はてなキーワード: 対峙とは
外部講師による「成長するために必要なマインド」という題目の講義を受けた。
問題に直面したとき、他責ではなく自責にすることが成長に不可欠だそうだ。
意識高い系だった私は、この講義を受けていた時はすごくギラギラしていたと思う。
この教えを忠実に守っていた。
とは言ってもただの考え方なので、実際に行動に落とし込まないと成長につながらない。
そこで私が辿り着いた行動のは「怒る」ことの封印だった。
怒るということは、自分は正しい、もしくは自分は間違っていない、と主張していることと同義だと思っていた。
自分が間違っていると思いながらも、怒る人なんてそうそういない。
大体のトラブルは、どちらも自分こそが正しいと思いながら怒っているのだと思っていた。
怒るという行為そのものが、傲慢で浅はかで恥ずべき行為だと本気で思っていた。
しかし、実務に入ってみると怒る人はめちゃくちゃ多い。
様々な問題に直面したが、怒っている相手に対してキレること無く、全てグッとこらえた。何事も原因は自分にあると考えて、ただひたすら謝った。
そんな毎日に、愚痴をこぼすことももちろん無かった。自分のしてきた行為を棚に上げ、現状を嘆く愚かなことだと思っていたからだ。
怒る素振りを見せることは無かったが、嫌な相手と対峙した時に真っ先にくる「ムッ」とくる感情は、どうしても封印することが難しかった。
そう思ってしまうのは、反射的なことで仕方が無いことかもしれない。
それでも、こうした感情が湧き上がってくる自分自身がとても嫌だった。
そのうち残業がどんどん増えていった。怒られる頻度も増えてきた。
そして、ベッドから起き上がれなくなった。休職を言い渡された。
自分の人生はもはや失敗だ、もう取り返しがつかないと絶望し、死んでしまおうと何度も思った。
私の何が悪かったのか、今でも分からない。…いや、そう思うことすら自分自身に驕りがあるように感じてしまう。
私はつくづく生きることに向いていない。
まず自分は既婚、子供2人。普通の会社員として普通に生きている。セクハラは良くないと思っている。
人間にも生物としての本能があるとすれば、男性には基本仕様として“異性と交配したい”という欲求が組み込まれている。すべての男性が必ずそうとは言えないかもしれない(全ての個体が基本仕様通りとは限らない)があくまで基本仕様としてそういう欲求が組み込まれている事は生物学的にも間違った認識ではないと思う。
まず男性が女性に対峙した際にはほぼ必ずその欲求が発動する。違うのはそれを自分で認識できるかできないかという程度の差であって、おそらく毎回発動している。
相手が自分の好みと近しいほど自分でも認識できるほどの欲求となり、そうでない場合もしくは意識がそこにないような場合であるほど自分では認識できない程度の規模で、しかしながら発動はしているのだと思われる。
例えば仕事に集中している時など初めは認識できないほど小さかった欲求だったものが、ちょっとしたきっかけで膨れ上がったりするような場合は、その時にゼロから発動するのではなくそもそも発動していたが認識できないほど小さかった欲求が認識できる程度に膨れ上がった、という動作になる。
欲求が発動している状態というのは、それはあたかも棒高跳びの棒をぐぐぐぐっと曲げてテンションがかかっているような状態で、それを理性で抑えている状態。気を抜いて手を離したらその瞬間にバビョーンと弾け飛ぶようなそんな状態が日常的であり、どちらかというと常にその状態にある。テンションがかかっているものをずっと抑え続けている状態というのが男性のデフォルトの状態だと思った方がいい。
男性が自分でコントロールできるのは、そのテンションを発生させないようにすることではない。それはまず無理であり、というかそれができている状態がいわゆる“賢者タイム”なのである。男性が自分の意志で“欲求が起こらないようにする”というのは女性が“生理にならないようにする”というのと同じく不可能な事だと思う。
男性がコントロールできるのは欲求が起こらないようにすることではなく、どうしても起こる欲求を抑え込む部分に関してである。一般的な社会人男性はその欲求を抑え込む手段を会得し日常を過ごしている。
世の男性のほとんどがそういったテンションを抑え込んでいる状態にあるので、中にはうっかり手を離してしまう個体が出てくる。それが性犯罪であったりセクハラだ。
それまでぐぐぐぐっと抑えていたものがぱっとリリースされてバビョン!と弾け飛ぶ時には、何かの拍子についうっかりそうなってしまう場合もあれば日常的に意図してわざと手を離すような場合もある。
後者がクソ野郎なのは当然なのでしっかり糾弾し止めなければならない。というか、こういうクソ野郎の場合は事故ではないので本人が止めると思えば止まるし、逆に言うと本人が止めようとしない限り止まらないのでそうなった時は物理的に身柄を拘束するしかない。
一方で前者の場合、例えば普段はしっかり抑え込んでいるがアルコールの刺激などでつい気がゆるみ手を離してしまう場合。これは程度の差こそあれ事故に近いのでまた必要な対処が異なる。気がゆるむきっかけたりえるアルコールを控えるとか女性と対峙しないとかそういう対処療法的なものになる。しかしながらそもそも事故なのでそれでも起こってしまう可能性がある。
このような動作仕様なので、それに対処するために必要なのはスタンガンではなくて“一瞬のうちに男性の射精を促す装置”である。緊急時にピッとあてるとピュッとその場ですぐ射精してしまう装置を作り女性全員に配布できれば、世の中のセクハラや性犯罪はかなり減らせると思う。
いやまじで。
恋人は何人かいたことがあるが、性の良さを感じることがいまだに出来ていない。初めて性行為をしたのは18歳の時で、今や20代後半になったが、ずっと変わらない。
少なくともそこに、気持ちいい、繰り返し行いたいというのは一切ない。自慰行為を試してみても恋人との性行為をしてみても、あー触られてんな―という感覚や、くすぐったい、異物感以上のものを感じない。会うたびに体を求められるのが億劫で、嫌がっていたりはぐらかしていたりするうちに関係が悪くなってしまい、別れてしまうというパターンは、何度も繰り返した。
今となっては嫌な点は薄まってはいるけど、良い点が見いだせないので、自分から性について積極的になる動機はない。はじめのうちは胸や性器を見られる・触られることに嫌悪感があったが、回数を重ねていくうちにこれは薄れた。応じると彼氏が喜んでくれて嬉しい、恋人同士ならば普通はするのだからそれができないのは申し訳ない、などの思いはあるが、自分自身が精神的・肉体的な良さを感じたことは一度もない。
もし明日から一生性行為ができませんとなったとしても、子供はいつかほしいという思いがある点を除けば、自分の気持ち的には何も困らない。カテゴリー的には校長先生の長話のような感覚で、どうやら謎の理由で必要とされている行為のようだが、私としては興味関心が見いだせないし、退屈だし、できれば私を巻き込まずに可及的速やかにことを済まして欲しい。
そしてこれらが、女性の性に対する一般的な感覚なのだと思っていた。AV女優という言葉についている「女優」は、性行為で快感を得ている女性という男性向けの実在しないファンタジーを演じているからこその「女優」なのだと解釈していた。エロ漫画とかもそうで、とにかく誇張されているのだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
性行為に良さを感じている女性というのは、どうも実在するようだ。思い出してみればたしかにHして気持ちよかったという話は知人友人から何度も聞いていたし、雑誌なんかでも見ていたが、自分の体感からするとあまりにも理解が及ばないために情報として脳に定着していなかったのだと思う。
さらに聞くところによると、にわかには信じがたいが男性より女性の方が性行為の快感は大きいらしい。意味がわからない。いよいよ本格的に不思議になってきたので少し調べてみたが、二つの可能性に思い当たっている。
一つ目は、自分がノンセクシャルまたはAセクシャルの人間であるということだ。他人に対して恋愛感情はあるが性的欲求は抱かないのが前者で、どちらも抱かないのが後者だそうだ。恋愛感情があるのかと言われたら、実際のところこれについてもよくわかっていないので、どちらかとは言えない。
二つ目は、単純にやり込みが足りないのではないかということだ。その情報は、https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000035/ 性転換から知る保健体育 ~元男が男女の違いについて語る件~ という漫画にあった。
これは男性から女性に性転換した著者によるエッセイで、男性と女性両方の身体を体験したからこその視点がかなり興味深い。その8話では「では前置きはこれぐらいにして… 男と女のオーガズムどっちが気持ちいいかって…?そんなの圧倒的に女性の方が気持ちいいよ!!あれはダメだマジでヤバイ!!」と語られている。マジでヤバイことに、圧倒的に女性の方が気持ちいいらしい。しかも著者が著者だけに説得力がある。そしたら私は一体どういうことなんだということになるが、これについても納得のいく記述があった。
「(略)ドライオーガズムっていう前立腺を刺激する方法なんだけど 誰でも簡単にできるもんじゃないんだよねー 慣れが必要というか 神経の開発が必要なんですよ でもそれって女性も同じなんですよね 最初から誰でも膣で快感を得られる訳じゃないんだって思い知りました(女性の皆様すみませんでしたーー!!)」
とある。性行為で快感を得るためには、神経の開発が必要らしい。具体的にどのような訓練を積めば神経が開発されるのかまでは詳述されていなかったが、たぶんこういうことなのだろう。私は訓練をして神経を開発していないから快感を得られない、練習すればおそらく快感を得られる、快感が得られるのであれば自然と性行為に対するモチベーションも生まれる。
以上二つの可能性に思い当たっているが、特に何かが変わったわけではない。生活のなかに性を組み込みたいとはどうしても思えず、ことさらに自慰行為をしてみたわけでもないので当然だ。少なくとも以前よりは性に対する関心が増したというのはあるが、だからと言って、アプリやSNSで募集すれば、性の喜びを教えてくれる人が現れるものなのだろうか。ただやりたいだけの人と的確に神経を開発してくれる人とを見分ける手段もわからない。性の喜びを知れたらいいなとは思うようにはなったが、これは五千兆円欲しいなというのと同じぐらいの願いでしかない。実現に向けて具体的な道筋と行動を打ち出そうという気にはなっていない。結婚や出産を考えると、性をなるべく忌避していくよりは、前向きに対峙できた方が良いというのはもちろんわかっている。でもやっぱり、やろうと思う気にはなれない。私は、性の良さを感じられないアラサーのままだ。
ご存知の方も多いと思いますが、id:kyoumoeのブログ記事に賛同ブクマをつけると、「早く死ね」というidコールが高確率でやってきます。
はてな運営にそのたびに通報していますが、(たぶん)同一人物が、別のidを作り直して、1日に何度も、「死ね」というidコールを飛ばしてきます。
同一人物として多くの人に認識されるにいたったのは、id:kyoumoeのブログ「今日も得る物なしZ」( http://kyoumoe.hatenablog.com/ )や、id:hagexのブログ「Hagex-day.info」( http://hagex.hatenadiary.jp )などの特定ブログにブクマしたときに似た文面で執拗にidコールされるため。
「死ね」だけではなく「低能」という悪罵をよく飛ばすことから、「低能先生」と呼称されるようになりました。
だが「殺すぞ」という脅迫ではなく、「死ね」というidコールには緊急性もないため、警察が動くこともありません。
下記のような一覧表を有志が作ってくれていますが、いたちごっこの感もいなめませんね。
https://anond.hatelabo.jp/20170921212825
はてな運営はよくやってくれていて、通報してしばらく経つと、低能先生のものと思われるidは使えなくなります。
しかし、次々に別のidを作り変えては嫌がらせを続けるのが実情です。
匿名ユーザーの嫌がらせなので、IPアドレスなどをもとに本人を特定するまでが大変です。
そのうえ裁判を起こしても、大した賠償額にもならないことを理由として、誰もが訴訟に躊躇しているものと思われます。
私も今、仕事が忙しく時間もないので、なかなか訴訟にまでは踏み切れない。
しかし、民事訴訟は精神的苦痛でも訴訟の対象なので、訴えることは可能です。
ただし一人の人間が「死ね」と言われたからといって、裁判所が訴えを取り上げるかどうかは難しいところではあります。
私自身、「低能先生」と思われる人物からすでに数回嫌がらせのidコールを受けていますし、その執拗性を、複数で訴えれば、ある程度の損害賠償を彼に請求し、反省を求めることができるのではないでしょうか。
それだけではなく、嫌がらせをする人物を白日のもとにさらけ出し、可視化することで、こういうハラスメント野郎の跋扈を食い止めることにもつながります。
つまり、同じ様な苦痛を受けている有志と合同で、多くの人が精神的に苦痛を受けていることを理由として、集団で損害賠償の請求を、どこかで求めていきたい、という希望です。
はてな運営にも上記のように実害があることから、材料が集まり、発起人が立ち上がれば、訴訟に協力してくれるかもしれません。
いつになるか分からないが、機が熟せば、またはてな匿名ダイアリーか自分のブログで声を上げるつもりです。
以上のようなことを考えているので、賛同される方はこの記事の拡散をお願いします。
なお、有志のみなさまには、「低能先生」と呼ばれる愉快犯からidコールを受けた場合、次のことをお願いいただけますでしょうか。
以上となります。執拗な嫌がらせを続けるハラスメント野郎には、協力して抗議の声を上げていきませんか。
多くのブクマをいただき、ありがとうございます。
損害賠償請求をしよう、と思い至ったのは、次の案件を知ったからです。
「余命ベギラゴン ~懲戒請求を煽る人、煽られる人~」 ( https://togetter.com/li/1221467 )
懲戒請求を受けた弁護士が威力業務妨害で懲戒請求をした人々を逆に訴えようとしている、という記事です。
懲戒請求という軽微な加害行為であっても、それが多く集まれば、弁護士に対して威力業務妨害になりうる。
それならば、同じく「死ね」の連呼という軽微な加害行為であっても、それを多人数に多数執拗に行なう行為もまた、量として、精神的な損害賠償の請求の対象として認められる可能性もあるな、と考えました。
id:kyoumoeによれば、これまではてな運営に申し入れしても低能先生のIP開示請求を受け入れてくれないとのことですが、これも、多数で同時にはてなに申し入れすることで突破できるのではないでしょうか。
異常な攻撃的人物と戦うためには、相手の行動を可視化し、共有し、敵失を待ちながら冷静に対応していくことが重要です。
長期戦になるとは思いますが。
ただ、どんな集団にでも異常行動者は紛れ込むものですが、それと対峙する姿勢を見せる集団には、それ以上紛れ込まないことが多いように思います。
お前、何しにきてんの?
「先生に教えて頂きながら~~~」
「いい友達ができるように~~~」
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか。
ふぬけた事を言ってるヤツがいる。
教えてもらっただけで勉強した気になってる。
授業は発生してるし、
1時間教えてもらったとしたら、
仲良くもないのに"同学年"ってだけで最初からタメ語で話してたり、
仲良くもないのに「みんなでカラオケしよう」なんて誘い合ったり。
そんなことをしてる暇があったら、
本当に話したいヤツとだけ、
1対1でゆっくり語る場を設けた方がいい。
単に大勢で騒いで盛り上がっても、
僕は群れる事の無意味さを知っているし、
孤独と対峙する強さを持つ事の方が不安を払拭できると考えています。
職場では年齢問わず初対面の人にタメ語を使う事は一切ありません。
よく「松村くんは同じ年齢の人にも、いつも敬語だから壁作っちゃうよね」と言われますが、
学校の一員として、
学生気分のヤツを見てると、
新入学生でよくいるのが、
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか言うヤツ。
授業なんて全部自分で見つけてこいよ。
ここは学校じゃねぇんだよ。
どんどん結果出してこいよ。
学校は優しい先輩が非常に多いので、
発言しないと思いは伝わらないし、
宣言しないと夢を共有する事は出来ません。
あした授業に出たいです。
この生ぬるい空気をぶち壊したいです。
遅田だけど、A「〇〇面白いよね」→B「△△観てないの?」みたいなやり取りが嫌になったので色々観てみた。地上波でアニメを観ないので、配信を待ってたら遅くなってしまった。まだ観ていない作品もあるけれど、ウマ娘の4話が配信されてたのを見て心が折れたので途中送信。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
ネトフリ限定。航空自衛隊のおしごとアニメ。自衛隊等、軍隊の色んなお仕事を描く場合、「GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」みたいに架空の戦争を描くのがセオリーというか、一番手っ取り早い気がするのだけれど、本作は日常業務を割とメインに描いている点で珍しい気がする。そのための「ドラゴンの世話係」というモチーフはすごく好き。
何よりこの作品が良いのは、メインで描かれているのが「様々な事件を航空自衛隊が解決していく姿」とかではなく「そういった様々な業務をこなしていく中でもみくちゃにされる主人公の、心の機微」なところ。1話で既に胸がいっぱい。
全体的にテンポが良い&笑ったり泣いたり出来る内容なので、「宇宙よりも遠い場所」が好きな人はツボかも。円盤買おうか検討中。
かっこいい大人を描くアニメ。ある日主人公の前に超能力を持った少女が現れて云々というモチーフはとても好き。特に「特殊能力を持った子供と、精神的な支えになってくれる保護者(大人)」という関係を描く作品がツボなのでもっと観たい。「アリスと蔵六」とか。
とにかくギャグとシリアスのバランスが秀逸。「シリアスなシーンっぽいけどBGMがギャグ」とか「イイハナシダッタナーと思わせといてツッコミで落とす」とか。特に及川啓監督作品「この美術部には問題がある!」にも共通しているツッコミの良さが健在で嬉しい。
公式ラジオによると「アイッター!」はアフレコ現場のノリで思いついたらしく、本作に限らずのびのびと声優が演技している作品は観ていて楽しい。「この美術部には問題がある!」でもアドリブをどんどん採用していくスタイルだったそうなので、本作もすごく楽しみ。
なお監督は今期「ウマ娘プリティーダービー」も兼任しているらしいのだけれど、控えめに言って命燃やし過ぎじゃないだろうか。
P.A Worksによる競馬場の擬人化アニメ。田舎から上京した主人公が、ウマ娘の頂点を目指すスポ根モノ。でもライバルもみんなおんなじ学校にいたり、しかも割と仲がいいというのがすごく今っぽくて好き。でも実際そういうもんだよね。
とにかくレースのシーンが非常に良く出来ている。草薙の背景美術によるリアルな競馬場、キャラクター同士の会話が聞こえないくらいうるさい歓声、ウマ娘の走るフォームやめちゃくちゃ重い足音、アツイ実況と落ち着いた解説、他の子に追い抜かれるときの「むりー!」とかすごく秀逸なセリフだし、そもそものレースシーンの尺とか(アニメの尺で1~2分。わざとかな)。競馬を好きになりそう。
あと競馬の小ネタが満載の作品になっている、らしい。私みたいに競馬初心者はニコニコ動画等外部記憶を利用しながら観ると10倍位面白いのでおすすめ。
50周年につきリライトされたあしたのジョー。スラムからボクシングで成り上がっていく主人公を描く作品。各所で有名なイラストレータが監督を務めているらしく、キャラの造形にすごく味があって良い。それにスタジオ風雅の背景はドンピシャ過ぎる。
いくつも映えるシーンがあるんだけれど、その度に主人公やライバルがジョーや力石にしか見えないところがとても良く出来てる。
アウトサイダーの主人公を描く作品にヒップホップミュージックはよく合ってる。個人的に大好きなジャンルの音楽なのでそれだけでもツボなのに、加えて音楽を引き立てるような演出もあったりして最高すぎる。音楽を担当するmabanuaの楽曲はgoogle musicとかで聴けるのでみんな検索してみてね。
私は原作未読なのだけれど、当時もボクサーと呼ばれる人たちは本作みたいなアウトサイダーだったのだろうか。今ではオリンピック種目にもなってるくらいメジャーな競技なので、そういう「ボクシング=クリーンなイメージ」と距離を置くために、メガロボクスというモチーフを作ったのかも。
アマプラ限定。2010年代のヲタクを描く日常アニメ。最近観たオタクx恋愛な作品は「ネト充のススメ」と「3D彼女 リアルガール」だけれど、前者はトレンディドラマ、後者は少女漫画テイストな感じ。対して本作はもっと、有り物としてのオタクを描くことがメインになっていて、よくツイッターとかで流れてくる「オタクを相方に持つ(自身もオタクの)漫画家さんが、実際にあった面白いことを漫画にしてみました」的なものに近いかも。かつ、これまでのアニメ作品の中でも特に(私の知る限りの)リアルなオタク像に近く、オタク=不健全な人みたいなイメージではなく「ほとんどのオタクは(多少不健全であっても)割とマトモに生きているんだよ」という描き方がされている。私はオタクではないのだけれど、とてもわかりみが深い。
個人的に一番好きなシーンは「職場で昼休憩の時間になり、おもむろにイヤホンを取り出し、カロリーメイトを加えながらSwitchでモンハンを始める主人公(男)」。なおクレジットにちゃんとモンハンの名前がある。間違いなくモンハンをプレイしていて笑った。
驚いたのは「出ねえじゃねえかよ紅玉よお!物欲センサー発動してんじゃねえよ!(リオレウス狩りながら)」というくだりがノイタミナ枠で流れたこと。すっかり市民権を得たんだなぁ、としじみ。
公式ラジオでも言っていたけれど、ネットスラングの発音がすごく難しそう。正解がないだけに、「なんか違う」って思う人は多いんだろうか。
かわいいコメディ。ソシャゲ原作なのに、自らを容赦なくネタにしていくスタイル。監督は多くのラブコメ作品を作った人なので、コメディ要素が非常に良く出来ててとても面白いし、女の子がみんなかわいい。
特にソシャゲ要素のネタ化が秀逸で、一度でもソシャゲをやったことある人なら刺さると思う。老若男女誰でも?気軽に楽しめる感じがある意味ラストピリオドらしさなのかも(やったことないけど)。
ロボットアニメを題材にした、宇宙戦艦乗りの日々を描くギャグアニメ。「いつ戦闘になるかわからない中逃げ場所もなく、毎日同じ兵士たちと衣食住を続けてたらストレスで絶対頭おかしくなる人出てくるよね」を体現したような主人公の悲喜こもごもを丁寧に描いている。何が良いって、短いアニメなのに作画がめちゃくちゃしっかりしているので、色々ヤバイことになってる主人公を見ていると脳裏に他作品の主人公の姿がチラつくこと。マジで実際ありそう。それにしても主人公の狂いっぷりが最高すぎる。
FOD限定。アイヌを舞台にしたモンスターハンターみたいなゆるキャン。制作は「虐殺器官」「刻刻」のジェノスタジオで、元請けは本作が3つ目。なんでハードな作品ばっかなんだろ。
物語の縦軸は悪人を倒し、素材を剥ぎ取って集める事だけれど、乱入してくるイビルジョーみたいなヒグマのほうが怖い。登別にある(´(ェ)`)牧場行ったことあるけどヒグマはめちゃくちゃ怖い。アレと対峙する主人公のフィジカルは、モンスターハンターの世界で最強の生物ことハンターのそれである。
一方ゆるキャン要素がとても良い。風景のロングショットの多さや焚き火が何度も登場する感じとか。そういう雰囲気を大切にしてる作品。
音響が良いので、自然音(焚き火の音とか)も戦闘音(爆発音とか、銃のリロードをして排出された薬莢が岩の上に落ちて転がる音とか)もとても雰囲気が出ていて痺れる。
音楽は全体的にストリングスでまとまっていて、映画みたい。サントラ買おうかな。
アイヌ語監修、アイヌ設定監修がおり、アイヌの文化について丁寧に描かれているのが印象的だった。なによりアイヌの人→アイヌの人ではなくアイヌの人→アイヌじゃない人の構図でアイヌの話をするので、細かい説明付きでとてもわかり易い。
OPがMAN WITH A MISSIONなのは流石に草。絶対顔で選んだだろ!
2期。1期のときと変わって監督が佐山聖子(総監督は引き続き佐藤順一)、脚本が赤尾でこ、福田裕子に。やさしいせかいの部活モノ。私は他校との競争がメインの部活よりも「その生徒にとって、一生モノの楽しい思い出や趣味、居場所作り」がメインの部活のほうが好き(必ずしも両者が対立するわけではないけれど)で、本作は後者。
以前「高校時代は一生懸命部活に打ち込んでいたのに、高校を卒業したあともその分野を続けてる人がほとんどいない」みたいなニュースがブラック部活問題で話題になったけれど、本作のダイビング部であったり、ゆるキャンの野クル(部活じゃないけど)みたいなのは、部活という在り方に対する一つの答えなのかも知れないなぁ、と思った。何より先生が良い人で、悩む主人公を導いてあげる役目を負っているのが好き。
背景美術の雰囲気、なんか変わった?と思ったらスタジオカノン→J.C.STAFF美術部に変更してた。どちらも非常に綺麗。
物語の縦軸は「てこの成長」なので、1期を見ていないとピンとこないと思う。
ネトフリ限定。ミュージカルアニメ。そもそもディズニー作品以外にミュージカル風のアニメを見たことがないので、すごく新鮮。ストーリー自体は王道で、「不思議な力を持つ主人公」「ギークでちょっと頼りない兄弟」「正義感の強い騎士」「悪い王子」「心の優しいお姫様」等キャラクターの描き方もわかりやすい。そういうベクトルの作品なのがネトフリらしさなのかも。
抑圧に対する開放の象徴として「歌」があるストーリーがとても良いし、「歌っちゃいけないと言われてるけど、つい歌っちゃう主人公」と「国民から好かれているから歌ってるんだけど、その歌を政治の道具にされているお姫様」という対比も良いなぁと思った。お姫様の中の人が田村ゆかりなのもハマリ役すぎるし。クラシックを基調とした音楽がめっちゃ良い。
背景美術はでほぎゃらりー。この会社はドワンゴとカラーとポノックが立ち上げた会社なのだけれど、クオリティがめちゃくちゃ凄い。森の中のシーンとかジブリの男鹿和雄が描いた森みたい。まだまだ歴史の浅い会社なのでうまくいくと良いな。
甘味処の日常アニメ。メインキャスト達の低音成分が凄い(そういうディレクションなのかも)のに、やさしいせかい+飯テロ+スイーツテロも相まって非常に強烈な癒し系アニメ。和な雰囲気も良いし、1話完結になってる点も観やすくて良い。
雰囲気の良い日常アニメ。高校生+カメラ+青春といえば「Just Because!」が思い浮かぶけれど、本作は日常のウェイトが大きい作品。タイトルから「お、恋愛モノかな?」という先入観で観ると肩透かしを食うかも。タイトルを意訳すると「A子ちゃんはB男くんが気になってて、でもB男くんはC子ちゃんにゾッコンで、D子ちゃんはE男くんが好きで、F男くんはG子ちゃんが好き。でも多田くんは恋をしない」みたいな感じ。
日常と恋愛のバランスは「のうりん」とか「日常」とか「月刊少女野崎くん」くらい?日常やコメディがメインの脚本になっている印象。かといってボケをツッコミで落としていくわけでもなく、ゆる~い感じがとても良い。各話サブタイトルの「まぁ、間違っちゃいない」「それ、好きだなぁ」あたりが本作のゆるさをうまく表している。3話における喫茶店のシーンの雰囲気が、音楽も相まって本当に良すぎて辛い。
オトメイト原作の大正浪漫譚。華族出身のツグミは、ある日弟のヒタキが稀モノの起こした事件に巻き込まれてしまい、これをキッカケにツグミはアウラが見えるようになる。そんな彼女の前に帝国図書情報資産管理局、通称フクロウが現れ、稀モノの調査協力を依頼される…というストーリー。
大正時代がテーマになっていて、主人公の格好、お屋敷の内装、装飾品、小物、街並み、イケメンたちの衣装等、細部までこだわりを感じる。私は大正時代の建築が大好きなので、本作の雰囲気はドンピシャすぎる。色彩もすごく綺麗だし。やることが本集めなのも良いよね。
ネトフリのみ。マクロスでおなじみ河森正治による新規IP。クレジットに重慶市があるので、実質中国のご当地アニメ。
まず主人公の設定が良い。主人公は新しいエネルギーの研究をしている量子物理学の研究者で、ひょんなことからその新エネルギー施設の事故で世界が軽く滅んじゃって、その影響で世界中の動植物が機械化してしまい、そいつらによって人類が滅びそうになっているので、人類を救うために日夜研究している、みたいな。主人公がギークっていうのも珍しいけど、動機とか哲学が独特。特に2話が象徴的で、主人公の持つ正義の危うさが描かれているのがツボだった。
世界観はフォールアウトに近いかも知れない。上記の事故で風景はウェイストランドみたいだし、フォールアウトにおけるミュータントやグールがこっちの機械生物に相当する。フォールアウトが人vs人の世界とすると、こっちは人vs自然。とても良い。
あとロボデザインが好み。手書きではなく、3DCGの味を出したデザインなのだけれど、微妙に人型じゃないところとかアーマード・コアっぽくて好き(主人公機は人型だけれど、2話の作中で「クソの役にも立たない」と酷評を受ける)。
本作のクレジットに重慶市があったので、そのうち中国でも放送されるんかなぁ?とか思っていたのだけれど、公式ラジオによると、本作はアフレコを日本のスタジオと並行して中国のスタジオでも行っていて、オンタイムでそれぞれの地域の言語で放送しているらしい。「いつの日か、日本のアニメが字幕じゃなくて現地語でアフレコされた上で日本と同じタイミングで放送される作品とか出てきたりするんだろうなぁ」と思っていた矢先だったので、そういう意味でとても興味深い作品。
今期随一の萌アニメ。萌アニメと言えばいろんな属性を持つ多くのキャラクター達が出てきて、自分の推しを見つけるのが楽しいのだけれど、本作は主人公に可能な限り多くの属性付与を行うという手法をとっているのが斬新。3話まで観た限りでも主人公は”女子高生、カワイイ、アイドル、歌がうまい(?)、ダンスが得意(?)、食いしん坊、魔法少女、イケメン、パーフェクトボディー、強い(物理)、百合、BL、NTR、etc”と幅広い属性を持っているので、理論上ストライクじゃない人はいないはず。CV.大橋彩香(CV.石川界人)も非常にハマリ役で好き。原作者の担当するED絵めっちゃ綺麗だし。
頑張れる人にはわからないと思うんだけど、世の中にはどうやっても頑張れない人間が存在するんだわ。だけどな、無気力で自堕落なわけじゃないんだよ。いつも不安と隣り合わせだし後ろには死が控えてんの。でもな、それを忘れようとか見ないことにしようとか、できないのよ。それと対峙しちゃうのよ。それでボコボコに殴られて挫折するんだよ。で、諦観を抱いてしまうわけだ。だから頑張れない人っていうのは途中で諦めてしまうことが多いわな。だって失敗と挫折の経験がトラウマになってるんだもの。頑張れる人はそこをピョイっと乗り越えられちゃうわけ。それは失敗よりも努力と成功を掴んできたから。だからね、頑張れる人は恵まれてるのよ。自分に自信があるのよ。だから踏ん張れる。頑張れない人は踏ん張れない。フラッシュバックするトラウマが蝕むんだよ。結果として諦めちゃうんだよな。だからさ、頑張れる人は「みんな頑張ってるんだから」なんてセリフ捨てちまえ。頑張れない人をバカにするんじゃなくて話を聞いてやってほしいんだよ。それは辛くムカつくかもしれないけどさ。頼みますよ。
デザイナーは人々のくらしというストーリーに寄り添い創作する。会社の製品のためのデザイナーでは、わくわくするストーリーは生まれない。
私はストーリーがなければ絵が描けないと気づき、私のなかにはストーリーがなく、描けなくなった。それでも絵に関連することにすがっていたくて絶対に無理だと感じていたデザイナーになった。
するとデザイナーとは、他者のストーリーを表現する仕事で、空っぽだった自分のことを考えて死にたくなる暇がなくなり、毎日が楽しくなった。
デザイナーになってから、ひとりの時間を大切にしている。他者を考える時間であるから。
孤独なときに他者を思えるのに、人と対峙しているとき、人のことを考えられない。幾度も誤った対応も喧嘩もすれ違いもする。
ひとりでこうやって、はてぶを見たり、学校や、町歩きや(団地が好き)、廃墟や、図書館、公園、歴史に触れて、多様性がある 多くの人のくらしに思いをはせてる時間がとても愛しい。
一人1枚しか持って行ってはいけない物を転売用か何か知らないが大量に取っていく人は、根本的には異常者で話が通じない事が多いので、「イヤな物をみた…」と思って忘れるようにしている。係の人に注意して欲しいと思う時もあるが、正直、その人だって殆ど狂人と対峙させられるのはイヤだろうし、その人に危害を加えないとも限らないので、注意してもらうとかお願いするのも止めた。
確かに社会を良くする(?)機会を見逃しているのかも知れないが、そんな人は別に注意されても「余計な事を言うヤツがいて迷惑を受けた」くらいにしか感じてないだろうし。悪い行いを反省する事もないし罪を問われる事も無いだろうから、結局ムダなのだ。
正直、本当に戦うべき時にも戦えない気がするが。当面は仕方が無い。割と戦わない。
まずいという評判をよく耳にしていて、
そのビジュアルも個人的に食欲を感じないものであっため、これまで避けて生きてきた。
しかし、昨日、スーパーで牛乳を何本か買ったときに、無料キャンペーン中でレジにてついてきてしまった。
Quaker instant oatmeal
よく見かける、白髪のおじさんのやつだ。お湯を注いで作るらしい。
ずっと避けてきたオートミール。
勝手なイメージで、外国人好みで日本人にはイマイチあわないマズメシって思ってるんだけど、
いざ食べたらそうでもないのかな。
塩味なのか、甘いのかもわからない。そもそも、味はするのだろうか?
しないのなら、何かを自前で投入するのだろうか?
ども。元増田です。
ただ、弱者を守るのは男性だけではないということです。もちろん女性も参加します。
実際に僅かながら女性も自衛隊や警察には従事していますし、そういう現場でも、逆に女性にしかできない繊細な事柄ということも多くあるでしょう。
問題はここで、今現在男性は「力仕事担当」のロールを持ってる(強いられている)訳です。ここだけは旧来のジェンダー観とほぼ変わらない。
翻って、「女性にしかできない繊細な事柄」で今現在女性が担っているものとはなんでしょう。それは本当に男性には(女性に力仕事ができない程度には)できないものなのか。
もし、男性にもできること(男性もしていること)なら、女性のロールとは言えないわけで。
旧来のジェンダー観では、ここに「出産」「子育て」とかを割り当てていたわけです。男性は逆立ちしたって出来ませんからね。
ただ暴力をもってして危害を加える人間に対峙する職業では、もちろん腕力に優れた女性が活躍することもあるでしょうが、そこは男性が比較的多い職場になるのは致し方ないかと。
これは男女不平等言説。
上にも似たようなことを書いたが、確かに女性は(一部例外を除いて)男性と同程度に(物理的に)強くはなれない。
だから、旧来のジェンダーにおいては「出産」「子育て」等、男性から提供される「腕力」その他の対価を設定していたわけです。
これらを「個人の選択である」と切り捨てた以上、女性に与えられる選択肢は、
①「男性と同程度に強くなる」という無理を通す。
③旧来のジェンダー観を再び受け入れる
のいずれかしかなく、そして現状、どれも受け入れずにしかし男性からの恩恵は受けようとしているわけです。
その他の点に関しては、おおむね同意です。
ただ、
女性専用車両とは、「痴漢加害者」による被害を「無関係の男性」に押し付ける制度であり、
そのバランスをとるために男性専用車両を設置するとなると、今度は「女性専用車両を望まない/利用しない女性」に負担を押し付けてしまう。
これでは筋が通りませんし、私の望むところではない。
なるほど、それはまあわかります。
ただ、弱者を守るのは男性だけではないということです。もちろん女性も参加します。
実際に僅かながら女性も自衛隊や警察には従事していますし、そういう現場でも、逆に女性にしかできない繊細な事柄ということも多くあるでしょう。
確かに「全部男が責任を取れ」はおかしい理屈だと思いますから。
ただ暴力をもってして危害を加える人間に対峙する職業では、もちろん腕力に優れた女性が活躍することもあるでしょうが、そこは男性が比較的多い職場になるのは致し方ないかと。
女性も全員、男性と同程度に強くなれというのには無理があります。デフォルトで体力の差がありすぎますから。
そして専用車両の件は…そうですね、まあ強者女性も強者男性のように成人弱者を切り捨てよということであれば、まあ未成年専用車両というようなことになるのでしょう。
痴漢犯罪の50%はサラリーマンだという統計もあるようですし、未成年同士の場合はまあやってみなければわかりませんが、今ほどは問題ではないかもしれません。
JKだけの町、真面目に考えてみたけどどうやって町長を選出するんだろう。
いや、候補者はいいのよ。ヨソの自治体に住民票があっても公職選挙には出られると思う。町役場の職員も別の自治体の人で構わないはず。でも住民の多く(高1・高2の全員と、高3のうち選挙当日に誕生日を迎えていない者)が選挙権を持っていない状況だよね? 一部の住民だけが選挙権を持っている選挙、すげーいびつになりそうな。普選運動が起きそう。
選挙を何月にするかも大きな問題。たとえば3月31日に執行する場合と4月1日に執行する場合を考えてみると、3月31日執行の町長選挙では4月1日生まれを除いたほぼ全ての高3生に選挙権があるけど、4月1日執行だと1人も選挙権を持っている人がいなくなると思う。新高3で一番初めに18歳になるのは4月2日生まれの人たちなので。あれ? ということは4月1日生まれのJKには永遠にJK町での選挙権がないのか? かわいそう。
高校3年生のあいだで2つの派閥があり、1つの派閥の構成員の多くが5月や6月生まれで、もう1つの派閥が11月や12月生まれで占められていたりすると、選挙の実施日程から既に揉め事の種になりそうな。前者の派閥は当然7月あたりに選挙を実施することを要求するし、後者は年明けの実施を要求する。
それと、この構造だと(生徒会選挙とかと違って)高1や高2の要求を汲み上げるインセンティヴがなくなるので、ひたすら受験対策や就職対策に予算をばらまくのが選挙の必勝法になるはず。そうなったときに、学年のあいだで深刻な対立が起こりそう。
気になるのは、JKは単一の学校の生徒なのか、それとも複数の学校の生徒なのか、という点。前者だとしたら、当然その学校では生徒会選挙なども実施されているはずなので、学外の権力者である町長と学内の権力者である生徒会長のあいだで権力闘争が起きて町政が麻痺しそう。先程述べたように、町長が選挙の勝利だけを優先してひたすら高3生のみを優遇する施策を打ち出した場合、対抗して生徒会長選挙では高1・高2が結託して下級生候補を当選させようとするのは自然な流れだと思う。仮に複数の学校の生徒だとしても、複数の生徒会長が同盟を組めば同じ結果になるはず。そうか、これが町長にとって全学年を公平に処遇するインセンティヴになるんだな。生徒会選挙のおかげで権力の均衡が保たれている状態になるわけか……
(生徒会選挙には、生徒会長のみを選出し残りの役員を会長が任命する形式と、生徒会長とその他の役員がそれぞれ選挙される形式があると思うんだけど、どちらにせよ下級生が選挙連合を組めば下級生が執行部を独占できるよね)
そして町議会をどうするのかだけど、そもそも首長と違って議員は当該自治体の住民であることが必要であり、被選挙権が25歳以上に限定されているので、JK町では議会を設置できない。町村総会を置くしかないと思うけど、町村総会を置いたとしても18歳以上じゃないと参加できないので、やっぱり一部の生徒に政治的パワーが集中しそうな。4月生まれや5月生まれは年度末まで町村総会への参加ができるけど、2月生まれや3月生まれはJK町から出ていく直前になってようやく参加権を得るわけで。ただ年度末が近づけば近づくほど4月・5月生まれの人口比が少なくなってくるので、自分たちがマイノリティになった時のことを思えばあんまりムチャクチャなことはできないという抑止力は働くはずだけど……。しかし後輩たちからすると自分たちの要望を町政に反映させるためには2月・3月生まれの3年生よりも4月・5月生まれの3年生に話を通した方がやりやすいわけで、後輩への影響力という点で学年内に不均衡が生まれそうだけど、そこは生徒会という対抗権力が是正すればいいわけか。JK町、なんかうまく権力分立できてるような気がしてきた。
……って気づいたけど、JK町には「A校(とB校とC校……)の生徒全員」じゃなくて「A校(とB校とC校……)の生徒の一部」しか居住していない可能性があるのか。その場合、高校が町内にあるにせよ町外にあるにせよ、町長と4月・5月生まれの高3生に権力が集中しそう。
もし高校が町外にあるなら、生徒会は町外の団体ということになるので町政には無関係になり、町長や町村総会の権力を掣肘する者がいなくなって、結果として高3生のみが優遇され、さらにその中でも4月・5月生まれの生徒に町政の権力が集中するということになりそう。
高校が町内にあるとすると、分断工作がしやすくなる。生徒会は確かに町内の団体ではあるのだけれど、非町民生徒も参加しているので、人口比にもよるけど非町民と高3生の町民を優遇すれば簡単に多数派を形成できると思う。どちらも単独では多数派を形成できない場合は町長が介入しやすくなるし、町村総会を掌握している高3生は校内では学年の平等を謳うしかないかもしれないけど町内で独裁的権力を行使できる可能性が強まりそう。なぜなら非町民の下級生にとって、町民下級生と連帯して高3生に対峙するインセンティヴがないからだ。結果として町民下級生がひたすら冷遇される構図に。
「JK町にはA校の全員と、B校とC校の一部の生徒が通っている」場合、それぞれの学校の生徒会が性格の違ったものになってくるはずなので(A校では下級生が執行部を掌握しているけど、他の学校では普通に高3生が執行部入りしているとか起こり得る)、結果として生徒会どうしの連帯がしづらくなり分断統治されそう。
JK町の政治に透明性や公平性をもたらすためには、単に「JKばかりが町に住んでいる」だけでは不十分で、「ある高校(群)の生徒全員がJK町に居住している」ことが必要だということになるのだろうか。
kido_ari 漫画やアニメじゃないんだから、生徒会にそんなに権限はないのでは。意外と増田の話を全部無視して若くてかわいい町長が当選しそう。
被選挙権が25歳以上なので、ふつうのJKは町長になれないんですよ。スロウスタートでも無理です。JKだけが住む町という設定上、必然的に町外に在住する人間が町長にならざるを得ません(議員と違って町長は住民じゃなくてもよかったはず。もちろん、25歳を過ぎた人間でも高校に入学できますので、町長を町民から出すために一定数そういう人たちが入学してくるというのならJKから町長を出せますが、元増田が望んでるJKってそういう意味じゃないですよね)。
生徒会に権限がなくても、生徒総会で下級生が多数派を占めていることには変わりないので、割と民主的正統性をもって町の行政権力と対峙できるかと思います。ただ学校の運営に関しては教師たち、ひいては校長に最終的決定権があるはずなので、そこは弱いですね。なんか本国からの総督によって統治される植民地の議会みたいな感じ。しかし小中学校と違って高校は都道府県の管轄下にあるはずなので、町長に首根っこを握られているということにはならないと思います。
Just Because …多義性が顕著な現代英語の生きたイディオム。「なんとなく」「ただそれだけで」「ただそれだけのために」などさまざまに訳される。アニメでは物語の進行にあわせてこのイディオムのニュアンスが変容する。あるいはこのニュアンスの変容こそがメッセージとして物語に書きしるされたのかもしれない。
In Unison : 一斉に みんないっしょに
第一話内、勇気とか元気とかあたたかさとか決意とか、そんなものが音になったような応援歌にのってJust Becauseの意味に変容の予兆があらわれる。
第一テーマのつぎのドラムソロ。マウンドちかくにつむじ風がおこり、瑛太の目に決意がともる。
高校三年の3学期という意味をうしなった待ち時間に風がふき意味が芽生える。
第8話 High Dynamic Range
Just Because のニュアンスが大きく変容する。
瑛太のセリフには「しょうがない、こうしかできない」といった消極的なニュアンスが目立つがじっさいには夏目の後を追いはじめている。
瑛太は転校初日に陽斗になげかけたのと同じ問いを小宮から受け、気づいてか気づかずか、第一話の陽斗そっくりの答えを返す。
夏目はなんとなく決めた進路の必然性を問われ自己の未来と対峙する。
陽斗は瑛太を負けるなと励ます。瑛太は勝ち負けじゃないというが陽斗はそれでも負けるなと励ます。
ここでもう一度In Unisonが流れる。タイトルと同様、第一話に呼応している。ただしここでながれるIn Unisonはブラスバンドのちからづよい合奏ではなくピアノだけのひかえめな主旋律で、しかも第一テーマの後半部が一度きりだ。もう応援歌の役割を終え、それぞれの場所へ一斉に旅立つみんなをやさしく送る曲になっている。第一話で位置についたものたちがみんなそれぞれの目的に立ち向かい、それをのりこえたからだ。
第一話冒頭では「なんとなく」程度だったJust Becauseのニュアンスは物語のなかで力を増強し、ついに「ただそれだけのため」「ほかに理由なんかいらない」といったつよい意味を帯びて最終回へといたる。みんな一緒に、それぞれの目標にいどみ、そしてのりこえた成果だ。かれらはいっせいに走りはじめ、つぎのステージへと向かう。
このアニメが受験シーズンに放送されたことは偶然ではないだろう。元気をもらった受験生も多かったはず。わたしの受験はとおい過去だが、それでもこのアニメからはたくさんの元気をもらった。わたしにとって、いまなすべきことは受験勉強ではなく研究開発と制作と執筆と介護だ。吹奏楽部員だったこと、全国大会を目指したこと、野球部を応援した夏、写真学科の受験、絵をさがしてカメラかついで原チャで街をまわったこと、みんなみんな遠い過去だ。でもいまだってつまづくたびに立ち止まり、休み、そして前へ出る。生きる限り前へすすみ、高くとびつづけたい。
②北朝鮮が明確に中国の犬になること。その際、中国が望むならば北朝鮮は核兵器を放棄すること。
これが韓国、北朝鮮、中国、アメリカ、日本といった関係各国にとってベストの解決策なんじゃないかと思う。
①の実現はアメリカにとっては極東地域での中国との緩衝壁が一枚減ることになるので、アメリカは首を縦に振りたがらないだろうけれど、韓国が強行すれば不可能ではないだろう。韓国が中国の犬になると日本は中韓と直接対峙することになるので、アメリカよりも一層首を縦に振りたがらないだろう。しかし、アメリカにとっても日本にとっても、現状のまま北朝鮮とアメリカのドンパチが始まって、北朝鮮から核ミサイルが飛んできたり、原発を狙われたり、中核都市でテロを起こされたりするよりは遥かにマシだろう。韓国と北朝鮮が仲良く中国のポチになったところで、中国、韓国、北朝鮮が日米に面と向かって戦争を吹っ掛けてくる可能性は極めて低い。
②は容易だろう。北朝鮮が核兵器を持ちたがるのはアメリカにやられるのが怖いからだ。正式に中国の傘下に入ってしまえばその心配はなくなり、核兵器も不要になる。③も容易だろう。南北統一をすると統一後に北朝鮮王室は粛清されるだろうし、粛清まで行かなくとも統一前ほど勝手気ままに振る舞うことはできなくなるので、北朝鮮王室は統一を望まない。それを無理に統一するメリットはない。2国とも中国のポチをやるなら南北間の戦争にはならないだろう。政治的統一はせずEUのように経済交流だけ2国間で自由化すればいいのだ。
どう思う?
旦那くんはこのままいくと子供達には「正論で人をアル中になるまで追い詰めるモラハラ人間」というふうに記憶されるようになるんじゃないかな。人生は人それぞれやけど、私はそういう人間とは子供が成人した後も一緒に暮らしていきたいとは思わない。私や子供に見捨てられて安いアパートでひっそりと暮らすのが旦那くんの老後かもしれない。旦那くんがどういう人間になりたいのかとかは私の問題ではないので私にはどうしようもない。
私が思うに旦那くんの進むべき道は一つで、人の心を持ったまともな人間になろうと努力することやと思う。そうしないと次第に家族の誰とも釣り合いがとれなくなってしまう。旦那くんだけがおいてけぼりになる。すでに子供達があなたと対峙するのも辛くなってきてるんじゃないかな。子供達に対してどう生きていくべきかとか、なぜ人と人とが助け合うべきか、愛とは、思いやりとは何かとか、多分旦那くんには教えられないもんなあ。せいぜいそれ以外のことで父親としての存在を示すくらいしかできないんやろうけど、いよいよそれも辛くなってくると思う。
人間になるか諦めて退場するか、どっちか好きに選べばいいと思う。お情けでモラハラ男のサンドバッグになってやるほどの優しさは私には無い。
まとめ
というわけで、ざっくりと旦那くんの進むべき道を示した。あとは知らん。
…って感じがアンサーになるかな?
旦那くんはこのままいくと子供達には「ビールを飲みながらゲームをしている人」というふうに記憶されるようになるんじゃないかな。人生は人それぞれやけど、私はそういう人間とは子供が成人した後も一緒に暮らしていきたいとは思わない。私に見捨てられて安いアパートでひっそりと暮らすのが旦那くんの老後かもしれない。旦那くんがどういう人間になりたいのかとかは私の問題ではないので私にはどうしようもない。
私が思うに旦那くんの進むべき道は一つで、立派な人間になろうと努力することやと思う。そうしないと次第に家族の誰とも釣り合いがとれなくなってしまう。旦那くんだけがおいてけぼりになる。すでに子供達と対峙するのも辛くなってきてるんじゃないかな。子供達に対してどう生きていくべきかとか、なぜ勉強をすべきか、何を勉強すべきかとか、多分旦那くんには教えられないもんなあ。せいぜいそれ以外のことで父親としての存在を示すくらいしかできないんやろうけど、いよいよそれも辛くなってくると思う。
努力するか諦めて退場するか、どっちか好きに選べばいいと思う。努力できない人間をお情けで養うほどの優しさは私には無い。
まとめ
というわけで、ざっくりと旦那くんの進むべき道を示した。あとは知らん。