内容は含まれていない一方、自殺未遂を明らかにし、にじENが虐待的な職場環境だと考えていることを発表した。にじさんじがセレン・タツキを解雇してから1時間も経たないうちに、ドキバードは灰の中から立ち上がった。そして明らかに弁護士にチェックを受け準備していたであろう声明を発表した。広報の観点からすれば、にじさんじにとってはこれ以上ないくらいに最悪な事態だ。ドキバードの声明は、最近起きた「#Where'sSelen(#セレンはどこだ)騒動」を彷彿とさせる「私はもう沈黙しません」という一文から始まる。ドキはいじめについて触れたが、それがタレントなのか、マネジメントなのか、あるいはその両方なのかについては曖昧にしたままだった。そのため、先回り作戦によってタレントに言及したにじさんじは、所属ライバーを裏切るような形となってしまった。最後に、ドキは自殺未遂について触れ、にじさんじがこの重大な悲劇を1ヶ月以上隠蔽し、世間を安心させるためにセレンのアカウントでなりすましをしたことを明らかにした。
自分たちの作戦が失敗し、大混乱を引き起こしたのを見て、法務部、タレント、マネジメント、広報チーム、すべてが混乱し始めた。その結果生じたのが、エリーラの配信という広報の大失敗だ。正直なところ、この配信に至った一連の出来事を正確に推測することはできない。現時点では、セレンの告発の詳細について不明な点が多すぎるし、広報の舵取りに影響を与えられる立場にある可能性のある関係者が多すぎる。おまけに、その全員が自分の身の潔白を証明したくて必死になっている。エリーラの配信は、セレンを挑発してにじさんじへの不満を暴露させ、公の場で争わせようとする下劣な試みと読むこともできるし、個人情報流出を心配したタレント主導の反応(しかし実際には自分たちの失敗から目をそらしたいマネジメントがけしかけたもの)として読むこともできるし、他にもいろいろな可能性がある。重要なのは、世論は新しい論点に移行しているのに、にじさんじの論点はアップデートされていないということだ。つまり、ドキはこの論争から立ち去りたいと思っているにもかかわらず、にじさんじはドキを歩くブランドリスクとして扱い続けている。
にじが当該文章について誤解しているとは知らないドキは、この文書は非公開なものであったと説明し、ツイッターで反撃した。ドキはエリーラの配信について触れ、この文書が他のライバーに共有されていることにショックを受けたと伝えた。ドキはまた、タレントが医療記録を読んだのではないかと推測したことから、新たな非難と攻撃が始まった。
非公開の人事書類/医療記録の漏洩というこの告発を評価するために、法務部門が再び招集された。これが事実であれば、信じられないほどの損害となる。広報のプロとして言わせてもらえば、にじさんじがこの次に出した声明は、社内の広報チームではなく、冷や汗をかきながら自分の尻ぬぐいをする弁護士が書いたものだとほぼ確信している。この声明によれば、「セレンと彼女の弁護士の主張の正当性を確認するため、株式会社ANYCOLORは、彼女の弁護士から送られた情報の必要な部分のみを当社のライバーと共有し、社内調査を主導した」。しかし、文章のいかなる部分であれ、それを共有することは「文章を非公開にしてほしい」というセレンの要求に違反する。さらに、セレンの主張の正当性を調査する際に、必ずしもライバーに具体的な申し立てを知らせる必要はない。にじさんじの声明はこれらの点を無視している。また、「弊社ライバーと共有しないでほしいとセレンの弁護士から要求されたいかなる具体的な情報や文書も他のタレントと共有したことはありません」と書いているが、これは法律用語に堪能な読者なら、「法務部以外のすべての関係者に対して非公開にしてほしいとセレンの弁護士から要求された具体的な情報や文書」とは違うことに気づくだろう。
この声明は「調査を行いましたが、いかなる不正行為も発見できませんでした」という類の言葉で締めくくられている。しかし行間を読むと、にじさんじの個人文書の取り扱いに何か問題があることは明らかだ。にじさんじの弁護団は、タレントがこの文書を見せられた理由について新たな理由を作り出し、文書の意図について誤解していたことを隠そうとしたのだ。
この声明と同時期に、ドキは医療情報が流出したという主張を撤回したが、自分の情報の一部が不適切に共有されたという点を繰り返した。さらに前回同様、ここから先に進みたかったと発言。この時点で法務部と広報チームの両者は、状況が緩和する可能性があることを理解した。そしてにじさんじ側の関係者がドキの弁護士に働きかけ、ようやく両者は根本的な誤解に対処し始めた。
最終的に、ドキは最終声明を投稿。当該文書について説明し、自らの具体的な落ち度を認めることはなかったが何らかの誤解が生じたことをほのめかし、プライベートな情報を非公開にする意思を改めて表明し、すべてのファンにタレントへの嫌がらせをやめるよう呼びかけた。「この惨状は法務部がセレンの体験談を正しく理解しなかったことから始まった」という解釈を私に確信させたのは、何よりもこの最終声明だった。ドキの最後のツイートは、論争を収束させるために両者によって吟味され、注意深く作られた声明のように読める。この声明はよく見ると、実に多くのことを一度に行っていることがわかる。文中で伝えられている様々な点について解きほぐしてみよう。
嫌いな人を見たことがない。
・想定外のアレンジが少なくて安心できる(変なソースが最初からかかっているとか)
・食感にクセがない
・味にクセがない
・ものによって味にムラがない(卵焼きなどは甘いかしょっぱいか食べるまでわからないのでアウト)
・見た目がグロくない
・匂いが強くない
・火が通っている
・何が入っているか一目でわかる(おにぎりはここでアウト。具材が同じでも味に個性が出るので怖い)
・外食時、特定の具材を抜くよう頼む必要がない(うどんなどはここでアウト)
・ちゃんと腹に溜まる
フライドポテト以外で上記の条件を満たす料理となると、湯豆腐のような虚無しか残らない。
フライドポテトは偏食家の面倒臭いこだわりをクリアしつつ、確かな美味みが約束された神の思し召しである。
味変が容易な点もバリアフリー。
ちなみにピザはトッピングにNGがひとつあったらアウトなのでアウト。
今回の芦原妃名子先生の件は業界にとっての重大な転換点だと考える。
例えば暴対法を作るきっかけとなった山下事件のようなものである。
実際のところ暴力団ではないので法律規制が動くことは難しいが、改革、ルールづくりが必要だ。
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まず協会を周知させる。
弁護士、独立した編集者、森川ジョージ、里中満智子等で知名度を持って安全なセミナーと認識させる。
ちゃんと顔出ししている有名作家が呼びかけをすることで、流行りのねずみ講みたいな変なセミナーに行く人を防止してほしい。
だから有志がyoutube等でHow to動画を作ってもいいかもね。『ゆっくりしていってね!』とかで。
グッズ化など何においても契約書を用意することを基本とすることを周知する。
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必ず紙の契約書を用意する。
そんなメディア化の際、作者にも守秘義務が課せられるので漏れるのが怖くて協会にも知人にも言えない状況が起きるだろう。
ただ自らの弁護士にならそれは伝えられるはずだ。
そこで漫画家協会やそこの支援をする弁護士がもっと必要である。
メディアミックスまでいく作品、作家は既に売れている場合も多く、今後売れる見込みもある。
顧問弁護士のようになれば、うまく行けば弁護料はしっかり貰えるだろうから良い商売になると思うし、おそらくもう動いている弁護士は多いだろう。
アデ○ーレ法律事務所あたりが「過払い金」から「メディア化契約」でCMしだすかもしれない。
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編集者はインテリではあるが基本オーバーワークなので意外と助かると思う。
「○テレさんそんなこと言っても…先生の弁護士が言ってましてぇ…僕らでは止められませんのでぇ…」で切り抜けられる問題は多いはずだ。
でもまぁ編集者もそのへんの契約文の知識は入れておく風潮にすべきだろう。
資格化、免許化してしまえばいい。資格取ったフリー編集者は商売になりそうだ。
ユーキャンの人気講座になるはずだ。
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しかし契約についてよく知らないタレントや権利者などをはぐらかす風潮がどうもありそうだ(芸能事務所の構造と似ている)
出版社の一部編集者も同罪である。もうそのやり方は通用しない。まず反省しろ。
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製作期間の話だ。
今回の田中さんの製作期間も短いと思ったが、ある新本格ミステリが3ヶ月前に映像化が決まった件を聞いたことがある。
新本格といえば鈍器本だ。シリーズ物だとしたら3ヶ月で読みきるのも大変だったりする。忙しい主演俳優など使ったら絶対読めない。
結果的にキャラやストーリーだけではなくトリックや動機にまで大改変が起きた。
テレビドラマ業界のスケジュールが明らかにおかしいのだ…。自転車操業すぎる。
映画だって企画から上映まで早くても2年くらいかけるが(それでも短いと思うときもある)日本のドラマ業界はいつまでもバブルのスケジュールで働いていやしないか。
働き方改革とかで少しは改善できたのなら、撮影スケジュールをもっと大幅調整しろ、今すぐに。
今すぐじゃないと、急にはできないんだから、いつまでもできない。
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事務所との信頼とかじゃなく探偵使って調査とリスクヘッジしとけ。
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脚本と脚色をはっきりさせろ。
いいじゃないか、オスカーの部門賞みたいでかっこいいだろ。なんか文句あるか?
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これだけじゃない。もっとやることはある。
件の関係者たちは調査という名の過去に向き合っていく時期だろうが…
これ以上悲劇を起こさないために今すぐにできることをしてほしい。
メディアミックスをするなと言ってるんじゃ無い。
改変するなとも言ってない。
無駄に揉める仕組みをやめろって言ってるんだ。
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おそらく何もかもがめんどくさくなった映像業界が、作者死去作品に手を付けだすころだろう。
つまり死だ。