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2019-03-11

結婚してから、初めての転職旦那の姓で呼ばれることに物凄い違和感がある。

前の職場では、結婚後も旧姓で呼ばれていたし、今までの友人もみんな旧姓で私のことを呼ぶ。

でも、今、これなら出会う人は、新しい名字名前でもって私を「私」として認識するんだ、って思うと違和感

新しい名字で呼ばれても、他人のことかと思ってしまうのに。間違ったラベルがくっつけられてるみたいで気持ち悪い。大袈裟にいうとアイデンティティもぐらぐらする気さえする。

慣れるものなのかな。夫婦別姓はなんで認められてないんだろう。新しい名字の響きは、名前いまいちあってなくて、それも、なんだか嫌になる。

旦那が私の旧姓に変えてくれてもよかったのでは。画数も少ないしスタイリッシュだよ、多分。

2019-03-10

R1グランプリ見てるけど観客ひどすぎるだろ

ボケなのに「ひぇー(引)」とかやめろ

引くなら引くで黙ってろよ声に出すな

絵が上手いとか小道具がすごいとかの技術に対して「おおー(感心)」って言うのもやめろ

編集で入れてるのか大袈裟にやるように指示してるんだか知らんが、これを良しとする責任者も辞めちまえ

座席にはゲラ芸人でも座らせておけよ

怒る時とかに感情的になられるのが嫌って

嫌になって反省出来ないとか逆に同じレベル以上に感情的じゃん

聞く度???ってなるんだけど

しか中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど

もし自分に原因があって相手が怒ってる状態理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん

そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う

だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ

理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから感情的じゃん理性とは真逆じゃん

声荒げないのが理性的勘違いしてんのかなって思う

自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に感情的人間だよ

しか反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね

あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの

相手感情相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね

そういうのをそこまで自己分析言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる

ていうかそもそも問題解決のための理性的論理問題によって影響が及んだ側の感情対象人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし

実際相手感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ

感情面の尊重を求めてる時点で問題解決過程感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね

その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分相手感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的自分勝手な話だけど

たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど

結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側から意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね

問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲問題解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ

原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう

感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的なっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくま論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こし感情に関して自体とそこへの責任否定するものではないんだよね

正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う

ていうか何で混同できるんだろう違和感無いのかな

教育の場だと感情に対する責任教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな

学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人理解反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど

それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う

学校でも生徒間の問題感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合ほとんどだからそこを分けて別のもの認識してて自分問題を起こして影響を及ぼした相手当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない

実際どうかは知らないけど

普通に考えれば解ると思うんだよね

問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし

その原因に対する責任においての再発防止策のひとつ安易だけど自省するって事でしょ

自分がやった事で相手が怒っててその相関性常識的ならそこで引き起こされた相手感情面の問題にも少なから責任は発生するっていうのも普通の事だし

その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん

その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし

別にその権利行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う

説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし

そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決方法が気にいらないか責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね

その状況で相手感情的になってる理由理解せずそれ自体非難するのって責任放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体責任まで相手押し付けものって話なわけでしょ

自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う

感情的になる事自体否定的だ自分感情なんだから原因が別にあっても自分コントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任自分で追わなきゃ矛盾するじゃん

ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的主観的に忌む対象排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う

そういう事言う人ってたぶん凄い主観的共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う

クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな

映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど

その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ち二の次にして気を使ってあげないとって思うの?

反省できずに同じ事が起こったらそれは自分達が悪いなって?

泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?

だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う

自分やらかし場合相手感情的になる選択権利勝手にどうこうする根拠には全くならないけど

結局自分が原因にも関わらず相手感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分相手の事なんて、相手自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的表現するからってそういう話でしかないと思う

やっぱりただ自己中なだけだよ

自己なのは自由だし自分人生だし自分人間関係からどうでもいいと思うならそれでいいけど

怒る声苦手だしそういう性格から悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分性格じゃなく相手人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う

自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが

20年近く生きてて自分の事何にも解ってないじゃんって思う

解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う

自分自分が何でそう思うか解ってないのに相手問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん

相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的問題正論理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う

ていうかそれをその年代常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい

全然理性とは真逆の反応だし超主観的自分勝手傲慢正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから

ほんとに

2019-03-04

鞄を落とした増田ショックっょ試打須又氏とおをんバカ回文

おはようございます

あのさー

私自転車に乗ってたとき

コートポッケしまってたたんで入れてた鞄落っことしちゃったみたいで、

かなりショックなんですけどー。

鞄って言っても大袈裟なっちゃうだけど、

お気に入りトートバッグ

買い物にも重宝してたのよ。

お魚買ってパックから魚汁漏れて汚れても

ピカピカに水洗いできちゃうポリエステルロバートデニーロなの!

違う違うそうじゃない、

ロバートデニーロじゃなくて、

65536デニールの厚手で超丈夫なやつなのよ。

増田のお友だちが大好きな綺麗に透ける黒タイツは40デニールでしょ?

から相当丈夫なの分かる?

20デニールかになると逆に生々しい御御足になっちゃうわよね。

御御足とかけまして御御御付と解きます

その心は!

どちらもおかずになるでしょう!ってやかましーわーいって

そんなことどうでも良いのよ。

でね、

自転車をふんふんふんって乗ってるとき

海外の人に声かけられてけど、

よく意味分かってなかったのよね。

たぶん、

おまえ鞄落としたぜって言ってくれたんだと思う。

今になって、あっそっか!って気付いたとき

アフターフェスティバルだったわ!

でも捨てる神あれば拾う神ありよ。

その同じトートバッグサイトでずっと欲しかったんだけど、

もうずっと売り切れ状態で、

お気に入りトートバッグがリピ出来なかったのがショックだったんだけど、

サイトを見たら明日から新しい柄販売します!って言うじゃない~

大人げなくトートバッグ大人買いしちゃったわ。

落としてなくしたトートバッグには申し訳なくて、

可哀想なことしたなってごめんなさいなんだけど、

新しい柄のトートがまた楽しみだわ!

うふふ。


今日朝ご飯

野菜サンドタマサンド

旬の筍おこわおにぎりも美味しそうだったので、

おにぎり夜食用にでもするわ。

だんだんちょっとずつあたたたかくなってきたわよね。

あたたたかく、とか

かたたたき、とか

おのののか、とか

そんな言葉を集めてます

デトックスウォーター

カリフォルニア産の手で向けるコタツみかん海外バージョン

ネオオレンジウォーラー

搾って炭酸割りにしたなりよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-03-02

自衛官募集ポスターパンツなら、ブルマとは何だったのか

30代女性です。自衛官募集ポスターの件、元のアニメのことはまったく知らず、ニュースやそれに対する意見もごく軽くしか読んでいませんが、今回の話題に関連して思い出した話をします。

小学生中学生のころ、体育の授業はブルマを履くことが学校規則でした。

当時からパンツと同じ面積しか覆ってくれないブルマという衣服について疑問に思っていました。

土のグラウンドで転べば膝の広範囲にわたって擦り傷を負い、体育館で転べば床との摩擦で火傷のように痛みました。

それ以前に、パンツと同じ形のただ黒くて分厚いだけの布を履くのは子ども心にひどく恥ずかしかった。

でも我慢していたのです。なぜなら、大人が、学校が、社会が(大袈裟でしょうか?)決めたことだったから。とても嫌だったけど、我慢してパンツと同じ面積のブルマを履いていたのです。保護者(つまりは見知らぬ大勢大人)が集まる運動会でも、我慢してパンツ同然の衣服運動をしたのです。

今回の話を鑑みるに、あの面積であればパンツということになるのでしょうか。

(前提となるアニメを知らないので、誤認があるかもしれません)

もし、そうであるのなら、ブルマを履かされていたのは、社会から受けたセクハラだったのではないかと思うのです。

大人になっても、ずっとブルマのことが納得いかないのです。ずっとあれを履かせた大人たちを許せないのです。

NGT山口真帆さんの「いいね

2019-02-24

anond:20190224072454

日本の女なんて90%以上はブサイク

  って、おい、それは大袈裟すぎ。2割くらいは結構かわいいと思うぞ。ブサイク過半数ってことはあり得ん。

2019-02-22

自己肯定感が低い

私は自己肯定感が低い。

自信もない。

特に「男としての価値」に自信がない。

これまでに彼女はいたし、告った数と告られた数は後者のほうが多い。

童貞でもない。

しかしそれは私がモテたからではなくて、自信がなく拒絶されて傷つくのがこわくて手をこまねいている間にたまたま偶然運がよかっただけのことである

その証拠に、30歳をすぎてからはそのような偶発的なことは一切なくなった。

所詮学生時代20代若さがあってのみ成り立つものであったにすぎない。

30歳をすぎてから何もしていなかったわけではなく、いわゆる「自分磨き」的なことでできそうなことは現在も続けている。

が、一向に自己肯定感も男としての自信も高まりそうな気配がない。

過去よりも体力も筋力も経済力仕事力も人間力も高まったはずなのに、自己肯定感と男としての自信だけは高まらないのだ。

それを何とかして埋めようと、月に1回程度「夜のお店」に行くが、いくら褒められても持ち上げられても、自己肯定感も男としての自信も満たされた気にならない。

それどころか、接客業としての癖か、相手言動真意を探ろうとしてしまう。

これは例を挙げたほうが早い。

「落ち着きがない→フットワークが軽い、好奇心旺盛」「マザコン母親想い」などと、否定的言葉肯定的表現に置き換えて発することがある。

これを逆算的に捉え、いくら肯定的褒め言葉を並べられても、「真意は○○なんだな」と否定的解釈をしてしまう。

(まあそもそもがそういう「商売なのだからしかたないのだが)

そしてこのような卑屈な発想になってしまうのもまた、自己肯定感の低さゆなのだ

過去、夜のお店でのことではないが、相手肯定的言動を信じて好意を示したら、結果単なる私の勘違いだったという出来事があり、非常に恥ずかしい思いをした経験がある。

恥ずかしいだけで済んでいれば大きな傷にはならなかったが、あろうことかこの相手はそんな私のことを罵倒してきたのだ。

自分もまた私を勘違いさせるような言動を狙って行っておきながら、その落ち度は棚に上げて勘違いした私だけが一方的に悪であると罵ってきたのである

この出来事は私の心に大きな傷を残した。

大袈裟な話ではなく、この時点から自己肯定感も男としての自信も失ってしまったのかもしれない。

もっとも、このような過去の苦い経験いつまでも縛られていつまでも前を向けないのも、自己肯定感の低さゆなのだ

かくして、今私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻したいと躍起になっている。

視野狭窄にもなっているのだろうか、自分1人で考えた結果、男としての自信を取り戻すためには、過去やろうとして失敗し苦い思い出となってしまった「狙った女を狙い通りに落とす(←落とす、ってのは表現がアレだがわかりやすいかと)」という「成功体験」をすることでしか回復できないと考えている。

心理学的には、この成功体験は「代償行為」によって疑似的に満たすことでも心の変化があるといわれているようだけど、こういうことの代償ったってねぇ。

恋愛育成ゲームみたいなのやる?

所詮二次元から何の感慨もわかねぇ。

果たしてどうすれば私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻すことができるのだろうか。

2019-02-07

Vtuberゲームプロジェクト」がすごい

最近またVtuber話題なので、私が好きなVtuberゲームプロジェクト」の魅力についてひたすら語ろうと思う。

ゲームプロジェクトとは

ゲームプロジェクトとはVtuber4人組のユニットである都内高校ゲーム部に所属する生徒4人が、部活動の一環としてVtuberをしている、という設定。ゲーム部は4人のVtuberで一つのYouTubeアカウント運営している。実際には株式会社バーチャルユーチューバーという企業運営しているIPである

ゲーム部の特徴

ゲーム部の動画ではキャラ設定台本比較的かっちりと決まっている。アドリブ生放送では中の人感が透けて見えるが基本的キャラのロールプレイは守られている。日常動画に至っては恐らくコンテが切られていて、ほぼCGアニメと同じと言える。

動画構成する脚本、声の演技、編集ゲームプレイングなど個々の要素のクオリティが高いため、恐らく各種のプロ合作であることが推測できる。

ゲームの戦績

特筆すべきは、このVtuberたち、ゲームがめちゃめちゃ上手いという事であるポケモン初心者の私でもゲーム部長の夢咲楓さんがポケモン超上手いことは理解できる。(他メンバーも凄いようだが私には評価できない。でもみんな好き)

ポケモンというゲームは三ヶ月に一度、世界中の全プレイヤーの戦績が発表される。夢咲楓さんは、その中でほぼ毎回コンスタント10位以内を取り続ける実力者である

アニメキャラ現実に食い込んでいる

美少女JKだけど実はチート級のゲームスキルを持っている」というキャラクターはアニメラノベなどでありがちな設定だ。これまではアニメラノベからこそこんな設定のキャラクターを作ることができた。フィクション世界でそういうキャラを創り出すのは簡単で、ラノベにそういう設定を一行書き足せばいい。しか現実プレイヤーランキングに食い込んでくるとなると話が違う。ゲーム部の画期的なところは、そんな最強アニメキャラクターを現実世界に半実在させたということである夢咲楓は永遠美少女JKでありながら、PGLの中に確かに実在する。そしてポケモン人生捧げてるような世界中の並み居るガチプレイヤー達を打ち負かしてランキング上位に躍り出ている。

会いに行ける

去年のTGSゲーム部に会えるイベントが開催された。参加者VRHMDを被り、仮想空間の中でゲーム部のキャラと一対一で交流することができる。参加者には目の前にゲーム部の面々がいるように見えている。さながら握手会である。このイベントが今後も行われるかは不明だが、他のVtuberでも同様のことができる可能性は大いにある。

要するに言いたいこと

複数プロクリエイターが協力し合いCGキャラクターを動かすことで、従来のニコ生アニメとは違った価値を生み出すことができる。個人的には監督がいて脚本があってコンテが切られていればそれはもうアニメだと思っているが、ゲームプロジェクトアニメ性質を持ちながらもプレイヤーランキングの中に実在しているし、生放送視聴者相互作用することもできる。言うなればインタラクティブな「生きたアニメ」「会いに行けるアニメ」という全く新しいコンテンツ可能性を示したのだと思う。

※(余談)ポケモンというゲームについて

これは本筋から少し外れる話だが、ポケモンというゲーム性質について言及しておきたい。

数年前、googleAlphaGOという囲碁AIプロ棋士を打ち負かして話題となった。囲碁における石の置き方は10^360通りあり、どんな打ち方が最強なのか未だに確定していない。(ちなみに観測可能宇宙存在する電子の数が10^87以下とされている。)囲碁には二千年の歴史があり、競技人口もそれなりに多い。つまり人類2000年かけて探索してきた歴史ある定石とされるものが、コンピュータシミュレーションによってあっさり覆されたということだ。それどころか人間がこれまで思いもよらなかったような強い定石がAIによってどんどん産み出されているので、世間に衝撃を与えAIブームの発端となった。

何が言いたいのかというと、ポケモンも(ちょっと大袈裟だが)これに似た性質を持つゲームだということ。約800種類のポケモン(レートで使われるのはせいぜい100種類だが)それぞれにタイプ個体値種族値努力値性格特性、わざ構成、持ち物など無数の隠しパラメータがあり、育て方に無限パターンがある。それらを6体組み合わせて戦術を作る。戦闘では相手PT戦術予測し3体を選出、各ターンで何をするか臨機応変判断必要となる。相手の裏をかくといった読み合いもする。PT構築の時点でメタゲームが始まっており、何のポケモンが最強なのかは誰にも分からない。酷い時は一週間単位で強いとされるポケモンが変わったりする。戦闘中はダメージ計算必要だし(わざの威力の表れ方は毎回乱数で変わる)、上位勢の間では毎試合スクショを取って記録、環境分析する者も普通にいる。

ポケモンガチろうとすると考察計算だけでなく、時間的リソースもかなり消費する。育成や厳選にも相当の時間コストがかかる上、ポケモンを入れるボール色違いに拘る者も珍しくない。(ちなみに色違い意図的に作るためにはサブロムを買って外国語設定で二周目をプレイするなどの手間をかける必要がある。)そのためポケモンガチプレイヤーはしばしばポケ廃と呼ばれたりする。

そして、、夢咲楓さんのプレイングは可愛い顔や天然な性格優等生な立ち振る舞いからは想像できないほど、エグい。ニコニコしながら躊躇いなく厨ポケを使うし、批判されるようなプレイングをしてでも泥臭く徹底的に勝ちにこだわる。ほぼ負けが確定した試合でも、諦めず、限りなく細い勝ち筋を必死にたぐり寄せていく姿は圧巻だ。

彼女は、そんな厳しい、そして世界中の老若男女から愛されるポケモンというゲームで、最高レート4位の偉業を成し遂げている。今現在も1位を目指して努力を重ねていることだろう。

生体認証増田酢魔うょ心に痛い説は(回文

眠れない夜キミのせいだよ~

はじめての生体認証

つい先日近郊の銀行で口座を開設したのよ。

で、せっかくだから生体認証にしてみたのね!

張り切って行った

初めての生体認証でのATM操作で驚いたのは、

生体認証したとき暗証番号いらないのね!とビビってしまったわ。

暗証番号無しで引き出せるって、

ヤバくない?危なくない?大丈夫なのかしら?って思うわ。

生体認証かーらーのー暗証番号2段階認証かと思ったの。

もうさ、

いつまで人類

ヤシの木の画像クリックしたり、

横断歩道画像クリックしたり、

信号画像クリックしたりしなきゃいけないのよ!と面倒くさいなぁと思ってたら、

生体認証だけで通れちゃったから、

わずATMの近くにいる行員さんに、

あの暗証番号入れてないのに開けちゃったんですけど!って言いそうになったわ。

指をスキャンするとき動作音とかもないか

これちゃんと動いてるのかしら?って思うし。

スパイ映画とかのあるあるなんだけど、

指をスキャンしたら

黒い画面に無駄デカデカ緑色ワイヤーフレームで表示されくるくる回る指先のイメージが出てきて、

マッチングさせる場所

赤い丸がぽわんぽわんと点滅表示されて、

何箇所かマッチングしました!認証OK!って

リアルタイムコンピューターが考えて認証してるんだな感を表現している、

そんなの現実生体認証での画面では一度も見たことないわ!ってぐらい

映画を見てる人に分かりやすいぐらい大袈裟大風呂敷演出生体認証システムな画面だったら

もっと認証感があると思うんだけど、

それなんてイーサンハント!!!って。

映画に出てくるパソコンの画面って

フォント大きいし

インターフェイスの作りもなんか大きいし、

全てのスケールがなんか大きいのよね。

そんなの今時Windowsでもないわよ!って思っちゃうぐらい。

まあそんなのATM生体認証ビックリした話でした!

チャンチャン。


今日朝ご飯

タマサンドとハムサンドにしました。

ミックスにしようか迷ったけどなんとなくハムサンド。

なんか今日はお店の品揃えが冴えない感じね。

デトックスウォーター

リンゴスライス炭酸で割る、

スパークリングアップルウォーターです。

スティールウォーターで作ってもいいわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-01-30

そもそも子供アニメ特撮の影響なんて大して受けない

だって女児向けアニメだろうが男児向け特撮だろうが、

小学生くらいになったらこんなん子供っぽーい、扱いでアッサリ卒業してるでしょ。

滅茶苦茶に熱狂してたのが嘘のように、別のモノにハマっているっしょ。所詮一過性

(まあ一部のオタ予備軍な子はそのままハマりそうだけど…

そこにどんなメッセージが込められていようが、ああそんなのあったね、とキレイサッパリ忘れ去る。

乱暴に全く無いとは言わないけど、ジャリ番が子供価値観に与える影響なんざ微々たるものでしょ(笑)

オタクフェミ方向性は違うだけで、「子供人格形成に良い(悪い)影響を与えるに違いない!」

なんて大袈裟に考えてる点は同じ穴の狢(まあ本気で言ってる人は少数派と願いたいが…)。

2019-01-27

屍臭の記憶

これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。

私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。

初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。

時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来ルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。

そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。

道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。

もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いけが常に辺りに立ち籠めている。その臭い我慢して近道をするか、遠回りして臭い回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。

私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験意識する時期だったので、公営図書館勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞子供行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。

そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。

それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンレトリーバー全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。

あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。

そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。

そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミ収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。

翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。

そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。

「あのー、変な臭いとか、されませんでしたか

と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、

「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」

と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。

職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ちいねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああい臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。

皮肉ものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校とき体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのとき記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。

2019-01-21

anond:20190121225438

日本の妊産婦死亡率は10万分の3.4人。

毎日会社に行くだけで同等以上のリスクが味わえるぞ?

痛み?なんか測る基準でもあるの?大袈裟に言ってるだけ。、

2019-01-18

anond:20190118010439

逮捕されたわけでもなく、「怪しいことをして怪しまれた」だけの話をどうやったらここまで大袈裟に捉えられるんだろう。

自分がうっかり怪しいことをしてしまった自覚がないなら社会人としてヤバいよ。

転んだら怪我をするのは当たり前。

恥ずかしいことをしたら恥をかくのは当たり前。

その誰のせいでもない不幸に同情はするけど、「自分が悪くないのだから、どこかに悪者がいるはずだ」っていう思考回路は早めに直した方がいい。


追記

でも宇崎ちゃん献血ポスター問題があったとは思いません。

2019-01-16

高校の頃、数学の授業は習熟度に合わせてクラスを半分に分けて少人数制で授業をしていた

クラスの半分は教室で授業を受け

もう半分は数学室みたいな教室へ移動

私は教室で授業のチームだった

けど、数学用の席があり自席での授業ではなかった

私が指定された席はとある男子の席だった

その男子は移動教室のほうのチームだった

ある日の数学の授業の日、机の上には水溜りができていた

水や飲み物ではない

よだれだ

まごうことなきよだれだった

見事なものだった

けど、当時うら若きJK()だった自分にはどうすることもできなかった

大袈裟リアクションをとるキャラでもなかった

でもそこにプリント教科書を置けなかった

水溜りに侵食されていない隅にちょこんと置くのが精一杯だった

案の定教師から

増田さん何やってる」

と言われる

なんと返したかは覚えてないけど

わがまま言うんじゃない」

みたいに返されたのだけ強烈に覚えている

わがままとは

結局ノート教科書も開かなかった

以降、水溜りを見ることはなかったけど

机の上にものを置くことを嫌がった私の行動は

小学校流行りがちな

あいつ汚い、●●菌〜!の延長みたいな

あの男子きたね〜!さわりたくねえ〜!

みたいなことだと誤解されて広まって

その後はクラスに居づらかった

どうすればよかったかはいまだにわからないし

今更わかったところでなにもないけど

たまに思い出してはしんどくなるのでかいてみた

2019-01-09

anond:20190109215717

え?俺の正体がわかったんでしょう?

なんか大袈裟にいうから何がわかったのか気になってさー?

「○○感を感じたくない」←無神経な表現をする脚本家疑問視したら

「○○感を感じたくない」←無神経な表現をする脚本家疑問視したらガキ?ガキはお前だろ

少しでも言葉意識している人なら「○○感を感じる」という表現が拙いと気付く。

これは正誤から一段上の話。いや、正誤以前の話とも言える。

しかし、驚いた事にこんな無神経な表現を用いる脚本家がいた。

プロが「罪悪感を感じたくない」なんて台詞を書く。

信じがたい。

モノ書きではない人でも感が重なる事を無意識に避けるのが自然だと思う。

「○○感を感じる」よりも「○○感がある」や「○○感を持つ」といった表現を好ましいとして用いる。

深く考えるまでもなく「感を感じる」という表現にひっかかるのが素直な反応ではないのか。

プロである脚本家がそこに何故ひっかからないのかどうしても理解できない。

脚本家なら「罪の意識を感じたくない」とでも書けば不自然にならないことくらいわかると思うが。

表現に疑問を抱いた場合、私は直接脚本家に問い合わせるのだが今回は連絡先が見当たらない。

そもそも脚本家への連絡手段が見つからない事は多々ある。

問い合わせできないままでは気がおさまらない。

どこかにコメントくらいしてやろうと思い立ち検索結果を辿り、とあるまとめサイト訪問した。

そこで脚本家として平気なのか恥ずかしくないのかとコメントしたところ

どこかの質問サイトから「○○感」は名詞から問題ないという回答を貼り付け

国語小学生からやり直せガキと返信する奴がいた。




どっちがガキだよ。

こいつの頭は恐らくこんな貧弱な回路なのだろう。

愚鈍から日頃重言を刷り込まれていることに気付かない

・それどこか、自然で当たり前の表現とすら思っている

・故に私の指摘コメントが滑稽に見えた




重言に対して何も感じない愚鈍な奴が私の指摘コメント否定する。

頭  イ  カ  れ  て  ん  の  か  ?




自分言語回路が乏しいせいで私のコメントバカに見えるならもう救いようがないだろ。

死ねよ。死んどけよ。

こちらは、脚本家というプロが、言葉を知らない子供のような表現

わざわざ台詞として用いる事を疑問視している。

いかにもクール理性的振る舞う人物が発した台詞なので余計滑稽だった。

そんな事も理解せずに反論できる俺カッケー!と悦に入っているのだろうか。

もし「ハイ論破」とでも思っているのなら未熟なオツムだ。

貧しい言語感覚しかないこいつほうがガキだろ。

間違いではないから用いても構わないという発想は

法律規制に反していないか転売目的福袋チケットを買い占めるようなもの

大袈裟な例えかも知れないが発想は同じ。

正誤から一歩踏み込んだ話をしているのがこいつには理解できないらしい。

間違っていないから、あるいは今まで咎められなかったから何をやっても良いというのは

実に幼く卑しい精神構造だ。

こいつは小学生どころか胎内からやり直すべき。なんなら生まれてこなくて良い。

「感」という文字に溢れた世の中にしているのは何者かこいつは考えたこともないのだろう。

過剰な「感」に晒され刷り込まれている事にも気付かないボケナスが。

ガキ呼ばわりされるべきはこいつの方だ。

まりに腹が立ったので、重言について触れている多くのサイトから要点を転載

如何にそいつの返信が恥ずかしいか教えてやった。

人を見下しガキ呼ばわりするそいつに○意すら沸いたので

「半○しにするぞ」とか「く○ばれ」とか罵詈雑言を連投したので

そいつの返信もろとも管理人に削除されてしまった。

返信はすぐさまあったので、もしや管理人か?真相不明

文意も汲み取らず掘り下げて考える事もできないくせに

やり込めてやろうという卑しい根性だけで返信するガキは

半○しではなく3/4○しぐらいやらないとダメだ。

目の前にいたらアゴを粉砕しているところだ。

度を越した批判共感を得られないのは承知している。

だが、争いは同じレベルしか云々なんて紳士を気取っていても

ガキをつけ上がらせるだけなので、やはり即座に叩き○めすのが一番。

精神を病むまで殴り倒したいほど腹立たしい。そして嘆かわしい。

指摘や疑問を投げかけ好ましい表現提示すると、どうしたわけか

誤っていたり拙い表現をしている側が少しも否定されない。

一方、提示した側は何故か咎められ説得される。

あらゆるサイト上記のようなやり取りを何度も見かけた。今回も同様の展開。

子供がやったことだから仕方ない。目くじら立てずに見過ごしましょう。

受け流す事ができないのは大人失格。そんな論理に似ている。

言葉の扱いに関しては改善修正情報共有という概念希薄だ。

不思議でならない。

この記事はいずれブログを作り文章を整理して再投稿する予定。




違和感を感じる

この表現、変じゃありませんか?

〇〇感がある と言うのが正しいのではありませんか?

〇〇感を感じる

なんだか、女のお母さんになりたいとか、頭痛が痛い のような表現同類ですかね

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12102478892

tob********さん



違和感を感じる」は「感」の字がダブって見えるのだから

ほぼ同じ意味の「違和感を覚える」にすればいいのでは?

それでどのような不都合があるのでしょうか。

個人的には「違和感を覚える」だって厳密に考えれば重言風だと思います

しかし、「違和感を感じる」よりはずっと自然に感じます



当方は「違和感を感じる」は「【1】不注意もしくは無神経の例」で

違和感を覚える」は「【2】重言っぽいが直せない」と考えています

■【2001625】イラっとくるから〜感〜感、カンカン言わないで

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1671,2001625,2001894

投稿者: 花言葉

通販などの番組洋服の細部を説明する時に

落ち感、ゆる感などやたら感感いうキャスト?にイラときます

ショップなどでも若い店員の子が、やたら感感言いまくりますね。

下着姿の紗栄子ありのままの“抜け感バスト”が美しい

http://girlschannel.net/topics/372134/

64. 匿名 2015/05/20(水) 16:23:39

ファッション関係人間って、アホみたいな言葉を次々作り出してドヤしてるけど、何?

抜け感とか丈感とか裾感、とかやたらと「~感」って使いたがる。

○○女子男子って使いたがる。

本当にバカっぽい!!

問題日本語

https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E

危険が危ない」「頭痛が痛い」などにおける、同意語の繰り返し。

「後で後悔する」はアナウンサーも乱用。

「後悔先に立たず」というが、定義上当たり前である

旅行に行く」「責任感を感じる」「馬から落馬する」「挙式を挙げる」

筋肉痛が痛い?メディア関係者なら知っておきたい二重表現・重複表現20

http://liginc.co.jp/life/matome-life/151543


7. 不快感を感じる

かい‐かん〔フクワイ‐〕【不快感

不愉快に思う気持ち。「―をあらわにする」「―をつのらせる」「―が軽減される」

引用元goo辞書

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/191081/m0u/%E4%B8%8D%E5%BF%AB%E6%84%9F/

例文

誤:「名指しで批判され、不快感を感じる」

正:「名指しで批判され、不快感をあらわにする」

解説

似たような言葉で「違和感を感じる」なんかも重複表現ですね。

読書感想文/『続弾! 問題日本語』(北原保雄編/大修館書店/2005年11月3日初版第1刷発行)【1】〜【3】

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1717.html

違和感を感じる」(p.39〜)

【関連日記http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1176.html



もっと簡単に考えればいいだろう。

重言を許容できるか否かは、言いかえができるか否かで判断するのがわかりやすい。

違和感を感じる」は「違和感を覚える」にできるのだから許容する理由はない。

なにより違和感があるのは、前弾の『問題日本語』ではあれほど「違和感を感じる」を使っていた

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1574723654&owner_id=5019671

のに、今回は1回も使っていないこと。

当方が見た限りでは、「違和感を覚える」さえp.27で1回使っているだけ。

ほかは「違和感を持っている」(p.105)、「違和感の生じる理由」(p.108)などを使っている。

こういうのを見ると、なんか都合の悪いことでもあったのかな、と勘ぐってしまう。

正当化しようと試みながら自分たちでは使わないという態度は矛盾している

そもそも使う機会がない語彙なら、話は別だけど)。

2018-12-25

足りない事ばかり

推しが先日、初の主演舞台を終えた。

推しはいわゆる若手俳優だ。

規模はどんなものであれ主演というのはそう簡単に立てる場所ではないし、お話が彼のもとに来たということだけで喜ばしいことなのだと思う。

本当に素敵で素晴らしいことだ。

応援していてよかった!」

そう一度でも思えていれば、こんな記事は書かずに済んだのにな、と悲しい気持ちが溢れている。

単なる愚痴に近いものだし、努力を受け入れられないのは私の性格問題で、内容が特定されて、推しが見つかるのは不本意だ。とはいえ見る人が見れば分かりそうだけれど。

濁しながらにはなるが、お付き合いいただけると嬉しい。

今回の主演舞台は、

「主役がいろんな人からさな恨みをかって、殺されそうになる」

というのがおおよその内容だった。

人の気持ちがわからない。自分発言が誰かを傷つけるなんて思わない。言いたいことが言えないなんておかしい。

そんな風に生きてきた彼は「俺のしたことって殺されなきゃいけないようなことか?!」とそれぞれの動機を聞いて怒る。

言葉の受け取り方はひとそれぞれ」

些細なことだとしても誰かにとっては大切なことだったりする」

と正され、最後は殺そうとしていた人たちと和解し、今後は気を付けると謝罪

もちろん恨みだけで殺そうとしてない人もいたわけで、最後は……という話だった。

私はこの舞台を見たとき推しの当て書きだ」と思った。殺されるのに、恨みを買ってる役なのにそう思ったのだ。

役の職業性格推しのこれまで演じてきたキャラクターに通ずる部分があったこと。

とあるごとに発言する言葉言葉足らずであること。

その時ふと気が付いてしまった。「あっ、私こういう話知ってる、体感したことがある」と。

まりにも犯人である彼らの動機に、殺してしまいたくなったことの理由共感できる部分が多すぎて驚いた。

私は幾度となく推し発言で苦しみ、腹をたて、何度も好きでいることが難しいと感じてきた。

じゃあさっさとファンをやめろと言われればそうなのだが、そうスパッとやめられるほど軽く物事を捉えられないからこそ、言葉一つ一つに気持ちを揺さぶられてきたのだと思う。

とある大きな映像作品に彼が出演した際、ゲスト出演したイベントでなにか告知があればと促され、「すごく末端の役なのですが」と自らの役を(大袈裟表現だが)卑下するようなことを言っていて、私は幻滅した。

せっかく出演できて、役名までついてるというのに、末端の役なんて、どうしていえるのだろうか。誇りをもって仕事をしてほしいと強く思った。

出れることがすごく嬉しいこととは言っていたが、なんだかモヤモヤとした気持ちが残ったイベントになってしまって悲しい感情で終わってしまった。

それからとある舞台のアフターイベントゲストに呼ばれ、それも急遽での出演、なのに出る回数も多すぎて、出演者から冗談で、「暇なのか?」と弄られたことがあった。

「暇なので」と彼は答えた。あぁ、そうなんだ、私はお金を払ってあなたの暇潰しを見に来てるのね、と思った。仕事一つ一つに誇りを持ってるという発言がなぜ出来ないのだろうか。

まぁそんな些細なことの積み重ねでどんどんと嫌いになっていったわけだが、あるとき私が手紙に、こうした方がいい、ファンの人はきっと喜ぶから、私以外の誰かの為にしてあげてほしい、というアドバイスを書いたことがあった。

ブログでそのことを実践してくれて、ちゃんとお手紙読んでくれてるのだと嬉しくなった。だけどそのあとの内容にまるで私の手紙は嬉しくなかったようにも捉えられる言葉をかかれて、しばらく苦しかった。

「一番嬉しかった手紙は初めて舞台を見たという内容のもの

何て文章、きっと彼は「自分がその舞台を見るきっかけに携われて嬉しかった」と言いたかったのかもしれないのだが、あまりにも言葉足らずすぎるし、そう書きたかたかは彼にしかからない。

私には私の手紙が嫌だったから、そう書いたのだろうと被害妄想的にしか読めなかった。

これは書いた私にしか届かない否定で、だからこそ、他のファンからは「今までのファンはもういらないんだ」と捉えられていて、そこもまたその要因を作ったのが私なのかと思ったし、なんというか、いずれにせよどんな形でも、言葉足らずも大概にしろと思った。

言葉足らずなのはいつだってそうで、

「この作品キャストスタッフ、たくさんの方に支えられて成り立っています

「この作品に関わってくださった皆様のおかげです」

これは彼のよくいう言葉だ。

捉えようによってはそこにファンが含まれてるようにも含まれてないようにも見える言葉だと、私は思う。

しっかりと話してくれないと、伝わらないんだよ、言葉足らずだ、と私は常々そう思っている。

そしてどんどん彼の言葉をすべて真っ直ぐ受け取れなくなった。信用できない。どこまで本心か分からない。

全て前向きにとらえられるのであれば、彼はい役者さんで、ファンを大切にしてるんだと思うから、いつか、その表現の部分が改善されればと願って、今までしがみ付いてきた。

そして今回の舞台最後千穐楽カテコを聞いて、私は「もう彼を応援しなくてもいいな」と思った。

「この作品キャストやここにいないスタッフさん、たくさんの方に支えられて成り立っていて、自分一人じゃできなかったのだと痛感しています

「この作品に関わってくださった皆様のおかげです」

いつもの言葉に少し残念な気持ちになっていたら、彼は少し客席に体を前のめりにして「関わってくださった皆様の中には今日この舞台を見に、ここにいらっしゃる皆様も含まれていて、皆様がいなければ成り立たなかった」と補足した。

言葉足らずが消えた!

成長したのだ。

ももう本当は心が離れてたらしくて、全く何も思わなかった。

いや、正確には「ああ応援していてよかった」とは思わなかった。

今更前向きに、真っ直ぐ受け取れなくなっている捻じ曲がった私の心には全然届かなかった。

まるで私の、私たちファン意見を全て掬い取ったみたいな、取り繕った言葉だと感じてしまった。

かなしい話だ。しがみ付いてしがみ付いて、無理をしていた結果。

悪いのは彼じゃなく私の方だろう。

私は彼に対し「ここが嫌だなぁ」という気持ちを濁しながら手紙に書いてしまうような悪いファンで、「もう手紙書くのはしばらくやめます」と記してみたり、リプライで「最後まで見届けられて良かった、悔いはないです」とか送っちゃうし、とにかく捻じ曲がっている最低なファンだ。最低。ほんとに最低。

私がそう書いてきてもう居なくなりそうだったから、安心してそういったのかも、私はいらないファンだもんね、と思ってしまう。

そんな厄介思考の持ち主なので、成長を見ても「そっか!」という清々しい気持ちになってしまったのだろう。

好きでいさせてほしい、好きでいたい、だから、つなぎとめる何かが欲しかった。

はずなのに、一つも受け取れず、私は推しから去る。

手紙に対してのレスポンスブログ、あのときは大きなコンテンツの2.5に出て、新しいファンがたくさんついた後だった。

からお節介だけど、今新しくついたファンたちがいなくなってほしくなくて(ただでさえ前からファンは離れていたので)、こうしてみたらいいっていうことを書いたのだ。

実際その新しいファンの人たちは喜んでいたし、好きになって良かったというコメントを見かけたので間違えてなかったのだと思う。

そんな反応で喜ぶ人ではないから、きっと推しからは「お節介でうるさいファン」と思われてただろうと思う。

この挨拶で私以外の人はきっと幸せになったはずだ。

応援していてよかった、見に来ていてよかった。

そう思った人が多かっただろうと思う。

彼の足もとに座る私は顔を見れず、目を逸らして真っ直ぐに前だけを見た。それが私の最後の視界。

本当に当て書きなのかは分からない。

そんなはずはないと思うが、この作品メッセージを受け取って推しが変わるのなら、出会うべき作品だったのだろうと思う。

内容は酷評されていたりしたが、そういう意味で意義のある舞台だったと私は強く思っている。

物語最後、実はまだ犯行に及んでなかった人に殺される主人公

千穐楽が終わって、1日疲れて休んで、手紙を読んでからはいつもブログを書いていると思っているので、きっと今日明日にはブログが来るはず。

それが終われば全部終わってしまう。

最後の結末が違う形になるのかはそれ次第。

しかった、さようなら。大好きだった。

2018-12-23

インターネットがない時代

手のひらから情報いくらでも得られる時代に向いてなかった。

インターネットが無かったら気にならなかったことも、「こんなことされて辛かった(一方的情報)!!」って大袈裟に声を上げる人をいっぱい見てしまうせいですごく気になるようになってしまった。

何をしても人に迷惑をかけてるような気がして、自分長所もしかして短所だったのかなと考える。

自分以外にかけられた言葉なのに、まるで自分がかけられているように感じる。

インターネット上で「嫌なやつ」にカテゴライズされる人物像に、自分がことごとく当てはまっている気がする。

実際の生活では、仲良くしてくれる人もいるのに、私の知らないところでは、例えばインターネットでは、私の悪口を共有してるのではないかと思う。

裏で悪口を言われてるのでは?という不安は昔から合っただろうが、今はもっと気軽に、全世界の人に向けてそれができる。

今はもうインターネットリアルの一部であろう。その割合が増えてくれば来るほど、私は生きにくく感じていく。

2018-12-15

anond:20181209125120

昔は舞台俳優が割のいい仕事だと声優をやってることが多かった。

舞台は総じて演技が大袈裟なので、演技そのもの大袈裟なのは問題ないしそういうもの

問題なのは変に鼻にかけた声で、これがパヤオの言う娼婦の声っていうやつだと思う。

今は男性声優も鼻にかけた気持ち悪い声を出す。

無理のない発声方法で発した声なら他人不快感を与えることはあまりない。

自然に感じるのは演技じゃなくて発声方法だ。

2018-12-11

anond:20181209180910

いいポイントを突いた指摘だと思うけど、「原罪」は大袈裟かと。

せいぜい「恵まれた者にはそれなりの責任がある」くらいにしといては?

なお、こういう社会の分断というか階級階層問題は、昔から繰り返し繰り返し論じられてきているんだよね。マルクスルソーを持ち出すまでもなく。

anond:20181209180910

いいポイントを突いた指摘だと思うけど、「原罪」は大袈裟かと。

せいぜい「恵まれた者にはそれなりの責任がある」くらいにしといては?

なお、こういう社会の分断というか階級階層問題は、昔から繰り返し繰り返し論じられてきているんだよね。マルクスルソーを持ち出すまでもなく。

2018-12-10

だってそれ毒じゃん

数日前だかもう2週間ぐらいは経つか、TLに某バラエティドキュメンタリー番組動画が流れてきた。

毒親」について。

「毒」な母親に育てられた女性体験再現VTRだった。

私はテレビを持っていないのでその番組自体は見ていないし、

流れてきた動画ツイッター用に2分20秒で切れていたので、

その動画番組の是非については言うつもりはない。

ただその時、フォローしている既婚子持ち女性数人(いずれもお子さんは未就学児)が、

「こんなので毒親と言われたらたまったもんじゃない!

こんなの私もよくやる!」

拒絶反応気味に吹き上がっていたのが気になりどうしてもモヤモヤが消えないので

ここのアカウントを取った。

初めに言っておくと、私自身は虐待サバイバーではないし、

母親に関しては「毒」からは遠い存在だと思う。

父親は酒を飲んで暴れて警察沙汰にすらなったことがあるし、

私が実家を出るきっかけになったのも父親言動だが、

強大なストレス源になったのは私の成人後なので、

子供時代に極端な悪影響は及ぼされていない。

まり、これから書くことはあくまで元友人を含む毒親虐待経験談への印象を元にしている。

なので「知りもしないくせに偉そうに」と言われるかもしれないが、

そういった家庭や加害・被害実体験者およびカウンセリング等の対応仕事として携わっている「当事者」以外から

毒親」という存在のものに対する軽視するようなコメント感想は、少なくとも直接は書かないでもらえると嬉しい。

さて本題。

「こんなので毒親と言われたらたまったもんじゃない」と、怒りというより悲鳴のようなコメントを上げていた方々は、

母親だって聖人じゃない

イライラたからって怒鳴ることも許されないのか

動画に対して)食事時間が決まってるのに、作ってから「いらない」と言われてもキレたらだめなのか

感謝言葉ひとつなければ「私はこの家の何なの」と言いたくもなる((動画内で、姉妹仲良くジュースを飲みながらテレビを見ているところへ母親が現れ、「あなた達がいるとすぐ汚れるんだから」と言いながらテーブルを拭き、「私はこの家の何なのかしら」と子どもたちを睨めつけながら言うシーンがある))がそれもだめなのか

といった点で件の動画に引っかかっていた。

うーん。

ちゃうねん。

「その動画番組の是非については言うつもりはない」って書いたけど、

これは例の挙げ方が良くなかったのかなと少し思う。

そりゃご飯作ってからいらないって言われたら腹立つよね。

でも虐待毒親体験談をそれなりに見聞きしている自分には割と胃が痛くなる動画だった。

夕飯の準備ができてからご飯いらないと伝えた娘に対して母親が激昂し、その子の分のハンバーグゴミ箱に捨てようとする。

やりすぎじゃない?

「そうすることで反省を促そうとしてる」という意見ももらったが、ビビらせるだけだと思う。

結果、その動画内ではどうなったかというと、女の子学校から帰って母親背中が見えるだけで「今の機嫌」が気になるようになった。

かに自分がある種家族ルールを破った(食事の準備ができてから「いらない」と伝える)ために親を怒らせた、という

この動画の部分だけを見ると、これで「毒親」と言うのは大分大袈裟に思えるし、

毒親虐待について幸いにもあまり見聞きしていない人には「その先」や「裏側」を想像させるようにはなっていなかったかもしれない。

でも実際にはいろんなことが積み上がってたんだと思うよ。

でなきゃ一度や二度「怒られた」ぐらいで「家族」の姿を見てビクビクなんてする?

あの動画マイナスの反応をしていた人たちは、とても子育てを頑張ってるんだと思う。

というかフォローしてるから知ってる。

で、頑張れば頑張るほどダメだったんじゃないかと思う部分が増える。

から自分にも身に覚えのあることを指して毒親と言われたか拒絶反応が出たんでしょう。

ツイッターでは何度も書いたけど、

どうしようもなくイライラして怒鳴ったとか、つい手が出たとか、

そういうこと自体が(母)親には許されない、したら即毒親、と言ってるんじゃないです。

そりゃやらないのが一番だけど。

あの動画では伝わりにくかっただろうけど、問題は親がキレる基準タイミングが判らないってこと。

昨日何も言われなかったことを、今日したら怒られる。とか。

虐待逮捕された親たちも口を揃えて「躾のつもりだった」と言うけれど、

我が子が社会でやっていけるように言動生活態度を整えていくのが躾とすれば、

毒親と呼ばれる人たちの行為は「自分(親)の機嫌に沿うか沿わないか」が基準

子供は「社会的に正しいか正しくないか」ではなく「お母さんお父さんを怒らせないか」で行動する(しない)ようになる。

親じゃなくてもいますよね、自分の望む反応じゃなかったらキレる人。((例えばせっかく選んだプレゼントをいらないと足蹴にでもされたらそれは怒っていい。

それは「足蹴にした」ことに対して。

子供リクエストを聞いたわけでないなら、喜ばなかったことに対してキレてはいけない。

というか、そういう場合「残念がる」のがマトモな感覚だと思うのね。

「毒」というのは「お前のために選んでやったのに!喜べ!」ということ。))


自分の機嫌を取らせて相手支配しようとするのが「毒」。

相手自主性や尊厳を摘み取り自分の臓器のように扱うのが「毒」。

ごはん目の前で捨てたから毒、じゃないんですよ。

あと、「私はこの家の何なのかしら」のように、「自分がこれだけ○○してやってるのに」は危険

人知人に対してだって「(頼まれたわけじゃないのに)○○してあげたのに(見返りがない)」は人間関係こじらせる元だけど、

はっきり言って子供なんて子供自分で生んでくれって言ったわけじゃないじゃないですか。((子持ちの友人も見ているところではとても言い難い))

してやってるも何も、おおよそのことは親の義務です。

少なくとも子供バイトできる歳になるまでは禁句ですよ。

大分まとまらなくなってきたのでそろそろ締めたい。

件の動画への擁護(?)として「なんでも毒毒言って(母)親を追い詰めるな」というのがあったけど。

家族って、一番小さい社会ですよね。

赤の他人に比べたら何も言わなくても伝わる部分が大きいけど、全ては「コミュニケーション」です。

で、コミュニケーションというのは、悲しく残酷だけど、受け取った側の認識が全てなんです。

私は最近、「そんなつもりじゃなかった」「気にしすぎでは?」と思うようなことで長年の友人を2人失いました。

「そんなつもり」かどうかは受け取った側が判定することで、

多少のエクスキューズはさせてもらえたとしても、それで許されるかどうかは相手次第。

親子も同じです。

親がどんなに頑張ったって(頑張らなくたって)子供が心を殺されればそれは毒。

だってコミュニケーションからね。

親子という言葉だと感情的情緒的になってしまうなら、

友人や恋人関係で考えたらいいかもしれない。((私は恋人いたことないから知らんけど。))

友人や恋人にするのが許されない言動子供にも許されない。

毒と称される親は自分自身がそういう育てられ方をしてきたケースが多く、

親一代だけを責めてもどうしようもないかもしれない。

子育てに疲れてメンタルが死にかけのSOSでもあるかもしれない。

そういう「情状酌量余地」はある。

「適切な処置」を受ける権利もっとある。

あるけど、「情状酌量余地がある」ことが即ち「無罪」にはならないですよね。

なる可能性がまぁまぁあるだけで。

なんかそこをごっちゃにした感想(「母親だって辛いんだ!」)を受け取って、ツイッターでは文字数も打つのもしんどくて投げたのでした。

結局ここでも言いたいことはまとまらなかったけど。

ただともかく、「こんなので毒親と言われたらたまらない」は、個人の感想としては構わないのだけれど、

「何でもかんでも毒毒言うな」となると、痴漢セクハラに対する「気にしすぎでは?」と言った軽視発言を想起させられて黙っていられない。

あなたは」毒親じゃないしそんなことする親がいるなんて信じられないかもしれない、けどいるんだよ。

自分自身が被害者じゃないのに言いにくいけど、

子供が可愛くて可愛くて仕方なくて、たまには怒ってしまうこともあるけど子供のためなら何でもしてあげたくて、子供もパパママ大好きと言ってくれる人たちには想像もつかない世界があるんだよ。

「毒」という言葉を使う場所は選ぶべきかもしれないけど、我が子の不幸を願うような親だって本当にいるんだよ。

「毒」がだめなら「呪いならいいかな?

追記:初めてのはてな脚注記法が使えない

2018-12-07

ツイッターでの自分の居場所が無くなっていく気がする

ツイッターで絵とか妄想とかなんか短い文章とか上げてる。いわゆる二次創作。2年ぐらい同じアカウントでやってる。

で、最近ツイッターをしてると、ある考えに囚われそうになる。題名の「ツイッターでの自分の居場所が無くなっていく気がする」だ。

二次創作をしているもんだからフォローするのはおおかた同じように二次創作をしている方だ。タイムラインではみんな妄想を語って、絵をあげて、文章を書いている。(もちろん日常ツイートをする方もいるけど、今回それには焦点を当てない。大体の話で、全部が全部二次創作だ、という訳では無い)

それを見ていると、焦る。なにも生み出していない自分価値がないように思えて来る。人権がない、といえばいいのか。とにかく今何もしてないことに焦るのだ。私もなにか発信しないと、生み出さないと、と思えてくる。

別に私は大手でもないし、そもそもイベントに参加したことはないぐらいのちょっと二次創作をしている人であるから、私ごときが何もしなくてもジャンルは盛り上がる。それは知ってる。でも、他の人の作品を見るとなんか、こう、心がモヤモヤする。私もなにか生み出さなきゃって気持ちになる。大袈裟に言ってしまえば、「私がここにいる意味がない」って気持ちになる。さっきも書いたけど「何も生み出せない自分価値はない」って思う。何回も言うけど、私ごときが生み出さなくてもジャンル大丈夫ってのは理解してる。理解した上で思ってしまってる。

二次創作楽しい。すっごく楽しい。だから止めないけど、こういうめんどくせえ気持ちになるのはなんとかならないかなあ。

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